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進め! フロンティア

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にちようび

 平日の帰宅が午前2時過ぎで、翌朝も7~8時に起きて息子たちの面倒をみる日常の中で、毎週火曜日と木曜日の日課だった弁当作りが途絶えてしまった。頭の片隅にはあるものの、気持ちと体力の余裕がなく、4月・5月は「休業宣言」をした。

 台所に向かって弁当を作ることが楽しみでさえあったのに、間を開けてしまうと結構、再開は気重だ。継続は力なりというが、連続性のあることには慣性が働くのかもしれない。おっくうと思う前に、体が自然に動く。どんなに疲れていてもだ。ところが、一旦ストップしてしまうと、時間が作れそうなときも、意外と体が動かない。子どもたちの「登校」も同じかもしれないな。

 今年(というより今年度)は、そのお弁当作りをさらに進化させるという目論見があった。家庭菜園を充実させ、食材に自家製の野菜を使おうという目標を立てていたのだ。

 そんな気持ちもあって、平日が忙しくなってしまった一方で、日曜日は定期的に休めるシフトだったので、せめて週末は家庭菜園づくりに勤しもうと、4月から裏庭の手入れをはじめた。

 ナス、トマト、ピーマン、きゅうり。これらはお弁当では大活躍する野菜たち。長ネギ、ニラ、大葉なんてのも植えてみた。表の庭にはちょっとしたスペースを作り、バジルやイタリアンパセリといったちょっとしゃれた食材を配置した。

 我が家の裏庭はスギナとドクダミとタンポポ天国だ。草むしりをしても1週間もすれば、すぐにまた生えてきて、日曜日の午前中は草むしりと野菜の手入れで終わる。継続しないと雑草はどんどん伸びていく。毎日放置すれば、どんどん雑草は増えていき、気がついた時には手に負えないくらいの量になってしまう。その意味で、勉強と似ている気がする。面倒でも、億劫でも、毎日少しずつ、毎週欠かさず手入れをしていく方が、時間的にも精神的にも負荷は少ない。

 雑草は目に見えるけど、勉強は目に見えないから厄介だ。いずれにしても継続は力なり、か。
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コロナが人類につきつけたもの

  新型コロナウイルスは国際社会のつながり、地域社会のつながりなど様々なものを分断している。インバウンドで湧いていた時代はもはや過去のものだ。コロナ禍が落ちついた後、インバウンドがすぐ復活するとは到底思えない。東京オリンピックは延期されたものの、アフターコロナ後のオリンピックではおそらく世界的な気分は一転しているように思う。もちろん、コロナが収束に向かい、再び安穏とした生活がもどって来たとしたら、オリンピックは平和の祭典としての意義はある。とはいえ、人々の「移動」に対する気分は様変わりしているような気がしてならない。

 しかしながら、このコロナが人間社会のあらゆるつながりを断ち切ったとしても、「家族」のつながりだけは断ち切れないことを実証してみせた。家族はコロナでも分断できない。それは、社会経済が高度化する中で、人類が「増設」し、「拡大」してきたあらゆるつながりが崩壊しても、だ。言葉の最小単位である「単語」がこれ以上分けられないのと同じように、社会のつながりの最小単位、基礎的集団のつながりだけは分解することができない。

 ある意味で、コロナ禍は社会システムがため込んだ膿をあぶり出し、本質的に大切なものは何かを突きつけているような気さえする。

 たとえば、毎日満員電車に揺られながらの通勤。これを社会は黙認してきたが、冷静に考えれば、異様な光景だ。都市の肥大化とそれ以外の地域の衰退は日本の大きな社会問題であったが、通信技術が発達し張り巡らされた現代社会において、都市をこれ以上肥大化させる意味があるのか。首都機能をもっと分散させ、霞が関を分解し、それぞれの地方に配置しても、通信技術があれば、十分に機能するのではなかろうか。様々なものや機能が密集することで、大災害が起きたときのリスクは巨大化する。そういうことが起こりうることを、このコロナ禍は教えてくれているようにも思う。首都直下型地震の起きる可能性がずっと指摘され続けているが、今の東京の状況下で、そのような大災害が起こったら完全にこの国の機能は麻痺する。その意味で、東京中心のこの国の在り方を真剣に考えなければならないという課題を突き付けられているといってもいい。

 また、異常な規模での都市化が進むことで、遠距離通勤・通学という事態が生まれ、家族とコミュニケーションを図る時間がそがれがちだ。日本社会全体がそのような傾向があることは否定できまい。家事が分業化され、外注化され、家族で一緒に何かをするという機会が極端に減ってきている。そうした流れの中で、家族の中での孤立化も都市化は招いてきたように思う。もちろん、少子化社会や高齢化社会などがその背景にはあろう。しかし、少なくとも、激しい都市化がその一因にはなっている。

 ゴールデンウィークになったら、これまた異常なまでの渋滞に巻き込まれながら、みんなが一斉になって行楽地へ赴く。もちろん、家族でのレジャーを否定するつもりもないし、こういった「非日常」の過ごし方が、私たちに癒しを与え、リフレッシュできるのも分かってはいる。しかし、普段、分断された家族が「日常」をないがしろにしていたつけを、こうした「非日常」という空間や時間でごまかしてきてはなかったか。自分は改めて感じた。

 今回、ステイホーム週間と銘打たれたゴールデンウィークを経験して、感じたことは、日々の暮らしの中でできる家族との楽しみだ。この休み中、家族みんなで庭仕事をやり、家庭菜園を手入れし、みんなで協力し合って食事の支度をし、日が暮れたら、家族みんなでトランプやUNOや人生ゲームをして遊んだ。一歩も家からは出なくても、家族みんなで何かすることの愉しみを再確認した。

 何より、自然と共に暮らす田舎暮らしの魅力を強く感じた。土をいじり、春の心地よい風に吹かれながら、家族と共同で暮らしを回していくことの豊かさを実感した。もし都会暮らしをしていたら、こんな気持ちにはなれなかったかもしれない。もちろん、都市で暮らす良さも理解しているし、頭ごなしに否定するわけではない。ただ、現状の日本の都市化は超都市化であり、もはや行き過ぎたレベルに達しているのではないかという問題提起をしたいだけだ。それは単純に自分が歳を重ねたから感じる境地なのかもしれないが、もう少し日本は機能を分散してもいいように思う。そういう課題をコロナ禍は突きつけている。

 JINSの田中仁社長が、今回のコロナ禍を受けて、本社機能を東京集中から創業地である前橋により移管させ、二本柱にすることを表明した。こうした施策は企業や組織のリスクヘッジになるだけでなく、衰退しつつある地方の活性化にもつながる。非常によい流れだと思う。こういう取り組みをもっと日本社会全体が本気になってやりはじめるべきだ。

 地方という観点で言えば、首長のリーダーシップの差がここまで明白になった災害も珍しい。活躍しているのは30代や40代のリーダーだ。世界的に見れば女性リーダーの活躍も目ざましい。経験を積んだ政治家も必要だが、政治の世界の若返りがもっと必要なことも痛感した。経験値が少ない分、判断に余計なものが入らないのだろう。決定のスピード感が抜群だ。同様に、様々なしがらみに縛られていない分、アイデアも斬新だ。だからこそ、若い感性がもっと政治の舞台で活躍できる土壌づくりも社会全体として必要だと思う。とはいえ、選挙にはお金がかかり、若い人が手を上げにくい実情が横たわっている。選挙でリーダーを選ぶことの大切さを選挙民の一人として再認識した。

 コロナ禍で一番感じたのは、人と人が直接会って食事を囲んだり、談笑したり、ときには議論したりということのありがたさだ。家族の絆の大切さを再確認する機会であったことは先述したが、一方で、画面越しだったり、マスクを装着したりだったり、ソーシャルディスタンスを意識したりだったり、そういうバリアやフィルターを介さずに、対面して同じ空間で呼吸することが貴重であることをこれほど痛感させられたことはない。

 生きることの愉しみや豊かさや幸福感は、人と人との対面の触れ合いを通じてしか得られない。フィルターを挟んだコミュニケーションも一応はコミュニケーションの体はなしているが、同時に匂いや温度感やぬくもりまでも除去してしまう。ある意味、「疑似コミュニケーション」だ。
 デジタル化された音源でも音楽は楽しめる。でも、コンサート会場に足を運んで、その熱狂に包まれるあの興奮は決して得られないだろう。人と人が直接会うからこそ生み出されるエネルギーやパワーがある。当たり前に存在していた人の営みすべてが、実はものすごく得難く貴重なものであったのだ。

 長期的な視点で言えば、特効薬の開発が進み、ワクチンが作られ、コロナは最終的には終息に向かうだろう。最終的に人類はコロナに勝てると信じている。しかし、その「戦後」、私たち人類は今回受けた社会的なダメージを修復していくだけでなく、教訓を導き出し、新しい価値観を作り出すために行動していかなければならない。

 
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緊急事態宣言の行方

連休明け、本格始動に向けた助走期間。基本、今日と明日はZOOM自習室での対応にしている。今日も、たくさんの子が自習をしに来てくれた。とりあえず、ここ数日は来週以降に向けていろいろ支度をしなくてはならない。

さて、今日は今後の見通しについて、検討した。まず5月末日までの緊急事態宣言継続と休校措置はすでに発表されている通りだが、5月14日に開催が予定されている国の専門家会議と、その前後に行われる県の対策会議で、群馬県の緊急事態宣言や休校措置も中旬以降の流れに修正が施される可能性が高いと私はみている。

現状で群馬県のPCR検査は1週間以上陽性者が出ていない(昨日は異例な形で出てしまったようだが)。今日の東京の陽性者数も3月水準の2桁。まだまだ油断できないと知事は言っているが、この外出自粛が功を奏してきているのは間違いないと思う。一方で、自粛疲れと経済的な不安にさらされ、私たちは疲弊しきっている状態だ。感染者数が減少すれば、経済活動再開を求める機運も高まるだろう。ただ、同時にその経済活動もコロナ拡大前のような状態では始められない。「段階的」という言葉を総理は使っていたが、「感染を再燃させない対策を十分講じた上で、感染の恐れが少ない業種から」というような条件が付されるように思う。

とはいいつつも、経済的な営みと感染拡大の防止という2本柱を両立させるという方向性を勘案すれば、5月18日からの週に動きがでてくるように思う。このままの水準が続いてくれれば、緊急事態宣言の解除と休校措置の前倒し終了という話が持ち上がってくるのではないか。もちろん、先行して緊急事態宣言を解除した県が陽性者数を増やしてしまうような事態になれば、月末まで継続されるだろうが…。

その辺りから、5月中旬の動きに対して、3つの仮説を立て、塾を動かすことにした(予定)。
❶ 緊急事態宣言と休校の継続 ⇒ 当初の予定通りフロンティア@ホーム(双方向ライブ授業)
❷ 緊急事態宣言は解除、休校は継続 ⇒ 昼はフロンティア@ホーム、夜はフロンティア@ホームと対面授業の併用(これはまだ結論は出ていないけれど)
❸ 緊急事態宣言・休校共に解除 ⇒ 昼の時間は終了。夜はフロンティア@ホームと対面授業の併用

 全面的に対面授業を再開する道も検討したが、今後のことを考えて「併用する」という選択をとることにした。
 この方式を選択する理由は、
❶ 併用させることで「三密」を防ぐことにつながる。
❷ まだいろいろな人と接触させたくないというご家庭のニーズにこたえる。
 といったコロナ対策という意味合いが大きい。しかし、一方で今後の塾のありかたをバージョンアップさせるために必要な試みだとも思っている。

 対面授業の中に、ZOOMで授業を受ける人たちを混ぜて同時に動かしていくという、かなりハードルの高い挑戦でもある。対面だけ、ZOOMだけの方が動かしやすいのは分かっている。しかし、この状況だと、通わせたい派と通わせたくない派は半々くらいのような気がする。毎日新聞の世論調査でも緊急事態宣言延長支持は66%。この調査の数字が再開派と慎重派の割合を裏づけているように思う。

 塾的には併用させるための機材もそろった。あくまでシミュレーションしただけなので、最初はばたばたするはずだが、これが出来れば、4月からバージョンアップを重ねた双方向ライブ授業もほぼ完成形に到達する。

 再開にそなえて、塾ではさらに三密防止のための対策を講じた。対面する箇所にはビニールシートをはり、授業者はマスクに加え、フェイスガードを付けて授業する予定だ。
 もちろん、現時点では、ZOOMによるフロンティア@ホームを継続して行っていくというのが決定事項だ。しかし、時々刻々と変化する状況に対応していくためにいくつかの道を設定しておくことが肝要だ。
 どう状況が動いても、臨機応変に対応できるように備えておきたい。


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ちょっとした空き時間に振り返りのブログを書く。

 改良に改良を重ね、4月13日からスタートしたZOOMによる双方向授業も、大分理想形に近づいてきました。目指したのはリアルで授業を受けるのとそん色のない形です。この形を創り上げるために、起業時と同じくらいの労力をかけた気がします。
 私自身は正直、無駄に疲れている感じです。ずーっと精神が張り詰めている状態で、帰宅後もすぐに寝られず、わりと睡眠不足気味。午前中、少々の家事をこなして、子どもたちに「行ってきます」して、午前中から仕事。時間を自慢しても仕方ないのですが、この1か月は15,6時間は働いてきた感じです。かといって、決してパフォーマンスがいいわけではなく、振り返ってみれば、もっと短時間で終わらせられたこともある気がします。
 とはいえ、何かを創り上げる達成感は久しぶりに味わいました。イメージしているものを形作っていく仕事は疲労の一方で、アドレナリンを分泌します。

 今回、フロンティア@home(ZOOM授業をこう名付けました)を立ち上げてみて、この仕組み自体にはとても可能性を感じています。平時に戻っても、ZOOMを使ってやれることは結構あるなと手ごたえを感じています。

なんとなくイメージ広告っぽいものをペイントで作ってみた(イラストレーターじゃないから、ちょっとしょぼいけど)
ZOOM_広告_1

ZOOM_広告_2


 体重計にはのっていませんが、結構やつれたなあ。GW開けたら、5月休校版のグレードアップバージョンの時間割編成になるんだな。いまでも一杯いっぱいの状態だけど、はたしてうまく回せるか、ちょっと不安ではあります。
 あー、12時間くらいたっぷり眠りたい。

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9月入学についての提案

 いよいよ9月入学について本格的に議論され始めた。実現するかどうかはさておき、前向きな検討はしてほしいと思っている。

 そもそも、多くの国が9月入学を採用しており、このタイミングで9月入学が実現すれば、留学生の受け入れや、日本から海外に留学する学生にとってメリットは大きい。グローバル人材の育成につながる施策である。その観点で東大などは秋入学を検討した過去があるが、結局とん挫した。

 秋入学を導入するというのはパソコンのOSを入れ替えるようなものだ。いままでWindows派だった人がMacに乗り換える感じだ。慣れ親しんだものから新しいものを導入するというのは、心理的なハードルが高い。土台が変われば予期しなかった弊害は必ず起こる。だからこそ、慎重論も出てくる。

 慎重派の意見としては、
 ① 国家の予算年度と学校の予算年度がずれるのは好ましくない。
 ② 9月卒業だと入社時期を会社がずらさなければならないのではないか。
 といったものがあげられる。

 たしかに①は難しい。自分もこの予算のずれをどう整合させていくかは専門家ではないので分からない。結局、もし9月入学の話が流れるとすれば、ここがネックになるのではないかと思っている。
 ②については、個人的な提案であるが、9月卒業はむしろプラスなのではないかと思っている。
 というのも、
 現時点で大学生の就職活動は3年生の春くらいから始まり、夏までにはほぼ内定が出そろう。ある程度、学業を犠牲にして、就活に励んでいるのが実情だ。

 仮に秋に卒業という形になれば、そこから4月の入社に向け、就職活動をスタートできる。大学の授業をおろそかにせずに済むはずだ。卒業から翌年3月までは社会に旅立つための準備期間ととらえればいい。就職活動したり、世界中を旅したり、ボランティアなどの社会貢献活動をしたり、思い切って起業したり。こういうチャレンジングな時間に充てることができる。

 卒業してしまうと大学生は社会的な身分を喪失してしまうから、在籍した大学が卒業後、翌年3月までの期間、卒業生の身分保障をしてやればいいのではないか。就職のカウンセリングなど社会にでるためのサポートなど、学生側としてもそうしたバックボーンがあったほうが安心して就活などに打ち込めるはずだ。

 企業側にもメリットがある。内定した学生の研修を早めに始めることができ、4月の時点では即戦力として現場に配置することができる。入社は4月という形を維持しながらも、インターンや見習い期間のような立場で入社してもらい、仕事のいろはを身につける時間的な余裕が創出できる。あとは人事部のスケジュールだろう。素人考えだが、新入社員の入社時期と採用活動の時期がずれれば、人事部の仕事も分散されるのではないかという気がする。

 高卒の就職については、たとえば国や自治体が職業訓練校的な組織を作り、卒業後から翌3月までの半年間、高卒者の就職あっせんや社会人としてのマナーを身につけたり、資格を取得できるような教育的なサポートをすれば、いいのではないだろうか。もちろん、そういった施設をつくるにはお金もかかるが、少子化が進んで学校が統廃合される中、空いた学校を活用するなどすれば、新規に建設しなくてもよい。

 休校からもう2か月が経ち、5月末までになれば3か月。1年の25%が喪失している。入試を控えた学年はどうなるのか不安だろうし、大学入試に関していえば、センターが廃止され新しい制度の初年度が今年なのだ。入学したばかりの学年は学校に籍はありながらも、人間関係も構築できずに足踏みさせられている。1年生はじっくり時間をかけて学校の文化や習慣になじんでいく学年でもある。ここが短縮されるのは長期的にみても彼らにとって損失だ。

 9月入学も賛否両論あるだろうが、1年という単位でやり直しができるのならば、前向きに考えるに値する施策だと思う。過去9月入学はさまざまな場面で俎上に上がってきたが、このコロナ禍の非常事態で実現できなければ、日本の学制が9月になることは半永久的にないのではないかと思う。

追記 2~3月は例年、インフルエンザなども流行する。大雪で入試が混乱することも少なくないという話をTVで取り上げていた。入試の時期が温かい季節になるのはそんな利点もある。
 
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