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進め! フロンティア

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卒塾パーティー

 昨日は午前中、お役所関係の業務(会社を清算するのに事務手続きが無茶苦茶多い)で市役所やら税務署回り。その後、宮郷中に書籍の寄贈に行きました。本は捨ててしまうのはもったいないし、ブックオフで小遣い稼ぎするより、お世話になった伊勢崎の子どもたちにと、中学校に寄付を打診したところ、快諾してくださいました。
 
 夕方からは宮子町の「ナポリの食卓」さんで恒例の卒塾パーティーを行いました。コロナ前はラウンド1でボーリング大会でしたが、コロナ時代は塾内で食事会&クイズ・ビンゴ大会(パワポ作り込んで、結構本格的なものです笑)という形になりました。今年は人数が多かったのと、塾の片付けもあり、どうしようか悩んでいたところ、ナポリの食卓さんから貸し切りの提案をいただきました。レストラン貸し切りは結婚式以来です笑。
 賞品付きもあって、クイズ・ビンゴ大会はかなり大盛り上がりしました。みんな楽しい時間を過ごしてくれたようで、こちらもよかったなと思いました。
 イベントの最後にサプライズで生徒たちから「寄せ書き」のプレゼントをもらいました。一冊の絵本のように編集されていて、引っ張るとメッセージが立体的に立ち上がったり、飛び出る絵本のような仕掛けも施されています。しかも全員分のものが収められています。いくつかの仲良しグループがあったので、どうやって全員に回したのか分かりませんが、その労力と調整力に脱帽しました。寄せ書きやお手紙自体はいままでももらったことはありますが、こんな凝ったものは初めてで、涙が出てきました。
 一番刺さったのは、映画を模した構成と背表紙。「主演」という欄には生徒たち一人ひとりの名前、「監督」という欄には自分の名前が記されていて、作品としてまとめられていたこと。生徒が主役で先生たちはプロデューサー、ディレクターという見立ては、自分がこの塾をつくった時からずっと思い続けていたことでした。一つのドキュメンタリーをつくる気持ちで塾をやっていたので、一年一年が「作品」です。いままで16本の作品をつくってきたという気持ちがあったので、子どもたちにそれが伝わっていた(見透かされていた?)と思うと感慨深いものがありました。(これを企画したのはだれか分かりませんが、センスいい)。一生の宝物です。ありがとう!

 そして、みなさん、卒業&進学おめでとう!!!!!


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お別れのセレナーデ

 書きかけのブログが何本かあるのだけど、なかなかゆっくり書く時間がとれず、そのままになっている。
 3月に入ってから、残務整理やら来客対応やら、何かと忙しい。
卒塾生が連日、お別れに来てくれて、それぞれ頑張っている話を聞くのは何より励みになる。お互いにこういう時間を持つことが出来たのは、良かったなと思う。本当にありがたいことだ。

 ものに魂が宿る。何の科学的根拠などないのだろうけど、やっぱりあるんだろうなと思う出来事があった。10年以上乗り続けた日産セレナがご臨終になってしまった。走行距離約17万キロ。ナンバーは願をかけて「1119」(いい塾)だった。

 今年辺りから、調子はあまり良くなかった。違和感のあるエンジン音。アクセルを踏み込んだ特、ちょっとだけ拍子抜けするような感触。何度か車屋さんに持ち込んだが、エンジン部分が傷んでいるのでそう長くはもたないということは指摘されていた。
 7年前に追突事故を起こし、ボディーなど外形的な補修はしたが、その際にエンジンも少し損傷していたのかもしれない。

 先週末、所用で前橋に行った帰り、50号の五差路の交差点で信号停車中にエンストを起こし、スターターを押しても再起動しないというヒヤッとする出来事があった。さすがに諦めて、車から降りて後続の車に動かないことを伝えたのだが、再度スターターを押したら運良くエンジンが起動した。これ以降、交差点で止まるタイミングでエンストを繰り返すようになった。
 さすがにやばいなということで、いつもの車屋さんに持ち込み、応急措置を施してもらった。様子を見てほしいということだったが、あまり好転はしていない様子だった。何より運転していると車内にも鉄を焼いたような臭いが充満し、車が悲鳴を上げていることが伝わってきた。

 そして、日曜日。朝、息子を習い事に送迎しようと車を動かそうとしたら、まったくエンジンがかからない。何度も何度もエンジンを起動させようとチャレンジし、10回くらい起動を繰り返した末、何とかかかってくれた。この日の夜、近くのスーパーに買い出しに行こうとしたとき、駐車場から5メートルほどバックした後、息が絶えた。

 翌朝、レッカーを呼び、車屋さんに持ち込み、「診察」を受けると、エンジンをまるごと交換するしか生き返る道はないとのことだった。今年、車検だし、買い換えを検討した方がいいという話になり、お別れすることを決めた。

 とはいえ、新車を購入するというのは、塾を閉鎖するという経済的に不透明な状況であまり気乗りする選択ではなかった。それに新車はディーラーに勤めている教え子から買ってやりたかった。そもそも納車まで2ヶ月以上かかるというのは現実的ではない。
 激安中古に中継ぎしてもらうというのがベストな選択だったが、その車屋さんは中古をほとんど扱っておらず、ネットなど別の店で購入する場合は代車代が発生するとのことで、途方に暮れていた。
 ついてないな。そんなことを思いながら、店内で買う気もしない新車のカタログを眺めていると、その車屋さんの社長さんが一部始終をみていたらしく、自分に声をかけてくれた。
 聞けば、ちょうど3月で車を乗り換えるらしく、その社長さんの車でよければ、中古として購入できるとの話だった。
 走行距離も2万5000キロ。諸費用込みでという好条件だった。

 塾が幕を閉じようとするこのタイミングで、長年連れ添った「セレナ」が息絶えるというのは、偶然とは思えないものを感じた。
 車の買い換えを検討し始めると、乗っている車の調子が悪くなったり、不機嫌になるという話を聞いたことがある。モノには魂があるというのは、やっぱりあるのかな。愛着が湧いたり、体になじんでくるのは、実際あるしなぁと思う。

 大事故につながりかねない瀕死の状態だったけど、自分が大事故を起こさないタイミングで亡くなったのは、セレナの自分への精一杯の愛情だったようにも感じる。
 いままでお疲れ様! そして、ありがとう。
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5 3

公立高校の合格発表がありました。

合格おめでとう。
公立高校の合格発表がありました。
合格はあくまで通過点です。新たな目標に向かって頑張っていってほしいと思います。

<公立高校合格状況> 
前橋高校 1(100%)
高崎高校 1(100%)
太田高校 2(100%)
高崎女子高校  1(100%)
太田女子高校 4(100%)
渋川女子高校 1
(100%)
桐生高校(普) 3
前橋南高校 2(100%)
前橋東高校 
2(100%)
伊勢崎高校 2(100%)
伊勢崎清明高校 4(100%)
伊勢崎商業高校 2(100%)
前橋商業高校 3
前橋工業高校 1
(100%)
伊勢崎工業高校1
(100%)



5 3

失敗から学ぶ

 2期生と5期生で通わせていただいたお父さんが塾に挨拶に来られました。たまたま通りがかって明かりがついていたので、閉鎖すると聞いて顔を出してくださったという話でした。
 「孫の代まで通わせたかった」。こんな嬉しい言葉をかけられて、頑張ってきて良かったと素直に思いました。その想いを実現することができなったという点では申し訳ない気持ちもありつつも、お父さんが顔を出してくれたという事実が何より嬉しかった。
 
***


 「先生は『やればできるのにやらない』ことに無茶苦茶怒りますよね。逆に『できないのに一生懸命やっている』ことには絶対怒らない」。これは5期生の子が言っていた言葉。聞くと、そんなことを折に触れてよく言っていたそうだ。
 同じことは今回の入試直前にもよく言っていた気がする。言われてみれば、ずっと同じことを言い続けてきた。

 自分自身はいろいろ失敗の多い10代・20代だったから、「やってもできないこと」があることは身にしみて感じていた。「やればできる」なんて半分は嘘だ。でも、何か行動を起こすことで、自分にとってやれるかやれないかの結果は出る。チャレンジしなければ、それさえ分からない。だからこそ、「行動する」べきなのだ。

 やれる能力があるのに「やらない」人を見る度に、もったいないなと思ってきたし、失敗をおそれて二の足を踏んでいるんだろうなと思っていた。もちろん、自分自身もそうやってやり過ごしたことは幾多もあった。「やらなかった」ことで後悔したこともたくさんあった。大学受験と就職はまさにそうだった。

 失敗することは怖くない。失敗から学べることはたくさんある。失敗を悪いことだと思うから、踏み込めないのだ。この認識を変えるだけで随分楽になる。

 自分がこの仕事を通じて子どもたちに伝えたかったことはこの一点に尽きるように思う。

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スマホが子どもの未来を奪う?ー「渇望感不足社会」の不幸

 今の子はとても恵まれていると思う。すでに中学生のほとんどがスマホを持ち、この流れは小学生にも及んでいる。スマホがあれば、大概のことはできてしまう。
 自分も小学生、中学生の頃、欲しいものはたくさんあった。部屋にテレビがほしい。CD付きのラジカセがほしい。ウォークマンがほしい。でも、そのほとんどは却下された記憶がある。テレビは祖父母の部屋に1つ。父母のいるリビングに1台。年の離れた3人兄弟だったこともあり、チャンネル争いは日常茶飯事だった。私は「長男」の権限を発動し、弟たちがアニメを観ているような時、強引にチャンネルを奪った。「戦争」のはじまりだ。
 父はリビングでたばこをくゆらせながら、ごろんと横になり、プロ野球のナイター中継を見ていた。そんなときは、観たい番組は観られなかった。なんとなくお父さんが一番偉いという空気があった。
 祖父母の部屋では夕方、大相撲の中継、その後、NHKの7時のニュース(現・ニュース7)。祖父母は無理を言えば、チャンネルを譲ってくれた。だから、祖父母の部屋でテレビに入り浸ることが多かった。

 いまの時代、すでにテレビ離れも深刻であり、1人1デバイスの時代である。好きな映像コンテンツはいつでもどこでも観ることが出来る。もはやチャンネル争いは過去の遺産でしかない。
 でも、あの時の不自由さは、未来への渇望感につながっていたように思う。「大人になれば自由にできる」。そんな大人社会への憧れを喚起してくれた。

 翻って今の子どもたちはどうか。先にも書いたが、スマホ一つあれば、コンテンツ系の欲望はほとんど満たされる。雨が降れば、親が送迎してくれる家も少なくない。忘れ物をすれば、届けてくれる場面も多々見てきたし、自分自身も妻に頼まれて、学校まで子どもの忘れ物を届けたことは何度もある(本意ではないが、平和のための忍耐だと思っている笑)。上げ膳据え膳な環境で果たして子どもたちは「大人への憧れ」を持つことができるのだろうかといつも思う。共働き家庭が増え、コンプライアンスや何とかハラが増殖し、その生きにくさ、窮屈さを目の当たりにしている子どもたちからすれば、むしろ「大人になんかなりたくない」とすら思っている可能性がある。現在の満ち足りた環境こそが自由であり、幸福であり、大人になることはすなわち不自由な海に放流されること。こんな図式が成り立っているとすれば、それは日本の社会にとって不幸な現実だ。

 今の子どもたちに不足しているものは「渇望感」や「空腹感」だ。おなかいっぱいの状態で美味しい料理を出されても、今ひとつ味わえないように、何不自由ない満ち足りた日常からは将来への野心は描けない。

 その主犯はなにか。私は「スマホ」だと思っている。子どもたちがスマホを所有することで家計に占める通信費は増大している。ネトフリやアマゾンやTikTokといった海外勢のプラットフォームに消費が回され、もはや日本は米中の情報「植民地」だ。もちろん、GAFAが提供するサービスを否定はしない。でも、日本の国家として必要なのは、GAFAに匹敵する企業を作り出していくことであり、イノベーションの先進国としての地位を獲得することだ。そのために、将来の担い手である子どもたちにどういう環境を与えていくかを真剣に議論し始めなければならない時期にさしかかっているように感じる。ICTの使い手ではなく、作り手を育てていかなければならない。

 ICTの作り手を育てるためには、小さい頃からICTに慣れ親しんだ方がいいのではないか。そんな反論もあろう。仮にプログラミングを組んで何かを夢中になって作り出したり、自分でゲームを開発したり。そういう漬かり方をしているならいいと思う。でも、実態はどうか。長時間、ゲームをしたり、無駄にYouTube動画を眺めていたり、コミュニケーションアプリでどうでもよい会話をしたりといった非生産的な時間消費に回されていないだろうか。作り出している側は、無駄に時間を消費させるための「しかけ」を張り巡らせている。気づかぬところで、供給側に飼い慣らされている。大人なら構わない。だが、子どもにとっての時間価値は大人のそれとは全く違う。無の状態から言語を習得し、1年1年で身体も精神もダイナミックに動いていく時期だ。外部環境から吸収できる量は大人とは比べものにならないくらい大きい。10代までの特権だ。こんな時期は人生の中で二度とない。この貴重な期間だからこそ、何に時間を割り当てていくかは非常に重要だ。

 この先、日本の国を富ませていくためには、国家的な視点でスマホの所有規制をしていく必要があると私は思っている。中国のように共産主義独裁体制の国ではない日本において、子どもたちのスマホ所有を規制していくことは、正直、高すぎる壁だとは思う。そもそも産業界と政界がズブズブなこの国で、大手キャリアの売上減につながるような施策はほぼ実現不可能だろう。「デジタル化」が錦の御旗のように叫ばれているこの風潮の中で、逆行していくことは容易ではない。であったとしても、社会的な重要課題として俎上にのせていかなければいけないテーマだと思う。

 私は塾の「デジタル化」を積極的に推し進めてきた。だからこそ、「アナログ」的な要素が教育の場面にとって非常に重要だと言うことを体験的に学んだ。「便利さ」は「創意工夫」を奪うのだ。たとえば待ち合わせ一つとっても、昭和的な待ち合わせには技がいる。間違いなく出会うためには、時間を決め、分かりやすい場所を決め、もし遅刻した場合を想定してといった様に。地図アプリがなければ、事前に地図を見て、メモ帳に書いておいたり、現場で地図の看板を眺めたり。
 こういった不便さがあるからこそ、想像力や段取り力が磨かれる。より便利にするためのイノベーションを生み出したいという夢が広がる。

 だからこそ、技術は進化し、便利な社会になったわけだが、その便利さを享受できるのは大人たちだけでいいとすら思っている。

 今、子どもたちに必要なのは、渇望感と空腹感だ。
 

 
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