コラムニストの小田嶋隆さんが亡くなられたというニュースが報じられました。氏の書籍はそれほど読んだこともなく、熱烈なファンというわけではありませんが、報道を聞いて、すぐに「転換期を生きるきみたちへ」に寄せられた「13歳のハローワーク」の論説を思い出しました。自分にとっては本当に鮮烈で印象に残る文章だったからです。随分前に書いたブログですが、再掲します。


<以下、拙ブログより> 

 内田樹編「転換期を生きるきみたちへ」(晶文社)を読んでいる。大学教授である内田樹が、何人かの仲間と編んだアンソロジーだ。サブタイトルは「中高生に伝えておきたいたいせつなこと」。
tennkannki

 まだ読了してないが、内田樹先生の「身体に訊くー言葉を伝えるとはどういうことか」とコラムニストの小田嶋隆氏の「13歳のハードワーク」は非常に面白かった。
 とりわけ小田嶋氏の章はぜひ多くの人に読んでもらいたい。

 村上龍の「13歳のハローワーク」を文壇で成功した人間の書いた自慢話の本だと一刀両断し、日本社会への呪いの書物だと位置づける。そもそも「ハローワーク」には「会社員」という職業がないことを指摘する。

 10代の「夢」が職業的な目標になっている現状はここ30年くらい前からの傾向であるそうだ。小田嶋は夢を持つことは一見すると前向きで素晴らしいことのように響くが、一方で、未来のために現在を犠牲にする要求を含んでいると述べる。今を楽しむという子供にとって大切な生き方を真っ向から否定する命令と同義だという。

 自分自身の10代を振り返ってみても、これはなかなか説得力のある意見だと思った。自分はどちらかと言えば、将来なりたい職業が早い段階ではっきりしているタイプだった。そして、それに向かって努力もし、頑張ってきたつもりだ。しかし、夢がかなわないことを現実に突き付けられたとき、自分に襲った喪失感というのは非常に大きかった。小田嶋氏が書いているように、「自分の望む職業に就けなかったら、自分の人生は失敗だとというふうに」考えてしまった。あの時の失望から立ち上がるのには随分自棄にもなったし、時間が要った。

 もちろん振り返ってみたら、いい経験だったと思う。時間によって解決した部分は少なくない。ただ小田嶋氏が言うように、夢をはっきり持つということは、他の可能性を捨てることにもつながるというのはよく分かる。夢を持つとは視野を狭めることであり、選択肢を捨てていくということとも同義だからだ。

 本書に書かれているように、「何でもいいから職について、とにかく食えるだけのカネが稼げれば上等じゃないか、というその一見夢のない見込みの持ち方」の方が、楽観的だし、就職後につながることは自分自身身をもって体験した。なりたい職業に就けなかったとしても、生きていくためには就職する。仕事に就いた後、なれなかった自分を引きづることは、現状を自己否定することでもある。就職=ゴールの設定は、その後の人生を不幸せにするように思う。夢から覚めた後のギャップは非常に大きい。

 そもそも職業はその職につきたい誰かのために考案されたものではなく、人間社会の役割分担の結果として社会の必要を満たすために存在するものだという指摘は鋭い。

 とはいえ、この評論は夢を持つこと自体を否定するものではなく、「夢」=「就職」という構図がおかしいのではないかという視点で論が進められている。

 自分も夢を持つことは素晴らしいことだと思っている。夢に向かって邁進できるのは、その瞬間、ポジティブで充足感をもたらす。ただ誰もが夢をかなえられるわけではない。6人のロックバンドに1万人の観衆がいるからこそ、成り立つのであって、1万人のロックバンドに6人の観衆ではビジネスは成り立たない。その夢を手にできるのはほんの一握りで、その夢を現実にするためにはそれ相応のリスクがあることは知っておいてほしい。夢がかなえられなかったあとのフォローも大人はしっかり施してあげなければ、夢は悪夢に代わる。

 「職業」そのものではなく「職場」の良し悪しや向き不向きが仕事の評価を変えることもよくある話だと小田嶋氏は述べる。

 まだ全部を読み終えていないが、1章1章のボリューム感も程よく、中高生向けに書かれた評論なので読みやすい。おすすめしたい一冊だ。