August 16, 2018

平成30年8月16日    4等国?


平成30年8月16日    4等国?
戦後にマッカーサーが ”現在の日本は4等国だ!” と評価して話題に成った
事がありました。
子供心にも 何がしか侮辱を感じたものでした。
戦勝国が敗戦国を評価するのに 等級をつけるなど 聞いて心地の良いもの
では在りませんでした。
でも 何か ”頑張らなくっちゃ” と励みに成ったのも事実でした。
以後 3等国 2等国 の話は聞いた事がありません。
現在何等国なのかどうか 聞く術も無く 何となく1等国だろうと自負しています。



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August 14, 2018

平成30年8月14日  終戦記念日を明日に控えて


平成30年8月14日  終戦記念日を明日に控えて
14日には ”明日陛下の重大放送がある”と予告が出ていました。
きっと ”国民一致して本土決戦に備えよ” と励ましのお言葉が放送
されるのではと思っていました。
戦況は大本営がいくら隠しても 目の前に戦禍が迫っていましたから
本土決戦は当然行われると思っていました。
15歳の少年に 政治や戦争の何たるかを知る筈もなく 最後には
神国日本が勝つのだと信じていました。
時を経て 洗脳の恐ろしさを 知ることに成るのですが 当時は翌日を
楽しみにして居ました。
あけて15日は 晴れ上がった暑い日でした。
学徒動員で働いて居た工場の中庭に招集が掛かり 全員が古びた
音質の悪いラジオの前に汗を拭きながら 今や遅しと緊張しました。
”耐え難きを耐え 忍び難きを忍び?????”だけ 理解できた内容の
お言葉でした。
いよいよ耐え忍んで本土決戦だ!と思っていたら 先生の声
”戦争は終わった 負けたんです 皆家に帰りなさい”
日本の軍隊がこのまま引き下がる筈は無い きっと何がしか反乱が起きる
と同級生同士で話し合いながら 工具の片づけもそこそこに家路に付きました。
情報網が今ほど発達していませんので 当時の社会情勢を知る術もなく
そのままだらだらと終戦となりました。  


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August 13, 2018

8月13日  老体の生きざま 


8月13日  老体の生きざま 
 この猛暑で仕事が忙しく 私に代って孫娘も大奮闘 、
ひ孫を預かる老体も 休む間もなく大忙し
1ねん5ヶ月のひ孫は 日に日に成長し 体重は重くなり 自己主張が出て
その扱いが難しくなり 母親が引き取って呉れると ”ほ!”とします
自身の体調は 下半身の苦痛は次第に強くなり 今では歩くことは出来るが
右脚に体重を乗せると 太ももの筋肉が痛みます。
やや”びっこ”をひいて歩いています ジャンプが出来るので 縄跳び(縄なし)
50回を2回したら 痛みがひどくなり失敗でした。
鼻つまり 難聴 視力低下 むくみ(前立腺がんのホルモン療法の副作用) 高血圧 
など 廃車寸前の老車体に ややもてあまし気味
癌と血圧以外は 病院へ行く気に成れず 自己治療ですましたいます。



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July 07, 2018

平成30年7月7日   動物は性悪説と思う


平成30年7月7日   動物は性悪説と思う
ひ孫を見ていると 人は性悪説で生まれてきて そのままで教育をしないと
恥や外聞を気にすることも無く 勝手気ままな人が増え続けるのでは?
自由と権利のみが先走り その結果動物の弱肉強食の世界が 
そのまま人の世に蔓延るのでは?
教育暴力も暴力として否定され 悪のやりたい放題が起きるのでは?
悪は痛めつけられなければ 矛を納めないと思います。
尊敬 辛抱 恥 孝行 譲る など教育に頼らなければ 教育局長まで
恥ずかしい行為をする事になります。
18歳を超えてからの教育では 効果が薄いと思います。
知識と一緒に教えることが必要ではないでしょうか?。
 


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July 04, 2018

平成30年7月4日   今日は何曜日?


平成30年7月4日   今日は何曜日?
最近 えー!と”今日は何曜日?” と思考を巡らす事が多くなった。
”昨日燃えるごみを出したから 今日は火曜日だ”と言った調子が多くなった。
好んで数独の問題に挑戦していますが だんだんと時間が掛るようになった。
Aの仕事をしていて 突然Bの仕事が発生してBの仕事をかたずけて そのまま
Aの仕事をすることをを忘れ 放置したままに成る事が 度々起きている。
お客さんの顔を覚えていても 名前が出ないことが多々起きている。
現金を操作しているとき 売上と両替と手元金の3っが 区別がつかなく成り
残高が合わず 何度も始めからやり直している。
と言ったような事で 脳の軟化を味わっています。






susumuito at 11:34|Permalink

June 14, 2018

平成30年6月14日  老衰者の会話


    老衰した体調を訴えると 老衰して居る人には理解が得られ
そうだ! そうだ!と話が弾みますが まだ老衰していない人には 
”ふーん” で終わり 話題が途切れてしまいます。
老衰を経験したお医者さん(現実には不可能だと思います)と会話
すれば 納得のいく話が聞けると思いますが 未経験のお医者さん
は ”お年だから こんなものですね”で終わってしまいます。
次第に医師不信に成りますが 与えられた薬を服用して
” 仕方がないわ!”で終わってしまう様な気がします。
と言うぐらい 老衰の実態は表現し難いものです。
最近 老衰の為のサプリメントの広告が非常に多く見られますが
悩める老衰者が多く成って来た 証拠でしょう。


susumuito at 11:58|Permalink

June 08, 2018

平成30年6月8日 老衰と人生観


  このブロッグを書く意欲を感じても 実際には文体がまとまらず中々書けない。
頭の中が この先何年生きて居られるか? 
傍に迷惑を掛けないように 老体を維持するには?
前立腺がん 高血圧 老衰による筋肉衰退など 防ぎようの無い変化を
薬に頼らず 外部的に対応するには?
などと頭の中は思考で満杯です。
早急に死ぬとは思えないので 90歳まで目標に生活してみよう!
90歳まで生きられたら 92歳を目標にしょう。
それ以上は常識的に無理だと思われる。
老いぼれて考える事は 人生観じゃ無くて 愚痴の一種だと思います。
哲学も失われ 思考も衰え 哀れな人生になりにけり。 



susumuito at 17:09|Permalink

May 15, 2018

平成30年5月15日  現在(88歳)の老衰


平成30年5月15日  現在(88歳)の老衰
1) 入れ歯70%  毎食入れ歯掃除
2) みぎ耳難聴  補聴器が手放せない
3) 前立腺がん8年同居  特に病状は無いが治療最優先
4) 高血圧要注意  絶えず血圧計のお世話になる
5) 鼻炎(鼻声)  生活に何の支障も無いのが絶えず鼻声
6) 筋肉衰弱  肺炎入院後特に太もも筋衰弱 歩行老人歩き
7) 微熱続く  36.6〜37.1 上下あるも続いている
8) 夜間頻尿  2〜4回日中は正常
9) 記憶  古い記憶は流れ出て来るが 新しく記憶した事は駄目
救い  気分普通 食欲あり 便通正常 体重55〜56kg維持
    時々鼻歌に気が付く
   訴えると薬が増えるので 成るべく無薬で体力を維持しようと努力している。
   



susumuito at 14:50|Permalink 回顧録 | 加齢

May 13, 2018

平成30年5月14日  老化は老衰

平成30年5月14日  老化は老衰
80歳を越える頃から 少しづつ衰えを感じ始めます。
聴力 視力の衰えに始まりますが 僅かですから無視
して日常を暮らします。
85歳に成ると 自ら脳の衰えを感じ始めます。
知っている筈の人の名前が出てこない。
車のエンジンを掛け 動き始め 走行を始めた瞬間に
何処へ行くのだったか? 
一瞬戸惑い 間を置かず行き先を思い出す。
カタカナ語が覚えられない。 
PC スマホ等が使いきれない。 筋肉の衰えを感じ始める。
物語 娯楽 等のテレビ放送を観なく成る。
時事ニュースやスポーツ放送を好んで観る。 
衰えを回復する事は不可能だと思います。
使い古した自動車は 新車の様に戻せないのに似て居ます。
老衰を防ぐには 70歳ぐらいから 心掛ける事が必要。



susumuito at 13:44|Permalink 回顧録 | 加齢

May 07, 2018

平成30年5月3日  明治150年(5)


平成30年5月3日  明治150年(5)
今日は 憲法記念日 
明治22年に 大日本帝国憲法が施行され 敗戦で廃棄
明治80年(昭和23年)に アメリカの占領下で 
日本国憲法が制定され 今日改正が論じられています。
新憲法は初めの頃には マッカーサー憲法だと 揶揄した
意見をよく聞きましたが その声は次第に小さく成り
最近では 全く聞く事が有りません。
70年間守って来た 新憲法も矛盾を持ち始めました。
戦争放棄と 自衛隊の存在が 自己防衛の為とは言え
陸軍 海軍 空軍 と存在すると戦争をイメージします。
小学生に説明する事が出来 理解出来る憲法が望ましく
思います。
 



susumuito at 17:18|Permalink 回顧録 

May 03, 2018

平成30年5月3日  明治150年(5)


>平成30年5月3日  明治150年(5)
今日は 憲法記念日 
明治22年に 大日本帝国憲法が施行され 敗戦で
廃棄明治80年(昭和23年)に アメリカの占領下で 
日本国憲法が制定され 今日改正が論じられています。
新憲法は初めの頃には マッカーサー憲法だと 
揶揄した意見をよく聞きましたが その声は次第に
小さく成り最近では 全く聞く事が有りません。
70年間守って来た 新憲法も矛盾を持ち始めました。
戦争放棄と 自衛隊の存在が 自己防衛の為とは言え
陸軍 海軍 空軍 と存在すると戦争をイメージします。
小学生に説明する事が出来 理解出来る憲法が
望ましく思います。
 
  



susumuito at 10:34|Permalink 回顧録 

May 01, 2018

平成30年5月1日  明治150年(4)


平成30年5月1日  明治150年(4)
昭和30年(明治87年)頃に ラジオ テレビ 
の基礎と実技の勉強をしましたが 63年余を経た
今日では 殆ど役に立ちません。
何故なら 真空管工学の時代から 半導体工学の
時代に移ってしまったからです。
スマホを使いこなす現代の若者には 真空管って何?
LED照明が普及すれば 電球が忘れられ エジソンの
名も話題に成らなく成るのでは?。
コンピューターも思考能力を得るようになり 将棋や囲碁
を人と争うように成りました。
其の中に 感情を持つように成ると 人を排除したくなり
PCと人間の戦いが起きる事が 考えられます。
水素と酸素から出来ている水から 簡単に水素を取り出す
方法を見つければ エネルギー枯渇の心配も無くなり
クリーン社会が出来上がるのも 夢では無くなります。






susumuito at 14:39|Permalink 回顧録 

April 30, 2018

平成30年4月30日  明治150年(3)



平成30年4月30日  明治150年(3)
徳川幕府時代は265年に及んだけれど その間に
移動の速さは馬以上に早いものは生まれなかった。
薩摩の武士が上京するにも 徒歩だったようで
 通信も手立てが無く 今日では考えられない時代
だった様です。
処が明治元年から150年の間には 自動車 
飛行機 無線通信は 異常な速さで進歩し 
今日の便利社会に貢献して居ます。
最近の50年を振り返ると この先50年には 
想像も出来ない便利な社会が生まれるか 
人と人との争で破滅するか 自然現象で宇宙創造の
原点へ戻るのでは? と思います。
何時でも何処でも スマホをいじる時代は 
異常な現象です。




susumuito at 11:37|Permalink 回顧録 

April 28, 2018

平成30年4月28日  明治150年(2)


平成30年4月28日  明治150年(2)
明治150年を西暦を交えて改めて 昭和 平成に換算しとみる
明治元年は  西暦1868年 
昭和5年は  西暦1930年  明治62年  (誕生日)
平成18年は 西暦2018年  明治150年 (今年)
よく見ると 150−62=88 生きて来た88年は 
明治より永いのに気が着きました。
明治は遠い昔と思いこんで居ましたが 比較してみると
日清 日露の戦争も ほんの少し前に起きた事件だと
再認識せざるを得ません。
150年の前半は 肌で感じる事は何も有りませんが
後半はテンポも速く 科学 社会の進歩が速く 多くの事象が
記憶の中に残っています。 
生きて来た前半の時間は長く感じて居ますが 個後半は
変化が少なく 短じかく感じて居ます。






susumuito at 10:52|Permalink 回顧録 

April 17, 2018

平成30年4月16日  明治150年(1)


平成30年4月16日  明治150年(1)
新聞 雑誌に明治150年と言う活字を見て 思う事。
明治と言うと 遠い昔と思って居ました。
しかし 150年の中 88年を生きてきたと思うと
俺は近代史の中を生きて来たのだと 遠く思いを馳せます。
子供の頃に聞いた“爆弾3勇士”の話
歩兵と歩兵の戦いの頃は 鉄条網が敵の侵入を防ぐ手段でした。
攻撃するには これを破壊すべく 3人の兵士が爆弾を抱えて
鉄条網の中で自爆した話です。
戦争美談として聞かされました。




susumuito at 11:31|Permalink 回顧録 

April 15, 2018

平成30年4月平15日  記憶を紐解く(36)


平成30年4月平15日  記憶を紐解く(36)
  あなたと呼べば あなたと答える
 山のこだまの 楽しさよ
 あなた なんだい 空は青空 二人は若い
 これも母親の歌うのを 聞き覚えたと思います
 戦時中にこのような歌を 流す筈が有りません
 戦前の流行歌のはしりだと思います
 こうして見ると 門前の小僧のように 
良し悪し 内容に関係なく 幼稚な脳に吸収せれるようです



susumuito at 12:52|Permalink 回顧録 

April 14, 2018

平成30年4月平14日  記憶を紐解く(35)


平成30年4月平14日  記憶を紐解く(35)
空にゃ今日もアドバルン さぞかし会社じゃ今頃は
お忙しいと思うだに ああそれなのに それなのに
ねえ!怒るのは 怒るのはあったり前でしょう
あなた! なんだい 空は青空2人は若い
若い母親が 仕立て仕事をしながら よく唄った歌です
どこか間違いがあるかも知れませんが 何故か時々
鼻歌として 声になります。
大正から昭和に掛けて 会社勤めが普及し始めた頃の
サラリーマンを歌ったものだと思います。
放送で聞いた事がありません。



susumuito at 11:20|Permalink 回顧録 

April 13, 2018

平成30年4月平13日  記憶を紐解く(34)


平成30年4月平13日  記憶を紐解く(34)
海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍
大君の辺にこそ死なめ かえり見わせじ
国の為に 身を犠牲にした人が出る度に
厳かに歌われました。
ラジオ 映画では 負けた場面で流されたようです
勝った場面では 軍艦マーチが景気良く流れました。
何度も聞いたり歌ったりした“海ゆかば”です。



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平成30年4月平12日   記憶を紐解く(33)


平成30年4月平12日   記憶を紐解く(33)
9軍神と言う言葉は 何の疑問も無く 報道されるまま
記憶の中に残っています。
日米開戦の火蓋を開いた ハワイの真珠湾内の艦船の攻撃
は飛行機による攻撃と共に 特殊潜航艇でも攻撃しました。
2人乗りの5艘に 夫々2発の魚雷を積んで 真珠湾に潜航し
任務を果たしたと聞いています。
この艇は 電池で動き帰還する事は考えて居ない特攻艇でした。
発表された9軍神は1人足りませんが 当時は何の疑問も
感じませんでしたが 戦後の噂では 1人は捕虜に成っていた
のです。  戦争が終わり無事日本に帰国したと聞いています。
戦中は捕虜と言う言葉は禁句でした。
戦後ハワイへ行く機会があり 展示された特殊潜航艇を見に
行きました。
私以外はだ誰も居ませんでした。 
あまり興味が無いようでした。



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April 11, 2018

成30年4月平11日   記憶を紐解く(32)


成30年4月平11日   記憶を紐解く(32)
旅順開場約成りて 敵の将軍ステッセル 
乃木大将と会見の 処は何処スイシエイ
この後 長い歌で 後は記憶にありませんが
日露戦争で乃木将軍が 旅順を攻撃 占領した時の歌
将軍は自身の2人の息子を 戦線に送り2人共戦死しました。
もう一つの海軍の戦いは ソ連のバルチック艦隊と
日本海で戦いました。 
東郷元帥が総指揮官でしたが 歌としては 何も聞いた事がありません
ただ 戦闘開始の時 旗艦三笠の艦橋に Z旗を揚げた
その意味は 
“皇国の興廃この1戦にあり 各員一層努力せよ”
だと。聞いています。
戦後は忘れ去られた 将軍たちです。



susumuito at 11:17|Permalink 回顧録 

April 09, 2018

平成30年4月9日   記憶を紐解く(31)


平成30年4月9日   記憶を紐解く(31)
追跡した攻撃戦闘機が撃墜されて 暫くしてから又空襲があり
通過して行くB−29を眺めていると 驚いた事に日本の戦闘機
が 反対方向からB-29に向って突き進み 体当たりをしました。
さすがのB-29も 高度を落とし墜落して行きました。
戦闘機はばらばらに成って 落ちて行きました。
後ほどの噂では B-29は 萩山公園に落ちたと聞いています。
当時は空襲警報が出ても 殆どが名古屋を通過して行くので
見送るように眺めていました。

  



susumuito at 17:52|Permalink 回顧録 

April 08, 2018

平成30年4月8日   記憶を紐解く(30)


平成30年4月8日   記憶を紐解く(30)
名古屋の上空で 空中戦が在ったのを記憶して居ます。
空襲警報のサイレンが鳴り ラジオから“東海軍管区情報”
“敵機B-29数機が志摩半島を北上中”と放送され 暫くすると
ぶん ぶん とB-29特有の飛行音が聞こえ 先頭の1機が
見えて来ました。
真上あたりに来た時に 日本の戦闘機が追跡してくるのが
見えました。 
攻撃すると思っ見ていたら 次の瞬間B-29から銃撃され
機体が2つに分解して 木の葉のようにひらひらと墜落し行き
その間隙に 人影が落ちて行くのが見えました。
パラシュートが開かずに 人の重さで長く伸び “あ!”と
声を揚げた時には 見えなく成りました。
結果がどうなったかは 知りませんが 見たくて見れるものでは
無いものを見た瞬間でした。 




susumuito at 17:30|Permalink 回顧録 

平成30年4月7日   記憶を紐解く(29)


平成30年4月7日   記憶を紐解く(29)
昨日 富士フィルムが白黒フィルムの生産を止めると言う 
ニュースが流れました。
子供の頃には“カメラ”と言う言葉は無かった様に思います。
写真機で写したものを 写真と呼んでいた様に思います。
写真機を持っている人は お金持ちか知識人で 一般には
あまり普及して居ませんでした。
従って自分の写真も 子供のころは殆ど残っていません。
4歳の時に亡くなった父親の写真も たった1枚残っているだ
けです。
戦後には カメラを買い入れ 写して居ましたが 費用の
大きく成らない程度の数でした。
カラー写真は 殆ど写した事がありません。
半導体CCDの開発が進み 最近ではスマホに内蔵され
自由に撮影し 気に入ったのを プリンターで印刷する事
が多いようです。
新しく生まれるものあれば 消えて行くものもある
世の常と言うべきか? 




susumuito at 17:02|Permalink 回顧録 

April 06, 2018

平成30年4月6日   記憶を紐解く(28)


平成30年4月6日   記憶を紐解く(28)
最近の市バスは運転手1人で 車掌が居ませんが
当初は車掌が同乗して居て 乗車切符を販売したり 
安全走行に配慮したりして居ました。
我が家の近くにJRの踏切があり ここでは一旦停車し
車掌が降りて 安全を確認して運転手に知らせ 手招きで
誘導して居ました。
ある日私がこの踏切を通過しようと 市バスの後ろに居ました。
女性の車掌さんが降りて 安全を確認しバスを誘導しました。
バスは踏切を渡り終えたら 停止して車掌を拾う筈ですが
どうした事か 車掌を置き去りにして 走り去りました。
車掌は走りながら 声をあげ手を振って居ましたが バスはその 
まま走り続けて行きました。
私は後ろからその様子を見て居ましたが 後続車と共にバスに続
きました。
追い越し車線に入ったバスは そのまま走って行きました。
最後の結末はどうなったか知りません。
この踏切を通る度に 手を挙げて走る車掌さんの姿が浮かびます。





susumuito at 17:10|Permalink 回顧録 

April 05, 2018

平成30年4月5日   記憶を紐解く(27)


平成30年4月5日   記憶を紐解く(27)
終戦前後の喜劇タレントは 今ではその名前を聞く事は
ありません。
エノケン(榎本けんいち)ロッパ(古川ロッパ)
シミキン(清水金一)高瀬みのる(あのね おっさん)
エノケンはテレビの無い時代でしたが 映画にラジオに
その顔と声で 小柄ながら人気を得て居ました。
ロッパは大柄でふくよかで 声と話し方に特徴がありました。
シミキンは 歌で人気を得ていました。
日が暮れてたどるは 我が家の細道 xxxxxとその後は
記憶から出て来ませんが “はつ倒すぞ!”等の流行語を生んだ。
高瀬みのるは その容貌と話し方が注目されていました。
“あのね おっさん”と垂れた長ひげが記憶に残っています。
遠い昔の話です。



susumuito at 10:39|Permalink 回顧録 

April 04, 2018

平成30年4月4日   記憶を紐解く(27)


平成30年4月4日   記憶を紐解く(27)
2度目に就職した H商工KKに3年半勤めました。
その間に得た知識は 学問で無く実地で学んだもので
その後の人生に大きく寄与しました。
人の雇用 資本の投入 手形取引 当座取引 社員教育等
更には 東京支店設置の経験と 東京を見聞し 日本を
再認識する事が出来ました。
T無線KKでは ラビットスクーターに乗って居ましたが
H商工KKでは 250ccのバイクをあてがわれ 通勤と
営業に乗っていました。
社長の夜遊びに同行する事もあり 夜の歓楽街も見る事が出来
全く知らない世界を知る機会もありました。
まだ日本のテレビが無い頃に アメリカのRCAテレビや
冷蔵庫を輸入し店頭展示していました。
当時 最先端の商品でした。




susumuito at 11:45|Permalink 回顧録 

平成30年4月3日   記憶を紐解く(26)


平成30年4月3日   記憶を紐解く(26)
同時通話式インターフォンは 最初の中好調に売れだして
社員も増やし 工場も新設し(出資者が在ったようでした)
順調な滑り出しでした。
音声を拾うマイクロフォンに欠陥が生まれ 会社が倒産して
しまいました。
この時点で 商売の難しさを知り もう一度学校に入り
商業の勉強をしようと志し 出来て2年目の短期大学の
商学部へ入学しました。
卒業間際に担任の先生から 電気関連の会社を始めて間がない
事業所が社員を募集して居るが どうだ!
早速会社訪問し入社しました。
東京芝浦電気KKの代理店で 社員が3人居ました。 




susumuito at 10:48|Permalink 回顧録 

April 02, 2018

平成30年4月2日   記憶を紐解く(25)


平成30年4月2日   記憶を紐解く(25)
T無線KKでは 中日球場が完成した時の拡声器を製作納入した。
設置に携わり 球場内を走り周った記憶があります。
装置の大きさは 金属製のBOXで高さが1,5mほどでした。
中日の杉下投手が全盛の頃でした。
続けて名古屋駅前の映画館にも納入しました。
今は有りませんが 希望会館と言ったように記憶して居ます。
この中日球場も 今は2軍の練習場に成り ナゴヤドームが
本拠地に成っています。 






susumuito at 15:01|Permalink 回顧録 

April 01, 2018

平成30年4月1日   記憶を紐解く(24)


平成30年4月1日   記憶を紐解く(24)
新制高校第一回生として卒業し 夏休みにアルバイトをした
T無線KK へ就職しました。 
社長 専務(兄弟)社員2名でしたが 1年も経った頃には
先輩2人が退職し 自分1人社員に成りました。
仕事は 毎日ラジオを組み立てる事でした。
戦後間もない当時は 未だメーカーが発売して居なかったので
良く売れました。
1日1台のペースで製作しても 展示する余裕が無い程
良く売れました。
ラジオの原理と 物を造る事の面白さを会得しました。
メーカーの進出で売り上げが低調に成って来たので
社長が同時通話インターフォンの開発を始めました。
相手が話している時 此方の機器の増幅度を 電気的に小さく
する実験を繰り返しましたが 上手くいかず 難儀しました。
最後にはスピーカーを横向きにして 自分のマイクに還流する
事を ある程度防ぎ 何とか実用出来るように成りました。




susumuito at 11:43|Permalink 回顧録 

March 31, 2018

平成30年3月30日     記憶を紐解く(23)


平成30年3月30日     記憶を紐解く(23)
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと
思う間もなくトンネルの 闇を通って広野原
未だ電気機関車が無い頃 蒸気機関車でトンネルに入ると
窓が開いていたら 大変なことに成りました
窓から石炭の燃えた煙が入り込み 咳こむやら
お互いの顔がすすで 黒くなり 眺め合って笑ったものです
現在では考えられない状況でした。




susumuito at 11:21|Permalink 回顧録 

March 29, 2018

平成30年3月29日     記憶を紐解く(22)


平成30年3月29日     記憶を紐解く(22)
タバコふかして 口笛吹いて
あての無い夜の 今日の宿
人は見返る 我が身は細る
泣けて涙の枯れ果てた
こんな女に誰がした
“こんな女に誰がした”と言うタイトルの映画だった
女優の轟ゆきこが演じた ぐずれゆく女
何故かこの映画の一場面が 脳裏に残っている



susumuito at 10:49|Permalink 回顧録 

March 28, 2018

平成30年3月28日     記憶を紐解く(21)


平成30年3月28日     記憶を紐解く(21)
晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音(ネ)楽し
別れテープを笑顔で切れば 望み果てない遙かな潮路
あーあーあー憧れの ハワイ航路
ハワイと言えば 真珠湾攻撃しか知らなかった
歌手の 岡 晴夫 の美声は ラジオから日夜流れました
ハワイの事は何も知らないのに 皆ハワイに憧れを持ちました



susumuito at 16:09|Permalink 回顧録 

平成30年3月27日     記憶を紐解く(20)


平成30年3月27日     記憶を紐解く(20)
映像として記憶に残っているもの
今池からのトロリーバスを 通学に利用した
集電用のポールが2本あって 送電線も2本ありました
特徴はレールが無いことでした。
今池付近は 中学校の集中して居る場所でした。
下校時は非常に込み合いました。
今池を利用する学校群が 交代で乗車口の込み合いを
後ろから押しこむ作業をしました。
現在でしたら セクハラに成る様な仕事でした。  



susumuito at 14:16|Permalink 回顧録 

March 26, 2018

平成30年3月26日     記憶を紐解く(19)


平成30年3月26日     記憶を紐解く(19)
脳裏に映像として残る場面 学徒動員の工場にて
東南海地震の時 防火用水の水が 
玉に成って飛び出し 砕け散った
電柱に張られた電線が 上下でショートして
火花を散らした
家に帰って 屋根瓦は1/3ぐらいずれていました
窓ガラスは 処どころ割れ 借家で続く
隣との仕切り壁は落ち 夕餉の蝋燭の灯が
ちらちら見えました。
後日港へ出かけたとき 築地口に50cmぐらいの断層を見て
驚いたのを記憶して居ます。
どの様にして生活したか 記憶に有りません。



susumuito at 10:50|Permalink 回顧録 

March 25, 2018

平成30年3月25日     記憶を紐解く(18)

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平成30年3月25日     記憶を紐解く(18)
可愛いお前が有ればこそ 辛い浮世も何のその
世間の口も何のその 母は涙で生き居るのよ
映画 愛染かつらの挿入歌で 母親が歌う場面
つい母子家庭だった 自分の母親を思い出し 
シックな気持ちに 成ったものです
今でもこの歌を唄うと じめっとした気分になります



susumuito at 14:20|Permalink 回顧録 

March 24, 2018

平成30年3月24日     記憶を紐解く(17)


平成30年3月24日     記憶を紐解く(17)
花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独りゆく
戦時中には 映画を見る事は殆ど無かった
時々 野外映画会が開かれ 戦意高揚の映画でした
戦後映画館も復活し 恋愛もの 探偵ものなど
古い映画が続々と上映され始めた
新作ものは 数少なかった
田中絹代と上原謙の 上下二巻に渡る映画“愛染かつら“
恋愛映画を見た事が無いので 春に目覚めて
家へ帰ってからも暫くの間 ぼーとして居ました。



susumuito at 13:01|Permalink 回顧録 

March 23, 2018

平成30年3月23日     記憶を紐解く(16)


平成30年3月23日     記憶を紐解く(16)
緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台
鐘が鳴ります きんこんかん 
めえめえ子山羊も 泣いてます
子供向の番組で (記憶がやや曖昧ですが)
 夕方のラジオから 毎日流れて居ました。
 物語の内容は記憶して居ません。 
子供向けの番組でしたが この歌は記憶に残っています

肺炎での退院後 最後のしんさつ日
レントゲン検査の結果 肺は全くきれいでした。



susumuito at 15:02|Permalink 回顧録 | 加齢

March 22, 2018

平成30年3月22日     記憶を紐解く(15)


平成30年3月22日     記憶を紐解く(15)
  赤いリンゴに 唇よせて 
黙って見て居る 青い空
リンゴは何にも 言わないけれど
リンゴの気持ちは 良く分る
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
荒廃とした日本に 元気を吹き込んだリンゴの歌
日本中にその唄声を響かせた
老いも若きも 大声を揚げたものです
並木道子の甲高い声は 復興の一助でした。



susumuito at 11:35|Permalink 回顧録 

March 21, 2018

平成30年3月21日     記憶を紐解く(14)


平成30年3月21日     記憶を紐解く(14)
  若い血潮の予科練の 7つボタンは桜に錨
  今日も飛ぶ飛ぶ 霞が浦にゃ
  でっかい希望の夢がある
当時中学3年4年から 志願して航空兵に成れました
この歌は 志願できる年齢に成っていなくても
良く歌った記憶です 
予科練生の裾の短い上着の (夏は真っ白 冬は紺色)
7つボタンが格好よく 憧れの的でした。
終戦間際に 他のクラスから 合格したのが居ました
入隊して間もなく 帰還して来ました。
その姿が 目を引いたものでした。



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March 20, 2018

平成30年3月20日     記憶を紐解く(13)


平成30年3月20日     記憶を紐解く(13)
  仰げば尊し 我が師の恩 
教えの庭にもはや幾年
  思えばいとし その年月 
今こそ別れ目 いざさらば
  卒業式の時 全員で歌うと 女の子が 
しくしくと泣いたものです
最近は この歌を歌わないのですが 何故でしょう
この歌は 5年生と6年生の時唄ったのですが
感動して歌ったものです。 



susumuito at 10:09|Permalink 回顧録 

March 19, 2018

平成30年3月19日     記憶を紐解く(12)


平成30年3月19日     記憶を紐解く(12)
 蛍の光 窓の雪 
文読む月日 重ねつつ
 何時しか 年も過ぎの戸を 
開けてぞ今朝は 別れゆく
ランプの油が 買えないので 夜の読書が出来ず
蛍の光や 窓際に積った雪の反射光で
勉強する と歌ったものだと思います。
雪と蛍を取って “蛍雪時代”と言う 中学生向きの
雑誌が発刊されていました。



susumuito at 10:58|Permalink 回顧録 

March 18, 2018

平成30年3月18日     記憶を紐解く(11)


平成30年3月18日     記憶を紐解く(11)
歩け歩け 歩け歩け 南へ北へ 歩け歩け
道ある道も 歩け歩け 道なき道も 歩け歩け
この歌は あまり歌われなかった。
中学1年に合格したものの 通学は10kmまでは
徒歩通学と決められ 千年から荒子(中川工業学校)までは
7kmで 自転車通学は認められなかった。
毎日(雨の日も)往復14kmを歩きました。
雨の日は国道(アスファルト)を裸足で歩きました。
靴もよく傷んで 母親が修理をしてくれました。
この歩きのお陰で 心身共に強く成ったと思っています。



susumuito at 10:07|Permalink 回顧録 

March 17, 2018

成30年3月17日     記憶を紐解く(10)


成30年3月17日     記憶を紐解く(10)
  轟く筒音 飛び来る弾丸 荒波洗うデッキの上で
  闇を貫く中佐の叫び 杉野はいずこ 杉野はいずや
  日露戦争でロシヤ海軍の基地(旅順港)を閉鎖しようと
  我が国の汽船を 港の出入り口にわざと沈める作戦をとった
  その時の様子を歌った唄
  港の出入り口に 杉野兵曹長と広瀬中佐が古船を爆破して
  帰還しようとした時の様子
  爆破に成功して 船は次第に波間に沈みかけた
退艦しようとした広瀬中佐が 杉野兵曹長を呼ぶのだが
返事がなく 沈みゆく船中を捜しまわっていた
呼べど答えず捜せど見えず
その時対岸から撃った砲弾が 船に命中し 
中佐諸共沈んでしまった。
部下を思いやる美談として この歌を歌いました。
  
  



susumuito at 09:12|Permalink 回顧録 

March 16, 2018

平成30年3月16日     記憶を紐解く(9)


平成30年3月16日     記憶を紐解く(9)
  金鵄(きんし)輝く日本の 栄えある光身に受けて
  今こそ祝へこのあした 紀元は2千6百年
  ああ1億の血が燃える
  歌の文句に自信がないが 全員が校庭で歌いました。
  神武天皇が即位してから 万世一系の天皇家は
  2600年延々と続いてきた 記念日(紀元節)に
  私が船方小学校で 2月11日に歌った記憶です。
  



susumuito at 11:42|Permalink 回顧録 

March 15, 2018

平成30年3月15日     記憶を紐解く(8)


平成30年3月15日     記憶を紐解く(8)
芝刈り縄ない 草鞋を作り 親を手助け 弟を世話し
兄弟仲良く孝行尽くす 手本は二宮金次郎
この歌をどのようにして唄ったかは 記憶に有りませんが
歌の文句は ハッキリと覚えています。
校庭の国旗掲揚塔の近くに 金次郎の芝を背負った像が
どこの学校にもあったと記憶して居ます。
兄弟仲良く働いて 親孝行が出来ると言う 励ましと教育を
  唄ったものだと思います。



susumuito at 09:21|Permalink 回顧録 

March 14, 2018

平成30年3月14日     記憶を紐解く(7)


平成30年3月14日     記憶を紐解く(7)
桃から生まれた桃太郎 気は優しくて力持ち
鬼が島をば討たんとて 勇んで家を出掛けたり
小学2年生の学芸会で 桃太郎を演じました。
2つに割れるように作った 桃を描いた板の陰に
体を丸めて隠れるようにして 上手から桃を揺らして
下手へと移動して行き 歌が始まると桃を2つに割り
桃から生まれる処を演じました。
その外の事は 記憶にありません。
2年生までは男女混合のクラス編成でした。
3年生からは 原則的に男女別々のクラス編成でした。 



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March 13, 2018

平成30年3月13日     記憶を紐解く(6)


平成30年3月13日     記憶を紐解く(6)
山田の中の1本足の案山子 天気の良いのに箕の傘着けて
朝から晩まで多々立ちどうし 歩け無いのが山田の案山子
小学1年生の学芸会の一幕で 案山子を演じました
ぼろを着て 箕の傘をかぶり 片足で立ったり跳ねたりしました
案山子の周りは ひよこの姿をした踊り子が跳ねまわりました。
大勢の人前で 芸を演じるのは初めてですが 
どんな感情だったか 記憶にはありません。



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