December 17, 2017

平成29年12月17日  老人の取扱説明書


平成29年12月17日  老人の取扱説明書
今朝の新聞の 本の広告欄に “老人の取扱説明書”なる本の名前が目に
ついた。
的を得た表題に 朝食時の家族が揃って大笑いしました。
長寿社会に必要な“取扱説明書”なのでしょう。
だが老人側に立って良く考えて見ると やや軽蔑された様に感じます。
説明書が無いと 老人の取り扱いに 迷ったり困ったりする事が当然の様に
思われるからです。
経済 思想 などは情報化社会の発達で 自由平等 生きる権利主義が進み
民主主義の普及と共に 親子二世代同居生活は崩れ 別居が当然の様に
普及し 老人の孤立化が進みました。
夫婦二人が元気間は 何の心配も有りませんが 片方が無くなると 全くの
一人になり 大変危険です。
同居して居ないから お互い深く理解する事が出来ず 他人の説明書が必要
に成ったと思います。




susumuito at 15:05|Permalink自由な書きこみ | 加齢

December 15, 2017

平成29年12月15日  息子の還暦と 新高山登れ!


平成29年12月15日  息子の還暦と 新高山登れ!
今日は息子の誕生日! 娘たちが パパ還暦だ! と騒がしい。
自分の息子が還暦なんて 想像もした事が有りませんので 妙な感じです。
自分が還暦の時は 乗馬クラブの友人達が クラブの喫茶室で 祝福して
呉れた記憶があります。

誕生日は記念日です。 12月8日も記念日でしたが 新聞もテレビも
静かでした。 
この日は大詔奉戴日で 太平洋戦争勃発の日でした。
大詔奉戴日は 宣戦布告の詔勅を天皇が発布した日です。
北太平洋に終結して居た日本の連合艦隊に 大本営から命令が送られました。
開戦命令の暗号が“新高山登れ!”も当時有名な言葉でした。
大本営発表“帝国陸海空軍部隊は 本未明に米英と戦闘状態に入れり”
これに続いて軍艦マーチでした。
新高山は台湾の最高峰で3.952mです。 (参考に富士山は3.776m)
開戦当時は台湾は日本領でしたので 日本で一番高い山に登れが 開戦命令
に採用されたのでしょう。
この戦争の善悪は別として 開戦した日にもう少し意義を与えたいものです。
攻撃されたハワイでは 日米の合同慰霊祭が行われた様です。
昔の敵味方が今は 世界中で一番親密に成っているのも 不思議な出来事だ
と思って居ます。 




susumuito at 11:00|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

December 13, 2017

平成29年12月13日  高齢者の近況


平成29年12月13日  高齢者の近況
最近 高齢者と言う言葉が身に付いてきました。
活発に動こうとすると 体の方が 私は老体だ老体だと叫んで 太ももに
痛みを走らせブレーキを掛けます。
自ずと“俺は高齢者だ!”思うように成って来ました。
近隣の同年の人が 一人は自転車同士の事故で 足首骨折で入院 もう
一人は脳がやられて寝たきり等を目の前にすると 自身も転ばぬ様に 
衝突しない様に 更に血圧に気を配り 家族に手間暇を掛けないように 
更には年末を迎え商売の邪魔に成らぬ様にと 気を配って居ます。
幸いにも 毎日時計の様な生活を営み ひ孫と戯れ 営業の会計責任を
果たして居ります。
現在の健康状態
(体重)変化なし (血圧)正常(降圧剤により) (食欲) 普通
(便)毎日正常  (気分)普通   
(非正常) 聴力右少し難聴  鼻声が続く  太ももの筋肉痛
(前立腺がん) 大人しくて現状変化なし 苦痛なし
87歳を後にして 現状を省みると まあまあ元気な方だと認識して居ます。
来年は数え年89歳に成りますが 年齢に対する自身の実感が湧きません。
後期高齢者の実感は 成って見ないと分らぬものだと思います。   

    




susumuito at 10:05|Permalink自由な書きこみ | 加齢

December 03, 2017

平成29年12月3日  師走を迎えて


平成29年12月3日  師走を迎えて
気忙しい師走 師匠が走りまわる 12月が遣って来ました。
米寿を終えて満87歳 老体で活力を欠き やや元気の無い歳の暮れです。
前立腺がんは 3か月に1回のホルモン注射のみ。
血圧はここ1か月ほど 降圧剤がバランスよく効果を出し 非常に安定して
来ました。
右耳の僅かな難聴と 鼻声が取れない不快さと 目の周りの僅かなむくみが
時々気に成るけれど 普通に生活するには 何の苦痛も無くつい放置して
居ます。 一番苦痛なのは 右大腿部の筋肉痛です。
歩く時に右脚に体重を掛けると 大腿部に苦痛を感じるのです。
膝や股関節は何とも無く 何とも不思議な症状です。
筋肉を揉むと 結果は最悪です。
老人の故に 筋肉の細胞が疲弊して行く症状と 関連書には記して居ます。
すぐ隣に出来た 整骨院で電気治療をして居ますが 目立った改善は有りません。
何とかこの年の瀬を 家族に迷惑の掛らぬ様に過ごしたいものです。






susumuito at 11:51|Permalink自由な書きこみ | 癌と共生

November 28, 2017

平成29年11月28日  デンソー洗濯機知っていますか?


平成29年11月28日  デンソー洗濯機知っていますか?
2度目に就職した H商工株式会社はデンソー洗濯機の代理店でした。
退社して家電店を開業して 間を置かず結婚しました。
結婚してすぐに購入したのが デンソー洗濯機でした。
値段は高かったが 洗濯機としての性能が優れて居たからです。
現在の自動車部品メーカー“デンソー”の製品です。
昭和30年頃には デンソーは洗濯機も製造販売して居ました。
現在高級洗濯機に採用されている “ドラム式”でした。
噴流式や攪拌式が 発売を始めたばかりでしたが いち早くドラム式を採用
して 高級洗濯機の地位を確保し よく売れて居ました。
デンソーが家電を始めるか? どうか? 決めかねて居たのでは無いかと思い
ます。
ラジオなどを展示した ショウルームもあった様に記憶して居ます。




susumuito at 11:20|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

November 22, 2017

平成29年11月22日   87回目の誕生日に思う


平成29年11月22日   87回目の誕生日に思う
今までは 誕生日は1年に1回来るものだと 平静に構え自身で騒ぎ立てた事
等有りませんが 今回は何故か彼方此方から“誕生日おめでとう!”と祝いの
言葉を頂戴して居ます。
確かに87歳で自立歩行が出来 軽作業が出来る人は 近隣でも数が少なく
なって来ました。
2人の孫娘が 昼 夜と“おじいちゃん誕生会だよ”と呼びかけてくれて 保育園
通いのひ孫が “Happy Birthday To You”と歌って 皆で合唱しました。
4世代揃っての誕生会などは なかなか経験出来ないと思いつつ 幸福感
に包まれました。



susumuito at 16:54|Permalink自由な書きこみ | ひ孫の話

November 21, 2017

平成29年11月21日   量子コンピューター


平成29年11月21日   量子コンピューター
報道に依ると 量子コンピューターが完成したようですが 2進法(デジタル)
は理解していても 量子コンピューターを理解出来ない 不思議な世界のよう
です。
早くから それらしい本を買い求め 挑戦して来ましたが 未だに理解出来ません。
新聞にも簡単な解説が出て居ますが 理解出来ません。
少し暇が出来たら 頭をリセットして 取り組もうと思っています。
生きてる中に理解できるといいなあー。 と思っています。



susumuito at 17:41|Permalink自由な書きこみ | 新技術

November 20, 2017

平成29年11月20日  東芝に思う


平成29年11月20日  東芝に思う
最近“東芝”が存続を危ぶまれ話題に成って居ます。
自分が短大卒業後 直ぐに就職したのが K商工株式会社で 東芝製品を
販売して居ました。 
仕入先は 記憶に間違いが無ければ 中部電機実業株式会社でした。
当時は家電と言う名も無く 蛍光灯も無く マツダラジオとマツダランプ
とマツダ真空管が主流でした。
マツダランプは電球の本流で 他社を引き離して居ました。 
自転車の荷台に 電球が25個入った箱を 2〜4箱括りつけて 小売店を
まわったものでした。 
昭和28年頃は 電球を売って商売に成って居た時代でした。
エジソンが発明した電球は 世界中を明るくしました。が消えていく運命
が待って居ました。
最近 LEDの開発が進み 電球の生産が打ち切られました。
何か マツダランプの消滅と 東芝の衰退に運命的なものを感じます。
電球の消滅は教科書 からエジソンの名前が消えるのでは無いか?
僅かの年月の間に 歴史を感じる程社会の変化は 速い様です。





susumuito at 10:06|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

November 08, 2017

平成29年11月8日   最近に無い 体調不良


平成29年11月8日   最近に無い 体調不良
3か月ほど前に 近隣の友人が朝起きる時 “起きられない!”と叫び 救急車
で病院へ。 半身不随で食事が取れづ 言葉が不自由と聞いています。
この話を聞いて以来 以前にも増して血圧を気にしてきました。
降圧剤の飲み方を変更したら 急に血圧が安定しやれやれと安堵して居ました。
ひ孫(兄)が保育園で拾って来た“PS風邪”とか言う風邪が ひ孫(弟)に感染
しました。
2人とも 小児科に助けられ軽い症状で快復しました。
ひ孫(弟)は週5日程は 孫娘と共に店に来て 私と戯れます。
赤子の風邪など感染するものか と思って密着して遊んで居ました。
女房も同様の風邪を引いたので やはり感染したと思います。
この風邪の症状は 87年間の間に経験した事の無い 強烈なものです。
体温 38.0 血圧 130〜140 80〜88 左耳難聴 
せき 頻発!  鼻水 右側垂れ流し同時に痰状のもの付随 
就寝中もせき止まず(安眠妨害)(喋ろうとすると咳で会話が出来ない(時々)
気分はそんなに悪くない。 食欲 やや悪い 
昨日内科医に診察してもらった。 
耳鼻科へ行きなさい。ひ孫に感染させないように。と注意を受けました。
6日には 乗馬の会合の中止を依頼しました。(正解でした)
多くの人に ご迷惑を掛けました。
これを書いている時も 咳の攻撃を受けて居ます。



susumuito at 11:29|Permalink自由な書きこみ | 随想

October 29, 2017

平成29年10月29日   何かが狂って来た


平成29年10月29日   何かが狂って来た
自然現象の天候が 大きく狂って 大きな災害が続発しています。
10月が終わりを迎えて居るのに 大きな台風が次々と遣って来ました。
突然に真夏日が遣ってきたり 大量の雨が降ったり 何かが狂って来ました。
一流企業が国際的な信頼を失うような 脱法行為を続けたり 決算を誤魔化
したり 経営者の人格を疑われる様な事件が続発して居ます。。
議員と名の付く人も 恥も外聞も無く税金を無駄に使う風潮が広がって居ます。
人格 礼儀 尊敬 倫理 道徳 忍耐 等が薄らいでひ弱な人間が増えてきた
のでしょう。
過度な 生きる権利 自由人権が 甘えや狡さを蔓延らせたと思います。
人間教育を立ち直らせないと とんでもない国に成るような気がします。






susumuito at 15:00|Permalink自由な書きこみ | 随想

October 28, 2017

平成29年10月28日   何かが狂って来た


平成29年10月28日   何かが狂って来た
最近 無縁の複数の不動産会社から 「土地の売却はお任せ下さい」と言った
私宛の郵便が度々来るので 不審に思って居ました。
私の個人情報(住所 年齢)を得て 相続問題で起きるであろう土地売却を
想定して 先取りする手法だと思いました。
私の携帯電話に「Google から(警告)有料ネット視聴の未払いがあります。
本日連絡無き場合法的手続きに移ります。」とメールが入りました。
噂には聞いていましたが 自分の処にメールが来るとは 驚きました。
これも携帯の番号など個人情報を利用しての事だと思います。
最近は なにがしか知識が無いと とんでもない事件に巻き込まれる様です。
議員と名の付く人も 多くの話題を造り 世間を騒がせています。
ネットで物を購入し コンビニ支払を選ぶと 振込用紙を送ってきます。
用紙と代金を持って コンビニへ行けば簡単に支払いが出来ます。
これを銀行から振り込もうとすると 改めて振込用紙を記入しななければ
成りません。 今時銀行はどうしたのでしょう。 やる気が無いのか?
何かが狂いつつ在るように思います。
自動運転自動車が普及すると 運転免許試験の中に運転技術は無用に成り
AIの操作試験が必要になるやも知れません。
何かが狂って来て居るように感じませんか? 



susumuito at 10:45|Permalink新技術 

October 23, 2017

平成29年10月23日   嬉しい誘い


平成29年10月23日   嬉しい誘い
乗馬のお友達から 11月9日に有志が集まり 米寿を祝うからと
連絡を頂いた。
続けて11月19日に 元店員さんのグループから 米寿を祝うからと
連絡を頂いた。
なんと幸せな事か!  この老いぼれを未だに忘れず 米壽を祝って
頂けるなんて ほんと嬉しいです。
想い起こせば 還暦の時は乗馬クラブで 古希の時は なばなの里で
乗馬の友に 祝って頂きました。
昔お店で働いて頂いた元店員さんは 今までにも 2・3年に一度
一泊旅行に誘われ 昔話に花が咲き 楽しい一夜を過ごしました。
彼らも70代前後の歳になり 今回が最後に成るかも知れません。
この様な行事が出来るのは 人間だけの特権でしょう。
長生きして良かったなあ!
  



susumuito at 17:51|Permalink自由な書きこみ | 加齢

October 21, 2017

平成29年10月21日  米寿を迎え最後の幸運


平成29年10月21日  米寿を迎え最後の幸運
あと1か月で 満87歳を迎えます。
最後の幸運を掴みたいと 思っています。
俗に言う「ぴんぴんころり」と逝けて 家族に世話を掛けたくないと思います。
寝たきりなどに成らないよう 血圧に注意し 転倒しない様に心掛けています。
米壽関連の記事 おわり。



susumuito at 14:05|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 20, 2017

平成29年10月20日  米寿を迎える迄の幸運(#12 3.11)


平成29年10月20日  米寿を迎える迄の幸運(#12 3.11)
3.11 東日本大震災は 私の寿命を延ばして呉れました。
2011年3月11日 私はNHKテレビの国会放送を見て居ました。
突然地震情報が入り 間を置かず大地震情報に成り 国会中継は中止になり
当地にも震度3ぐらいの振動があり 近所の人も外に飛び出して居ました。
暫くすると NHKの常設カメラによる 被害情報の映像に成りました。
空襲や伊勢湾台風の高潮の経験をしていましたが 実況による高潮の侵入の
映像には 驚きました。
自動車は流され大きな船が街の中を流れ 戸建の家が根こそぎ流され 
飛行場には ゴミが流れ込むなど 見ている中に気が変に成りました。
今でもその時の気持ちは良く分りませんが 乗馬クラブへ電話をし 1か月
休会する事にしました。
この休会を始めた時暇が出来 名古屋市から来ていた健康診断の案内が目に
つき 病院へ出かけました。 “伊藤さん これ期限が過ぎて居るから 有料
ですよ“ ”有料でも良いです“ ”前立腺の検査は無料ですが如何します“
“無料なら検査して下さい。” とここから幸運が舞い込んだ。
検査が済んで 数日後医院から“すぐ来て下さい”何事か?と駆け付けた。
“前立腺検査のPSA値が異常に高いから 直ぐ大きい病院へ行って下さい”
この結果が前立腺がんと診断を受け 検査の結果がんの転位が無い事も分り
先ずはホルモン療法を採用する事に成りました。
この転位が無い内に 早期にがんが見つかったのが幸運でした。



susumuito at 17:34|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 19, 2017

平成29年10月19日  米寿を迎える迄の幸運(#11 SONY)


平成29年10月19日  米寿を迎える迄の幸運(#11 SONY)
自分の店は 何処のメーカーを主流にするか 色々考えて決めました。
ナショナル(現PANASONIC)の製品を扱う店は 市内で最多でした。
一番近隣に東芝の店が有り 店の数が少ない日立を選び 
日立チエンストールの看板を揚げる事にし オーディオの主流として
 SONY を選びました。
日立の会合で支店長が“店員さんの独立を歓迎し チエンストールを増
やす”と発言されたのを聞き 日立にいや気がさし 看板を下ろしました。
SONYが主流で諸々のメーカーの家電品を扱うように成りました。
数少ない「SONY SHOP」として販路を広げる様に成りました。 
SONYの技術講習に東京まで出かけ 1週間泊まり込みで半導体の
勉強をしました。 
また全国(日本)技術者競技会にもエントリーし入賞しました。
SONYと密着した事により 多彩に渡る援助を受ける事が出来ました。
店舗改装 陳列棚 ガラスケース カウンターテーブル等の援助
女性アルバイトの派遣 自店アルバイトの費用援助等 多くの援助を
受けました。
数ある家電メーカーの中から SONYを選んだのも 幸運の一つです。



susumuito at 17:39|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 18, 2017

平成29年10月18日  米寿を迎える迄の幸運(#10 土地)


平成29年10月18日  米寿を迎える迄の幸運(#10 土地)
店舗は東海通に面して表通りで 裏は他人様の土地でした。
譲って下さいとお願いした時は 断られましたので諦めて居ました。
暫くしたある日 “裏の土地 大至急買って呉れんかね?”と見知らぬ男が
訪れました。 “小切手ダメ 現金で頼むわ”
何となく怖い感じでしたが 欲しかったので色々調査し 銀行の応接間を借
りて 不動産屋と銀行と売り手と4者が集まり 取引を終えました。
売り急ぐ売り手側に何か事情が有ったのでしょう 相場より安く買えました。
これで表から裏通まで出る事が出来る様になり 裏に倉庫や物置場が出来て
商売が非常にやり易く成りました。
家電品も買い替えが進むと 古い製品を置く場所が必要です。 一時的にも
表通り(歩道)に置く事も出来ません
落ち着いて考えて見ると 地続きが手に入ったのも 大きな幸運でした。

 



susumuito at 15:13|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 17, 2017

平成29年10月17日  米寿を迎える迄の幸運(#9 店員)


平成29年10月17日  米寿を迎える迄の幸運(#9 店員)
開店から30年ぐらいの間に 7人の店員さんに恵まれました。
募集した事は1度も有りません。 全員が希望入店でした。
皆 電子技術の習得を目的として居ました。
多い時3人でした。 仕事は切れ目なくありました。
技術の習得が目的で セールスは全くする事は無く 設置と修理に明け暮れ
ました。
勉強にセールスして見るか! と問うと 総てが“NO!”でした。
一時は修理専門を分離しようと思う程 普及期の家電はよく故障しました。
朝仕事掛かりの前に コーヒーを飲みながら テレビ技術の勉強会を開いた
事もあり 殆どの店員さんが 電波技術協会のカラーテレビ修理技術者検定
に合格して独立して行きました。
幸いにも息子が後継者に成ると言うので 関西ソニーへ修行に出し 3年半後
に戻りました。 
家電の品質も良くなり 故障が減り 息子と2人で対応出来る様に成りました。
品質と言い 店員さんと言い 息子と言い 幸運に恵まれました。
嬉しい事に この店員さん達が時々集まって招待を受け 昔話を楽しませて
くれます。
何時まで経っても 大将!大将!“と呼ばれ 一番気楽な集まりです。



susumuito at 13:07|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 16, 2017

平成29年10月16日  米寿を迎える迄の幸運(#8 開業)


平成29年10月16日  米寿を迎える迄の幸運(#8 開業)
昭和31年7月20日 性格が商売向きで無いのに 無理やり始めた商売。
気ままに始めて 売れれば良しと 始めました。
人を押しのけてでも売ろうと言う程の 厚かましさも無く 店を開いて商品を
並べ 欲しい人は買って下さい と受身の商売を始めました。
忘れられない夕餉の時の会話 “今日は100Wの電球が2個売れたよ”
丁度色々の家電製品が次々と発売になる時期でしたので 下手な商売でも
次第に売り上げが上がってきました。
軌道に乗りかかった時 伊勢湾台風に見舞われ 商品がずぶぬれに成りま
した。 幸運にもこの時には 全メーカーに無料で交換して頂けました。
お見舞い金も頂きました。
この災害で近所に復興需要が生まれ 思わぬ売り上げが上がりました。
その後は家電ブームに乗り 商売下手な私でも 人並に売り上げました。
家電ブームに乗れたのも 幸運のお陰だったと思います。
商学部で学んだ簿記会計が役立ち 店の内容が数値に表れ助かりました。
開店当初から複式簿記を採用し 最初のB/C(貸借対照表)が今日まで途切
れる事無く続いています。
 



susumuito at 09:42|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 15, 2017

平成29年10月15日  米寿を迎える迄の幸運(#7 就職2)


 平成29年10月15日  米寿を迎える迄の幸運(#7 就職2)
短大の商学部の卒業を間近にする頃に 先生から“僕の友人で 電気店を
新規に開店する会社があるが 電気に興味を持つ人物を頼まれて居るが 
どうだ” 親に相談する事も無く “行きます”と即答で運命は走り出しました。
新しく事業を始め すでに営業を始めて居ました。 何故かこの会社も 
社長 専務 社員2人でした。
店内にはRCA製のテレビ(白黒)と電気冷蔵庫が展示してあり まだ家電と
言う言葉が無い頃ですから 眺めるだけで感動を覚えました。
ラジオと洗濯機の販売が主流でした。 テレビは試験放送の時代でした。
当時は家電の普及のし始めで 大きい事業所で展示販売するとよく売れました。
“伊藤君 電気蓄音機を造れないか”と聞かれ “出来ます”で製造が始まり
ました。 新しく中学生を採用し 流れ作業台を造り 経験を生かして製造を
始めました。 目新しくて良く売れました。
この頃社員は30人程でした。 入社した時の先輩は早々に退社して居ました。
社員では一番古株になり 責任ある勤めをしていました。
東京へ販路を広げる事になり 東京勤務を命じられました。
半年ほどで本社に戻りました。 東京勤務では日本を見た様な気がしました。
まる2年経った頃 母親から“サラリーマンでは駄目だ 自分で商売をせよ”
と強く言われ 断り切れず“失敗しても知らんぞ”と捨て台詞。
これを聞いた社長は“蛙の子は蛙だな!”と“商売は大きくするなよ!”と
最後の言葉。  多くの経験と共に ここから大きく運命が変わりました。



susumuito at 10:48|Permalink回顧録 

October 14, 2017

平成29年10月14日  米寿を迎える迄の幸運(#6 就職1)


平成29年10月14日  米寿を迎える迄の幸運(#6 就職1)
戦後は就職難が続いていました。
高校時代にアルバイトで働いていた 法人組織(社長 専務 社員2人)
のラジオ屋に就職し 日夜ラジオを組み立てて居ました。
当時(昭和27年)はラジオを組立てウインドに飾ると 間を置かず売れました。
1人の先輩が退社し 2人従業員になり数多くの経験をしました。
中日球場の拡声器を納入する事に成り 高さ1.5m 幅60cm程の鉄製の箱
に高出力の真空管増幅器を組み込み タンスの様な拡声器でした。
2人目の社員も通信士として 海上保安庁に就職され 私一人が残りました。
社長は ラジオ屋に見切りをつけて 同時通話式インターフォンの製造販売を
する事を目指し その研究も始まりました。
資本を提供する人が現れ 広い敷地に事務所と工場が出来 人も高卒数人
を採用し 手動の流れ作業でインターフォンを組み立てる事に成りました。
僅か20歳で 研究 開発 製造と経験し 量産体制を管理する事になりました。
有名誌の広告が効いて 滑り出しは順調でした。
名古屋では 建設会社 証券会社など 東京では 参議院 大同毛織などに
納品 配線に大忙しでした。
入力をカーボンマイクを使用していました(他に無かった様です) 声の振動で
カーボンが沈殿し次第に固まる(感度が悪くなる)と言う欠陥が現れ倒産しました。
これを機に営業会計の事が知りたく 再度勉学する決意で商学部に入学しました。
この就職は 僅か2年の間でしたが 幸運にも多方面の経験をしました。  



susumuito at 10:52|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 13, 2017

平成29年10月13日  米寿を迎える迄の幸運(#5 交通事故)


平成29年10月13日  米寿を迎える迄の幸運(#5 交通事故)
学徒動員で町工場へ出勤する時 伝馬橋を渡るのですが 名鉄と国鉄を
越えるので 上り下りが急な橋でした。
登り坂を自転車で越えようとすると 立ち上がって肩を左右に振りペタル
を踏まなければ成らなかった。
毎朝の事で何時ものように力んで ペタルに右 左と体重を掛けて居た。
次の瞬間後ろから トラックが追い越して行くのを知って 左へ寄らなければと思った時 トラックの前輪が目に入った。
その後気がついた時は レントゲン撮影の台の上でした。
最初に目に入ったのは母の顔でした。  “どうしたの?”と母に尋ねた。
“伝馬橋で気を失って居たんだよ” 言われて見て一瞬見たタイヤを思い出した。 胸には住所と名前が縫い付けてありますが 家には電話が無かった。 当時は119番も無かった。      どんな経路で連絡がつき どうやって病院へ運ばれたのか? 聞き洩らした。(母は亡くなった)(多分リヤカーで運んだと思う)
診察の結果は 脳内出血 絶対安静1ヵ月でした。
退屈な1ヵ月を経て退院しましたが 外傷なし 後遺症なし で後の勉学
には 何の支障も有りませんでした。
2度目の交通事故は 
平成20年11月5日 小雨降る夕暮れの久屋大通り 青信号の横断歩道
外乗の帰路同僚と別れ 広い道路幅を計算し 右手にカートを引きながら 小走りに渡り始めた。  この時点までハッキリと記憶していた。 
救急隊員の声「住所氏名が言えますか?」視力の無いまま反射的に「はい」と答えた 目を開いて見る活力は無かった
「座れますか?」「はい」よく覚えている この時救急車だと気がついた。
何の苦痛も無く ぼーとしていた。何が起きたのか次第に分かって来た。
一瞬何処へ行くのかなと思った まだ外の景色を見る元気は無かった。
金山の病院に到着し 車椅子に移ってから 視力 意識 回復
病院で たいした苦痛も無く お前は自分の姿を恥ずかしく思った。
同僚の連絡が速く 間もなく息子が駆けつけ 一夜の看護を受けた  
「どこか痛い処は?」医師の声「ここ」と指差した 右鎖骨あたり。
腕に軽いすり傷が有ったが 2〜3日で治った 他に痛む処なし 外傷なし。
この事故の加害者は 郵便局の軽自動車だった。
此処での診断は 脳挫傷と書いてあった。
2つの事故はよく似ていて 外傷なしで治療中は安静にでした。
苦痛がなくても失神するのだと知りました。
いずれも後遺症も無く 事故にしては幸運だったと思っています。



susumuito at 13:26|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 11, 2017

平成29年10月11日  米寿を迎える迄の幸運(#4 爆撃)


平成29年10月11日  米寿を迎える迄の幸運(#4 爆撃)
東京 大阪 名古屋と B-29(大型爆撃機)の攻撃で 木造家屋が多い街
は総て焼き払われ 焼けトタンと溶けたガラスの塊と 割れた陶器類が目
につくぐらいでした。
民家が終わると 軍需工場への1トン爆弾での爆撃でした。
動員された工場で作業中に 空襲警報が出て400mほど離れた防空壕に入
っていたら 空襲警報が解除のサイレンがなり 工場へ帰る途中で 再度
空襲警報のサイレンが鳴りました。  
軍は何をうろうろしているのかと思いながら壕へ戻りました。
壕へ入る直前に ヒューと爆弾が空気を切る音が聞こえ 思わずその場に
伏せました。 間を置かずどどんと伏せた地が揺れました。
そっと頭を上げると 我が家の方角にニュース映画で見るような 黒い土煙がもくもくと上がっていました。
爆撃が終わり工場へ帰ると“伊藤!君の家の方角が爆撃されたようだ 直ぐに帰りなさい!”と先生の声。
帰路悲惨な姿(建物も人も)を目の当たりにしながら 自転車をかずいて
(走ろうにも瓦礫で埋まり走れなかった) やっとの思いで家に着いた。
家の周り3方向に爆弾が落ちて 辛うじて家は建っていたが 壁は落ちガラスは割れ 屋根瓦はずり落ちていた。
家の中を見渡していると“将か?”と養父の声。 ほっとしました。
“皆無事だよ!”の声に 良かったと思いました。
会社へ出勤している筈の養父が 何故家に居たのかと不審に思っていたら
“自転車がパンクしたので 直しに帰って来て居た”と弁明があった。
この時養父の勤務先の愛知航空機は 爆撃で破壊され多くの社員が亡くな
っていました。
愛用の自転車が命を救ってくれた幸運は 家族にとっても幸運です。
自動車の無い時代に 移動手段として自転車は貴重な存在でした。
3方向に落ちた爆弾は 我が家の倒壊を防ぎ 家族の命を救いました。
倒壊しなかったから 家財道具がすべて無事でした。
当時は何が無くなっても 買うお店が無いので 物は非常に大事でした。
 



susumuito at 10:26|Permalink

October 10, 2017

平成29年10月10日    米寿を迎える迄の幸運(#3 焼夷弾


平成29年10月10日   米寿を迎える迄の幸運(#3  焼夷弾) 
日本の家屋は殆どが木造でしたから アメリカの爆撃は最初の中は殆ど
焼夷弾(火災を目的にした火を噴く爆弾)の攻撃でした。
我が家の近くにも焼夷弾が落とされ 空家に成っていた隣家(続きの2階
建)の屋根を貫通し 2階の部屋に止まり火を噴きだした。
外から煙を見つけた養父が駆け上がり 戸障子や畳を道路へ投げ下した。
お陰で家は燃える事も無く 家財が守られました。
一段落したので現場を見ようと隣家へ出かけ 階段の前まで来て驚いた。
下から3段目が 不発の焼夷弾で貫通して欠け落ちていました。
その下に不発弾が転がっていました。
これが爆発して燃え上がっていたら 2階へは上がれず 上下の焼夷弾で
隣も我が家も燃え尽きたと思います。
この不発弾も幸運の一つだと思います。
余談ですが 迎え側にお住まいのお嬢さんが 道路に出てこの焼夷弾の直
撃を受け その場で血を流して即死されました。 不運だったのですね。
この爆撃で町の北部が1町内焼けました。 



susumuito at 09:03|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

October 09, 2017

平成29年10月9日   米寿を迎える迄の幸運(2進路)


平成29年10月9日   米寿を迎える迄の幸運(2進路)
国民学校(小学校)を終えて進学する時に 養父が“此れからは電気の時代だ。
工業学校の電気科に学べ“と進路を示して呉れたのは 今から思うと正に
幸運でした。
今日の家電ブームなど想像もつかない時代に 秋田工業の機械科出身の
養父は 来たるべき電気の時代を察して居たのでしょう。
当時は軍人の時代で 陸軍幼年学校や陸軍士官学校に入学するのに有利な
学校が優先的に選ばれたものでしたが 背が低かった事もあって 技術の
方へ導いて戴き これが生涯家電を扱うきっかけに成りました。
養父は秋田県から出てきて 愛知時計(後に愛知航空機)に勤務し 戦時
中は 飛行機エンジンの検査係長をしていました。
愛知県立で 新設して3年目の中川工業学校の入学する事が出来 新しい
実験設備に目を見張ったものでした。 
総てが見た事も無い設備で 学ぶのが楽しみでした。
この新しい学校は 空襲で全焼し何も残りませんでした。
2年生に成って学徒動員が始まり 堀田の町工場で クラス全員が働く事
に成りました。
旋盤 ボール盤 セーパー 火造り等機械の事が実地勉強に成りました。
お米の少ない時代に 工場の昼食は白いご飯でした。
学徒動員のお陰で 機械の事が色々と知識として覚えました。



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October 08, 2017

平成29年10月8日   米寿を迎える迄の幸運(1)


平成29年10月8日   米寿を迎える迄の幸運(1)
米寿を迎える事が出来たのは その間に数々の幸運に恵まれたお蔭です。
思い出しながら 危機から逃れた事件 行動などを記録します。
*父の死
お前が 11月生まれの数え年4歳の8月に 父親が亡くなった。
母は再婚してから 父親の詳しい事は話たがら無かった。 
今思うに 養父への遠慮が有ったような気がします。
周囲の見聞で知る範囲では 郵便局勤務をしながら 趣味のヴァイオリンを
弾いていた様です。
この父が 当時不治の病と言はれていた結核に罹り 実兄の養子先(豊川の近く)の離れで 
親子3人が生活しながら養生に努めた様でした。
此処での生活で 母と共に結核に感染し無かった事が 最初の幸運です。
感染しなかって 更に親子ともに 免疫が出来たのでした。
父は半年も経たない中に亡くなり 2人は母の姉の家(港区)にお世話に成りました。
暫くして 西築地小学校正門まえの借家で 母子2人の生活を始めました。
今で言う母子家庭でしたが つらい悲しい思い出は 全く有りません。
此処での生活は記憶の中に少し残って居ます。
ツベルクリン反応が小学校で当初から陽性でした。 
結核に冒されることも無く 米寿を迎える事が出来ました。

 





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September 21, 2017

平成29年9月21日    米寿に思う(市から米寿の祝)


平成29年9月21日    米寿に思う(市から米寿の祝)
町内の役員さんから “名古屋市からです”と 祝儀袋を頂戴しました。
米寿の祝いとして 三千円が包まれていました。
名古屋市長と記されていました。
一瞬選挙運動かと思いました。 (失礼!)
予期して居なかったので 思わず笑顔に成りました。
八十八歳を生きて見ると 思ったほど楽で無く 老化する体を守るのに
精一杯です。
筋肉の老化が 思いもよらぬ苦痛を招き 転倒防止に真剣に取り組んで
います。
ひ孫を抱いて歩く時は 最高の注意をしています。
ひ孫の守を乳母車でする時は 自身の転倒も防止出来るので好都合です。
米寿(老化)の予備知識をもっと勉強していれば と少し後悔しています。




susumuito at 17:37|Permalink随想 | 加齢

September 07, 2017

平成29年9月7日   米寿に思う(あの世は無い)


平成29年9月7日   米寿に思う(あの世は無い)
子供のころは 神仏の存在を信じて生きて来ました。
戦後神の存在に疑問を持ち 更に進んで仏の存在も 疑い始めました。
物理科学を勉強する様に成って 更に神仏から遠ざかりました。
鶏や牛を殺して食べる人間と 食べられる動物と何処が違うのか?
脳の発達に差が出来て 食べる方と食べられる方に別れたと思います。
脳は細胞で出来ていますが 細胞は血の通う物質で出来ていて 死んで
血が止まれば 物質が残るだけで 火葬で灰に成って終わりだと思います。
無信心はこの辺りから生まれたのかも知れません。
最近開発が進んで居るAI 人工頭脳は 血が通って居ないから 人の脳とは
異なると思います。
人工頭脳に神仏への信仰が生まれるかどうか?
今生きている自身は 死と共にすべてが無くなり 全く無に成って
終わると思って居ます。
あの世の事など考えた事がありません。
この辺りから死に対する心構えが決まって来ます。
自体の活動が止まれば それが死だと決めて 死んだ細胞の集まりになり
焼かれて灰になって 総て無に成るのだと決めて居ます。
こう思うと何となく 気が休まるようです。
反面 生きてるて素晴らしい事だと思います。



susumuito at 10:47|Permalink随想 | 加齢

September 06, 2017

平成29年9月5日   米寿に思う(老朽車は低速で)


平成29年9月5日   米寿に思う(老朽車は低速で)
大分 悟りの境地に近づいたと自画自賛。
医者の言う“お歳だからね”の意味がよく分かって来ました。
後期高齢者は 車に例えれば 老朽車の事で 人体の古いエンジンは
取り替える術も無く 大事に使うより他に手立ては無い訳です。
無理にアクセルを踏むと 何所か弱い処に負担が掛る様です。
減ったタイヤとブレーキシュウぐらいは 取り替える事が(栄養補給)
出来ます。 
何時もの食事(ガソリン)を採っても どうもその燃焼効率が悪い様です。
従って後期高齢車は 其れなりにゆったりと運転するしか 方法がないよう
です。
もっと早く気が付けば 80歳からの生き方が変わって居たかも知れません。



susumuito at 10:50|Permalink回顧録 | 加齢

September 04, 2017

平成29年9月4日   米寿に思う(高貴高齢者)


平成29年9月4日   米寿に思う(高貴高齢者)
あと3か月すると満87歳になります・
前立腺がん 発見以来6年半 3か月毎のホルモン皮下注射と 1日1錠の
女性ホルモン療法で安定して 異常症状なし。
血圧    朝夜の降圧剤服用で 何とか上昇を抑えて居る。
       潜在性高血圧だから 普通の人より10%ぐらい高い。
生活 飲食に注意を欠くと 血圧の上昇を見る。
頻尿    老人性頻尿は夜間のみで 2〜3回起きる。
食欲    あり、 体重57Kg(空腹時) 
筋肉痛   下半身の筋肉痛は如何とも避けがたく 薬剤 按摩 等
即効性なし。
むくみ   体全体が少しむくんでいる。 特に顔のむくみが気に成る。
       顔のむくみは視力を低下させている。
耳鳴り   軽い耳鳴りを時々感じる。(1日数回)大して気にならない。
       低い声が聞きにくいのに 高い音が不快を感じる。
晩酌    毎晩楽しみしています。  分量は酒1合弱かビール500ml
記憶力   冷蔵庫の扉を開けて あ!何お取りに来たのかな?等
思考力   数独の問題が解ける時間は 少し長く成ったかな?   
総括     古びた MY CAR(自分の体)は部品の替えようも無く 
テクニックで乗りこなす他に策なし。
後期高齢者は 高貴高齢者で暮らしを終えたいものです。



susumuito at 17:39|Permalink加齢 | 癌と共生

August 25, 2017

平成29年8月25日   米寿に思う (努力で生きる)


平成29年8月25日   米寿に思う (努力で生きる)
さる16日に 40日振りの血液検査の結果を知ることが出来ました。
前立腺癌の状態が憶測出来るPSA値が 3.618で基準値内でしたので
ほっとしています。
他の数値も おおむね異常値は無く 中性脂肪がやや高く カリュウムと
ヘモグロビンがほんの少し不足の状態でした。
泌尿器科の先生曰く“前立腺癌では死な無いけれど 高血圧は死ぬぞ”と
暗に血圧に注意する様に暗示を掛けられました。
先は短いのだから 薬でも何でも良いから血圧に注意して 上がらないよう
にしなさいと言う助言のようでした。
幸いにも 朝晩1錠づつの血圧の薬で 安定しているので 前立腺と血圧は
良しとして 次は筋肉痛とむくみです。
筋肉痛は動かなければ無痛ですが 動かないともっとひどく成るようなので
痛みを堪えて軽く動くようにしています。 ひ孫と遊ぶ程度で精いっぱいです。
むくみは原因が分りにくく 暫く様子見です。
二三日前に エアコン工事とガス乾燥機の入れ替えを手伝いました。
重い物を持ったり 階段を上り下りしたりしましたが 現状は異常なし。
その場でジャンプして見ても 苦痛は無いので いわゆる老人性筋肉痛を
乗り切れば 今しばらく人生が楽しめるかも? と楽観!



susumuito at 16:52|Permalink自由な書きこみ | 癌と共生

August 15, 2017

平成29年8月15日   米寿に思う (敗戦)


平成29年8月15日   米寿に思う (敗戦)
あの日の名古屋は 青空の夏の日で 暑いカンカン照りの日でした。
勤労学徒として工場で働いて居ました。
正午少し前に 全員中庭に集まれと 集合が掛けられました。
既に中庭には テーブルの上にラジオが置かれて居ました。
前日から今日の正午に ラジオで天皇陛下の玉音放送があると 聞いて
いました。 
きっと国民に 本土決戦を頑張れ! と励ましのお言葉が聞けると思って
いました。
夏の日差しを 真上から受け 40人程がラジオを中心に集まりました。
アナウンサーの声が終わると 陛下の声が流れましたが 当時のラジオは
音質も悪く 内容がなかなか理解出来ない中に ハッキリと内容が解る
言葉を聞く事が出来ました。
“耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び” その後の言葉を聞かずに
耐えて 忍んで 戦えとおっしゃったんだと 勘違いをしました。
先生の声
“戦争は終わった 今日は仕事を打ち切り 片づけて家へ帰りなさい”
先生の声が緊張して居ました。詳しい説明も有りませんでした。
信じ切れない我々は “軍が はいそうですか” で終わる筈がない
何かが起きるに違いない等と こそこそ話をして 帰宅しました。
この日の中庭の光景と 古びたラジオは脳裏に焼き付いています。



susumuito at 13:56|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

August 01, 2017

平成29年8月1日   米寿に思う(32)(老朽化)


平成29年8月1日   米寿に思う(32)(老朽化)
木造の家や 鉄筋コンクリートの家でも 歳月と共に老朽化し 廃屋となる
事は誰しも知って居る事です。
自分の事となると 老化して居る事を忘れ 若い時の様に元気に成ろうと 
広告宣伝に惑わされたり 医師に訴えたり 色々試みるものです。
朽ちた板壁や縁板は どんなにしても初期の新しさに戻る事は出来ません。
誰にも解る自然現象ですが 自身の体の事に成ると 何とか新しさを取り
戻そうとする愚かさに 気が着きませんでした。
“まあ お歳ですから”は真実を説明している事に気が着きました。
少し気が楽になりました。
前立腺癌は自身で如何する事も出ませんので 現在のホルモン療法を続け
血圧は降圧剤は飲み続け 血圧による障害を防ぎ 老化による筋肉萎縮は
老齢化との闘いですが 勝つ事は出来ないではと思うように成りました。
何れにしても 年と共に老化は進むのですが これに対する処方は無意味
の様に思えてきました。
転倒しないように 誤飲しないように 風邪を引かないように と心掛け
余生を送ろうと思うように成りました。 




susumuito at 10:28|Permalink自由な書きこみ | 加齢

July 29, 2017

平成29年7月29日   米寿に思う(31)(平均寿命)


平成29年7月29日   米寿に思う(31)(平均寿命)
最近の平均寿命が発表になりました。
男性は81歳強との事ですが 自分が現在87歳強ですから ちょっと驚き
ました。
自身では そんなに他の人より長生きしていると言う 認識が無いせいかも
知れません。
二三年前頃から 知人の老けた姿をみては 己の年老いを感じる事が多くなり
知人を見て 己の老けを知る機会が多く成りました。
今の処 体のむくみ 下半身の筋肉痛 80歳の時見つかった前立腺がん 
難聴 高血圧が 気がかりな体調ですが 差し迫った病状で無いので 
日常生活には何の不便もありません。
内科 泌尿器科 耳鼻科 と診察に出かけても 85歳以上の病状と 75歳
以下の病状が同じでも それぞれの回復力に差があるので 正確な診断が
出しにくい様な感じをうけます。
“まあ お歳ですからね”はどこでも聞かれる言葉です。
ネットで調べ 本を求め 同年代と健康会話をし 自己判断による所作を決め
今日も元気に過す事が出来ましたと 晩酌に浸る時は 幸せを感じています。




susumuito at 17:10|Permalink回顧録 

July 28, 2017

平成29年7月28日   米寿に思う(30)(半導体)


平成29年7月28日   米寿に思う(30)(半導体)
半導体とは 導体(電気を通す)と絶縁体(電気を通さない)の中間の物質
で 中学 高校の電気科では 習得しなかったものです。
昭和20年代後半に 江崎ダイオード(一方へのみ電気が通じる)が開発され
続けてトランジスターが真空管に代わる時代がやって来ました。
もう一つ デジタル信号の発達に伴い 記録材として半導体の開発が進みま
した。 
デジタル信号の記録は 単に信号の有、無を記憶させるので 正確で簡単に
極小の素子に記録するのに 細分化された半導体は適していました。 
この半導体はムアーの法則に従い 1素子が2つに分けられ2素子になり 
次にはその2素子が2分され4素子に成る。
(自身は大きく成らず 自身を構成する素子の数が増える。)
次の開発は 4素子が2分されて8素子になる。 と倍々に成ると予告され
事実そのように素子の細分化が進んで来ましたが その細かさが分子原子に
近づいてきて 再分化の限界に近づいて来たようです。
スマホで出し入れするメモリーは 小さなものですが映像のデーターを記憶
しています。これも半導体です。
半導体の進歩は その回路構成を素子化(Integrated Circuit(集積回路)に成功
しさらに Large Scale Integration(大規模集積回路)へと発展しました。
ICやLSIの開発は 電子機器の小型化に貢献しています。
LEDやELも半導体で 今後の発展が期待されています。



susumuito at 10:33|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 25, 2017

平成29年7月25日   米寿に思う(29)(流行)


平成29年7月25日   米寿に思う(29)(流行)
色々な流行を見て来ました。 二度と現れないのが流行の不思議です。
だっこちゃん フラフープ ロングスカート たまごっち ホッピング 等など
比較的新しいのに ルーズソックス を思い出します。
流行は何処で生まれるのか知りませんが 不思議な現象です。
「だっこちゃん」は何の意味があるのか 黒い赤ちゃん(ビニールの空気入)
の手と足で 人の肩につかまるだけのものですが 多くの大人や子供が肩に
つかまらせて 町を歩き 乗り物にも乗っていました。
「フラフープとホッピング」は子供の運動を兼ねて あちこちで遊ばれました。
最初の「ロングスカート」は 戦後に生地が出回った頃だと記憶しています。
男性の袴の様な感じで 足首が隠れる程長く 裾の襞(ひだ)が大きく
坂本竜馬の様な感じでした。  生地を広げると扇子の様な形でした。
「たまごっち」は掌に乗るほどの大きさで これを購入して 液晶を見ながら
子育てをする 遊びを楽しむもので 小学生に流行しました。
まだ記憶に新しいのが「ルーズソックス」です。
この流行の時 流行の恐ろしさをしりました。
女子高生が 何の目的か解りませんが ひざ下に履くソックスを長いめにして
しわを沢山寄せて(白色) これ見よがしに あの子もこの子も歩きました。
あれよあれよと言う中に 女子高生のスタンダードに成りました。
これも“はやり”でした。 間もなく見たくてもみられ無くなりました。
流行の恐ろしさを見せつけられた気がしました。



susumuito at 10:20|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 20, 2017

平成29年7月20日   米寿に思う(28)(宇宙中継)


平成29年7月20日   米寿に思う(28)(宇宙中継)
未だデジタルの普及していない昭和38年に アメリカから日本へ太平洋
を越えたテレビの宇宙中継が行われました。
11月23日(自分の誕生日の翌日)朝 待ち構えて居たテレビに太平洋を
越えてきた映像が映し出されました。
記憶では寝床の中から 頭を出して観ていました。
ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺
の実況となり 中継のアナウンサーは この電波でこのような悲しいニュース
をお送りしなければならないのは誠に残念です とリポートし、衝撃は全国に
広がりました。
オープンカーの後ろの席に 大統領と夫人が並んで座って居ましたが 銃声と
ともに 大統領の頭がぐらっと下がり 夫人がこれを支えていました。
大事件の陰に 宇宙中継の大事は影が薄れましたが アナログ信号で太平洋
を横断して 中継に成功した事は 歴史に残る事と思います。
宇宙中継の成功は 世界中の出来事が即刻中継できる事を意味しますから
地球が小さくなった一瞬でした。




susumuito at 11:26|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 18, 2017

平成29年7月18日   米寿に思う(27)(電気冷蔵庫)


平成29年7月18日   米寿に思う(27)(電気冷蔵庫)
子供の頃に我が家にも 氷冷蔵庫があったのを記憶しています。
氷屋さんに毎日 1貫目(3,750g)の氷を配達して頂いた様に
記憶しています。
木製の冷蔵庫は中がトタン張りで 上段に氷を入れ下段に冷やしたいもの
を入れていました。 氷の解けた水は 下部からホースで垂れ流しでした。
今でも氷屋さんを見かけますが 冷蔵庫用では無く 食べる為の氷を販売
しているようです。
電気冷蔵庫を始めて見たのは アメリカ製のワンドアーでした。
就職した家電店で 販売目的で陳列していました。
扉の白さは周りを圧倒していました。
国産の電気冷蔵庫は 昭和30年頃に発売になりました。
当初は今の様に冷凍庫は無く 冷蔵庫の中に名ばかりの冷凍室がありました。
冷蔵庫が売れると 自動車の荷台に横倒しに積んで配達し 初期不良が頻発
した事がありました。
冷却用コンプレッサーの中の潤滑油が 上部の冷却機に流れ込み 圧縮気体
の通路を塞ぎ 機能不良に成ったようです。
メーカーから横倒し禁止 最悪上部を持ち上げて積載するように指示を受け
初期不良事件は終わりました。
本格的冷凍庫が付随し 自動霜取りが着き 更には自動製氷も出来るように
なり 大型化し扉も2枚 3枚 4枚と増えて行きました。



susumuito at 16:55|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 17, 2017

平成29年7月17日   米寿に思う(26)(電気釜)


平成29年7月17日   米寿に思う(26)(電気釜)
ご飯の炊き方を“始めちょろちょろ中ぱっぱ 赤子泣いても蓋取るな!”と
母親から教えられ 釜の蓋を取らずに 聞き耳を立てて“みしみし”と言う
音を聞きながら 火を引いた記憶があります。
薪で炊きガスで炊き どんな場所でも ブロックを積んで焚く自信があります。
戦後最初に電気釜を売り出したのは東芝で 2重釜構造でした。
内釜にお米と水を入れ外釜には水のみで 蒸しと温度上昇を感知していました。
暫くしてナショナルが内釜のみの電気釜を発売し(現在の方式) 他社も
これに追随し 2重釜方式は姿を消しました。
電気釜と保温ジャーは別々の商品で販売していましたが 程無くジャー炊飯器 
として 一体型が常識に成りました。
炊き上がれば そのまま保温になり 非常に便利になりました。
タイマー機能も付き一段と便利になりました。
中国の人が 電気釜の爆買をするのも 理解する事が出来ます。
最近は超高級電気釜が発売され 値段も10万円近くに成ってきました。
内鍋を特殊な材料で造り 炊き上がりを良くし 保温性能が向上しています。
電気釜が故障して 修理の為にお預かりすると 貸出の釜を要求されるように
成りました。
鍋釜でご飯を炊く事が出来なく成って来たようです。




susumuito at 11:07|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 13, 2017

成平29年7月13日   米寿に思う(25)(洗濯機)


成平29年7月13日   米寿に思う(25)(洗濯機)
一家の主婦にとっては 家族の衣類を洗濯するのは 毎日の事で大変な
労力を費やしたものです。
昭和27年頃に東芝が発売した P型洗濯機が家庭用洗濯機のはしりだった
と思います。 原始的なもみ洗いで タイマーも付いていませんでした。
昭和30年頃に 英国のフーバー社の噴流式洗濯機が発売され それを真似た
様な洗濯機が 東芝や三洋から発売され 続いて家電各社からも タイマーや
絞りき(手回しローラ式)の付いた噴流式が発売され 洗濯機の普及が大きく
広がりました。
噴流全盛時代に 独りデンソー(現在のトヨタ系のデンソウ)がドラム回転式
の洗濯機を発売しました。 
値段が高かったが よく洗え生地が傷まなくて好評でした。
私も結婚してデンソー洗濯機を愛用していました。
高回転の脱水機付の洗濯機が発売に成って デンソーは次第に姿を消しました。
デンソーは家電に色気を出しましたが 諦めたように思います。
主婦には喜んで迎え入れられて 洗濯機は家庭に浸透していきました。
最近ドラム式で 回転を速くして脱水する 前開き洗濯機が発売に成りました。
ドラムの回転で振動を減らすため 故意に重量を上げ 当初は100kgも
ありました。
最新では ノーアイロン洗濯機が出てくるようです。
乾燥中に強風をあてて しわを延ばす手法の様です。何処まで進化するの?



susumuito at 14:27|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 10, 2017

平成29年7月10日   米寿に思う(24)(ポケットベル)


平成29年7月10日   米寿に思う(24)(ポケットベル)
ポケットベルと言っても 知らない人が多いと思います。
携帯電話が発売に成る前に 苦肉の策として “ポケットベル”なるものが
発売されました。
ポケットベルとは 番号を持ったベルの事で ポケットベルを持っている人を
呼び出すのに 電話のように番号をダイヤルすると 
ポケットベルが鳴るのです。
その呼び出し音を聞いた人は 自分の家に電話して“何か用か?”と
成るのです。
これでも便利さを感じて 私も契約してポケットベルをポケットに持って
居ました。
略して”ポケベル“ と称していました。
僅かの期間で 携帯電話の出現で 消えて行きました。
情報の連絡が如何に多いか? 高度社会の発展と共に 益々多くなり 
その素早い連絡の必要性が 新しいアイディアを生むでしょう。
アメリカでは スマホの新型が発売に成ったようです。



susumuito at 10:39|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 09, 2017

平成29年7月9日   米寿に思う(23)(電信電話2)


平成29年7月9日   米寿に思う(23)(電信電話2)
昭和30年頃は 携帯電話は夢でした。
大阪万博へ出かけた時に たまたま入ったNTTのブースで 携帯電話を
見つけました。
ダイアル電話機の受話器を大きくした様な形でした。
自由にテストが許されていたので 我が家へ発信して会話しました。
携帯するにはやや大き過ぎるように感じました。
最初に取り入れられたのが 携帯電話で無く自動車に積んだ自動車電話でした。
間を置かず 当時のナショナルから 携帯電話が発売になりました。
1台無償提供を受け 歩道を歩きながら得意げに電話を試みました。
当然家電店で販売をすると思っていました。
3台ほど販売もしましたが やがて携帯専門店が出来 家電店の販売は自然
消滅していきました。
最近言われる ガラ系の電話がどんどん普及して行きました。
やがてスマホが発売になり その機能の一部に電話機能が付随して来ました。
ガラ系はお年寄り 若者はスマホと別れて来ました。
スマホはパソコン機能を備え カメラ ムービー^ゲーム TV電話 等を
自在に扱えるので 普及のスピードも速く 且つ ながら操作で大きな事故を
起こしたりしました。
スマホを超えて出てくるものは どんなものか 思いつきません。  




susumuito at 11:41|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 07, 2017

平成29年7月7日   米寿に思う(22)(電信電話1)


平成29年7月7日   米寿に思う(22)(電信電話1)
終戦まで電話機を見た事も無かった。 
戦後隣へ料理屋さんが開業して お付き合いをするようになり ここの電話
を時々借りるようになり 初めて電話の事を知るようになった。
高校3年の夏休みに 電話局にアルバイトに行き 電話通信の概要を把握する
事が出来ました。
まだデジタルが開発されていませんから 番号による回線選択が アナログ
信号で行われていました。
回転ダイヤルで “5”を回すと 回路のON OFを5回し セレクターと
称した特殊なリレーが縦方向に5つ進み 次のダイヤル信号(例えば9)で 
横方向に9つ進みます。
この組み合わせが2つあれば 4桁のアナログ信号の名の一つを選択出来
ます。 局番を含めて6桁の数を選択するのに  リレーの音がガチャガチャ
と交換室は騒音まるけでした。
アルバイトは このリレーの動作を確認する作業で 手元のダイヤルを動作
して縦 横とスムーズに動く事を確認する仕事でした。
現在はデジタル信号で 番号を送受するから リレーは半導体に変わり 無音
の交換室だと思います。
古い電話局はリレーの部屋が空き室に成って 広々していると思います。
デジタルの電話番号の打ち込みは プッシュホンに成りました。
デジタル化は 携帯電話を発展させ 現在のスマホももっと進化するのでは?



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July 06, 2017

平成29年7月6日   米寿に思う(21)(扇風機)


平成29年7月6日   米寿に思う(21)(扇風機)
少年期 戦中 戦後を通じて 扇風機を意識し始めたのは 家電の商いを
始めてからと記憶しています。
一部お金持ちが使用していたようで アメリカ製だったようです。
昭和31年に家電品の販売を始め 暫くして日本のメーカーから扇風機が発売
になり 飛ぶように売れたとはこの事で 自家用まで売って 蚊帳のなかで
団扇を煽いで居ました。
こんな事が二三年続きました。 
蚊帳の存在も 何時の間にか忘れ去ろうとしています。
クーラーのせいか? 環境が良くなったせいか? 蚊帳は見無くなりました。
クーラー(冷房専用で エアコンとは言いませんでした)の出現で 次第に
扇風機はスタンド扇 壁掛け扇 等特殊用途に広がって行きました。
最近では 量販店で 扇風機が目玉商品として 千数百円で販売されています。
信じられない値段ですが 現実に広告に載っています。
扇風機は 消耗品感覚に成って来たようです。
エアコンで 冷えた空気を攪拌する為に使用される事が多いようです。 
昨年辺りから 直流モーターを使用した扇風機が ちらほら目につきます。
無段階にスピードが調整出来るようです。
其の内に AIを取り入れた扇風機が出てくる様に思います。




susumuito at 09:17|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 04, 2017

平成29年7月4日   米寿に思う(20)(テレビ)


平成29年7月4日   米寿に思う(20)(テレビ)
この世で最初に見たテレビの映像は 勤めていた会社が 販売を目的に
東京の大倉商事から仕入れた アメリカのRCA製のテレビでした。
日本ではテレビ電波が 夜のみ出されていて 試験受信が出来るように成って
いた様に思います。
アメリカとは周波数が違うので 放送電波の出ている時に チャンネルコイルを
いじって 放送が受かる様に調整したものです。
国産のテレビは皆無ですから 非常に珍しいものでした。
NHKの名古屋放送局からも 見学に来たほどでした。
カラーテレビはもっと後の話で 勿論モノクロテレビでした。
何故映画の様に動画が映るのか 見る人は皆不思議がりました。 
中に何が入っているのだ?と質問する人も有りました。
二三年遅れて 日本のメーカーも発売を始め 放送も全日放送になりました。
テレビを販売する電気店は 否応なしにテレビの原理を勉強させられました。
各メーカー毎に勉強会が開かれ 猛勉したものです。
真空管式テレビの故障診察と 症状から見た修理法など 即応テクニックを
教えて戴いたものです。
放送の内容も 当初は日本の放送局自体が初めてのことで あまり内容の濃い
番組は無く 簡単に映せる内容のものが殆どでした。
従って面白いのは 完成度の高い アメリカで造られた番組でした。
先進国アメリカの生活などは 非常に興味を持って観ました。 



susumuito at 11:47|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 03, 2017

平成29年7月3日   米寿に思う(19)(記録)


平成29年7月3日   米寿に思う(19)(記録)
音を録音するテープレコーダーが発売に成ったのが 昭和30年に入る少し
前だったと記憶しています。
紙テープに鉄粉を塗布した帯状の記録紙に アナログの音声信号で磁化して
記録しました。 紙テープは間を置かず ビニールテープに成りました。
記録 録音と言う言葉が 新鮮に聞こえたものです。
テレビが発売されて 映像を記録する必要が生まれ ビデオレコーダーが
開発されました。
この記録も テープに磁化する方式で アナログの映像信号と音声信号を
記録するために テープの幅が広くなりました。
ソニーがベータ方式 ビクターがVHS方式で お互いが競い合いましたが
ナショナルがビクターのVHS方式を採用して VHS方式に軍配があがり
映像の記録方式はVHS方式に統一されました。 ソニーのベーター方式は
一部のマニアに愛されましたが 次第に影を薄めて行きました。
VHS方式は永い間 その座を維持して来ましたが デジタル技術の進歩は
その記録を容易にし 音楽はCDに映像はDVDに 更には半導体メモリー
へと大きく変化して行きました。
カメラフィルムの代わりが メモリーに成り スマホの便利さが進歩しました。
このメモリーはパソコンで読み取ることが出来 プリンターで直接内容を印刷
することが出来るようになりました。 デジタルの開発と進歩は 
その記録方式の開発と共に 人類社会に大きく 貢献するでしょう。 



susumuito at 11:25|Permalink自由な書きこみ | 回顧録

July 02, 2017

平成29年7月1日   米寿に思う(18)(写真機)


平成29年7月1日   米寿に思う(18)(写真機)
写真機の事をカメラと呼ぶように成ったのは 戦後の事のの様に思います。
子供の頃は 特定の人が写真機を持っていて 何かのきっかけで“写して
やろうか“ ”写して“で 素人写真を写してもらったものです。
家族写真や記念写真は 写真館へ出かけて写したものです。
其の頃はフィルムの時代ですから その日に結果を見る事は
出来ませんでした。
カメラ屋さんへ フィルムを持ち込んで 現像してもらい そのフイルムの
焼き付けを注文して やっと写真が出来上がる訳です。
しかし最近は スマホでパチリ メモリーからプリンターを通じて はい写真!
待った無しで出来上がる時代に成りました。
ソニーが開発した撮像素子(CMOSセンサー)はデジタルと共に 映像社会に
大変革をもたらしました。
フイルム式カメラと現像 焼きつけが無くなったカメラ屋さんは 次第に姿を
消して行きました。
CMOSカメラに追随したのが カラープリンターです。
パソコンと共に発売に成ったプリンターは ドットプリンターで 大きく重く
値段が高く とても普及は難しいと思って居ましたが 次第に開発が進み
インクジェット方式とか レーザー方式で 値段も安くなり パソコンには
付き物の様に プリンターが普及しています。
プリンターと言えば カラープリンターが当たり前の時代に成っています。
当店の年末のチラシは 自家プリンターのよる印刷をもう数年続けています。



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June 30, 2017

平成29年6月30日   米寿に思う(17)(デジタル2)


平成29年6月30日   米寿に思う(17)(デジタル2)
此の世に数を表すのに “0”と“1”しか無いと 2、3、4、5、を
2進数で 10,11,110,111 で表す事になり 大きな数は
桁数が膨大になります。
しかし この信号は1と0のみですから 信号としては大きさが問題で無く
信号が 有るか 無いか が判読できれば良い訳ですから 遠距離通信には
最適な訳です。
更に半導体IC(集積回路)の開発が進み アナログデジタル変換がIC一つで
出来る様に成り アナログのデジタル化は急ピッチで進み 音楽のCD 映像の
DVD 等 デジタル化は普通に成りました。
デジタルをアナログに戻すのも DA変換ICによって 難無く行われます。
今日のニュースで ソニーがアナログのレコード盤を発売すると出ていた。
オーディオマニアの中には デジタルに変換した音が気に入らない 源音から
ずれていると批判する人の為らしい。
レコード針がレコード盤に刻まれた アナログ信号を拾って再生するので
スクラッチ音(レコード盤と針が擦り合う音)を気にしなければ その通り。
レコード盤から 音を再生出来るのが 分り易いアナログ信号です。
アナログ信号は コピーする毎に波形が乱れて行き 音が崩れたり 映像が
乱れ 絵に成らなかったりします。
デジタルは何度コピーしても 音が歪んだり絵が乱れたりする事はありません。
デジタルの登場は この世の生活に大改革をもたらしました。



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