2011年03月02日
雄悟先輩 山梨県高野連会長賞受賞
文武両道を高く評価され、連盟会長賞を受賞した。県内屈指の進学校、甲陵に進学、高いレベルの授業の中で、野球部に入部、主将4番エース投手として活躍した。
卒業での生徒会誌に先輩から野球部の活動報告が寄せられていた。
ー抜粋ー
2年前の秋、部員が2人となってしまった時は、もうどうしていいかわからなかった。2人で何ができるというのか。10年以上野球に捧げてきた自分から野球がなくなるなんてことは考えられなかった。苦悩といえば、レギュラーになれない、あるいは試合に勝てないということだったのが今度は「野球ができない」ということに変わってしまったのだ。
エラーして怒られることよりも、ひたすら走らされることよりも、なによりもつらいことであった、それが13人の仲間と共に最後の夏に挑めたのはどれだけ嬉しかったことか。他の学校よりもボールに触れている時間は短かったかもしれない。でも野球から学んだことは決して少なくなかった。 野球ができる喜びや仲間の大切さを誰よりも学ぶことができたのは甲陵だったからだ。ー抜粋ー
最近、楽しそうに白球を追いかけている小学生の従兄弟を見ていると、もの寂しさを感じる。
しかし、仲間と共に汗を流した日々や野球ができる喜びを味わいながらグランドを駆け回った日々は、永遠に心の中に残っていくだろう。 -抜粋ー
最後に部員がいなくて困って道具が足りないといえば古くなったグラブ、スパイクを譲ってくれた中学時代のチームメイト、忙しい中にも指導してくださった先生、あたたかく見守ってくれた家族、マネージャー、そして共に戦った仲間、多くの人へ感謝を伝えたい。
8回で終わってしまった夏。引退した僕らの将来、後輩たちの今後の活躍をあと1イニングに託す。まだ僕たちの試合は終わっていない。
野球の本当の姿だと思う。投稿を読んで、思わず目頭があつくなった。自慢の教え子というには申し訳ない。いい仲間、いい野球人である。
雄悟は、本当の意味で、心の甲子園に立ったと思う。
卒業での生徒会誌に先輩から野球部の活動報告が寄せられていた。
ー抜粋ー
2年前の秋、部員が2人となってしまった時は、もうどうしていいかわからなかった。2人で何ができるというのか。10年以上野球に捧げてきた自分から野球がなくなるなんてことは考えられなかった。苦悩といえば、レギュラーになれない、あるいは試合に勝てないということだったのが今度は「野球ができない」ということに変わってしまったのだ。
エラーして怒られることよりも、ひたすら走らされることよりも、なによりもつらいことであった、それが13人の仲間と共に最後の夏に挑めたのはどれだけ嬉しかったことか。他の学校よりもボールに触れている時間は短かったかもしれない。でも野球から学んだことは決して少なくなかった。 野球ができる喜びや仲間の大切さを誰よりも学ぶことができたのは甲陵だったからだ。ー抜粋ー
最近、楽しそうに白球を追いかけている小学生の従兄弟を見ていると、もの寂しさを感じる。
しかし、仲間と共に汗を流した日々や野球ができる喜びを味わいながらグランドを駆け回った日々は、永遠に心の中に残っていくだろう。 -抜粋ー
最後に部員がいなくて困って道具が足りないといえば古くなったグラブ、スパイクを譲ってくれた中学時代のチームメイト、忙しい中にも指導してくださった先生、あたたかく見守ってくれた家族、マネージャー、そして共に戦った仲間、多くの人へ感謝を伝えたい。
8回で終わってしまった夏。引退した僕らの将来、後輩たちの今後の活躍をあと1イニングに託す。まだ僕たちの試合は終わっていない。
野球の本当の姿だと思う。投稿を読んで、思わず目頭があつくなった。自慢の教え子というには申し訳ない。いい仲間、いい野球人である。
雄悟は、本当の意味で、心の甲子園に立ったと思う。
suwadream at 16:08│