よっしーのそれでも明るく生きていく

よっしーです。ぼくは統合失調症です。心の病をもつ僕が思ったこと、考えたことを徒然なるままに書き綴っています。気楽にこんな考え方もあるんだなーと遊びに来てください。

言葉のちから

 みなさま、おはようございます。お元気ですか。よっしーです。気がつけばもう12月も中旬ですね。早いものです。我が家でも年末や正月にむけすこしづつ準備が進んでいます。よっしーも年賀状の準備はできました。あとは投函するだけです。仕事のほうはおかげさまで普通です。勤務がシフト制になりちょっときついときもありますがなんとかなりそうです。

 さて、よっしーはこのブログを始めさせていただき数年になります。その間にいろいろな想いをみなさんに贈らせていただきました。よっしーは言葉を贈り物にしたいと想っています。

 このよっしーのブログに遊びにきてくださるご縁が会った方は様々な想いや状況をかかえられた方だと思います。最近ではよっしーも心の病についてふれることもすくないですが、もともと自分の統合失調症についてのさまざまな想いからこのブログを始めさせていただきました。

 ですから、このブログにご縁が会った方もこころの病をお持ちの方もいらっしゃることでしょうね。よっしーの贈らせていただく言葉がこのブログに縁があった方にすこしでも生きる力や喜びになれば、そう思い言葉を綴らせていただきました。

 いま 死にたい あなたへ という記事もあります。よっしーの過去の記事のなかで一番コメントの数も多いものです。死にたいほど苦しいかたになんらかのお心に触れるものがあったのでしょうか。よっしーはけっして、死にたいと思っている方に頑張れとお伝えするつもりはありません。ただ、あなたはそれほど辛いのですね、苦しいのですね、よっしーも側にいますよ。そんな気持ちです。

 また、よっしーの過去のカルト宗教体験についてふれた、あの日もこんな天気だった、という記事もいまでもアクセスがありますね。偶然にもよっしーの入信していた世界真光文明教団の信濃方面の元信者さんからもコメントをいただくことがありました。よっしーとしては信濃方面の元真光信者さんのネットワークも作りたい、お互いの辛い過去を乗り越え支えあう集団も作りたいとおもっていますが、どうすればいいのかわからないので、、この場所でときおり過去について想うことをのべさせていただいています。

 言葉というものは絶望の淵にある方を生きる気力をあたえることもできるでしょう。また、喜びの頂点にいらっしゃる方を一瞬で落とすこともできるでしょう。いまのネット社会ではその匿名性から簡単にブログやツイッターが炎上し言葉が人を苦しめることもあります。 

 また、韓国などでは芸能人の方に一般の方が様々な誹謗中傷をネットでおくり自殺させてしまったという記事も読んだことがあります。言葉は使い方により人を殺す凶器にもなります。言葉とは人を生かしもし殺しもします。よっしーは言葉というものを大切にして、あなたへの贈り物でありたいと想っています。

 また、よっしーはこのブログがご縁でメールのやりとりをさせていただいている方もいます。電話で話しをさせていただく方もいますが、主にメールだけのやりとりです。その方たちもいろいろなものをもちいろいろな想いを送ってくださいます。言葉だけ、メールだけのつながりですが、それでも言葉には力がある、とよっしーは感じます。よっしーが想うのは生きているだけで、あなたは今のままのあなたでいいのです、ということです。孤独を感じていらっしゃる方、自分がいてもいなくてもどうでもいいと思われるかた。生きるつらさを感じるかた。それでも、それでもやはりもう少し生きてみようかなと、想ってくださる方。携帯のメールでも使い方では人に生きるちからを与えてくれるツールになれると思います。

 かくいうよっしーも日々迷いの連続です。死にたいと想うこともあります。人を怨んだり過去を後悔しすぎたりすることもあります。よっしーはたいしたことのない人間です。虚栄心も強いです。自己顕示欲もあります。人に、すごいね、といわれたいと想う気持ちもあります。まわりの方に無視されたりぞんざいにあつかわれるとその方を怨んだりもします。そんなたいしたことのない人間です。そんなたいしたことのない平凡な人間ですが、あなたへの言葉は贈り物でありたいと思い、きょうもキーボードに向かっています。

 よっしーもまた、言葉のちからを信じたいと思います。そして、ともにこの時代、この日本にうまれこうしてご縁が会ったあなたとともに生きて生きたいと思います。よっしーもいつかは土に還るときがきます。そのときがいつかはわかりませんが、それまで、こうしてご縁があったあなたに、言葉を贈らせつづけさせていただきたいと思います。

 では、今日の話はこれくらいにしたいと思います。今日もよっしーの話におつきあいくださりありがとうございます。あなたに感謝します。ありがとうございます。

 みなさん、おはようございます。お元気ですか。よっしーです。今は朝の4時。早朝覚醒です。よっしー、仕事のあるときは朝まで眠れますが、なぜか仕事が休みの日は朝までゆっくり寝たいと思いましても早朝覚醒します。昨日はある人気ブロガーさんのブログを読んでいました。主婦の方の絵日記ブログですが、嵐の東京ドームコンサートに娘さんと参加されたことが書かれていました。大変面白くよませていただきました。また、あれだけ熱く夢中になれるものがあるのはすごいと思いました。よっしーの友人で乃木坂46さんや欅坂46さんのファンの方がいますが、ああいうエネルギーがわくものがある、夢中になれるものがあるということは生きていく上で素敵なことだと思いました。

 さて、縁ですね。不思議なものです。今こうして沢山のブログの中からあなたが、よっしーのブログをお読みくださっているのも不思議な縁ですよね。

 よっしーもこのブログをはじめさせていただき数年たちますが、ご縁があった方、一度は結ばれた縁でも切れたかた。いろいろな方がいらっしゃいました。

 また、よっしーはどうも、縁というのは物理的な距離は関係ないのではないかとおもいます。よっしーは以前職場の女性従業員の方をお食事にお誘いしたことがあります。別につきあいたいとかそういう気持ちは全くなく、ただ職場を離れたところでゆっくりお話でもしたいなという軽い気持ちでした。その方ははっきり断るでもなく、なんだかよくわからないうちに、食事の話もうやむやになりました。よっしーも特にこだわっていたわけでもないので、ああご縁がなかったのだなとわりきりました。ただ、この経験からご縁というものがなければ近い距離である職場の方でさえ近くなることがないのだと思いました。

 考えてみれば、よっしーがこのブログを通して親しくさせていただいているお友達の皆さんもだいたい物理的な距離はかなりあります。それでも親しくおつきあいさせていただいているのですから、人の縁の不思議さをかんじないではいられません。

 また、過去にも一度は親しくなった方でも自然と疎遠になった方もいらっしゃいます。そのような方とは、ああご縁がなくなったのだなとわりきり特に深追いもしません。

 このブログを通して人と人の縁の不思議さを感じないではいられませんね。よっしーも人とのご縁を大切にして誠実なおつきあいをさせていただきたいと思います。

 では、今日の話はこれくらいにさせていただきたいと思います。今日もよっしーの話におつきあいくださり、ありがとうございます。あなたに感謝いたします。ありがとうございます。

 

足りなかったのは努力ではなく感謝でした

 みなさま、おはようございます。お元気ですか。よっしーです。今日で十一月も終わりですね。いよいよ明日から年末ですね。季節ももう冬といっていいかもしれませんね。昨日の静岡は比較的に暖かく穏やかな天気でした。よっしーの仕事の十二月のシフトが発表されました。4連勤が2回あります。ちょっときついですが、まあ十一月は比較的にゆっくりさせていただきましたし、なんといっても年の瀬ですから忙しくもなりますよね。なるべく欠勤しないようにしたいと思います。

 さて、今の日本では小学校から中学、高校、大学、会社などでも努力が大切という暗黙の刷り込みがされています。夢や希望を描き努力して実現することが尊いこのなどだ、無意識のうちに刷り込まれそのように行動させられています。でも、本当にそうでしょうか。

 世の中には人の十倍も二十倍も努力して物事がスムーズに流れうまくいっている方がいます。その一方で人の十倍も二十倍も努力してもやることなすこと失敗だらけとう方もいらっしゃいます。もし、本当に努力が大切ならすべての努力している方は報われるはずです。しかし、実際には報われない努力をかさね、そのうえで物事がうまくいかないのは、まだまだ努力が足りないからだとさらに努力をしようとする方もいらっしゃるでしょう。

 まさに、よっしーがそうでした。よっしーは中学や高校の頃はがり勉でした。勉強が好きというわけでもなかったのですが、とにかく高校生の頃は休み時間や昼休みも英単語の暗記をしたり、図書室で勉強をするなど努力してました。しかし、努力しても成績は全く上がらず、挙句の果てには大学受験に失敗し一浪しました。幸い予備校に通い翌年には大学に受かりましたが、報われない努力がおおかったように思います。

 また、思春期はよっしーは精神的に辛い時期でした。極度の劣等感に悩まされ、いじめはうけませんでしたが、本当に苦しかったです。そして、その苦しみから逃れたくいろいろ精神に関する本を読んだり、瞑想したり、おもいつくかぎりのあらゆることをしました。しかし、劣等感も解消しませんでした。そして、宗教に入ればこの苦しみが解消するのではと、新興宗教に入りたいと思い続けていました。

 とにかく、努力教の信者でしたね。しかし、まず、加藤諦三さんの本を読み、努力にはしたほうがいい努力と、しないほうがいい努力があるという言葉に出会い衝撃をうけました。そして小林正観さんの本を読み人生に大切なのは努力ではない、という言葉に出会いさらに衝撃をうけました。

 小林さんは、世の中には人の二十倍も三十倍も努力してしかも感謝をして物事がスムーズに流れている人がいる。その一方で人の二十倍も三十倍も努力しても物事がうまく流れない人がいると、その著書のなかでおっしゃられています。そしてでは努力をやめて感謝だけで物事がうまく流れるか試してみたそうです。その結果感謝だけで、全く努力しなくても生きてこれたそうです。

 よっしーに足らなかったのは努力ではなく感謝でした。それから、よっしーは完全には実行できてはいませんが、心のありようとしては、うらまない、憎まない、呪わない。言葉としては愚痴、不平不満、文句、悪口、泣言を言わないこと。そして感謝することを心の方向性として取り入れています。そして、よっしーが感謝の実践として今、行っていることは朝起きた時と夜寝る前に、神様、仏様、守護霊さま、精霊さま、友人、知人、家族、自分の体に感謝の祈りをささげること。毎日、神社にお参りさせていただき、ただ神様にありがとうございますと感謝をもうしあげさせていただくこと。そして一日に千回くらい、ありがとうを言うこと。などです。

 よっしーに足りなかったことは努力ではなく感謝だったのではないでしょうか。今の日本の社会は、夢や目標をたて、努力して実現すること、頑張ることが尊いことだという刷り込みがされています。人は努力することが大切で努力しないやつは馬鹿がくずだ、という刷り込みがされているのではないでしょうか。

 しかし、努力の反対はなんでしょうか?怠けですか?違います。努力の反対は感謝です。よっしーは努力することが悪いとは言いません。たしかに個人の趣味や嗜好として努力して頑張ることが楽しい、好きだという方はそういう方向性で生きていかれればいいと思います。しかし、そのような方法論では行き詰まる方はいませんか?よっしーはそうでした。そのような方は生きる方向性を今一度検討されてみたらいかがでしょうか。

 努力の反対は怠けではありません。感謝です。自分の力だけを信じ努力するよりも、神仏や守護霊さまなどに感謝して天上界の応援をいただいたほうが楽です。そして人は楽に楽しく生きていいのです。努力して眉間にしわを寄せ生きるより、感謝して笑顔で楽しくいきるほうが得なのではないでしょうか。得に生きるほうが徳です。

 あなたに、努力して頑張るなとはいいませんが、感謝して楽に楽しく生きるほうが得ではないですか?

 では、今日の話はこれくらいにしたいと思います。今日もよっしーの話におつきあいくださり、ありがとうございます。あなたに感謝します。ありがとうございます。

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