今回のブログは昆布、桃々さん、じっちーさんの3人で担当させていただきます。是非最後までお付き合いくださいください!
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こんにちは今回のブログを担当させていただきます、総合政策学部2年吉川昂希です。
ブログを書く順番が回ってくるのが思ったよりも短くて驚いています笑
さて前回の研究会では、各々タイポグラフィーを作りました。56の触覚の文章からそれぞれが感じたことを表現しました。
自分は文章の言葉を少し変えてニュアンスの違いに注目しました。
最初は、全部漢字に直してみました。最初のバスとかだったら、大型自動車にしてみたり、ひらがなで書いてあって、漢字に直せるところは直してみました。全文思いつくままに、漢字に変えていきました。
正直、全然しっくりこない、、、ぴくぴくとか漢字でどうやって直したらいいか全然わからない。悩んだ末に、「小刻みに動く」と書き換えたけど、なんか違う。ぴくぴくは体が動いているし、動いているものの中には血が通っている感じ。きっとそのぴくぴくしているものは触れると温かいと思う。
でも、「小刻みに動く」はもっと冷たい。自分の体からの距離が遠すぎて、体温を感じれない。やっている時は思いついて自慢気になったけど、見返すとまるで違う。
今度は逆に、全文をひらがなやカタカナに直してみる。いったん、カタカナの部分はひらがなにしてみたり、ひらがなの部分はカタカナに直してみたり。漢字はどっちにも直してみて、しっくりきた方を書いてみる。
こっちは逆に結構気持ちいいものが多かった。特に、自分のお気に入りは電線。
電線の場合だと、「でんせん」か「デンセン」に書き換えができる。自分はカタカナの電線を見た瞬間に「これが電線だ!」と思った。
簡単に言うと、カタカナの方が電気感があると思ったから。「デ」の濁点の部分は電気が走る驚きを伝える。「セン」は静電気が体に走る速度を伝えてくれている。それでいて、「デンセン」は斜めの字体で書いて、デンとセンは左右に少しずらして書いてみたいと思った。
それでいくと有刺鉄線はどうだろう。第一印象は電線と近い感じがしてる。電気は走っていないけど、あのトゲのびっくりする感じが少し似てると思った。
いざ文字に起こしてみる。
「ゆうしてっせん」 「ユウシテッセン」
いやひらがなの方が面白いかも。ひらがなになるとすごく柔らかくなって、可愛い。
「子どもが触っちゃダメ」って言ってる感じがする。カタカナだと、トゲだけじゃなくて電気流れちゃってる。多分触れたら失神するタイプ。
有刺鉄線って意外と触れることが前提のもの。見るとちょっとトゲに触りたくなる。それがひらがなの方がうまく表している。
こんな感じで全部カタカナやひらがなに直してあげると、字が意味だけに囚われていたのが一気に体感と近しいものに変化した気がした。言葉って深い、、、
さ、準備は整った。いざタイポグラフィる。
、、、、
字の表現の仕方はわかっているのに、色の使い方がわからない。全然伝わらない。。。。今の自分の作品はタイポグラフィって感じ。本当に作りたいのはたいぽぐらふぃだな。次回はたいぽぐらふぃに近づけよう。
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こんにちは、環境2年の岡崎桃々です。ずっとオンラインだったので、正直まだ対面に慣れていません。
前回の研究会は個人での作業がメインでした。56番「触覚」の文章中からのタイポグラフィです。皆さん黙々と取り組んでいましたが、自分自身も全く余裕がなく、完全に沈黙して作業を終えました。ああでもないこうでもないと色々試行錯誤しながら作業をしましたので、折角ですからその間の思考を共有できたらと思います。
まず、スタートの画材選びから大いに悩みました。画材と言っても、「水彩か油彩か」とかそういうものとはちょっと違います。自分の最初の選択肢として、アナログかデジタルかという二択があるんですね。既に多くの方がお分かりかとは思いますが、デジタルはアナログとは異なり、コンピュータ上でイラストレーションソフトなどを用いて作成する方法のことです。自分が普段から慣れ親しんでいるのはデジタルのイラストソフトなので、何も悩まずさっさとPCを立ち上げて描き始めろという話ではあるのですが、そう簡単にも決められない理由がありました。前述しましたように、今回のテーマは「触覚」です。手触りが生まれないデジタルには少々不利なお題ですよね。自分の慣れ具合と引き換えにしても、手触りを捨てるのはちょっとなぁ、とかなり渋りました。
でもまぁ結局、さんざん悩んだのちにデジタルに決めました。技術的な問題で表現したいものが表現できない、ということがあったら後々後悔しそうだということで、慣れ親しんだツールを選択した次第であります。実際、デジタルは自分の制作スタイルにはあっていたように思えましたね。思った色味が確実に出ますし、後から修正が簡単にできますから、「とにかく手を動かしてから、違うなと思ったらちまちま変えていく」という方法にマッチしていたわけです。
さぁ、いざ真っ白なキャンバスに向かってタッチペンを構えたわけですが、手が動きません。思いつくまま描けばいけるだろうと思っていたのですが、そう甘くはありませんでした。文を読みながら「なんとなくこうしたい」というものは思いついていたのですが、それをキャンバスのどこに配置するかまでは考えていなかったんですね。仕方がないので、とりあえずキャンバスを本来より大きめのサイズに作り直して、書けそうなところから書いて後で構図を決め、本来のサイズに戻していくという方針にシフトしました。
ちなみに、文章中から選択した箇所は「そのほかにも、びくびくと~撫でることもできる。」の部分でした。他にも同じ箇所を選んだ方がいらしたので、是非理由を訊いてみたいですね。自分は、一つのモノに対して様々な形容が連続して現れる様が愉快だったので選びました。それに、読みながらタイポグラフィしやすそうな要素が特に多いなと感じていた箇所だったんです。「間の抜けた騒音を吐き出す長い筒状の物体」のところなんて最高にやりやすそうじゃないですか。次週のお披露目のネタバレになってしまうとよろしくないので具体的には書けないのですが、筒状の物体をかたどった文字から「騒音」が吐き出されているさまがありありと目に浮かんでいましたね。
さて…。本当は考えていたこと全てを書く予定だったのですが、まだ真っ白のキャンバスを目の前にしている段階を振り返っている時点でこの文章量になってしまいました。全て書いていると本当にキリがなさそうなので、残念ですが、作業中一貫して持っていた方向性だけ書いておしまいにしようと思います。以下の通りです。
まずテーマとして「触覚」なので、あまり視覚的な具体性をもったタイポグラフィにしたくはありませんでした。しかし、文字という具体的なモノを書かなくてはならないので、抽象絵画のような作風するのは難しい。そこで、文章全体の持つバスの話の文脈を完全に無視し、そこにある文字情報のみを忠実に描き起こすことで、夢で見る世界のような「繋がりを持たない」という具体性の無さを演出できないか、と発想しました。例えば「螺旋状に編まれた細い毛羽立ったもの」の部分について、元の文脈ならきっと帽子のことだろうと思われるところを、それを無視して徹底的に「螺旋状に編まれた細い毛羽立ったもの」を文字で表すことにしたわけです。そして、それぞれの文字のフォントや配置によるデザインを行ったあと、背景色・模様によって文字に与えたいキャラクター色を強めることにしました。例を挙げるならば「間の抜けた騒音を吐き出す」の場合には、気持ち悪さやはっきりしないキャラクターを与えるために背景に黄色や緑の渦巻き模様を配置する、といった具合です。文字に加え背景にも、具体的な関係性や規則性のようなものは持たせたくない、と考えていたように思いますね。こう振り返ってみると、自分の制作テーマは「夢っぽい脈絡のなさ」だったかもしれないなと感じます。
まだまだ書き足りないですが、今日はこのくらいにしておきたいと思います。皆さんのタイポグラフィを見るのが待ち遠しいです!私からは以上となります。
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こんにちは。
環境情報学部4年の伊地知真優(いじちまゆ)です。ブログを書くことが久々すぎて、どうやって書くのか忘れました、、なので、文脈がぐちゃぐちゃでも目を瞑ってもらえると嬉しいです。
ブログ恒例の最近のこと報告から始めると、私は体育会端艇部でボート競技をしています。埼玉県の戸田市に部員全員で寮生活をしながら日々頑張っています。この生活にもすっかり慣れてしまい、実家よりも居心地がいいのでは?!と最近は思っています。この居心地の良さを獲得するまでに色々試行錯誤して、ベットの位置とか物の配置とか時間の使い方とか、これはメタ認知するべきかなと今思いました。
しかもついに自分も4年生になってしまい、4ヶ月後にある引退試合を残すのみとなってしまいました。最近は、「あーこれ最後なのかな」とか思いながら生活していて、部員からは「思い出に浸るのはまだ早すぎるよ」と言われます。最後、笑って終われるように頑張りたいです。
本題に戻ると、先週はタイポグラフィーの制作を行ったと聞きました。先週は大会で参加できなかったので、家にボードを持ち帰って作りました。
最初は、触覚の文書がコピーしてもらった紙の文体にしか見えなくて、とても困りました。なので、一回放置しました。それで、1週間後に再びその文書を見たときに、色んなものが浮かんできて、この差異はなんだろうと思いました。この1週間に起きた出来事とのつながりがあるのか、その時の注目地点が違うのか、流れるように文章を読むことができました。(前半の方だけ)
流れるようにと文字にした部分は、舌で絡まし、歯で噛み砕き、喉仏に触れ、食堂を通って、胃に流れるように文書を読みました。1つの物体を感じながら、取り込みながら、少し理解しながらからだの中を流れるように文書を読んだからかなと思います。
あと、モノを取り込むのも、用意してから取り込むのと、用意しないで取り込みたいと思うのかは違うなと思いました。家にあるものをとりあえず机の上に並べてみてから、もう一度文書を読んだときに、これを取り入れたいと思えるものに出会えました。でも、それは目の前にモノを準備したから繋がったという結果論で、無数の選択肢の中からこのモノを選んだわけではないなと。これは果たして100%合っているのか。そんな考えにも至りました。
次回はタイポグラフィーを持ち寄ってみんなで議論するらしいので、みんなのタイポグラフィーを見るのが楽しみです。みんなの見てから、またタイポグラフィーしたら、どのくらい自分のが変わっているのか、何に影響されたのかとかも知りたいなと思いました。