俺が研究にしてやる。

慶應義塾大学諏訪正樹研究会の、メタ認知な日々。

今回は、まだコンビ名は決まっていませんが来年のM1予選に出場予定の、川嶋・木村ペアでお送りいたします!


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えー、皆さま、おはようございます。こんにちは。こんばんわ。毎日、お疲れ様です。川嶋です。


梅雨だなあと思っていたら、先日急にムッチャ晴れました。さんさん太陽、紫外線が降り注ぐ中で練習をしたせいで、現在僕の肩、首並びにほっぺたがまっかっかになっております。チークいらないなって感じです。


ご希望に沿って、最近のガジュマルについても少し触れます。

全然元気がないガジュマル。その原因について、前回は僕のメンタルが影響しているのではないかという仮説を唱えました。

その後改めて考えてみると、単純に、もっと日光を浴びさせた方がいいのかもしれないという結論に至りました。ですので、最近は積極的に日向に置いています。ガジュマルはもともと沖縄の方の木なので、日光が大好きらしいです。


すると何ということでしょう。

葉っぱが黄色くなったり、所々茶色くなって穴が空いてしまいました。いや何でやねん。日光好きって言ってたやん。


気になってよくよく調べると、いきなり夏場の日光を当てると刺激が強すぎて、葉焼けという現象が起きてしまうそうです。

ああ、これか、と。やらかした、と。


僕が日焼けで苦しんでいると思ったら、ガジュマルも葉焼けに苦しんでいました。

ガジュマルの状態には僕のメンタルが影響する、というよりも、メンタルのみならず状態そのものが影響すると言えるのかもしれませんね。




前回は、宮川大輔さんのすべらない話を聞いて、各班が考えたことを発表するという回でした。


聞いていて面白い話と、面白くない話は何が違うんでしょうか。


僕が面白いなあと思う話に共通するのは、「オチが最後まで見えない」という点です。




では、オチを途中で見せないためにはどうしたらいいのでしょうか。


「終わりから思い描くこと」


これに尽きると思っています。


当たり前のことを言っているかもしれませんが、とっても大事なことです。


みなさん、このすべらない話を最初に聞いたときと、2回目以降聞いたときとでは浮かぶ映像が全然違ったと思います。ここにヒントが隠されていると思っています。


この映像の違いを作るために芸人は言葉を選んだり、言い方を変えたりしているのではないでしょうか。


話し手には、終わりから考えたときに浮かんでいる映像があります。これがすなわち、僕たちが2回目以降に浮かぶ映像です。その映像を、聴き手に全く描かせないように、話し手は話すんです。

姪っ子の話なんですけど、と言って映像の中心に姪っ子を置かせたことは、わかりやすい例だと思います。


だからこそ、このお題に対して諏訪さんは「映像を撮るなら、という視点も必要」とアドバイスされたのではないでしょうか?


「撮るなら」という視点を持つことで、話し手がはじめに終わりから思い描いていた映像に迫ることができます。

この映像と自分が最初に浮かんだ映像とのギャップを考えることで、どうしてこの言葉を使ったのか、どうしてこの表現にしたのかを考えることができて、芸人の思考に迫ることができます。その思考に迫ることが、芸人の技や大輔さんの技を見つけることにつながるというわけです。


ですので、僕たちが面白い話をしようと思ったら、聴き手の頭の中の映像をいかに違うものにするか、それを考える必要があるということです。



冒頭のガジュマルの話、僕的には面白い話をしようと思って書きました。ですが、面白くないですねこれ。おそらく、ほとんどの方がオチが途中で読めてしまったのではないでしょうか。(何ならオチと呼べるほどのものじゃない?!?!?!?)


全然面白くないです。


僕は、この文章を書いていて、最初に思い浮かんでいる映像を読み手にも同じ順番で同じ映像を思い浮かばせようとして書いてしまいました。

それじゃダメなんですね。いかに、僕の映像と乖離させるか。ここに技量が求められているんです。




さて、前回が今学期最後の研究会でした。

今学期はMind in motionから始まり、ジェスチャー、すべらない話、など多岐にわたる内容を議論しました。


僕が最近感じていることは、日常が面白くなったなということです。日々の会話でも、ジェスチャーを気にして話を聞いちゃったりします(笑)


日常の何気ない行動こそ分析のしがいがあるなあ、そう思えた一学期間でした。


ありがとうございました!!!



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こーんにーちわーーー!!!(うるせーよ!)

お久しぶりです。4年の木村です。トリにふさわしい男でーす。よろしくお願いします!

ブログ書くのが久々すぎて、つい大声で挨拶をしてしまいました。(聞こえねーよ)


私はまだ就活を終活できていないんですが、終盤に差し掛かってきて就活ってなんだったんだ。と思うことが最近多いです。


就活始めた当初は、選考の前半で落ちていたのですが、最近は少しずつ上の方に進めるようになりました。


この理由とは、やっていくうちに自己分析できて、自分が何をやりたいか明確になってきたからじゃない??などと友達に言われるのですが、「んーーー??そうかな」て思います。




事実、やりたいことはブレてないし、明確にあるか。と言われたらない。

けど、やっていくうちに変わったことが一つあります。




それは「面接のテクニック」がわかってきた。それだけです。


このことについては、本題で触れようと思うので、前振りとして置いときます。






それでは本題です。


今回は春学期最後の授業でした!

(最後なのに、会えてない研究会メンバーたくさん・・・)


内容は前回の続きで、宮川大輔のすべらない話(痛いの痛いの飛んでいけ)を聞いて、

そこに現れる宮川大輔のスキルを見つけ、グループごとに発表することをしました。


何も意識してないと、「面白いな!」としか思わなかった話の中にも、

普通に話しているように見えて、たくさんの技術・スキルが隠されてるなと実感しました。




そんな分析をして思ったことがあります。

「俺、就活、すべらない話みたいに話してたわ」です。


今回の考察で、宮川(芸人のほとんど)はすべらない話をする際、前半に前提条件をしっかり述べて、聴いている人たちに情景を浮かばせてから、そこからの展開を話していく。というスキルがありました。


私も普段、友達に「今日あった面白い話」を話すときこのような話し方を用いていました。


そして、就活でもこれをやっちゃっていたんですね。




どういうことかというと、


面接官「志望理由教えてください」

「はい。私が、中学校の時の出来事なんですけど〜。

こういう出来事があって、こう思うようになったんですね。

で、大学でこういうことやったときに。

自分ってこーゆーことやりたいんだ!って思って、

貴社は〇〇で、こーなので、自分の成し遂げたいことができると思い志望しました!」


ちょっと大げさには書きましたが、就活の前半ではこう話していました。


自分の話をするときに、まず前提を述べるのが当たり前になっちゃってたんですね。



こういった経験から、「状況に合わせた言葉の選び方」てすごい大事だなと感じます。



私は卒業プロジェクトで、「ラジオでの、ハガキのスキル」について考えています。

そこともリンクするのですが、


松本人志が、ゲストの発言に一言入れる。

あの一言が、もっと長く言っていたら笑いは生まれない可能性が高いと思います。


宮川も今回のすべらない話で、めい転ぶ→痛がる→〇〇おじいちゃん登場

という繰り返しの組み立て方を用いて話していました。


それにより話を聞いてる誰にでも、話がすっと入ってくるような技術が用いられているのはスキルなだと感じました。




ラジオのハガキを送る際も、

その芸人は送るネタメールの内容がわかるのか。聴いているリスナーならこのボケの意味がわかるのか。など、その状況に合わせる技術はとても大事なことだと改めて感じました。




だから、私が今回ブログの冒頭に書いた。

「こーーんにーちはー」(うるせーよ)

という錦鯉さんの漫才の導入のボケを導入に書いたとしても、

ブログをみてくださる人が、このボケをわかるか否かを、きちんと加味しないと

伝わらない面白くないボケになってしまうんですね。


個人的には、諏訪研究会はお笑い好きが多いと思うので、これは伝わってくれ!という思いで書きました。


そのあとの、『4年の木村です。トリにふさわしい男でーす。よろしくお願いします!』

は、マヂカルラブリーさんが、2020のM-1二回戦で用いたツカミを引用しています。


これは多分誰もわかんないし、的外れなボケになってしまいます。


このような、状況・聴いている人の求めるものを意識することは

面白く話すことだけでなく、「面接」という状況でもそれに適した話し方をしなければいけなかったんですよね。




ここで、冒頭で話した「面接のテクニック」がわかってきた。というのは以上のようなことです。


「結論ファースト」「全部を語ろうとしない」「断片的に話す」「面接官に聞き返されるように、フックを入れる」


このような面接のテクニックを、やっていくうちに会得したのだと思います。


けど、面接って自分を知ってもらう事って企業も言ってるのに、

自分の全部を、バーーーーって出すのは不適切って。なんか悲しいなとも思います。


全部を知って欲しい!!と思っても、時間や分かりやすさ。など様々な状況を加味すると、断片的に伝えて、わざと質問されるように仕向けて伝えたいことをできる限り伝える。


中学校の定期テストのように、対策練れば高得点取れる。対策したもん勝ち。みたいな。



でも、結局その適した話し方を用いて、自らの想いを適切に語れれば問題はないのですが、就活初期は「話し方」は全然意識していなく、勿体無いことしたなと思ってしまいます。



長くなりましたが、就活真っ只中に書いたので、就活盛りだくさんのブログになってしまいました。



この辺で。


いったんやめさせてもらいます。(これは伝わるかな・・・。)



今週はボブ&じっちーでお届けします!

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伊地知です。


次の研究会が今季の最後となってしまいました。時が進むのが早すぎてもう追いつきません。追いつかないので、いっそのこと追いかけるのを辞めたいです。と、言いたいところですが、追いかけなければいけないこともありそうです。(結局、何?というスタートでごめんなさい)


体育会端艇部ではあと2ヶ月で4年生の引退試合を迎えます。あっという間すぎて、あと1年後に引退試合を間近に控える自分を想像すると、頑張らなければと奮起させられます。そんな日々を送っております。






本題に入ります。

今回は、けんこばのすべらない話を聞いて、どんな映像が思い浮かんだのかから始まり、その後に、宮川大輔の話も聞きました。


この2人の話、面白かったです。
話を聞いて、面白くて笑っている時、

「あ、自分に戻った」

って思ったんです。話を聞いている時は、その情景の中にいる感じで、でも笑った瞬間に、目の前にいるところに引き戻されました。笑うのって、自分が起こすアクションだから、笑い声や行動によるミラーニューロン的作用で自分の体感に戻るのか。話を聞いてその情景を思い浮かべることと、笑うという間には何があるのだろうか。
 

よく、芸人さんの暗黙の了解として、「自分の話やネタで笑ってはいけない」という掟がある。なんで笑っていけないのかは分からないけれども、確かに他人が話をしている時に、オチの前で笑われると面白さが半減するなと思ったことは何度かあるなと、、、それは話している人が笑うことによって面白い期待値が上がってしまって、笑った後のオチはそんなに面白いっと思わないのか。それとも、笑った後にはその話の情景の外に放り出されてしまうから面白くないのか。そんな疑問を持ちながら始まったスタートでした。





次に話の構成について。

けんこばと宮川大輔の2人の違いとして、笑いの取り方ってこんなに違うんだって思いました。

けんこばは要所要所で笑いをとっていくけれども、宮川は最後にどかーんと1発笑いを取る。けんこばの話は、忍者という突拍子もないお題で、出てくるものがぶっ飛んでる物を採用している。宮川は、登場人物はどこにでもいそうな普通の人で、出てくるものも普通であった。
 

それによって話し方にも違いが出てくるのではないか。

けんこばは、周りを見ながら話を進めている。松本人志の問いかけにも答え、周りの受け方とかを見ながら話を進めている。宮川は、事前に準備してきた話を淡々と話す。計算された作品である。最後のオチに大きな自信がなければ成り立たないものだと思う。
 

その構成と話し方を誰がやるのか。

構成の種類と話し方があっても誰が話すのかによって話の入り方が違う。けんこばはおじさんで、少し下品で、馬鹿馬鹿しい話をする印象がある。そのけんこばが忍者の突拍子もない話をするからこそ安心して聞けるし、スッと入る。逆に、清楚で庶民的な宮川大輔が誰にでもありそうな話をするからこそスッと入ってくる。

 

そんな要素があってこその笑いなのかなと思った。






日常の中で。

友達と話す中で

「この人面白いなー」

って思う場面がある。

逆に、この人と話してたら

「自分が面白い人」

であるかのように錯覚する場面がある。

面白い人と話しているとその人の領域に入ったように感じる。逆に、自分の話で笑わせていると自分の領域に目の前の人が入っているかのように感じる。なんか、言葉で空間を作っているような、領域を作っているような。。。人を笑わせているときの方が次に何を話そうか、どういう言葉を使おうか、相手の表情はどうかなど頭の回転が早くなっていると思う。それが言葉によって目の前の人を囲む空間を作っているかのように感じるのかも。
 

誰かが笑っている空間ってすごく幸せで、すごく楽しいから、早く研究会の皆さんとお会いしたいなーっと思ってます。




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こんにちは。4年の宮島宗利です。最近は就活と終活ってなんで同じ音を使ってるんだろうな、と不思議に思っています。終活は2009年に週刊誌が用いた言葉だそうなので、洒落として同じ音を使ってるんだと思うんですが、昨今の情勢を見ていると割と洒落になってない気が最近しています。

さて今回は「人志松本のすべらない話」から、ケンドーコバヤシさんと宮川大輔さんの話を聞いて、頭に浮かんできた映像を言葉にしていく、ということをやりました。


自分でこれをやっていて思ったのは、言葉を聞いた瞬間に想起される映像と、ひととおり話を聞いた後で想像する映像とでは、浮かんでくる映像がかなり異なってくるのかなということです。…今回の場合は、話し方によって、映像そのものよりも映像の移り変わりにパターンがあるのではないかという仮定に基づいた分析をすることが主軸だったので、話の内容をどう描写するのかはそれとはあまり関係ない話かもしれませんが。




ケンドーコバヤシさん(以下、ケンコバさん)の忍者の話の場合、これは実際にケンコバさんが喋っている映像付きだったこともあると思いますが、最初聞いただけでは、僕はケンコバさんの動きに合わせて、登場人物たちが(頭の中の映像の)画面の中央でどアップになって映っているようにしか想像できませんでした。ケンコバさんのジェスチャーに合わせて、登場人物たちがケンコバさんと同じポーズや表情で頭の中の映像に映っている感じです。そのため、頭の中の映像の切り替わるポイントはケンコバさんの動き方と同期していました。映像というか、画像のスライドショーが流れているような感覚です。
しかし、ひととおり話を聞いた後で映像として想像できなかった部分を、「この人のすべらない話で映像を作るとしたら、どう表現するか?」と考えながら映像を想像していくときには、実際の話の内容と展開の仕方をもとにして映像を想像しており、瞬間瞬間にケンコバさんが使ったフレーズよりも、話している内容を抽出して想像してしまっているように感じました。後から想像するときには、言葉のフレーズ一つ一つを追いながら映像を想像していると、どうしても画面上に表現するのが難しいと感じる場面も多くありました。例えばケンコバさんが冒頭で「あのー地元にあのー高架の上に線路が走っている場所があるんですよね、でその高架下が公園みたいになってるとこなんですよ、その公園にいつ行っても居る、忍者っていうおっさんの話なんですけど…」と話すのですが、「高架の上に線路が走っていて、その下が公園になっている」という、具体的な位置関係は映像にするのが容易に想像できたのですが、「『忍者』と呼ばれる人がいつ行っても居る」という、ケンコバさんの習慣と記憶に基づいた描写は、映像でワンカットで表現しようとするのは難しいな、と思ったのです。このフレーズを映像にするとなると、「公園に『忍者』が居る」、ということは映像にできても、「“いつ行っても”居る」ということを具体的に表現するためには、例えばケンコバさんが日をまたいで何日もその公園に通っていて、その度に「忍者」に出くわす、といったような描写が必要ではないか、と思ったのです。しかしケンコバさんにしてみても、その話を聞いている自分にとっても、実際に言葉にはなっていなくともケンコバさんが日常的にその公園を訪れていて、かつその度に「忍者」と出くわしている、というのは「“いつ行っても”居る」というフレーズだけで十分補完することができますから、これを無理に映像にしようとすると、元の話のリズムや流れが失われてしまいます。
似たようなことが宮川大輔さん(以下、宮川さん)の例でもあり、話の中盤で「…そんで、1ヶ月前ぐらいですかね、で僕、あのー休みができたんで、京都に帰ったんですよ」と話すのですが、これも「京都に帰る」というのは、実際に宮川さんが新幹線や車で帰っている映像を思い浮かべることが出来たのですが、「1ヶ月前くらいに休みができて」というフレーズは、理解することはできても、映像にする場合にどうすればいいんだ…とかなり悩みました。ここでの「1ヶ月前くらいに」というのは、恐らくはこのすべらない話の収録時点から1ヶ月前くらいのときに、ということだと思うのですが、具体的な日付が明かされているわけではないですし、宮川さんの感覚の上でそれくらい期間が離れている、ということですから、具体的な映像に落とし込むのが難しいと感じました。「休みができて」というニュアンスも同様に、理解は出来ても、「休みが出来た」ことをどう具体的に表現すればいいんだ!?となりました。やるとしたら、マネージャーからその数日のスケジュールが空白になっている手帳を見せられる、とかそんな描写でしょうか…しかしこれも、「休みが出来た」という内容を描写するためにはどうしたらいいかと考えて演出を捻り出しているので、宮川さんが実際に話している言葉のリズムや流れとはかなりかけ離れてしまいます。
 
考えてみれば当たり前なんですが、言葉として出てくる期間や時間の概念って、言葉にすることで形のないものに形を与える、線引きをするという機能をもろに反映しているものなんだなあ、と改めて感じました。 

今週のブログはおのみ・永石ペアが担当します!
 

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<<おのみ>>


お久しぶりです!最近、おのみとよく打つので「小野翠」の変換が一発で出てこなくなりました。結構不便です。おのみです。


近況報告としては、就活をやめて、卒業後専門学校に行くことにしました~

今年一年受験勉強をすることになりそうです。一般科目久々すぎて何から手をつけていいかわかりません。笑

こんな近況報告もオフラインで会ってたらさらっとできちゃうんだろうなあと思いながら、寂しさを募らせています。みんなに会いたいぜ~


と、前置きはこのくらいで!まりあちゃんとゆっくり話すのは何気に初で、雑談しながら振り返りを行いました✌️


今回の研究会は、数学の時間!χ二乗分析の方法を伝授していただきました!数学自体やるのが多分5年ぶりとかなので、ああ~久々だ~みたいな気持ち。笑

でも高校時代にやっていた公式に当てはめて数字出して結果を比べる!みたいな形ばかりの数学とは違って、「なんでここで2乗するんだっけ?」とか、「期待値ってどういう数字だっけ?」ってもう少し踏み込んだところまで学びました。


それをしながら思い出したのは、諏訪先生の知のデザインで話題に上がっていた、「腑に落とす」ということ。高校数学みたいに公式に当てはめるだけだと数ヶ月やらなかったら多分公式全部忘れちゃうけど、今回みたいにここでこの計算を施すのはなぜ?ってところまで掘り下げれば生活の中で使えるような力になりそう。


私は高校時代から暗記科目がそれはもう苦手で、赤点常習犯だったんですが、こうやって一個一個なんで?と考えながらやれば時間はかかるけど自分の力になってただろうな、と思います。グルワをしていても一番納得するまで遅いんですが、笑 でも納得したものは私は忘れないので、私に合っている勉強の仕方だな~と思います。χ二乗分析も全然腑に落ちるところには到達していないので、まだまだですが!




そしてもう一個研究会の内容ではないけど、今回グルワをしていて思ったのは、「いいグルワ」ってなんだろう?ということ。

今回のグルワは(というか基本的に諏訪研メンバーでやるグルワは)いい議論ができたな~と思うことが多いです。すごく難しい内容なんだけれども、ほんのすこーしずつでも前に進んでいるような感覚があって楽しい。めちゃめちゃに議論が詰まって、何かのきっかけで話が進むときもあって、そのきっかけは誰かの閃きというよりはやっぱり議論をしていた流れで生まれる気がするし。

今期グルワの授業をたくさんとっているんですが、中々うまく行ってなくて諏訪研でのグルワがオアシスのようです。


先週酒井くんがブログで「多くの諏訪研メンバーは言葉に引っ張られすぎでは」と言っていたけど、それってジェスチャーの分類に限らず日常生活とかグルワをする上でもめちゃくちゃあるなと思います。例えばグルワの中で意見として「それは違う気がする」って発言した時に、諏訪研だと、「えー!じゃあ何だろう!おのみは何が引っかかってる?」ってなるんだけど、別授業だと「否定された!!言い返さなきゃ!!」ってなっててとてもやりにくい。笑

研究会内で二人称的立場に立つ、とか、言葉の裏側まで読み取ろうとする姿勢とかを学んでいる分、グルワの何気ない一言一言がみんなの中で力になって現れてるのかな~とか思っていました。自分がどう成長しているかってあんまり見えないけど、ちょっと自分の中でも成長が見えたような気がして嬉しくなった週でした!


以上!ありがとうございました!


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<<永石>>

こんにちは、永石です!


今回の研究会では、”めっちゃわかりやすい”χ二乗検定を学びました。


まず、今回までの課題として、ジェスチャーの出現結果を分析をするというお題が各グループに出ていました。グループでその課題に取り組もうと試みたのですが、結局どこに着目すればいいのかわからず、これといった分析ができないまま終わってしまいました。今回の授業でχ二乗検定を学んだことで、データの着眼点が明らかになり、分析の足場ができたとともに、以前他の授業で聞いた「データ分析は、データの前処理が8割だ」という言葉の意味を実感しました。


χ二乗検定の一連のやり方を教えていただいた後、なぜ期待値との差を二乗するのか、そしてなぜ期待値との差を二乗した値を期待値で割る必要があるのか、という問いが先生から投げかけられました。ただ単にχ二乗検定の一連のやり方を覚えても、それをどの場面で使うべきかは、本質を理解していないと判断できません。

なぜ期待値で割るのかの問いに対して諏訪先生は、もらえるはずのお菓子の数(もらえると期待しているお菓子の数)と実際にもらったお菓子の数を例に用いて解説してくださり、”めっっちゃわかりやすかった”です。このように、二乗したら何が起きるのか、期待値とはなんの値なのか、概念的でボヤッとしてる数の世界も実生活に即して考えることで腑に落とすことができます。


当然のことかもしれませんが、統計も、数学も、学問も、本質を理解し腑に落としてナンボなのです。


また、先日最終回を迎えた「ドラゴン桜」というドラマの3話において、語源を理解する英単語の覚え方が印象的でした。例えば、「団結する」を意味するUniteという英単語は、一つを意味するuniという単語が含まれています。uniteuni1つになるという意味から派生して団結するという意味を持つようになったと理解すれば、uniteという英単語を腑に落とすと同時に覚えることができるというものです。単語とその意味をただ単に覚えるのでなく、その語源や由来である本質を理解することでより定着すると桜木先生は言っていました。この英単語の勉強法も、まさに「腑に落とす」勉強法であり、「ドラゴン桜」の勉強法が理に適っていることを改めて感じさせられた今回の授業でした。

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