んにちは!今週のブログは3年の小島と小関が担当いたします。

今回は、『見せて魅せる研究土壌 ―研究者が学びあうために―』(諏訪正樹.2013)と『身体スキル探究というデザインの術』(諏訪正樹,赤石智哉.2010)という二つの論文を読み、一人称研究について議論したい問いを挙げる、という課題にグループごとに取り組み、出てきた問いについて、大学院生3名がプレゼンをするところから始まりました。

 

 私の班は、以下の二つの問いをたてました。

◎「受け売りである」と自覚するには何が指標となるのか
◎受け売りではなくからだで学ぶのだ、ということを、受け売りを当然のように行っている人たちにも理解してもらうにはどんなはたらきかけが必要なのか

大学院生のプレゼンを受けて、私は本当にこの問いについてどうしても議論したいのか、自ら疑問に思ってしまいました。特に、「自分の違和感が鳴らないと、何も起きていないに等しいのでは?」という指摘は、その後の自分の研究においても大きく影響しました。

ここでの「違和感が鳴る」というのは、FNSサイクルでいうノエシス層から現在ノエマ層のNCt+1)へとのびる矢印C2、またそこから未来ノエマ層のNFt+1)へとのびる矢印C3にわたるこのプロセスの一部であり、C1.5においてある行為と環境とのインタラクションが起きたところから新たなる目標を生み出すまでのこの大事な過程は、問いを生む行為の連鎖によって成り立ちます。

問いというのは、違和感、疑問、問題点、仮説、目標という大きく5つの過程に分けられます。たとえば、私が舞台照明を考えているときのことを考えると、以下のようになりました。

【違和感】(自分がつくった明かりを見て)なんかこの明かりはしっくりこないなあ

【疑問】なぜここに青を入れてみたのだろう

【問題点】「青い海の底のような暗い感じがして、寂しさというよりは恐怖を感じさせてしまう」

【仮説】「暗さのある寂しさではなく、あたたかさを求めるなかで生まれた寂しさを表現すればいいのでは?」

【目標】「寒色の青ではなく、暖色の薄ピンクを入れてみよう」

 もちろん、実際はこんなに整った過程を踏むわけではなく、違和感と疑問の境界線が曖昧になったり、問題点と疑問とを行き来して問題点が変わったり、ひとつの仮説から同時にいくつもの目標が生まれて、そこから自分で目標を取捨選択するためにもう一度違和感にたちかえってみたり、このプロセスを一方向の矢印で表現することはできません。

 でもここで大事なのは、ふと生まれた違和感から、どんな過程を踏んで目標に到達するとしても、その違和感(先の例でいうならば「しっくりこない感じ」)を、その感覚を肌身離さず大事に身につけておくことだと思うのです。

「違和感を鳴らす」という表現をしたうららさんは、違和感というのは最も根源的な問いであり、思考の結果ではなく「反応」なのだとおっしゃっていました。問題点や仮説にばかり目を向けていると、そもそもの問いの発生源となった違和感(=その場で湧き上がった一番リアルな自分の反応)がほったらかしになり、問題点や仮説だけが頭の中で大きくなっていってしまいます。

先ほども述べたように、問題点や仮説といった生成物は、しばしば疑問や違和感に立ち返ることによって形を変えながら目標への道をたどり、さらにその目標すらも、違和感に立ち返ることによって形を変えるのです。形を変えてゆくことが、より「しっくりくる明かり」へたどりつける鍵(私の例でいうと「あたたかい寂しさ」ということばこそが鍵であった)の出現につながるのです。

「違和感を鳴らす」というのは、とても難しいことで、小さい音で鳴っていても気付かないこともあります。でも、耳をすませば絶対にどこかで鳴っていて、それに気づいてその音を大事に育てていくことがいかに大事かということを、今回学びました。今日はどこで鳴っているかな…?(小関)