2010年11月07日
帰ってきました。
2010年11月04日
11月3日 竣工式
2010年11月02日
現場監督さんです。
2010年10月28日
新本堂がご本尊様を待っているようです。
2010年10月25日
上品な輝き!
2010年10月15日
本堂トリビアその2
2010年10月13日
いよいよ建具が入り始めました。
2010年10月12日
懐かしい景色が?
2010年10月08日
2010年10月07日
本堂基壇石工事
2010年10月04日
新本堂、新鐘楼が姿を現しました!!
2010年09月22日
本堂基壇の石貼り
2010年09月13日
本堂 露堂々 ‼
一昨日だったか、素屋根、外部の足場が全部取り払われ、本堂の全容が現れ出した。禅に「露堂々」という言葉がある、”堂々と露わになっている”という意味だ。とうとう本堂が露堂々だ ‼ 嬉しい ‼ 施主の代表として、感無量の一語に尽きる。只、これだけは申し上げなければならない、本尊様、歴代住職、檀信徒先祖代々諸精霊、総代・世話人各位、全檀信徒、諏訪石材(新墓地分譲)、そして社寺建築研究所(設計事務所)、大成建設(元請け)、金剛組(木工事下請け)、木内組(本堂大工)、羽馬組(孝順堂・鐘楼大工)、中野組(石工事)等各職方一同他、今日目の当たりにしたこの本堂に対して御縁を下さった「全て」に、心から深謝申し上げ度い、「有り難う 」(住職謹白)
2010年09月09日
続 素屋根解体完了間近 ‼
とうとう、本堂と孝順堂の屋根が竣工時の様子で、姿を現しました。
ご承知のように、鐘楼を含めて三つのお堂の屋根が、照り起り(てりむくり)屋根で完成しました。
実は、この緩やかなS字曲線の屋根が選択されて目の前で聳えているのには、訳がありました。
昭和35年先代住職の折、旧本堂は老朽化激しい藁葺き屋根からトタン葺きに変えられました。その時、屋根の曲線も民家風の照り起り屋根から、お寺風の照り屋根に変更になりました。私も、父親に手を引かれて瑞光寺にお参りに来たとき、その藁葺き屋根を仰ぎ見た記憶があります。
さて、新本堂の計画段階では、入母屋の照り屋根でした。先ず、ポピュラーな入母屋か、旧本堂と同じ寄棟屋根にするか迷っていました。親族に二つの立面図を見せても意見が二つに割れてしまい、次に、20人程の寺役員に無記名投票を行ったところ、一人を除いて他は全員「寄棟」派でした。後日、その一人が、「一人の入母屋派は私でした。何故、入母屋で投票したかというと、方丈さん独りだけが入母屋派に違いないから、それでは方丈さんが可哀そうだと思って・・・」と、打ち明けてくれました。つまり、全員が寄棟屋根を選んだ訳です。
次に、私は、一般的な照り屋根か、民家風の照り起り屋根にしょうか迷い始めました。青梅の「天寧寺」という,七堂伽藍すべてが民家風の照り起り屋根の宗門の名刹に役員を連れて行き、また帰りの夕食の席で今度は銘々に感想を述べてもらいました。すると、大方の役員は民家風を選びました。
それらの選考を受けて、設計士の先生は寄棟照り起り屋根で図面を仕上げ、その後施工業者も大成建設、木工事は金剛組に決まり、いよいよ、その大阪の金剛組の作業所で、照り起りの原寸図が出来上がり、その検査に先生と現場監督とで出向いた折でした。原寸図を見た途端に、照りと起りが変わる転換点が”上過ぎる。もっと軒先でなければ‼”という印象でした。けれど、それを先生に言おうか言うまいかまた迷っているうちに、一足先に帰るべき新幹線の時刻が近づいてきてしまい、”ええい、先生に任せてしまおう”と、迎えの車に急いで乗り込んだ事を憶えています。一足早く帰る用事が無かったら・・・・・⁉と時々思い出します。
何故こんな過去の話を長々と綴ったかというと、この京風の上品な寄棟照り起り屋根は、”日本で一ヶ寺しかない”、それが出来た因縁話の一端をどうしても語りたかったからです。「縁」とは実に不思議で、素晴らしく、有難いと屋根を仰ぎ見る度に感じ入りながらシャッターを切った写真が、上の五枚です。(住職謹白)
2010年09月02日
孝順堂が姿を現しました
先程、墓地へ行ってみると、孝順堂の素屋根がとれて、屋根の全貌が西日に映えて現れていました。24年前に図面は東先生に依り完成していて、さあこれからという時に私が病に倒れ、長いこと図面はお蔵入りでした。今度こそと期待を懸けていたおととしの9月、地球の裏側から大波が押し寄せてきて、計画から外されました。去年の今頃でしたか何とか無理してでも本堂と一緒にやろうという事になって、今日の姿になりました。昨夜は客殿で実行委員会があり、最後の資金計画が内々に承認されたばかりでした。その翌日ですから、感慨無量のものがあります。
何枚か写真を撮って表に廻ってみると、本堂素屋根から降ろされたばかりの、「日立」のマークが付いた素屋根クレーンの大モーターが、一年程のお勤めを終えて本堂仮囲いの外れに佇んでいました。思わず手を伸ばして”お疲れ様、ありがとう”と肩を叩いて、一枚 写真を撮ってあげました。(住職謹白)