孝順堂が姿を現しました本堂 露堂々 ‼

2010年09月09日

続 素屋根解体完了間近 ‼

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とうとう、本堂と孝順堂の屋根が竣工時の様子で、姿を現しました。
ご承知のように、鐘楼を含めて三つのお堂の屋根が、照り起り(てりむくり)屋根で完成しました。
実は、この緩やかなS字曲線の屋根が選択されて目の前で聳えているのには、訳がありました。

 昭和35年先代住職の折、旧本堂は老朽化激しい藁葺き屋根からトタン葺きに変えられました。その時、屋根の曲線も民家風の照り起り屋根から、お寺風の照り屋根に変更になりました。私も、父親に手を引かれて瑞光寺にお参りに来たとき、その藁葺き屋根を仰ぎ見た記憶があります。

 さて、新本堂の計画段階では、入母屋の照り屋根でした。先ず、ポピュラーな入母屋か、旧本堂と同じ寄棟屋根にするか迷っていました。親族に二つの立面図を見せても意見が二つに割れてしまい、次に、20人程の寺役員に無記名投票を行ったところ、一人を除いて他は全員「寄棟」派でした。後日、その一人が、「一人の入母屋派は私でした。何故、入母屋で投票したかというと、方丈さん独りだけが入母屋派に違いないから、それでは方丈さんが可哀そうだと思って・・・」と、打ち明けてくれました。つまり、全員が寄棟屋根を選んだ訳です。

 次に、私は、一般的な照り屋根か、民家風の照り起り屋根にしょうか迷い始めました。青梅の「天寧寺」という,七堂伽藍すべてが民家風の照り起り屋根の宗門の名刹に役員を連れて行き、また帰りの夕食の席で今度は銘々に感想を述べてもらいました。すると、大方の役員は民家風を選びました。

 それらの選考を受けて、設計士の先生は寄棟照り起り屋根で図面を仕上げ、その後施工業者も大成建設、木工事は金剛組に決まり、いよいよ、その大阪の金剛組の作業所で、照り起りの原寸図が出来上がり、その検査に先生と現場監督とで出向いた折でした。原寸図を見た途端に、照りと起りが変わる転換点が”上過ぎる。もっと軒先でなければ‼”という印象でした。けれど、それを先生に言おうか言うまいかまた迷っているうちに、一足先に帰るべき新幹線の時刻が近づいてきてしまい、”ええい、先生に任せてしまおう”と、迎えの車に急いで乗り込んだ事を憶えています。一足早く帰る用事が無かったら・・・・・⁉と時々思い出します。

 何故こんな過去の話を長々と綴ったかというと、この京風の上品な寄棟照り起り屋根は、”日本で一ヶ寺しかない”、それが出来た因縁話の一端をどうしても語りたかったからです。「縁」とは実に不思議で、素晴らしく、有難いと屋根を仰ぎ見る度に感じ入りながらシャッターを切った写真が、上の五枚です。(住職謹白)


suwasekizai at 01:12│Comments(0)TrackBack(0)

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