神戸~淡路~大阪間の大揺れした日から、今日で11年目ですね。

実家の自分の部屋のベッドで眠っていると、部屋の景色がまるで遊園地にあった“びっくりハウス”のようになり、当にびっくりだったのは忘れられません。

当時私は、東灘に実家があり、灘区のJRの高架線路が倒壊したJR六甲道斜め前のマンションに一人暮らしする彼と付き合っていました。結婚生活よりも長かった彼です。

元彼のマンション、実家、親友の家、元彼の携帯電話は掛けても呼び出し音もしません。

地震のあった翌日の朝、会社に事情を話し、有給休暇を依頼。
朝のテレビニュースで、阪急西宮北口駅までは電車が開通したとのことだったから、必要物資を買い込み、とりあえず西宮北口まで行きました。西宮北口から元彼の実家に向かって歩いて行くと、途中何人もの方から「荷物が重そうだから手伝ってあげます」と声を掛けられました。
涙が出そうになりました。
「ありがとうございます。私は大阪から来たもんです。だから大丈夫です。大切な体力をこれからのために大事にとっといてください。」とお断りしましたが、声を掛けてくださったどの方もとても申し訳なさそうにされるから、また涙が出そうになりました。