鎌倉街道323鎌倉古道ローソク岩

鎌倉古道ローソク岩


 九月に赤城塾の熟生に「鎌倉古道」の案内を依嘱されたので、久しぶりに「ローソク岩」の実査に向かいました。
 体力減退、腰痛の身に山の実力者S氏の同行を得て勇気百倍の行程でした。

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 この山は薬木の山
 中央の大木は「黄檗」薬にするため削られた創痕が痛々しい。

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 栗の大木。原生林の荒々しい雰囲気が漂う。

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ミズナラの巨木に生えた茸「マスタケ」

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 久しぶりの邂逅、橅の大木は健在でした。この後ろの崖を降りれば「ローソク岩」です。
 熊の大好きな木で、またまた新しい爪痕が無数に刻まれておりました。

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 「ローソク岩」到着その岩の左側の「伊賀峰」の鞍部が鎌倉古道
 登り切って10メートル登り返すと「龍の寝穴」鈴が岳の最奥
 鎌倉古道の最難所です。


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 長壺沢最奥の堰堤「長壺の堰堤」
 S氏の提案で、帰路はこの谷を下りました。初めての経験でした。
 スリル満点のロープ下降を味わいました。流石はプロでした。
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身長172センチの私と同じ高さの熊の警告傷
 林道から「ロウソク岩」に向かう入り口にありました。
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鎌倉街道322角田無幻

角田無幻の書、金石文探索

 水上町東峰929金泉寺に無幻さんの書があることを確認し訪問して拝謁した。
 隷書の素晴らしい軸であった。
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「光劉」は無幻さんの幼名である。字を光旒、号を無幻と称した。


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表装の絵は、松葉です。


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 冠冒印、全く読めません。残念

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 この印の左半分は、「光旒書」右側は読めません。

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 金泉寺の本堂 中央の本尊は、不動明王 住職の談では鎌倉時代の作とのこと。
 住職は、本山修験宗総本山聖護院門跡で修行されたそうである。

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 みなかみ町須川恋越の山上に座す野々宮神社
 「大政威徳天神」は菅原道真の別号である。すれば、ここは天満宮か?
野々宮神社境内 右に立つ石碑が無幻さんの金石文


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 堂々たる楷書のきっちりした書、初めて見る楷書である。



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 「勅傳法大阿闍梨光旒拝書」印



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 「拝書」謹んで書かせて頂きました。程の意味か?

鎌倉街道321本陣

本陣

 旧三国街道に残る高山の「本陣跡」を尋ねました。大切に丁寧に保存されていました。
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 平家の紋所 「蝶紋」

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 邸内に聳える大欅。樹齢600年以上


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 中山城址
 街道に立つ標柱

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 中山城址の北東100メートルの路傍に偶然発見しました。これも大切に保存されておりました。

 角田無幻道人の書 「道祖神」


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鎌倉街道320加沢平治左衛門の墓

加沢平治左衛門の墓

 「加澤記」を著した平治左衛門の墓地を訪れました。
  利根、沼田・吾妻郡を中心とした戦国時代初期から天正18年(1590)までの貴重な歴  史資料を残された文化的に重要な人物です。

  沼田市下川田町784 薬師堂にあります。
  川田城址の一角になります。


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 墓地の入り口立つ「南無阿弥陀仏」の石碑
 素晴らしい筆跡です。
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 その裏に座す「脱衣婆」乳房を肌蹴ています。


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 右側がご夫婦の墓石
 覚譽□本居士 覚譽持本大姉の戒名 □内の字は、白偏に右が反の文字です。
昄の字です。

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 墓地の東側の高台から沼田方面を望む。
 城の東端になります。沼田が目と鼻の先です。
 沼田城防護の重要な基点であったことが理解できます。

鎌倉街道319山椒の擂粉木(掘

山椒の擂粉木(掘


 山椒の擂粉木30本完成
 40年のスキルを総動員して、猛暑の洗礼の中、遂に完成
 有名な日本の精進料理家T氏の要請に応えました。
 暫時休憩します。
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鎌倉街道318山椒の擂粉木(供

山椒の擂粉木(供




 いよいよ製作開始です。一旦始まると時間の経過を忘れるほど集中します。
 この日は都議選の投票日、気温も最高です。

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 一日で20本程の擂粉木の八割が完成しました。
 最後の仕上げは、一旦気力を養ってから始めます。大事な処です。

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 削り屑も最高です。何回も捨てましたが、まだこの通りです。
 仕上げが楽しみです。

鎌倉街道317山椒の擂粉木製作

山椒の擂粉木

今年の乾燥した山椒の原木を「木取り」しました。素性の良いものが滅多にありません。
 真っ直ぐでないと「木工旋盤」になじまないので苦労します。
 何とか技術的にカバーして頑張りましょう。
 直径八センチ前後、長さ50センチ前後です。
 「木取り」の形から70センチ長の物が二本となりました。
 製作が楽しみです。 

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 「木取り」の段階で形を選ぶと、どうしても前後に多数の無駄が出ます。
 後程「筆置き」や箸置きを造る予定です。
 愛おしくて捨てる気になりません。

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鎌倉街道316 鎌倉古道 [王平]

  「王平」
  鎌倉古道唯一の古跡
  久しぶりに鎌倉古道の証跡明らかな「王平」の探索に出かけた。既に林道は原始の姿 に戻り、雑木が生え、道は不確かになっている。
  鎌倉古道の探索を開始して既に40年が経過した。そして、その出発点がここであっ  た。
豊城入彦尊に由来の伝承、伝説の場所である。
 果たして目的の場所を発見できるのか不安であった。


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 途中で発見の黄色四花弁の花
 名前不明、検索中
 お分かりの方、御教えを宜しく。

後日野草に詳しいKさんから「山吹草」とのお教えを頂きました。
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鈴ヶ岳南面の登山コースを約500メートル進むとルート標識
 ここから消え残る旧道を左に入る。

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 約200メートル先で左側に「宮標石」

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 ルートの右側に大石 その上に生える根性の木

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 分岐から約1キロの地点で無事に「王平」の二段石を発見
 久しぶりの邂逅に感激した。
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 この石の直下に「鎌倉古道」が存在した。
 40年前には、この石の西側に円形の平らな土地があった。「王平」の名前の由来である。僅かな時の変遷に、ここは雨で削られ小さな谷に変わっていた。
 同行の0氏が示す下段の大石には無数の亀裂が認められた。
 風化が進み、上の石が落下するのも時間の問題か。
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 昔鎌倉古道を教えて頂いた仙人の声が甦る。
「大昔、この石の上で豊城入彦命が訓示したっちゅうのう」





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 前掲の「宮標石」
 写りが悪いので再掲
 明治新政府の時、宮内庁御料局が全国の御料地に設置した境界石
 「宮」の字をデザイン化した形がユニークである。



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「王平」の供え餅のようなこの石は、偶然に落石が重なったのか。有り得ない偶然である。古代人が石を乗せたと解するのが自然である。ただそれが技術的に果たして可能なのか疑問である。現在は、私でも揺することができる。何時落ちても不思議ではない。
 鎌倉古道の中で、一番興味の注がれる場所である。ここから数百メートル北に「御殿山」と呼ばれる場所がある。「豊城入彦尊」の御殿があった場所との伝承がある。
 この辺りは、キャサリン台風の影響が一番少ない場所であり、古道の雰囲気が色濃く残る場所でもある。
 残念なのは、もう私以外にここを知る人は唯一人であろうということだ。




鎌倉街道315鎌倉古道の探索

鎌倉古道の探索




 鎌倉古道に取付かれて40年
 前橋から沼田の間で、唯一不明の間が赤城の船ヶ鼻山から砂川に至る間である。
 渋川市深山地区の最奥、「荷場」の東北の丘陵地を登り船ヶ鼻山から「赤鉄塔」を抜け右の谷に降りて「砂川」から「青木」に出る。
 このルートの右に降りる場所が未だ不明である。

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 初めて「砂川」に出掛けた。部落の入り口に立派な「大洞神社」
 つい最近祭礼が行われた様子である。
 赤城大沼湖畔の大洞の赤城神社の分神らしい。

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 古い石祠が左に一基右に三基鎮座
 形と風化の様子から歴史は約200年前後かな


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 部落中央の空き地に立つ石仏
 寛政9年の年号が見える。
 十数軒の民家に人影はゼロ 静かな山間の部落であった。
 沼田市の図書館で古道の調査をするも関係の書物はゼロ
 職員の方の協力には感謝
 
 利根郡誌(全)P588
 砂川=赤城山入間地より発する赤城川砂礫多し。もって砂川と称す。この地開祖は新田氏の譜代荒井、石田氏なり。
 の一文が収穫 やはりこの山間に重要な古道の存在が認められた。

鎌倉街道314双林寺

双林寺

以前白井長尾氏の菩提寺「空恵寺」を散策
今回は、白井長尾家の祖、長尾景仲の開基「双林寺」を散策、その威容に感動した。
 この寺は、渋川市にある曹洞宗の寺院である。
 山号は最大山。院号は春日院。本尊は釈迦如来

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「不許葷酒入山門」禅寺に必ず立っている石柱
 酒飲みの私には痛い言葉である。

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 壮大な山門 珍しい「最大山」の山号
 装飾のない古色蒼然の木組みが堂々と鎮座
 圧倒的な存在感と歴史の重み
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