鎌倉街道329山椒の擂粉木特大

山椒の擂粉木
の原木特大



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昨年採取した本山椒
 最大で直径12センチ。大きなイボが特徴です。漸く乾燥したので製作が楽しみです。 





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鎌倉街道328竜の寝穴

竜の寝穴


久しぶりに鈴が岳最奥の秘境「竜の寝穴」を探索した。
鎌倉古道に興味を持つ友人が増えて大感激
古道の存在を知る人が増えて一安心、長年の懸案が解決した。


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 まず、赤城町と昭和町の境界「荷場」を訪れた。正面の傾斜を登れば赤鉄塔へ至る。
大昔に其処から「砂川」に降りて沼田に抜ける鎌倉古道があった。
 ここから約1キロ戻り、複雑な隘路を辿り、「竜の寝穴」に向う。残念ながら、年齢の衰えに喘ぎながら何とか目的地に到着した。


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 正面の洞窟が「竜の寝穴」久しぶりの出会いに感動した。

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 寝穴の南面は渓谷の桃源郷
 暖かい日差しを浴びて昼食のひと時
 腰痛を労わりながら、久しぶりの邂逅に感謝



















鎌倉街道327歌舞伎弁慶上使

歌舞伎弁慶上使

10月29日渋川市市民会館において、平成29年度渋川市総合文化祭歌舞伎発表会が行われた。

 赤城歌舞伎の出し物は、は御所桜堀川夜討弁慶上使の段
でした。

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 私の役は弁慶です。最初の登場の場
 今回は、写真は少なかったのですが、協力者T氏のお蔭で、全編ビデオ撮影をして頂きました。
 演目の総時間は約1時間です。台詞が長かった。
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左の役者は友人の男性で、今回は女形 右の女性は今回が初舞台。長年踊りの趣味があり
中々様になっていました。

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鎌倉街道326見立権太郎清衡(清平)

 見立権太郎清衡


 久しぶりに、郷土の不動山城(見立城)の当初の城主「見立権太郎清衡」の墓石を参拝した。

 見立氏を名乗った当初の人物であるが、歴史の文献が少ない。 
 670年前の南北朝時代にはこの城は存在が認められ、五輪塔の墓石まで存在しているが、歴史的にその活動の履歴がない。

 見立の名字を継ぐ遠方の方から、時々照会がくる。
 今年も八月に山形県在住の見立さんから、先祖の遺跡を見たいとの連絡があり、近くお出でになるそうである。
 670年前の五輪塔が健在であるのは、近くの都丸一族が長年に亘り、屋根を懸けて守ってきたからである。 
 この都丸一族との関係も分からない。
 都丸一族は、藤原の秀衡の末裔らしいので、清衡も藤原の流れを汲むものか。
 
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 風雪を凌いで、健全な五輪塔である。石質は柔らかそうであるので、その保存には敬意を表したい。



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 以前は「御舘権太郎清衡の墓」と判然としていたが、やや文字は消えかかっている。




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 五輪塔の50メートル程東に観音様?がある。
 この像には、正面左側に「見立村・・」の字が読めるが、此処の地名は「見立峯」であり、館が存在したとの伝承があるが、文献はない。




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 上記の像に並んで立つ地蔵様 暖かそうな帽子を被っている。

 

鎌倉街道325角田無幻さんの弟子

角田無幻さんの弟子

 赤城町樽に夢幻さんの書の弟子角田陽、角田融の兄弟がいた。
 その角田融の揮毫した石碑が樽の「八ツ澤観音堂」に存在した。

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「八ツ澤観音堂」全景

 境内には無数の石造物が保存されている。



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 明治4年の太政官布告による廃仏毀釈の痕跡
 歴史の変革時は時として無謀な施政が行なはれる証左である。


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 観音堂裏の欅の木に穿つた鳥の巣穴


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 「青面金剛明王」の石柱。この側面に「勝融敬書」の記名がある。



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「勝融敬書」の記名


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 この「青面金剛明王」は観音堂の西に立つが、勝融さんとは書体が明らかに異なる。


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 観音堂の西前に立つ、地蔵菩薩像

 爽やかや苔召し笑まふ地蔵尊  秋毫

鎌倉街道324赤城鈴ヶ岳の宮標石

赤城鈴ヶ岳の宮標石

 赤城の鈴ヶ岳西方及び南方の「宮標石」


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 鈴ヶ岳の南面登山道。忠治の岩屋と清滝不動の中間の左側に発見された「宮標石」
 知人のTS氏とSS氏が相次いで発見しご連絡を頂きました。


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 鈴ヶ岳西麓、鎌倉古道「大平」の西方500メートルの古林道の左側に立つ「宮標石」
 明治初期に新国家の威信の象徴として設置され、それとなく守られてきた歴史の証人です。末永く保存したいものです。

鎌倉街道323鎌倉古道ローソク岩

鎌倉古道ローソク岩


 九月に赤城塾の熟生に「鎌倉古道」の案内を依嘱されたので、久しぶりに「ローソク岩」の実査に向かいました。
 体力減退、腰痛の身に山の実力者S氏の同行を得て勇気百倍の行程でした。

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 この山は薬木の山
 中央の大木は「黄檗」薬にするため削られた創痕が痛々しい。

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 栗の大木。原生林の荒々しい雰囲気が漂う。

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ミズナラの巨木に生えた茸「マスタケ」

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 久しぶりの邂逅、橅の大木は健在でした。この後ろの崖を降りれば「ローソク岩」です。
 熊の大好きな木で、またまた新しい爪痕が無数に刻まれておりました。

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 「ローソク岩」到着その岩の左側の「伊賀峰」の鞍部が鎌倉古道
 登り切って10メートル登り返すと「龍の寝穴」鈴が岳の最奥
 鎌倉古道の最難所です。


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 長壺沢最奥の堰堤「長壺の堰堤」
 S氏の提案で、帰路はこの谷を下りました。初めての経験でした。
 スリル満点のロープ下降を味わいました。流石はプロでした。
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身長172センチの私と同じ高さの熊の警告傷
 林道から「ロウソク岩」に向かう入り口にありました。
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鎌倉街道322角田無幻

角田無幻の書、金石文探索

 水上町東峰929金泉寺に無幻さんの書があることを確認し訪問して拝謁した。
 隷書の素晴らしい軸であった。
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「光劉」は無幻さんの幼名である。字を光旒、号を無幻と称した。


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表装の絵は、松葉です。


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 冠冒印、全く読めません。残念

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 この印の左半分は、「光旒書」右側は読めません。

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 金泉寺の本堂 中央の本尊は、不動明王 住職の談では鎌倉時代の作とのこと。
 住職は、本山修験宗総本山聖護院門跡で修行されたそうである。

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 みなかみ町須川恋越の山上に座す野々宮神社
 「大政威徳天神」は菅原道真の別号である。すれば、ここは天満宮か?
野々宮神社境内 右に立つ石碑が無幻さんの金石文


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 堂々たる楷書のきっちりした書、初めて見る楷書である。



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 「勅傳法大阿闍梨光旒拝書」印



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 「拝書」謹んで書かせて頂きました。程の意味か?
因みに上州の三筆は、無幻さんと、利根の萩原賢和、吾妻の町田延陵と言われている。

鎌倉街道321本陣

本陣

 旧三国街道に残る高山の「本陣跡」を尋ねました。大切に丁寧に保存されていました。
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 平家の紋所 「蝶紋」

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 邸内に聳える大欅。樹齢600年以上


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 中山城址
 街道に立つ標柱

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 中山城址の北東100メートルの路傍に偶然発見しました。これも大切に保存されておりました。

 角田無幻道人の書 「道祖神」


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鎌倉街道320加沢平治左衛門の墓

加沢平治左衛門の墓

 「加澤記」を著した平治左衛門の墓地を訪れました。
  利根、沼田・吾妻郡を中心とした戦国時代初期から天正18年(1590)までの貴重な歴  史資料を残された文化的に重要な人物です。

  沼田市下川田町784 薬師堂にあります。
  川田城址の一角になります。


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 墓地の入り口立つ「南無阿弥陀仏」の石碑
 素晴らしい筆跡です。
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 その裏に座す「脱衣婆」乳房を肌蹴ています。


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 右側がご夫婦の墓石
 覚譽□本居士 覚譽持本大姉の戒名 □内の字は、白偏に右が反の文字です。
昄の字です。

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 墓地の東側の高台から沼田方面を望む。
 城の東端になります。沼田が目と鼻の先です。
 沼田城防護の重要な基点であったことが理解できます。
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