2005年12月

2005年12月30日

師走の情景 〜そのァ,修靴2006年へ〜

 皆さんこんにちは。師走の終わり、いかがお過ごしでしょうか。私は2006年を迎えるということで、ホームページを若干変更してみました。このバージョンはしばらくしたら元に戻すと思いますので、ご覧になっていない方はwww.suzukikeisuke.jpまで訪問してみてください。

 もっともホームページ自体も近いうちに大幅リニューアルの予定です。現在、パンフレットやいろいろなものと一元的に広報体制の刷新を行うべく検討・作業中です。まあいろいろな方に参加していただこうと思っている広報チームとして正式に動き出すのは来年の初めになりそうですが。

 さてさて話しは若干元に戻りますが、ホームページを見ていただいた方はお判りいただいたかと思いますが、実は政治家(広い意味で選挙に出ようとしている人)は年賀状も含めて挨拶状を出すことは公職選挙法上禁止されているんです。ご存知でしたか?これは資金力がある人が選挙区の人全員とか日本人全員とかに年賀状を出してしまうと選挙を戦う上で資金力が無い人に著しく不公平なので、、、という趣旨でそうなったようです。とはいえ、僕のように政治と関係ない世界からいきなり政界に入った人間からすると、年末なのに年賀状を書いていないというのはなんとなく不義理みたいで落ち着きませんけどね。(もともとずぼらなところのある私の性格を知っている古くからの知り合いなんかがこれを読んでいて変な想像をするといけないので書いておきますが、間違っても年賀状書けなくなってよかった〜、なんて思ってませんから!断固否定いたします(笑))

 またまた話は変わって仕事の話をしますと、来年に向けてはもちろんこれまでどおり、外交・安保・財政・金融・厚生・労働・環境などこれまでも取り組んできた分野についてはますます突っ込んでやっていくつもりですが、他に、東シナ海の海洋権益の問題、耐震偽装問題のそれぞれのプロジェクトチームに加わることになりそうです。前者については外交問題ですのでお話できること、出来ないこといろいろ出てくるとは思いますが、いろいろとこの場でも情報提供していければと思っています。どちらも大事な問題なのでしっかりと第一人者となれるよう勉強していきたいと思います。

 まあ、そんなこんなで年末年始も何かとやることはありそうですね。皆さんも年末年始休める方、休めない方いろいろだと思いますが、良いお年をお迎えください!
 個人的には出来るだけ時間を見つけて、「歴史・文明の流れ」や「人の心理・心情」について書物を読み、それ以上に突っ込んで考えて自らの哲学を構築していきたいと思っています。あ、これは年末年始や2006年に限らず今後ずっとのテーマですが。。

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2005年12月25日

師走の情景 〜そのぁ‥傾鎮太呼・クリスマスイブ:地震、外交、、、〜

 この週末はまた全国的に寒さが厳しかったようですね。私の方はこの時期の風物詩であるもちつき大会をはじめとして各種の会合への出席などをこなしながら週末を過ごしました。もちつきといえば、最近新人議員の間では「行った先々でもちを全部食べていたらものすごく太ってきた」という悩みが話題になっています。一歩一歩勉強の日々といった感じです。また天皇誕生日の23日には麻生外務大臣主催のレセプションに出席し、出席の各国大使と自己紹介を兼ねた意見交換を行いました。

 天皇誕生日というのは何だかんだ言っても外交上は非常に重要な日であり、海外でも在外公館において各国のVIPを招待してレセプションを開催する日となっているようです。昨年までNYに副領事(金融マーケット担当)として駐在していた経験から言えば、最近のSUSHIブームもあって、外国のVIPでも本場の(?)寿司を食べられるとあってか日本大使館のレセプションは評判が良かったように思います。そして招かれて食事をし会話をすれば多少なりとも日本に親近感を持つようになるのは人間の常であるようです。

 確かに外務省のこれまでの体質は無駄が多い体質であったことも事実で、それは断固として改めなくてはなりませんが、このようなレセプションはアルコールも入り多少やわらかい雰囲気のもと親日派をつくるにはいい機会であるのもまた事実だったりもします。レセプションに限らず、外国の重要な人物にメシを食わせるということもです(もちろん日本の政治家を外交官が接待するのは論外です!!)。日本に好意を持っている人脈を外国に作れればそれがもたらすものは情報に留まらず広い国益に寄与することになるでしょう。そのようなことを考えると、一概にこのような社交的な外交を廃止して外交官はデスクワークだけをしていればいいというものではないように思います。もちろんこのような親日派作り、レセプションも、真に有益な情報収集や対外政策・国益の確保につながらなければまさしく税金の無駄遣いとなってしまいますから、そこはしっかりと監視する必要があるのは言うまでもありません。

 おそらく我々国民が政府・外務省に求めるべきはしっかりとした戦略眼に基づいた外交を行うことであって、何が何でも費用を削ってリストラすることよりもその方が国の将来を真剣に考えるならよほど重要であります。単純に人員と予算を減らすだけなら誰だって出来ます、多少の政治力があれば。そうではなくて、不要なところは大胆に聖域なく削り、必要な所には新たにヒトやカネを回す、そのような姿勢こそが「小さく効率的な政府」作っていくのには不可欠なのではないでしょうか。

 さて、クリスマスイブの昨日はイラクから帰還してきた航空自衛隊の歓迎と慰労の式典に出席するべく愛知県の小牧基地に行きました。と書きたかったところですが、実際には新幹線から名古屋駅で中央線に乗り込んで数分後にグラッ。震度4の地震で中央線は2時間近くたっても名古屋駅に止まったままでした。止むを得ず出席をあきらめ必要な連絡をして引き返さざるを得ませんでした(後でニュースを見たら、映像から判断する限りどうも石破元防衛庁長官も同じ電車に乗っておられたようで式典に出席できずに引き返されたみたいです)。そんなこんなで私としては、残念かつ関係者にはご迷惑をおかけして申し訳ないと思うとともに、改めて「地震大国」日本とそれに対するインフラのもろさを改めて痛感しました。姉歯問題は言うに及ばず、しっかりと地震対策に取り組んでいかなくてはならんなと、改めて思った次第です。

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2005年12月23日

ニューヨーク地下鉄のストに思う 〜訴訟社会の是非〜

今日は東京近郊以外では全くひどい雪でしたね。今年は非常に寒い冬になるなんていう予想もあるようです。さて、それよりもっと寒いニューヨークの地下鉄のストライキが話題になっています。極寒のニューヨークでクリスマスにストライキというのもあまり感心した話ではありませんが、首謀者が収監されるとかされないとか、はたまたいろいろな通勤スタイルが・・・ などいろいろな話題で盛りだくさんみたいです。

 ここで個人的に思い出されてしまうのが、数年前のNY地下鉄の運賃値上げの際のこと。確か20%くらいの大幅値上げで、乗客の反発も強く、「運賃引き上げよりも経営努力や無駄な人員のリストラなどのムダの削減で対応すべきで、値上げの根拠が無い」という趣旨の裁判が起こされました。結果NY地下鉄側が敗訴してもとの運賃に引き下げるようにという裁判所の判断が示されたのです。普通であれば、日本人であれば、これで元の運賃に戻るんだろう、地下鉄側も経営努力に励むんだろうと思いますよね。
 ところが何とNYでは元に戻らずに値上げされたままの運賃が続いたのです。何故でしょう?まあ、これは信じられないような話なのですが、地下鉄側が、値上げによる券売機のプログラミングや看板の付け替えに巨額のコストが発生しており、その損害賠償を求めるという裁判(誰にかはアホらしくて忘れましたが)を反対に起こしたためにその判決が凍結され今に至っているわけです。

 当時NYで勤務していた自分の率直な感想は、訴訟大国アメリカのあまりの現状と不毛さにあきれて何もいえないというものだったように記憶しています。このように交通機関もそうですが、あらゆる産業、サービスが提供する企業の利益を如何に最大化するかという文脈でなされ、しかもそれが当然視されている社会、そのいびつさには正直抵抗感を覚えるところです。またアメリカはご存知の通り弁護士が非常に多くしかも彼らが巧妙に裁判を作り出して儲けている社会でもあります。マクドナルドを食べ過ぎて太った少年がマックを訴えたなんていう話もありましたよね。あれなども裁判を持ちかけたのは弁護士側ではないかという噂があるくらいです。
 
 今回のストのニュースは自分としては改めて「日本をそんなぎすぎすした不毛な社会にしたくない」そんな想いが呼び覚まされたニュースでした。アメリカのような訴訟社会は現実には屁理屈の世界ですが、ある意味、理屈と、論理の世界ではあるわけです。しかし人間たるもの、毎日の日々の生活は理屈で回っているわけではありません。ひとりひとりの人間の喜怒哀楽、そういうエモーショナルなものが非常に重要なのが人間の生活なのではないでしょうか。人間の奥深いところに根ざしていない単なる論理の積み重ねはまさに砂上の楼閣、非常に人間を不安定にすることになるのではないでしょうか。私は政治家として、そして何よりも一人の個人として、このような個人個人の感情、想いといったものを大事にしていけるような社会を守り、取り戻したいと思います。


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2005年12月20日

師走の情景 〜その 財政の中期展望&アメリカ大使との昼食〜

 年末といえば忘年会のシーズンですが、政治的にはそれ以外にも予算編成というものがあります。予算といえば、ご存知のとおり日本は財政赤字、国の借金が非常に、というよりも絶望的に大きいという状況にあります。借金総額は公債残高538兆円、家計にたとえれば月収40万円の家で借金・ローンが5000万円以上あるという状況(財務省)です。無駄の排除や政府保有資産の処理の方法によってやや圧縮できるとはいえこれを完全に解決するのは至難の業です。そこで、当面は2010年代初頭においてプライマリーバランスを達成する、すなわち単年度に限れば歳出を税収でまかなえる状況、新たな借金を作らないですむ状況にしようということが現在言われているところです。これは自民党の公約でもあります。

 財政赤字は大きくなると様々な問題を引き起こし、日本経済に大きなマイナスの影響を与えることが予想されています(財務省のHP:www.mof.go.jpをご参照ください)。

 そしてこの問題を解決できるのは、ある意味景気が回復基調にあるこの何年かを置いてありません。景気が再び下降局面に向かうのはある意味時間の問題ですから、そして、景気が下降局面に入れば税収減や歳出増の要請の高まりなどにより財政収支が悪化するのは自然の流れであります。現状をしっかりと認識すれば、この問題を解決するのに残された時間は相当限られているのです。にもかかわらず、政府、内閣府の反応、動きには非常に鈍いものがあります。

 現在この問題に関連して「構造改革と経済財政の中期展望」という毎年出されてい閣議決定される政府の方針が与党の審査をされているところです。そこで示された認識には正直なところ唖然とさせられました。実情として、ここ何年かの景気回復期の努力にもかかわらずプライマリーバランスの状況はあまり赤字が圧縮されていません。それにもかかわらず、政府から示された案では、端的に言えば、「これまでと同等程度の努力を行う」と言うような内容しか書かれていないのです。具体的な方針は2006年の年央に示すとしているのはいいのですが、その基本的な方向性の記述であるその該当部分で、「これまでと同等程度の努力をすればプライマリーバランスの黒字化は2010年代初頭までに達成できる」というメッセージを示しているのです。2010年代初頭というのはそう先のことではありません。わずか数年後です。今のままやっていけばその時点で恒常的な黒字を達成できる、そのような見解を内閣府が示してきたことにある意味ショックを受けました。

 この国の将来を本当に憂いている官僚であればこのような大甘な実現がほぼ不可能なことを言ってくるはずはないでしょう。まったく霞ヶ関はどうしてしまったのか。悲しい限りです。先日の部会では私はこの認識についての見解を質しましたが、役所の答えは、「毎年度出しているものの改訂なのでこれまでの記述を踏襲した」というものでした。責任感の欠如、ここに極まれり。絶望的な気分になります。

 いずれにせよこの問題は長期的なスパンの問題なので、じっくりとしっかりと見ていきたいと思っています。

 話は変わりますが、今日は昼は在日米国大使館でのシーファー大使によるブリーフィングと昼食会、夜は首相公邸で総理主催の夕食会がありました。夜のほうは本当にありがたい企画であって一時を過ごしたわけですが、昼のほうは後々いろいろと考えさせられるものでした。具体的なやり取りもそうですが、新人国会議員全員を少人数単位で「招待」し議論をするというアメリカのしたたかさに、ある意味関心しきり、ある意味「やはりアメリカは食えない国だなあ」といったところです。親米派を作るとともにそれ以上に「品定め」をしていたのではないかなあと。いい加減そうに見えてたまにハッとさせられる、これまでの何年かの経験からするとアメリカとはそんな国のようです。まあ、現状唯一の同盟国であり、東アジアの安定をほぼアメリカに負っている以上公式に何かをいえるわけではありませんが。。。
 やや長くなってきましたので(毎回だろ、という声も聞こえますが)、東アジアサミット、中国、などなどその場での議論の模様はまたの機会にご報告することにします。
 

suzuki_keisuke at 21:55トラックバック(0) 

2005年12月19日

師走の情景〜その◆僻岾?) BSE 〜 

 こんばんは。いやあ、全くここのところの寒波、雪は凄まじいものがありますね。首都圏は雪の被害は免れているようですが、日本各地ではいろいろな被害が出ているようです。首都圏だと想像できませんが、「雪は非常に怖いもの」寒いところの議員さんたちからは最近よくこんなことが聞かれます。気をつけて被害を最小限に抑えたいものですね。

 さて、ここのところ建築偽装問題の陰に隠れた感はありますが、アメリカ産牛肉の輸入再開は非常に重要な問題であることは以前もこのブログで書いたとおりです。端的にいえば、アメリカが言っていることが本当に正しければ確かに日米のBSEのリスクの差は小さいといえるかもしれません。ただしそれは建前のはなし。アメリカが本当に精肉加工のプロセスで日本のように細心の注意を払っていると信じることは非常に困難であって、実際の米国産牛はBSEリスクが日本のものよりも相当に高いと判断せざるを得ないということです。政府の報告が前提条件としておいている仮定が現実的には間違っている可能性が高いのです。

 個人的な話をすれば、私は、これでも最近3年ばかりアメリカに駐在していて、自分でスーパーで買い物等もしていたり、買い物をしている人たちの生の声に触れる機会が多かったものですから、アメリカ社会の実態はわずかであっても理解しているつもりです。その経験から言うと、アメリカ政府が外交交渉の場で主張しているような丁寧な精肉プロセス(危険部位の除去など)を全ての業者が実際にやっているはずは無いと思わざるを得ないのです。アメリカというところは、夏になれば食中毒・O157は当たり前、腐ったものをスーパーで買えば「買った人間が悪い、不注意なんだ」ということが平気で言われる国民です。もちろんスーパーではアメリカであっても日本同様、腐っているものは売られていてはなりません、建前上は。でもそれが平気で売られている、それがアメリカ社会の現実です。そのことから類推すれば、危険部位の除去を全ての精肉業者が自分で金をかけてまでやるはずが無い、そう考えるのが自然ではないでしょうか。少なくともその可能性は絶対に否定できないはずです。

 ということで、結局何が言いたいかというと、(私は日米同盟は日本の現在の状況からは絶対的に必要だと最も強く思っている政治家の一人ですが、にもかかわらず)アメリカ産の牛肉は建前上行われていなくてはならない安全策がそもそも取られていない可能性が高く、したがって実際にはBSEのリスクは日本の牛肉よりも遥かに高い、といわざるをえないということです。そして、もっと具体的にいうと、私個人としては、たとえ農林水産大臣だったとしても、米国産牛肉を使った牛丼を食べるようなパフォーマンスは危険だから断固断るだろうということです。
 
 決してどこかの営業妨害をするつもりはありませんが、皆さんにも、米国産牛肉、安易に買わずにしっかりと考えて買うか買わないかを決めた方がいいのではないか、そんな考え方をお伝えせずにはいられない思いで私はいます。実は自民党内でもこの件については反対派の意見が強く、私も反対意見を述べたこともありましたが、そんなこんなでしばらくは解禁の方向に動かないんだろうなと安心していたらいつの間にか解禁になってしまっていた、これが今回の経緯・実態です。実際のところの判断がどこでなされたのか、リスク評価がどうなされたのか、今の私にはこれ以上のことは何も言えませんが、いずれにせよこのことは国民の皆さんの食の安全、身体の安全に関わってくる問題ですのでしっかりと見守っていきたいと思っています。

suzuki_keisuke at 23:56トラックバック(0) 

2005年12月18日

師走の情景 〜その 〕住察

 皆さんこんにちは。出張やら何やらですっかりご無沙汰していました。申し訳ありません。

 さて、政治の方は与党内では税制改正も一段落し、年末に向けて予算作成プロセスのシーズンとなります。最近ではかつてと違って財政赤字も大きく昔のように政治家などの裁量が効くような予算の状況ではないので、政治家が予算編成に関わる余地というのも少なくなっているようです。かつてはベテランではない政治家でも「○×のところ頼むよ」と声を出すとそれがある程度予算に反映されるというようなこともあったようですが(他の人からの伝聞なので正しいかどうかはわかりませんけど・・・)、最近ではそんなことは稀なようです。
 
 もっともこれはある意味正しい姿というか当たり前のはなしで、地元の特定の団体の意向、すなわち選挙対策のツールとして予算のバラマキが国民の皆さんの税金を原資に行われているのは決して正常な姿とはいえないわけで、財政赤字の副産物としてのプラス面かもしれません。もちろん地元というか住民の皆さんの意向が全く予算に反映されないというのは望ましくないでしょう。だって「財務省が全てを決める国民不在の予算」というのは変ですよね。ただし、だからといって住民の皆さん一人ひとりの要望に応えるというのも非常に困難かつ限られた税財源のもとでは不可能に近いわけで、また結果的には声の大きい人ばかりが得をすることになってしまいかねないので望ましいとはいえません。おそらく望ましいのは政治家が(選挙区内だけでなく広く)国民の皆さんの意見を聞いて、長期的な視野から優先順位をつけ、予算に反映させてそれが決まった後に国民の皆さんに対してしっかりと説明をして納得をしてもらう、という方式なのでしょう。

 これまでは少なくとも、特定の声が大きい選挙にとって重要な団体の意向にかなうようなことだけをして予算に反映させてバラマキを行う、というやり方だったわけで、このようなアンフェアな方法を政治家がとらないような方向に風潮を変えていかなくてはなりません。これはある意味皆さんの投票行動に負うところが大きいともいえるのかもしれません。政治家だってバラマキをしたいというよりは選挙のためにやむを得ず強い団体にいい顔をしているという面は否定できないわけですから。

 さて、もともと「社説にちかい」との評価(苦情?)をいただくことも多いこのブログですが今日のはその色が一層強くなってしまい反省しきりであります・・・ 活動報告めいたことを若干すれば、今週は九州方面の自衛隊の状況を見させていただいたり、横須賀の米軍関係者と話をしたりと、防衛関係のスポットに行く機会が多い一週間でした。年末ということもあってか政治家関連のパーティーに顔を出すことも多かったのですが。他にも米国の研究者等との研究会への出席や東シナ海関連の議員立法の関係の委員会への出席における発言と私見などご報告したいこともいろいろと盛りだくさんではありますので、折を見て適宜今後触れていきたいと考えています。

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2005年12月13日

東アジア共同体は現実的か? 〜クアラルンプールに思いを託し東京より〜

 皆さんこんにちは。寒くなってきましたね。東京は週末初雪も降り、いよいよ冬に本格的に突入といったところでしょうか。

 さて、寒さにまったく関係ないマレーシアのクアラルンプールではちょうどASEAN+3、東アジアサミット等が開催されているところです。いろいろと日中の綱引きについての報道がされているようですが、よく言われる東アジア共同体の構想についての意見を若干述べてみたいと思います。

 まず、大前提の話として、ヨーロッパとアジアとでは状況が異なるということです。ご存知のとおりヨーロッパ諸国はフランク王国、もっと古くはローマ帝国というように、そもそも統合されたヨーロッパというものが歴史的にも何度も存在していて、彼らにとってはEU統合というのはまったく未知なるものへの挑戦ではないということです。一方のアジアについては中国は一連の言動や行動から考えるに「昔はアジアはすべて自分の支配下にあったのだ」というような思いを持っているかもしれませんが、他の諸国はそのような思いを共通の思いとしてもてるような状況にはないといっていいでしょう。朝鮮半島にしても、タイ、ベトナムにしても、日本や台湾にしても(挙げていくときりがないのでここでとめますが)、「アジアは古来中国という統一した国だった」なぞという思いはおそらくまったく持っていないわけであります。したがって東アジア諸国にとっては、東アジア共同体というのはまったく新しい未体験のもの、すなわち未知への挑戦といってよいのではないでしょうか。したがってEUと比較して、よく言われている経済格差の問題に加え域内の人々の精神的なハードルはかなり高いように思われます。

 次に、共通の思いを持ちやすい環境にあるヨーロッパですら、統合が成し遂げられうる状況になっているのは、仏独という大陸ヨーロッパの二大国家が共通の脅威を持ったためであるという点です。この脅威はあるときにはソ連だったかもしれませんが、アメリカという圧倒的な力に如何に対抗するかという大西洋の向こう側の超大国に対する共通の思いというものの大きさは決して無視できないものであるように思えます。共通の敵を持つと同盟は成立しやすいというのはおそらく真理でありましょうが、逆説的に考えれば、共通の敵をもてない場合には同盟や共同体は成立しにくいということがいえるのではないでしょうか。今の東アジアを見れば日本と中国が共通の敵なり脅威をもてているかといえばそれは疑問です。日本は自由や人権、民主主義といった普遍的な価値を共有しているかという観点からすれば中国よりも中国が最大の脅威とみなしているアメリカに近いわけですから。しかも今回の東アジア共同体に関する中国の外交姿勢から判断すれば、中国の意図がアメリカの東アジアにおける影響力の低下を狙って自らの影響下での秩序を確立しようという長期的な目標にあるというのはある程度明らかであるように思われます。一方ASEAN諸国は中国の圧倒的な影響力のバランサーとして日本に期待しているという観もあるというように、ある意味共同体の枠内に入りうる国々の意図や方向性が極端なまでにばらばらであるということが言えるのではないでしょうか。統一的な意思の方向性が欠如しているというのが客観的な判断であるように思えます。

 次に一般論になりますが、共同体というのは、NAFTAのようにひとつの圧倒的な国(アメリカ)がリードして他の国がそこに組み込まれるタイプ、EUのようにいくつかの強国(仏独)が強力な政治的意思を共有し他の強国(英(伊))がそれに反対はしないことで成り立っているタイプ、の二通りがあるように思われます。そして前者は極論をすれば求心力は唯一絶対的な中心国にあり、後者は共通の脅威に対する恐れを共有するところに求心力があるといえるのではないでしょうか。こうした観点から考えると、東アジア共同体の場合、,里茲Δ淵織ぅ廚砲覆襪砲脇本のような強国が存在しており、中国も共産主義独裁国家であるため中国の傘下に喜んで各国が入るという状況は起こりにくいために圧倒的な求心力を中国ですら持ち得ないという問題があり、また一方で、△箸覆襪砲脇中及びその他の諸国が脅威を共有しているかというと、むしろ東シナ海や南シナ海で各国の共通する安全保障上の脅威は中国であったりする訳で、域内国による脅威への恐怖の共有は困難と思えてしまうわけです。

 もちろん私は経済的なことや地域の安定のためには、自由や民主主義、人権等の基本的な価値観さえ共有できるのであれば、長期的にみれば地域共同体というのは素晴らしい理想であり選択肢だと考えていますし、そもそもこの話が話題になる以前からそのような思いはもっていたものでありますが、現実的なことを考えれば現時点での東アジア共同体の実現可能性は低いといわざるを得ないのではないかという気がしてしまうのであります。もちろん日本の外交上、国益を守る観点からは、東アジア共同体については、どうせ出来ないのだからといって放っておくのではなく国際会議での議論の行方を見守ることは非常に重要です。
 特に現在は地域全体、もしかすると世界全体が中国の急成長に目が行ってしまっており正常な冷静な判断をできない状況にあるため、中国を中心にアメリカのみならず日本すら排除するような中国中心のNAFTAタイプの共同体が既成事実として作られ周辺国がやむを得ずそこに加盟してしまうという可能性は否定できませんから、そこのところはしっかりとウォッチしていく必要があることは忘れてはいけないのでしょう。共同体ができてしまった場合、そこに入っていないこと、もしくは後から影響力をもてない形で入ることは国益にとって明らかにマイナスであることも客観的な事実であり、なんとしてでも避けなくてはいけない事態であるわけですから。

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2005年12月08日

とある師走の一日 憲法と税と

 今朝は党の憲法調査会、その後いくつかの会合をこなし党税調の小委員会等に出席。

 憲法調査会は憲法改正のための国民投票法案についての討論でした。国民投票法案のポイントとしては、‥衂縞式を一条ごともしくはトピックスごとにするか全体で一括とするか(それを法律に明記するかしないか)、投票日を複数とするか、A挙のときのようにメディアを規制するべきか、づ衂七覯未鰺効とするにあたって最低投票率を設定するか、といった点が挙げられます。これらは実は細かいようでいて憲法改正の行方を左右しかねない問題だったりするのです。例えば投票方式を例にとれば、バラバラだったら自分は○条には反対だけど●条には賛成という人は一括での投票であれば賛否どちらにしようかという悩みがうまれるわけです。投票方式の設定の仕方が結果にも微妙な影響を与えるといっていいでしょう。また、最低投票率についても、投票率が低い場合にそこで過半数をとったからといって憲法を改正してもいいのかという疑問が残ります。

 私は憲法の改正とは単なる法律の改正ではなく、ある意味で日本の国の形をきめるものであると、そしてであるからこそ、改正の内容も重要だが、それと同じくらいに国民の一人ひとりが国のあり方を真剣に考えるようになることが大事なのだと考えています。そのような観点から、もっとも大事なことは、国民の皆さんが白けてしまわないような投票方式を導入するということです。具体的には、焦点がはっきりするように、関心を持ちやすいようにシンプルでわかりやすく、ただ、責任感を同時にしっかりと持ってもらえるようなそういう仕組みにするべきでしょう。おそらく前述の最低投票率を設定するという議論はその「責任感」につながるものなのではないでしょうか。自分が投票に行かないことで投票者の過半数が賛成している憲法改正が行われなくなるかもしれないのですから。もっとも、このように投票率が理由で通らなかった場合には、否決されたわけではないのですから、一週間置いてまた再投票を行うなどの措置も検討できるのかもしれません。

 このように、実は意外に重要かもしれないのがこの国民投票法案なのです。そして、予定ではこの法案は次の通常国会に提出されるかも知れないとのことです。いよいよ憲法改正が政治日程に載りはじめるということでしょうか。

 さて、その後の午後の税制調査会では企業の研究開発費にかかる税制について発言し、多少の打開案(?)を提案しました。まあ提案といってもわれわれ一期生の発言は言いっぱなしになることが多いのでしょうけど。ただ、しっかりと考えたことはそうであっても発信しなくてはまったく意味がありませんから、そこは虚しさをぐっとこらえて発言を繰り返していくしかないようです。若いうちは・・・

 さて、明日の税調ではいよいよ環境税の議論です。状況は厳しいと思いますが、しっかりとした議論を行っていきたいと思います。明日までにしっかりとした理論武装ができるか。税制はある意味「理」の世界なので、知的に鍛えられるのは確かです。広い視野で大所高所にたって長期的な国益を踏まえていい議論を展開していきたいものです。

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2005年12月07日

イラク自衛隊派遣延長について

 今朝は8時からの自民党の内閣・国防合同部会に出席。イラクへの自衛隊派遣の延長問題について、明日閣議決定予定の基本計画の審議を昨日今日の二日にわたって行いました。主な論点としては、ー衛隊以外の支援方法をどう考えるか(JICA等が主体となるのか)、▲瓮妊ア等を使ったPRの仕方、E餌爐箸いΕ縫絅▲鵐垢魴弉茲涼罎亡泙泙擦襪里適当か、ぅぅ薀の状況のみを見るのでなく日米関係という観点も重要ではないか、といったところでしょうか。

 私個人としては、延長そのものには賛成のスタンスですが、いろいろと思うところがあって次のような発言をしました。
「自衛隊が海外に派遣されるということはよほどのことであり、派遣するに当たっては非常に厳しい決断をしたと認識している。その判断基準には、地政学的環境の厳しさ、自主防衛ができない状況等を抱える日本はその安全保障上日米同盟を少なくとも当面は外交政策の基軸とせざるを得ないことから、対米関係への配慮もあったと聞いている。然るに今回の計画の改定に当たっては撤退の条件として英豪軍の状況と明記しているようにも読めてしまう。これは対米関係と撤退の判断を切り離すということなのか?また仮に安全が確認できたということで英豪軍がサマワから撤退した場合には米国からの要請があってもそれに応えるか否かという判断を日本政府がする間もなく自動的に撤退することになってしまうのではないか。外交戦略の一体性を考えると、これで果たして良いのか?加えて、このように条件を明記しすぎると何が起こるかわからない国際情勢の中で将来の日本政府の主体的な外交判断を縛ることになるのではないか。」
 これに対し政府より主体的な判断の余地はしっかりとある旨説明があったため、あえて反対はしませんでしたが、戦略的な外交という視点からすれば若干不安というか心もとなさが残るものに思えてしまいます。

 昨日の会議でも私は「イラクへの派遣については当初日米関係強化の必要性という説明もしていたはずであり、国民の皆さんもアメリカとの関係で必要なのだというところは何となく承知していただいていると思う。ここはひとつ正面から国民の皆さんに対する説明責任を果たすという意味で誤魔化さずに対米関係の重要性と外交戦略の一体性から説明すべきではないか。」との趣旨で発言させていただきましたが、今後はしっかりとした説明を政府に求めていくとともに、私自身も与党の政治家としていろいろな機会に国民の皆さんに明快な説明をしていきたいと思います。

 最後になりましたが、苛酷な環境でなれない地で任務につかれている自衛官の方々(イラクに限らず)には心からの敬意と感謝の意を捧げたいと思います。任務を果たされての無事の帰国を祈るばかりです。

 このような問題だとなかなか皆さんがどのように思っているか意外と知らないことに気づきました。来年に予定しているホームページの改定後はそのようなアンケート機能も持たせようかと思っていますが、当面は皆さんからのメールが一番のツールです。思うことがあれば、どんどんメールでご意見いただければと思います。

 余談ですが、会議が終わって党本部から議員会館のオフィスへの帰り道、テレビ等でもおなじみの某先輩議員に「鈴木さんホームページみましたよ。よく発言されるから。いいことかいてますね、頑張ってください!」と声をかけていただきました。優秀な新人議員はたくさんいるので皆に声をかけているんだとは思いますが、このような激励はとても嬉しいものです。染まらずに自分らしく、しっかりと真剣に政治をやっていこうと決意を新たにしました。
 あと、ついつい忘れがちなんですが、確かに未知の人の情報って最初はHPで調べるんですよね。ホームページが未だに中途半端なものであるだけに早く完成させねばいけませんね。後回しにしてはいけないものなのに、ついつい手が回っていなくて、反省しきりです。

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2005年12月05日

南アジアからの来訪者

今日は日程をこなす合間に、夜から都内某ホテルで開かれた日本留学経験者歓迎のレセプションに出席。今回は南アジア(インド、ウズベキスタンからアラブ諸国にいたるまで)が中心でしたが、各地域ごとに外務省が旗を振って定期的に開催しているようです。国会議員の参加は他には無いようでしたが、個人的にいろいろな意味で非常にいい試みと思いましたので、出席させていただいた次第ですし、今後も応援していきたいと思いました。そんなこんなで各国から来られている皆さんを前に拙いお祝いの言葉を述べる機会もいただきましたが、元留学生の方々に真意がしっかり伝わって今後の交流の拡大に貢献できればと願うばかりです。

 実際、自らも研究員として留学経験を持ち、アメリカが戦略的に外国(特に途上国)からの米国への留学というものを活用していることを米国に駐在する間に目の当たりにしてきた身としては、ようやく日本政府もその意義に気付き始めたのかと感慨深いものがありました。
 留学生にとってはその留学先というのは青春の一ページだったり、非常に感慨深いもので、自分の過去への追憶とあいまって非常にいい思い出として心に残っていることが多いものなのです。諸外国にいて思うことですが、とりわけ日本という国は一度訪問したことがある外国人からはめったに悪い評判を聞かない、行ったことが無い人に限ってステレオタイプ的な日本批判をするという傾向が顕著に見られる国です。その整然とした雰囲気や社会の安定感、治安の良さ、人々の活気に日本人に対する非常な好印象を受けて自分の国に帰る外国人は留学生に限らず旅行者でも非常に多いのです。これはひとえに日本人のよい面が滲み出ての結果だと思われますが、そうであるならこのように日本に非常にいい印象を持ってくれている外国の人々を日本としてそれなりに遇することで、相乗的な草の根からの外交効果が確実に見られるはずです。これこそまさに「ソフトパワー」の一番わかりやすい例かもしれません。それも留学生と日常接する学生、教授、地域の人、こういったまさに特別ではない人々が外交の最先端に立っているという意味で、真の「草の根外交」といえるのかもしれません。このような輪が広がっていくのを心から願いたいと思います。

 日本に留学した事のある外国人の集いという意味では、戦前の南方からの留学生と日本との心のつながりという話を耳にしたことがあります。戦前日本で青春を過ごした彼らはその全てがその後の人生において勤勉に努力し、それぞれの国で相当の指導的地位についたといわれます。そして目に見えなかったかもしれませんがこのような留学を通じて親日的な思いを持った指導層の存在が外交において日本にもたらしたものは、何ものにもかえがたいほど大きかったはずです。

 それだからというわけでは決してありませんが、今日お目にかかった方々にも日本での経験も生かしてそれぞれの国での成功を心から祈りたいと思います。非常に優秀な方ばかりのようでしたからおそらくそれは現実のものとなるでしょう。今後の日本の政治・外交にたずさわる者の一人として、彼らには「日本はいつも歓迎してくれる」そんな思いを持ってもらえればと思います。彼らの何人もが「自分は祖国と日本の架け橋になりたい」そう言っていました。常に物質的とはいきませんが、少なくとも心理的にはしっかりとその気持ちをサポートしていきたいものです。

 もっともこのようなことも、彼らがその原体験として、日本における留学生活を楽しく有意義に過ごせたからはじめて言えることです。私たちが初めての日本、異国の地で心細い思いをしている外国人留学生を本当に心から歓迎し、サポートできているのか、改めて自省の念とともに考えてみたいと思った一日でした。

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2005年12月04日

主要国の政治リーダー in 2008 〜読めないんです!!〜

 皆さん週末いかがお過ごしですか?今日なんかあいにくの天気ですね。

 さて、昨日の新聞(Financial Times)にサルコジ内相の特集が載ってました。そう、皆さんご存知のとおり彼は次期フランス大統領の有力候補です。記事によると彼は28歳である市の市長選挙で勝利し、それが政界への第一歩となったとか。いずれにせよかなりの個性派ですので、今回の暴動をどのように治めていくかも含めてフランス国内の内部分裂、対立を如何に収めていくのか、その手腕に注目したいところです。まあ、同じことはライバルといわれるドビルパン首相にもいえますが。。。ドビルパン氏は何でも貴族の家系で(フランスではド・○○という名前は貴族の家系だそうです)詩集とかも確か出している文化人で、国際的に名を挙げたのは皆さんもご存知でしょう、外相時代のあの国連総会でのイラク戦争反対の演説でした。アウトサイダーな印象があるサルコジ内相と対照的にドビルパン首相は選挙を戦ったことのない官僚出身、いろいろな意味でコントラストが目立つ次期フランス大統領選の有力候補です。 

 何でこのようなことを書いたかというと、これから2008年にかけて主要国のリーダーが一斉に変わるここ最近では珍しいくらい将来の指導者が見えない時期に今あるのだなあということを改めて思ったからです。各国の状況を見てみると次のようになります。

日本  :来秋小泉総理退陣
アメリカ:2008年大統領選 (ブッシュは不出馬)
イギリス:ブレアは来期不出馬を明言、ブラウンへの禅譲のタイミングが注目点
ドイツ :メルケル首相が就任したばかり 大連立で今後は不透明
フランス:2007年大統領選挙 (シラクは不出馬)
カナダ :現首相退陣、来年一月総選挙
ロシア :2008年大統領選 (プーチンは不出馬)
中国  :北京オリンピックが2008年
台湾  :2008年総統選 (政権交代の可能性)
 
 正直、これはすごい話です。ましてや日本の周りでは、中国のところで書いたように東アジアで、中国でオリンピックもあり、台湾海峡、朝鮮半島の情勢は依然としてきわめて不安定です。そんな中、わずか2,3年後、2008年以降におそらくまだいるだろうと思われるのが主要国の指導者ではメルケル独新首相のみというのはまさに先行きが読めないこの時代を象徴しているように思えてなりません。
 この先行きが見えない時代、変化やいろいろなもののスピードが速く、グローバル化した時代にあっては、まさに的確な情報を得て的確な判断を下すことが政治指導者には求められています。特に外交においては、国の根幹である広義の安全保障にすぐに響いてきますので、政治リーダーの責任はきわめて重大です。
 私も改めて、責任の重大さと、その任に堪えうる歴史観、大局観に裏打ちされた責任ある判断が出来る人間となれるよう、しっかりと自己を鍛錬していかなくてはと改めて感じています。私は昔からローマをはじめとする文明の盛衰には非常に惹かれるものがありました。文明の盛衰はドラマチックでなんとも言えずセクシーなものであります。
 私もこのような機会をいただいたからには、「日本」というものを文化も含めてもう一度見つめなおし自らの認識を持ちながら、文明論の観点からもしっかりと将来を見据えた政治的決断をできる、そのような政治家になっていきたいものです。

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2005年12月02日

金融市場について思うこと

 今日は日経平均株価が5年ぶりに終値で15000円台回復、ドル円も一時期120円まで売られるなど、マーケット関連のニュースが多い一日でしたね。私の個人的な感情としては、そんなニュースを耳にすると、ニューヨークで日々金融マーケット関連の仕事をしていた2,3年前の日々をついつい思い出してしまいます。

 あの当時のニューヨーク市場はFEDの金融政策決定会合(FOMC)のたびに発表されるのは利下げ、株式市場を見てみれば企業会計スキャンダル、為替では米国の経常収支赤字がフォーカスされユーロ・円ともにドル売り基調に歯止めがかからず、という状況でした。信用もかなり収縮していたような気がします。またちょうど、りそな銀行の処理やら何やらで、日本に対するアメリカのマーケットの信任が好転し始めたころでもありました。それが今では堅調な株価に象徴されるように物凄い「日本買い」です。全くこのグローバル化、IT化が進んだスピードの速い現代においては、市場の「流れ」とかモメンタムというやつは何かの拍子に気がつくと変わっているものなのであります。

 まあ、そうはいっても、いろいろな考えがあるにせよ、常々思うことは、マーケットにおける真理は唯一つ。「皆が買えば上がり、売れば価格は下落する」、これだけだということです。あとは、経済指標だとかニュースだとかそれぞれの材料を投資家がどのように判断するか、つまり売り材料と考えるのか買い材料と考えるのか、だけであって、これは正直理屈ではなく、ほぼ心理学の世界であります。同じ材料でもその時期やムードによってそれが持ついい面にフォーカスを当ててみんなが買いの材料にすることもあれば、全く逆に否定的な材料と見て売り材料としてしまうこともあるわけです。これは真理や真実が一つだけあるという世界ではなく、そのときのムードにより見方が180度変わってしまうという極めて不合理なある意味人間くさい世界であるようです。そういう意味もあって私は金融マーケットやそこにいる参加者の方々に非常な好意と敬意を抱いている次第でありますが、同時に経済の中であまりにも強くなりすぎるマーケットという仕組みそのものに対してはある種の懸念も持ってしまうわけであります。

 忘れがちなことなのですが、金融マーケットはマーケット内それだけで完結しているわけではなく、そこで評価にさらされながら、別の表現で言うと資金調達の必要から常にマーケットにどのように評価されるかを気にしながら企業を経営している企業家がいます。日本経済はある面そのような企業等の集合、積み重ねであって、本来日本の長期的な競争力を考えれば、各企業においても長期的戦略に基づきすぐに利益を回収できないような息の長い基礎研究等に資金が回るようでないといけないわけですが、常にマーケットの評価にさらされていると経営者はそのような長期的視点よりもすぐに結果が出る短期的視点に偏った経営をしてしまいがちです。このことは実はマーケットがもつ最大の構造的な欠点だと個人的には思っているのですが、なかなかそのようなマイナスを打ち消せるような枠組みを考え付かず日々悩んでいるわけです。まあ、このことは今日明日に解決できるということではなく長期的に考えなくてはいけないテーマではあるのですが、昨今の政策金融をめぐる議論の中で忘れられている視点(本来政策金融に求められるものはこのような市場の失敗のリスクを補完する役割でなかったのか?)かとも思われたためここに問題提起させていただいたわけです。

 市場をベースとした経済を今後も積極的に進めていく上で、こういったマーケットが持つマイナスの点を解決できる何らかの枠組みについてもその構築は急務であり、如何にしてそれを作ることができるのか、思い悩む今日この頃であります。

suzuki_keisuke at 01:25トラックバック(0) 
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