2007年03月

2007年03月30日

霞ヶ関・公務員改革、突き進むべし。ただし・・・

ここのところ公務員制度改革の議論が盛んです。私も今の公務員制度にはメスが入るべきと考えています。私はご存知の通り国会議員となる前は国家公務員、いわゆる官僚でした。7年の短いキャリアながら大蔵省、福岡国税局、米国大学院のフェロー(研究員)、外務省(在NY総領事館)、厚生労働省といろいろな組織で勤務させていただきました。なので、ともすると「身内」と思われることも多くなかなかやり辛い面もありますが、この場をお借りして若干の意見を記したいと思います。もっともここで書かせていただく公務員はいわゆる「官僚」。霞ヶ関の政策決定に関わって激務に従事している国家公務員についてで、九時−五時勤務の安定した仕事のきつくない「役人天国」のお役人についてではありませんのでご留意願います。

 さて、確かに最近霞ヶ関の機能が低下しているのは深刻な事実です。にもかかわらず今の日本は少子高齢化、緊迫する東アジア情勢、環境問題、教育や心の荒廃、莫大な財政赤字と危機的な状況にあります。これらの問題は民間の活力だけで乗り越えられるものではありません。だから今こそ政治とそして霞ヶ関の抜本的な改革が必要なのであります。優秀な人材が熱気を持って課題に取り組む、そんな霞が関にかえていかなくてはなりません。

 相次ぐスキャンダル、そして実際内部に漂うある種のあきらめと前例踏襲主義の下でルーティーン化してしまった官僚の仕事、無駄の多さ、硬直化した年功システムと国益を置き去りにした省益争い、その結果不必要に肥大化してしまった政府。優秀な人材が熱気を持って突き進むには程遠い状況にあるこんな霞ヶ関は解体的出直しをしなくてはなりません。この国の将来のために、そして国民の皆さんが必死に働いて納めた税金の無駄をなくすためにもすぐに取り組まなくてはならない問題です。そのためには政治がリーダーシップを持って大胆に公務員制度に切り込んで肝を据えて抵抗を排し構造改革を断固として行っていかなくてはならないでしょう。

 おそらくこんな問題意識、思いを共有される方は多いのではないかと思います。そしておそらく霞ヶ関の内部ですらそうなのではないでしょうか。

 そんな思いから私は霞ヶ関の改革は今こそ不退転の覚悟でしっかり行っていかなくてはならない。そんな思いでいるわけです。

 しかし最近の一部の論調を見ていると、私は公務員改革の話はともすると、「官僚に如何に国のためにいい仕事を決死の覚悟でしてもらうか」という方向の「改革」ではなく、「公務員を叩けば票になる」という「公務員たたき」になってしまっているような感覚を受けています。確かに仕事もせずに楽をして高待遇の公務員は叩かれてしかるべきであって、そんな状況はなくさなくてはなりません。正直そんなもんは論外なのであって改革の対象にすらならんわけです。霞ヶ関で日々深夜まで仕事をしている国家公務員についてはそんなことが問題の本質なのでは無いわけです。もちろん襟を正す部分はあるのは事実でそこの点もしっかり正さなくてはなりませんが、彼らの一番深刻な問題というのはまったく別のところにあるのです。

 ここで国家公務員、官僚はどのような意味で必要なのかを考えてみたいと思います。確かに建前としては「民意を代表する政治家が意思決定をし、官僚がその遂行を自らの意思をいれずに行う」のかもしれません。しかし現実問題としては全てのレベルの意思決定を政治家がするわけではなく、優秀な官僚にある程度の部分の決定を委ねなくては国政は回らないのも実情です。すなわち「政治家が大きな方向性の決断をし、テーマや課題や中レベルの方向性を示した上で、その実現のために最も効率的な具体的な政策手段の決定の大枠は官僚が決める」というのが現実の中での理想形です。政治任用がかなり下のレベルまで存在しているアメリカを除けば、主要国は大体このようになっているはずです。したがって長い目でこの国の将来を考えれば、政府に優秀な人材を集め、情熱を持って必死に仕事をしてもらうことこそが国益を満たすのではないでしょうか。国家公務員の仕事はただ淡々と日々の業務を処理しこなせば良いという仕事ではなく、ノーブレスオブリージュの観念にもつながるものが求められる仕事なのではないかと私は思います。「叩けばいい」という一部マスコミや一部政治家のスタンスには正直疑問を覚えます。「票」や「大衆受け」よりも「この国の将来への責任」を政治家は意識するべきだというのが私の信念です。「小さな政府に優秀な人材が集い情熱を傾けて国のために働く」というのが霞ヶ関に求めるべき姿の一つなのではないでしょうか。

 その観点からするとどのような制度改革が必要なのでしょうか?

 もちろん政策は生え抜きの公務員に独占されるべきものではありません。課題は山積しておりオールジャパンで取り組まなくてはならない、だからこそ公募や官民交流は積極的に進めていくべきでしょう。切磋琢磨、知の自由競争を実現することにより日常に流され馴れてしまうことがないわけでもない生え抜きの官僚の意識改革にも効果的だからです。

 また無駄を省くために不必要な人員を削減することや無駄な規制を撤廃し政府を「小さく」していくことは論を待たず必要なことでしょう。

 しかし例えば定年の延長、官僚が民間に行くのを防ぐために退職時までいられるようにするといったことなどは、年功序列がなんだかんだいって民間企業・政府の殆どで色濃く残っていて劇的変化は望めない現状(政治を見てもそうではないでしょうか?)の中でこんなことを行えば、人事が停滞し、年齢が上で能力や意欲に疑問がある人が組織の中に滞留し「やる気と能力のある若い人材がアホらしくなってくさる」という最悪の結果をもたらすことは目に見えています。

 また、極端にプライドや待遇を下げれば、現実問題としては良い人材は公的部門に来なくなってしまいます。現実に最近の優秀な学生はロースクールや外資系企業に流れることが多く官僚志望というのは非常に少ないという実態があります。さすがに給料が7,8倍違えば現実としてはそうなってしまうわけです。志を抱こうにもここまで官僚たたきが激しければ厳しいのではないでしょうか。

 人材バンクの話も今は議論の段階で、最終的にどのような枠組みとなるかはわかりませんが、「営業が弱い人材派遣会社」のようなものを作って機能しない、情報や担当の熱意・能力の問題でマッチングが全く出来ない、といったものとならないことを期待したいと思います。機能しなければ不要な人材が滞留し、霞ヶ関は「小さく強い政府」とは程遠いどうしようもない組織になってしまいます。こんな事態にしては決してなりません。

 理想は現実を踏まえた上に持たなくては良い変革は出来ません。民間企業ですら大企業は系列や関連企業に自らの社員を最後は「あっせん」し天下らせているのが日本社会の現実です。そのような年功序列・終身雇用の風土がまだ確としてある中で霞ヶ関の人間だけが30年勤めた後に自分の力で再就職先を別業種に求めなくてはならない、そんな状況にすることが本当に「優秀な人材が情熱を持って国のために働く」ことにつながるのか。国家や社会のために身を粉にして働く優秀な人間がいなくなることはジワジワと国の中枢を目に見えない形で蝕んでいきます。そんなことが無いようにしっかりとパフォーマンスではないこの国の将来にプラスとなる霞ヶ関改革に取り組んでいきたい、そう思っています。


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2007年03月27日

心の活力こそ地域再生のカギ

 皆さんご無沙汰しています?いかがお過ごしでしょうか。

 最近は神奈川県知事選挙等の関係で国会日程の合間は神奈川県内を飛び回っていることが多いので、若干更新が滞っていて申し訳ありません。ダメですね、こんなんでは。。しっかりと頑張っていきます。

 神奈川県といっても丹沢から横浜・川崎まで、山間部から大都市首都圏までいろいろあってその地域地域の顔はさまざまです。地域が変われば悩みも変わるわけで、つくづく政治家たるもの、現場主義でまず実情を可能な限り把握しなくてはならないと痛感する毎日です。長期的、中期的、短期的さまざまな視点からものを考える必要がある政治家ですが、現実を知らずしてはただの机上の空論、空虚な理屈を振り回すことになってしまいます。決してそうならないように、足を使って活動していきたいものであります。まあ、考える時間や余裕が無いのも、政治家としてはどうかと思いますから、そのバランスが大事ということなのでしょう。。。
 
 さて、そんな合間にも東京で知人をはじめとしていろいろな方とお話しすることを怠るわけにはいきません。先日はとあるベンチャー企業の社長さんと話す機会がありました。若いながらも(私も若いですが)、しっかりとした考えの下に努力し続けている生き様が感じられて私自身非常に元気をもらったのを覚えています。と同時に既得権益を打ち破って抵抗を排して自由競争が出来るような分野を増やしてきたことが、いろいろな人に新たなチャレンジのチャンスをもたらしていることを痛感した次第です。

 ここのところ民主党や朝日新聞をはじめとするマスコミは「格差拡大」といって構造改革路線や自由競争原理を批判しています。しかしながら私は依然としてこう思います。今のこの国に何よりも必要なのは沸きあがるような国民各人の活力や前向きな挑戦する心なのではないのかと。

 確かに格差やいろいろな問題が無いとは言えない現在の世の中ですが、社会が、そこに生きる人々がより幸せになるためには、結果の平等ではなくて機会の平等、一人一人のチャレンジしようという気持ちが生み出す活力こそがもっとも必要とされているのだという軸は失いたくないものです。

 先日訪れた福島県はその中の都市部においても過疎化が進んでいるように見えました。繁栄する東京の一方にあるこのような地方。地域間格差はその地域に生きる人々の挑戦する心を奪い、可能性を殺してしまうから、絶対に是正しなくてはならないのであります。別に頑張らなくてもお金をもらえるようにしたからといって、そのようなバラマキをしたからといって本当の地方再生に繋がるとは私は思いません。

 「人はやれば必ず出来るんだ」「頑張ろうと思っても頑張れない、頑張るのがバカバカしくなるような社会こそが問題なのだ」、この思いこそが結果の平等でなく機会の平等を経済の軸とする私の思いの根本です。この国の将来に責任を負う政治家としてこれからも人々の心の瑞々しさ、活力を機軸にすえてより良い社会を作るべく頑張っていきたいものであります。

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2007年03月19日

一部の報道に疑問を呈する!

 朝日新聞で「分裂にっぽん」なる特集記事が始まり昨日今日とでかでかと一面に掲載されています。「海外からの警告」としているから日本に何かを警告したいのでしょう。で、一体何を??

 内容を読む限り日本が格差社会になっているということを警告したいというコンセプトのようです。初日の昨日は大きく「富裕層への富の集中」という表を掲載。日本を含むいくつかの国において上位二割の人々が所得や消費のうちどのくらいの割合を占めているかを比較した表です。見たところ、日本(34%)はドイツ(36%)と並んで中国(50%)やアメリカ(45%)の少し下程度に位置していると言いたいようです。でも本当に日本はそんなに富が偏在した社会なのでしょうか?

 不思議に思い、その表の元ネタである世界銀行のデータを検証してみました。詳細なデータを取って、トップ10%の人が一番所得の少ない10%の人の何倍の富を持っているのかを算出してみました。結果は日本(4.5倍)、ドイツ(7倍)、アメリカ(15倍)、中国(18.5倍(参考:香港17倍))というもの。「日本の富の偏在はドイツと並んで中国やアメリカの少し下程度」という先ほどの表のイメージとはかけ離れたものであります。

 確かに競争社会だから格差は無いとは言えません。それゆえこれから政治は機会の平等や地域間格差の解消に努めていかなくてはならないでしょう。私はその重要性には全く異論を唱えるものではありません。しかしながら、だからといって日本が最も格差があるようなイメージを与えられるようなデータの見せ方をするのが正しい報道の姿勢であるとは私には全く思えないのです。もしそれが正当化されるのであれば新聞やテレビはもはやアジテーター(扇動者)に過ぎなくなってしまいます。

 私はテレビにしても新聞にしても真剣に質の高い記事を書いている素晴らしい優秀な記者が大勢いるのを知っています。しかし一部にそうでなく自分の思っている方向に世論を誘導しようとして「やらせ」とまではいかないまでも公正でない記事を書く記者がいるのもまた事実であります。

 そして、もしそれが実態であるならば、新聞やテレビを報道やニュースであってもまずは疑ってみること、真実は何か自分の目で探ってみること、こんな姿勢が我々には必要なのではないでしょうか。政治家でなく、この国や社会の将来を真剣に憂うる一人の人間としてそう思った次第です。

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2007年03月18日

防衛大学校の卒業式に出席して

 今日の昼横須賀で行われた防衛大学校の卒業式の式典に出席させていただきました。あのみんなで一斉に帽子を天に向かって投げるやつです(もっともあれはアメリカ軍の士官学校の風習をまねたものらしいですが・・・)。私も外交や国防、安全保障に携わる政治家である以上当然のこととの考えのもと、当選以来毎年出席させていただいていて(といってもまだ二回目ですが)います。

 今日の出席者は政治家では安倍総理、久間防衛大臣のほかは与党では小泉前総理、小此木衆院議員と私、民主党から白議員の合計6名、昨年も似たような状況で当時の小泉総理、防衛庁長官の他には記憶にあるところで河野太郎議員くらいで、他にいても数人という感じでした。今年は統一地方選挙直前というタイミングであり日程が厳しいということはあるのでしょうが、昨年も似たような状況であったことを考えればまあ、これが通常の姿なのでしょう。「出席して祝意を表する政治家が意外にも少なのだなあ」というのが正直な感想です。

 少なくとも私個人としては、我々政治家は仮にも国会の場で「国を代表して国のために行ってきてくれ」と自衛隊を危険な地域に派遣することを決定しているわけですから、そして今後も国会の決定次第で彼らを命の危険にさらす命令がなされる可能性はあるわけですから、部隊派遣の式典や今日の卒業式のような場には出来るだけ出席させていただきたいと思っているところであります。

 加えて、今日も卒業生全員の凛々しい顔を一人ひとり近くで見させていただき、頼もしく思うと同時に、喜びを共にしているご家族の方々の思いを感じるとき、この若者たちを戦場で死なせるようなことは出来る限り避けなくてはならない、そんな思いを新たにしたことにも触れたいと思います。

 もちろん日本の近隣には日本に対し友好的とは言いがたい意図を持っていると思われる国が存在しているのは事実です。そしてわが国としてどんな手段に訴えてでも絶対に譲るべきでないものがあるのもまた事実であります。しかし、そんな厳しい交渉においても、武力衝突というような事態は出来る限り避けなくてはなりません。究極の場面においても、どのような決断を下すにしても、机上の空論でない血の通った生身の人間としてのぎりぎりの判断を自らの決断として下せるような政治家でありたい、改めてそう思った今日の防衛大学の卒業式でした。

 最後に改めて卒業生の皆さん並びにご家族、ご友人のみなさんにはお祝いの意を表すると共に、正式に自衛官となった彼らの今後の一層の鍛錬を期待したいと思います。

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2007年03月15日

衆議院の無駄遣い・・・

 最近オフィスのある議員会館で槌の音が鳴り響いています。今はまさに議員会館の立替工事の真っ最中。あ、これは今噂になっている議員宿舎ではなくて議員のオフィスがある国会の横の建物のはなしですのであしからず。

 この議員会館は建ったのが確か1963年ということで45年近くが経過しようとしています。正直来客や仕事、セキュリティーや安全性のことを考えればオフィス機能の強化のためにも建て替えてもいい時期なのかなという気はしています。ただ、無駄は最低限にして欲しいものであります。そんな意味でこれはどうかと思う例を一つご紹介しましょう。

 昨年だったでしょうか、結構前に事務所の窓ガラスが工事でうるさいからという理由で二重サッシになりました。それですら「まあ、そこまでしなくてもいいじゃないか」と思いましたし無駄な費用だと正直思わないではありません。



騒音防止の二重サッシ


 でもさらにすごいのは、「二重サッシになって夏部屋がより暑くなるだろうから」という説明のもと、全館冷房であるにもかかわらずそれに加えて部屋にエアコンが取り付けられたのです。それも聞いてみると使えるのは今年の夏からとか。建替でこのオフィスを移ることを考えれば僅か2、3回の夏のために数百台のエアコンの設置工事がなされたわけです。「いくらなんでもこれは無駄だよなあ」そう思わずにはいられません。



「これはいらんだろう」と言わざるを得ないエアコン


 私は国会議員が国のために仕事を思う存分出来るような環境は必要だと思いますし、全てのものが無駄だというつもりはありません。「でもさすがにこれはちょっとなあ」思わずにはいられません・・・・

 さすがに同僚の議員からも同じような声が聴かれます。衆議院の事務局にもしっかりとコスト意識を持って業務に当たって欲しいものであります。



suzuki_keisuke at 18:31トラックバック(0) 

2007年03月13日

国の礎 〜アンゴラ首相補佐官との面会で思ったこと〜

 国会の同意人事である国家公安委員に長谷川真理子総合政策大学院大学葉山高等研究センター教授を任命という記事が出ていました。国会での同意のときから「ふーん」という感じで思っていたのですが、この方、もちろん面識はありませんがチンパンジー等の行動生態学がご専門とか。その観点から人間の行動の分析もされているそうです。別に賛否両論全く無く、興味をひかれただけなのですが、人間の犯罪に対処する警察のトップである国家公安委員会のメンバーにチンパンジー等の行動生態学の専門家が加わるというのもなかなか興味深いことではあります。。。

 若干話題は変わりますが、昨日アンゴラのフルタード首相補佐官(名刺がフランス語なので詳細は不明ですがそのようであります)と懇談しました。アンゴラは日本ではあまり知られていないかもしれませんがナイジェリアと並んでアフリカの一大産油国。最近中国が非常に積極的で、確か中国の原油輸入先の第一位がアンゴラのはずです。中央銀行総裁などを歴任したフルタード氏は非常に聡明な人物で今度選挙に出て政治家になるといっていましたからそのうち指導層になる可能性は高いのでしょう。

 そんな氏との意見交換で改めて痛感したのは、「国づくり」は結局「人づくり」だということ。話をする中で、アンゴラの現状と日本の第二次大戦後の復興の筋道と比較してみれば、おそらくアンゴラは天然資源に恵まれていてしかも南アフリカのような購買力のあるマーケットが近くにあるというのは非常に大きなプラス、逆にフロントランナーとの技術力のギャップが非常に大きくなっているのはマイナスといえるのかもしれません。

 こんな状況下であれば、戦後日本人が見せたようなハングリー精神、「日本一になるためには世界一にならなくてはならない」というような負けじ魂と情熱、そして努力こそが国が発展するかしないかを分けるのではないでしょうか。過剰な保護や外からの支援では持続可能な成長軌道には国も人も乗ることはできません。

 もっとも、私だって援助は全くけしからんといっているわけではありません。アンゴラは地雷が非常に多く自由な交通の妨げになっているようです。そこは自分で克服するにはあまりに大きすぎる負の遺産なので国際的な支援に頼らざるを得ないのかもしれないということまで否定するつもりはありません。しかしながら、そこから先は施しではなく、対等な経済的関係の中で徐々に自らの腕と力でのし上がっていくそんな国になって欲しいと思った次第です。

 その覚悟が無ければおそらくアンゴラは貧しいままでしょう。原油のおかげで手に入れたお金も逆に自らの油断と怠慢の引き金となってしまうのではないでしょうか。本当の改革は調子がいいときにこそされなくてはなりません。ピンチのときは改革機運は高まるけれども体力が無い状態では実際に出来ることは限られてしまう。そんな経験をこれまで我々はしてきています。「だからこそ、オイルマネーで余裕が出来たときにいかにそれ以外の分野で抜本的な改革や制度整備をしていくかが鍵だ」そんなことをこちらからは提起しました。

 当初は日本の援助の必要性を説いていたフルタード氏も最後には教育や人づくりの大切さ、そしてそのために実績がある日本といいパートナーシップを築いていきたい、そんなことを口にして意見交換を終えました。

 「精神論じゃどうにもならないんだよ」そういわれる方もいるでしょう。私だってアフリカの貧困には非常に深刻なファクターが山のようにあることは百も承知です。しかし昔からずっと、何が豊かになる国とそうでない国を分けるのかという命題を考えてきた自分としてはやはり究極的には「人づくり」「民族の活力」といったものが国や国民の運命を分けるのではないか、そんなことを思わずにはいられなかった次第であります。。

*当然相手はアンゴラの高官ですから、日本の政治家として、中国の資源・援助政策に対する国際世論や今後の関係をどうして行くのか等についても意見交換しましたが、分量の都合上割愛させていただきます。

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2007年03月09日

永田町春近し?

 3月もそろそろ中盤、いかがお過ごしですか?
 
 永田町の雰囲気としては予算案が衆議院を通過してやや一息。4月の統一地方選挙、夏の参議院選挙に向けてだんだんと選挙モードが盛り上がってきています。

 最近の民主党の審議拒否やわざと議事を混乱させるような国会パフォーマンスも選挙が近づいてきたためといえなくもありません。それにしても小沢代表になってからの民主党は非常に非建設的になってしまいました。テレビでは報道されませんが実際には民主党のごねる、すねる、騒ぐ、という学級崩壊のような行動が続いているのです。牛歩こそやりませんが、あきれるような光景が展開されることも珍しくありません。

 民主党の若手などにはいろいろな意味で非常にいい人、優秀な人もいるのにそれが全く活かされていなくて本当にもったいないと思います。彼らだって上層部の方針に忸怩たるものがあるのではないでしょうか?

 何はともあれ国会は国益のために国民のために議論をする場、パフォーマンスの場ではありません。地味な議論でもしっかりとして、未来明るい日本を政治の立場で創っていきたいものです。。。

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2007年03月07日

日中友好議連主催の勉強会に思うこと

 今日の午前、日中友好議連主催の勉強会がありました。

 よく政治家では台湾派、中国派といったような色分けがされますが、私の場合は台湾、中国双方と関係を構築するように気をつけています。価値観の問題等いろいろありますが、中国はなんと言っても永遠の隣国、ここを知らずして現実的な外交戦略は立てられませんし、地球環境問題や国連の問題、エネルギー問題や開発援助の問題その他あらゆる国際問題において中国の存在は無視し得ないものとなってきていますので、徒に感情的になったり嫌ったり、また好きになったりすることは日本の針路を過つことになりかねないと私としては考えているのです。

 つまり日本の政治家として将来を考えたとき親中派である必要はありませんが知中派ではある必要はあるのではないか、そう思っているわけです。

 そしてもちろん台湾は李登輝前総統のころからは日本と基本的な価値観を共有する事実上の国であり、また少なくとも現在は世界でも有数の親日国、地政学的にも自由主義の台湾が存在することは日本にとっては非常に死活的に重要ということは論を待ちません。

 さてさて、で、今日の会議ですが、テーマが「中国の今後のエネルギー事情と国家エネルギー政策」、講師が許永盛中国国家発展改革委員会エネルギー局副局長。私は他の会議に出る必要があったので講義の部分しかいませんでしたが、内容は「如何に中国の資源獲得が世界のほかの国にとって脅威でないか」というもの。「エネルギー効率の悪さは省エネ余地が大きいということであり中国の強み」という趣旨のことまで言っていました。「だったら先延ばししないで早く対策を真剣にやれよ」といいたいところで、まあ、もともと言っていることとやっていることが大きく違う国ではありますが、ここまで開き直られると天晴れというより他ありません。。。

 もとより現在の国際情勢から考えれば、従来くすぶっていた中国のなりふり構わない資源獲得姿勢に対する諸外国の反感や警戒心が、衛星破壊実験を契機として一気に世界中で噴出しかねない環境に中国は置かれているわけで、今日の会も中国政府の戦略的なロビー・懐柔活動の一環と思うのが自然なわけです。

 そしてそんなところでの講義内容を信用するのは愚かなのかもしれません。加えて言えば、今日の日中友好議連の勉強会は中国側からのアプローチ(今日の講師はこのためにわざわざ中国から来たと言っていましたからおそらく事実上そうなのでしょうが)か日本側からなのかは知りませんが、この時期にそのよう中国政府の戦略的な宣伝活動に乗っかるのは日本の政治家としていかがなものかと講師の選定も含め今日の勉強会の設定自体に若干の疑問を覚えたのは事実です。

 それにしてもこのような日本の国会議員の会議の中の勉強会という自然な形でしっかりとプロパガンダ的な宣伝活動を行って中国は脅威でないという刷り込みを日本の政治家に行っていく中国の外交のうまさ恐ろしさを改めて痛感するとともに、今年の南京事件を題材とした中国の外交攻勢、プロパガンダ的宣伝活動には十分気をつけなくてはならない、改めてそう思った一日でした。それにしても流石孫子、韓非子の国。4000年培われてきた外交戦術は凄いものです。この点は日本も見習わなくてはいけませんね。。

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2007年03月05日

花粉、花粉、花粉

 皆さんこんにちは。暖かい日が続いているかと思ったら、今日は非常に風が強い一日でしたね。
 
 こんな日何が辛いって、私の場合「花粉」をおいて他にありません。先週くらいから私の花粉症はだんだんと上り調子。かなり耐えられない状況になってきています。私の場合は花粉症もかれこれ25年以上のお付き合い。3歳のころからですからもう大ベテランです。これといった決定打がないままずるずるとここまで付き合い良く来てしまっています。

 2年ほど前にした血液検査では10種類くらいの花粉にひどく激しく反応するようで、通常の花粉症ラインの軽く10倍強い反応が検出されました。種類が多いのでなんと時期的にも2月から5月まで。これからの長丁場、頑張っていきたいものです。花粉症の皆さん、一緒に頑張りましょう!

 花粉症の抜本的対策、政治の場でも強くプッシュしていきたいと思っています。。

suzuki_keisuke at 18:45トラックバック(0) 
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