2007年10月

2007年10月31日

日本はテロとの戦いにどうかかわるべきか

テロ特措法の期限切れを目前に迎えていますが、国会では連日の審議がテロ・イラク特別委員会でなされています。私も委員として審議に参加、本日は午前中に質疑に立たせていただきました。

 質疑において私が指摘したポイントは主に3点、‘本も来年サミットを控えテロの標的にされる可能性がないとは決していえない状況であるなどテロとの戦いから離脱すべき状況にはないという点、▲謄蹐箸寮錣い虜任盡率的な遂行という意味ではテロリストを一般イスラム社会からいかにヒト・カネの面で隔離するかが最も重要であるという点、そして、今はまさに日本の今後の安全保障を考えなくてはならない時期であり日米同盟の今後や東アジアの安全保障環境の変化という流れの中で日米関係をどうして行くかについても主体的に考えていかなくてはならないという点です。

 まあ、質疑の中身はインターネット上(www.shugiintv.go.jp)で配信されていますからそちらを見ていただくとして大まかな感想を書かせていただけば、少なくとも今のところは委員会の場では与党、民主党の間ではそれなりに建設的な雰囲気での議論が進んでいることを積極的に評価したいと思います。今後の進み方しだいでは一般法に関する議論なども将来的に展開されていく余地があるかもしれません。

 そもそも自衛隊を海外に出すということは軽々にされるべきではありません。日本の国益を守るためにはそれをせざるを得ないからやむをえずそれをやるわけです。今日本が給油活動から離脱した場合果たしてどのような影響が出るのか、日本自体の安全保障環境がどうなるのか、さまざまな観点から吟味されなくてはなりません。11月1日の期限はもはや目前、なるべく早く結論を出す必要がありますが、議論が粗くなることは決して許されません。与野党間で限られた審議時間を有効に、前向きに、国益を意識しながら「日本のために」議論していくことが何よりも重要です。

 さて、テロとの戦いの中で最も重要なこと、テロ組織を根絶させるために何より重要なことは何でしょうか?たとえ武力で攻撃してもその組織自体は壊滅してもほかのテロ組織が生まれる温床となる可能性があります。私はもっとも大事なことはテロリストをいかに一般イスラム社会から隔離するかだと考えています。カネの流れ、ヒトの流れを断ち切らなくてはなりません。そのためにはイスラム諸国とともに(これが大事な点でそのためにパキスタンの存在が重要なのです)直接的に監視を行うと同時に、中長期的な視点からイスラムの一般市民が西側に対して反感を抱かないような対応をアメリカなどが細心の注意で進めていかなくてはなりません。

 例えばイラン。イランにしても強硬派で知られるアフマディネジャド大統領は今では決して国内の支持が高くありません。むしろ穏健派のハタミ師などのほうが支持を得ているという声も聞きます。イランは一応民主主義でありますが、実際アフマディネジャド大統領に前回投票した人の半数が今度は投票しないという結果が世論調査で出ていたりするわけです。そのようなことを考慮せずに強硬な措置をとることはかえって一般のイラン人を反米的な感情に追いやってしまう可能性もあります。そうなればイラン国内の改革派の力は地に落ち、過激な反米主義者が圧倒的な力を持つこととならないとも限りません。

 また若者がテロに走る原因はイデオロギーでなく貧困と失業など将来への絶望であるという点はよく指摘されるところですが、アラブ諸国における若年失業率はかなりの水準にある、パレスチナ地域の貧困状況などはイスラエルの関税政策など理不尽な要因によるところが多いなど、長期的に解決されるべきこうした問題はほとんど改善を見せていません。

 日本としては自らの安全や国益という観点からも、海上における給油活動の継続のほか、民生支援も含めいろいろな形でテロとの戦いに関与していく必要があるのではないでしょうか。目先の議論だけではない長期的な視野からの議論をしていきたいと思います。


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2007年10月25日

若者と国の将来

 先週末、現役の大学一、二年生との数百人規模の意見交換会があり、多くの学生と話をすることが出来ました。まあ、会の趣旨は大学一、二年生の時期をどのように過ごすかを30代の我々と議論しようというもので、おそらく出てくる学生はまあ多少はまじめな部類に入るほう、逆に呼ばれた方は今の現状に飽き足りない欲求不満気味の若干「濃い目」の30代ということで実際政治関係者やらベンチャー起業家やらが出席と、平均的とは言いがたいかもしれませんがいい意見交換が出来ました。

 いろいろ聞いてみると、将来への悩みを漠然と持ちながらも、かなり「まじめな」学生時代を送っている模様。もちろんいろいろなやつがいるのは事実ですが総じてとても「まじめに生活しているなあ」という印象を受けました。

 以前どこかで、「最近の若者は人付き合い(要は飲み会)に金をかけない」ということをデータつきで耳にしました。

 「最近の若者は・・・」ということを口にするような歳ではありませんが、もし、大学時代を、授業などで「やらされる」勉強などをまじめにこなすだけで無難に過ごす学生が多いのだとしたら、「それはもったいないぞ」と言ってやりたい気がします。大学時代キャンパスにほとんど足を踏み入れないままボート部の合宿所で練習に明け暮れていた落ちこぼれに言われたくはないでしょうが。

 私は日本の将来はどんな政策でもなく、どのくらい一人一人の若者がアグレッシブに自分の能力を目いっぱい出して頑張れるかにかかっている、そんな思いを強く持っています。文明が衰退する時にはそこに住む人々が刹那的なものに走って活力を失っていることが多いという例を出すまでもなく、活力に満ち満ちて目的意識を明確に持っている社員が100人いる会社は長い目で見れば失敗しないだろうというのと同じことです。

 ボート競技でも、例えば8人漕ぎのエイトにしても本当に強いクルーは他の人に合わせようという様なことは考えず、ひとり一人の個性を最大限発揮しどうしても勝ちたいという強い意志の下、最高の力を出し切る中でその四方八方に広がったベクトルがぴたりとはまった、そんなクルーなのだということを経験的に私は確信しています。国、社会も複雑さははるかに上ですが、基本は同じなのではないでしょうか。

 少子高齢化、グローバル化、中国の台頭、東アジアの安全保障環境、温暖化、非常に厳しいチャレンジがたくさん見込まれるこれからの日本にあって、どのくらいエネルギッシュな冒険心あふれる若者を育てることが出来るか、自分の生き方も含めて真剣に取り組んで生きたいテーマの一つです。

 

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2007年10月22日

証券税制の延長問題について

 松坂、プレーオフやりましたねえ。大事な試合で場面が回ってくるのも大事な運なんでしょうね。全くさすがであります。

 と思って喜んでいたら、今日の日本の株式市場は全く大荒れの展開でした。先週終わりに比べ一時500円以上下がるという展開。日々の動きについてはなんとも言いようがありませんが、総じて言えるのは日本株の上値の重さ。海外と比べても長期的に見れば上値が非常に重いなあと思わざるを得ません。

 これと直接の関係はありませんが、実は日本の金融資産のうちで投資に振り向けられるものの割合の低さということがこれまでもずっと指摘されてきました。よく言われる、日本の企業の資金調達は間接金融から直接金融に移行するべきであるということはいろいろな点から考えてもまあ妥当な議論だと私は考えています。そんな状況できちんといい金融マーケットを育てなくてはならない。そんな議論の中で「貯蓄から投資へ」という個人の金融資産についての論議が進んできたわけです。

 特に2007年問題といわれている団塊の世代の引退の時期がまさに始まっています。実は団塊の世代は客観的に言えば、世代としては経済成長に伴った右肩上がりの給料、年金の支給も基本的には問題なくもらえるという世代です。個人個人という目で見ればいろいろあるでしょうが、少なくともこの世代としてはそうなんです。そんなある意味でカネを持っている人たちが今度は時間を手に入れるわけで、意外とリスク指向が高いといわれるのがこの世代であって、ここ7,8年は消費、投資に向かうおカネが日本全体で増えるだろうといわれていたりします。

 つまり、さっきの流れで言えば、貯蓄から投資へという流れをきちんとした形で作りたいのであれば、ここ数年間が勝負なわけです。

 で、ここで税制の話になるわけですが、単純化して言えば、今の税金の体系では、貯蓄にお金を回した場合にはかかる税率は20%、投資については昨年一年延長されて今は時限的に10%となっており、自らの資産を投資に持っていくインセンティブを税制面からもサポートしている状況にあります。そしてそれについての廃止の議論が昨年からずっと出ているのです。

 私としてはここに書いたような考えから、この証券税制についてはある程度貯蓄への流れが出来てくるまでは延長すべきだろうと考えており、そのような発言も昨年からしてきています。今のところ、政府ではこの投資優遇税制について来年から廃止すべきとの議論が強いようです。

 この証券税制については金持ち優遇税制という批判もありますが、貯蓄から投資への流れは、長い目で見れば企業の資金調達方法やそのリスクの評価の仕方など、日本の経済の今後の流れや日本の国際競争力を決め兼ねない議論でもあります。きちんと将来の日本のために何がふさわしいのか見すえて今年の税制改正の議論に臨みたいものです。

suzuki_keisuke at 16:15トラックバック(0) 

2007年10月19日

ふと思ったこと。(インド洋の給油、消費税に関する問題提起)

 ここのところ新聞でも、インド洋での給油活動を巡る議論と、消費税の議論が盛んにされていますが、それらについての雑感めいたことを書かせていただければと思います。

 まずはインド洋での給油活動。無理に急いで成立させることはないとの意見が与党内にもあるようですが、本当にそれでよいのでしょうか、疑問です。
 
 というのは、おそらくインド洋から海上自衛隊の艦船が撤退したとしても目に見えるようなダメージを日本が受けるということは常識的に考えてありえません。むしろダメージは長期的にじわじわと来るものです。いろいろな外交交渉の場で目に見えない譲歩をせざるを得なくなるなど、いろいろなケースが想定されますが。

 一方で国会対策的に考えればインド洋での活動を「継続」することと一旦日本に戻った自衛隊の艦船をインド洋に「新たに派遣する」ということでは政治的な困難さが異なってくる可能性が高いのではないでしょうか。ダメージはすぐには目に見えませんから、野党や一部マスコミは「ほら見ろ、結局撤退しても何も起こらないじゃないか。撤退してよかったんだ。それをまた派遣するなんてとんでもない」というような内向きの議論を展開することでしょう。そして世論の一部もそれに影響される可能性が高いと思われます。もちろん大多数はそうならずに長期的に見てもっとも賢明なご判断をいただけるとは信じていますが。

 その結果、対テロ戦争から日本が一歩引いたという事実が固定化してしまえば、日本が長期的に失う国益は目には見えないものの非常に大きい、と私には思えてなりません。もちろんそのようなことを理解していただくために最大限の努力をするつもりですが、今世論が派遣の継続に理解を示す方向に来ているとはいえ、政治状況や世論は時間が経てば変わってしまいやすいものです。

 日本の長期的な国益を考えれば、対テロ戦争でテロを許さないという決意を持って国際社会とともにいるという状況を変えることは望ましくないはずです。「継続」と「派遣しなおし」の政治リスクの大きさの違い、もう少し厳しく分析すべきではないかと私は考えています。来週ももしかすると外務委員会で質疑に経つかもしれませんから、問題提起したいものであります。

 さて、次に消費税の議論。歳出削減努力最大限しても財源が足りないのであれば税収を増やすことは避けて通れません。それをいかに痛みを少なくかつ確実に行うかというのが真に国民の目線に立った税制の議論だと私は思います。財源がないのに税収を増やそうとしないのは「やさしさ」ではなく「無責任」に過ぎません。

 以前から主張しているように、税の議論に関しては、そんな観点から、税収不足の問題とともに、人口構造の変化、つまり働く人口の減少の問題、そしてグローバル競争の中での日本の競争力の低下という問題も意識されるべきでしょう。そのためには法人税や所得税といった直接税の割合を下げ減税を行う一方で、消費税、環境税等の間接税の割合を増やすことが検討されねばなりません。

 そしてその場合、間接税については、本当に消費に課税することがもっとも適切なのかという議論はなければなりません。なぜなら課税すればその対象は価格インセンティブが働いて減少します。そんな直接的なマイナス効果を、日本経済の7割近くを占める個人消費に直接かけていいのかという問題があります。経済への悪影響を減らすという観点と、本来政策的に減らしたいものにこそ課税すべきという観点に立てば、二酸化炭素排出量などは消費よりもよほど課税対象としてふさわしいという考え方も出来るはずです。

 こんな時代、情勢だからこそ、消費税を上げる上げないという議論ではなく、このような税収、直間比率、適正な課税対象等に関する議論が幅広く行われなくてはならないと私は考えています。そうした真摯な議論を通してしか我々のよりよい未来は創れないはずであります。

 以上二点、説明不足ではありますが、問題提起と雑感までに書かせていただきました。皆さんはどのようにお考えでなのしょうか?お聞かせください。

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2007年10月16日

真に建設的な日中関係に向けて

 昨日中国共産党の党大会が開幕しました。今後5年、さらにはその後の動向についての判断材料として、人事、そして胡錦濤総書記の演説に注目が集まっています。

 さて、昨日の胡総書記による政治報告を受けての報道です。「中国、成長至上を修正(朝日新聞)」「成長重視から転換 決意(産経新聞)」「成長、「量から質」課題(日経新聞)」、日本ではこれまでの成長路線から「科学的発展観」を踏まえた格差解消、環境重視への転換といった見方がされているようですが、同じ演説について外国メディアでは、「China Puts Growth Atop Agenda(ウォールストリートジャーナル電子版)」「Economic growth remains China's priority(フィナンシャルタイムズ)」 というように依然として中国は成長至上主義を最重要課題に据え置いたままだという捉え方が一般的なようです。フィナンシャルタイムズでは論説で、環境破壊や格差拡大に関しては地方政府とともに中央政府の対策への意思の欠如が非難されるべきである旨指摘されています。

 最近日本では専門家の間でも中国政府要人の発言をそのまま受け取って、中国の貧困問題や環境問題について、「中央政府や指導層は問題をよく理解していて対策に熱心なのに、末端の地方政府や企業をコントロールできていないのだ」という捉え方が増えてきています。自民党の会議でも、環境問題や知的財産権の問題、東シナ海の問題、北朝鮮問題等で、政府側のそのような認識が披露されることが多々あり、政治家もそれに納得していることが多いように見受けられます。しかしながら我々は本当にそうであるのか、慎重に検証しなくてはならないのではないでしょうか。

 例えば、「平和と友好の海」と彼らが主張する東シナ海のガス田開発で実際にどんな行動がなされているのか、核実験直後に高官が平壌に表敬訪問をわざわざしたのはなぜか、中国が「北朝鮮が第三国に攻められたら北朝鮮側に立って参戦しなくてはならない」という相互援助条約の条項を核実験後も堅持し聖域視しているのはなぜか、環境対策に熱心といいながら実際のところ環境対策と軍備拡張どちらに予算的な重点がおかれているか、考えねばならないでしょう。

 そして残念なことに、今回の演説でも外交について対外協調を強調していたようですが、その直前に行われた日中間の東シナ海のガス田を巡る協議で一方的な主張を全く譲らない姿勢に変化がなかったということを考えれば、「言っていること」と「やっていること」が相当異なっているというこれまでの中国の傾向が全く変わっていないことが裏打ちされてしまっています。

 こうした状況を分析すれば、信じたくないことではありますが、中国共産党の幹部も、環境問題や知的財産権の問題、格差問題や人権問題、近隣諸国に与えている脅威といった点について、表面上はともかく、実際のところあまり真剣に解決する意思を持っていない、日本のようにそれらを政治リーダーシップを発揮すべき最重要課題とは考えていない、という可能性も考えなくてはならないのかもしれません。そうであれば、日本としての外交戦略もそのような可能性を考慮して立てられねばなりません。

 もちろんどこの国も基本的には自国の国益を行動原理としています。そしてその衝突、摩擦があるからこそ外交が必要なのも事実です。しかしながら、環境や地域の安定といった非常に多くのアクターが影響を受ける問題についてある国が余りに自己中心的な動きに出れば、その国は長期的に見れば信用を失うこととなります。そして、圧倒的な力を持った国がそれをやった時には、その与えるマイナスのインパクトには自国に対するものも含めて計り知れないものがあります。

 日本は未来永劫中国の隣国です。しかも気流の風下に位置しています。そして軍事的に見れば中国海軍が外洋にアクセスするにあたっての「蓋」となっています。このような地政学的環境は所与の用件として変わることはありません。である以上は、相互の信頼関係を地道に築き、無駄な衝突は避けなくてはなりません。と同時に相手が抱える問題点について見ぬ振りをして済ますことも出来ません。なぜなら環境問題や安全保障の問題は自動的に両者が当事者となるからです。

 であれば日本としても付け焼刃的なものではなく、長期的な視点で中国との関係を考えていかなくてはなりません。楽観、悲観、どちらのバイアスもないまっさらな状態で現状を分析し、ある程度積極的に関与し、自ら地政学的な環境を変えていく、そうすることでしか日本の長期的な安全保障、これは防衛面に限らず、経済、環境その他を含む広義の安全保障ですが、その維持はおぼつきません。そんな厳しい視点を日本の政治家として持ちたいものであります。

 週末、中国の大連に赴き、全人代の委員と日本の国会議員のサッカー大会に出場しました。そしていろいろな意見交換もしました。そうしてみれば、もちろん個人個人は基本的には日本人とそんなには変わらない。対話も理解もおそらく可能でしょう。ビジネス、旅行、留学、いろいろな交流を通じて各人がそれぞれの関係・交流を深めることは今後の日中関係において非常に重要です。

 しかし、そんな折でも政治家である我々が忘れてはならないのは中国という国の全体としての動きです。大連空港に着陸する寸前、ロシアから中国が購入した空母ワリャ−グの横を通過しました。これももともとはテーマパーク用に使うからという触れ込みで中国が購入したもの。結局空母としての運用はされないようですが中国の軍備拡張を思い出させる光景でした。どこの国も侵略する意図がないのになぜ軍備拡張をしているのか、日本として無関心ではいられない動きの一つです。

 もちろん、独立国家同士の関係においては内政干渉は基本的にはご法度です。しかし、地球環境問題、地域の安定の問題、日本が影響を大きく受けるものについては、他国であってもはっきりと物申していく姿勢が今こそ必要なのではないでしょうか。「責任ある大国」として適切に振舞ってほしいという要求は決して内政干渉ではないはずです。むしろこれこそまさに真に対等な二国間関係ではないでしょうか。そして、対等な二国間関係がなければ、不満が内に鬱積し、暴発のリスクはより大きくなってしまうということも忘れるわけにはいきません。

 民意というものと乖離しがちな独裁国家については、その他の国に対する時以上に我々はこうしたことに注意を払うべきでしょう。中国の一般国民と中国政府というのは全く異なる存在です。日本と中国にとっては、これまでの後ろ向きな関係を卒業し、東アジアの大国として責任あるもの同士の対等な関係を築いていくことが責務なのではないでしょうか。そして個人個人のレベルでは交流を通じて誤解や感情論を取り除きよい関係を構築していくことが必要でしょう。親中・反中といったことではなくこのような真に建設的な関係の構築に努めていきたいものであります。

suzuki_keisuke at 17:52トラックバック(0) 

2007年10月11日

今後の労働行政に必要な哲学とは?

 日本は今後どんどん小さくなる。少子高齢化の流れが止まることは少なくとも当面はないでしょう。そんな中で、どのようにして日本人一人一人のポテンシャルを最大限引き出すことが出来るか、極論すれば国内政策、経済政策はこの一点に尽きるのだと私は考えています。

 労働生産性も含めたアウトプットは「やる気×能力」の掛け算というのが私の考えです。そして、能力の差はあって2割、しかしやる気の差は0%から100%までおかれた環境によってばらつきが出てしまいます。だからこそ、「頑張ろう」と思う社会、「頑張ることがバカバカしい」と感じさせない社会をつくることが重要なのではないでしょうか。社会の主役、活力を担うのは他の誰でもないそこに暮らす一人一人の個人であり、企業であるわけですから。そこのモチベーションの有無というのはその社会の未来にとって死活的に重要です。

 安直な弱者保護のバラマキや「結果の平等」は、頑張らない人に手厚く頑張る人に厳しいということになりがちであって、そんなことをしていては社会全体の活力が失われ衰退の道をたどるだけとなってしまうでしょう。例えば地域間格差の是正策にしても、「如何にやる気を発揮してもらえる環境をつくるか」がテーマであって、それの障害となっているものを取り除くために、自由競争のスタートラインに全ての人に立ってもらえるようにするのが目的で、接待ゴルフのような表面的な結果の取り繕いになってはいけないのではないでしょうか。そんなことをしていては結果として育つのは依存心と甘え、足腰の弱さだけで、根本的な格差問題の解決にはならないように私には思われます。

 そんな観点から例えば労働政策においても、「やる気があるのにそれを発揮する場所を理不尽に奪われている」という状況を改善することが日本全体の潜在能力を引き出すためには大事なのではないでしょうか。

 例えば、「女性だから」「高齢だから」「学歴がないから」「新卒でないから」「親の経済力が弱いから」等、自分の能力と全く関係ない理由により能力を発揮できる職場・環境にアクセスできない人がいるという状況は全くケシカラン話なのであります。

 そんな形式論にこだわっている余裕は今の日本には無いはずです。オールジャパンでやっていかなくては我々がいまの逆境を乗り越えていくことは困難なわけですから。だからこそ、これまでの慣例や昔の制度の法律政省令等における残滓、こうしたものを力強く撤廃しよりフェアで自由な社会環境を創っていくのも政治家の使命ではないか、私はそう思っています。

 もちろん、障がい者をはじめ、自分の責任ではどうしようも出来ないハンディを持っている方にはセーフティーネットがあるのは当然の前提です。

 そんな思いを胸に、労働政策、経済政策等々内政課題にも大胆に発信していきたいと思っています。何かお気づきの点がありましたらoffice@suzukikeisuke.jpまでご意見をいただければと存じます。よろしくお願いいたします。

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2007年10月07日

高齢者の医療費自己負担をめぐる議論についての所感

 高齢者医療の自己負担比率引き上げの問題が話題となっています。この問題、今は与野党でのバラマキ合戦の一つのようになってしまっていますが、どのようにすべきなのでしょうか?

 私はこの問題は次の二つの視点から見ることが重要だと考えています。

 一つは、高齢者は勤労世代に比べ貧富の格差がその後の逆転の可能性がない形で固定化していることが多く、そこで一律に負担を増加させることなることはフェア(公正)ではないこと。

 そして第二は、高齢者医療の医療費の増加の問題で、終末期医療と並び大きな問題となっている点についてです。極端に言えば「悪くないのに医者に行く、いわば医者の高齢者サロン化」、すなわちモラルハザードの問題です。高齢者の自己負担増の凍結はこのような負の部分を顕在化させる可能性もあるわけです。

 医療は「真に必要な者に対しては広く開かれている」ことは絶対に必要ですが、安易にアクセスしやすくしすぎると、不必要なものまで医者に行くという結果を招き、結果的には真に必要なものがその被害を被るということになりかねません。

 財源も限られている中、政治家としては上に挙げた二つの側面のバランスが最も取れるような決断をしていかなくてはなりません。負担の方法にもいろいろな方策があるわけで、よりきめ細かい対応をすることもやりようによっては可能です。また、介護予防、人が一生にかかる医療費の総計を抑制する観点から、予防医療にもきちんと配慮していくことも必要でしょう。

 質の面では世界で一定の評価を得ている日本の医療制度です。もちろん日本よりも効率的とされている国もある以上は更なる改善が出来る場所があるはずですのでそこの改善はまさに医療制度の「構造改革」として断行しなくてはなりませんが、今の日本の医療制度の質を低下させることがないよう、バラマキでなく長期的にベストな方策を考えていかなくてはならないと私は考えています。皆さんはどのようにお考えなのでしょうか?

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2007年10月05日

おかしくないか?外務省。

 今朝自民党本部で行われた外交部会での一コマです。

 「六者協議の状況を見ていると、核廃棄でなく交渉を続けることが主眼となっている米中のスタンスが懸念される。そんな状況の中で、拉致も核も北朝鮮のペースに載せられる形で、協議の体裁を取り繕うだけで実効的には何も進まないまま援助や過去の清算という負担だけを日本がさせられるリスクも考えなくてはならないが、その場合であっても拉致の被害国でありかつ核の脅威を受ける唯一の国である日本として、六者協議の枠組みを離脱するという可能性は皆無なのか」ということを私から外務省の担当者である佐々江アジア大洋州局長に聞いたところ、「六者協議から日本が離脱する時は六者協議が終わる時である。日本としてはアメリカとの関係が重要であるから離脱の可能性は全く考えられない。」という答えでした。

 今アメリカの東アジアへのコミットメントが低下し、同盟国である日本に対する北朝鮮の核兵器の脅威が現実にあるという状況下にもかかわらず六者協議で北朝鮮に譲歩を続けているのが現状です。北朝鮮に核放棄をさせるのではなく、対等な立場での軍縮交渉のようになってしまっているのが現在の北朝鮮を巡る情勢であって、アメリカの日本の安全保障に対するコミットメントが今後とも永続するのかを真剣に考えなくてはならないというのが日本の安全を真に考えるものの現時点における誠意ある態度ではないでしょうか。

 そもそも日本とアメリカという同盟国であっても当然国益は異なりズレが生じます。そんな中にあっても現実と国益の折り合いをつけながら自国の長期的な国益を最大化し安全を確保していくというのが外交というもののはずです。アメリカにとにかく従っていれば日本の安全保障は磐石という時代ではもはやないことは最近の六者協議や中国へのアメリカの姿勢の変化から明らかです。もちろんアメリカは日本にとって最も重要な同盟国であり、アメリカとの関係においては信義を基本に置くことは当然ですが、同盟国とはいえ異なる国益を追求している国家同士である以上は、信頼関係の中にもなるべく多くのオプションの可能性を見せつつ、その中から最適な選択をしていくという作業こそが日本としての外交の基本であるはずです。

 加えて北朝鮮情勢において日本の強みといえるのはその経済力であります。日本の経済力なしには北朝鮮の経済発展はない。であるならば、その日本が持つカードの有効性を高める努力を日本がすべきなのではないでしょうか。六者協議の枠組みとして日本が抜けることが他の参加国にとって全く問題ないというわけではなく、それなりに「痛い」のであれば、日本が離脱する、それも勝手な事情ではなく六者協議の本旨である核廃棄があいまいなまま済まされそうだからとか、普遍的な人権問題である拉致問題への北朝鮮のコミットメントがないからといった大義ある理由であるのであれば、日本の離脱をひきとめようという動きが他の参加国の間でも出てくるわけであります。

 そういうことを考えれば、日本が六者協議にどんなことがあっても居続けます、核や拉致の実効的な進展がなかったとしても離脱の可能性はありませんといって対外的に公の場で日本の外務省の担当者が日本の政策オプションを自分で縛るような発言をするセンスが私には全く理解できません。

 拉致、核の廃棄という本来の目的の実現を考えれば、米中がぶれているように見られる今こそ、日本が彼らに対してとりうるオプションの広さを示してこそ国際政治における発言力が増そうというものではないでしょうか。

 特に政権が変わった折、諸外国は米中北朝鮮を含めた各国は日本の外交姿勢が変わるのかどうか注視しているわけです。もう少し慎重な戦略的な動きを政府は考え、発信すべきではないかと私は考えます。今後とも政府の立場を厳しく注視していきたいと思っています。

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2007年10月02日

季節の変わり目に 〜炎は消させない〜

 みなさんこんにちは。

 急に涼しくなって来た今日この頃、カゼなどひいていませんか?

 国会はクールビズも先週まで、今週からはネクタイ上着着用の元の状態に戻っています。総裁選期間中は気候の方も暑く、10日余りあとでこのように涼しくなるなど想像できませんでしたが、まあそういう意味では10月1日をもってクールビズ(まだうまく変換されませんねえ)期間終了というのは妥当なところなのかもしれません。

 でもなんだか季節が一足飛びに冬に近づいてしまったようで、日本も四季が段々あいまいになって季節が二つになりつつあるのかなあと温暖化への懸念も含めて少し心配なところです。

 そういえば、総裁選期間以降私のブログに来ていただける方も増えているのですが、それにも増して多くの方、まだお会いしたことがない多くの方からも「派閥談合に負けるな」「麻生さん頑張れ」という熱い応援メッセージをメールなどでいただいています。ここまで反響が大きいというのは記憶にないところで、今回の総裁選での勝ち馬に乗る国民不在、政策不在の政治家の動きに対する国民の皆さんの不信と怒りをひしひしと感じているところです。皆さんのこの思い、怒りをきちんと受け止めて志ぶれない政治家として歩んでいかなくてはならない、決意を新たにしています。

 政治家はこの国の将来のためにビジョンを持ちそれを実現していくことにこそ存在意義がある、この当然のことを忘れてしまってはならないはずです。衆議院議員という肩書きでなく政治家を志したことを忘れないよう常々自らを厳しく鍛錬したいと思っています。

 我々はこれからも国民本位の政治の実現、密室の政治の打破のために全力で頑張っていくだけです。引き続きご指導をいただけますようお願いいたします。
 永田町の旧い政治家の間ではこうした動きはなかなか受けが悪いらしく、その結果が先の総裁選のドタバタ劇です。しかしながら130人以上の国会議員が志を同じくしてそれに抵抗した、このことも見ていただきたいと思っています。この火を如何に大きくしていくか、厳しい戦いですがやり抜かねばなりません。
 そして、これからも内輪の論理でなくこの国の将来にとって何が一番大事かを考えられる政治を貫くためには皆さまからの応援が何よりの元気の源です。引き続きご支援いただければと思っています。

 経緯はともかくとして福田総理が選ばれた上は我々としても全力で支えるのみ。国政の停滞はもはや許されません。と同時に派閥のトップの内輪の談合で政治が決まっていいはずもなく、そのことも厳しく見ながら一政治家として全力で頑張っていきたいと思います。年金、教育、外交、環境、構造改革などなど、政治家が決断をしやらねばならない難題は山積しているわけですから・・・

suzuki_keisuke at 19:25トラックバック(0) 
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