2007年12月

2007年12月30日

福田総理の訪中

 福田総理が訪中しました。結果としては国益にかかわる部分では大きな譲歩はなかった模様ですので良しとすべきなのでしょう。しかし、中国との二国間関係が今のままでいいのかという疑問は残ります。

 日本からは安倍前総理、福田総理とトップが二回も訪中しているにもかかわらず、中国側のトップである国家主席はまだ一度も日本に来ていません。果たしてこれが対等な関係なのかという疑問も頭の片隅に残ります。

 また、現在の中国との関係における日本のゴールは、常任理事国入り問題、東シナ海の日本の主権への侵犯問題、北朝鮮問題、温暖化対策への中国の責任ある対応、などであるわけですが日本側が様々な経済支援や技術協力、天安門事件以降の中国の国際社会復帰へのサポート、G8への招致など中国の国益にかかわる部分でさまざまな形での誠意を見せ、それを実行に移しているにもかかわらず、中国側から日本への配慮や誠意というものはほぼ見られません。誤解を恐れずに言えば、中国側から出てくるのは、日本の国益には全く関係なく個人の虚栄心を満たすだけの「接遇」やら美辞麗句が並んだ何とか宣言の文言だけであります。中国の実質的な譲歩は皆無といってよいでしょう。

 もちろん外交というものは相手があるものであって、自分の要求がすべて通るものではありません。しかしながら、キチンと主張すべきものを厳しく主張していかないことには、そして、ある程度波風を立てないことには、こちらの主張は足元を見られて何一つ実現しないということになりかねません。

 私が感じていることに、どうも日本の外交当局は事の本質を理解できていないのではないかという点があります。たとえば、東シナ海のガス田問題にしても、その本質がエネルギーではなく制海権の問題であるがゆえに対抗措置なしに中国が譲歩することあり得ないのだということ、温暖化対策が進まないのは「技術」「カネ」の欠如でなく「やる気」の欠如であるということ、北朝鮮問題で中国が圧力を十分に掛けられないのは中国が意図的に北朝鮮との軍事同盟関係を堅持している、つまり北朝鮮を守ることこそが中国の国益にかなうからしているのだということ、こうした可能性(状況証拠から判断して極めて高い可能性)をきちんと分析し認識して交渉にあたっているのか、というところに懸念を覚えてしまうわけです。

 なぜ危機感を覚えるかといえば、そのような状況の分析が正確でないと、こちらがどのようなカードを持っていて、どのタイミングできることにより効果的な譲歩を引き出すことができるかといった戦略にも大きなマイナスの影響をもたらし、結果として日本の国益を大きく損なうこととなるからです。

 日本のトップリーダーたるもの、日本の強みと弱み、相手の強みと弱みについてのきちんとした分析能力とそのための情報、そして、適切なタイミングや戦略をつかめるような決断力と感性を持っていなくてはならないはずです。福田総理は外交が得意とのこと、長期的な日本の国益につながるようなリーダーシップを期待したいともいます。

 それにしても、与野党のトップが相次いで中国を訪問し歓迎を受けて、、、という状況は健全なのか、疑問であります。また自民党、民主党問わず中国にシンパシーを感じる政治家が多いのには驚かされます。まあ、それだけ中国の手練手管が上手ということなのでしょうが。。。

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2007年12月29日

ブット元パキスタン首相暗殺

 ブット元パキスタン首相が暗殺されました。政治は時として命がけであるということに異論を挟むつもりはありませんが、主義や主張を暴力で封じようとする姿勢には強く抗議しないわけにはいきません。

 ブット氏はなぜ殺されなくてはならなかったのか。パキスタンの民主化、テロとの戦い、いろいろな要因がそこにはあったはずです。そして、それを受けて今我々がしなくてはならないことは、テロリズムを断固として許さない、人類にとっての普遍的価値にかかわる問題については個別の状況を考慮しつつも進めていく、ということであり、それに対する強い意思表示なのではないでしょうか。今、日本として何をすべきなのか、舵取りを間違うわけにはいきません。

 自由、人権、民主主義、法の支配といった普遍的価値は、もちろん過度な内政干渉になったり日本の長期的国益を阻害するようなこととなったりするようなことは避けるべきですが、そうでない限りは「日本」として追求するべきものなのではないでしょうか。そこに問題がある国に対しては、外交上、国際社会と連携してプレッシャーをかけるようなことが必要なこともあるのではないでしょうか。それに目をつぶって事なかれ主義や相手の都合のみ受け入れた名ばかりの対等でない「協調」を外交方針とすることは果たして日本の国際社会における地位にどのような影響を与えるのか、考えなくてはならないのではないでしょうか。

 もちろん外交というものが単純なものではないことは承知した上で、ただ、やはりその基本にはこのような考え方があってしかるべきではないか、と私には思えてなりません。外交は交渉術、テクニックではなく、国際社会への発信、国益を守るという観点からは、まざに国の生き様を示すものでもあるのですから。

 また、テロとの戦いについても、人類社会は団結してこのような非文明の蛮行を許さないのだということをテロリストに示すことが重要なのではないでしょうか。日本としてもできる限りのことでその姿勢を示すべきなのではないでしょうか。国内政局の都合を優先させて、日本の国論が「テロとの戦い」に参加し続けるか離脱するか割れているかのような印象を国際社会に与えることが果たして日本のためになるのか、今一度考えるべきではないのではないでしょうか。

 衝撃的なニュースをうけて頭にめぐった考えの一端をここに書かせていただきました。繰り返しますが、我々は文明社会の一員として暴力を使った蛮行と断固対峙していくべきではないか、私はそう考えます。

suzuki_keisuke at 18:17トラックバック(0) 

2007年12月24日

信頼しているもの

 少し前になりますが、12月14日の読売新聞に面白い調査の結果が出ていました。これは同社とアメリカのギャラップ社が共同で行っている調査で幅広い項目の意識調査なので私も毎年注目しているものですが、私がいつも特に面白いと思ってみているのがこの質問です。

「次に読みあげる日本(アメリカ)国内の組織や公共機関などの中で、あなたが、
とくに信頼しているものがあれば、いくつでも選んで下さい。」

 アメリカのほうは上位に来るのが軍隊(77.8)、教会(75.3)、病院(74.0)、警察・検察(65.4)といったところ。何となくアメリカのイメージに合っていますよね。ピューリタンから始まり、軍人は敬意を払われ、西部劇のヒーローは保安官だったりという我々が思っているアメリカにそれなりにしっくりきている気がします。

 さて、一方の日本。第1位は何でしょう?なんとこれ、新聞なんです。新聞はそもそも事実と論評に分かれるわけですが、その事実の報道にしても編集や記者の主観が入るわけで、完全に事実を報道する中立なものというのはなかなかあり得ないのが実情にも関わらず、この信頼感の高さ。マスコミの言っていることをそのまま鵜呑みしがちな状況を裏付けているのかもしれません。そういえば、我々も何かあった時に「だって、それ新聞に書いてあったよ」ということがある気がします。気がつかないうちに、新聞や報道を疑うということを忘れているのかもしれませんね。

 なお、順に書いていくと、新聞(61.1)、病院(54.3)、裁判所(53.4)、自衛隊(46.8)といった感じ。総じて言えば、傾向としては似通っている中で新聞に対する信認が日本が高いのがとても際立っています。

 もしかしたら日本側は新聞社の調査だからというのもあるのかもしれませんが、否定はできないところだと思います。「何が正しいか」は報道や人の目をうのみにするのではなく、自分の責任で真実を見極める、そんな姿勢を身につけたいものです。




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2007年12月19日

久々の党首討論に思う

 だんだん日が短くなって、まもなく冬至という時期になってしまいました。今年もいつの間にか残すところ2週間。

 そういえば、最近目にしなくなったなあというものに「党首討論」がありましたが、ようやく来年の1月9日に行うことが決まったそうです。何と、安倍前総理が5月にやって以来とのこと。

 政治とはこの国の将来をどうするかを議論する場であり、そしてそのビジョンのぶつかり合いこそが政治のダイナミズムのはずです。どうも最近の政治は判りにくい「内輪の政治」になってしまった、永田町にいる私ですらそう思うわけですから、テレビなどを通して政治をご覧になっている皆さんにとってはなおさらなのではないでしょうか?

 政治とは本来表に出せないものではないはずです。そんな汚らわしいこそこそしたものであってはならないはずです。リスクと責任を伴った政治の決断というものには筋や信念、哲学というものが当然なくてはなりません。トップリーダーであればなおさらのことです。

 もちろんこの国をどうしていくのかという決断の中には、正しい、正しくないという「理」の世界だけではなく、正しいものであっても「信念」を貫き切り捨てざるを得ないものがある、という世界が確かにあります。全ての人が喜び満足する政治などこの世には存在しないからです。

 であるからこそそこに求められるものは帳尻あわせではなく、強い意志であり強い信念であり、国民の皆さんとコミュニケーションする能力と誠意なのではないでしょうか。そんな意味で、今回の久々の党首討論の再開が、旧い政治との決別の第一歩になればよい、いや、しなくてはならない、つくづくそう思います。皆さんはどうお感じなのでしょうか?

suzuki_keisuke at 17:42トラックバック(0) 

2007年12月13日

ブログについてのブログ

 なんだか最近カゼが大流行しているみたいですね。皆さんは大丈夫ですか?
 
 私のまわりでも知人や同僚、事務所スタッフなどがバタバタやられています。今年のカゼは治るまで長いとの話も聞きます。予防にも限界があるかもしれませんが、気をつけていきましょう!

 さて、そんなカゼの流行にも負けずに永田町では連日の国会審議、政策関連会議が目白押しの毎日が続いています。

 そんな数多くある会議の一つで聞いた話。皆さんは世界中のブログでもっとも使用されている言語が何かご存知ですか?なんと、これ、日本語なのだそうです。ホームページだと確か英語が大多数だった気がしますので、「ほお」と印象を受けました。

 まあ、日本人はマメだということなのか、ひとりで書くのが好きな民族だということなのか、不満が溜まっているのか、難しい分析は専門家に任せておくとして、面白い現象ですよね。厳密な数値はよく覚えていませんが、たしか割合は3分の1以上だった気がしますから、日本人の人口を考えればかなりなもんです。携帯からのアクセスはじめ、日本のITの進化は他の国と比較するとユニークな面もたくさんあるような気がします。研究してみたら国民性とかも浮かんできて面白いかもしれませんね。

 さて、ITといえば、昨日、東京国際フォーラムで行われているトロンショーの内覧をさせていただきました。坂村東大教授をはじめとする関係者の長年のご努力には本当に頭が下がりますが、同時に驚いたのはその用途の多様性。

 

ユビキタス社会の挑戦

 この写真はそのうちの一つで、視覚障がい者用の杖に機器をつけて、歩道に埋め込まれた装置から発信される信号をキャッチすることで、歩行の誘導をするという試み。これはいろいろな実用例のほんの一端にしか過ぎませんが、情報化により社会をよりよいものにしていくチャレンジはあちこちで行われているようです。政治としても積極的なイノベーション活力はどんどん伸ばしていけるようサポートしていかなければならない、そう改めて思ったところです。

suzuki_keisuke at 16:39トラックバック(0) 

2007年12月11日

地球温暖化対策のヤマ場 〜COP13バリ会合に思う〜

 バリ島で行われているCOP13会合が佳境を迎えています。温暖化対策は我々にとっての喫緊の課題。しかも公害と違って目に見えず肌で感じにくいために危機感が高まりづらいという困難も抱えています。しかしいずれにせよ、今議論されている2013年以降のポスト京都議定書の枠組みを如何に実効的なものにできるかに我々の将来がかかっているといっても過言ではないでしょう。

 これまでもこのブログでも何回か書いてきましたから詳細には触れませんが、今の国際社会の状況は、人類社会全体で温室効果ガスの排出量を大気中の濃度が450ppm以下で長期的に安定推移するレベルまで削減しなくてはならないというところまでは各国の間でも合意ができていて、それを誰がどの程度負担するのか、その評価をどうするのかというところで国益むき出しのぶつかり合いが展開されているというものです。日、米、欧、新興国、途上国とさまざまな思惑がぶつかり合っているわけです。そして、科学的に言えば京都議定書のように先進国だけが削減義務を負ったところで世界全体の排出量の半分にも満たないわけで、少なくとも中国やインドといった新興国にも削減義務を何らかの形で負ってもらわなければならないというのが現実なわけです。

 そんな中、気になる報道がありました。数日前のフィナンシャルタイムズにこんなことが書かれていました。中国の代表が「科学的には状況は明らかであり、一刻の猶予もならない。我々は今すぐに行動を起こすべき」と発言し、さらに日本とカナダが先進国に対する義務化に熱心ではないとして非難をしている、というもの。さらには中国の「前向きな姿勢」を国連の担当者が評価しているというものです。

 実際に中国が「やっていること」を分析してみれば「言っていること」と相当異なることは明白なわけで、まあ、コロリとやられてしまう国連の担当官も担当官ですが、そうはいっても会議の雰囲気がこのような中国の巧みな外交手腕でねじまげられてしまえば温暖化の抑制という大目標の達成が全くできないということになってしまいます。

 中国が依然として自分達への削減義務の適用には反対の意思をまったく変えていない以上、実効的な温暖化対策はできないわけで、先進国「のみの」義務に反対し一部の途上国にも責任を持たせなければ意味がないとする日本の姿勢は地球温暖化を抑制するという観点からは至極もっともなものです。中国の代表がそれをしたり顔で非難しているということ自体が、中国の今回の会議の対処方針が「温暖化対策」でなく「如何に自国の国益を最大化するか」「フリーライドするか」にあることを図らずも浮き彫りにしているのではないでしょうか。

 そんな状況を打開するためには日本としては全力で今の対立軸を、「先進国」対「途上国」から、「先進国+水没や疫病の危機に瀕している途上国」対「(排出量が多い)新興国」に持っていかなくてはなりません。そのようにしない限りは「弱者」の論理をふりかざす中国などの新興国に削減義務をかけることは困難と思われます。このことは別に一国の国益のためではなく何よりも我々人類文明の存続のための正論なわけで、日本としてもこの点については自信を持って断固たる姿勢で交渉に臨むべきでしょう。

 私はかねてよりさまざまな会議で、日本は温暖化に危機感を持っている太平洋の島嶼国やアフリカの南部の国との対話を強め、経済援助などもその観点から戦略的に活用すべきと言いつづけて来ました。環境対策の日本政府の資金メカニズム案として外務省の対外支援の方針にそれが反映されつつあるという報道が昨日あったところですが、この動きを歓迎するとともに、さらにこの動きを加速し、日本の対外支援により幅広くこのような戦略的観点が反映されるように働きかけを続けていきたいと思います。

 今途上国の間でもそんな意味での意見の対立が出てきているという情報を耳にしています。今が踏ん張りどころ。きちんと今回のバリの会議と今後の議論の推移を見守っていきたいと思います。

suzuki_keisuke at 11:29トラックバック(0) 

2007年12月08日

戦争から66年目の日に

 66年前のこの日、日本海軍は真珠湾を攻撃し日米は交戦状態に入りました。結果は敗戦。その後逆境を乗り越え、世界のトップの経済大国として復活を遂げたわけですが、戦争で失ったものは幾多の命をはじめ限りありません。

 我々はこれまでの歴史から何を学ぶのか?過去という先人の経験の蓄積である遺産をどう活かすかによって我々の将来、未来というものは大きく変わってくるのではないでしょうか?さまざまな困難を抱え、国内的にも国際政治的にも厳しい現実と直面しそれを乗り越えていかなくてはならない今の日本だからこそ、我々は尚更にこのことを考えなくてはならないはずです。

 第二次世界大戦にいたる道のり、もちろんいろいろな見方があるでしょうが、私は大きな教訓としていま考えなくてはならないのは以下の三つなのではないかと思っています。

 ひとつは強硬になりすぎて柔軟さや忍耐力、長期的見通しを欠いた結果対米戦争という絶望的な戦いに足を踏み入れてしまった日本の国内状況、二つ目は日本が自国の安全保障環境の緩みによって日英同盟を廃棄し四カ国条約などの事実上ほとんど意味のない集団安全保障に移行してしまったこと、そして三つ目に、欧州でヒトラーの台頭を許したミュンヘン会議に代表される英仏の宥和政策であります。

 私は今、というよりもこれまでの日本においては最初の点ばかりが過剰に留意され、ほかの二点があまりにも注意を払われることなく来てしまったのではないか、という感覚を持っています。

 たとえば、今中国が「何のために」がまったく不明なまま軍備拡大を続けているなど地域の安全保障環境は非常に不安定であるにもかかわらず、表面的な経済の結びつきで中国の「マーケット」としての側面にしか目が行かないがために「アジア外交」を重視し対米関係がおろそかになりつつある点。ワシントンにおける東アジアへの関心の低下を考えれば、日米関係もひとつ間違えれば日英同盟の失敗の轍を踏みかねない非常に危険な状況に今我々は置かれているのではないでしょうか。当時の日本の指導者だって適切な判断として日英同盟を終わらせたことを考えれば、我々は相当慎重に舵取りをしていかなければならないはずです。

 また暴発を恐れて北朝鮮の言いなりになっている六者協議。中東で手一杯でとにかくトラブルが起きなければいいというアメリカの思惑や、北朝鮮の存在がなくなれば自国の安全保障への影響が非常に大きいと考え軍事同盟をあえて維持し続ける中国の思惑などが複雑に絡み合って、ナチスドイツの軍事的台頭を野放しにし結果的に第二次大戦の原因ともなったミュンヘンの状況に非常に近くなっているという危惧を覚えるのは私だけではないはずです。拉致もそうですが、核についても濃縮ウランの問題や核兵器保有の問題がいつの間にか拡散にとってかわられようとしている。非常に危険な状況です。

 開戦の日から66年目を迎える今日、今の日本を取り巻く国際政治環境を考えたとき、先人が尊い犠牲を払ってまで守ろうとした日本の国、人を再び別の形で誤った道に導きかねない状況に今あるのではないか、そんな危惧を感じた次第です。皆さんはどのようにお考えでしょうか?

 真珠湾攻撃、戦争から66年が経ち、ふと見た国会の周辺は銀杏が黄色に萌え美しい風景となっていました。そういえば12月は前はもっと寒々しかったような。これも温暖化?

 まあ、理屈っぽいことは考えないでおきましょう。今国会はこんな感じになっています。



 

秋深まる国会周辺

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2007年12月06日

憂鬱な季節

 永田町は今まさに来年度に向けての予算・税制の議論の季節となっています。全くもって憂鬱な。。。一年でこの時期ほどやりきれない季節はないというのが私の実感です。

 税制調査会というのは、財政赤字が深刻化する中、消費税を含めた税の枠組みをどうするとか直間比率をどうするといった国の将来の戦略を議論するのではなく、政策減税などの議論をするところです。簡単に言えば例えば「○○業界の企業が××を導入したらその分税をまけてくださーい」というようなことを言って国会議員が支援を受けている業界のアピールをする場であるというのが実態です。はっきり言ってしまえば「裏のバラマキ」ともいうべきものです。

 この財政赤字が厳しい状況下で、「公共事業削減反対」を声高に叫んだ同じ政治家が「苦しい業界には減税を!」と話す。歳出を増やして歳入を減らせば一体どうなるのか。ましてや今は少なくともマクロ的には景気は良いわけで財政赤字を削減するとすれば景気が悪くなっている時よりはどうにか回っている時にやるべきというのが筋であるはずなのに。ツケは先送りされればされるほど深刻になります。少子高齢化、労働力人口の減少基調は深刻になりこそすれ改善は当分見込めないわけで、かつ日本経済の相対的地位の低下にも歯止めがかからないだろうことを考えれば、「バラマキ」的な減税は日本の可能性、競争力を阻害こそすれ助けることはないはずです。

 一部に対する減税は財政状況が厳しい時点においては事実上それ以外の人への増税と同義であるわけで、我々は安易に一部のみを対象とした減税に走るわけには行かないはずです。もちろん、減税にも必要なものもあります。経済成長に寄与する研究開発減税のように減税額以上の将来の増収効果がある可能性が高いものがその代表です。

 そもそも減税が正当化されるのは、民間の主体の行動を喚起するインセンティブの付与ということなのであって、ある時点までに何かを促進するために時間軸を活用する時限減税、もしくは民間の限られたアセットをある部分への投資に回すためのインセンティブ付けとしての恒久的減税のどちらかのケースのみであるはずです。そして、その政策的方向性が、それ以外の分野の人間に多少の負担をしてでも成し遂げられなくてはならないという政治的決断を得てはじめて決められるべきが租税特別措置であり、政策減税なのではないでしょうか。我々政治家は政治に近づく特定の業界でなく、日々頑張っている一般のみなさんの味方であるべきなのではないでしょうか。そんな疑問を禁じえません。

 実際のところよく話してみると、業界の人だって消費者や生活者の視点を持っています。仕事をしている時以外は一般人なのですから。そのように良識が通じるひとにすら何も説明せずに、考え方の説明もせずに惰性で団体のいわれるままに動いている政治家が何と多いことか。

 今やこのような資源配分の議論においては焦点は正しいか正しくないかではないのです。優先順位の、哲学の、国家観の問題なのです。そこのところの認識が今の時代の政治家には厳しく求められているのだと思います。今の財政状況では正しいもの、理屈が立つものの全てを国がやるわけにはいかないのであります。正しいもの、理屈が立つ減税、予算編成を全てやっていたら消費税が30%でも足りないわけです。そんなことでいいはずがありません。

 しかし現実には全くそうではないバラマキ減税が大手を振っていて、それに違和感を感じる声はかき消されてしまうのが税調であります。過去二年間、いろいろな発言をしてきましたが、正論はバラマキという霞ヶ関・永田町の「正論」にかき消されてしまうのが実情でした。あほらしさと憂鬱さ、これを今のシステムには抱かざるを得ないというのが私の正直な感想です。税調の会議自体にはそんなやりきれない気持ちもあり過去二年のようには出る気になれませんが、これまで同様、このようなことをいろいろな場で主張していきたいと思います。

suzuki_keisuke at 15:27トラックバック(0) 

2007年12月02日

日本外交に物申す

 外交上気になる報道が最近二つありました。一つは東シナ海のガス田について日中で早期の解決に向け合意したというもの、二つ目はバリ島で開催の地球温暖化に関する会合であるCOP13において、洞爺湖サミットを睨んで日本が各国をまとめる役割に意欲を見せているというものです。

 もちろん報道ベースですからなんともコメントできませんが、事実であれば相当注意深くみていかなくてはならない問題といわざるを得ません。

 この種の問題においては、特に日本のこれまでの外交を検証すれば、「国益を守る、目的を達成する」ということよりも「交渉をまとめる」ということに主眼が移って、ともすると「まとめるために過度の譲歩をまとめ役として行う」という過ちを犯しがちだからです。

 少し考えればわかることですが、何事にも譲歩していいものと絶対に譲れないものというものがあります。先にあげた二つはどうでしょうか。

 まず一つ目。東シナ海ガス田の問題はエネルギーといういわば妥協点を探しうるものに限られません。そこに隠れた中国側の狙いとして、日中中間線を実質的に無効にしてこの海域における中国側の影響力を強め、中国の核ミサイルを搭載した潜水艦を太平洋にアクセス可能なようにしてアメリカの影響力を減じ東アジア地域の地政学的環境を自国に有利にしようという長期戦略の布石であるという可能性がかなりの程度あることを考えねばなりません。中国の潜水艦、調査船の活動状況、最近の中国軍関係の動向、アメリカのそれに対する見方、コストが圧倒的に高いこの地域のガスに中国が固執する不自然さ、スプラトリー諸島を巡る中国の過去の動き、等を考えれば、その可能性は高いとすら言わざるを得ません。そうなればまさにアメリカの日本に対する安全保障のコミットが根本から覆ることとなります。

 そのような重大な問題、しかも今は日本が中間線まで実効支配しているという状況にあることを考えれば、日本がこの問題について「解決のため」に少しでも譲歩することは全く愚かなことであるといわざるを得ないのではないでしょうか。加えてそもそも中国は一歩も譲歩する姿勢を見せていません。相手は口先はともかく実際には日本の一方的譲歩を求めてきているというのは温家宝首相の訪日以来の中国の「やってきたこと」を見れば明らかです。日本側として交渉の余地がない問題であることに加え、仮に交渉をするとしても、交渉というのは双方が譲歩しあうものであって、相手がその気がなければそもそも成り立たないものなのであります。今の状況はそれであるような気がしてなりません。

 まして過去の海洋関連の判例等から見ても、日本が中間線の日本側で試掘することは正当に認められた権利であって、それを「中国を刺激するから」という理由で何もしないで中国に既成事実を作られるというのは果たして外交といえるのか。「出るところに出る」ことを嫌がっているのは中国なのであります。正統性もなく刺激してきているのは中国のサイドであるわけで、この問題において「足して二で割る」といった「解決」をすることは愚かのきわみといわざるを得ません。中国と問題を起こしたくないという姿勢があると伝えられもする福田政権、まさかそんなことはしないと信じて注意深く見守りたいと思います。

 また、二番目のCOP13、この問題でも削減義務を課されたくない中国をはじめとする途上国が席を立たないようにエネルギー効率の高い先進国だけが義務を課されてエネルギー効率の低い途上国が野放し、というのでは、いくら「交渉がまとまって」も温暖化対策の観点からは意味がほとんどないわけであります。また、ご機嫌取りのために経済協力やら支援やらという飴玉を乱発することもあってはなりません。大半の途上国で環境対策が何故進まないのかといえば「技術」「カネ」「やる気」の3つが足りないからであります。三番目の「やる気」、危機感が足りない状況ではいくら支援したところで返って逆効果なのです。この点も日本の外交当局の今後の姿勢を厳しく見ていきたいと思います。
 
 どんな問題でも波風立たずにいるのが一番というのでは外交ではありません。いろいろな手段を使ってとにかく最善の結果を出すことが外交なのです。もちろん場合によっては長期的な国益も考え譲歩することが大事なときもあります。しかし会議においては時には譲歩するよりも決裂した方が結果としていいときもあるというのも真実です。サミットが控え、六者協議などむつかしいテーマが多い日本外交、このことを私もあちこちで主張していきたいと思っています。

suzuki_keisuke at 16:29トラックバック(0) 
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