2008年01月

2008年01月29日

米国大統領の一般教書演説

 アメリカ大統領の一般教書演説が行われました。景況感の先行きへの懸念を示した上で減税をメインとした景気対策を打ち出した点は予想の範囲内といったところだったのでしょうか、反応もそのような感じかと思います。一方で、日本としては、外交面で北朝鮮への言及が「なくなった」ことには注目をしておくべきなのかもしれません。

 表面的な「北朝鮮問題解決」という功名のためにアメリカがこれ以上妥協を重ねるというリスクがなくなったと見るべきなのか、それとも他の問題に埋没して、一部の北朝鮮問題専門家の間だけで融和的な方向で交渉が進められてしまうリスクが増えたと悲観的に考えるべきなのか、今の状況ではなんともいえませんが、今後の推移を慎重に見守って、日本の国益を死守する観点から引き続き発信を続けていきたいと思います。

 さて、一般教書といえば思いだされるのが、かつてアメリカの大学院にいたころの記憶です。外交大学院にいたこともあったのかもしれませんが、学部も含め、周囲の学生の殆どが、大統領の一般教書演説に注目し、その内容を吟味していたことが強く印象に残っています。

 メディアも含め、このstate of the unionと称する演説への注目度は非常に高かった記憶があります。それは日本の総理大臣の施政方針演説がほぼ一般の関心とは無縁であり、マスコミで注目され大トピックとして取り上げられることもあまりないという状況と比べた時、そのコントラストがあまりにもはっきりしていて余計に印象的であったのかもしれません。

 現状のように役所の作文のホッチキスに近い文章を「施政方針演説」として読んでいる状況では、確かにその意味合いが社会に与えるインパクトもないであろうし、メディアが取り上げない、国民の関心がないということもある意味当然なのだろうとは思います。「政治家」の社会における意義もそろそろ違う意味で考えた方がいいのかもしれません。

 思い起こせば、このことは「政治リーダー」と「行政」の意味の違い、社会の政治に対する感覚の違い、といった点を考えさせられたきっかけの一つでもありましたので、ここに書かせていただきました。

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2008年01月25日

日本、「文明対テロの戦い」へ復帰

 今日横須賀から護衛艦「むらさめ」がインド洋に向け出港しました。私もテロ新法を審議したテロ防止特別委員会の委員で、国会質疑を行い、日本がテロとの戦いに復帰すべしとの議論を展開した政治家として、朝の街頭演説を終えた後、その出港を見送りに横須賀に赴きました。



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 これから酷暑のインド洋での過酷な勤務に就かれる自衛官各位には心より敬意を表するとともに、派遣隊員のご家族の皆様にも「ご苦労さまです」と心より申し上げたいと思います。指揮官以下、日ごろの鍛錬の成果を存分に発揮され、国際社会に日本の存在感をアピールし、信頼を取り戻すべく頑張っていただけることを信じています。また任務を全うし無事に帰還されることを心より祈っています。



インド洋に赴く隊員と「むらさめ」(私の前の席の後姿は安倍前総理)


 しかし同時にこのことに触れないわけにはいきません。インド洋における給油活動等に反対し強硬に審議拒否をして日本の支援活動を中断をさせた野党の代表が、その採決を「重要ではない」と言って欠席したという事実です。テロとの戦いという国際社会の戦いに日本が協力し続けるかどうかという、まさに政局の政争の具とされてしまった今回の議論に最前線で歯を食いしばって頑張っている自衛官が振り回される状況は決して健全ではないといわざるを得ません。

 また、ブッド元パキスタン首相が暗殺され、テロリズムの脅威が全く弱まっていない状況で、国内の政争のために、日本が一時的とはいえテロとの戦いから離脱したという事実を我々は忘れてはならないのではないでしょうか。国際社会から見れば、「日本は内向きな国」と評価されかねない状況です。湾岸戦争のときと同じように汗を流さない国として世界の笑いものになるという悪夢、日本の原油輸入のタンカーのために他国の軍艦が命がけで守って日本は全くのただ乗りという最悪の状況が数ヶ月とはいえ続いたことは果たして本当に国益のためになったのか、政治の責務を果たしたといえるのかは厳しく問われなくてはならないのではないでしょうか。

 出港に際しての司令の最後の言葉「我々にも意地と誇りがあります」、その表情が忘れられません。あまり多くを語ることはしませんが、命がけの任務を必死に果たそうとしている自衛官に対し、一部を除く野党議員の国会における発言とそれが作った状況は果たして適切なものだったのか、政治のあり方を含め問い返すべきなのではないでしょうか。



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2008年01月23日

雪の日の日記

 関東地方は雪が降り続いています。温暖化の影響なのか昨年が冬に一度も雪が降らない(春になってから一度降りましたが)年でしたので、久々の冬の雪ということになりました。うっすら雪化粧した東京の景色も何か懐かしい気がします。とはいえ、積雪があると交通機関が混乱したり通行人の転倒事故などが多発するのが大都市の弱いところです。気を抜かないで事故がないようにしたいものです。

 さて、今日の午前はいつものように朝の駅前での街頭演説を終えた後に、東京に移動し、イスラエル大使と朝食をとりながら懇談、その後民間企業が主催して厚労省やアメリカ大使館が後援している年金関係のイベントに招かれ審査員として出席してきました。

 イスラエル大使とは国際政治情勢などについて意見交換。先輩議員一人と先方が二名という小ぢんまりとした朝食会だったので有意義な意見交換ができました。実はイスラエルは前の大使が空手6段、近くの道場で日本の子供達にも教えていて、居合もやるというような知日派で私もしばしば個人的にも意見交換させていただいていたのですが、今回は新しい大使とは事実上きちんと話すのははじめて。

 中東情勢は国際政治上の最重要課題の一つではあり続けるわけで、国際社会の中に生きる日本の政治家として、アラブ諸国、イスラエル双方にきちんとパイプを作っていきたいものです。駐日大使はもちろんのこと、世界の各国の若手政治家ともそんな考えの下、意見交換できる相手を少しづつ作っています。世界とのかかわりが今後一層増えていくことを考えれば、アメリカ経由、イギリス経由だけではなく、直接考え方を聞けるカウンターパートを持つことは、政治家として必須のことではないでしょうか。

 さて、引き続いての年金のイベントは今の大学生の年金に対する提言のコンペというスタイルのもの。世代間、世代内、さまざまな格差をどう考えるか、モラルハザードがおきないためにはどうすべきか、負担と給付のあり方は、などなど、年金は複雑に絡み合ったテーマですがなかなか面白い提言が出ていました。

 社会保険庁の労働問題にばかり焦点が当たっていますが、もちろんそれも大事ですが、何よりも今取り組まなくてはならないのは人口動態の変化という絶対的な構造変化の中での制度的な矛盾をどうやって解決していくかという意味での「年金問題」の議論です。何よりも多くの人がこの問題を主体的に考えて、真摯な議論をする、そのような状況をどうやって作っていくか、医療や介護、社会福祉全体のあり方を国がどこまで関与すべきかも含めて議論すべき時に今の日本は差し掛かっているのだと思います。若い世代も上の世代も、自分の問題としてこの難題にチャレンジしていける可能性を垣間見た気がして非常に元気をもらったイベントでした。関係者の皆さま、お疲れさまでした。

 ようやく新年会が一段落しつつある中で地元での活動の合間にこのような活動もきちんと行っていきたいものです。もちろん次の選挙で生き残ることは絶対的な命題ですが、そもそも何をやるために政治家が存在しているかを考えれば、政治家としての質を磨き、自らを陶冶することもまた必須のことです。このバランスをどう取れるかが非常に大事なのだと私は思います。

 「男は強くなければ生きてはいけない、しかしやさしくなければ生きている資格がない」という有名な言葉がありますが、そんなことがちらりと脳裏をよぎるテーマであります。

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2008年01月18日

ムード。内需。政治が取り組むべき経済政策とは?

 今日から通常国会が開会します。6月15日までの150日間、サミットに向けての議論もありますが、基本的には内政、経済等が焦点となることが予想されています。
 
 それにしても最近の日本経済の景況感はあまり良くありません。原油高、サブプライム問題に端を発した株式相場の下落、景気の失速懸念が高まっています。心理的な要因は日本経済の多くを占める個人消費や企業の行動に影響し、結果的に実体経済に影響を与えるというのが今の経済のパターンです。

 日本の国が、これは国民性なのかもしれませんが、諸外国と比べても、悲観的な材料に目が行きがちで、しかも一つの方向に全体が流れがちであるという特質を持っていることは現在のマーケットが大きな力を持つ経済においてはマイナスといわざるを得ません。

 国際社会の他の国と少なくとも同じくらいは自分達の持つの強みにも目をやって、将来への見通しを明るい方向に持っていくことが何よりも重要な景気対策なのかもしれません。先行きなどというものは断言できるものではないし、良くなるか悪くなるかは誰も確信が持てないものです。加えてそれらのムードをどう感じるかが実際の景気にも影響してくる構造であるとするならば、前向きな考え方というものを国民各位の間に育てることも政治の大事な使命なのかもしれません。

 とはいっても、チアリーディングだけをやって日本の経済の底力が強くなるとは言い切れません。それに加えて政治としてもきちんと日本の市場や経済が自律的な成長をしていけるようにもっと内需や国内の投資主導の経済・マーケットを育てていくような方策を打つことが大事です。

 外国資本が、本国の景気が悪くなれば、為替リスクもあって情報も十分ではない海外への投資を縮小することは自明の理です。そこに依存しすぎれば日本の経済は世界経済の動向に極めて脆弱的になってしまいます。さらに日本人のメンタリティーとして悲観的な方向にバイアスがあるのであれば、外国資本の動きは日本経済においてはマイナスの方向に増幅されてしまいます。

 そのような体質を改善していくためにはいろいろな方策が考えれれます。証券投資減税や消費を喚起するような政策を打っていくことが非常に重要です。

 ガソリン税の問題も非常に厄介な問題であることは事実ですが、このような日本経済の体質改善、体力効果に資するような議論等いうものも、団塊の世代が引退をはじめ、日本の労働人口が減少基調にある今だからこそ必要な議論なのではないでしょうか。

 5年後10年後の我々の社会の活力を意識した責任ある政治を進めるべく挑戦し続けていきたいと私は考えています。

suzuki_keisuke at 10:48トラックバック(0) 

2008年01月15日

暫定税率の議論に付け加えて・・・

 今日臨時国会が閉幕しました。とはいっても中二日開けてまた通常国会が開会しますので、国会審議は事実上継続されるということとなります。

 インド洋での給油活動、「テロとの戦いを日本が続けるのか離脱するのか」が焦点となった臨時国会とはうって変わって、当面は道路特定財源の暫定税率をどうするかという点が焦点となることが予想されます。

 暫定税率を巡っては、「道路整備かガソリン価格を下げるか」の議論がなされそうな雰囲気ですが、本当にそれだけでいいのか、ここであえて日本の長期的な国益を考え問題提起をすべきではないかと私は考えています。

 「道路かガソリンか」というのはどちらもバラマキの論理、バラマキ合戦の域を脱していません。もちろん短期的な視野しか持たない政治であればそれでもよいのかもしれません。しかし、私は今の日本を取り巻く環境を考えれば、今議論すべき点はその二択ではない、どうすれば日本が、我々の将来が、活力ある競争力があるものとなるのかということを真剣に考えなくてはならないのだと考えています。

 もちろん目的税はその目的のために納税者に負担をお願いしているものですから、別目的に税金を使用する際にはきちんとした説明か法改正が必要なのは言うまでもありません。

 しかしそのような建前の筋を別とすれば、税全体について今最も必要なことは、納税者に負担を強いている税金については、もっとも効果的な効率のよい無駄にならない使い方をするかということなのではないでしょうか。そう考えれば受益と負担の関係を狭く限定してしまう目的税、特定財源という考え方そのものがこの時代にふさわしいのか、何をもってその必要性を判断するのかという議論をきちんとしなくてはならないのではないかという点も考えていかなくてはならないはずです。

 そして課税の対象についても最も経済的にマイナスの少ない、そして本来政策的に減らすべきものに課税をするという哲学を明確にすべきなのではないでしょうか。

 そのことを考えれば、私は消費税の増税などを回避するためにも、現在の暫定税率、さらには道路特定財源という目的税自体を法改正をした上でこの国にとって必要な資源に配分していくことが今最も必要なことなのではないかと考えています。

 ガソリンへの課税は環境への負荷などを通してあらゆる人へ影響を与えるものであること、公共交通を含め直接的、間接的にほぼ全ての人が支払う税であること、現在の財政状況を考えた時、現在の規模での道路整備が年金や教育を削ってまで行うべきもの、増税をしてまで行うべきものとは考えられないこと、等を考えれば、私は特定財源の一般財源化をきちんと行い、道路についても聖域とするのではなく、他の教育や福祉といった分野と同じ査定基準でもって予算付けを行うべきであると強く信じています。

 もちろん今の自民党、民主党の雰囲気を考えれば、実現には時間がかかるでしょうし、長期的な視野で物事を考える環境を根付かせることが難しいことは百も承知ですが、私は自らの取り組むテーマとして、既得権益を守るようなしがらみを断ち切り真に効率的な政府を実現させるべく引き続き頑張っていきたいと思っています。そのことが真にこの国のためになることを強く信じて。

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2008年01月11日

あわただしい日に与えられた命題

 今日は朝の駅頭演説の後、国会の財務金融委員会で福井日銀総裁に質疑を行いました。物価、経済両方についての下方、上方リスクについての見解を聞かせていただき、そののちに日銀の金融政策の運営スタンス、さらには福井総裁の後任人事についてのやり取りをさせていただきました。

 金融政策をつかさどる日本銀行の総裁はその発言がマーケットに与える影響などを考えれば、コミュニケーション能力やリーダーシップ、実務能力など非常に重要な資質が求められるポストです。政党の私利私欲で国の長期的な国益が失われることがあってはなりません。適切な人選が行われ、政局とは関係なく適切な人事、及び国会の承認が行われるよう頑張っていきたいものです。

 今は経済、物価ともに様々な不安定要因を抱え、認識も非常に困難な状況にあります。微妙なバランスに配慮しながらマーケットにシグナルを発しつつ適切な政策運営を行っていく、日銀に求められる役回りは非常に大事です。かなり前になりますが、かつて、中央銀行の中立性に過度にこだわるあまりに真に適切な判断を下せなくなっているかのように見えた時期が日銀にもありました。そんな事態が再び発生しないよう厳しく見守っていきたいものです。

 さて、今日はその後横浜市や神奈川県の会合、地元の会合などに出席しながら、午後一時には本会議に出席しました。数十年ぶりといわれる参議院での否決法案に対する衆議院での再議決。もちろんきちんとした話し合いが行われ適切な議論が行われる中でこのような形でなく結論を出せたならそれが最もよいのですが、なにせ、今の国会の状況では政局が国益に優先してしまっていてそんなことは望めない状況です。

 民主党の小沢代表が本会議の再議決の採決を棄権したということからも現在の事態の本質がうかがい知れるのではないでしょうか。

 何はともあれ、その結果、日本は再び国際社会の一員として「テロとの戦い」に復帰できるわけです。私は今日の動きを二つの意味で評価したいと思っています。

 ひとつは、日本が再びテロとの戦いに復帰し国際社会の責任ある国としてその責務を人に押し付けずに果たすことができる状況になったこと。このことは日本が一国で存在しているわけではない以上、必要不可欠なことであったと私は強く信じています。
 
 そしてふたつ目は、衆議院での再議決という憲法上規定されたルールを実際に行使するにあたって、真に日本の国益にかなうような法案がその対象となったこと。このことは今後のいわゆる「ねじれ国会」において真にこの国の将来のために最も適した政策を打っていくためにはどうしたらいいのかというテーマを考える上で非常によい事例となったと思われます。もちろん何でもかんでもこの手法を使うわけにはいきません。どこで線を引くのか、何を基準にこの条項を行使するか否かを判断するのか、今後議論を深める上で、今回の事例というものは最もすっきりとした形での具体例となったと思います。

 今日はこのようにあわただしい中にも、この国の行く先という我々政治家の根本にある問題意識を考えざるを得ない機会を何回か得ることができたことに改めて感謝して、そして自らの知見を深めていきたい、そんな思いを抱いた一日でありました。

 引き続き頑張ってまいります!

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2008年01月07日

止まらない株安に思うこと

 日本の株価の下落が止まりません。日経平均株価は昨年の後半から続落し、昨年来安値、要するに昨年一年間の最も安い水準をさらに割り込む安値を年明けから二日連続で更新しています。

 この引き金となったのはアメリカに端を発したサブプライムローンの問題。波及の範囲が見えないことから不安感が拡大しアメリカの株安を引き起こしているという例の問題です。客観的に見れば日本はほかの欧米等の主要国に比べればサブプライムのマイナスのダメージは小さいと言われていますし、実際のところその可能性が高いようです。

 にもかかわらず、実はマーケットのインデックス指数が長期的なトレンドの中でここまで落ち込んでいるのは日本だけ。問題の震源地のアメリカでさえもダウもS&Pも歴史的に見ればかつてない高値の水準にあるのに日本はかなり低い水準にとどまっています。

 非常にラフな言い方をすれば、日本の株価は世界の株価が暴落した時にはつられて同じように暴落し、逆に世界の株価が高騰したり堅調に推移している時には足踏みするという値動きを長い間見せてきています。

 ここで専門的な分析をする気はありませんが、マーケットの値動きというのはモメンタムに左右される非常に心理学的要素が強いものです。たいていの場合解説は後付けにしかすぎません。同じ材料であっても強気の相場のときは買いの材料となり株価を押し上げますが逆に弱気の相場のときには売りの材料となり株価を押し下げるといったことはよくみられることです。

 先行きの見通しなど誰にも確たることはわからないのですから強気弱気が混在していてしかるべきでしょうし、強気の見通しがなければ買いが入りにくく株価は上向かないという自己反映的な側面を最近のマーケット経済は持っています。

 アメリカなどでマーケットを見ていると、どんな局面でも「よくもまあ」と思うくらい強気な見方をする、そしてそれなりの理論武装をした主張が存在しています。一方の日本はどうでしょうか?一般的に言って「悲観的なことを言っていたほうが賢そうに見える」という傾向がないとはいえないような気がします。このことが自己反映的なマーケットが大きな力を持っている経済においてどのような意味を持つのか、一度考えなくてはならないのではないでしょうか。


 今回のサブプライムの問題に端を発した世界の株式市場の動向をさらに長いスパンで見たとき、「日本」というものが持っているある種の独自性というもの、さらに言えばその中の弱点がやや透けて見えてきている気がしてなりません。

 これは社会全体に関する根幹の事象ですから日々のマーケットの値動きには関係ないかもしれませんが大きなトレンドとしては決して無視できないテーマなのではないでしょうか。グローバル化したマーケットが大きな力を持つ経済になってしまった現在の世界経済を考えれば、このようなテーマにも注意を払わなくてはならないのではないか、そんな気がしてなりません。

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2008年01月01日

平成20年年頭所感

 平成20年を迎えるにあたり、新春のお慶びを申し上げますとともに、この一年が皆さまにとりまして素晴らしい一年となりますことを心より祈念申し上げます。

 さて、昨年は安倍政権の退陣と新たな福田政権の発足、参議院選挙、統一地方選挙における自民党の敗北と民主党の大勝など、国内政局的には非常に大きな波乱の年となりました。そして結果として、ここにあえて私の率直な思いを書かせていただければ、与野党を問わず、日本の将来に向けての飛躍の足かせとなるような「古い政治」「内輪の、なあなあの政治」が復活してしまったのではないかという忸怩たる思いを覚えずにはいられないのであります。

 近隣諸国が経済的軍事的に台頭し、冷戦期の日本の安全保障を支えた日米同盟の基盤が緩み始め、さらには地球温暖化という人類文明の存続基盤を揺るがしかねない危機にわれわれはいま置かれています。サブプライム問題や原油高の問題を見ても明らかなように、国際的には情報技術の進歩に伴いグローバル化が経済のみならずあらゆる側面で進展をしている非常に厳しい環境にあるのが「現在」という時代です。内を見れば、少子高齢化時代を迎え、さらに教育、心の荒廃が心配されるような事件が日々起きている状況に日本は直面しています。

 これまで日本がこれほどの危機に立たされたことがあったか?私には今が日本の今後数十年の浮沈を決める分水嶺ではないかとの危機感が感じられてなりません。

 今ほど、直面する困難を打破するような「突破力」が期待されているときはないのではないでしょうか?今ほど、日本人が本来持っているその潜在能力を引き出す自由競争に基づいたダイナミックな社会の実現が求められている時はないのではないでしょうか?そして今ほど、大人がそして子供が、困難に直面した時に何かに依存するのではなく、「なにくそ」と頑張れるような強い心を、自らの可能性を信じて自分の夢に向けて走り続けられるような強い想いを持てるような環境が求められている時はないのではないでしょうか。

 日本はかつて、世界でも珍しいほど「エネルギーに満ち溢れた自由競争社会」を、「頑張ろうと思えばチャンスが与えられる「機会の平等」が貫かれた社会」を自分の手で築き上げてきた国です。我々の先輩が、先人が自らの力でそうしてきたのです。戦国時代、明治維新、戦後直後の復興期、外国からの来訪者が驚嘆したほどのダイナミックな社会を作ってきたそんな日本人のDNAを私は今こそ信じたいと思っています。

 「弱者救済」「結果の平等」「格差ゼロ社会」、耳触りのいい言葉ではありますが、今の日本にはこんな内向きの政治をしているほどの余裕はないのではないでしょうか。私はこのような、頑張るものも頑張らないものもいっしょくたにされる社会でなく、頑張った人が報われる社会、頑張りたい人にチャンスがきちんと与えられる社会をこそ作ってまいりたい。私は今までの政府や政治家のように「日本人は手を差し伸べねばならない弱いだめな人たちだ」とは全く思わないのであります。無限の可能性をもった存在だと思うからこそそこに賭けたいと思っています。

 世界経済の中で日本の地位がどんどんと低下している、世界をリードするどころか国際的な評価もどんどんと低下している。私はその状況をあきらめをもってシニカルな笑いを浮かべながら何もしないでいることだけはしたくない。自らも動いてできる限りの手を尽くして事態を何とかして変えたい、そう思っています。

 なあなあのしがらみにがんじがらめになった「古い政治」ではなく、この国の一人ひとりがもつ限りない可能性を引き出して新しい日本を切り拓く「新しい政治」を全力で実現させていきたいと思っています。そのために短期的には辛いことであっても長期的な視野で必要なことであれば万難を排してやりぬく、そんな覚悟の政治を実現させるべく全力で頑張っていきたいと思っています。

 やや長くなりましたが、私の率直な思いを書かせていただき、平成20年を迎えるにあたっての年頭のメッセージとしたいと思います。本年もよろしくご指導、ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。

 平成20年1月1日
 鈴木けいすけ


※政治家が年賀状などの挨拶状を出すことは公職選挙法上の規定(第147条の2)により原則として禁止されております。なにとぞご理解いただけますようよろしくお願いいたします。

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