2008年02月

2008年02月27日

economist誌の日本論

 今週の英エコノミスト誌、珍しく日本が大々的に取り上げられています。しかし、その表題はJAPANに"i"をいれてJA”PAIN”。今の混迷する政治状況や改革が進んでいないことなどに対する評価が書かれています。福田自民党、小沢民主党の両方への苛立ちが見て取れる論評です。

 確かに日本は依然として世界第二位の経済です。しかも今サブプライム問題を克服できないでいる世界経済の中では、バブル崩壊、資産価格の下落、不良債権問題、といった難題を克服した国という位置づけも一部でなされている状況なのです。「にもかかわらず、、、」というのが諸外国の今の日本への目線なのではないでしょうか。

 インドや中国が急速に台頭してきています。そしてアメリカも波はありますが依然として日本よりもかなり高い潜在成長力を持ち、経済的には日本を引き離している状況です。確かに有力なブランド企業が日本のプレゼンスをある程度維持はしていますが、やはり国全体としては地盤沈下しているということは否定できない事実です。

 そのような状況であれば、今我々が考えなくてはならないことは、いかにして内外格差を埋めるような、あるいはもう一度世界の場で日本が新たな飛躍をすることができるような環境を作り出すかということに他なりません。

 そのためには一人ひとりの潜在能力が十分に出せるような環境を作り出すことが何よりも重要なはずです。そのためには女性や高齢者、若者、いろいろな立場で、頑張りたいのにその機会が無くて悔しい思いをしている人、あるいは悔しい思いをしているうちにそれがあまりにも長すぎて「燃える」という感覚を忘れざるをえなかった人、こうした方々にきちんとその能力を存分に振るってもらえるようなチャンスがある社会を創ることが重要です。そのためには税制や金融、労働市場、いろいろな改革が必要なはずです。

 また、世界を日本の産業のマーケットにするためには、わが国が何が強くて何が弱いのか、何を伸ばすべきなのかを冷静に分析し、それぞれの産業を強化していくような国家戦略を立て、さらには強みを世界で活かすために、国際的なルール作りや基準作りについて、戦略的な発信をしていくこと、そこをどのようにして取り組んでいくか、といった議論も重要です。国際ルールは「守るもの」でなく「創るもの」でもあるわけです。

 「にもかかわらず、、、」今の国会では、特に昨年夏の参議院選挙後、与野党問わず政治が昔に逆戻りしようとしているのが目に付きます。まさに目先の帳尻合わせの政治、バラマキやツケの先送りの議論、既得権益を守る議論に終始しています。今我々の社会にとってもっとも重要な議論は「ガソリンを下げるか」「道路特定財源を守るか」という議論ではないはずです。

 私は、我々日本人は、総じていえば、保護して守らなければ生きていけないような弱者ではないと思っています。海外にある程度の期間暮らし、仕事をした経験から言えば、日本人の潜在能力は非常に高いと私は思っていますし、これまでの歴史を振り返っても、ピンチを必ず自らの力で克服し、世界でもトップクラスの活力漲る競争社会を創ってきたのが我々の先輩の歩みです。私は我々は世界においてフロンティアを切り開くような限りない可能性を持っていると信じています。

 だからこそ、目先は辛くとも、きちんと足腰を鍛え、厳しい環境の中でも外に打って出る勇気、野性が何よりも重要なのではないか、そう思っています。

 競争できる力がどこにも無いなら保護しなくてはなりません。しかしそうでないなら保護するということは、その者を甘えさせダメにしてしまうことに他なりません。
もちろんメリハリは重要ですが、私は日本と日本人の、我々の可能性を信じてこれからも政治家として歩んでいきたいと思っています。

 党内の民主主義もなかなか怪しい状況ですので厳しいものもありますが、今週のエコノミストの記事を読んで、未来に責任を持つ政治をきちんと作っていくべく引き続き全力で頑張っていきたいと改めて感じさせられました。

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2008年02月25日

東シナ海のガス田問題の拙速な解決を危惧する(後編)

 さて、前回の稿でも、今東シナ海のガス田問題の「解決」を急ぐような動きが国内で出ていることに私が危惧を抱いていることは触れました。

 実は毎回何らかの会議や会談が行われるたびに、状況の進展が伝えられていますが、実は事態は日本にとっては全く変わっていないというのが現状です。「共同開発」で合意ということがよく言われていますが、実は日本は国際的な通例で言う中間線の日中両側での共同開発を当然主張しているわけですが、中国側は中間線の日本側のみでの「共同開発」から一歩も譲っていません。つまりは国際法廷に出れば開発が許されないところだけの「共同開発」というラインを崩していないということです。

 そもそも、今回の件については、中国が日本側海域にも構造的につながっているガス田の採掘を一方的に始めたところに端を発しています。そして本来であれば日本が毅然とした対応を見せるということであれば私が国会の外務委員会などの場でしばしば指摘しているように日本側も日本の海域での試掘、試掘りを行って、営業を開始できるような交渉環境をつくっておかなくてはならなかったはずなのです。にもかかわらずそれをしてこなかったために今回の交渉においては日本は正統性があるにもかかわらず「時間」を味方にできていない。つまり時間が経過することが日本にとって状況を有利に変えることとならない、という状況に陥っています。

 実は試掘権を申請している帝国石油のトップは、「覚悟」を持った方です。そして、小泉、安倍政権下、麻生外務大臣の時にはこの話は生きた話だったのです。そしてその流れで「海洋構築物等に係る安全水域の設定等に関する法律」も民主党も乗った形で成立したわけです。

 その当時は水面下では中国側にも多少の譲歩を見せるかという動きも見られていたという情報もありました。しかしながら、ここ半年ばかりは進展も全く止まり、試掘についても「中国側が軍艦を出すと恫喝した」など妙な話が報道等から漏れ聞こえてくるばかり。国家の主権にかかわる海域を巡る問題にしては政府の戦略的な取り組みがあまりにも見られていないのがここ最近の動きです。

 わが国の主張に正統性があるにもかかわらず、徒に譲歩して相手が飲みやすい形のもので交渉をまとめることを外交とは言いません。それはただの外務です。真に国益を守るにはそれ相応の覚悟が対外的に必要です。この問題は実は中国の海軍の戦略とも絡んで日本の安全保障の根幹にもかかわる深刻な問題です。私も政治家として政府に引き続き戦略的な対応を厳しく求め続けいきます。

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2008年02月20日

東シナ海のガス田問題の拙速な解決を危惧する(前編)

 4月の胡錦濤中国国家主席の来日に向けてということで東シナ海のガス田問題をどうにか解決しようとの動きがあるようです。各種レベルでの会議も開催されているようです。しかしこの問題くれぐれも拙速は禁物。今回のケースでの「解決」とは何なのか、交渉である以上は主張すべきものは主張することが重要です。一度整理しておく必要があるのではないでしょうか。

 今回の東シナ海のガス田問題は、ある意味海洋権益や領土の問題でもあり、それが中国の姿勢が強硬な理由とも言われています。今の客観的な事実を記せばこうであります。

 まず、各国200海里認められている排他的経済水域(EEZ)というものがあるわけですが、今のところ、日中は非常に近くに位置しているために、お互いのEEZが重なる状況にあります。特に東シナ海ではそうです。その場合何らかの方法でその海域を二つに分けなくてはならないわけですが、日本は両国の中間線を境界としようと主張し、中国は沖縄近くまでは中国大陸の大陸棚だからそこ(沖縄のすぐ近く)までは中国の領域だと主張しているわけです。

 そして国際的には判例を見ると中間線という日本の主張が一般的であるのが事実です。そのことは、日本がこの海域の係争について国際司法にゆだねようとしているにもかかわらず中国がこれに頑として応じないことからも、国際的な正しさがどちらにあるかは明らか、というのが現状です。

 すなわち、今の交渉では、いってみれば中国側は日本との交渉で完敗しても国際的なスタンダードの水準は守れる状況にあり、少しでも交渉に勝てれば国際社会では認められないような有利な条件で境界を画定できるという状況にあります。つまり、日本はドローか負け、中国は勝ちかドローという交渉なのです。国際的な基準から公正に見て、削り代がない日本側の主張と、高めの打ち出しで削り代がある中国側の主張がぶつかり合っているという嘆かわしい状況だったりします。まあ、日本人のまじめさここに極まれりといったところでしょうか。戦術という意味では中国の上手さにも正直感心するところ大であります。

 今回の東シナ海のガス田問題は実は単純な天然資源の問題だけではなくこのような海洋権益、境界の問題が複雑に絡んでいるから解決が簡単ではないわけであります。

 話題となっている「共同開発」にしても、海域の設定の仕方次第でこの海洋権益に長期的には必ず影響してくる問題なので、ここは日本としても絶対に横車を許すわけにはいかないという状況なのです。  (次回へ続く)

suzuki_keisuke at 16:33トラックバック(0) 

2008年02月16日

経営の思想転換の必要性

 日本経済の先行きがいま一つ不透明です。年始からの株式市場の値動きを見ても、やはり底流には内外からの日本経済の先行き、構造改革の停滞への懸念等があるのは明らかと思われます。そもそも少子高齢化して労働人口が減少していく日本において、今後最も必要なことは日本人の底力を存分に発揮し、潜在成長率自体を伸ばしていくこと、そして潜在成長率と実際の成長率のギャップを減らしていくことにあることは明確なのではないでしょうか。

 そのためには一人ひとりがモチベーションを持って仕事をできる環境、頑張ろうと思った時に頑張れるチャンスがあるような環境を作っていくことが重要です。社会の閉塞感というものは結果の不平等でなく、自分の努力や能力と関係ないところでチャンスが奪われる理不尽な状況から生まれることのほうが多いのではないか、私はそう思っています。

 その一方で、いまの企業経営の在り方にも発想の転換が必要ではないかと私は思っています。会社で働いている人は、労働者であって、そこに支払われる賃金は「コスト」というのも一つの考え方で事実です。しかし同時に労働者はオフタイムには「消費者」、すなわち会社の商品やサービスを購入するマーケットという面も持っています。短期的な視点のバランスシート重視の経営だとこうした面がないがしろにされがちです。四半期ごとにマーケットからバランスシートを監視されてそれが即座に株価に反映されてしまうという今のシステムにあってはやむを得ない面もあるのかもしれませんが、長期的に我が国の競争力を考えれば、本当にこんなことでいいのかという気がしないでもありません。

 労働分配率の低下、人件費の削減、さらには研究開発費のようにすぐに成果が出ないかもしれないものへの投資が今のマーケットでは公正に評価されていないという面は否定できません。何らかの方策がこの状況を打開するためには必要なのではないか、そんな問題意識で、確かに透明性などの点では優れた面が多いマーケットを中心とした経済というものにどうしたら長期的な視点を加えられるのか、特に企業の経営の観点からそんなことを思わずにはいられません。

 またGDPの大半を占めるのが個人消費であることを考えれば、そこをどのように増やすのかを経済界と政治、行政そしてさらには労働界も加えて話し合っていくこともまた必要なことなのではないか、昔からあったそんな問題意識を今の経済状況を見て改めて思い出しています。

suzuki_keisuke at 11:56トラックバック(0) 

2008年02月12日

自民党の「中国への義捐金」

 先週党からこんな文書が。「中国中南部豪雪被害への支援後協力のお願い」という文書。中身で気になった部分を抽出すると「日中関係を円満に処理するため、わが党は中国共産党と友好を深めてまいった関係にあり、この未曾有の被害に対し、党としてもお見舞いを申し上げたく存じます。」「議員各位のご協力を頂きたく、4月歳費より天引きにて各議員5000円の支出をお願いできればと存じます。」「ご賛同できない方のみ2月中までにご返信願いたい」云々といった感じです。全くはじめて目にする内容です。そして、「賛同できない方のみ」とあるわけで、半分義務的なもののようです。もっとも、当初義務的だったとの情報もあり、党内にも良識がかろうじて残っていたといえなくもないとの話もありますが・・・

 とはいっても、これに何か違和感を感じたのは私だけではないはずです。私は国内の災害地への義捐金などは積極的に出来る限りの協力をしようとしていますし、外国であっても特段の問題がない限り協力をすべきと思っています。しかしながら、今回の件はそのような単純な問題ではないと判断せざるを得ません。

 もちろん、政治とこのような災害は切り離すべきと私も考えています。しかしながら、党としては以前の台湾の地震の際などにはこのような形で党として支援をするということはしてこなかったとのこと。ということは、「党としての支援」は政治と切り離されていないということであります。

 なぜ同じ天災で辛い境遇にある人に対して区別をしなくてはならないのか。なぜ、共産主義独裁国家で軍事費にあれほどの資金を回し、アフリカなどへの自己中心的な援助も行っている国に対してはこのような援助を行って、民主主義の自由な社会を築いている台湾に対しては支援を行わないのか。

 加えて、今、中国との間では環境の問題、軍事の問題、東シナ海の問題、食の安全の問題などで、良好な関係が築けているとはいえない、中国側が誠意ある態度で日本と向き合っていないということは客観的に見て明らかであります。そもそも、北朝鮮にも言えることですが、共産主義独裁国家の政府に支援をしたところでそれが被害者の手に渡る保証は無いわけであります。本来中国政府がすべき支出(軍事支出を考えればその余裕はあるはずです)を自民党が肩代わりして、その分が回りまわって中国の核兵器の配備に使われたのでは、まさにただのピエロであります。

 いろいろな意味で、筋が通らない話と判断し、今回の要請はお断りすることとしました。なにか中国というと途端に合理的冷静な判断ができなくなる雰囲気がまだまだ自民党内でも残っているような気がしてなりません。先般の訪中騒ぎを見ていれば民主党はもっとひどいようですから、これは日本の政治全体に残る旧い体質なのかもしれません。きちんとそのようなゆがみを排して、感情を排した合理的な判断ができるような雰囲気を作っていきたいものであります。

suzuki_keisuke at 15:03トラックバック(0) 

2008年02月08日

日本は本当に格差社会なのか?

 読売新聞がBBCと共同で行った世論調査の結果によれば、「国民の間に豊かさが十分にいきわたっていると思うか」という質問に対して、日本においては「全く公平ではない」「あまり公平ではない」との回答が合計で83%に上ったそうです。この結果は、主要先進国の間ではイタリアと並んで最も多い部類。50%台のイギリスやアメリカ、あるいはロシアと比べてもかなり高い水準だったようです。

 果たして日本は諸外国と比べて格差が大きい社会なのか?そしてそうではないとすればこの結果は何を意味しているのか、この点は非常に興味深く考えなくてはならないテーマであります。

 格差という問題で気をつけなくてはならないことは、格差が無い社会はありえないということです。むしろ個人の努力や頑張り、集中力といったことが経済力や社会での成功に反映しないという事態のほうが個人個人の活力ややる気を失わせる可能性が高いともいえます。真に是正が必要な事態は、性別や年齢、出身など、個人の能力や頑張りと関係が無いところでチャンスが奪われてしまうという事態なのではないかと私は思います。

 そうした点からすれば、日本は諸外国と比べ学費が圧倒的に安く、学生がアルバイトをして通える範囲です。これはすなわち頑張れば親が貧しくとも子供が自分の力でそれを挽回できるということに他なりません。例えば東京大学の学費は年間50万程度であって、ハーバードなどのアメリカの著名大学の学費が年間300万程度であることから考えてもそれは明らかです。チャンスの格差が小さいということから考えればこれ以上に明らかな事実は無いわけです。

 また、データから言ってもジニ係数のことがよく日本の格差拡大ということで引用されますが、それにしても、最近の上昇要因の大半は高齢化である点、ジニ係数はあくまで家計を単位とした分布なので、世代間格差と世代内格差が区別されずにごっちゃになってしまっていること。つまり貧富の差が固定してしまっている社会と年功序列で若い層の給与が低く抑えられ年齢とともに上昇していく社会のどちらも数値的には同様の結果が出てしまうこと、などに注意しなくてはなりません。

 客観的に見て、確かに共産主義ではなく自由な社会である以上多少の差というものはあるにせよ、日本はまだまだ格差は少ない社会であるし、格差の固定という閉塞感という意味で言えば、教育という一発逆転のチャンスが子供の学力次第で普通に起こる社会であることを考えればその意味でも世界的に見ればかなりマシな状況にあるのが実態なのではないでしょうか。

 であるとすれば、「なぜ我々は経済格差があると考えたがるのか」ということを考えなくてはならないのかもしれません。もともとの社会構造がかなり平等だったことから来る心理学的なものなのか。もしそうだとすれば、この感覚がネガティブに働かずにポジティブに作用すれば、社会が「あきらめ」という自らへの無関心とは無縁のものとなる可能性も秘めているわけで、我々の社会の強みにつながるものと考えることすらできるかもしれません。いずれにせよこのことはまだまだ考えを深める必要がありそうですので、またの機会に議論を譲りたいと思います。

suzuki_keisuke at 14:59トラックバック(0) 

2008年02月05日

排出権取引への疑問と空港の外資規制

 今日は朝の街頭演説はなし。1月1日より駅頭に立ち始めて、雨の時一度中止した以外は平日は毎日やっていましたが、今日ははじめて「なし」の日でした。

 別に寝坊したとかやる気がなくなったからではなく、党本部の朝の会議でどうしても発言しなくてはならないことがあったためです。党本部の会議は各種の政策について朝8時から行われるため、朝駅での演説をやっていると間に合わないので、いつも苦渋の選択となります。とはいってもまだまだ事実上はじめての選挙をこれから迎える身、「何よりも選挙に勝つことが大事」と思ってやっているので基本的には選挙区での活動を優先してスケジュールを組んでいます。しかし自分の考えや信念に従ってどうしてもという時は東京の会議にも出て発言するようにしているところです。

 さてさて、今日の「言わなければならないこと」は温室効果ガスの排出権取引についてでした。今、ヨーロッパ、アメリカで排出権取引の導入が進んでいることはどこかでお聞きになっていると思います。そして、それがあたかも環境対策に有効であるかのような論調もあり、「バスに乗り遅れるな」といったことをおっしゃる政治家がいらっしゃるのも事実です。

 しかし、私からすれば、排出権取引というものは仕組みから言っても決して地球環境のためにも日本の国益にもつながらないものであります。

 そもそも排出権取引というマーケットが成立するためには、「ある企業が温暖化技術を導入するよりも市場から調達したほうが安い」という状況が必要であります。しかしながら少し考えればわかるように、このような状況となれば、温暖化技術を開発したものからすれば、本来排出権取引がなく、温暖化規制のみが存在していたとすれば、自分が開発した技術を購入しなくてはならなかったはずの企業が、その技術を導入したに過ぎないものにカネを払って排出権を購入する。つまり開発者が本来得べかりし利益をそれを購入したに過ぎないものに奪われるということが構造的に起こることとなってしまうわけです。

 加えて、マーケットができれば価格メカニズムから言ってもそのCAP以上の削減というものはなされないことになってしまいます。

 このような事態が果たして望ましいのか、大いに疑問です。温暖化対策のためには現在ある技術が移転・普及すれば十分というものではありません。そうではなく、新技術のブレークスルー、イノベーションが絶対に必要です。そのためには実際にイノベーションを生み出す開発者にモチベーションと十分な資金が回るような仕組みを本来は作らなければならないはずです。

 このようなことを考えれば、環境対策上も、あるいは環境技術を苦労して開発してきた企業が多数ある日本としても、この排出権取引の制度をポスト京都の議論に絡めることが望ましくないということは明らかです。むしろ、地球環境の問題や日本の国益を考えれならば、CAP&TRADEでなくCAPのみで対応することが必要なのではないでしょうか。

 今日はこのようなことを意見として会議で申し上げました。オークション方式としてその分を研究開発投資に回すなどいろいろなやり方がこの制度の中でもあるので、この問題、今後も議論を進めていきたいと思います。

 今朝はその後、空港の外資規制についての議論の場に出席しました。会議は荒れ模様。自由化か安全保障かというような議論が進められていたようです。遅れていったため発言はしませんでしたが、この議論、滑走路とターミナルを分けて考えるなど、もう少し議論を深めてもよいのではないかと思います。

 長々と書きましたが、このようにいろいろと議論の必要があるテーマが一杯の国会です。きちんと取り組んでいきたいと思います。

suzuki_keisuke at 13:59トラックバック(0) 

2008年02月01日

中国産の冷凍食品問題をうやむやにしないために

 中国から輸入された餃子を巡って日本中が大きな関心を寄せています。被害にあわれた方の回復を心よりお祈りすると共に、真相の究明と再発防止対策の徹底にきちんと取り組んでいきたいと思います。

 食の安全は日々の生活の基本であり、特に今回のように場合によっては死に至るようなケースについては特に厳しく事態に向き合わなくてはなりません。

 まだ原因が特定されたわけではありませんが、中国について言えば、その野菜への農薬や管理のずさんさ、当局が言っていることと実際にやっていることが違う、といった問題は何も今にはじまったことではありません。日々の生活や子供たちのことを考えれば、食の安全は基本中の基本です。今回の事件に関わらずきちんとした管理を徹底していかなくてはならないでしょう。

 その場合、中国側に検査等を任せてしまうことは、いろいろなこれまでの状況を考えれば危険といわざるを得ません。BSEのときのような抜き打ち検査も含めて日本側がきちんと中国に圧力をかけることも重要でしょう。今回のように致死性が高くないものであっても、体内への蓄積を考えれば深刻といわざるを得ないようなケースも多く、「のどもと過ぎれば」ということがないようにきちんと行政の対応を注視していかなくてはならないと思っています。

 また、食ではありませんが、いわゆる越境公害の問題も深刻です。すなわち、中国の大気汚染や酸性雨等が風下の日本に大きな被害を与えているという問題です。この点についても資金援助や技術援助をしてというこれまでのようなやり方では中国側のモラルハザードを生み出すばかりです。

 きちんとした対策を「口だけ」でなく実施してもらうためには、越境公害についてはその発生源の国のデータ拠出を要求でき、因果関係が明確となれば賠償を求められるというような国際ルールを日本が国際社会に提唱していくことも重要です。なにせ、巨大な公害大国の風下にいる国というのは日本のほかは数少ないわけですから、我々が危機感を持って議論をリードしなくてはならないのではないでしょうか。

 そして、これは偏狭なナショナリズムなどではなく、中国政府の予算配分の優先順位を軍備拡張から公害対策や環境対策にシフトさせるという意味で環境問題が深刻化している地球全体のためとなることを忘れてはなりません。我々は毅然とこのことを主張していくべきでしょう。信じては裏切られという歴史をこれ以上繰り返す余裕は日本にも地球にももはやないはずです。

 もちろん必要以上に強硬になる必要はありませんが、問題が問題なだけに「中国が相手だから必要以上に寛容だ」などといわれることがないよう、福田総理や小沢代表という与野党の代表には日本の国益をきちんと守るための議論を期待したいと思います。

suzuki_keisuke at 19:30トラックバック(0) 
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