2009年06月

2009年06月27日

応援弁士とマイケル

 今日も非常に暑い一日でしたね。私の方は、今日も朝からスポーツの大会(全日本パワーリフティング選手権)の開会式に始まり、街頭演説やイベント、集会へと、いつものような典型的な週末の一日でした。

 選挙がいつかといった報道や政局がらみの報道が続いていますが、そうしたある意味で「内輪」のことで盛り上がるのではなく、本当に今この国に必要なものは何なのか、何をどう変えねばならなのか、どうしたらそこを変えていくことができるのか、といったことに取り組み、発信をするということを、ぶれずに続けていきたいと思います。

 今日は普段とは違うといえば、参議院議員の山本一太さんに地元(都筑区のセンター北)に来ていただき応援演説をいただいたこと。客寄せや箔付けという意味での応援弁士には全く関心はありませんが、山本さんはさまざまな改革や外交政策などでの若手中堅のプロジェクトや行動で非常にお世話になっている、志を同じくする先輩ですので、ぜひにとお願いしてきていただきました。

 私自身も連日あちこちの街頭に立って訴えをしていますが、知名度もあり、コミュニケーション能力の高い先輩の応援を得て、今の政治の在り方について「何をどう変えていかねばならないのか」、そうしたメッセージが少しでも多くの方に伝わればと思っています。だれのものでもない、われわれ自身の5年後、10年後です。一人でも多くの方とともに変えていきたいと切に願う次第です。

 さて、ここ数日のトピックといえば、まさに昨日朝の駅頭演説に向かっている最中に飛び込んできた、「マイケル・ジャクソン死去」のニュースが衝撃的でした。個人的にも何枚かCDは持っていましたし、何といってもアメリカの911テロの直後のテロ復興コンサート(ワシントン)で感じた印象が非常に強く残っています。

 沈み込んでいたアメリカを元気づけてテロに立ち向かおうということでニューヨーク、ワシントンで続けて開かれたコンサートは確かテロ後ひと月ほど経った頃のことだったと記憶しています。

 多くのアーティストの後に最後の大トリで登場したマイケルジャクソンは、それまでの段取りが悪く5時間遅れの深夜2時ごろになって若干不満やしらけが出てきていた会場のムードを一気に変える存在でした。

 会場の全員の手をつながせて・・・、というパフォーマンスは、非常にナイーブな気もしましたが、彼はとても真剣。おそらくピュアに信じているものもあったのかもしれません。あの時の殺伐とした雰囲気の中では印象に残っています。You are not aloneかなんかを歌ったと思いますが、最近テロ特措法や、ソマリア、北朝鮮と、あのテロを思い返すことも多いこともあって、ちょうど、たまに記憶の片隅に出てきていたシーンでした。

 子供のころにライブの映像やムーンウォークのビデオを見てカッコいいと思っていたのが我々の世代です。何はともあれ、冥福を祈りたいと思います。。

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2009年06月18日

臓器移植法案の採決

 今日臓器移植法の改正案の採決が本会議で行われました。いわゆるA案、B案、C案、D案という四案が提出され、それぞれについて採決が行われました。それぞれの内容は新聞やテレビでもご承知と思いますので、ここでの解説は省略させていただきます。結果的には、最初に採決されたA案が賛成多数で成立したので残りの三案については採決されず、ということとなりました。

 私は、A案については反対票を投じました。今の国際社会の流れ、そして、移植できる臓器を待ち望んでおられる方が非常に多いことは私も認識していますし、非常に重要な問題だと考えています。その意味で、私個人が、脳死段階での臓器提供に同意するかといわれれば、私個人としては同意します。

 しかし、これを法律上ルール化することがこのタイミングで適切かと言うことになると、正直今はまだそのタイミングではない、と思わざるを得ません。確かに調査では脳死段階での臓器提供に賛成する意見はすでに半数を超えています。しかし実際の移植例の少なさ、などを考えれば、今その方向にアクセルを踏んでいいのか、躊躇せざるを得ないと私は思います。

 ほかの法案のように「こうあるべきだ」という方向にアクセルを踏み込むということがこのケースで果たして正しいのか。

 脳死段階での臓器提供はあくまで本人が「○」と書いたその意志に感謝し、なされるべきではないのかという気がします。家族の同意と言うことを別とすれば、「×」をわざわざ書かない限りは脳死段階での臓器提供が自動的にできるようにするというところまでは、まだまだ、我々の間での意識がそろっていないのではないか、という思いがあるわけです。

 そんな思いから、まだ今は時期尚早ではないかということで私はD案を支持し、A案に現段階では反対という意思表示をさせていただきました。もちろん将来的にはA案の方向性も否定するわけではありませんが。

 結果として少なくとも衆議院の意志としては臓器移植法案についてはA案が成立ということで、大きく一歩踏み出すこととなりました。今後は、いろいろな問題点が発生しないように周知も含めて、実際の運用の時点でより良い結果が出るように、努めてまいりたいと思います。

suzuki_keisuke at 14:36コメント(9)トラックバック(0) 

2009年06月17日

「かんぽ」問題と鳩山さんの辞任について

鳩山前総務大臣の辞任をめぐっての混乱が続いています。

 どうも問題が、「かんぽの宿」の問題が正しいかどうかといった点に単純化されて受け止められている観がなくもありませんので、若干の所感を書かせていただきたいと思います。

 確かに「かんぽの宿」について問題がないかどうか、正義かどうかといわれれば、問題があると私も思います。そして、その責任はきちんと考えられねばならない。

 しかし、もうひとつ考えねばならないのは、郵政民営化の流れ、それも物流、金融両方の面での民営化の流れというものを止めずにきちんと進めていく必要があるということです。これも非常に重要な問題です。

 民間で出来ることは民間に担ってもらう、行政の肥大化や非効率に大胆にメスを入れ、国民負担を最小限に出来るよう努めていく「小さな政府」路線もやはり私は堅持していくべきだと考えています。

 今回、鳩山総務大臣は純粋な思いで動かれていたと思いますが、しかし、今回の騒動の中では郵政民営化をめぐるさまざまな思惑が渦巻いていたのも事実なのだろうと感じる側面がなかったとはいえません。そうした面を含めて考えれば、麻生総理の今回の判断は私は正しいし、やむをえない判断だったのだろうと考えています。

 「かんぽ」問題が正しいかどうかという点と、鳩山さんの辞任についての総理の判断とを重ねて考えると問題の本質とズレてしまうのではないかということを最後に問題提起させていただいて、今日の稿を終わりにしたいと思います。


suzuki_keisuke at 17:49コメント(5)トラックバック(0) 

2009年06月13日

温暖化(ポスト京都)、北朝鮮(船舶検査)、政府のカネの流れ(ムダ撲滅)・・・いま政治がやるべきこと

 今週は関東でも梅雨入り。その一方で政治の方はどうも見通しが立ちませんね。遅くとも今年の9月には行われる総選挙に向けて緊張感も高まってきています。

 自然、私もこれまで以上に地元での日程を中心に毎日が進んでいます。辻立ちや集会・イベントへの出席、あいさつ回りを可能な限りきめ細かくやることで、「鈴木けいすけに何か言いたい」という方に、できる限り私にアクセスできる機会を増やしたいというコンセプトで今は動いています。

 私自身政治家になるまで政治家にコンタクトの機会がなかった人間です。一人でも多くの方の意見を聴き議論を交えたいというのは、実は私の経験からくる切なる願いでもあるのです。

 地元という意味では、スタッフも小さな所帯ながら少しずつ増えてきています。定期的に顔を出してくれている人だけでも全部で10人以上になっています。まだまだ十分とは言えませんが、考えてもみれば、そのうちの半分以上はボランティアで来ていただいています。本当にありがたいことで、一生懸命いろいろと取り組んでいる姿に頭が下がる思いです。。

 いろいろな意味でサポートしてくださっている方々の思いに甘えさせていただきながら、これまでの政治とは違った「カネのかからない政治・選挙スタイル」をしっかりと作っていきたいものであります。

 さて、そんな中ですが、今政治が取り組まねばならない問題は実は非常に多くなっています。株価の上昇、景気対策の国会での成立を受けて、経済対策という意味では一応のめどが立っているものの、それ以外の面でも課題が山積みです。

 今週麻生総理が発表した地球温暖化に関する対策もその一つで、私自身いろいろなところで意見を発表し、党や国会の会議でもそれなりに努力してきたつもりですが、京都議定書の後のポスト京都議定書の行方は、地球全体の温暖化対策、日本の今後の経済にも大きな影響を及ぼす問題です。国際交渉における日本の姿勢への問題提起、参加者の一つである我々生活者への周知・広報、国際社会への発信といった面で今後も頑張っていきたいと思います。

 その一環として、木曜日には国会の事務所で某国の担当官と突っ込んだ議論をしたところです。何でも私の発表した英語での寄稿を読んでアプローチしたとのこと。よく見てますよね・・・

 さらに、週の後半通して私が取り組んでいたのが、北朝鮮への国連制裁決議を受けた船舶検査に関しての国内法の整備をどうするかという問題。有志議員のグループの骨子案の取りまとめや、党の北朝鮮制裁シミュレーションチームの場での議論を通して、さまざまな形での意見交換、打ち出しをしたところです。

 あまり詳細を書くわけにはいきませんが、北朝鮮情勢が緊迫してきており、さらなる核実験やミサイル発射といった事態も想定される時期であるだけに、そして、これから秋にかけては選挙のスケジュールで、国会が事実上機能しないケースも考えねばならないことと考えれば、いろいろなケースを想定しての対応を詰めておかねばなりません。

 特に船舶検査については、公海上でのものは、ケースによっては実際に行うために憲法との関連もあってかなり精緻な議論をしておく必要があるものもあります。国の安全が本当に脅かされかねないとき、そんなまさに「いざのとき」、できないでは済まされません。だからこそ今備えておく必要があると私は考えて行動をしています。こうした問題は政治家として最も大事な、我が国の安全と国民の生命にかかわる問題ですから、選挙といっておろそかにするわけにはいきません。

 政治家は「政治」「選挙」両方やらねばなりませんが、あくまで「政治」を行うために「選挙」があるわけであって、「選挙」のために「政治」があるわけではありません。政策や国の在り方についていろいろな方の声を聞き、議論するという「政治活動」は重要ですが、「選挙」のために「政治」を利用して利益誘導したり既得権を守る政治をすることはまさに本末転倒なわけです。

 「予算の無駄」の撲滅PTなどでチェックをしていても、残念ながらこうした風潮がないとはいえないこれまでの政治の実態を見せつけられていますが、常に自らを律して、摩擦を恐れずにあるべき「政治」を行い、この国のこれからのために全力投球していきたいと思っています。

 

suzuki_keisuke at 00:42コメント(5)トラックバック(0) 

2009年06月09日

実は高騰し始めている原油価格

 東海地方まで梅雨入りしたとかですが、横浜・東京も非常にじめじめした一日でした。私も今日は地元に国会とバタバタしていましたが、外で動いていると、そんなに気温は高くないのに汗だくになってしまいました。これから厳しい季節がやってきますね。頑張りましょう!

 さて、前置きはさておき、今日の本題です。

 サブプライムローン問題に端を発した金融危機、まあ、100年に一度というのはグリーンスパン前FRB議長の責任回避のための表現だったというのが真実に近いわけですが、全世界を同時不況の渦に巻き込む結果となったのはご存じのとおりです。

 人間というのは直近のショックを最も鮮明に記憶する傾向があるわけですが、一年前、我々がどのような状況に直面していたのか。

 ズバリ、それは原油の高騰でした。ガソリンがどこまで高くなるかわからないという中で、さまざまなところで省エネへの取り組みが否応なく進んだというのがわずか一年前の状況です。

 例の定額給付金も、当初の原油対策としての定額減税が実際に実施されるまでの間に環境が激変してしまったことに伴って不況対策として使われる、という経緯があったために非常に政策目的がわかりにくいものとなってしまったわけで、それほど急な環境の変化だったわけです。

 実は最近、経済状況が若干回復の兆しを見せている一方で、原油価格の高騰が再び心配されています。WTIでも4か月前からすでに倍近くの値をつけており、しかも70ドル前後というのは、数年前に比べればべらぼうな水準であったりします。

 もともと原油の高騰の背景は、新興国の経済成長に伴い実需面での需要が急増していること、そのことが産油国や投資家の先行き見通しを強気にさせ、需給面の逼迫と投機的資金の流入を招いたこと、でした。これらのことは私がニューヨークで市場調査の仕事をしていた時にもすでに関係者の間では指摘されていたことで、2003年当時、一番強気な人で最悪80ドルを突破することもありうるといった議論がされていたものです。

 世界中の金融政策がここまで緩和的になっている状況の中で、実はここに書いたような環境は今でも全く変わっていません。むしろ、環境はより深刻になっているといってもいいかもしれません。

 不況で一時期置き去りにされていた感がある省エネ問題ですが、クルマなどにみられるような我が国の国際競争における環境技術の比較優位を考えれば、やはり今後20年は脱石油、環境技術こそが我が国の産業政策の中心に据えられるべき問題と思わずにはいられません。

 環境技術の技術開発を政府が支援するためには、研究段階における補助と、商品の販売における消費者への補助と、二通りの方法があるわけですが、今後はこのどちらにおいても環境技術の促進という観点から積極的に行っていく必要があると私は考えています。

 今は消費刺激の意味に重点が置かれているために環境技術のイノベーション促進という色合いが薄れてしまっていますが、今後は国際競争力を増すためにも「頑張ったものが報われる」ということをもっとはっきりと打ち出してもいいのかもしれません。

suzuki_keisuke at 19:57コメント(1)トラックバック(0) 

2009年06月02日

温暖化対策をめぐるウソ

 最近ポスト京都議定書を巡る議論の中で、日本の温室効果ガスの中期目標に関する報道が目立ってきています。正直、危機感を感じる点がありますので書かせていただきます。

 あたかも日本の温暖化対策が先進国の中でも進んでいない方であるかのような論調が一部にあるのが気になります。事実は全く逆です。国際世論をリードするための、事実と異なる諸外国の「日本悪玉」キャンペーンに乗っかる必要は全くないと私は思います。

 確かに今の日本がギリギリ限界まで削減ができているかといえばまだまだやる余地があるというのは事実です。しかし、そのためにはデータから科学的に考えれば、世界的に見て改善の余地があるのは、いわゆる民生、運輸部門と発電の部門であります。

 そのことが何を意味するかといえば、クルマに乗らない、省エネ家電の導入など、ライフスタイル、暮らし方を変える、といった我々一般生活者の努力が求められるもの、そして、発電において原発の比重をもっと増やすこと、です。しかしこうしたものは、一人ひとりが自発的に取り組めるような環境作りをするといった間接的手法しか対策としてとることができませんので、中長期の目標であり、しかも定量的に評価するのは非常に困難です。

 まあ、それはさておき「日本悪玉論」です。冷静に考えてみれば妙な話です。

 1990年までに省エネ対策をかなり進めていた国と、1990年まで石炭発電やエネルギー効率のきわめて悪い向上がたくさんあった国とがあったとして、1990年と対比して削減幅が大きい方が省エネに熱心な国かといえば、そうではないというのは明らかではないでしょうか。その比較は全く意味がなく、単に早くから省エネ努力をしていた国と、1990年以降になってやっと対策を始めた国、という違いしかそこにはありません。むしろ本当に努力をしているのは早く自主的に省エネを進めていた国とすらいえるはずです。

 実は今の日本とヨーロッパの置かれている状況はこれなんです。ヨーロッパは東ヨーロッパにおいて1990年以前は全く省エネが進んでいなかった。だから何をやっても1990年を基準としている限りは大幅削減となります。一方1990年までに積極的な省エネを行っていた日本は、それ以上の削り代がないので1990年を比較の基準としている限りは頑張っているようには見えないという仕掛けです。

 ヨーロッパがポスト京都議定書においても1990年を基準としたがっているのは、何も環境に熱心だからではなく、自分たちの削減を想定的に少なくできるからなのです。欧州系の国やNGOの主張を丸飲みにして、1990年を基準に対比をするのはまさに愚の骨頂、「お人好し日本人」が国際社会で一人だけ損することにもなりかねません。

 本来であれば省エネが進んでいるか、環境対策に熱心かを測るためには、同じGDPを生み出すためにどのくらいのエネルギーを使ってどのくらいの温室効果ガスを排出しているかという、エネルギー原単位、エネルギー効率の絶対値での比較を行わなければ意味がないはずです。その比較をすれば日本がどのくらい世界の中で環境対策が進んでいるか、ヨーロッパ諸国よりもどのくらいすでに努力しているのかは明白なのです。

 こうした現実、環境を巡る議論では、ほかにもいくつかの点で見られます。排出権取引などもそのいい例です。昨年の夏に出版した私の本は、タイトルこそ出版の都合で本来の趣旨とはずれたものになってしまいましたが、それに対する警鐘を鳴らすために出版したものでありました。誰かの議論を鵜呑みにすることは非常に危険です。本当に温暖化対策を進めるために何が必要なのか、自分の頭で考えること、私は日本はもっとそうすべきだと思います。そのことをぜひ訴えたい、そんな思いで今日の原稿を書かせていただきました。

 さて、先日私の地元選挙区に麻生総理が来られて、港北区の大曽根地区にある新日本石油さんの創エネハウスという環境住宅のモデルハウスを視察されました。先ほど書かせていただいたようにこれから更なる日本の省エネ化のためには、一人ひとりのライフスタイルの中でどうやってCO2排出量を減らしていくかがキーポイントです。そのためには何をやったらどのくらい減るのかといった「見える化」が非常に大事。そんな意味でも非常に挑戦的なハウスでした。




創エネハウス視察後(後ろ向きが麻生総理、右端は渡新日本石油社長、地元の嶋村県議、畑野市議と共に)


 昨年私が本を出したときも、その関係での対談を麻生さんとはさせていただいていて、当時から環境問題に対する関心ととらえ方という意味で、地球環境問題をとても意識している政治家だと私自身感じていたところです。

 温室効果ガスのレベルの安定という大目標をフェアなかたちで実現していくためにはある種の戦略性も必要ですが、そうした意味でも、今年は勝負の年、よい議論の方向性を期待したいものです。


suzuki_keisuke at 15:06コメント(4)トラックバック(0) 
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