2009年12月

2009年12月25日

平成22年度予算案をみて

 今日民主党政権になって初めての予算の政府案の閣議決定がされました。細かい点についての記載は避けますが、大まかな感想をいくつか。

 まず何といっても指摘しなくてはならないのは、経済の急な落ち込みという意味からすれば、緊急対策的な財政出動の必要性が遥かに高かった今年度に比べも、来年度の予算規模が大幅に増大している点。しかも執行停止などをした経緯を見れば、民主党政権の認識として今は緊急対策的な財政出動の必要性はないということのはずです。にもかかわらずなぜなのか?

 本当に効率的な配分、将来の成長力につながる意味のある投資ができているのかという点からの検証が必要です。今の財政状況を考えれば、予算の優先順位付けは厳しく行われねばなりません。必要な投資すらも限られた財源では十分にできない状況。ましてやそれ以外に回す余分なカネなど無いのが現実です。そうした切迫感、危機感、重圧を感じながら本当に予算の編成をしたのか?疑問を感じざるを得ません。

 政治的要請などで不急のものが紛れ込んでいれば、それは結果として我々に負担が返ってくることであり、単なるツケの先送りということになってしまうのですから。

 さらに、財源という点でも、史上最大の税外収入で「帳尻合わせ」をしたとの印象しか持てないのが正直なところです。外為特会、あるいは財投特会などから、埋蔵金という一回限りのカネをかなり無理のある形ですべて流用してようやく44兆円という赤字国債発行額に「お化粧」したとの印象をもたれた方も多いのではないでしょうか。

 44兆円ありきで「頑張った」というイメージを出す、あるいは「前の政権が悪かったからやむを得ない」として今の現実を見ず、これからの打開策を語ろうとしない。そんな気持ちがあるのだとしたら本当に「日本が危ない」。

 しかも消費税の議論も先送りとのこと。長期金利が上昇を始めてからではあまりに遅すぎる。財政規律についても、目先のごまかしをするのではなく危機感を持って対処するのが責任ある政治家の取るべきスタンスなのではないでしょうか?

 人口が減り、莫大な借金を背負いながら、潜在成長率を上げ、パフォーマンスを出していくというのは極めて難しいかじ取りです。しかしそれをやらねば道は拓けない。グローバル経済の中で生き延びていかねばならない厳しい現実に政治家が挑まねばならないのが21世紀のわが国の現実です。

suzuki_keisuke at 21:14コメント(20)トラックバック(0) 

2009年12月21日

気がついたときにはもう遅い

 いやはや今朝の冷え込みは非常に厳しかったですね。本来の冬になったというべきか。。。

 乾燥してきていますので皆さんも風邪などひかれないようにお気をつけください。

 さて、冷え込みの厳しい冬ということでいえばやはり気になるのは「温暖化」。残念ながら先日COP15が成果がないままに閉幕しました。

 一言で言えば、危機感を共有できていない、危機感不足というのがその根底にある原因であります。今我々が抱える多くの問題は実は同じような危険をはらんでいます。

 すなわち「気がついたときにはもう遅い。しかし問題を今肌では感じられない」ということ。温暖化も、財政破綻の問題も、あるいは日米関係も。

 そしてそうした問題は気がついてから実際に行動し、成果が上がるまでに長い時間を要します。効果が出てくるころにはすでに手遅れという可能性すらある。

 今回の交渉の経緯をコペンハーゲンでの出来事として見過ごしてしまったり冷笑するのではなく、あるいは取り繕うのではなく、我々の身近にある危機と同じ根っこを持つ問題として認識することが、まずは困難打開への第一歩です。

 政治家として、というよりは一人の人間として、今回の教訓を検証し、しっかりと発信をしてまいりたいと思います。

suzuki_keisuke at 17:29コメント(10)トラックバック(0) 

2009年12月15日

民主党外交への危機感

 民主党政権の外交姿勢に衝撃を受けています。

 党幹部が講演で「日米関係がガタついているから日中で関係を緊密にしてアメリカに対処していく(譲歩を迫る?)」旨の発言をしたとのこと。しかも官房長官もその考え方を政権の考え方として否定しなかったとのことです。正三角形の日米中の関係という理想論はさておき、現実問題としてそのようなことをすればどうなるか。

 アメリカとの同盟関係があればこそ、軍拡を続ける中国への交渉力も保てたわけであって、その前提が崩れればもはや中国に対する交渉力を日本が持つことはほぼできなくなります。東シナ海でのガス田、さらには境界線の問題でも日本が譲歩を迫られる結果となると思われます。さらに環境、知財、経済、食の安全、さまざまな分野で中国のいいなりということとなりかねません。さらにはアジア諸国もそのような日本に目を向けることはなくなることでしょう。

 当然アメリカとの関係もガタガタ。信頼関係のない国の間の同盟などただの紙切れにすぎません。外務委員会でも何度か指摘しましたが、キチンとメンテナンスして初めて同盟は機能する、いわば「生もの」であることを忘れてはなりません。甘えは通用しない世界であります。

 連立の都合だか何だか知りませんが、そんな権力維持のための内輪の論理で日本の国益を失わせるような真似だけは断じて許すわけにはいきません。

 現実問題として、共通の価値を持ち、信頼ができるパートナーがどこなのか。その判断を誤ればとてつもないツケを我々は払わされることになってしまう。韓国など近隣の教訓に学ばねばなりません。

 さらに、日英同盟を失い四カ国条約、九カ国条約という集団安全保障に国際秩序をゆだねた結果その後の日本の運命がどうなったか。歴史から学ぶことは多いはずです。

 ここ最近の動きをみていると「日本が危ない」、そんな危機感を抱かざるをえません。

 「気が付いたらもう遅い」、今の政治が扱う問題はそんな問題が非常に多い。だからこそ、なるべく多くの方と危機意識を共有できるよう発信、行動する。国会議員ではないがゆえに限界はありますが、今後の日本のために今の自分ができる限りのことをしてまいりたいと思います。

 

suzuki_keisuke at 23:53コメント(13)トラックバック(0) 

2009年12月09日

12月8日

 昨日は12月8日。先の戦争が始まってから68年が経過しました。戦争の記憶から我々は何を学ぶべきであるのか。先人の犠牲をより意味あるものとするためにも、これは避け得ないテーマであります。

 もちろん戦争を二度としないという思いを持つことは重要です。しかし、戦争は自分がしたくないといくら思っていても、相手がある問題です。本当に戦争をしたくないと強く信じるのであれば、相手の国に日本を攻めさせない、攻めたいと思わせないことも非常に重要であります。歴史上、あるいは今も世界中で戦乱が続いています。平和というのは極めて危ういバランスの上に生まれる均衡状況だと考えるほうが自然です。

 自らの身を自らで守る覚悟なくして、不戦の誓いなどということはおこがましいし不可能です。安全保障、経済をはじめ政治においては結果こそが問われるべきものであって、歴史の法廷での審判に耐えられねばなりません。

 自前で、あるいは同盟国とともに抑止力を持つこと。そして常に警戒を怠らないこと。潜在的脅威となる国があれば常にその動向をウォッチして、国際環境をその国が武力行使しにくい状況に創り上げることが真の平和構築のためには非常に重要です。さらにはわが国の安全保障のためには、東アジア地域全体の安定ということも考えねばなりません。朝鮮半島・台湾海峡における戦争はわが国の安全にとっても死活的な重要性を持っています。

 わが国への脅威は、(1)わが国を攻撃する能力、(2)わが国を攻撃する意思・可能性、の両者を兼ね備えたものです。その点を考えれば、わが国の周辺には(1)を満たす国は米国、中国、ロシア、韓国、台湾、北朝鮮の6カ国です。その一方、(2)については、わが国を攻撃する意思があると判断されるのが北朝鮮、意思が無いと判断するのが合理的なのが、米国、韓国、台湾、ロシア、不明なのが中国というのが現実です。つまり、脅威、潜在的脅威と考えねばならない国が周辺に二つもあるという現実の中をわが国は生きていかねばならないわけです。

 国民の生命・財産を守ることこそ国の最大の責務です。

 何か今の政権はその点をおろそかにしているような気がしてなりません。「信頼関係の無い同盟はただの紙切れに過ぎない」「自らの身を護る気概が無いものを真剣に他者が護ることなどありえない」。

 先の大戦での先人の尊い犠牲を無にしないためにも、今こそ真剣な現実的な安全保障の議論が必要なのではないでしょうか。集団的自衛権の議論その他日米同盟の深化のために議論すべきテーマは大体整理されています。冷戦のような枠組みが無い今、安保の議論でぼやぼやしている余裕はないはずであります。

suzuki_keisuke at 17:49コメント(6)トラックバック(0) 

2009年12月06日

遥かなるアフリカ

 先週くらいから地元(選挙区)では場所によっては「もちつき」が始まり、師走、年の瀬を意識する季節となってきました。あと3週間あまりで2010年です。

 さて、そんな年の瀬、サッカーワールドカップの一次予選の組み合わせが決まりました。厳しいといった声も多いようですが、日本代表の活躍、勝利を祈りたいと思います。

 今度のW杯の場所は南アフリカ。アフリカは日本にとっては一番なじみがない地域かもしれません。日本の航空会社が唯一飛んでいないのもアフリカ大陸です。(まあ南極は別ですが・・・)

 しかし、アフリカ大陸、天然資源もあり人口も10億弱、部族間の内戦などによる一気の落ち込みがなければそこそこの経済成長の可能性がある地域でもあります。

 観光だけではなく、工業、ビジネスについても南アフリカ、ナイジェリア、ケニア、エジプトといった主要国を中心にアプローチがうまくいけば今後数十年楽しみな地域でもあるのです。

 中国の進出も、資源国を中心にすさまじい勢いがあるというのもある意味それを裏付けているといえなくもありません。

 たしかにヨハネスブルグなど南アフリカの一部地域の治安の悪さはいまだに非常に深刻です。観戦あるいは観光に多くの方が行かれるであろう事を考えるとその点は対策を怠るわけには行かないですし、やや心配ではありますが、一方で今回のワールドカップをきっかけにわれわれのアフリカへの関心が高まり、様々なレベルでの交流が進むきっかけとなればと思います。

 特に今回のワールドカップでは日本企業(SONY)がFIFAのパートナーともなっていて、日本代表も出場と、日本にとっても縁が濃い大会です。

 以前役所時代にアフリカの開発にも若干関わっていたことがある私の問題意識としても、1950年代以降、なぜアフリカとアジアと、ここまで差がついてしまったのか。欧米という消費地にはアフリカのほうが近く、かつ英語、フランス語、あるいは天然資源という意味でも優位にあるといえなくもないアフリカがなぜ発展できなかったのかは、今後の国際経済を考える上でも非常に重要なテーマでもあったりします。

 「何が発展する国としない国を分けるのか」。この開発における大テーマ、日本の政治家も常に意識していなくてはならない問題であります。ブレア前英首相に見られるように欧米の政治家にあっては、開発、環境といった問題への意識の高さにしばしば驚かされます。

 もちろん、過去の歴史的経緯であったり、宗教的なモチベーションだったり、日本と事情が異なるケースもありますが、世界の主要国のリーダーたらんとする場合には直面せざるを得ないテーマの一つなのではないでしょうか。

suzuki_keisuke at 18:05コメント(3)トラックバック(0) 

2009年12月02日

政治の底流を見極める必要性

 私が今事務所を置いている新横浜。のぞみ停車駅ということもあって、オフィスが非常に多いビジネス街です。新しい大規模なオフィスビルもかなり建ってきています。働く女性も多いのでしょうか、事務所の前には東京以外にはあまり出ていないNatural Lawsonもあります。

 しかも後背地の港北区は、東京の特別区を除けば日本で一番人口が多い行政区で人口の増加も依然として続いている地域です。

 言ってみれば日本の中では「元気な地域」ということになるのでしょう。

 しかし、そんな街にあってもオフィスの空室率はかなり高くなっているようです。街を歩いていても埋まらないテナント、空室が目立っています。

 今月の半ばに契約が切れるので、家賃の安いところに移転する予定で、今日不動産会社の方が来られた際にもいろいろと話を伺いました。

 確かに地域を回っていても、非常に厳しい経営を強いられているところがほとんどです。規模の縮小、閉鎖に追い込まれた工場も数多くあります。

 オフィスでも、ダウンサイジング、撤退が殆どだといいます。

 おそらくは日本中でそんな状況、いやもっと厳しい状況になっているのだと思います。所用があり、先日佐賀、福岡に出張しましたが、目にするのは厳しい話ばかりでした。

 よほど思い切ったことをしなければわが国の将来は一体どうなってしまうのか、先行きは非常に暗いというのが現状ではないでしょうか。

 そんな中、今の政治、表面的な見え方はともかくとして、その底流にあるのが何なのか、私は何とかしてそこを見極めたいと思っています。

 東アジアでは日本だけが人口減少の時代を迎えます。国際競争の場では、人口が減少する国も人口が増加する国もハンディなしで戦わねばなりません。

 そのことを考えればこれから日本が生きていく道は、新しいビジネス、あるいは産業をどうやって創っていくか、どうやって民間の活力を殺さずにイノベーションを広い意味で推し進めることが出来るかにかかっているのだと思います。これまでどおりのモノづくりだけではもはや充分に戦ってはいけない。

 技術という切り口もそうです。そして、たとえばモノづくりに付帯するサービスをパッケージとして形成していく、そうやって付加価値を生み出してくというのがこれからの日本のあり方なのだと思います。新幹線を車両単体ではなくシステムとして輸出していくというのがそのいい例です。

 新しいものを創っていく、そのキーワードは自由な発想力、構想力とそのリスク・可能性への資金的な裏づけです。

 そのためにも私は自由競争、小さな政府の原則は今でも有効なのだと思います。もちろん完璧なシステムではありませんから常に修正は必要です。しかし、今の日本の社会の仕組みがあまりにも自由競争の方向に振れすぎているようには私には思えません。

 だからこそ、私は今の政治のなかで、昔の政治に、10年前20年前の政治に戻そうという動きがあることに危機感を持っています。

 我々は政治の表面的な見え方でなく、どの方向に政治が向かおうとしているのかの底流を見極める必要があるのだと、私は思います。

 そのことを考えたとき、たとえば事業仕分けなどの「手法」の議論と「実態」の議論は注意深く見極めねばならないのではないでしょうか。

 予算のムダを削るという方向性は正しいしどの党が政権の座にあっても進めなくてはならない方向性でありますが、本来政治はそのような当たり前のことをやった上でどの方向に国を持っていくのかということがそこに無くてはならないのだと私は思います。

 政治的な文脈でいえば、たとえば事業仕分けの中で日教組関連と科学技術関連の扱いがあそこまで違ったということ、あるいは社会保険庁の不祥事を起こした職員の面倒を税金で見る方向を打ち出していること、日本郵政の人事や凍結法案などなど、実は重大なシグナルが「ムダを削る」という誰もが賛成する派手なスローガンに埋もれてしまっている。そんな気がしてなりません。

 今我々が議論すべきは、事業仕分けの「やり方」といった表面的な事象の細部をつつくことではなく、大きな政治的な方向性が果たして今の日本において正しい選択なのか、そういった点なのではないでしょうか?

suzuki_keisuke at 16:35コメント(5)トラックバック(0) 
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