2010年03月
2010年03月29日
ふと思ったことなど
郵政にしても普天間にしても政権の「迷走ぶり」が特に目立ってきています。
郵政に関しては明らかに民業圧迫、民から官への流れ。それが日本の活力を長期的には失わせるのは明らかである以上向かうべき方向性ははっきりしているはずです。
更に普天間についても、今の日本の東アジアにおける地政学的位置づけを考えれば進むべき方向性は明確であったはずです。さらには前回のブログで少しふれた問題点についても。
全ての人が納得する結論などありえないのが政治の世界の常であり、むしろ必要な決断をし、改革をするときにはそれへの抵抗は大きいことのほうが多いのは歴史の常です。
そしてそれでもやらねばならないのが政治の一番困難なところであり、必要とされる所以なのではないでしょうか。
結論を先送りして全ての人に希望を持たせるというのはある意味一番残酷な結末へのシナリオといえるかもしれません。
「しばらく我慢して欲しい」と政府高官の方がおっしゃっていましたが、国民が我慢するのは、我々の未来のために今は辛くても我慢するのであって、決して政権のためにごたごたを我慢するわけではないし、政治家はそのような傲慢な考えを持つべきではないと私などは思ってしまいます。
それにしても野党の立場だと、しかも現職の議員でもないと、正直出来ることは限られてはしまいます。そんなもどかしさをいろいろな動きをする中でも感じてしまう今日この頃です。。
さて、そんな中、地元では今週来週と花見のシーズン真っ盛り。式典で挨拶をさせていただいたり、いろいろな機会で有権者の方の思いを聞くチャンスでもあります。いかに多くの方と、バイアスのない意見交換が出来るか。それはいかに自己の見識を陶冶するかとともに政治家にとって最大の財産でもありますので、この何年かで積み重ねていきたいものであります。
そういえば、この週末、そんな合間を利用して、私の高校時代の友人の友人が個展を地元で開いているということで顔を出してきました。そのときの写真がこれ。何と私よりもさらに年下!池上晋翔さんという書家の方です。太尾新道沿いの「ギャラリーカフェ夢うさぎ」というところで今週いっぱいやっているそうです。
何はともあれこうした場所が地域で増えていくのは嬉しいものですよね。
郵政に関しては明らかに民業圧迫、民から官への流れ。それが日本の活力を長期的には失わせるのは明らかである以上向かうべき方向性ははっきりしているはずです。
更に普天間についても、今の日本の東アジアにおける地政学的位置づけを考えれば進むべき方向性は明確であったはずです。さらには前回のブログで少しふれた問題点についても。
全ての人が納得する結論などありえないのが政治の世界の常であり、むしろ必要な決断をし、改革をするときにはそれへの抵抗は大きいことのほうが多いのは歴史の常です。
そしてそれでもやらねばならないのが政治の一番困難なところであり、必要とされる所以なのではないでしょうか。
結論を先送りして全ての人に希望を持たせるというのはある意味一番残酷な結末へのシナリオといえるかもしれません。
「しばらく我慢して欲しい」と政府高官の方がおっしゃっていましたが、国民が我慢するのは、我々の未来のために今は辛くても我慢するのであって、決して政権のためにごたごたを我慢するわけではないし、政治家はそのような傲慢な考えを持つべきではないと私などは思ってしまいます。
それにしても野党の立場だと、しかも現職の議員でもないと、正直出来ることは限られてはしまいます。そんなもどかしさをいろいろな動きをする中でも感じてしまう今日この頃です。。
さて、そんな中、地元では今週来週と花見のシーズン真っ盛り。式典で挨拶をさせていただいたり、いろいろな機会で有権者の方の思いを聞くチャンスでもあります。いかに多くの方と、バイアスのない意見交換が出来るか。それはいかに自己の見識を陶冶するかとともに政治家にとって最大の財産でもありますので、この何年かで積み重ねていきたいものであります。
そういえば、この週末、そんな合間を利用して、私の高校時代の友人の友人が個展を地元で開いているということで顔を出してきました。そのときの写真がこれ。何と私よりもさらに年下!池上晋翔さんという書家の方です。太尾新道沿いの「ギャラリーカフェ夢うさぎ」というところで今週いっぱいやっているそうです。
何はともあれこうした場所が地域で増えていくのは嬉しいものですよね。
2010年03月23日
あえて。「批判」
あまりひとのことを言うのは好きではないし、そのような立場ではないという感覚は私自身強いのですが、そうはいっても、最近の民主党の迷走は政権党として少し度が過ぎている気がします。
ばらばらといわれた自民党、しかし、一人の権力者に何もいえないのも違和感があります。活発な議論とバラバラは紙一重。だからこそ、活発な議論を恐れるベテランが若手を「ばらばら」という言葉でけん制するということは常に起こります。
「若いうちは行動して自分の意見を通していく、党の意見を変えていく、そうした行動力・気概がなきゃダメだ」といつも言っている麻生前首相などはまだベテラン政治家の中では少数派なのが実態です。
もちろん自分のため、党のためのパフォーマンスであれば確かにいかがなものか、という気がしますが、国のために発言し行動せねばならないときにそれをしないのも政治家としては失格なのではないでしょうか。投票していただいている有権者のことを考えれば、議論に当選回数の序列はない。
政治家の存在意義は、見識を持ち、価値観の葛藤の中で、自らの信念に従い、国政に資する議論をすることにあるわけで、政党人、組織の一員という立場はあくまでその後に出てくるものであるはずです。でなければそもそも小選挙区制で個人を選ぶ必要もない。そして議論がないところに進化もない。
もちろん、党として議論を尽くして、しかるべき手続きを経て結論が出た後にはよほどのことがない限りそこはまとまって行動すべきかとは思います。しかし、議論が充分に尽くされていない場合であったり、議論すらされていない場合に全く異論がないというのも政治の健全性という意味でいいことなのか。
今回の民主党の混乱を見ている限り、小沢さんや鳩山さん個人の問題というよりは、個々の意見、信念といったものが行動では少なくとも全くあらわれない民主党の党全体の体質に問題があるという気がしてしまいます。
別に人事のことであれば国政、国益へのダメージはないので傍観していればいいのですが、今の普天間の問題、経済の問題、様々なところでそうした影響が出てきかねないとすれば、そこは一政治家として傍観者でいるわけにはいきません。
普天間の問題を例にとれば、迷走に迷走を重ねていまさらの陸上案。報道が事実とすれば、民家の上を飛ぶのが危険だからといってキャンプシュワブの沖合案ですら問題としていたのに、より危険な陸上案がなぜいまさら検討の俎上に上るのか。沖合案よりも陸上案のほうがいいというのはまさにジュゴンの論理でしかありません。
こうした珍妙な結論を出すことが、アメリカとの関係も含めて、あるいは東アジアの国際情勢の中で、日本の国益にとってどんな意味をもたらすか、そうしたことを考えれば、政権与党のなかに今の動きに異論を唱える動きがないのは不安といわざるを得ない。
野党以上に与党議員がその気になれば出来ることは多い。数は力というのはまさに真実であって、様々な局面で行動の余地はたくさんあるはずです。
落選中の身で何を批判しているのか、ということを思われる方も多いかとは思いますが、しかし、この点はあえて書かせていただきたい、そう思って今日は「ひとのこと」の批判を書いた次第です。
ばらばらといわれた自民党、しかし、一人の権力者に何もいえないのも違和感があります。活発な議論とバラバラは紙一重。だからこそ、活発な議論を恐れるベテランが若手を「ばらばら」という言葉でけん制するということは常に起こります。
「若いうちは行動して自分の意見を通していく、党の意見を変えていく、そうした行動力・気概がなきゃダメだ」といつも言っている麻生前首相などはまだベテラン政治家の中では少数派なのが実態です。
もちろん自分のため、党のためのパフォーマンスであれば確かにいかがなものか、という気がしますが、国のために発言し行動せねばならないときにそれをしないのも政治家としては失格なのではないでしょうか。投票していただいている有権者のことを考えれば、議論に当選回数の序列はない。
政治家の存在意義は、見識を持ち、価値観の葛藤の中で、自らの信念に従い、国政に資する議論をすることにあるわけで、政党人、組織の一員という立場はあくまでその後に出てくるものであるはずです。でなければそもそも小選挙区制で個人を選ぶ必要もない。そして議論がないところに進化もない。
もちろん、党として議論を尽くして、しかるべき手続きを経て結論が出た後にはよほどのことがない限りそこはまとまって行動すべきかとは思います。しかし、議論が充分に尽くされていない場合であったり、議論すらされていない場合に全く異論がないというのも政治の健全性という意味でいいことなのか。
今回の民主党の混乱を見ている限り、小沢さんや鳩山さん個人の問題というよりは、個々の意見、信念といったものが行動では少なくとも全くあらわれない民主党の党全体の体質に問題があるという気がしてしまいます。
別に人事のことであれば国政、国益へのダメージはないので傍観していればいいのですが、今の普天間の問題、経済の問題、様々なところでそうした影響が出てきかねないとすれば、そこは一政治家として傍観者でいるわけにはいきません。
普天間の問題を例にとれば、迷走に迷走を重ねていまさらの陸上案。報道が事実とすれば、民家の上を飛ぶのが危険だからといってキャンプシュワブの沖合案ですら問題としていたのに、より危険な陸上案がなぜいまさら検討の俎上に上るのか。沖合案よりも陸上案のほうがいいというのはまさにジュゴンの論理でしかありません。
こうした珍妙な結論を出すことが、アメリカとの関係も含めて、あるいは東アジアの国際情勢の中で、日本の国益にとってどんな意味をもたらすか、そうしたことを考えれば、政権与党のなかに今の動きに異論を唱える動きがないのは不安といわざるを得ない。
野党以上に与党議員がその気になれば出来ることは多い。数は力というのはまさに真実であって、様々な局面で行動の余地はたくさんあるはずです。
落選中の身で何を批判しているのか、ということを思われる方も多いかとは思いますが、しかし、この点はあえて書かせていただきたい、そう思って今日は「ひとのこと」の批判を書いた次第です。
2010年03月18日
日常活動
なんだか暑くなったり寒くなったりと、微妙な天気が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?私は依然として花粉症がひどく、目がかゆい、くしゃみがとまらない、鼻づまり等々の症状で眠りの浅い日々を過ごしております・・・
さて、たまには毎日何をしているのかにもふれてみた方がいいかもしれませんね。「浪人中の政治家って普段何してるの?」は確かにもっともな質問です。
私の場合は朝7時からの駅前での演説に始まって、呼んでいただけるイベントへの出席やスピーチ、個人のお宅や企業への挨拶まわり、集会での講演、あるいは参議院選挙も迫ってきていますので、県単位での打ち合わせといったことで、それなりに朝から夜まで忙しくしているというのが今の状況です。
さらに、予想していたよりは党本部や東京での色々な集まり、これは政治的なものも、外交がらみのシンクタンクでのシンポジウムなどもですが、声がかかることが割りとある状況で、ラッシュの時間でないのが有難いですが、東京と地元を何往復かするときも結構有ったりします。
それも今の自民党では現職の若手が減った為かもしれません。それ自体は決してわが国の為にはいいことではありませんが、自分としてはそれだけ発言の機会もあるわけで、わずかな機会であってもしっかりと生かして、政治の刷新、日本の未来のために発信せねばならぬと改めて感じています。こうした難局だからこそ、真に未来を見据えて浮き足立たずに行動する事が何よりも大事だと私は考えています。
特に最近は幼稚園の卒園式シーズンで、そうした場にも呼んでいただいてご挨拶させていただいています。修了証を受け取る子供たちの顔や目を見ていると、この子達が大人になる時代、本当に大丈夫なのか、我々は今何をせねばならないのか、そうしたことを身につまされて感じられる瞬間でもあります。
また昨日はCOOPさんが主催のセミナー「神奈川県消費者のつどい」に呼んでいただき、話をさせていただきました。左がそのときの写真ですが、子育て支援の活動のNPOで活動されている若いお母さんや、環境関連NPO、障害者福祉のNPOで活動されている方々とのパネルディスカッションに参加させていただきました。
一日が24時間しかなく、体は一つしかないので、我々が普段自分の問題として本当に活動できる範囲はどうしても限られてしまいます。そんな中で、自然を開発の中でいかに残していくか、産後のケアどうすべきか、就労に至らない障がい者の方へのケアはどうあるべきか、そうした分野で現場で奮闘されている方々の想い、熱意に刺激を受け、いい勉強をさせていただきました。有難うございました。
と、とりとめもなくつらつらと書いてしまいましたが、そんな感じの日常活動です。発信の場は出来るだけ多く持ちたいと思っていますので、何人か集まるから話してほしいというようなことがありましたら、ご遠慮なく事務所(045-532-5832:office@suzukikeisuke.jp)までご連絡ください。お待ちしています。
さて、たまには毎日何をしているのかにもふれてみた方がいいかもしれませんね。「浪人中の政治家って普段何してるの?」は確かにもっともな質問です。
私の場合は朝7時からの駅前での演説に始まって、呼んでいただけるイベントへの出席やスピーチ、個人のお宅や企業への挨拶まわり、集会での講演、あるいは参議院選挙も迫ってきていますので、県単位での打ち合わせといったことで、それなりに朝から夜まで忙しくしているというのが今の状況です。
さらに、予想していたよりは党本部や東京での色々な集まり、これは政治的なものも、外交がらみのシンクタンクでのシンポジウムなどもですが、声がかかることが割りとある状況で、ラッシュの時間でないのが有難いですが、東京と地元を何往復かするときも結構有ったりします。
それも今の自民党では現職の若手が減った為かもしれません。それ自体は決してわが国の為にはいいことではありませんが、自分としてはそれだけ発言の機会もあるわけで、わずかな機会であってもしっかりと生かして、政治の刷新、日本の未来のために発信せねばならぬと改めて感じています。こうした難局だからこそ、真に未来を見据えて浮き足立たずに行動する事が何よりも大事だと私は考えています。
特に最近は幼稚園の卒園式シーズンで、そうした場にも呼んでいただいてご挨拶させていただいています。修了証を受け取る子供たちの顔や目を見ていると、この子達が大人になる時代、本当に大丈夫なのか、我々は今何をせねばならないのか、そうしたことを身につまされて感じられる瞬間でもあります。
また昨日はCOOPさんが主催のセミナー「神奈川県消費者のつどい」に呼んでいただき、話をさせていただきました。左がそのときの写真ですが、子育て支援の活動のNPOで活動されている若いお母さんや、環境関連NPO、障害者福祉のNPOで活動されている方々とのパネルディスカッションに参加させていただきました。
一日が24時間しかなく、体は一つしかないので、我々が普段自分の問題として本当に活動できる範囲はどうしても限られてしまいます。そんな中で、自然を開発の中でいかに残していくか、産後のケアどうすべきか、就労に至らない障がい者の方へのケアはどうあるべきか、そうした分野で現場で奮闘されている方々の想い、熱意に刺激を受け、いい勉強をさせていただきました。有難うございました。
と、とりとめもなくつらつらと書いてしまいましたが、そんな感じの日常活動です。発信の場は出来るだけ多く持ちたいと思っていますので、何人か集まるから話してほしいというようなことがありましたら、ご遠慮なく事務所(045-532-5832:office@suzukikeisuke.jp)までご連絡ください。お待ちしています。
2010年03月13日
民主党政権発足からまもなく半年
もちろん言うまでもないことですが、政治家がまず考えるべきは党のことではなく国益であり、しかも国のことについても、今以上に5年後、10年後のために今何をすべきかということが、優先順位を考える上での最も大事な点です。ここを勘違いしてはいかんのだと常日頃より私自身考えています。
そして政治家、特に与党の立場にあっては、大事なのは「何を言うか」ではなく「何をやるか」。そして、政治の極意は優先順位とタイミングにあるのは言うまでもありません。
そのことを考えたとき、今の日本はまさに由々しき事態に直面しているといわざるを得ません。政権交代以降特に、政策の優先順位から見える今の政権の本質は決して我々の5年後10年後にプラスにならない。
もちろん自民党政権のやり方がよかったかといえば大いに問題はあったと私も思います。だからこそ、様々な圧力を受けながらも、私自身国会にいたときにはそうしたものをなんとか変えようと行動してきました。いくつかについては結果を出したものの、党の、というよりも政治全体の旧い体質を変えるにはまだまだ挑戦し続けねばならないということも肌で感じたところです。
しかし、その私の目から見ても、民主党政権の体質はそれに輪をかけて旧いといわざるを得ません。既得権を持つものの意向ばかり気にしての内輪での談合政治、票やカネあって国益なしの政治、内輪の利害調整ばかりで国際競争といった観点の欠如、まさに自民党田中派と社会党でなあなあで進めてきた昔ながらの政治に逆戻りしてしまったとしか言いようがない。しかもそこに異論をいって行動する政治家もいないという今の民主党の状況を見ると異様の感を禁じえません。
まさに「そんな政治であるならばないほうがまし」といっていいような政治しか行なわれていない状況です。コイズミ以前の政治に逆戻りさせたいと思って、政権交代を選択した有権者はほとんどいないにもかかわらず。
経済成長なくして安定した暮らしなどあるはずがないにもかかわらず、成長とは逆を目指しているとしか考えられない税制や労働法制、環境等の議論が行なわれている。財政のリスクについてもあまりに鈍感過ぎると感じているのは私だけではないはずです。
真の経済効率、セーフティーネット、教育。優先順位を簡単にはつけられないものをきちんとまわしていかねばならない、しかも厳しい財政状況で。それが今の政治家が直面している現状です。必要なものすら出来ないという判断をせざるを得ない可能性がある、ましてや・・・
しかしそんなジレンマ、苦悩、決断する覚悟と勇気、そうしたものが全くないままに、なあなあでことが進んでいるのは決して「どうにかなっている」といった評価が出来る代物ではありません。危機において必要な政治リーダーシップが全く機能していないといっていい状況です。
また安全保障面についても、普天間の問題、あるいは核の密約の問題、これらの経緯を見ても明らかなように安全保障という感覚を持った政治家が特に民主党には余りに少ない。
本来であれば中国や東アジア地域の軍事バランスの今後の変化を考えれば、早急に集団的自衛権の議論をして国民の理解のうえに憲法解釈の正常化を図り、日米の連携の深化を測らねばならない状況にあるにもかかわらず、全くそうした議論も進んでいません。国際社会に対するプレゼンスの強化、国際ルール作りへの関与についても同様です。
グローバル化にいやでも向き合わざるを得ない時代にあって、いまだに鎖国的な感覚で内向きの議論に終始したり、選挙のための政治としか思えない政治が行なわれている。なによりも国や将来への真摯な姿勢と覚悟がなければとてもではないが乗り切れない今の難局にあってまさにこれは危機的状況です。
ここの読者の方からいただくコメントやメールのほとんどからも、今の日本の状況に対する危機感を強く感じている方が非常に多いことは感じられますし、地元でも演説や地域周りの際に日々あちこちで本当に多くの方にご意見をいただきますが、今の政治全体への危機感というものを日々強く感じさせらています。
そんな状況だからこそ、党の為ということならすべきではないかもしれませんが、国のためには批判すべきときはやはり批判すべきなのだろうと思います。
党を守るとか党のためとかそういう次元のはなしではなく、国のため、未来のため、これからもしっかりと発信を続けてまいりたいと思います。
そして政治家、特に与党の立場にあっては、大事なのは「何を言うか」ではなく「何をやるか」。そして、政治の極意は優先順位とタイミングにあるのは言うまでもありません。
そのことを考えたとき、今の日本はまさに由々しき事態に直面しているといわざるを得ません。政権交代以降特に、政策の優先順位から見える今の政権の本質は決して我々の5年後10年後にプラスにならない。
もちろん自民党政権のやり方がよかったかといえば大いに問題はあったと私も思います。だからこそ、様々な圧力を受けながらも、私自身国会にいたときにはそうしたものをなんとか変えようと行動してきました。いくつかについては結果を出したものの、党の、というよりも政治全体の旧い体質を変えるにはまだまだ挑戦し続けねばならないということも肌で感じたところです。
しかし、その私の目から見ても、民主党政権の体質はそれに輪をかけて旧いといわざるを得ません。既得権を持つものの意向ばかり気にしての内輪での談合政治、票やカネあって国益なしの政治、内輪の利害調整ばかりで国際競争といった観点の欠如、まさに自民党田中派と社会党でなあなあで進めてきた昔ながらの政治に逆戻りしてしまったとしか言いようがない。しかもそこに異論をいって行動する政治家もいないという今の民主党の状況を見ると異様の感を禁じえません。
まさに「そんな政治であるならばないほうがまし」といっていいような政治しか行なわれていない状況です。コイズミ以前の政治に逆戻りさせたいと思って、政権交代を選択した有権者はほとんどいないにもかかわらず。
経済成長なくして安定した暮らしなどあるはずがないにもかかわらず、成長とは逆を目指しているとしか考えられない税制や労働法制、環境等の議論が行なわれている。財政のリスクについてもあまりに鈍感過ぎると感じているのは私だけではないはずです。
真の経済効率、セーフティーネット、教育。優先順位を簡単にはつけられないものをきちんとまわしていかねばならない、しかも厳しい財政状況で。それが今の政治家が直面している現状です。必要なものすら出来ないという判断をせざるを得ない可能性がある、ましてや・・・
しかしそんなジレンマ、苦悩、決断する覚悟と勇気、そうしたものが全くないままに、なあなあでことが進んでいるのは決して「どうにかなっている」といった評価が出来る代物ではありません。危機において必要な政治リーダーシップが全く機能していないといっていい状況です。
また安全保障面についても、普天間の問題、あるいは核の密約の問題、これらの経緯を見ても明らかなように安全保障という感覚を持った政治家が特に民主党には余りに少ない。
本来であれば中国や東アジア地域の軍事バランスの今後の変化を考えれば、早急に集団的自衛権の議論をして国民の理解のうえに憲法解釈の正常化を図り、日米の連携の深化を測らねばならない状況にあるにもかかわらず、全くそうした議論も進んでいません。国際社会に対するプレゼンスの強化、国際ルール作りへの関与についても同様です。
グローバル化にいやでも向き合わざるを得ない時代にあって、いまだに鎖国的な感覚で内向きの議論に終始したり、選挙のための政治としか思えない政治が行なわれている。なによりも国や将来への真摯な姿勢と覚悟がなければとてもではないが乗り切れない今の難局にあってまさにこれは危機的状況です。
ここの読者の方からいただくコメントやメールのほとんどからも、今の日本の状況に対する危機感を強く感じている方が非常に多いことは感じられますし、地元でも演説や地域周りの際に日々あちこちで本当に多くの方にご意見をいただきますが、今の政治全体への危機感というものを日々強く感じさせらています。
そんな状況だからこそ、党の為ということならすべきではないかもしれませんが、国のためには批判すべきときはやはり批判すべきなのだろうと思います。
党を守るとか党のためとかそういう次元のはなしではなく、国のため、未来のため、これからもしっかりと発信を続けてまいりたいと思います。
2010年03月08日
温暖化対策技術のとある現場
右の写真、何かわかる方いらっしゃいますか?
実はこれ、ビニールハウス用のボイラーです。今週末、土曜の昼間に予定が空いた時間を利用して千葉県の袖ヶ浦にあるとある農家で行なわれている実証実験を見に行ってきました。
いわゆるナノバブルの発生技術を持つベンチャー企業(オプトクリエーション社)が行なっている実験で、重油とナノバブル水との混合を行なうことで、ナノバブルの気泡溶解により燃焼効率を向上させるというのがその原理です。安定的にパフォーマンスが持続できるようにもなり実用化のメドがつきつつあるという状況のようです。
簡単に言えば特殊な水を重油と混合させることで、そのパフォーマンスが落ちず、さらに燃焼効率があがれば燃費の向上にもつながるということです。今回の実験では農業用の割と小型のボイラーが対象ですが、工業用の大型のものでも実験が行なわれているとのことで、実用化が本格的に進めば、地球温暖化対策という意味でも非常に大きなものとなる可能性が高いと思われます。
最近、IPCCの様々なシミュレーションが過大だったということで、温暖化そのものへの懐疑的な視線が投げかけられています。しかし、「気がついたときには(肌で感じられたら)もう遅い」という温暖化問題の対策の遅れの根源的要因を考えたとき、ほんとにそれでいいのか、という危惧を抱かざるを得ません。
たしかに温暖化が進んでいない、あるいは深刻ではないという「願望」は私ももちたいと思っていますが、「願望」と「事実」を混同するわけにはいきません。現実から目を背ければ、やがて我々は大きなツケを払わされることになってしまう。「見たくない事実」にも目を向け、「政治」と「科学」をきちんと分けて、「科学」の分野での研究を進めるとともに、100%立証されなくても、たとえグレーであろうともその対策を講じることはやはり将来に対する今の政治の責任だろうと私は思います。
一時期過熱気味だった温暖化の問題が今度はその反動で軽視されるということは、限られた残された時間ということを考えれば、極めて危険な気がします。
温暖化対策を考える上では、今存在するベストな技術をどうやって移転・普及させていくかも重要ですが、それだけでは限界があります。おそらくそれだけでは、温室効果ガスの必要な削減量の半分強の削減が進むに過ぎない。たとえ途上国が先進的技術の導入を積極的にやったとしてもです。
それ以上の部分については、今回のこうした取り組みを初めとした技術革新がどこまで進むか、ブレークスルーがどこまで進むかが、この温暖化対策が本当に功を奏するかの鍵を握っています。
そうしたブレークスルーが起こるためには環境をきちんと整えることが必要です。それは開発に必要な資金であり優秀な人材です。実は温暖化対策の世界的な取り組みもその部分を無視した仕組みにしてはならないというのが私の一貫した主張でもあるのですが、それは今回の稿では割愛します。
いずれにしても、ここのところ、政治はどうもこうした地味な部分は避けて通りがちになってしまっていますが、今の我々がおかれている「目に見えない危機」という状況を考えれば、そのような姿勢は許されないのではないでしょうか。ブームに流されない真摯な姿勢と事実に基づく議論こそが今必要な気がします。
2010年03月02日
チリでの大地震から何を学べるか
チリで発生したM8.8の大地震から72時間が経過しようとしています。犠牲となられた方のご冥福をお祈りするとともに、生存者の救出を祈りたいと思います。
起こってしまった天然災害に対しては、被害を食い止める最大限の努力と、それを教訓としていつ起こるかわからない他のケースでの被害を減らす努力の両方が急務です。
チリにおいては日本の耐震に倣った耐震基準をそれなりにしっかりと運用していたということで、それがハイチのケースなどに比べ被害が抑えられた原因との指摘もされています。しかしそれでも甚大な被害が生じているのも事実で、仮に日本の基準を厳格に運用していたとしても、問題点があるのかどうか、そういった検証も救援活動に加えて行なっていく必要があると思われます。
私が小学校のときですらすでに、首都圏でいつ地震が起こっても不思議ではないと習った記憶があります。過去のサイクルから考えてその状況はまったく変わっていない、むしろリスクは高まっているということも否定できません。
日頃の備えという事に加えて、やはり耐震基準の厳格な適用、一人ひとりの行動というものが被害を最小限に食い止められるか否かの分かれ道になるわけですから、避けることの出来ない大地震といった事態をしっかりと各人がシュミレートできるよう、行政や政治も環境整備をしなくてはなりません。
さらに、事後の被害にどう対処していくかという観点では、もちろん一人でも多くの人命を救助できるような体制を整えておくことは当然ですが、地味なところではありますが被害を誰がどのように補償するのかという議論も突き詰めておく必要があります。
事業仕分けの対象ともなっていた地震保険特別会計についてもそのような観点からの検証が必要です。
巨大地震のリスクを全て民間の損害保険会社が担う事はできようはずがありません。たとえばどこで何を基準に線引きをして、特別措置法の立法をして公的な支援を行なうのか、そのような組み合わせを民間資金とすることができるのか。
一刻も早い復興、そして被災者の方々の不安を取り除くという意味でも、こうした議論は今のうちからきちんと進めておくべきであります。リスク商品である保険という性格を考えればあらかじめこうした議論を整理しておかねば、色々なゆがみが生じてしまいかねません。
関心が高いときに議論しておかねば、制度設計も十分に出来ていないまま、実際の地震が発生してすべてが後手後手に回ってしまうという事にもなりかねません。政治・政府の迅速な対応を求めたいと思います。
起こってしまった天然災害に対しては、被害を食い止める最大限の努力と、それを教訓としていつ起こるかわからない他のケースでの被害を減らす努力の両方が急務です。
チリにおいては日本の耐震に倣った耐震基準をそれなりにしっかりと運用していたということで、それがハイチのケースなどに比べ被害が抑えられた原因との指摘もされています。しかしそれでも甚大な被害が生じているのも事実で、仮に日本の基準を厳格に運用していたとしても、問題点があるのかどうか、そういった検証も救援活動に加えて行なっていく必要があると思われます。
私が小学校のときですらすでに、首都圏でいつ地震が起こっても不思議ではないと習った記憶があります。過去のサイクルから考えてその状況はまったく変わっていない、むしろリスクは高まっているということも否定できません。
日頃の備えという事に加えて、やはり耐震基準の厳格な適用、一人ひとりの行動というものが被害を最小限に食い止められるか否かの分かれ道になるわけですから、避けることの出来ない大地震といった事態をしっかりと各人がシュミレートできるよう、行政や政治も環境整備をしなくてはなりません。
さらに、事後の被害にどう対処していくかという観点では、もちろん一人でも多くの人命を救助できるような体制を整えておくことは当然ですが、地味なところではありますが被害を誰がどのように補償するのかという議論も突き詰めておく必要があります。
事業仕分けの対象ともなっていた地震保険特別会計についてもそのような観点からの検証が必要です。
巨大地震のリスクを全て民間の損害保険会社が担う事はできようはずがありません。たとえばどこで何を基準に線引きをして、特別措置法の立法をして公的な支援を行なうのか、そのような組み合わせを民間資金とすることができるのか。
一刻も早い復興、そして被災者の方々の不安を取り除くという意味でも、こうした議論は今のうちからきちんと進めておくべきであります。リスク商品である保険という性格を考えればあらかじめこうした議論を整理しておかねば、色々なゆがみが生じてしまいかねません。
関心が高いときに議論しておかねば、制度設計も十分に出来ていないまま、実際の地震が発生してすべてが後手後手に回ってしまうという事にもなりかねません。政治・政府の迅速な対応を求めたいと思います。