2011年05月

2011年05月29日

ピンチをピンチで終わらせないために

 今週にも内閣不信任案を巡っての動きがあるような話がされています。

 確かに自民党からこれまで震災復興のための様々な提案をし、さらには二次補正予算についても「一刻も早く」という被災地からの声に応えるべく与党・民主党に働きかけをしても、震災対応よりもとにかく政局優先で国会を閉じるというメッセージばかりが返ってくる民主党政権に対しては不信任をしっかりし、震災復興に向け前に進めるような政権を作るというのはやむをえない対応だと私も思います。

 一刻も早くこうした処理を終えて、東北・日本の復興に全力投球する政治を創らねばなりません。

 そんな中ではありますが、果たして今政治が「すべきこと」は何なのか。

 先日来、「結果を出さねば生き残れないビジネスの世界で、特に海外マーケットに関係している会社がほとんどになる中で、理詰めで考えれば日本に企業が残る必然性は急速に減ってきているのではないか」という声をあちこちで耳にしています。震災以降、以前からのこうした流れがさらに強まっているのを実感しています。

 確かにビジネスの視点で言えば、日本が最終消費地でなければ、コストが高く、為替の影響もあり、原料の産地から遠く、地震・津波のリスクもあり、電力も安定して供給されない場所に拠点を置くメリットはほぼありません。まっさらな目で、どこに拠点を置いてもいいといわれれば、ある程度教育水準が高く、コストが安くリスクが少ないアジアなどに拠点を置くのが実は当たり前の判断です。

 しかし、そこで「はいそうですか」と政治が言うわけにはいかない。この国で生きつづけたいと当然に考えている人が一億人以上いるからには、それを守る責務が政治家にはあります。そのための雇用を維持し、安全や生活基盤を守るためにも強い経済力を守ることが死活的に重要です。

 普通にやっていれば海外に流出していくであろう産業をどうやって国内につなぎとめるか、そして海外からも投資を呼び込み、ヒトやモノが集まるような国づくりをどうやったら出来るのか。我々は相当の危機感と切迫感を持ってこうした改革に当たる必要があります。

 目先では法人税の問題、TPPの問題、電力の安定供給の問題、こうしたことを震災を口実に先送りすることは許されません。そして、財政や安全保障の問題も同様です。

 幸い、先人から引き継いだ「日本ブランド」が付加価値をつけてくれているという強みがある今、死に物狂いで今の実態を直視してこの国の改革をしっかりと進めねばなりません。時間が経てばたつほど事態は深刻になってしまいます。

 前向きに考えることは非常に大事ですが、忘れてはならない事実、それは「震災は決してチャンスでなくピンチである」という事実です。もし、被災地の方々が今持たれているような危機感を我々も共有し、痛みを伴う改革を自力で進めることが出来たとき、初めてこの大逆境がチャンスにもなるのではないでしょうか。

 これから自粛や産業への影響がどんどんと出てくることが予想されます。さらに産業が復興に動いている中で、国のエネルギー政策が迷走しているために電力の夏場の供給に大きな不安が出ていることも大きなマイナス要因です。3ヶ月のうち震災後の3週間を含む第一四半期の指標も▲0.9%という厳しいものだったことを考えれば、4−6月の第二四半期はさらに厳しい現実が明らかになる可能性が高いといわれています。

 今役割を果たせねば、そんな政治は必要ない。そうした覚悟でわが国のこれからに必要な改革を、震災復興のためにも同時に進めていける政治を、共につくっていこうではありませんか。

suzuki_keisuke at 19:44トラックバック(0) 

2011年05月21日

再び世界で闘える日本に

 人口が減り、国際競争がどんどん激化していくこれからの10年。どのようにしてわが国が「食っていくか」という問いに対する回答を、政治も含めた日本は示さねばなりません。

 そして、そのビジョンを具体的な政策的な裏づけと共に発信して初めて、わが国にヒト・モノ・カネが集まり、復興が可能となります。政治がきちんとしたビジョンを示し、条件整備を行い流れを作り、民間企業、個人に思う存分活躍していただく。私は今の政治に求められている最大の課題の一つはこの点に他ならないと考えています。

 どこに活路を見出すか。

 今週、愛媛の今治で行われた造船業界のシンポジウムに伺い、いろいろな方と意見交換をさせていただきました。為替の問題や製造コスト、注文が多く結果「待ち」が長いというビハインドと、工期の正確さ、燃費・環境性能、積載能力といった面での高い競争力。景気に左右される海運の需要がもたらす船自体の需要の波という不安定要因は世界共通にしても、その中でさらに中国や韓国といった強豪国とこうした点でしのぎを削る厳しい競争に生き延びねばならない現実があります。

 こうした中、オペレーターやオーナーとの関係のなかでトン数標準税制の問題など税制面でのバックアップをしていく、あるいは例えばバルクというジャンルで世界で高い評価を受けている大島造船の南社長が指摘をしていましたが、今IMO(国際海事機関)でEEDI(エネルギー効率設計指標)に基づく規制をかける動きがありますが、日本の環境技術という強みを生かせるような形の規制をバックアップしていくなどのサポートを政治や政府がしていくことが、わが国の産業空洞化を避けるためには非常に重要になってきます。

 少なくとも政治が国際競争の中で必死に闘っているその生の声にしっかりと向き合っていかねば、まさにわが国の将来はないといっても過言ではありません。今の政治にはあまりのもその姿勢が足りないのではないでしょうか。残念ながら今回の会議の場でも、オフィシャルではない場で本音を聞いてみれば、その場しのぎの様々な拙速で雑な最近の政治のあおりを受け、追い込まれている苦悶の声が満ち満ちていました。

 これは何も造船に限らずあらゆる製造業、そして製造業に限らずあらゆるビジネスの現場の声ではないでしょうか。ビジネスに生きるものとして自助努力は当たり前、しかしあまりに大きなハンディを負わされてしまえば厳しい国際競争の現場ではフェアな競争のステージに立つ以前に疲弊してしまうという声は、多くの人のホンネを代弁しているのではないかと思います。その意味でも、その場しのぎの政治がもたらすリスクはきわめて大きいといわざるを得ません。

 「頑張るものが報われる、バカを見ない社会を創る」。最近耳にすることも少なくなってしまいましたが、政治の底流にはこの考え方がなければならないと改めて感じています。

suzuki_keisuke at 16:09トラックバック(0) 

2011年05月12日

エネルギー問題は政権延命の道具ではない

 唐突な浜岡原発停止要請に続き、エネルギー基本計画の見直しを菅総理が表明しました。この問題はまさに今後数十年間の日本の命運を左右するといってもいい問題です。今後のエネルギー戦略の中で原子力をどのように位置づけるか、冷静な検証と分析が必要です。

 ちょうど先日、イギリスでは政府の諮問機関からエネルギー戦略についての答申(再生可能エネルギーについてのレビュー)が発表されました。ざっと読んだところですが、「再生可能エネルギーを長期的には増やしていかねばならないしその投資も必要であるが、温暖化対策やコストの観点から当面は原子力が最も効率的であり、安全対策をしていくことは必要だが重要な役割を果たし続ける」といった内容でありました。

 税金は無いほうがいい、米軍の基地は無いほうがいい、自衛隊は無いほうがいい、原発も無いほうがいい。それでうまく回るのであればそれに越したことはありません。誰でもこうした不安や負担を伴う問題については口にしたくないものです。しかし現実を考えれば税金も基地も自衛隊も原発も今の時点では避けては通れないものです。もちろん可能な限りの安全対策を講ずることは何よりも重要ですが、経済や安全、さまざまなファクターを比較衡量しながらその最適な解を見つけ、実行に移すのが政治の使命です。

 果たして今の時点で原発なしに日本経済が回っていくのかといえば、それは不可能といわざるを得ません。そのような状況の中で、浜岡原発だけ停止する必要があった理由をきちんと示せていない今の状況では、ほかの原発についても定期点検後、あるいは対策を打った後の浜岡原発についてもその運転再開は非常に難しい状況になってしまっています。まさにそうなれば日本経済は崩壊しかねません。電力や水の安定供給こそが産業立地の大前提なのです。

 そのような事態を起こさない為にも今必要なのは、福島第一原発の事故がなぜ起こったのかという冷静な検証です。今はうやむやにされかけていますが、事故当時初動の遅れが指摘されていました。東京電力および政権が適切に動いていれば防ぐことができた事故なのか、電源喪失後の対応に問題が無かったのかの検証は欠かすことができません。

 また、被災地のほかの原発では事故に至っていない、また柏崎刈羽や浜岡原発でかつての大きな地震のときに事故には至っていないことを考えれば、福島第一の何が問題だったのかを冷静に検証することが重要です。地震対策、津波対策それぞれについての効果の検証が必要です。

 事故が発生した理由、事故を最小限で抑えられなかった理由、ここをうやむやにしている限り、原子力発電の本当のリスクを明確にすることはできません。そして浜岡原発を止める理由、他を止めない理由もはっきりしません。

 今民主党政権は、これまでの自民党政権時代の原子力政策が今回の事故の原因だったと情緒的に責任転嫁しようとしていますが、果たしてそうなのか。確かに個々の点では電源立地対策のあり方など問題が無かったわけではありません。その反省は必要ですが、しかし、わが国のエネルギー源の中に一定の割合の原子力エネルギーを位置づけるという考え方自体が本当に問題だったのか。そして、立地の問題はどこの国でも大きな課題になっています。その現実の中で後講釈でない論議が必要です。

 感情に任せて、あるいは世論の不安をあおって、支持率を上げる道具として原子力の問題を取り上げるのは、きわめてリスキーで将来取り返しがつかないことにもなりかねません。

 この原発の問題、きわめてセンシティブな問題であることは確かです。いったん止めてしまえば再開するには非常に大きな政治的なassetが必要です。危険性についても冷静に分析することが重要です。不安にあおられて過大評価することも過小評価することもすべきではありません。

 果たしてこのところの浜岡原発をめぐる動き、エネルギー基本計画の見直しという動き、そうした冷静な判断に基づいてなされているのか。まさか民主党政権の延命の材料として国の将来を人質にとってこの原子力発電の問題を使っているということではないことを祈るばかりです。

 唐突に浜岡原発の停止をまともな根拠を示さないまま要請したことで、わが国のエネルギー戦略自体が冷静なリスク分析も無いままに大きく揺らいでしまっています。まさにこれは民主党政権が作り出した人災に他なりません。冷静な判断、検証をしているのであれば、ここで指摘した諸問題について、不安が広がらないうちに総理の口から一刻も早く明確に説明するべきではないでしょうか。

 

suzuki_keisuke at 15:46トラックバック(0) 

2011年05月07日

浜岡原発停止要請という暴走

 まさに寝耳に水の菅総理の浜岡原発全面停止の要請。

 これまで民主党政権もそれなりに震災対応で努力していると受け止めて政権の批判を避けていた私にさえ、総理が政治主導の演出のために思いつきでいたずらに不安をあおっているようにしか見えません。

 確かに地震、津波の脅威に常にさらされている我が国のエネルギー政策をどのように考えていくかは、政治が取り組んでいかねばならない大きな課題です。

 まず第一に、今回の震災で明らかになった原発の持つリスク、それから国民の安全・安心を守ることは政府の大きな責務です。

 その一方で、電力の安定供給、さらには安価な供給なくして日本経済の今後はあり得ません。産業の空洞化をこれ以上深刻にしないためにも安価な電力の安定供給は復興の最重要課題です。

 さらに、今の中東情勢、世界的な資源高騰の流れを見れば(たとえば今の緩和的な金融環境で世界的な好景気の時期にサウジの体制に変動があれば、原油はとてつもない水準に高騰する可能性がある)、少なくとも当面は原子力発電は我が国のエネルギー供給にとって不可欠です。我が国の将来に責任を持つのもまた政治の責務なのです。

 あらゆることにおいて100%安全ということが有り得ない中で、必要性とリスクの、あるいは他の選択肢との比較考量を行い、その場しのぎでなく人気取りでもなく、たとえ一時的には批判されようが長期的に見て一番妥当な決断を下すのが政治の本当の責任です。

 原発については、今回の震災でいくつかのことが明らかになりました。少なくともこれまでの基準で地震への備えはかなり高度な安全レベルにあったこと、逆に津波についてはあまりにも安全レベルが低かったこと。そして、津波により事故が発生した状況にあっても綱渡り的状況ではありますが、チェルノブイリとは、死者が出ていない、あるいは放出された放射性物質のレベルといった点で全く異なる状況にとどまっていることも冷静に受け止めねばなりません。そして原発を停止しておけば安全ということでもないことも明らかになりました。

 このような状況下でリスクと受益とのバランスを考えどこで線を引くのか、そのことについてはまさに熟慮の上での決断が必要です。

 ユッケであれば、食べなくては生きていけないものではないわけで、またリスクもただちに健康に影響を及ぼすわけで、一切食べないという判断も可能です。しかし、原発の問題はそれとは大きく異なります。

 そんな中、今日のようにいたずらに国民の不安をあおって政治主導で原発の停止を命ずれば、結果として新たな風評被害すら生み出しかねない。

 総理大臣が「ただちに原発を止めねばならないほど東海地震が切迫している」と全世界に向けて発信したことは、我が国から一層ヒト・モノ・カネ・産業が逃げ出すことにもつながりかねません。また連鎖的に原発反対の風潮の中で少しでもリスクがあれば閉鎖ということにでもなれば、完全な日本経済崩壊、途上国レベルの生活水準への転落というシナリオへの引き金ともなりかねません。

 今のところ、外国のメディアもマーケットも、グリーンピースが喜んでいるくらいでまだあまり反応していませんが、今後の動きを注視することが必要です。すでにあるメディアでは"Quake expected"という部分が小見出しになっています。

 そうした様々な意味で、まさに熟慮が必要な問題です。リスクをゼロにというなら問題は単純ですが、エネルギー政策は、ことの性質上リスクをゼロにすることは不可能で、それとうまく付き合っていくことが求められます。火力発電にしても、風力発電にしても水力発電にしてもリスクはゼロではありません。また経済的な崩壊は、体感はしないかもしれませんが気が付いたら取り返しがつかない、という事態も予想されます。

 明らかにその比較衡量をしていないように思われる(少なくとも記者会見ではまったくそのような説明すらなかった)今回の総理の決断、我が国の将来を考えたとき、本気で危惧せざるを得ません。

 津波対策を突貫工事で東日本大震災直後から開始するといった対策をとらないままに、停止要請というパフォーマンスに走った今回の対応は明らかに異常です。
 

suzuki_keisuke at 00:08トラックバック(0) 

2011年05月02日

ビンラディン殺害でも何も変わらない

 オサマ・ビン・ラディンの殺害が発表されました。9.11テロの現場近くにいた者として、10年目の今年、そのような成果が上がったことは歓迎したいと思います。

 しかし、すでに5、6年前から指摘されてきたように、今のラディンの持つ意味は2000年当時のラディンの意味合いとは全く異なっていることは忘れてはなりません。おそらく10年以上前であれば極端な話、ラディンがテロをやめるといえばある程度アルカイダ系組織には抑えがきいたかもしれません。しかし、今やラディンが何を言ってもまったく意味がないような存在になっていた、この事実を忘れるわけにはいきません。

 ビンラディンはすでにテロ組織の象徴ですらなかった。ラディン的なものが数限りなく増殖してしまっているのが今の状況です。すなわちラディンが死んでも状況は何も好転しない。

 報復テロを懸念する声が国内では上がっていますが、それどころか、テロとの戦いは今後も果てしなく続いていくことは覚悟していかねばなりません。

 今我が国として必要なことは、国際社会を巻き込んで、普通のイスラム教徒とテロリストの間に明確なくさびを打ち込むことです。ここしばらくイランの問題やエジプトの問題などで、9.11以降「非伝統的脅威」に向いていた目が少し前のような「国」レベルの問題に向きがちな傾向がありましたが、今一度non-statesの問題の存在を思い出すことが必要です。

 おりしもハマスとファタハの合意がニュースになっていましたが、テロとレジスタンスの違いも含めて中東問題において明確な基準を打ち出しつつ、パレスチナ問題をはじめとする中東問題に経済も絡めて積極的にかかわっていくことが今まで以上に求められると思われます。

 鎖国的な思考の政治を転換していくことが求められます。

suzuki_keisuke at 23:43トラックバック(0) 
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