2011年06月

2011年06月27日

福島第一原発20キロ圏内の今後

 この週末、家畜やペットの状況および放射線の調査団(獣医・放射線・動物愛護関係者で構成)に加わる形で福島県の福島第一原発に隣接する地域で行政の許可の下で調査を行いました。調査地域には、福島第一原子力発電所を抱える町も含まれ、調査の途中で福島第一原発のすぐ横を通過することにもなりました。

 福島第一原発20キロ圏の警戒区域内は、たまに一時帰宅の方を乗せたバスや公的な目的での車が通る以外は、まったくの無人の地域であり、非常に特別な雰囲気でありました。改めて被災者の方々の大変な日々を痛感し、これを繰り返さない為にこそ政治があると改めて感じました。
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 専門家の方々とともに、この地域のいくつかの牧場を訪れましたが、豚舎や牛舎内はほぼすべての牛や豚が飢えや渇きによると思われる死骸となって折り重なっている文字通り悲惨な状況となってしまっていました。野生に放たれた、あるいは逃れた家畜は生き延びているケースも多いようでありましたが、舎内に残った家畜は(この写真の)一頭の豚を除いて死滅している状況でありました。
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 これらは放射線による死ではなく、畜産農家の避難に伴う食糧・水の欠乏による死であり、政府の対応について考えねばならない点がかなり多くあるとの印象を受けました。

 まずは今の状況では非常に死臭が厳しいものがあり、衛生の問題を考えれば一刻も早く死骸を処理せねばなりませんがその作業を行なうためにも臭気の問題など対応を様々考えねばなりません。しかし、いずれにせよ一刻を争う問題であることは事実です。またそれに加えて、今後のこの地域での一次産業を中心とした産業の復興をどのように進めていくのか、政府として帰還の時期も含めて早急に対策プランを作成する必要があると感じました。

 加えて、今後このような形でいろいろな災害が発生した時に家畜やペットなど動物の取り扱いをどうするのか。特に大動物、家畜の場合には簡単に一緒に避難ということは不可能であり、今回の事例を教訓にしてしっかりとした方針を決めておくことが必要なのではないでしょうか。

 今回の調査においては福島第一原発のすぐ横を通ることにもなりましたが、その場(原発から一キロくらい)で簡易の計測器で測定したところ5マイクロシーベルト/時程度の数値でした。もちろん時間によるばらつきや地域によるばらつきがありますので一概には言えませんが、原発のすぐ横でこの数値のレベルであるという事実は多少この地域の将来を考えるうえでの一つの材料となる気もしています。

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 またペットについても、多くは非常に悲惨な状況に置かれています。一部外に放されたものでしょうか、生き延びている例もありました。

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 政治として、今の殆どの家畜、ペットが悲惨な運命に直面していて、わずかに生き残っているものがいる状況にどう対処するのか、シェルター、実験牧場の問題など検討が必要です。予算的にもある程度の対応が必要だと思われます。

 またそれに加えて、今後同じような状況が起こらない保障はありませんので、避けられる悲劇を繰り返さないよう、その場合の対応をきちんと備えておくことも必要です。そして、この地域の復興に向けて一次産業の今後を考えての具体的な計画作り、更にはモデルとなるようなケースをきちんと作っていくことも重要です。

 落選中ではありますが、このような悲惨な事態を繰り返さないために、政治家の一人としてしっかり行動して枠組み作りなどについても成果を出していきたいと思います。

※内容の正確性のため一部の文言を変更いたしました。ご了承ください。(2011.7.2)

suzuki_keisuke at 17:08トラックバック(0) 

2011年06月19日

民主党政権がひきおこす「電力危機」と「日本の危機」

 今年の夏を控えて、電力危機ともいうべき事態が深刻に懸念されています。そしてその懸念が経済に与える影響は極めて深刻です。この一番の原因となったのは、そして東日本大震災のショックから日本が立ち直ろうとしているこの状況の足を一番引っ張っているのは、菅総理による支持率目当ての浜岡原発停止要請のパフォーマンスであることは明らかです。

 自らの支持率向上、政権存続というエゴイズムのために、わが国の長期的な経済の回復・復興を犠牲に差し出したその政治姿勢は万死に値するといわざるを得ません。

 福島第一原発事故の後、まさにわが国のエネルギー戦略が大きく問われている中で、まず我々がしなくてはならないことは、原因の科学的究明と今後の安全の判断の明確化です。

 確かに原発をゼロにすることができるならばそれに越したことはありません。しかし、現実問題それが可能なのか?今の経済・生活水準を維持するためにはそれは不可能と言わざるを得ません。

 温暖化の問題を考えれば天然ガスといえども火力発電に頼るわけにはいきません。また環境破壊や決壊のリスクを考えれば水力発電に頼るわけにもいきません。またコストや立地・技術的な問題を考えれば再生可能エネルギーも原発の発電量を賄うレベルにないことは世界のコンセンサスです。そのことを考えれば、現実的な選択肢として、原子力エネルギーをゼロにすることはわが国として取りえない選択であることはこれまでも述べてきたとおりです。

 原子力エネルギーを最大限安全性を考慮しながら活用していくためには、まず、なぜ今回の事故が起こったのか、そしてなぜここまでのレベルに悪化したのかを検証する必要があります。津波が来る前の地震による被害は、バックアップ電源の状況を含め今回のレベルの事故につながるものではなかったのか、そして、津波による被害が出たのち、初動の「なるべく早く冷やす」という緊急措置についてベストな選択を最大限の速度で行った結果でも今回のようなレベルの事故となったのか。今後の対策を考える中で、まさに責任逃れの真相の隠ぺいでなく、このような検証がまず重要です。

 そして、次に、今回の想定以上のリスクの存在も加味したうえでどのようなストレステストを行い、どのような結果であれば安全と判断するのか。社会全体でどの程度のリスクなら許容するのか、こうした「レッドライン」を科学的に、そして政治的に明確に示し合意を得ることがまさに不可欠です。

 そのための一番大事な時期にわが国で行われたのが「菅総理による浜岡原発への停止要請」でした。わが国の法制度のもとでの安全基準を満たし、また、震災後の安全向上の対策も当局の承認のもとに行い、さらには国際的にも安全性が高いとされる第3世代のABWRである5号機についても、「科学的な根拠」を示さずに停止させた。これは世界的にも疑問視される判断で、明らかに今後原子力エネルギーとどのように向き合っていくのかという冷静な議論をぶち壊しにする暴挙でした。

 結果として、定期検査のために停止していた原発の運転再開が事実上できなくなっている。浜岡原発への根拠なき停止要請がこうした結果を引き起こすことは政治家であれば判っていたはずです。

 震災復興という名目で、法人税や所得税の増税も言われ、また電力についても政治家のパフォーマンスのおもちゃにされて「節電」という足かせを履かされる。ただでさえ高コスト構造などで産業の空洞化やジャパンパッシングがわが国の将来に暗い影を投げかけ一刻も早い対策が必要とされているこのときに、さらにこうした復興の足を引っ張る政策を政治が次々と出してしまえば、結果は火を見るよりも明らかです。

 5年後、10年後、「失われた10年」の次に来たのは「取り返しのつかない10年」だったということが言われ、次の世代にとてつもないツケを回してしまう可能性が極めて高いといわざるを得ません。

 かつて「政治は3流だけれども経済は1流だ」といわれ、「日本は民間企業の人たちが頑張っているから政治がダメでもどうにかなっているんだ」といわれていました。しかし、それは政治が(変えねばならない問題点が数多くあったのは事実ですが)、少なくとも最低限のガバナンスはし、必要な政策を曲がりなりにも進めていたからにほかなりません。

 たとえば最近の例でも、リーマンショックの時に日本経済が他国よりも傷が少なく済んだのは、麻生政権時代のエコポイントをはじめとする、経済的に波及効果の高い財政出動を迅速に行ったからに他なりません。東シナ海のガス田や尖閣諸島についても、中国のプレッシャーの中で権益の侵犯をかろうじて最低限に抑えて来られたのは、アメリカとの信頼関係を大きく壊すことがなかったからでもあります。

 こうした「当たり前のこと」が「当たり前」に行われなくなったとき、あるいは大きな政治決断を気付かずにしてしまったとき、取り返しのつかない国家的危機に直面する、そうした例が過去の歴史でもありました。日英同盟を短期的な視点で廃し、結果的に第二次世界大戦の泥沼にはまっていった時もそうだったのではないでしょうか。

 今、政治不況ということが言われています。民主党政権発足以降、日本の金融市場のパフォーマンスは海外と比較してこれまでに例がない「独り負け」の状況が続いています。結果として日本への投資も低調となり、実体経済にも影響が出てきていた、これが震災前の実態でした。この状況にさらに決定的な影響を及ぼしかねないのが、震災を口実とした、法人税やTPPをはじめとした日本の競争力を強化する政策の先送りであり、原発を政治パフォーマンスに利用したことによるエネルギーの安定供給という政治の大きな責任の放棄です。

 今の政権が明らかな失政を重ね続けていることを考えれば、我々一人ひとりがこの国の将来を真剣に考え、声を出していかねばならない状況になりつつあるのではないでしょうか。地元を回っていても、あるいはビジネスを含め日々真剣に勝負している方々と話しても、このような危機感を抱いている方がかなり増えてきている、それを痛感します。
 
 今政治に求められているのは「安心」を名目に国民の不安を煽るパフォーマンスの政治をするのではなく、将来を見据えた現実的な対策を、経済と持続可能性・安心との両立の観点からどのように冷静に創っていくことができるかに他なりません。「言うべきこと」をしっかりと言う責任ある政治が求めらているのではないでしょうか。

suzuki_keisuke at 22:27トラックバック(0) 

2011年06月14日

「言っていること」と「やっていること」

 少し前のことになりますが、中国による航空母艦の建造を認める旨の人民解放軍高官の発言がありました。そして報道によれば、ロシアから購入した「ワリャ−グ」を改造中で運用可能な状態にするというプロジェクトと、国産で航空母艦を建造しているというプロジェクトが両方進んでいる可能性が高いとのことです。

 このブログを読まれている方であれば、ご記憶と思いますが、「ワリャーグ」についてはロシアから購入するに当たってカジノにするという名目でされており、軍事的な転用はしないというような発言が中国政府関係者からもされていたという経緯がありました。それが10年を経た今では堂々と軍事的な利用が公然といわれている。まさに「言っていること」と「やっていること」がまったく違うわかりやすい例です。

 「言っていること」を信用して我が国は対中政策で数々の過ちを重ねてきました。判りやすいところだけでも北朝鮮問題然り、東シナ海や尖閣の問題然りと挙げていけばきりがありません。

 2回や3回だまされるのであれば、だますほうが悪いということも出来ますが、それが毎回の事となればだまされるほうにも問題があるといわざるを得ません。まして国益をかけた生き馬の目を抜く国際政治の場においてはなおさらです。誰も同情などはしないし、くみしやすいということで、寄ってたかってということにもなりかねません。

 我が国の外交においても、特に中国や北朝鮮のような相手に対しては、「言っていること」ではなく「やっていること」、つまり実際の行動を状況証拠などから冷徹に判断し意図を見極めて交渉にあたらねば、大きな禍根を残すことにもなりかねません。「言ったこと」をベースに行動することが許されるのは、何も外交に限らず何事においてもそうですが、少なくとも「言ったこと」が守られるという前提がある場合に限られます。

 安全保障や主権の問題に加え、地球環境問題、知的財産権等のビジネスをめぐる問題をはじめとして、様々な点で中国と付き合っていくことが求められます。二国間においてはこの鉄則を忘れず、そして多国間においては価値観を共有できる国々と共闘して戦略的に外交を進めていくことが求められます。

 領土をめぐる動きについても、残念ながら日中の間の東シナ海の問題よりもベトナムなどと中国との南シナ海の問題のほうが、国際的には中国の強引な領土拡張の例として認識されているのが実情です。「特段の事情がないケースでの中間線に基づく境界設定」は国際法的にも一般的な解決であって、東シナ海のケースは明確に日本の主張に正統性がある状況にもかかわらずです。いくら自分ひとりで「自分は正しい」とつぶやいていても、国際的な認知もなく既成事実を相手に積み上げられてしまえばまさに取り返しのつかない結果にもなりかねません。

 地震、津波の大惨事の後でも、日本を取り巻く国際環境は全く改善していません。それどころか、益々厳しくなっている面も多々あります。内政、外政でまともな決断が出来ないという1年半以上続いている「政治空白」をこのまま続けることは断じて許されません。



suzuki_keisuke at 09:30トラックバック(0) 

2011年06月11日

ヨーロッパの対日観(EUでの議論を通じて)

 ここ数日、欧州連合(EU)と欧州議会に招聘され、ストラスブールとブリュッセルで、欧州議会の議員やEUの幹部、またベルギーの国会議員等と議論の日々を送っています。招かれた枠組みはEUVPというEUのプログラムで、EUのソフトパワー外交の一環という位置づけで、世界各国から政治家やジャーナリストなど若手の将来のリーダー候補を数名ずつ招聘するというものです。私の場合は自民党を通じてEU側からのオファーがあり、党務として参加しています。

 国内にあっては政局も混乱しており、なかなか政治が前に進んでいない状況ですが、当地でもいろいろな方との会談を通じて、日本の政治的存在感のあまりの低さに愕然とさせられています。

 せっかくの機会ですので、中国の抱えている様々なリスクとそれに対する我が国やアジア諸国の対応、そして、今後のエネルギー政策と省エネ社会のあり方について世界的にどういう流れを作っていくべきか、さらにはEUという壮大な実験の中で現在のヨーロッパ経済が抱える構造的な問題についてEUとしてどのような方向に持っていくのか、といった点を中心に意見交換をし、また我が国の立場を理解してもらうよう努力しているところです。
そんな中で、感じたことについて若干触れさせていただきます。
 
 まず、ほぼ全ての人が福島原発の問題、日本が本当に立ち直れるかに非常に強い関心を持っている点。予想はしていましたが正直それ以上の関心を持たれているといっていいと思います。ちょうど私が訪問している間にも欧州議会でも既存の原発に対するストレステストについての議論が熱心に行なわれているところでした。

 日本政府の事故についての情報開示のあり方に対しての批判的な見方が非常に強かったのと、今起こっていることに対する日本政府からの世界への発信があまりにもないことを指摘されました。「日本にビジネスに行って大丈夫なのか、旅行にいって大丈夫なのか」という話が有権者や企業からもくるらしく、出身国、ベテラン、若手問わずそろって関心をもたれています。

 また原発の事故に関して地震と津波の影響が混同されている点や、地震については日本の建築や新幹線など高い技術のおかげで被害を最小限に抑えられたことが一部の人を除き殆ど知られていない点も大きな問題です。こうした点についてはこちらから説明すると「ようやく理解できた、じゃあしっかり宣伝しておく」となるわけですが、日本に関心が高い議員に対してすら正確なPRをできていない点は日本にとってもビジネスチャンスを失っているわけで、いわばIR・PRの観点からも明らかに問題であり政府として改善が必要です。

 原発の問題については、先進国にあっては「安全」の基準、つまりどこにレッドラインを引くのかを明確にすること、さらに盲点になりがちですが、これから原発を必要とする途上国についても安全性の低い安価な物を建設しないように国際機関を含めて第三者による認証を行い、場合によっては安全なスペックの高いものの導入に開発援助資金を提供できるように基金を創設するなど、G20等の首脳レベルの場で具体的なフレームワークを早急に作ることが必要な点等の指摘を議論の中でもしているところです。
 
 また一般的な問題として、中国の軍事的拡張に対するアジア諸国の懸念、また為替や知的財産権の問題など、EUと日本が協力して新興国に対して主張すべき旨を伝え一定の理解を得たところです。武器輸出の問題などについても日本の立場に理解を求めるよう務めています。

 多くの人に指摘されたのは、なぜそのようなことを首脳レベルなどでもっと明確に主張しないのか、日本は国際社会に関与する意思が弱いのではないかとこれまで感じていた、といった点。発信の方法などを真剣に考えねばならない時期に来ていると痛感した次第です。

 環境やエネルギーについても、多くの時間を割いて議論しましたが、正直我が国で報じられているよりもかなり現実的な考え方をする人が要人でも多いという印象です。原発についても現実的にはドイツのような流れが各国で強まるかといえばそれはコストや経済の面から不可能だろう、さらに当方から、より安全でよりエネルギー効率が高い技術に関して更にイノベーションが進むようにするためには、開発主体であるハイエンドのメーカーにしっかり資金が回るような技術移転の(技術供与でなくビジネスベースでの)スキームを途上国に対しても考えねばならないといった論点を提示したところ、担当者でも政治家レベルでも、全くそのとおりでEUとして日本と協力して(途上国ではなく)新興国を巻き込んでの議論をすることが必要だとの反応が殆どでした。

 今回の議論の内容の詳細についてはまた後日触れる機会もあろうかと思いますが、とにかくEUサイドとの様々な議論を通じて、国際的ルールを「作る」側でなく「単純に受け入れ守る側」でしかなかったこれまでの日本のあり方を大きく変えていかねばならない、そして本気で世界的なルール作りに関わっていくことこそが国益にもつながり、温暖化や様々な難題の解決にもつながっていくまさに「真の国益」であるとの意を強くした次第です。厳しい国際競争の世界においては「国益を守る」シビアな国家間の競争はまさに待ったなしです。この点こそ政治が本気で取り組まねばならない大きな課題ではないでしょうか。



suzuki_keisuke at 20:35トラックバック(0) 

2011年06月06日

大連立に断固反対する

 菅総理退陣後に大連立をという話が政界でも囁かれています。自民党内でもベテランを中心にそのような動きがあるようです。しかし、はたしてそれはわが国にとって正しい選択なのか、私は大きな疑問を感じています。

 そもそも、民主主義の国で圧倒的に大きな第一党と第二党が、そしておそらくは第三党も加わっての大連立をくむということは、民主主義の否定に他なりません。まさに巨大与党による国民不在の一党独裁にもなりかねません。この点を冷静に考える必要があるのではないでしょうか。

 9割以上が与党となれば今の政党中心の議会制民主主義においては、ほとんどの物事が水面下ですべて決められてしまい、国会はそれを追認するだけの場と化します。本来国会の場で議論されるべきことが密室の中で国民不在のところで決められて物事が進んでいく、というのが大連立の実態です。はたしてそれは正しいことなのか?

 そこまでの危険を冒すためには、それを超える必要性がなくてはなりません。

 確かに今は震災の被災地への支援、福島第一原発の事故への対応、経済の復興と課題は山積しています。未曾有の危機にあってそれをスピーディーに進める、具体的には関連する法律と予算を速やかに成立させ執行に移すことが今の政治の最大の責務です。しかしそのために必要なのは「協力」であって「連立」ではないはずです。

 なぜ与野党が協力するということではいけないのか。なぜわが国の将来に禍根を残しかねない「連立」という形を取らねばならないのか。それが明確ではありません。

 少なくとも野党が震災の復興のためのスピードを重視し、震災対策、福島原発対応に関するものについては全面的に協力するのであれば、あえて大連立をする意味は全くないはずです。見解が異なる点については密室での調整をするのではなく、オープンな国会の場で時間を区切って明らかにしていく、それを否定するのであれば、まさにわが国の民主政治は死んでしまいます。

 今でも被災地からのニーズにこたえた二次補正予算については野党が議論をリードしていて政権与党が消極的で結果として不信任案で事態の打開を図った、という事実からも明らかなように、すでに野党側は政争を積極的にするスタンスではありません。

 そもそも、民主党の幹事長が言及していると伝えられているような「テーマ限定の大連立」など理論的に不可能です。

 大連立を組むということは、内閣に参画するということ。内閣の一員として(今の)野党の代表もあらゆる案件について国会審議前に閣内での合意をし、国会においては(今の)野党も反対や問題提起をできないということです。

 復興についてもそうですが、他にも財政・バラマキの問題、派遣などの労働問題、法人税やエネルギーの問題、中国・北朝鮮といった脅威を抱えるわが国の安全保障の問題、はたして大きな隔たりが与野党間にある今の状況で、こうした問題についても水面下の談合で密室の中で決めてしまっていいのか。そして水面下でやったからいいものが早くできるのか。私にはそう思えません。

 であるとすれば、果たしてわが国の民主政治を否定し国民不在の事実上の一党独裁を生みだす危険を冒してまでやる価値のある「大連立」なのか。私には理解できません。

 震災に協力をするという名目のもとで、与野党の旧い政治家の思惑で進められようとしている大連立、日本の5年後、10年後に大きな禍根を残す可能性が極めて高いと言わざるを得ない。

 繰り返しますが、今必要なのは震災対応や福島原発の対応について『「与野党の全面的な協力」によりスピーディーに結果を出すこと』であって、水面下ですべてが決まってしまう国民不在の「大連立」ではありません。そしてそれは「菅総理抜き」であろうが全く変わりません。「協力」と「連立」を、いろいろな意図であえてごちゃ混ぜにしようとしている「旧い政治家」の発信に惑わされるわけにはいきません。
 

suzuki_keisuke at 00:17トラックバック(0) 

2011年06月02日

なぜ不信任なのか

 内閣不信任案をめぐる動き、確かに提出の時期についてはいろいろと議論があると思います。正直このタイミングでの提出は「なぜ?」という意味で判りにくかったかもしれません。

 しかし、一つハッキリさせておかねばならないのは、今回の内閣不信任案提出の背景の一番大きなものは、被災地からの「一刻も早く」との声があるにもかかわらず、予算的な裏づけである二次補正予算案を議論すらせずに先送りし、政権延命のために批判を封じ込めるという政局的思惑で、国会を6月にも閉じるという判断を平然と民主党政権がしていたことに対する疑問にあったということです。政局、権力維持を震災復興に優先させる、この判断を何ら疑問を持つことなく是とした民主党の体質そのものに対する不信任だということです。これでは復興が進まないから、内閣を変えねばならない。それを忘れるわけにはいきません。

 被災地への支援、福島第一原発の事故への対応、日本経済の復興、こうした問題を少しでも早く前に進めていくことが今の政治には求められています。

 追い詰められていろいろとその場しのぎのための方便で、国会の延長や一定のところでの退陣を表明した菅民主党ですが、その本質が変わらない限り、今我が国の政治に求められている「結果」を出すことはできません。

 不信任の採決がどうなるかはわかりませんが、とにかく今必要なことは、政治に求められている「結果」を出し、東北の、そして日本の復興を成し遂げるために、パフォーマンスでなくきちんとした討議をする政治を取り戻さねばなならないということに他なりません。

 

suzuki_keisuke at 14:33トラックバック(0) 
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