2018年02月

2018年02月25日

受動喫煙防止についての所感など

 いわゆる受動喫煙防止法案を巡って様々な動きが報じられる中、より厳しい規制にすべきという意見がかなりあったものの、先週党内での取りまとめが行われました。

 世界における感覚からすれば、受動喫煙対策という意味からも、シガーバーのようにそれを目的とした営業店舗以外については屋内を原則全面禁煙にして、吸う場合には外で、というのが本来の在り方のはずだと私は感じています。もちろん、外についても、ポイ捨てや歩きたばこなどは条例で規制されねばなりません。

 その観点から、100平方メートルにしても150平方メートルにしても、一定の面積以下の飲食店における喫煙を例外として可能とする厚生労働省案は、言ってみれば、いろいろな利害関係者の調整の結果の妥協案として、民意や本来の政策目的からかけ離れてしまった印象が否定できません。

 病気の方や子供、妊婦の方々を中心に、受動喫煙のリスクなく自由に行ける飲食店の範囲がかなり制約されてしまうというのが国の政策として正しい姿なのか。喫煙の表示をするといっても、飲食店の絶対数が少ない地方においては、そのような方々の選択の自由がかなり制限されてしまうのではないか、という根本的な危惧は解決されません。喫煙の権利との比較衡量でこの判断が妥当なのか。望まない受動喫煙を避けるという本来の法の趣旨からすれば、半分近い飲食店が店内で喫煙できる状況というのは正直、「何も無いより少しマシ」という程度のものにすぎないのではないでしょうか。

 その意味で、政府与党案を作成するための利害調整の結果、法案が国民世論が望むものからかけ離れたものになってしまうのであれば、イギリスなど諸外国の例をみても複数案を作成するなどして党議拘束のあり方をこの法案に関しては再考すべきだとの提案も私の方から青年局においても行ったところでもありました。

 そもそも今回の政府案が取りまとめられるにあたって、真剣に原則屋内全面禁煙という方向をどこまで模索したのか、その点にも疑義が残ります。外から規制が進んできたという現状にとらわれすぎていたのではないかとの疑問を持たざるを得ません。

 結果的に、22日の朝の自民党の会議で様々な意見が噴出し、今の案への疑義が自分も含めかなり示されたにもかかわらず、時間切れのような形で取りまとめがされたとのことです。自分も発言後に出張のため退席せざるを得ず、両論出ていた中で通常であれば結論を持ち越すところを、一日で取りまとめられたとの情報に驚いたというのが正直なところです。

 思えば、石炭発電が急に最後の最後で重点化されたエネルギー基本計画、郵政の限度額引き上げ、受動喫煙と、既得権を持つ業界からの圧力が強い案件については、ここ数年かなり強引な形での取りまとめがされてきたことは否めません。それらについて最後まで反対し続けた自分の目からすれば、相当の反対がある状況で、党内で議論を深めること無く押し切るような手法には違和感を感じざるを得ません。少なくとも、業界の圧力がそこまで無い法案については、それがいわゆる「官邸主導」といわれるものであったとしても、今回のように急いで強引に取りまとめるということをせず、議論を深めるということが党内でも一般的に行われているわけで、そこに違和感が正直あります。

 この数年、自民党内において、一部の業界など、政治に近い既得権を守るような内向きの論理が強くなってきているのではないか。ある意味、機動性を考えれば、そして既得権の規制を突破するためには時として必要な「官邸主導のトップダウンの政策決定」以上に、こうした既得権に忖度する内向きな政治こそが国民・国益にとっては問題なのではないか、私にはそう思えてなりません。今回の受動喫煙の法案をめぐる党内の動きを見たとき、そんな危惧を持たざるを得ません。

 前回自民党が政権を失ったのは、よく医師会関係者や一部の議員が言うような2200億円の医療費削減によるものでは実は無い。少なくとも自民党の支持が大きく落ち込んだ最初のきっかけは、郵政復党問題であったのが数字に基づく事実です。よくスケープゴートにされている2200億円の医療費改革は、実質的には診療報酬をマイナスにするということを含め、国民負担、患者負担を減らす改革でした。業界団体によるその反対キャンペーンが非常に強かったのは事実ですが、よく言われるように業界団体への配慮が無くなったから自民党が政権を失ったのでは決してなく、内向きの政治になっていると、国民の声なき声、サイレントマジョリティーの声を受け止めきれないと自民党が思われたために政権を失ったというのが2009年の実態です。

 今の国際環境、国内の状況を考えれば、政治的、政策的な混乱は許されず、今の野党に政権が委ねられる事態は断じて避けねばなりません。だからこそ、我々は自らを律する必要があるわけで、今一度、内向きの論理ではなく、日々額に汗して頑張っている多くの声なき声に耳を傾けるという自民党の原点を、改めて確認せねばならないのではないでしょうか。選挙で目に見える票への配慮が大きくなりすぎれば、大多数の国民から見放される、その危機感を再確認せねばなりません。微力ではありますが、引き続き頑張ってまいります。

 

 


suzuki_keisuke at 22:01 

2018年02月17日

「核先制不使用」をめぐって

 アメリカのNPR(Nuclear posuture Review=核戦略体制の見直し)が、というよりも、核の先制不使用の問題が話題となっています。オバマ大統領のときにも国際情勢からの判断により、核先制不使用に踏み込まなかったわけですが、そこに引き続き言及しなかったこと、ハード面においても、小型の核兵器の開発の加速をすることなどが論議を呼んでいるようです。

 前回の文書からの変更点がどこかなど、詳細な検証も必要ですが、ここでは、核戦略そのものについての所見を書かせていただきたいと思います。

 そもそも、冷戦期のように米ソの二大国が圧倒的な軍事力を持ち、お互いが相互確証破壊の状況であれば、核兵器保有国同士の間においては、核の先制不使用ということが、実質として担保されていました。英仏に関しては、他国への核攻撃という選択の余地や可能性は極めて低く、また中国にあっても、アメリカ、ソ連との圧倒的な能力の差により第二撃能力を持ち得ず、全ての核保有国の間で事実上の先制不使用、つまり核戦争が起こらないことが担保されていたわけです。

 もちろん、その当時にあっても、拡大核抑止、すなわち核の傘の有効性という観点では、同盟国の防衛に関しての古典的な議論がありました。

 そもそも、能力的に圧倒している国が率先して核の使用を行うインセンティブはありません。逆にその圧倒的な能力の差によって、第二撃能力により相手を確実に滅亡させられるということで、先制不使用を宣言していようがいまいが、他の国々に核の使用を考えさせもしないでこられたというのが従来の状況です。アメリカが優位にある状況下にあっては、どのようにして、それ以外の国が核を使用するインセンティブを潰すことができるのか、この点が極めて重要です。

 核の先制不使用という宣言そのものが、所詮は政治プロパガンダ的なものであって、そのことは、従来それに言及してきたのが、核戦力に関しては圧倒的な劣勢におかれていた中国だけということからも推して知るべしです。そしてその中国が、SLBMやDF41の開発により第二撃能力を手に入れ、かつ米国との差を縮めることに成功しつつある段階になって、自らの先制不使用の撤回をにおわせ、アメリカの今回の方針に異を唱えていることも将にその証左です。

 アメリカの観点からすれば、自国の安全保障は当然のこととして、そのために核戦争を起こさない、ということを考えれば、「先制不使用」あるいは小型核の開発は、それをすること、しないことによる、核戦争及び大規模な戦争を起こさせないというテーゼにおける有効性からのみ純粋に判断されるべき問題のはずです。

 その点を考えたとき、問題の本質は、クリミアや台湾海峡など、ロシアや中国が、そして北朝鮮が、実際に核を使用する誘惑に駆られうる今の状況をどう判断するかという点につきます。実際クリミアにおいて核の使用がプーチン大統領の頭をよぎったというようなことも言われていますし、北朝鮮はもちろんのこと、中国においても先制不使用を撤回するというようなメッセージが軍上層部からおそらくは意図的に出されてもいます。

 この様な極めて不安定な状況下で、アメリカが自らの安全や同盟国の安全を守ることを考えたとき、核の先制不使用にあえて言及したり、小型核兵器の開発の遅れを放置しておくことが果たして適切な選択なのかと言えば、そこには疑問が残ります。むしろ、中国やロシア、北朝鮮といった現実的な脅威に対して、アメリカはそうした国々の通常兵器や化学兵器、生物兵器による攻撃に関しては核の反撃を行わないのだと言うメッセージを与えることになりかねず、核が通常の戦争の抑止にならないという結果を招くことになってしまいます。核における現状のアメリカの他国に対する大きな優位を考えれば、核を切り離した場合のアメリカの抑止力は、現実問題、相対的に低下してしまいます。

 そして、このことが世界の平和安定、特にバルト三国を含むロシアの周辺地域や、台湾海峡、東シナ海、南シナ海等の中国の周辺地域の安定に与える影響は極めて大きいものがあります。

 このように考えたとき、今回のアメリカのNPRは、中国やロシア、北朝鮮をはじめとして、緊張が極めて高まっている国際情勢を考えれば、やむを得ない見直しだと言えますし、その後の各国の反応に鑑みれば、邪心を抱く国に対しては適切なメッセージになったのではないかと思われます。

suzuki_keisuke at 23:46 

2018年02月02日

いわゆる「東京23区の大学定員抑制」について

 「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の修学及び就業の促進に関する法律案」という法案の審査が党内で行われています。最近若干報道もされている、東京23区内の大学の定員を抑制する法案です。

 そもそも需給を規制する、供給を抑え込む法案というのは自由主義社会においては一般的には過度な政府の介入といわざるを得ません。過去このような法案は、工場等制限法、タクシー特措法など極めて限られた例しかありませんでした。

 地方の大学を強化することの重要性には全く異論はありません。私が懸念しているのはその手法が果たしてこの政策目的に合致しているのかという点です。

 実際、秋田の国際教養大学や、新潟の国際大学、福島の会津大学、大分の立命館アジア太平洋大学など、現状でも地方において競争力の高い大学は存在しています。私もこれらの大学のいくつかに赴き、そこの学生と意見交換もしてきましたが、首都圏からも大学生が多く進学しています。

 こうした大学は決して東京の大学を押さえつけることでできてきたわけではありませんし、今後東京の競争力の高い大学を押さえつけて地方にいい大学ができるようになるのかといえば、そこには疑問を持たざるを得ません。

 特に大学は高度人材の輩出拠点であり、イノベーションの中核を担う機関です。まさに日本の経済成長の成否を握る存在といっても過言ではありません。その競争力は死活的に重要です。

 今回の規制によって、単純に既存の大学が守られることとなってしまえば、大学の新陳代謝、競争という観点からも本末転倒です。本来は、競争力のある大学が伸び、新規参入して、質の高くない大学が淘汰されることが必要で、そのための様々な制度整備が重要なはずです。それを一律にいい大学も悪い大学も東京にあるというだけで規制してしまうことが、果たして正しいのか。

 また今回の法案では、例えば、海外のトップ大学が日本に進出しようとするケースでも、東京に進出する場合には既存の大学を買収するなどしなければ進出ができないということになってしまいます。アジアのほかの国、都市との競争を考えれば、そこまでしてわざわざ日本に進出する大学があるとは思えず、他のアジアの国々にみすみす取られてしまうことになりかねません。

 こうした疑念がある以上、果たしてこの規制が適切なのか、きちんとした議論をせねばならない、ということで、異例のことではありますが、昨日私が副本部長・事務局長を務める自民党の行政改革推進本部(甘利明本部長)において審査を行ったところです。

 幅広い視点からの議論がされる中で、文部科学省からは、質の低い大学の退出に備えた制度の創設を行うということ、大学への予算配分などの重点化を行い、質の低い大学を維持するような政策は転換すること、内閣府からも、海外のトップ大学などの日本や東京の国際競争力に資するものについては例外とし、そのための条文変更を行ったこと、等の提案、回答がありました。

 今後の制度設計、実際の運用を引き続き注視していくことが必要ですが、この規制について、10年間の緊急避難的な時限の措置としていることや、例外規定が置かれていること等を踏まえ、本来望ましいものではないが、やむを得ないということで承認したところです。

 我が国は統制経済の国ではありませんし、過剰な規制は経済の活力を必ず奪ってしまいます。政府が過剰な介入を国民生活にしないよう、規制についても予算(=税負担)についても、必要最小限度であるべきというのが私の基本的な考えですが、その観点から、最近若干「大きな政府」、介入主義に向かいつつある党内のムードに流されることなく、引き続き同志の議員とともに頑張ってまいりたいと思います。

suzuki_keisuke at 10:25 
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