気づき&癒し

April 30, 2016

スピリチュアルな世界に

言うは易く、行うは難し。

運動や食事制限、ダイエットをするときに大切なことは、とにかく実践すること。

頭でわかっていても実際にやってみなければ何の意味もありませんね!

10kg痩せれば、夜は副交感神経を優位にすれば、定期的に運動すれば、etc。

あれだけ降圧剤の副作用をわかっていながら、一刻も早く縁を切ろうと必死になることができなかった自分につい自己嫌悪を覚えてしまったものです。

「これ以上食べたら死ぬで!」甲田光雄先生にそう叱咤されても、それでも人は食べることがやめられないという食欲を、耐え難い本能を、私たちは責めることが出来るのでしょうか。

鋼の意思を持ち合せた人間のみが神のご加護に与れるとしたら、それはあまりにも切ないですね。

慈悲深い神はそこまでせずに弱い人間にも慈愛を注いで優しく導いてくれるようですが、一方で仏の顔も三度まで。私たちのように同じ過ちを繰り返してしまう人には、時として辛い試練を与えることも忘れてはいないようです。

もちろん、人間は信賞必罰で病気になるわけではなく、大酒飲みのヘビースモーカーが百歳を超えてなお闊達だったり、酒もたばこもギャンブルもやらない品行方正な人間が若くしてガンで倒れたりするわけです。

そこにあるのは運命だけで、一人ひとりがきっと生まれもって定められた寿命に従って天に召されていくのでしょう。






そんなことに徒然なるまま思いを馳せているうちに、昔しばらくハマっていたことのある「スピリチュアルな世界」というものが、またぞろ気になり始めた今日この頃。

昨年、家内が”LIVE WELL(良く生きる)”のためのカウンセリングに通っているうちに、そこから導かれるようにしてヒーラーさんやそうした方面に詳しい方々にお会いするようになり、やがてそのご縁で私もヒーリングや遠隔カウンセリングを受ける機会をいただくようになりました。

それはいわゆるオカルトとは別次元のものですが、アカシックレコードという宇宙のデータベースとつながることで過去世や今後の自分を読み解くことが可能になるといった世界でもあり、遠隔オーラ診断なども当たり前のようになされます。

自分しか絶対に知り得ないことに図星を指されれば信じないわけにはいきませんが、そんな世界があったのかと、とにかく驚きを隠せません!

もっとも、信じることでより楽に生きることが出来るのであれば、そもそもヒーラーさんの言うことの真偽すら問題ではないともいえそうですが。






独身サラリーマンだった二十代の頃、インドのグルマジという悟りの人の教えを聴きにしばらく勉強会に通ったことがあります。

今でも覚えているのが、「創造主というのは、貴方の心の中にいるのです」「世界人類のことではなく、まず自分がどうしたら幸せになれるかを考えなさい」といったような話。

瞑想することで一条の光が見えるようになり、それが創造主だというのです。

来日したグルマジの講演(中野サンプラザだったかな?)の最中に、「人々はバルブが切れだけなのに暗闇がやってきたと叫んで慌てふためくんです」といった話になったところ、本当に会場の照明のバルブが切れて一瞬真っ暗になったことがありました。

その帰りに友人たちと喫茶店に寄って講演での出来事を興奮して話していたら、一人が「グルマジは時々茶目っ気でそういうことするんだよね!」とイタズラっぽく笑いました。

「えっ、ホントか?」と言って私が水の入ったコップを取ろうとした瞬間、いきなりコップがスパッと横一文字に割れて中の水がテーブルにこぼれたのです。

「ほらね、彼、またやってるよ。これでも信じられないのかってね!」

二十代の小僧が尋常ではない現象にしばらく大騒ぎしたのは言うまでもありませんが、自分の中ではグルのいう光というものをどうしても見てみたいと、当時は瞑想を繰り返していましたね。

そしてそれは突然やって来ました。

ある日、自分の部屋で夜11時頃から瞑想を始めたところ、舌の裏が急に甘味を感じ、意識が自分の体から離れて明るく光輝く天井から俯瞰しているように感じられたのです。

いわゆる幽体離脱のようなはっきりしたイメージではなく、ある種の軽いトランス状態だったのでしょうけど、深い海底で一定のリズムを刻む潮流に身を任されているような安心感に包まれ、とにかく心地が良いのです。

「なんだろう、この感覚って!?」といった驚きと、「あ、これこれ!この感じを求めていたんだっ!」という歓びが溢れ、何だか嬉しくてたまりませんでしたね。

今にして思うと、宇宙と繋がっていると感じた瞬間だったのかもしれません。

このままずっとこの感触に浸っていたいと思っていたところ、スッと瞑想している自分の意識に戻り、「あ、消えちゃった。。。」といったとても残念な気持ちに。

ほんの数分の出来事だと思ったら、1時間も経っていて大いに驚いたものです。

あれから何度トライしても、あの時の感覚に入ることは出来ませんでした。

今でも「あれは何だったのだろう?」と不思議でなりませんが、それが私の最初のスピリチュアルな体験だったように思います。






私はとくに霊感が強いわけでもなく、他に明確な神秘的な体験をしたわけでもありませんが、ヒーラーさんから「第三の眼」が開きかけているといったようなことを言われたことはあります。

また太極拳や気功をやっていたせいか、多少の気感はあるほうでしょうか。

たとえば、「水のパワースポット」では西日本一といわれる山口県の別府弁天池を先月訪れた時、水面にかざした両手に明らかに気の高まりを感じました。

家内のペンジュラム(水晶ペンダント)がグルグル回り出したことからも、きっと磁場のようなパワーが出ていたのでしょう。

そして今までさほど興味のなかったパワースポットというものが、俄然気になるようになりました。

もちろん多少の「何か御利益に与りたい」というスケベ心があることは否定しませんが(笑)、それ以上に「そんなパワーに純粋に触れてみたい、宇宙の真理というものに近づきたい」なんて思うのです。(中二病か!? ^^)

それは今の私よりはるかにスピリチュアルな環境に身を置いている(勉強中の)家内も同じで、アリゾナの聖地セドナを訪れて有名なパワースポットを見学したいと激しく希望しています。


じつは家内はきれいな紫のオーラが出ているそうで、著名なヒーラーさんが初対面で彼女をヒーラーと間違えたとか。(私は水色が強いそうです)

セドナ行きはその信頼できるヒーラーさんからも勧められているそうで、私も一度行ってみたいと思ていたのですが、実現すれば大いに妻孝行にもなるでしょう!






ほんの1年ほどで、我が家は思ってもいなかった方向に進み始めたように思います。

家内とカウンセラーさんの出遭いから始まり、何人かを介して素晴らしいヒーラーさんに辿り着き、まず家内が良い方向に変わって来たようです。

私自身も、家内への「ご主人は首から頭にかけて問題を抱えていらっしゃいます。すぐに鍼治療を勧めてください」というアドバイスが奏功し、名鍼灸師と出逢って頚椎症もだいぶ良くなりました。

「引き寄せの法則」というものを知り、毎日が今まで以上に楽しく思えるようになったと感じます。

多くのことに対し、考え方がポジティヴに変わったのではと思えます。






すべてを迎え入れ、すべてを解き放つことで、人生がより充実したものになるといいます。

右脳で感じる直観を、左脳に邪魔されずに素直に聞き入れるとよいとも。

そして感じたとおりにまずは行動する必要があるそうです。

パワースポットを訪れたいという思いも、そんな直観からくるものかもしれませんね。


開運や成功といった少々功利的なイメ ージが思い浮かびがちなパワースポットですが、それだけが目的では何かあさましく思えないこともありません。

わが家のパワースポット巡りには、チャネリングなどで意識レベルを高めることができるようになるという目的もあります。

それでも円明院などは宝くじを枕元に置いて講和を聴いていたら1等が当たったなんて話をよく聞くので、いつかそうしたご利益に与ることが出来るかもしれませんね!


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April 10, 2016

太極拳と年齢


年が変わり、自身の還暦という人生の節目を迎え、やっとのことで重い腰を上げるかのように、自らの健康に対する意識を改めることができました。

悪しき習慣と甘えが長いことそれを許さなかったのですが、メタボ判定で黒となってさすがに慌てたのでしょう(笑)、いよいよヤバイことになりそうだという危機感と、家内が真剣に心配していろいろと働きかけてくれたことなどが、更生するチャンスを与えてくれたといえます。

この2月からの軽い糖質制限と軽いワークアウトで、順調に減量&体質改善計画が進んでいると言っていいでしょうが、ここへ来て悪しき習慣から良き習慣にシフトしてきたのは先日お話ししたとおりです。

億劫だった「歩くこと」が楽しみに変わり、今の時期だからかもしれませんが早朝などは爽快感すら堪能しています。

数年ぶりにサイクリングや室内自転車漕ぎも再開し、30年ぶり?のオートテニスにも何度かトライしています。





そんななか、まだ目処がたっていなかったのが、私がライフワークだと思っていた太極拳。

指導員の資格を取り、脱サラしてスポーツクラブや企業、公民館などで生徒さんに教えていたほどの太極拳をしなくなって、数年の月日が経ちます。

万一型を忘れるようなことがあってはとたまに思い出したように一通り動いてみることはあっても、意念に導かれるように身体が動いた過去の次元とは雲泥の差。

使わなければあっという間に衰えるインナーマッスルの例に漏れず、私の太極拳はナマった身体同様、惨憺たる状況にあったのです。

「本当にスポーツクラブで教えていたんだったっけ?(笑)」

側で見ていた家内のキツイひと言が、グサリと心臓を一刺し!

ってわけでもありませんが(笑)、じつは今、また太極拳を無性にしたいという思いが日々強くなりつつあります。






元々あの神秘的な舞に憧れて始めたものの、武術として究めることは当の昔にあきらめ、インストラクターとして一流を目指すこともなくなり、医療や美容の側面からのアプローチだけは続けて行きたいと思っていました。

健康のためにもずっと続けて行きたいと。

ですが、それは頭で考えている太極拳。

じつは、やってみて初めて気づくことの多い太極拳は、やはり理論ではなく実践こそが重要。

まさしくやってナンボの世界(体術、運動、体操、踊り、どう呼んでもいいのですが)なんです。

そしてその感じ方は、自分の歳とともに変わるもの。

還暦になったからこそ、いまの歳で向き合う、感じたい太極拳というものがあるわけで、それは10年前のモノとは違います。

そして今演武して感じることは、今後伸筋やインナーマッスルが改善された3ヶ月後に感じることとも違うはず。

それこそやってみないことにはわかりませんが、演武を繰り返すうちに少しずつ輪郭がハッキリしてくるのではと思えます。


とにかく今は、能書きは一切忘れ、意識は呼吸に合わせるだけで頭の中を空っぽにして、螺旋がほぐれていくようにゆっくりと体幹から動きたいのです。

そこには流派も型式(大架か小架か)も関係ありません。

まぁ、楊家伝統99勢なんて長い套路はもう覚えていないので、どのみち24式しかできませんが!





健康のために太極拳を舞う、というより、普段とは違う意識の世界に入り込んで、何かスピリチュアルのようなものを感じ取りたい、なんて気持ちが強い今日この頃。

一時期一緒に太極拳を練習させてもらっていた帯津良一先生が、太極拳をして「時空の世界」と称しています。

太極拳の練習は、自身の場(のエネルギー)を高めるものだと。

それは人生のリハーサルにも通じるところがあり、だからこそ太極拳に完成はないと言います。


そんな帯津先生は優れた医師であり物書きであり哲学者としても尊敬していますが、修行者、実践者ではありません。

太極拳をやり倒して真理に到達するのではなく、太極拳を研究して摂理にアプローチされているのです。

最近出された太極拳の本を拝見し、帯津先生らしい哲学的太極拳感にさらに磨きがかかったように思えました。

頭脳明晰な帯津先生はそうした使命の下に太極拳を語られているので、私のような者が何を言う筋でもありませんが、でもどこか違和感を感じてしまうのは、自分の中でやはり太極拳は実践するもの、感じるものであって、頭で解釈するものではないように思えるからです。


で、この記事のタイトル「太極拳と年齢」とは、私が太極拳と向き合う意味合いが、20代の時、30代、40代、50〜60代でずいぶん違うということが言いたかったのです。

それは違って当たり前だと。

帯津先生のような思考の枠組みを持たない私には、頭ではなく身体で感じることが必要で、そのためには実践あるのみということ。

何も考えずに何度も何度も同じ型を舞い、ハッと気づく瞬間が訪れるときを待つのです。

否、それは待つべきものでもなく、ただ無心に技を練ればよい。

太極拳に対しそんなふうに感じるようになったのは、もちろん指導員として太極拳を教えなくなったこともありますが、きっと還暦という歳のせいでもあるでしょう。



登山家が山に登るように、頂の見えない先に向かってただ太極拳を舞う。

それでよいのかもしれません。


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January 16, 2010

騙されやすい?日本人 (その2)


では、いったい何故無意味な早期健診やサプリメントなどが蔓延するのでしょう。

それは、提供する側が、無知なのか、あるいは商品を売るがために(悪魔に)魂まで売り渡してしまうから。

牛乳やヨーグルトといった乳製品が、(少なくとも日本人の)からだには害毒のほうがはるかに多いことを、生産者や販売者、そして行政は、絶対に認めません。

そして国民の健康を考えてその事実を広く世に説く医師に対して、大メーカーは脅迫・恫喝といった手段も交えて弾圧するのです。

自分の私利私欲のために、大変危険な非加熱血液製剤を平気で認可したり(これはもう殺人ですね)、製薬会社とつるんで効きもしない抗がん剤を投与し、問題のあるインフルエンザワクチンを国民に接種させるのが、この国の役人です。

欧米ではとっくの昔に禁止された薬剤を、平気で流通させるのがこの国の行政です。

医師も無意味な健診や治療を続け、その多くは国民が税金として負担しているのです。

転移した胃がんや末期の肺がんに抗がん剤が効かない(完治しないという意味)のは周知の事実なのに、医師たち(主に内科医)は治験のように処方し、生存期間が3ヶ月延びたといって効果を報告し、患者はその間(抗がん剤に)苦しみ続けて死んでいくことも少なくないようです。

抗がん剤の処方を、治癒の期待できるケースだけに限れば、日本だけでも何万人かの腫瘍学者や医師、医療従事者、製薬会社研究員が路頭に迷うといいます。

そうならないようにガードしているのが、厚生労働省だといえなくもありませんが(製薬会社との癒着は有名ですよね!)、本来逆の指導、つまり明らかに効かないガンに抗がん剤を使わせないように行政指導していかなくてはならないのに、審議会や研究会の重鎮が皆さん西洋医学界の代表であったりするので、政治と同様、自浄作用が期待できないと聞きます。

ですが、患者が、もっといえば国民が抗がん剤の開発・販売に係わる人たちを食わせる義理はないのです。



私は、万一がんになっても人体実験だけは断じてされたくありません。

一時的に数ヶ月延命できたとしても、結局助からないのであれば、しかも抗がん剤の投与量に比例して末期の苦しみが大きいと聞けば、そんな侵襲的な治療は拒否します。

また、治癒の見込みがなくなった際のQOLを維持するために必要な手術なら考えますか、がん治療のための積極的な手術は、自然治癒力(免疫システム)の低下を少しでも免れるために原則として受けないと思います。




商業主義のテレビCMは、真実を語りません。
テレビで勧めていたからと、盲目的に信じて購入するのは、そろそろやめようじゃありませんか。

国の言うことも、しっかり検証してから納得する必要があります。

余った小麦をアメリカに押し付けられ、優秀な米食を廃らせて問題のあるパン食を勧めたのは、他ならぬ政府です。

朝食の害、肉食の害、精製された米や砂糖の害、塩分控えるの害等、従来の常識が180度間違っているとしたら...?


これらはまだ見解の違いですが、健康産業の通販等での謳い文句などは、多いに疑う必要があります。
体験者のアンケートなど、自分でどうにでも書けるからです。

ましてや、住所も明かさずに個人(のような組織)で「今申し込めば、あなただけにガンの治し方を教えます」式の売り込みについては、100%信用しません。
病気などの人の弱みに付け込む商法には、怒りを禁じえません。

そうしたインチキの数々をイヤというほど見てきましたが、どうしてこんなペテンに引っかかる人がいるのか信じられません。
日本人にはそんなにお人好しが多いのでしょうか...




では、何を信じたらよいのか?

私は、ちゃんと臨床で成果を上げている先生で、本は書いてもテレビに出ない、金儲けに染まっていない、自然治癒力で病気の元を正そうと助言してくれる先生を信頼します。

それは、故甲田光雄先生を筆頭に、故三石巌先生や新谷弘美先生、小山内博先生などです。
(安保徹先生や石原結實先生、帯津良一先生もたまに参考にしていますが)

もちろん、先生方もいつも正しいとは限らないので、信者になったりすべてを納得し賛同する必要はありません。
変だなと思ったら、とことん調べればよいのです。

私は、基本的に上記の先生方にアンドルー・ワイル先生を加え、最大公約数を判断材料のひとつにしています。


私たちは素人ですが、だから勉強しなくてもいい、医者に任せればいい、とは思いません。

自分で判断するからには、責任も負わなくてはなりません。

でも、自分で調べて、他の先生方の意見も参考にして、最善だと思える選択をしたのであれば、たとえ結果が期待に反したとしても納得できるというものです。

助からない(であろう)手術で内臓を2kgも取られ、苦しみながら亡くなった有名アナウンサーの奥さんは、ご主人の選んだ(選ばされた?)選択肢を後悔されていると聞いたことがあります。

患者のためではなく、自分のために他人を手術する医者もいるということを、残念ながら認識しなくてはならないようです。


自分のからだや命は、自分以外の誰のものでもありません。
素人であっても、できるだけ調べて、納得のいく道を選びたいと思います。

少なくても、騙されるのだけはゴメンですね!


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December 16, 2009

騙されやすい?日本人 (その1)


私は、なるべく薬は飲まないようにしています。

頭痛や腹痛は滅多におきないこともあって、頭痛薬や胃薬はほとんど飲みません。

また、サプリメントも今は利用しません。

それは、合成剤にはすべて副作用が伴うことを知っているし、しかもDHA/EPAやカテキン、ベータカロテンなどには重大な副作用が報告されているからです。

インフルエンザワクチンは20年以上接種したことがなく(新型インフルによる死亡者数をワクチン接種後死亡者数が越えたとか!)、それでも幸い罹患しないですんでいます。

昔は、総合ビタミン剤を飲んでいたこともありましたが、それでも特定のビタミンではなく、身体の中では何が欠乏しているかわからないので、できるだけ多くの種類を摂ろうと思ってマルチビタミンを飲んでいました。


じつは、主にX線による被爆を避けるため、勤務先の健康診断も5年以上受診したことがないんです。

画像診断等で早期がんが発見されても、フェータルなものはどのみち助からず、助かるがんは放っておいても助かるので(放っておいて悪性転化する可能性もなくはないようですが)、万一がんが発見されて毎日がん(があること)に悩まされ、日常生活を心から楽しめなくなることに理不尽さを感じていました。

ま、必要だと思えば血液検査や尿検査などはしていますが、それでも健診を受けない以上は会社の就業規則違反になりますね!



でも、海外では、肺がんや胃がんの早期健診は無意味としており、むしろ検査時の被爆による弊害が心配され、とっくに廃止された国も少なくありません。

日本でも、健診を止めた村や自治体がありますが、住民の寿命は縮むどころかむしろ伸びたという皮肉な結果を示しています。

「免疫革命」の安保徹先生は、微細ガンは放っておけばリンパ球が始末してくれるのに、ヘタに見つけてつついて却ってガンを活性(悪性)化させてしまったら、悔やむに悔やみきれないといいます。



では、いったい何故無意味な早期健診や害のあるサプリメントなどが蔓延するのでしょう。

(つづく)



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January 03, 2007

優先順位を考える


年末年始の楽しみの一つが、テレビの正月特番。

といっても歳のせいか食傷気味のせいか、歌やお笑いというよりNHKやBSの科学情報番組が面白い!

NHK衛星第1による「未来への提言」(再放送)では、科学者や作家など数人のキーパーソンを取材し、未来に向けて私たちがどう取り組んでいくべきか、興味深く紹介していました。


そんな中でとくに関心を惹いたのが、環境問題などを語っていた作家のマイケル・クライトン氏(Michael Crichton)。

ハーバード大学で医者を目指していたものの、アルバイトで始めた小説を書いているうちに作家の道を選ぶことになった氏の著書には、「ジュラシックパーク」「ディスクロージャー」「ER(緊急救命室)」などのベストセラーが目白押しで、私のいま一番好きな作家です。

ちなみに作家のイメージとはかけ離れた、身長2メートルの大男です!


そのクライトン氏は、膨大な数の文献を基に書き上げた2004年発表の「恐怖の存在」という小説で、人類の経済活動による二酸化炭素の排出が地球温暖化に及ぼす影響について疑問を投げかけています。

確かに地球の平均気温は上昇しているものの、その原因がすべて経済活動などの人為的なものによるのか否かは現時点ではよくわかっていないといい、原因が明らかでないものに莫大な資金を投下するより、現時点で世界が抱えていて(資金により)確実に解決に向かう問題、たとえばアフリカ諸国の食糧難、途上国の医師・薬剤不足や公衆衛生環境不備による多数の死者を救うために有益に投資すべきではないかと。


で、じつはこれ、私たちの「体と栄養」の関係に似ているように思えてなりません。

ある栄養素が体にどのような影響を及ぼすかよくわかっていない状態で、「○○は××に良い」と決めて集中的な摂取を試みることに、順番が逆なのでは?優先順位を考えなくては?と思う次第です。

個々の栄養に拘る前に、たとえば規則正しい食事を心がけるとか、食べる量を適正に戻す、運動などでしっかり身体を使う、充分な睡眠時間を確保する、といった日常生活に時間と意識を使うべきではと考えます。

人体の仕組みは、地球環境科学以上に複雑で未知の領域が多いように思え、そうした意味ではこれからの遺伝子治療などにも充分注意して取り組む必要があるようです。


そんなことをクライトン氏へのインタビューで感じたのですが、氏が「恐怖の存在」を著したらブッシュ大統領に招待されて議会で発言を求められた、なんて話を聞いて、経済・資源開発優先の政策に利用されなければいいけど、なんて思ってしまったのは私だけでしょうかね?^^


ともあれ、今年もよろしくお願いします!

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December 27, 2006

天国からの手紙


スピリチュアル・カウンセラーである江原啓之氏の番組、「天国からの手紙」。

江原氏は、今は亡き人の霊と交信し、その思いを残された家族に伝えていきます。
亡き人は何を思い、残された家族に何を伝えたいのか...
江原氏が亡き人に代わって、魂の世界を通して家族に語ります。


6回目の昨晩のテーマは、「想像力」でした。

(家族の)相手をどう思うかという「想像力」を持つことの大切さをわかり、番組を観て自分には関係がないと思うのではなく、これは我が事として受け取るべきだといいます。

飲酒運転による事故や、子どもの犯罪など、まったく自分とは関係ないと思うのではなく、想像力を働かせて身の周りにも起こりうることだと考える必要があるとか。


そして、「光」をメッセージとして送りたいと江原さんはいいます。

今、社会を見渡して一番足りないと思うのが「光」だそうで、来年は光に溢れた年になることを願っているといいます。


例によって注文どおりウルウルの2時間でしたが、番組を泣こうと決めて観るのではなく、自らの心から溢れ出てくるものが涙であると江原さんは語ります。


周りに対する感謝の気持ちを、愛情を、そして家族の絆の大切さを、温かいオーラで包みながら伝えてくれる江原氏の言葉に、毎回、見失いかけている大切な心を見つめ直さずにはいられません。

お涙頂戴番組には違いありませんが、そんなふうに気安く呼べないような、勇気と慈愛を与えてくれる番組だと思います。


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December 21, 2006

集落が消える!


限界集落」という言葉があります。

過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことです。


限界集落は20年ほど前から、東北地方や山陰地方、四国地方などの山間地や内陸部、離島を中心に全国各地で、過疎化・高齢化の進行とともに急速に増えてきています。

その数は今では全国で2000箇所を超えるとか。

こうした奥地の村落では、人口が一桁のところもあり、ほとんどが一人暮らしのお年寄りで、中には2人しかいない集落もあるそうです。


このような状態となった集落では、森や畑の手入れはもちろんのこと、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうといわれています。

高齢で手入れの出来なくなった畑は、自分ひとりが食べるだけの野菜を細々と作るのが精一杯で、現金収入はなくなり、「集落の産業は年金」なんていう笑えないジョークも聞かれます。


では住民はなぜそこで生活を続けているのかといえば、他では生活できないから。

住むところがない、(自分の子どもなど)若い人と一緒には暮らせない、街の生活はお金がかかる、故郷が好き、といった理由で、集落を出てもまた戻って来てしまうお年寄りが多いとか。

それでも健康でさえいれば、最低限の生活は何とか続けることはできそうですが、病気で寝たきりになってしまったら?災害で道路が寸断してしまったら?と考えると、そら恐ろしさを感じます。

そして弱者を守る社会制度、福祉制度といった行政のレベル(経済的以外にも)を考えると、日本はすでに豊かな国ではなくなってしまったように思えます。


市町村の合併で切り捨てられた過疎集落。

15年ほどで消失するといわれています。

少子化対策といいながら、効果的な術を施さなかった政府。

メチャクチャな行政で血税を無駄遣いし、財政破綻が一気に過疎を生み、町を崩壊させつつあるケースも少なくないようです。

何とかならないものでしょうか...


せめて健康だけは何とか維持・改善し、少しでも人間らしい暮らしを続けられたらと思います。

明日はわが身なのですから...

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October 13, 2006

キビタキ船長のはなし

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昨日は、ルリビタキの話で思わず昔の趣味の懐かしい思いに耽ってしまいました。

で、連日の趣旨ずれで恐縮ですが、今日はもう一枚の会心作、キビタキの写真をご紹介します。

数年前の5月に奥日光戦場ヶ原で撮影したものですが、森の中でオレンジとイエローが一際映えるこの夏鳥は、とくに女性に大人気のイケメン君!



そんなキビタキは渡り鳥で、しかも夜間飛行が得意。

それは、キビタキ船長の心温まる話を思い出させます。


時は昭和29年の秋、北海道で繁殖したキビタキの群れが、津軽海峡を南の島に向けて必死に渡っているときのこと。

熱帯低気圧が来ている夜にイカ釣りに出た田畑船長の漁船は、海が荒れだしたのであわてて母港に向けて折り返しました。

全速で走っていると、いつもよく聞く渡り鳥の声を耳にした田畑船長は、数千羽のキビタキたちが、あるものは船にとまり、あるものは波の上を飛んでいるのを目にしました。

すると船長は、電灯をつけると船のスピードが落ちて危険なのに、海上を飛んでいるキビタキたちを助けるために船中の漁り火を点したのです。

そうしてたくさんのキビタキを乗せたイカ釣り漁船が荒波に翻弄されながら下北半島がみえるところまで来ると、キビタキたちは一斉に飛び立っていったとか。

そして田畑船長は、最後の一羽が飛び立つまで見送ったそうです。

同じ頃、千人あまりの乗客を乗せた青函連絡船洞爺丸が、津軽海峡の底に消えました。

(出典:「寄鳥見鳥」岩本久則著)


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October 11, 2006

幸せの青い鳥って?

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通学のお客さんに、遠路伊豆から通ってこられるHさんがいらっしゃいます。

同世代の女性で、「食」の考え方などに相通ずるものがありますが、今日はバードウォッチングの話で盛り上がりました!


3年前までは私もカメラと望遠レンズを担いで野鳥を追ったものですが、自分の撮った写真でベストの1枚が写真のルリビタキ

名前の通り淡い瑠璃色が大変美しい、瑠璃三鳥の一つです。

Hさんもお気に入りの鳥だとか。


で、この固体もキレイはキレイなんですが、じつは彼はすっごいスレッカラシ!

この枝が彼のお気に入りで、ギャラリーが集まってくるとお出まししてポーズをとります!(笑)

羽を広げてメスに求愛するオスのディスプレイは有名ですが、カメラマンにポーズをとるとは、「モデルかい、おまえさん!」ってかんじですね!


さて、瑠璃三鳥にはこのルリビタキの他に、オオルリコルリがいます。

深い青の大変美しいオオルリは日本三鳴鳥の一つでもあり、ビジュアル系と併せて2冠を誇ります!

渓谷を歩いていると、ピーリリィ、ポピーリポピーリ、チリリッなんて美声がこだましてハッとしますが、残念ながらカメラに収めたことはありません...



ところで、オオルリといえばメーテルリンクの「青い鳥」を連想します。

幼い兄妹が、幸せを呼ぶという青い鳥を探して世界を旅するも結局見つからず、ある朝起きたら自分の家で飼っていたハトが青い鳥に変わっていた、なんてストーリーだったような...

原作では家にいた青い鳥も逃げてどこかへ行ってしまうようですが、結局、できあいの幸せ(青い鳥)なんてこの世にはないし、幸せは探して手に入るものではない、といった話です。


私たちは、富や名声など一つの幸せをつかむと、すぐに次のもっと大きな幸せを求めてしまう欲深き生き物。

そんな青い鳥を必死に探して、探し疲れたところで人生の幕を引く。

そんな「希望を持ち続ける」という人生も悪くはないと思うけど、でもホントの幸せは、あるいは自分の心の中にあるのかもしれませんね!^^


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October 09, 2006

ボランティアと無功徳

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今日は暑かったですねぇ〜(ってそんな陽気でもないか!)

祭日で特別レッスンが一つ入っていたので、ご覧(写真)のような真夏のカッコで出勤。

スタッフに写メールで記念写真(何の?)を撮ってもらいました!


このお店、新しくてスタッフの皆さんもとても感じがいいんです。

とりわけスタジオ担当のHさんは、いつもニコニコ満面の笑顔で元気溌剌!

店舗を超えたイントラ仲間の間でも人気者です。


契約イントラであっても、やはり職場(実際はスタジオですが)が明るく活気があると、仕事に行くのが楽しくなりますね!



さて、今日は3ヶ月ぶりに以前の職場で一緒だったK君と食事。

先日、連休を利用して3日間、震災・洪水のあった新潟県の某村までボランティアに行ってきたとか。

K君は以前も紹介しましたが、昔、親身になって聾唖の社員たちの面倒を見ていたこともあるとても温かい男です。

実家の母などK君の大ファンで、「あんたとはデキがちがうねぇ」なんてのたまいます。^^



ボランティアはハンパな気持ちでは務まりません。

実際、ちょっとでも見返りを期待した時点で、それはボランティアではなくなります。

あるタレントの若い女性が、そんな「無功徳」という言葉が大好きだと言っていましたが、誰も見ていない、誰にも褒められないところで徳を積むというのは、損得で生きる人間には難しいこと。

K君は、主催したNPO法人のボランティア団体の女性代表(著名人です!)の話を聞き、大いに触発されてといっていましたが、参加者の中には2回目、3回目の人も少なくなく、まさに奉仕の歓びを得るために、交通費や滞在中の光熱費まで自費負担して参加しているそうな。

(今回の活動は期間中ずっとNHKが取材していて、11月中旬に紹介されるそうです。)


欧米では一般的なボランティア活動は、なぜか日本を含めたアジアではあまり普及していないようですが、やはり宗教なども影響しているのかもしれません。

右の頬を打たれたら、倍にして返す、という心構えではまったく話になりませんが、それでも見返りを期待しないで精力的に参加している若い人も多いそうで、深夜の渋谷でたむろする若者とは顔付きからして違うとK君も言っていました。

この国の政(まつりごと)は、できればそうした志の人々に託したいものですね!

かくいう私は、やはりK君の爪の垢でも煎じて飲まなくては!^^

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October 04, 2006

遅すぎることはない!


昨日はアンチエイジング(というか“若作り”!)の話をしました。

エイジング(加齢)に伴う影響でケアしなくてはならないのは、見た目の若さよりも、(内面の)体力と免疫力の低下です。


加齢とともにみられる体力低下は、運動不足によって加速していきます。

ちょっと無理すると息が上がる、一晩寝てもなかなか疲れがとれない、といったことは、歳をとればだれもが感じると思いますが、老化のペースはひとそれぞれ。
40歳で感じる人もいれば、還暦を過ぎてようやく実感する人もいます。

その差は何かといえば、やはり生活習慣、運動習慣によるところが大きいでしょう。


人間は、というか生き物は死亡率100%の宿命を負って生まれてきます。
不老不死はありえず、誰もがいつか必ず死にます。

老化も必然なので、その必然性に抗うという考えは、自然なものとはいえないのではないでしょうか。

逆らうのではなく、従いながらも、積極的に楽しめる方法を志向する生き方が、プロ・エイジングだと思えます。

やっていることは同じでも、考え方の違いです。

コップに残った半分の水を、「もう半分しか残っていない」と考えるか、「まだ半分もある」と考えるかで、人生の楽しさも変わってくるのではないかと思います。



先日、60歳でリタイアした恩師の話しをした際に、不用意に「老後を楽しんでいらっしゃる」といいましたが、訂正しなくてはなりません!

毎日を積極的に楽しんでいらっしゃる「第2の人生」が、そもそも「老後」なんていう枯れたイメージとは結びつきません。

94歳で現役の日野原重明先生の今の暮らしが、年齢だけで「老後」とはいえないように、目的を持って積極的に生きている人の暮らしを「老後」と呼ぶのも抵抗があります。


高齢になってからの、または引退後の人生を、老後ではなく第2の人生として楽しむには、やはり健康と体力が必要です。(多少は経済的な余裕も!)

昨日は「男の顔は履歴書」だといいましたが、60歳以降になってからの健康・体力の度合いも、その人がどんなふうに暮らしてきたかを示す履歴書だといえるのではないでしょうか...


日野原先生は、健康を求めるのに「遅すぎることはない」といいます。

私は40代で胆嚢を失いましたが、その時点で健康の大切さを実感し、食事や運動など健康を意識した生活に改めました。(完璧とはほど遠いものですが)

30代で気づけばもっとよかったのでしょうが、それでも50代まで不健康な生活を続けていなくてよかったと思います。

何歳であっても、気づいた時点で生活を見直し健身に努めればよいということです。


体に良いことを始めるのに、遅すぎることはありません。


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October 01, 2006

60歳からが本当の人生?!


先週、昔お世話になった人と十数年ぶりに杯を交わしました。

英語でいう”Mentor”という言葉がピッタリの、私の人生の師であり、目標でもあった方です。

もう70歳で現役は退いていますが、相変わらずお元気で闊達なお姿を拝見して、とても嬉しくなりました!


私が大酒を飲んでいた頃のご縁なので、当時を知る恩師は「飲まなくなったなぁ」と驚かれた様子。

最初は遠慮がちに「鈴木さん」と呼んでいたのが、いつの間にか「○ちゃん」(私の名前)に変わり、昔のようにすっかり打ち解けるのに時間はかかりませんでした。


定年退職して第2の人生を迎えて10年になるそうですが、今が本当の人生、毎日がとても楽しいとおっしゃいます。

現役時代はバリバリ精力的に働き、リタイア後は徹底して趣味を満喫する生き方。

無理をせず等身大、自然体で生きて来られた恩師には、引退後も優しさと余裕から生まれる風格を感じます。

「○ちゃん、60歳を過ぎると時間は全部自分のものになるんだよ。
あ、自分と女房のもの、だったな(笑)
だから、60歳からが本当の人生のように思えるんだよね。
セミの一生に例えたらちょっと寂しいかもしれないけど、60年間しっかり栄養をつけて、いまは好きなところを飛び回って甘い汁を吸いまくっている感じだよ(笑)」

聞けば家事は奥さんと分担し、週に一度は外食デート。
月に一度は一緒に旅行し、テニスもご夫婦で楽しんでいるとか。

お子さんも独立した今、夫婦で老後を楽しく暮らしているのが手に取るようにわかり、とても羨ましく思えます。

あんなふうに歳をとりたいとつくづく実感しましたが、やはり今でも私の目標に変わりありません!


「○ちゃんも早く再婚しなくちゃダメだよ」

最後に実の親のようなキツいひと言をいただきました!(笑)


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September 23, 2006

家族愛って...


昨夜のテレビ番組の「輝く命2 衝撃の運命と家族愛」。

番組の中で、弟がALSという難病に罹ってしまったアメリカ人のとても献身的な行動に、胸を打たれました。


ALS(筋萎縮性側索硬化症)は原因も治療法もわからない、筋肉が破壊されていく進行性の難病で、発症後の余命は3〜5年ほど。

当時エンジニアだった兄のスティーブンさんは、勤めていたエンジニアの職を辞し、なんと自分で弟の病気の治療法を見つけようと生物学を1から学び始めたのです!

そして遺伝子治療に手がかりをみつけ、専門家と一緒に必死になって研究に没頭しました。

そうしている間にも弟の病気はどんどん進み、徐々に時間がなくなっていきます。

「ボクを実験台にして、ALSの人々を救って欲しい」

「おまえを死なせたりしないよ」

そして最後に危険な幹細胞治療に希望を託し、脊髄と後頭部に約2千万個の幹細胞を注入したのです...


今は電動車椅子での生活をよぎなくされている弟ですが、余命を宣言されてから7年が経ち、結婚して可愛い子どもも生まれました。

とはいえ病気の進行を完全に止めることは出来ず、人工呼吸器に頼り、いま動かせるのは瞼だけだとか。

それでも、コンピュータを使って建築の仕事を続け、愛しい我が子が膝の上にいるから、石のように硬くなった体でも、弟は絶えず優しい顔をしているそうです。

一方のスティーブンさんは、今でも30人以上のスタッフと一緒にALSの治療法に取り組み、将来いよいよとなった際には弟の脳にコンピュータチップを埋め込もうと研究を続けています。

「いつか必ず治療法がわかるはず。必ず彼を助けるんだ!」と、兄は希望を捨てずに頑張ります。



翻って、自分は父の病気のために何をしてこれたのか...

本を何冊も読み、有名なドクターに相談したりして、免疫力をアップさせるといったアドバイスはしてきたものの、所詮は「あとはがんばって!」と彼任せ。


「(弟に)ボクが頑張っているから死ねないだろう? 笑」

「絶対に死なせたりはしないよ!」

ここまでできるスティーブンさんの家族愛って何だろう、と考えずにはいられません。


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September 15, 2006

日本人は本当に平均寿命が長いの?


日本人の平均寿命は、2005年現在で 男性は78.6歳で世界第2位、女性は85.6歳で世界ナンバーワン!

この長寿の主な原因は、子どもの数が減って栄養失調や感染症などで亡くなる乳幼児の数が激減したことや、経済的な豊かさによる栄養改善や公衆衛生の進歩によるものであるといい、また体によいという和食も一役買っているかもしれません。


しかし、世界には100歳を過ぎてもなお健康で長寿を楽しんでいるお年寄りも多く、またアメリカでも中産階級以上の国民の平均で見ると、日本人より長生きではないかとも指摘されています。


経済的にも豊かで医療の進歩した先進国では、総じて人は長生きします。

その中で日本人の平均寿命がきわめて高いというのは、ひとつに難民や移民をあまり受け入れてないからではないかといえます。


日本以上に医学水準の高い米国での平均寿命が低いのは、やはり多くの移民を受け入れているから。

病気になっても治療を受けられない、あるいは病気になるような生活を余儀なくされている環境。

毎日きつい労働で疲れ、ファストフーズに頼り、フィットネスに勤しむような意識も時間もおカネもないといった移民や貧困層の多くが、アメリカ人の肥満や生活習慣病の比率を押し上げているといわれています。


逆に言うと、移民は実質的に受け入れず、国民はみな高等教育を受け文盲率は世界最低、気候も温暖で餓死などは考えられず、そして産まれて来る子どもの数(出生率)は世界最低という日本人は、平均寿命が長くて当然ともいえそうです。

そして今の日本の長寿を支えているのは、戦前生まれの元気なお年寄りたち。

明治・大正生まれの、よく体を使い質素な食事で育ったお年寄りたちが、糖尿病や脳梗塞などで病床に伏せている戦後生まれの我が子の面倒をみているといった現象も起きているとか。

ある学者たちは、日本人の平均年齢は今がピークで、今後は徐々に寿命が低下していくと予想します。


ですが私は、日本では、経済格差と同様、健康格差も広がっていくのではと思えてなりません。

それは、(最先端治療が受けられる)金持ちが長生きするという経済的なものではなく、長寿や病気の予防を意識した生活(食事・運動・睡眠・休息)を送ることができる人が長生きし、常にグルメを好きなだけ楽しみ自己管理をせずに薬や西洋医学に頼ろうと考える人々は、習慣病の罹患率や死亡率が高くなるのではと思えます。

前者の寿命は伸び続け、後者は短命化するという二極分化が起きるのでは...


アメリカでは今、空前の和食ブームだそうですが、そのことが先進国で唯一、がん死の低下に結びついている、とう結果をもたらしていると考えられるそうです。

私たち日本人も、高度医療の下に胡坐をかき、今の見かけの平均寿命に安堵するのではなく、積極的に自己健康管理(定期健診のことではありません!)を進めていくべきではないでしょうか。

寝たきりになってから後悔しても遅いのです。

そして、健康でなければおカネだけで幸せな老後を買うことはできません。

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September 03, 2006

人生の試練?


なんとも大上段に構えた今日のテーマですが、私のような凡人には、ある意味で人生は「欲望との闘い」に思えたりすることも!


金持ちになりたい、偉くなりたい、美しくなりたい、健康になりたい...

人には、食欲や性欲、物欲、金銭欲、出世欲など、本能が欲する欲望がいくつも内在しています。

このうち食欲や性欲は自律神経の支配下にあり、他のいわゆる俗っぽい欲望とはちょっと違いますが、いずれにしても私たちはこうした欲望を意識的無意識的にコントロールしつつ、毎日を過ごしているのです。

性欲や金銭欲、出世欲が異常に高まり抑えられなくなると、人は犯罪に走ることになります。

普通はそうなる前に自制心が働くものですが、では「食欲」についてはどうでしょうか?

犯罪者にはならないものの、食欲が抑えられなければ肥満になるでしょう。

食欲は生きるための本能ですが、野性動物はけっして食べ過ぎることはありません。
(野良猫などには肥満猫も増えてきたそうですが...)
人類が「食べることを楽しむ」というグルメの道を選択したことが、自ら試練を課すことになったともいえそうですが、「食べることが生きること」という遺伝子を引き継いでいる以上、食欲という本能に抗うのは容易なことではないでしょう。

また、過食は犯罪ではないので、食欲に自制心は働きにくいのかもしれません。

好きなだけ食べられるような環境ではなかった飢餓時代には、食べ過ぎて肥満になるなんてことはありませんでしたが、飽食の時代では、いかに食欲を抑えるかが健康長寿の秘訣であるともいえそうです。

適切にコントロールできる人にはご褒美として健康長寿がプレゼントされ、欲望にまかせてしまえば生活習慣病のリスクが跳ね上がり、みじめな老後を送ることになりかねません。

これらはいってみれば、自己責任、信賞必罰。
そういう意味では、まさに「試練」です。

酷なようですが、暴飲暴食の生活習慣を改めようと努力せずに、やれダイエットだ、糖尿病だ、高血圧だと騒いでいる方は、人生の試練から逃避しているといえるのではないでしょうか。

偉そうにいう自分自身、今でも甘いものの誘惑に負けることも多く、「運動しているからいいか」とつい言い訳してしまうことも!


食欲は生きるための本能、食べるのが好き、目が欲しがる、親が太っているから、仕事が忙しくて食事時間が不規則、子どもの食べ残しが〜、etc...

いろいろな言い訳が考えられますが、「食べ過ぎ」は誰のせいでもない、自分自身の意識と努力が足りないからではないでしょうか。

実際、日野原重明先生、甲田光雄先生、石原結實先生、新谷弘美先生など、食養生を自ら実践されている先生方の多くは、「1日1食」や、「腹8分目」を見事に続けていらっしゃいます。

ダイエットや健康長寿を願うのであれば、食事の量をコントロールするのは「自分の義務」であることを、私たちは忘れてはなりません。


とはいえ、神が与えた試練に堪え抜いた者だけが健康長寿を約束されるとしたら、神様もずいぶん苛酷な試練を課したものです。(笑)


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August 19, 2006

癒しの場

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写真は、都内の埼玉県境を流れる「柳瀬川」。
自宅からほんの数キロの近さの、私の大好きなポタリング・スポットです。
(ポタリングとは自転車での散歩のこと。)

ここはとても気持ちの良いせせらぎで、観光地ではないものの、夏は水遊びを楽しむ地元の家族連れで賑わいます。(写真ではわかりづらいですが...)


さて、サイクリング用の愛車(KES号)のスポークがまた破損して乗れないため、昨日は小径折畳みバイクのBD−1(写真)で所沢航空公園までポタリング。
私も帰りにこの水場に立ち寄り、両足を水に入れて涼んできました!


じつはこのスポット、私の感性にとても合っているように思えます。
とくに真夏の夕方、4時頃がとても気持ちよく感じ、なぜか午前中は訪れたいとは思いません...



人には、意識の有無にかかわらず、その人に合ったいわゆる「癒しの場」というものがあるそうです。

帯津良一先生の癒しの場は、モンゴルのホロンバイル大草原だそうで、2年に1度訪れて、よい気をいっぱい充填してくるのだとか。
(ちなみに帯津先生がここでもらった元気は、2年ほどもつそうです!)

大草原の真ん中に一人で立っていると、天のなか、虚空のなかにいるような気持ちになるそうです。

そうして帰ってくると、入院患者さんたちが「う〜ん、先生、たしかに違う!」と異口同音にコメントするそうな。



人の体内の生命場は、閉ざされた、孤立した空間ではなく、呼吸や皮膚の無数の隙間などを通じて、外界の場と交流しているのだそうです。

そうした体内の場のポテンシャルを高めるためには、ポテンシャルの高い外界の場に身を置くと良いとか。

また、相手の場と自分の場もつながっているので、私たちは無意識に場のエネルギーの高い人に惹かれていくといいます。

場所や人に限らず、動物や植物、美術品や置物などにも、それぞれ固有の場があるそうです。

「○○に癒される」とは、そうした場のエネルギーを感じることなのかもしれませんね。


そして、あの柳瀬川のスポットは、私の癒しの場のひとつのように思えます。

そこには緑やフィトンチッド、オゾンだけでは説明できない、やはり何かがあるように思えてなりません。


もっとも私の場合は2年ももたず、2〜3日で補充が必要になるようです!

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August 08, 2006

天国からの手紙


スピリチュアル・カウンセラーである江原啓之氏の番組、「天国からの手紙」。

半年ぶりの今回のテーマは、家族の絆(きずな)でした。
「親が子を育て、子が親を育てる」と、江原氏はいいます。

例によって注文どおり、涙、涙の2時間でした!


江原氏は、今は亡き人の霊と交信し、その思いを残された家族に伝えていきます。
亡き人は何を思い、残された家族に何を伝えたいのか...
江原氏が亡き人に代わって、魂の世界を通して家族に語ります。


この日も、4つのエピソードが紹介されました。

自分の4歳の息子が踏み切りで事故に遭って亡くなってしまったことに、いつまでも自分を責め続けていた若いお母さん。

その子があの世に行かないのは、そんなお母さんが挫けて命を断ってしまうのではと心配していたからだったのです。

今は亡き愛息子の「パパとママのところで生まれてよかった」という言葉に、号泣する若い両親。
自分を責め続けていたお母さんの顔にも明るさが戻り、彼の大好物だったウインナーなどが食卓に並びました。

「いつかまた逢えると思って、がんばって生きて行きたいと思います」

お父さんの力強い言葉に、涙を誘われずにはいられません。


そして、脳腫瘍で他界した15歳のえりちゃん。
その死から5年以上経つ今でも、家の中で不思議な現象が起こります。
あの世に行けないのは、彼女の闘病を境に家族に入った亀裂を心配してのこと。

病気のことを全部わかっていたえりちゃんは、それでも(治ると励ます)母への思いから、自分ひとりで重荷を背負い込んでいたとか。

「家族みんなで仲良くいてね」

えりちゃんの言葉に、家族みんなが助けられ、成長していきます。



江原氏は、自身の番組を「心の教室」だと表現しています。

「一緒に暮らしている人も、遠くで離れて暮らしている人も、身近な人の本心を引き出して、心をもっと寄り添わせてください」

家族と同じ釜の飯を食う、川の字になって一緒に寝る、旅行に出て同じ時間を過ごす

言葉で表すことが出来なくても、一緒に居るだけで、心がぱぁっと開く瞬間があるといいます。


周りに対する感謝の気持ちを、愛情を、そして家族の絆の大切さを、温かいオーラで包みながら伝えてくれる江原氏の言葉に、見失いかけている大切な心を見つめ直さずにはいられません。

近いうちに両親の顔を見に帰ろう...

血管にへばりついたコレステロールが溶けるように、心を狭く固めてしまっているセメントが、江原氏の言葉を借りた亡き家族の愛の深さを感じることで、少しずつ剥がれ落ちていくように思えます。


お涙頂戴番組などと気安く呼べないような、勇気と慈愛を与えてくれる番組でした。


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May 08, 2006

本当の財産って?


今日はちょっとクサいテーマ。^^

自分にとっての財産って、家族であったり健康であったりしますよね?
特に老後は健康でさえいれば、そこそこ楽しい余生を送れるのではと思っていますが、どんなにおカネがあっても健康でないとしたら...

英語にも、"I am blessed with good health."という表現があって、「健康は恵まれて備わったもの」といったイメージがありますが、私にはそれ以上に自分で培った財産じゃないかと思えます。



さて、ゴールデンウィークに実家(近くですが!)に帰ったついでに、中学時代の旧友と久しぶりに一杯やりました。

二人の娘さんのいる銀行員の友とは、仕事も家族状況も生活のリズムも違いますが、今でも地元に電話一本ですぐに会える友がいることを嬉しく思います。


「人間は皆薄情です。私が大金持になつた時には世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になつてごらんなさい。やさしい顔さえもしてみせはしません。
そんなことを考えると、たとえもう一度大金持になった所が、何にもならないような気がするのです。」

芥川龍之介の「杜子春」という物語に出てくる下りです。


2年前にスローライフを目指して勤めていた会社を辞めたとき、「もっと賢くなれ」「しょうのない奴」「信じられない(愚かな)選択」と評した知人達とはすっかり疎遠になり、銀行員の友や昨年7月26日のブログで紹介したK君のように、物事を金銭やステイタスで評価しない人間とは今でも親交が続いています。
きっと私がすべてを失っても、いつもと変わらない態度で接してくれることでしょう。

条件や見返りなどは期待せず、ただ友でいてくれる。

そんな彼らに、自分は2年前まで同じような気持ちで付き合ってこれたのだろうか...


彼らのような友人も、絶対に失ってはならない財産だと思えます。

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March 28, 2006

さりげない心遣い


職場の近くのコンビニ。

毎日のように利用しているので、店の人にしっかり顔と買う物を覚えてもらえたようです。

というのも、最近、ランチの後でイチゴ大福を買いに寄るのが日課になってしまったんですが、たまに切らしていることも。

で、今日も「あ、今日はないのか...」とちょっとガッカリして(その実ホッとして)店を出ようとしたら、「あ、ありますよォ!」という声が。
見るとたしかに例のピンクの小さなヤツが、1個だけカウンターに鎮座しています。

「あれ、さっきはなかったんだけどなぁ」

「いえ、お見えになるかと思って、取っておいたんです」

ジワ〜ン... (←感激している様子)

もしも自分が来なかったら、3時頃棚に戻そうと思っていたそうですが、そんな店の人の何気ない気遣いに、ちょっと癒された1日でした。


あ、毎日のようにイチゴ大福を食べているなんて、お客さんが聞いたら怒られちゃいますね!

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March 25, 2006

LOHASを選んだことについて


スポーツクラブで太極拳のレッスンを始めて、ちょうど1年が経ちました。

その前も公民館や企業でアルバイトとして教えてはいましたが、オーディションのあるスポーツクラブでインストラクターとして認めてもらうことは、ある意味でやる気と自信につながるものです。

で、4月からは4ヶ所に増え、企業向け出張講習などを加えて週の半分を太極拳講師としてやっていくことになりました。(あとの半分は呼吸法のインストラクターです)


スタートして丸1年になる都内のスポーツクラブでは、当初から続けていらっしゃるメンバーが多く、皆さんかなり型を覚えてきたようです。
演舞しながら横目で見ると、けっこう動きがシンクロして(揃って)きているのがわかり、とても嬉しくなります。

毎回、新しい方が2〜3名参加されますが、1回限りという方が多い中で、「これからもぜひ続けたいのでよろしくお願いします!」という方もたまにいらっしゃいます。
これはもう相性としかいえず、直感で「やってみたい!」と感じられるのでしょう。

私も太極拳は長年ずっとやりたかったのですが、縁あってはじめて体験したときには、電気で打たれたようなショックとともに、涙が出てくるほど感動したものです!

見よう見まねで動いていたにもかかわらず、師匠(王老師)に「良い気が出ていますね。(太極拳の)大家になれますよ!」といわれ、その気にさせられたのかもしれませんが、それから数年後には会社を辞めて、太極拳を教えることで生業を立てることになるなんて当時は考えもしませんでした。


私より上手に演舞する人はゴマンといるし、ましてや大家などにはほど遠いものの、何かが自分を突き動かし、太極拳とともに人生を歩ませようとしているように感じます。

この仕事が天職かどうかはわかりませんが、少なくとも20年以上やってきた経理・財務の前職に比べて、太極拳講師の仕事はやっていてとても楽しいんです!
多くのひとに出会い、生徒さんが少しずつ健康になっていかれるのをみると、「やってよかった!」と思わずにいられません。

経済的なことを考えたらありえない選択でしたが、LOHAS(Lifestyle Of Health And Sustainability いわゆるスローライフの同意語)を選んだことで、ささやかな自分の人生に彩が与えられつつあるように感じるのです。


太極拳の講師は50〜60代が多いそうで、私などは年齢もキャリアもまだまだ駆け出しといえます。
が、少なくとも太極拳講師を本業として歩む道を選んだことで、情熱だけは誰にも負けないと自負しています!

太極拳を通じて少しでも多くの人に健康になっていただけるよう、願ってやみません。

4月からいっそう頑張らなくっちゃ!

(ちょっとほろ酔い気分でゴメンなさい♪)

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March 05, 2006

ワンコの事情?


ワンコを飼ったことがないので確かではありませんが、公園などで散歩中のワンコがお互いに遭遇すると、2種類の反応を目にします。

ひとつは、お互いに匂いをかぎあったりじゃれあったりするケース。
もうひとつは、吠えたり唸り声を上げて牽制し合うケースです。
犬種を問わず、相手が大きくても小さくてもこうした反応を見かけます。

人間の場合は、いきなりすれ違いざまに怒鳴ったりすることはあまりないでしょうが、ワンコの場合、じゃれるのと吠えるのは何が分けるんでしょうか...

「おめえ、ガンつけやがったな!」なんてことはないとしても、何かが気に入らなくて吠えるんでしょうね。


某ショップの看板娘、チワワのサクラちゃんも、お店の前を通ったラブラドールがちょっと反応した途端、ちっちゃいのに「ガウゥゥッ!」と信じられないようなドスの効いた声で吠えたんです!

いつもはおとなしくて可愛いサクラちゃんが、あんな声を出すとは意外。
たまに知らない人にも吠えることがあるとか。


そのサクラちゃん、先日たまたま通りがかったらガラスを前足でガシガシやって、ご主人にドアを開けてもらうと、いきなりヒザに頭をスリスリしてきました。

「鈴木さんに一番なついているみたいですね」とご主人。

そういわれて悪い気はしないのは、動物と子どもって、巧言令色に惑わされないと思っているから!^^

どんなに隠しても、気とか波動のようなものって伝わりますよね?
とくに動物は敏感なので、そんなワンコがなついてくれると何だかホッとするものです。
(逆に動物や子どもに嫌われるとちょっとショック!)


そういえば昔、元妻が連れてきたニャンコ♂も、初対面でいきなり目の前でゴロンとお腹を見せて寝転んだことがあります。

私のことをご主人様だと認めてくれたのかもしれませんが、「何やってるのよっ!」と、彼女は少しヤキモチ焼いていたようでした!


動物には他意がないぶん、ニャンコにもワンコにもホントに癒されますね!
実際、ペット療法というのがあって、高齢者ケアで効果を上げているとか。

とはいえ、室内飼いのワンコのことを、「あいつは絶対オレのことを下に見ている!」とマジで怒っていた知人もいます(笑)

そのワンコには序列ができていて、奥さん>息子さん=ワンコ>彼 なんだそうです。


「オレ、家でも一番下だよ...」と飲んだ時にこぼしていましたが、家では「○○の前でオレに怒るのはやめてくれ」といつも奥さんに言っているそうです(笑)

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February 10, 2006

「忙しい」という言葉の意味


忙しい状態とヒマな状態を比べたとき、どちらに価値があると考えますか?

多くの人が、「忙しい」ほうに決まってると答えるでしょう。
ヒマにしていることに、なにか体裁の悪さを感じることもあるようです。

私も以前は、ガムシャラに仕事に打ち込み、スケジュール帳が予定で埋まることに、ステータスを感じていたこともあります。
ヒマな自分を恥じていた時期もあります。


ですが、「忙しい」という言葉の「忙」は、「心を忘ずる」と書きます。
心を失い、ゆとりを持たないということです。

忙しいということに気持ちが満たされて、(仮に)経済的に豊かになっても、心のゆとりのない人生を送ることはいかがなものでしょうか。


人生を良く生きている人は、どんなに忙しくても常に「ゆとり」があるようにみえます。

時間の使い方が上手いのは間違いないでしょうが、ひとつ言えるのは、きっと毎日を楽しんでいるということでしょう。

忙しい自分に酔っているということではなく、仕事もプライベートも余暇も同等に同質に楽しんでいるのではと思えます。


そしてもうひとつ。

忙しい中でゆとりを持てる人は、深くゆっくりした呼吸ができているということ。

一体いつ休養しているんだろう?なんて超多忙なビジネスマンが、この人はどうしてこんなにゆったり呼吸できるんだろう、と思ったことがあります。

背筋が通って姿勢も良く、テキパキと行動し、言葉にも無駄がない。

絵に描いたような「デキる男」なのに、呼吸だけがとてもゆっくりしているのです。

逆に言えば、深い呼吸だからこそ、約60兆個の細胞すべてが元気で、活力が漲り、前向きな思考が可能になるのかもしれませんね。



一方巷では、「副交感神経を優位にしてリラックスしましょう」という言葉をしょっちゅう聞きますが、私は逆に交感神経のスイッチが入らなくてやる気のない無気力な人も多いんじゃないかと思います。

忙しくないのに心を失ってしまっている。

時間を持て余した状態に満足していないから、心がさまよってしまうのではないでしょうか。

陰陽の原理でいえば「陰」が極まった状態で、バランスが乱れているといえます。

忙しいとのゆとりをくすとはいえ、リラックスばかり強調していると、かえってメリハリを欠いてしまうこともあるということです。


矛盾するかもしれませんが、自分を忙しい状態に追い込み、必死になって目的を達成しようとする機会を持つことも、場合によっては必要だと思います。

そしてスポーツは、気持ちにメリハリをつけるための最適な解決法だと思えます。

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January 12, 2006

猫背のアゴ出し座りはマイナス思考になる?


昨晩の「オーラの泉」のゲストは俳優のOJさん。

頭の中が混乱してイライラしたり、気分が落ち着かず精神が乱れているのは、呼吸が(腹から頭にかけて)通っていないからだと美輪さんが指摘すると、江原さんも「お腹を立てて座れないでしょ? エネルギーが通ってないからですよ!」といいます。

(生命)エネルギーが通っていないから、腹を据えて背筋をシャキッとさせて座ることができず、猫背でアゴが出ただらしない格好で座ってしまうのだそうです。
そして(たしか)こうした姿勢はマイナス思考になりやすいとか。

そこで美輪さんは腹式呼吸を勧めたのですが、胸を前に押し出すようにして腰を座らせることがコツだといっていました。

私がアルバイトで指導している呼吸法(BC720生体健身法)は横になって全身をリラックスさせてするので、ちょっと感じが違いますが、横隔膜を使った腹式の深呼吸という点は同じ。
ただし、いろんな理屈を付けて差別化をしているようですが、即席のカウンセラーが電話で通信指導しているレベルなので、そこは商売!
普通の腹式呼吸で充分です。

横隔膜を使った腹式呼吸なら、どれも頚動脈の血行を良くし、頭にあがった気を降ろして精神の落ち着きを取り戻す効果があるのです。


で、ここから先は私のまったく未知の領域ですが、じつはOJさんの部屋はブードゥー教の館のような、ドクロや不気味なオブジェなどがたくさん飾られていて、マイナスの運気を呼び込んでいるのだそうです。
そしてそれはOJさん本人の意思ではなく、彼に憑いている悪霊の仕業だということでした。

美輪さんと江原さんは頭にドクロを9個つけた悪霊の姿が見えるといっていましたが、オーラや霊の見えない私にはいつもながら何とも不可解な世界です。

そういえば、霊媒師が亡くなった方の霊を透視すると、その方が亡くなった時の状況をそっくり背負い込んでしまうことがあってかなりキツイといったことを聞いたことがあります。

見えることが良いのか悪いのかわかりませんが、ご苦労も多いのかもしれませんね。


以上、ちょっとアルコールも入っていたしうる覚えで恐縮ですが、昨晩の「オーラの泉」はいつもとちょっと違った展開だったかもしれません。

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January 07, 2006

三浦敬三氏に学ぶこと


この1月5日に、プロスキーヤー三浦雄一郎氏の父上の三浦敬三氏が多臓器不全で逝去されました。101歳でした。

100歳で現役のスキーヤーだった敬三氏の家系は、世界7大陸最高峰のスキー滑降を成して70歳でエベレスト登頂にも成功した息子の雄一郎氏、フリースタイルスキーで2度もオリンピックに出場した孫の豪太氏と、3代揃ってスーパーマン!
敬三氏が99歳の2003年には、3代でモンブランの氷河を滑降されています。

そんな健康で頑強な敬三氏でしたが、いったいどんな食生活をしていたのでしょうか。

敬三氏は奥様亡き後の10年間ほど自分で料理を作っていたそうです。
主食は発芽玄米。圧力鍋で調理することで鶏や魚などの骨を柔らかくして丸ごと食べていたそうで、野菜や納豆はもちろん、プレーンヨーグルトからつくる特製ジュース、緑茶・柿の葉・イチジクの葉などをジューサーで粉末にしたものをさらに鍋で煮て吸収しやすくして飲んでいらしたようです。

運動としては、1年の約3分の1はスキーをしていたそうで、オフシーズン中もトレーニングを欠かさなかったそうです。
首や顎関節の運動、舌出し体操、ストレッチ、深呼吸などの呼吸法、ウォーキングといったワークアウトを日課にしていたそうですが、ウォーキングは毎朝4キロを歩き、ジョギングになることもあったとか。

食事でタンパク質やカルシウムなどをしっかり摂り、活性酸素消去能力の高い抗酸化物質も充分摂取しながら、運動で筋肉と骨格を鍛え、強靭な関節や腱をつくり上げて、100歳までスキーができる身体をキープできたようです。


敬三氏は生前、「健康が目的なのではない。スキーをしたいために日夜努力しているのだ」と言っていたそうですが、たまたま95歳までスキーを楽しんでおられた故三石巌先生も、「健康のために生きるのでは切なすぎる」といったことを書いています。

日々を楽しみ、その中で健康を培うことができれば理想的な生き方だといえますね!

三浦敬三氏のご冥福をお祈りします。

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December 31, 2005

天国からの手紙


スピリチュアル・カウンセラーである江原啓之氏の「天国からの手紙」。

心霊番組ではなく、ドキュメンタリーの心温まる家族番組です。


江原氏は今は亡き人の霊と交信し、その思いを残された家族に伝えています。

亡き人は何を思い、残された家族に何を伝えたいのか...
江原氏が亡き人に代わって、魂の世界を通して家族に語ります。

昨夜もまた、例によって注文どおり、涙、涙の2時間半でした! 


尊敬する父親の、病気になって仕事も辞め酒を浴びて暮らす姿についひどい言葉を放ってしまった中学生の息子。

でもそれは、全身に転移した末期がんの父親が、ひとり後に残されるであろう最愛の息子を案じ、少しでも一緒にいてやろうと、入院もせずに激痛と闘う最期の姿だったのです。

父の気持ちを告げると、涙ながらに詫びて心から感謝する少年。

そして、さらに涙を誘わずにいられないのが、父亡き後の少年を、親友の家族が喜んで引き取ったということ。

お母さんが「○○、うちにおいで! ね?」というと、
うんうん、と笑って頷くお父さん。

今の世にも、こんなに心の広い、温かい人たちがいたんですね...


そして、亡き父の知りたかった「いま幸せなのか?」という問いに、
謙虚に、でも胸を張って答えた「幸せです!」という少年の涙の言葉を聞いて、お父さんはとても喜んだそうです。

素直でしっかりした少年の、天国の父親に心配かけないよう立派に生きたいという健気な言葉に、同じ子を持つゲストは号泣していました。



周りに対する感謝の気持ちを、愛情を、そして家族の絆の大切さを、温かいオーラで包みながら伝えてくれる江原氏の言葉に、見失いかけている大切な心を見つめなおさずにはいられません。

お涙頂戴番組などと気安く呼べないような、勇気と慈愛を与えてくれる番組です。

一年の終わりに、こうした素晴らしい番組を観ることができてとてもよかったと思います。


良い年をお迎えください。

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December 17, 2005

五木寛之氏の養生論


五木寛之氏の養生論については何度も紹介してきました。

基本的に、養生とか健康法とかいうものは、一生続けなくてはならないもので、しかも簡単にできなくてはならないもの。

複雑なスキルを何年もかけてマスターしなくてはならないものは、養生ではなく修行だといいます。


彼はそんな自分の養生論を、「つよいカラダでなく」と表現しています。

強い枝は折れるということ。

そして、自分を叱咤激励して行う養生は役に立たない、と、例の茶目っ気で言い放ちます。

「気持ちがいいからやる、これが基本だ」



やったほうがいいと思いながらもどうしてもできないときは、いまは縁がないのだといいます。
気持ちがいいことを知っていたら、やらずにはいられないということです。
そして、「そのとき」がくれば、自然にやるようになるものだそうです。


自分は3日坊主だとお嘆きの方は、いちいち自己嫌悪する必要はありませんね。

いまはそのときではないということです。


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December 14, 2005

毒ヌキータさんの真実?

先日、テレビを見て「毒ヌキータ」の奥様を紹介したところ、今日、なんとご本人からメールをいただきました!

実は、あの放送はテレビ局が編集により勝手に「困った女」を演出したもので、実際の彼女の生活とはかなり隔たりがあるそうです。


たとえば、10年間の徹底したデトックス生活というのはウソで、肉も食べれば甘いものも大好きで、テーブルには刺身や天ぷらも並んでいたのに、テレビでは一切がカットされていたそうな。

4時半に起きて瞑想するというのも6時半が正しく、ヨガは毎日ではなく週1〜2回だけ。

ご主人もアンチ健康派ではなくて、彼女のライフスタイルに感化されてそれなりの健康生活をされているそうで、面白おかしく編集されたと困っておられました。


ひとつ気になったのは、毛髪の検査で水銀やカドミウムなどの有毒金属が毒ヌキータの奥様には規定値以上に含まれていたこと。

この点については彼女も、「入らない以上に出るはずがないのに、どうしてなんでしょうねぇ」と言っていましたが、毛髪に検出されたということは毒出しされれている結果だと考えることもできそうです。

日常生活で取り込まれる微量金属が、毒抜き排泄されるにはおそろしく時間がかかるそうなので、きっと彼女の場合も10年以上前の毒を排出している最中なのかもしれませんね。
で、有害金属などが内臓などにより多く溜まっている人は、スムーズに排出されていないので毛髪に現れないと考えると合点がいきます。

実際、奥様は旦那様より元気(疲労感がない)で肌つやもよく、客観的にもいわゆる健康状態がより高いそうです。

やはり「健康オタク」には違いないのでしょうが(笑)、絶えず自分で検証されているところなどは、いわゆる"nutri fad"(流行の栄養素などに飛びつく人)とは一線を画していると思われます。

私は以前からテレビ番組の「やらせ」的なあざといやり方には閉口していましたが、普通の生活をしている一般人を取材して、本人の了解なく趣旨を変えて放送してしまったとしたら、悪い冗談では済まされませんね!


そして前回もいいましたが、「毒ヌキータ」の奥様の子育てに取り組む姿は実に立派です。

「(無理やりやらされる)子供がかわいそう」なんて意見も寄せられたそうですが、お子さんたちも納得してお母さんに従っているようだし、信じるところをしっかり実践できる強さを持ち合わせたステキな方だと思います。

最後は、それでも「まだまだ毒ヌキの余地はあります」とありましたので、今後もいっそう毒ヌキータとして精進されることでしょう!

陰ながら応援したいと思います。

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December 09, 2005

諦める必要なし!


CATVの「肥満の解明」という番組で、興味深い話を目にしました。

いま米国を初め各国で取り組まれているのが、胃のバイパス手術。
胃をクリップで留めてしまい、数分の1の大きさにしてしまう手術です。
胃バイパス手術は米国だけで4万件、他にも世界約50ヶ国で行われています。

この手術により、100キロ以上あった肥満患者が、50キロとか80キロといった大幅な減量に成功しています。
そのかたわらで、肥満の原因究明は90年代に画期的進展を遂げました。
ロックフェラー大学のフリードマン博士らが肥満遺伝子を発見したことで、肥満の原因究明は飛躍的に進んだのです。


この肥満遺伝子は、体内の脂肪量に応じて食欲を調節する「レプチン」というホルモンを分泌します。
レプチンは脂肪細胞によって作られ、脳へ送られます。脳はレプチン濃度を読み取り、体内の脂肪量を認識し、食欲と代謝量を調節うるということです。

実験で肥満マウスにレプチンを注射すると、はっきりと体重が落ちことが確認でき、当時は待ち望まれた奇跡の減量薬の登場かと思われました。

しかし期待に反しレプチンは、結局薬にはなりませんでした。
肥満患者の多くは、体内のレプチンにさえも反応しないのです。

でも、フリードマン博士は言います。

「私は今後を楽観しています。10〜20年後という近い将来のうちに、脳内の特定の細胞や物質を狙い撃ちする新薬が現れるでしょう。
それによって体重の調節が可能になるはずですそして将来的に私たちは、肥満とあらゆる関連症状に打ち勝つことができるのです」


胃バイパス手術は、手術なので死亡リスクも1〜2%ほどあるようですが、この手術によりその後の人生がバラ色に変わってしまった人は大勢います。

127キロから5ヶ月で38キロ減量したカレンさんもその一人で、外見に気を使うようになった自分が信じられないとか。
そして、1年半後には標準体型になるんだと気炎を上げています。


肥満に悩んでいる方は、けっしてあきらめずに自分の信じる方法でダイエットに取り組んでみてください。
何もしなければ何も変わりません!

宣伝に踊らされずに自分でいろいろ勉強をして、納得の行く方法を試してみてください!

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November 26, 2005

アメリカのダイエット事情


「The Way to Eat」という本を読みました。

肥満症を専門とする米国人ドクターが著した、減量と健康には正しい食事の仕方が何より大切という内容の本です。
特に子どもの食事にのことや、食品表示における「栄養」の読み方など、大切なことがいろいろと網羅されていて、Andrew Weil博士の「Spontaneous Healing (癒す心、治る力)」に強く影響を受けているように思えます。

アメリカ人の肥満や栄養の偏った食事を題材にした最近モノでは、「デブの帝国」や「スーパーサイズミー」などが有名ですが、「The Way to Eat」も地味ながら、真に健康を目指す人に読んでもらいたい本のひとつです。

アメリカのブログやPodcastingでも、こうした題材が増えてきており、ダイエットピルやサプリメントに頼らない、「正しい食事」が必要だということを、多くのアメリカ人が実感するようになったのではと思えます。


ただ、不思議なのが、アメリカでは性的描写などは日本とは比べものにならないほど厳しく自制していて、子どもが起きている時間帯には女性の裸なんかテレビで流したりしないのに、どうして学校給食はあんなにズサンなんだろう、っていうこと。

ファストフードとポップの給食に比べると、日本の方が数倍マシのように思えます。

きっと自治体の経済的な事情(学校や自治体が飲料メーカーと独占契約しているなど)などの制約もあるのでしょう。
そのへんのところは、どこの国にもいろいろあるようです。


それにしても、ワンコのリフレクソロジーが流行ったかと思うと、今度はdoga(ドガ)といって、ワンコのヨガがセレブの間ではブームだとか。

いろいろなものが生まれるのも、彼の国ならではのようです。

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November 23, 2005

平均寿命を考える


今日は、栄養士の知人と電話で話していたところ、例によって「栄養」の話になりました。

「風邪引いちゃうなんて栄養が足りないんじゃない?」

「ビタミンは摂っていると思うし、ストレスで免疫が落ちていたのかなぁ?」

「やっぱり鈴木さんはもっと栄養摂ったほうがいいんじゃないかしら、断食もやってるし」

「う〜ん、確かに野菜に含まれるビタミンなんかは昔の何分の1しかないなんていわれるけど、でも現代人は栄養やカロリー摂りすぎて生活習慣病が増えてるんじゃない?」

「そういうけど、寿命はすっごく伸びてるじゃない! やっぱり栄養のおかげよ〜」


寿命ねぇ...


確かに戦国時代の平均寿命は50歳ほどだったそうですが、平均寿命は標準偏差とは違います。

つまり、感染症への対抗手段がなかった昔は、乳幼児の死亡も大変多く、それは戦前までも言えることで、そうしたことが全体の平均寿命を押し下げていたのであり、いわゆる老衰で亡くなるひとは80代90代までかくしゃくとしていたと聞いています。

また、最近は確かに高齢者の数も増えていますが、それは脳疾患・心臓疾患の治療技術が目覚しく進歩したおかげで、そうした病気で亡くなる人が減ったことも理由に挙げられます。(だからそのぶん、ガンになる人も増えたともいわれていますね。)

ですから、感染症や心臓血管系などの治療技術が昔と同じであったら、ひとの寿命は有害物質や食習慣、運動不足などにより、むしろ縮まっていたのではと思います。

良い例が、「逆さ仏」。

過疎の農村などでは、昭和生まれの子供たちが生活習慣病でバタバタ倒れ、明治・大正生まれの老親が面倒をみているという逆転現象が起きているそうです。

老衰で亡くなる人の平均年齢を調べて昔と比べてみたら、また違った結果になるかもしれませんね。


日本人の寿命は、現在をピークに徐々に下降していくと見られていますが、農薬や化学物質にまみれ、24時間営業やクルマ社会にストレス社会といった生活環境で暮らしていくことを考えると、寿命が低下するのは無理のないことかもしれません。


寝たきりの長患いで長生きするのであれば、そこそこの年数でも他人を煩わせずに楽しく生きられたらと思います。

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