おっさんで中2なプランナーの非常識

株式会社鈴屋代表
鈴屋Taby

カテゴリ: あの頃のナムコ

少しブログでご無沙汰しています。
存在したことが微妙になりつつある僕です。
教科書で抹消されつつある聖徳太子です。


さて、ぼく聖徳太子もゴールデンウィークですが、
なんやかんや言いつつも、10人の声を聞きながら仕事をしております。


先月の話ですが、仕事で知り合ったボードゲーム開発会社社長さんが、今でも記憶に残るガラケーのゲームを作っていた人だったことがありました。


ドコモがimodeを発表した1999年、その時にimodeには大手ゲーム会社は本気では乗ってきませんでした。

それは白と黒しか表示できない画面のガラケーで、テキストベースのゲームしか配信できなかったからです。

大手ゲーム会社の技術を全くいかせない分野でした。


そんな中で、当時「世界で一番普及するゲームのハードは、ケイタイになる!」と思っていたモンキー・D・僕は、まともなゲームが作れない中で、ケイタイ電話向けゲームのプロジェクトに参加しました。

それは、テキストベースのゲームが好きだったからでもあります。

逆に3Dとか興味なかったとです。


そんな白と黒とテキストしか表現できないゲームで、あの頃面白いなと思ったことは、みんなアイデアだけで勝負していたことです。


その中で好きだったのが、「ロボロボ」という「どこでもいっしょ」のようにキャラに覚えさせた言葉をサーバーを介して他人と交流できるゲームと、「ドコでも遊ベガス」(配信元はバンダイネットワークス)というコンテンツでした。


「ドコでも遊ベガス」は、ある意味「ブックメーカー」で、ゲーム内通貨が増えたり減ったりするのですが、そのスケールが小さすぎて面白いのです。

※ちなみに「ブックメーカー」とは、スポーツや政治などの日常起こっている出来事に対してオッズを付けて賭け事をするイギリス発祥の賭博です。


「ドコでも遊ベガス」ではもちろんお金は賭けないのですが、コインのようなものが貯まります。

最初は、スポーツや時事ネタ等の賭けのお題を出していたように思いますが、そのうちネタがつきたのかスケールがどんどん小さくなっていきました。

「明日、原宿の『○○カフェ』にお昼12時にカップルは何組いるでしょう」


・・・すごいです。これを賭けて一喜一憂するなんて。

おそらくバイトが確認に行っているはずです。

そのアナログさと、それを知ったからどうなるんだっていうお題のレベルがすばらしい。


そんな話をクリエイターEXPOで知り合ったボードゲームを作っている何歳か上の方に話したところ、
その人が言ったのです。

「それ、僕作ったんですよ」

と。


「まじっすか!!」
ともちろんなり、
「これ、また違う形でやりましょうよ」
と早速声をかけていました。


盛り上がっているのが、僕だけのような気がしてはいますが。。。

ただ、もう十五年以上頭のどこかに残っていた企画なので、今の時代にあえてやりたいと勝手に思っています。


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かつて「ディグダグ」「マッピー」「ファミスタ」「ラリーX」などのドット絵を描いていた、
小野Mr.Dotman浩さんが挙げていたFacebookの記事から知ったのですが、
「ナムコ」が社名を変えるという、普通の人には「ふーん」な記事ですが。。。

http://gamebiz.jp/?p=203770


別な目線で見れば、これはあの赤い「namco」ロゴが消えるということです。

「ナムコ愛」のある人にはわかると思います。

あのロゴが持つ、温かくて強い力を。


あの時のナムコ社は、遊びを作る宗教でした。

世界中の人が、ゲームセンターやファミコンを通して、ナムコのゲームからアドレナリンを出まくらされていたのです。


たまに僕が入社当時のナムコの開発状況を話す時があります。

あの頃、収支予想を出す必要もありませんでした。

部長以上が、「これ面白いね」だけで決まるという。


僕の世代より前は、中村社長の決裁印次第で製品化が決まり、
「まっすぐ」か「ななめ」かで意味が違ったらしいです。


決裁印がまっすぐなら、「俺も認めた面白い企画!」。

「ななめ」なら、「俺は微妙だけど、おまえらはいいって言ってんだろ?」な企画。


そんなワンマンでありつつ、いろいろ認めつつな当時のナムコの中村社長で、
あの社長だからこそ、80年代の名作が生まれたのではないのでしょうか。

「遊びをクリエイトする」

色褪せないコピーだと今でも思います。



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今日は、エレメカと呼ばれるゲーム機の話です。

僕がナムコに入社した時の部署は、EM開発部というエレメカと呼ばれるジャンルのゲーム機を作る部署でした。


「エレメカ」とは、エレキとメカの略で、モニターを使わずにプログラムとメカ機構で遊ばせるゲームのジャンルです。
(後に「X-DAY」のようにモニターを使うゲーム機も出すようになりましたが)

ナムコでいえば「ワニワニパニック」やお菓子をすくい上げる「スウィートランド」、他社でいえば「UFOキャッチャー」や「エアホッケー」もエレメカにあたります。

エレメカの特徴はユーザーを選ばず、親子、カップル、グループで賑わえるところです。

真剣にハイスコアを狙うテレビゲームと違い、仲間で競い合う楽しさがあります。


当時のEM開発部の部長は、現バンダイナムコホールディングスの会長の石川さんでした。

石川さんは、大ヒット作「ワニワニパニック」を企画しましたが、当時上司に企画を通した時の話は、新入社員に語り継がれていました。

そこには、「企画は熱意が必要だ」という意味があったのだと思います。


当初「ワニワニパニック」は、提案書レベルでは上司から「モグラたたきの二番煎じじゃないか」と否定されていたそうです。

しかし、「これは面白い」という確信を持っていた石川さん(現会長)は、スリッパに棒を付けて段ボール箱の後ろから手動で出したりひっこめたりさせる試作品を自分で作ったそうです。

それを上司に遊ばせて面白さを体験させたことで、企画を通したということでした。

そして製品化された「ワニワニパニック」は5000台以上売れ、日本の多くのゲームコーナーに置かれるようになりました。


昨年石川会長は、「大ヒットを連発のバンダイナムコが大切にしているたった一つの考え方」という本を出しましたが、著書の中でヒット作を出すには、
「なんとしてもこの製品を世に出すんだという一人ひとりの熱意や執念に尽きる」と書いています。


特に型破りな企画の場合、係長、課長、部長と順番に説得していくのに労力と時間を使い、大きな手間が発生し、「ダメ」といった多数派を説得しなければいけず、製品化へのハードルも上がってしまいます。

そこで、石川会長は「トンネルをくぐることも必要だ」と述べていました。

上司をすっ飛ばしていきなり社長のOKをもらうのです。

当時のナムコは数十人の規模だったので、社長への直談判も今ほどハードルは高くなかったでしょう。

だからよくエレベーターの前で提案書を持って社長を待っていたそうです。


現石川会長の本を読んで、エレメカの部署の部長だった頃、石川さんが二次会のカラオケの時に放った一言を思い出しました。

「俺は10年後にナムコの社長になるぞ」

何故か酔っ払いの言葉でも聞き流さず覚えていたのですが、約十年後、石川さんは本当に社長になりました。

「社長」になると言ってその期間も踏まえて有言実行したのは、石川さんの人柄とナムコ愛と「世の中に面白いものを提供したい」という熱意だったのかなと思います。



石川会長の本


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