断酒を記録してみる

アルコール依存症のムーランと申します。 一日一日の積み重ねが断酒の長い道のりを作っていくと信じ、更新していこうと思います。隠れ飲みをしない為に、食事の写真を撮って日々を歩む。禁酒・断酒ブログ。

カテゴリ: 依存症になった経緯

お昼
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昼から焼肉
贅沢すぎました・・・


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マグロアボカド丼
イクラも添えて



「そんな飲み方をしていたらいつかアル中になるよ」
学生の頃、一緒に飲んでいた友人から言われた。

自分の飲み方は少し変わっていた。
居酒屋で食事をする際、ビールを頼んで飲む。
しばらくして、半分位飲み終えると

「すいませーん、ワインお願いします」

当たり前のように、毎回ちゃんぽんで頼んでいた。
そして食事はほとんど手を付けずに
ひたすら飲み続けていた。


兆候はあった。


それから就職。
今思い返しても厳しい職場だったと思う。

とにかく激務だった。
頭も体も心も疲れ切っていた。

そんな中、帰宅後のお酒は
毎日欠かせないものとなった。

1日に500mlビール4缶位。
4缶と決めて飲んでいたのではない、
4缶飲めば大抵頭がフラフラして、眠くなるのだ。

決まってその位だったので、予備の分も含め毎日5、6本
仕事終わりにスーパーに寄って、ビールやチューハイを買った。

お気に入りのビールはプレミアムモルツ、そしてエビス。
飲む順番は初めにプレモル、そしてエビス、後は発泡酒かチューハイ。
そんな日課。

当然、翌日は酒が残って二日酔いである。
飲むと体質的に顔に出てしまうのもあって、
「昨日飲んだでしょ」と毎朝言われた。

午前中はとにかくぼーっとして仕事にならない。
下手したら午後まで。
遅い時は18時頃ようやくエンジンが入ってくる。

そんな感じで仕事をしていた。
バレてないだろうなと思いながら働いていたが、
そんな甘い訳はなく、当然結果に現れる。

結果が出ない日々。
毎日怒られ、どんどん居場所を失っていく。

そんなストレスからの開放
それがお酒だった。

お酒はオンとオフを切り替えるのに本当に役に立った。
会社で怒られ、帰宅までの通勤1時間ずっと凹んで嫌になり
スーパーに寄る。
そこで冷やされたビールを手に取ると
「辛かった1日がやっと終わったー」
まるで刑務所から解放されたような気持ちになれた。

帰宅後、缶をプシューっとあける。
疲れた自分に乾杯。
4缶飲んで眠りに。

そんな1日を過ごしていた。


続き→私はこうして依存症への道を歩んだ【弐】
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/10012164.html




断酒はもちろん継続中。32日目も無事成功! 
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今日は1食
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そういえば、普通のカレーって初登場かな
意外と食べてない気がする
グリーンカレーとドライカレーはあったけど


私はこうして依存症への道を歩んだ【序】の続き
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/9971984.html




前職は、社員10数名のベンチャー企業。
カリスマ経営者と、少数精鋭の社員達。

それぞれ社員1人1人の意識は非常に高く
みんな大手には絶対負けないという
プライドを持って働いていた。

そして経営者は会社全体を指揮しつつ
ビジョンと夢を語る。
そこに社員が全力で付いていく形だった。

「金儲けの為ではなく、シンプルに良い物を売る」
「漠然とした顧客満足とかお客様目線ではなく、
 数字として効果がきちんと出てこその製品である」

その言葉は力があり、製品は革新的だった。

そんな職場であったが、社の雰囲気は決して緊張感ピリピリではなく
意外な程アットホーム、社員同士の飲み会も盛んだった。

「俺たちでこの会社を大きくしよう」
「売り上げを伸ばして年収を増やしたい」

飲み会ではこんな青臭いような事を語り合う。
本当にモチベーションが高い会社だった。

自分はそんな経営者の夢に共感し、当初必死に頑張った。
会社の夢を追うことが自己成長へと繋がる職場に、
「自分って恵まれてるんだな」と思った。


同時にそれは厳しい環境の裏返しでもあった。
ベンチャー企業の宿命として

売り上げを立てないと会社の存亡に繋がる
       ↓
数字が出なければ残業は当たり前

という風潮があり
9時出社から終電近くまで働くこともあったし、
休日出勤もあった。

当初はそれでも良かった。
ただ、ひたすら純粋に働ける喜びがあった。


しかし、そんな日は長く続かなかった。

会社に慣れてくると同時に、社長からのハードルは
どんどんキツくなってくる。
「いつまでも新人のままじゃなく、そろそろ契約を貰ってこい」
風当たりが強くなってきたのである。

とはいえ、当時のリーマンショック等背景もあり
簡単に成果の出ない日々。

成果が出ないと、なぜ良い製品なのに売れないのか。
売るための方法が悪いという事で責められる。

居心地の良かった職場から一転、
何人かの社員はそんな雰囲気に耐えられず辞めていった。

環境は明らかに変わった。
そして、そんな仕事のストレスを紛らわす為、
お酒はいつしか毎日欠かせない物になっていった。

飲めば飲む程成績が悪化し、
風当たりがどんどん強くなっていく。
すると「酒のせいでアイツは伸びないんだ」と
みんなから疑われ始める。

酒だけが唯一の救いなのに・・・

徐々に会社で追い込まれ、伸び悩む事で更に飲む。
泥沼の悪循環。

会社の夢=自己成長の図式は完全に破綻。

そして自分はついに会社に辞表を提出した。


続き→私はこうして依存症への道を歩んだ【参】
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/10176430.html




今日も断酒。33日目もなんとか無事に!
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お昼
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何回か登場した鳥モモ肉の照り焼き
これ本当に手軽に作れて美味しいんです
後はレタスとかを付け加えたい・・・


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買ってきた惣菜だけだと色がアレなんで
それっぽくしてみました



ここまで2つ書いた
「私はこうして依存症への道を歩んだ」
思ったよりたくさんの方々に読まれているようで
驚き半分、嬉しさ半分。
本当にありがたいなと感謝の気持ちが
湧き出る今日この頃。

日々いろんな話を書いてきましたが、
きっとこういう話題こそが
みんな知りたい所なんだろうなーと
色々考えさせられています。

記事にTwitterでコメントをいくつか貰ったのですが、

「共感しました」
「私も同じです」
「飲む量も同じだ」

素直に嬉しい感想。

これを見て思うのは、依存症になるきっかけって
飲むお酒の種類とか、職場の環境は異なるかもしれないけど、
根っこの所は似たり寄ったりなのかもしれないなーなんて
思っています。

過去を振り返りながら文章を書いていると

あの時あの会社に入らなければ、
依存症にならなかったかのかなあと
考えたりもします。

それだけ自分の人生にアルコール依存症という病気が
大きくのしかかっているのも現実です。

でも、これが一概に悪かったと決めつける事も出来ません。

それは今、こんな自分の闘病記とも言えるような内容の文に
こうして見て下さる方々、コメントを下さる方々がいます。

このような繋がりは依存症になったからこそ出来たものなので
どう転がっても、なんとか転ばないように人生って出来ているのかなと
根拠は無いけど、なんとなくポジティブに捉えています。

さてさて、明日からの断酒も気を引き締めないと!




今日で断酒34日目!ブログはちょうど1か月!
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軽めの夕食
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レタスときゅうりで色をつけようと思い
なんとか入れてみました
オリーブオイルとぽん酢でさっぱり


私はこうして依存症への道を歩んだ【弐】の続き
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/10012164.html

第一話はこちら



ようやく解放された。


日々何かしらタスクを抱えながら生きてきた
仕事からの解放。

毎日二日酔いのまま満員電車で1時間
体調が悪く、お腹が痛かった日々からの解放。

「お前昨日飲んだだろ」と言われ、
常に怒られ、罵倒され、
否定され続けてきた日々からの解放。


自由になれた・・・


解放後一番やりたかった事
それはビールを誰からも咎められる事なく、
浴びるほど飲みたいという欲望だった。

翌日には、500ml×24本のビールを購入。

待ちに待った至福の瞬間。
この時をどれだけ待ちわびた事だろうか
二日酔いなんか気にしない。

浴びるほど飲む。

飲むと1日が本当にあっという間。
今まで体調の優れなかった朝も
迎え酒をすれば再び酩酊に。

そして昼、夕方、夜、明け方、朝。
3、4時間周期に起きてまた飲んでそして寝て。

まどろみの中、現実がなんだかフワフワする。
生きてるような生きてないような。
何かを考えたくない、というか飲んでてそれもよく分からない。
全てが吹っ飛んでいく、思考がフラフラする。
感情がむき出しでコントロール出来ない。
音楽を聴いてはボロボロと涙し、
少しでも気に入らない事があれば大声を荒げて激怒する。
根拠も無いのに溢れる全能感。

このまま死んでも構わない。

そして気付いたら布団に入っている。


連続飲酒だった。


続き→私はこうして依存症への道を歩んだ【四】
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/41603306.html


断酒継続の35日目。↑の自分に「お前、今断酒ブログ書いてんだぞって言ってやりたい」
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牛丼
早い旨い安いの3拍子
文句なし


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鳥モモの骨付き
なかなかよく撮れた
黒コショウが良い感じ


私はこうして依存症への道を歩んだ【参】の続き
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/10176430.html

第一話はこちら



連続飲酒は長く続いた。

辞めた月のほとんどは飲んでいた。
次の月も変わらず飲んだくれで
過ぎようとしていたある日。

切れる事なく続く飲酒、おまけに
仕事もしていない、就職活動もしていない
現状に両親が干渉してくる。

「そろそろ何か始めないとまずいんじゃない?」

当たり前の言葉だ。

退職の際も職場の人から
「次の働き口はあるの?」など心配はされていたが
「まあ大丈夫です」なんて適当に答えて
実の所ノープランだった。

だが、その頃の自分は
仕事=前職のイメージが拭えず
会社員として働く事に対してすっかり気力を失っていた。

なんとなく考えていたのは公務員試験。
まだ年齢的にも資格はあるし勉強すれば何とかなる。

甘いイメージで公務員にでもなろうかなと考えていた。


そこで、たまたまお酒が切れていたある日
情報収集の為、都内の資格予備校を何件か回った。

驚いた。自分は何も知らなかった・・・

まず、辞めた時期がちょうど冬で試験は春だった。
1年かけて取り組むのが普通なのに、本番まで半年もない。

加えて、テキストの分量が思ったより多く、
科目もほぼ知識0からのスタート。

大学受験程度の勉強なら昔やったし
なんとかなるだろうと思っていたが、見通しがあまりにも甘すぎた。

というより、本格的に公務員試験を受けようとする人に
失礼過ぎるくらい、本当に何も知らないで公務員になろうとしていた。

あっさり断念。

すると次はどうなる?
やはり就職活動しかないのか。そして職種はやはり同じなのか。

将来への希望がどんどん薄れていく。

親には一旦
「公務員試験頑張るからおとなしく見守っていて」
と言ったものの、腹の中では既に諦めモードだった。

これから先何もやる事がない。
俺ってもうダメなのかもしれない。。。

先が見えない。
そんな暗い気持ちになればなるほど

現実逃避としてのお酒が
自分の中で大きな位置を占めるようになった。


続き→私はこうして依存症への道を歩んだ【伍】
http://blog.livedoor.jp/sweet_lullaby/archives/42099622.html


断酒は継続中の38日目。
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