2005年12月07日

ポール・セザンヌ、没後100周年記念

編集画面

自画像 回顧 ポール・セザンヌ


    1839〜1906

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ポール・セザンヌ (Paul Cézanne、1839年1月19日 - 1906年10月22日)は、「近代絵画の父」として知られるフランスの画家である。自然を見たままの形態ではなく、円筒、球、円錐などの幾何学的な形態として捉えようとした手法は、後にキュビスムとしてパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらに受け継がれた。そのため彼の絵はりんごの絵が多い。(印象派・後期印象派)
ポールセザンヌ年表


ポールアップルとオレンジ
ポール Cézanne
1899
Paris, Musée d'Orsay所蔵

詳しい解説


生涯
1839年、ポール・セザンヌは裕福な銀行家の息子として南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれた。自然主義文学の創始者として知られる小説家エミール・ゾラとは少年時代からの友人であり、その交友関係は1886年に絶交するまで続いた。簡単な略歴


セザンヌの父セザンヌの父の肖像
French,1866





1862年、画家を目指しパリに移り住む。パリではロマン主義絵画のウジェーヌ・ドラクロワや写実主義のギュスターヴ・クールベ、印象派のエドゥアール・マネの影響を受け、カミーユ・ピサロにより印象派の技法の手ほどきをうける。

当時、パリの「カフェ・ゲルボワ」に集まっていた、後に「印象派」と呼ばれる画家のグループにもセザンヌは加わっていたが、無愛想で人付き合いの苦手な彼は、ここには自分の居場所を見出せなかったようだ。ただし、印象派の仲間のなかで、年長者のピサロとは意気投合し、1872年にはポントワーズで、1873年にはオーヴェル=シュル=オワーズでピサロとともに制作している。


ピサロピサロの自画像Camille ピサロ
Self Portrait
1875


ピサロピサロ/白い霜1873




1874年の第1回印象派展には、代表作の一つである『首吊りの家』を出品した。セザンヌは1877年の第3回印象派展に出品したのを最後に同展への出品をやめ、1880年代からは故郷エクス=アン=プロヴァンスに引きこもり、晩年に至るまで一人黙々と自己の絵画を追求し続けた。

セザンヌの絵は世間から全く認められなかった。初めてサロンに入選したのは「画家の父」という作品で、1882年、43歳のことであった。このときは友人の審査委員に頼み込むことで、やっと入選を果たしている。

首吊りセザンヌ:首吊りの家








1866セザンヌ/アントニー・バラブレーグ、1866










セザンヌの妻

赤い肘掛け椅子の中のセザンヌ夫人拡大可能(largeクリック)
セザンヌ、約1877作
所蔵 ボストンの博物館





セザンヌは妻の絵を何枚も描いている。しかしセザンヌの筆が丁寧であったため、長時間の静止となり、奥さんは相当苦労されたようです。あるときセザンヌは、モデルの奥さんが動いた時、「おい、リンゴは動かないぞ!」と叱ったというエピソード。

セザンヌセザンヌ婦人・・・デトロイト近代美術館
詳細拡大可能









1886年、ゾラの作品「製作」が自分の失敗をほのめかしているとして、長年の親友であったゾラと絶交している。また同年、父親を亡くしている。これらを契機にパリを捨て、故郷のエクサン=プロヴァンスに戻っている。故郷ではサント・ヴィクトワール山などを題材に、多数の作品を制作している。内縁関係であった妻とは1886年正式に結婚。同年、父の遺産を相続して経済的には恵まれていたが、セザンヌの仕事の意義はなかなか理解されることがなかった。
ポールセザンヌ人物像解説



サムセザンヌ:カードの日々1890








ルイセザンヌ/ルイ ギロメ1882










se
セザンヌ:L'Etang des ソワール, Osny開いた画像クリックで拡大 1875
Courtauld Institute of Art Gallery, London







花瓶セザンヌ/フラワー インザ ロココ花瓶1876











セザンヌ・池The Pond
Landscape; 約1877
Museum of Fine Arts, Boston


家セザンヌ/ハウス オブ ピエール・ラクロア1873








インセザンヌ/ランドスケイプ ニア パリ1876




セザンヌ
セザンヌ:通り at the Jas de Bouffan1874-5



白い食卓
セザンヌ:静物 with Water Jug 1892-3




60点以上に及ぶリンゴの静物画、40点近いサント・ヴィクトワール山の風景画、入浴する男女の姿など、セザンヌは同じ題材を用いた作品をひたすら制作し、光のあたり方による多様な表情の変化を追求しつづけた。


、ぷあ
セザンヌ:モンターニュ Sainte Victoire 1905-6





シロ
セザンヌ:大きな Bathers / この絵画の解説





白セザンヌ/モンサン ビクトワール1887







か
セザンヌ:The Grounds of the 黒城







セザンヌ
セザンヌ: Foliage







セザンヌ
セザンヌ:マルセイユ湾






セザンヌ40セザンヌ40才の作品

Paul セザンヌ
French, 1839 - 1906
ハウス of Père Lacroix, 1873






川セザンヌ/リバー バンク1895







息子セザンヌ/芸術家の息子1885〜1890
セザンヌの息子ポールは1872年の
誕生だから、描かれたのはポールが
13歳から18歳の青年のときだ。










ウオーターえっ偽セザンヌ/アット ウオーターエッジ1890








1895年に開かれたセザンヌ展が成功したことを契機に、セザンヌの絵は広く受け入れられるようになり、晩年は巨匠としての地位を確立させた。

セザンヌは、時間とともに移ろう光の効果を追求する、印象派の非科学的な技法には不満を持っていた。そして、絵画とは、3次元の世界のイリュージョンを2次元の画面に写し取ることではなく、自然を幾何学的にとらえ、2次元の平面に、面と色彩からなる秩序ある世界を構築することだと考えた。こうしたセザンヌの探求はキュビスムをはじめとする、その後の20世紀美術の動向に決定的な影響を与えた。


静物セザンヌ/ペパーミントボトルの静物1894







セ絵ザンぬ赤いジャケットを着た少年Paul Cézanne
French, 1839 - 1906
Boy in a Red Waistcoat, 1888-1890





sezannnu セザンヌのプロバンスの家






彼にまつわるエピソード
セザンヌの青春時代のある日近所の農家の家が火事になった。セザンヌはその農家の家が燃える様子を見ていて、その炎に見とれてしまった。そこに消防士がやってきてその家事を消し止めようとするが、セザンヌは「始めにこの炎を消そうとするものはこれを一発見舞ってやる!」と懐からピストルを一丁取り出し消防士にその銃口を向けた。当然誰も身動きが出来ないまま家はとうとう全焼してしまった。
セザンヌは異常なまでな潔癖症だった。例えば、ちょっとでも洋服が誰かに触れた、もしくはすれ違っただけで何度も何度もぬぐった。特に彼は女性を忌み嫌っていたため、女性の場合はこの癖はひどかった。



パイプセザンヌ/マン ウィズ パイプ1892〜1896










花瓶セザンヌ/ベース オブ フラワー1900〜1903










生物セザンヌ/静物1900








セザンヌりんごと桃 1905




ハーれクインセザンヌ/ハーレクイン1888〜1890










のっわーるセザンヌ・シャトー・ノワール 1900/1904






ばっとるセザンヌ/バトル オブ ラブ1880









ロ度セザンヌ/ベンド インザ ロード1900〜1906











セザンヌが1906年10月15日、野外で制作中のセザンヌは雷雨にあい、意識を失ってしまった。家に担ぎ込まれた懸命の介護のかいもなく、その1週間後の22日に、肺炎で亡くなった。


植木職人セザンヌ/植木職人 最後の作品となった。1906







セザンヌのポスター(殆どの作品が見られます。但し色彩は本物とはかなり異なります。

インターネット美術館(主要作品数点とひろしま美術館の作品数点が見られます。色彩は良いです。)




ポール・セザンヌ没後100年。フランス・オルセー美術館では2月28日から5月28日に「セザンとピサロ」特別展を開くとのこと。またアメリカ、ワシントンDCのナショナルギャラリー・オブ・アートでは「プロバンスのセザンヌ」展を開催。1月29日から5月7日迄。

ナショナルギャラリー・セザンヌ展1

ナショナルガラリーのセザンヌ展2

オルセー美術館のセザンヌとピサロ展の案内画面




Posted by sweetcreationjp at 23:16│Comments(0)TrackBack(0)

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