Alf Layla wa Layla

創作小説を書いています。いまのところ掌編ばかりです。

デジャー・ソリスになんかなれない

わらび餅とスフレのお相伴にあずかるために、私達は吉田くんの自宅を目指していた。吉田くんは時々おやつを自作して、文芸部の部室に持ってきたりしてくれるのだが、この日は作りすぎて持って来られないので、皆で押し掛けることになった。

吉田くんの家は学校の近くなので、男子達は良く行っているらしいが、私は初めてお邪魔するので、やっぱりどきどきした。
ましてや、ついこのあいだ吉田くんには『告白』されたばかりだ。
告白、と書いてしまえば、そうなのだが、『そそのかされて交際を申し込んできた』というのが、正確なところだ。
それは、嬉しさと寂しさと、よくわからない気持ちをもたらしたので、交際はお断りしてしまった。

吉田くんの姿を見るのは、好きだ。吉田くんと話をするのは、好きだ。吉田くんの作品を読むのは、好きだ。声や仕草や、優しくてだらしなくて気取らないところも好きだ。
「えー、じゃあ付き合っちゃえばいいのにー」
事の顛末を打ち明けたヒナコは、素っ頓狂な声をあげた。
「んー、なんか、そういうのじゃないんだよね」
「男性として見れないって事?」
「……わかんない」

「らっしゃーい」
チャイムの音に応えて、エプロン姿の吉田くんが玄関に出てきた。
ごはんにする? お風呂にする? それとも、アタシ? とふざけた吉田くんは、石黒くんに腰の辺りに蹴りを入れられながら、私達をリビングに連れていった。

組み合わせの妙はさておき、わらび餅もスフレもとても美味しかった。紅茶を飲みながら、窓の外に目をやると、庭には、色とりどりの薔薇が咲いていた。
「お庭、きれいね」
「母さんが好きでさ。神崎さんも、薔薇好き?」
うん、とうなずくと、吉田くんは、嬉しそうに、来い来いと手招きした。

「こっちこっち」
吉田くんは、庭の一角に私を連れていく。
「これ、僕の薔薇」
そこには、ちょうど人の背と同じくらいに仕立てられた深紅の薔薇があった。
満開の花が数えきれないくらい咲いている。
「小学生の時に、母さんに薔薇の枝もらってさ。挿し木にしたら育つって聞いて、ためしにやってみたらちゃんと根がついたもんで」
頑張って育てたんだよ、と吉田くんはにこにこして話す。
「名前もあるんだ。デジャー・ソリス」
「火星のプリンセスだね」
「そうそう。憧れの姫君」

ああ、そうだ、と私は理解した。
吉田くんと話して、作品を読んで、彼の知ってる好きな物や好きな事の向こうに、彼には『いまだ見ぬ理想の姫君』が居る、って私は判っていたんだ、だから。

私が近寄りすぎたら、吉田くんは、私が『彼女』ではないと知るだろうし、優しい彼は、その失望をとても上手に隠すだろう。
そして、そんな吉田くんは、私が見ていたい吉田くんではないのだ。

「本当にきれいね。デジャー・ソリスの写メとっても、いい?」
いいよ、と言った吉田くんも一緒に、私はフレームに入れた。

軽快なシャッター音が、花園に響いた。




I've been calling you.

自宅から徒歩十五分のところに中高一貫の私立大学付属の学校があったので、小学生だった僕はそこに通うことに決めたのだった。入試をパスする程度の学力は僕にはあった。

男子校で六年間を過ごした反動だろうか、大学で女の子のふわふわしたきれいな服装を見ると、眼がひっぱられた。僕の学部は特に女の子が多かった。

外から来た人たちには、僕たち内部進学者が少し違って見えるらしい。まあ、そりゃそうだろう、中学高校と大学の施設は隣接して建っていて、建物も人も既になじみ深く、情報も豊富に入ってくる。
高校で文芸部だったので、そのまま大学も石黒たちと一緒に文芸部に入った。

「神崎さん、ですか」
OBの堤さんは、結構多忙な社会人の癖に、時々部室にやってきては僕らの世話を焼いていくのだった。文章のプロである彼の書評は、貴重なものであったし、まぎれもなく良い人だったのだけど。
「うん、お前の事、好きらしいぞ」
そう聞いて、真っ先に僕の頭の中に浮かんだのは、大きな疑問符だった。普通、女の子が誰かの事を好きだったら、もっと優しかったり、こう、手作りのお菓子を差し入れたり、なにかそういうものがあるものではなかろうか。
「先輩にそう言ったんですか?」
「いや、安藤から聞いた。この際、付き合ってみたらどうだ。な、女の子と付き合ったら、お前も携帯失くさなくて済むだろ?」
僕が携帯をしょっちゅう失くすので(携帯だけではないけれど)堤さんがうんざりしているというのは知っているけど、女の子と付き合うと携帯失くさなくて済むのか?
僕は、女の子と付き合ったことがなかったので、わからなかった。

「……という訳で」
僕とお付き合い願えませんか、と神崎さんに尋ねてみた。
カフェオレのカップを両手で持った神崎さんは、軽く首を傾けた。
「そりゃ、私は、吉田くんのこと、好きだけど」
僕は改めてどきどきしてきた。初めて女の子に『好き』と言われた!
でも、逆接の接続詞で文章が終わっている、から?
「吉田くんは、私のこと、好きなの?」
「そりゃ、あ」
何か気の効いた台詞で答えようと思って、慌てて飲んだコーヒーにむせた。
神崎さんがハンカチを差し出す。
「いいよ、汚れちゃう」
僕はおしぼりを使って、テーブルを丁寧に拭いた。


神崎さんは、丁寧に説明した。
どのように彼女が僕を好きかを。
僕のどんなところが好きなのかを。
僕が覚えていない事も、彼女はきちんと観察していて、自分で認めるのが恥ずかしくて、でもそれは僕の美点かもしれない、という部分を、彼女は明瞭に言語化した。

「だから、私たちは『お付き合い』はしない方がいいんじゃないかと思うの」
そうか、そうきたか。
でもそれは、「オトモダチとしてなら」みたいなどこかで聞いた常套句でなくて、すんなりと僕の胸に落ちてきた。


振られたって訳じゃないんですけど、と前置きして、事の顛末を堤さんに報告した。
「お前、愛されてるな」
と、言われて、僕は真っ赤になった。



 野沢君。うむ、原稿は出来ているんだ。そのテーブルの上にある。確認しながらで構わないから、少し、年寄りの思い出話に付き合ってはくれないかね。

 

 

 

 君は今年で何歳になった? 三十五か。いい歳だ。いや、若くて羨ましいという意味だよ。そう何でも言葉の裏を探りなさんな。若い人の悪い癖だ。

 君は、私の生まれた土地のことを聞いたことがあるかね。N県のT村。うむ、遠慮することはない。誰に尋ねても知っている人はいなかったからね。

 山沿いのね、小さな小さな村だった。自然だけは豊富にあった。人の生きる手段は、田や畑にしがみついて農作をするだけでね。うん、それがね。不思議と私は、さほど苦労はせずに育った。

 蚕、という虫のおかげでね。

 そうそう、養蚕だ。よく知っているね。さすがに一流国立大出身だ。いやいや、嫌味じゃないよ。だって君は私の後輩だもの。

 うん、蚕からは絹がとれる。明治以来、生糸、紡績は日本の産業の幹を担ってきた。質の高い絹は、農家のいい現金収入になったんだ。

 

 

 みお、という名だったよ。うん、娘さんがいた。いや、妻とは別の。故郷に。いわば姉のような女性だったねえ。

 なんだろうね、照れくさいが、打ち明けさせてくれないだろうか。

 いや、何も、ないんだ。いや、ないわけじゃなかったが。

 一つ、二つ年上なだけで、なんで女性というものは、あんなに大人びて見えるのだろうね。

 みおは――みおさんは、おかいこ様の世話をしていたんだね。

 当時は、彼女の家の蚕の世話だけをしているものだとばかり思っていた。そう、桑の葉だけを食べて蚕は育つ。そして、絹を吐いて繭を作る。そうそう、よく知っているね、君は。ほう。なるほど。

 桑の葉は蚕の食糧に、実は甘くて、子供のおやつになる。みおさんはよくお椀に桑の実を盛って、私にくれたものだったよ。食べると口の周りが紫に染まってね。

 背中にしょった籠に桑の葉を満たして、家と畑を行き来していたね。初夏の緑に村中が染まり、その中にすっと背筋を伸ばしたみおさんが歩いて行くと、私はなんだか、そわそわしてしまってね。彼女の後姿を、目で追いたいような、逃げ出したいような。

 

 ふふ、そうだ。初恋だったねえ。そんなに嬉しそうな顔をするなよ、野沢君。

 その頃、私は、村では神童と持て囃されていてねえ、はは。まあ、その、ちょっとばかり出来が良かったんだな。中学へは当然、もっと上の学校へもやらせてやろうと親だけでなく、村の人も思ってくれたようだ。

 

 期待に応えようと、私も頑張ったよ。都会の学校に進めると解った時には、そりゃもう有頂天でねえ。

 張ってもらった祝宴の帰り、酒の勢いも手伝ってか、私はね、みおさんの家を訪ねたんだ。

 きれいな星空の夜だった。

 照れくさくて、私は、みおさんの顔をまともに見られなくてね。

 それでも、つっかえながら、私は、みおさんに、迎えに来るので待っていてほしいと伝えた。伝えられた、と思う。

 

 みおさんからの返事は、すぐにはなかった。彼女は黙ってしまったんだよ。もうすでに言い交わした人でもいるのかと、私はやきもきしてねえ。

 わたしはねえ、ってみおさんが喋りはじめて、私はほっとしたね。でも、お嫁には行けないの、って言われて、すぐに息が詰まるように感じた。

 何故か、と私は当然みおさんに尋ねた。

 だいぶ長いこと、みおさんは沈黙したままだった。打ち明けようかどうか迷っていたんだね。

 そして私は聞いた。みおさんが私と結婚できない理由をね。

 

 

 時に、野沢君。君は、雄の蚕と雌の蚕。どちらが上質の絹を吐くか、知っているかね。うん、雄なんだよ。卵を産む必要がないからね。雄の蚕が吐く絹は、上質なんだ。素人考えならば、雄だけを選べば上質の絹が採れると思うだろう。だけど、蚕の雌雄を見分けるのは、それは大変なことでね。とてもそんな手間はかけられない。雄の蚕だけから作られる絹は、貴重なものだったんだよ。

 みおさんは、『視える』人だったんだ。

 驚くだろう。彼女は、卵を見ただけで、雄が生まれるか雌が生まれるか、わかる人だった。もちろん、幼虫を見れば一目で見分けてしまう。

 それがどういう意味を持つか。

 うちの村から採れる生糸は、とびきりの高値で買い取られていたんだよ。そんな名もない小さな村から採れた糸を、織り元は競って手に入れて、高価な布になり、華やかな場所を彩ったんだ。

 天長さまの御直衣にもなりました、みおさんはたしかに頬を紅潮させてそう言った。それは彼女にとって大変な誇りだったろう。そして、何が私たちの生活を支えているのか、誰のおかげで私は都会に学びに行けるのか、同時に思い知ったんだ。

 

 

 うん? ああ。彼女の『視える』力は、結婚してしまうと――まあ、直截な言い方をしてしまうと、生娘でないと消えてしまうんだそうだ。一種の巫女だね。

 私の村では、昔からみおさんのような女性がいて――跡を継ぐ者が育って、代が変わるまでは結婚は出来ないことになっていた、そうだ。

 

 

 みおさんが自分の立場をどのように感じていたか。それは私にはわからない。私とて少しは自惚れたいからね。彼女は残念に思ってくれたと信じたい気持もある。

 

 

 天から授かる糸を、人には作りえない糸を、虫が吐く。みおさんが天から授かった力で虫を選り分け、極上の絹を生む。

 それは、ある意味、幸せなことのようにも、私には思えるようになった。

 ずいぶん後になってのことだけれどね。

 

 

 

 どうかね、野沢君。私の吐いた今回の糸は。そうか、ふふ。それは、嬉しいね。

 ありがとう。

 

 

 

 

 五十二歳のホームヘルパー、久保妙子は手慣れた動作で老人の襁褓を取り換える。半ば白濁した眼球は薄く開き、何故か今日は、軽く微笑んでいるようだと彼女は思った。

 

 

 

 

 

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