Alf Layla wa Layla

創作小説を書いています。いまのところ掌編ばかりです。

2011年04月

蒼い、消えない

四歳の時、溶接の火花から目が離せなくなった。
それはどこからの帰りだったろう。ピアノのレッスンだろうか。それとも幼稚園の帰りだったろうか。
私の両親はいたく石原慎太郎著「スパルタ教育」に感化されていたので、私はどこへ行くにもたいてい独りであった、幼少の頃から。
独りの幼児が駅までのある時は霧にまみれた道を歩き、電車に揺られ、または田舎道をひたすらに教室へと歩いていた訳である。
それはまんざら悪い経験ではなかった。
春のむせるような暖気と花粉の匂いの中、うだるアスファルトに膝をつき、用水路の水に棲むメダカを見るのも自由であったし、菜の花の並ぶ畑を心ゆくまで眺めるのも自由であった。
孤独と自由はニアリーイコールであると、私は子供の頃から教育されてきた。

仮面を被った作業服の人が、消えない花火を手元で照らし続けているので、私は目が離せなくなったのである。離せなければその場でずっと立ちすくみ、それを見続ける自由が私にはあった。
火花は蒼く、夏のすぐ落ちて消えてしまう線香花火の頼りなさとも無縁で、蒼く力強く迸る火花に、四歳の私は魅せられ続けた。
綺麗だと。
ずっと見ていたいという欲望のままに私はそれを見続けた。


私の眼球の異常に気付いたのは両親のどちらであったろうか、それはもう記憶にない。
赤い血の斑点が私の眼球に出来、それはだんだんと大きくなった。
医者に診せると、手術が必要だと言われたらしい。
小学校に上がる前、私は眼球にメスを入れることとなった。
手術の過程については覚えていない。
点眼液をさされ、しばらくすると何かをされて、あとは母親の饒舌な、感傷交じりの雑言しか記憶にないのだ。

その僅かな記憶から言えるのは、私の眼球の異常は、異物が眼球に入ったことから起きたらしい。
眼球にささった極小の異物を、生体は異物と認識し、肉と血管でそれを覆った。
くるくると肉片と血管はそれを巻き込み、それ以上の異変を身体に起こさぬように防御をした、ようだ。

「鉄粉がね、刺さっていたのよ。こんなに小さいの。どうしてこんなものが目に入ったのかしらね」

母親から指に張り付けるように見せられたその尖った鉄粉を見て、幼児であった私は、その少し前の自分の愚行に幼いながらも気付いた。

「わかんない」
幼児の無邪気さで私はあからさまな嘘を答え、消えない花火を見せ続けた人の鉄仮面を思い出す。

そして蒼い火花は私の秘密となり、ここに長い時を経て暴露される。



sleeping

広大な丘陵を削って建てられたキャンパスは、学部ごとに施設が分けられていて、中世の城砦都市のようだ。
近道の、舗装されていない階段を降りながら、私は思う。
入学して二年経つけれど、まだ踏み込まぬ未知の領域がここにはたくさんある。
高校の時、校舎の隅々まで知り尽くしていた頃とは、ずいぶんな違いだ。

「ヒミツのハナゾノって、ずいぶんな」
悪趣味なのか、直すぎるのか、なんとも評し難いが、新しくできた食堂の裏手に廻り込んだところが、そこなんだそうだ。
壁と則面の狭い間を通り抜けると、一気に視界が広がった。

「うーわ」
ヒミツのハナゾノのネーミングが安直すぎるのと、キャンパスの草むらに寝転ぶ学生というあまりにもありそうでしかし初めて見る状況に、私は唸り声を出した。
「吉田くん、あなたはまた少女漫画のようなことをして」
絵に描いたように顔の上に開いた本を乗せている。
こんなことをしても読めないし、呼吸困難になるだけなのに。
おまけに本当にやったら、よだれで本が痛むのに。
「いや、目閉じてもまぶしいからさ」
「じゃあ、ハンカチかけてあげようか」
「……いいよ」
吉田くんは、本を手に取り、半身を起こす。
「なに? また堤先輩?」
そうそう、と私は半ば苦笑する。
「呼んでたよ。『熱帯雨林』行くそうです」
「あー……」
吉田くんの視線が、宙をさまよう。
でも、吉田くんは絶対断らないよね。いいひとだから。
「あー、神崎さんも一緒に行く? 最新号読んだでしょ」
「遠慮しとく。私、お金ないし」
「僕がオゴリマス。……あ、ちょっとまって」
ごそごそとジーンズのポケットに手を突っ込み、窮屈そうにお金を掴みだす。
握った手の中をざっと見て、「うん、大丈夫」とお金をポケットに戻す。
「……吉田くん、財布は?」
「え? 財布ない」
「なんで。不便じゃない?」
「だってさ。財布は落とすけど、ポケットは落とさんだろ」
「そうだけど」
「落とすより落とさない方がいいでしょう」
言いながら、吉田くんは伸びをする。
まあ、そうなんだけど、と思いながら、私は吉田くんの横顔を盗み見る。

……うん、そうだよね。

風がこんな半端なスペースにも吹いて、ハナゾノの謂れらしき桜が、ちらちらと花びらを落とす。
「艶っぽくていいよね」
「なにが」
「桜」
「そう?」
「ここの桜はソメイヨシノじゃなくて、山桜なんだ。ほら、もう葉っぱも一緒に出てるでしょ。山桜は散り方に風情があって、いい」

そうなんだ、詳しいねと言うと、まあ、桜はバラ科だからというなんだかよくわからない理由を吉田くんは口にした。

ちらちらとくるくると桜の花弁は複雑な落ち方をして風に流され、きっと花弁の形状が微妙にソメイヨシノとは異なるのね、と私は思って、また吉田くんの顔を見た。




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