一枚の絵に複数の人の大切な人生が宿り、交差します。
そのことが、デトロイト市の財政破綻という経済的な危機によって浮き彫りにされ、意味を明確にしてゆくのです。
「年金生活者を圧迫するのと、美術品をそのままにしておくのとどちらをとるのか?」という責めの声が世論として拡がってゆきます。

「生産性」の有無について軽口を叩く政治家や役人がいます。
人間を能率や利便性というものや機械のように捉える鈍さ。
それは、政治や経済にかかわる人だけではなく、そのことで人の命を奪う殺人犯も然りです。
その根っこにある思想が同じであることに恐怖を想います。
年金生活者を人生のかけがえのない功労者、ベテラン選手と言い換えれば何が大切かは明確です。
また、美術作品を人間の創造性の発露とそれにふれる人の魂の救済だと捉えれば然りなのです。
どちらも「非生産的なもの」として捉えて、あたかもこの世の重荷であるかのような認識をしているその鈍さに愕然とします。

原田マハさんは、その鈍さに対して、人間を塊で扱わず、ひとりひとりの人生の物語としてとりあげることで、救済を試みるのです。デトロイト美術館には「友だちがまっている」と。
その「友だち」は、人と人のつながりや人生の彩りを生み出し、生きる糧や愛を創生するのだと、静かに真に確かに唱えます。
その筆致に平和な世界の礎をつくるヒントが隠されています。
原田マハさんの思想が熱く伝わる名作です。