0001 NHKNHK放送文化研究所は、「放送研究と調査」2024年5月号を刊行した。
今月号で注目される論考は、本編では「子どもたちはテレビや動画にどう接し、学習をしているのか」「メディアの中の多様性を問う ~ジェンダー課題を中心に~」「放送史料探訪 —占領期の『放送委員会』関係資料」など、「メディア・フォーカス」のコーナーでは、「英BBC会長演説で "BBCの未来" 展望、受信料制度の改革にも言及」「香港『国家安全条例』可決・施行で報道の自由への懸念の声相次ぐ」「NHKのネット活用業務の必須業務化を盛り込んだ放送法改正案、国会へ提出」などである。

◆ 5月号の目次は、次のとおり。
  https://www.nhk.or.jp/bunken/book/monthly/pdf/i202405.pdf

◆ 5月号の一部の記事については、サマリーを次のサイトで読むことが出来る。
  なお、今号の各記事の全文は、来月初めに公開される。
  https://www.nhk.or.jp/bunken/book/monthly/index.html?p=202405

◆ 前号4月号の各記事の本文及びサマリーは、次のサイトで公開されている。
  https://www.nhk.or.jp/bunken/book/monthly/index.html?p=202404

ロゴ・NHK(新)
NHKのインターネット配信を「必須業務」とする、放送法の改正案が5月17日の国会で可決、成立し、今後はテレビを持たない場合でも、スマホやパソコンでNHKの配信番組の視聴手続きをした人は、NHKと受信契約を結び受信料を支払うになるという。
時事通信などが報じている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024051700145

これを受け、MHKは「改正放送法の成立について」と題するコメントを発表した。
https://www.nhk.or.jp/info/otherpress/pdf/2024/20240517.pdf

HCJB日本語放送(Reach Beyond-Australia)は、今年5月1日に放送開始60周年を迎えた。同局は、これを記念して、ホームページに「HCJB日本語放送60年の歩み」を掲載している。
1月から始まったシリーズは、「(1)放送開始の日!」、「(2)南米向け放送開始」、「(3)NHK中央研究所(1967〜68年)」、「(4)HCJB日本語放送のファミリー・ヒストリー」に続き、このほど、その第5回目を掲載した。
その中では、1970年代の所謂「BCLブーム」を紹介している。当時の若きリスナーの熱気が伝わってくる回想録である。
(1)https://reachbeyond.chowder.jp/Messages/Archives/ProgramNote_01_2024.pdf
(2)https://reachbeyond.chowder.jp/Messages/Archives/ProgramNote_2_2024.pdf
(3)https://reachbeyond.chowder.jp/Messages/Archives/ProgramNote_3_2024.pdf
(4)https://reachbeyond.chowder.jp/Messages/Archives/ProgramNote_4_2024.pdf
(5)https://reachbeyond.chowder.jp/Messages/Archives/ProgramNote_5_2024.pdf

HCJBの日本語放送は、1964年5月1日、赤道直下の国・南米エクアドルの首都キトから、尾崎一夫・久子ご夫妻が、「アンデスの声」として、その第一声を世界に向けて放送した。
IMG_20240522_0003B「アンデスの声」は、残念ながら2000年12月31日の放送を最後に、エクアドルからの放送は姿を消したが、その後、熱心なリスナーの要望に応えて、番組制作の本拠地を米国シカゴに移し、放送を再開した。シカゴのスタジオで制作した番組は、インターネット回線を通じて、オーストラリアの Reach Beyond-Australia に送り、同国北西部のクヌヌラ送信所から日本のリスナーに届けるという形が定着して、現在に至っている。
HCJB日本語放送は、尾崎一夫・久子ご夫妻が「二人三脚」で作り上げてきたものであるが、「BCLブーム」世代のリスナーからは「短波の母」と呼ばれ、親しまれていた久子さんは2006年9月17日、心不全のため天国に旅立った。
妻を失った悲しみを乗り越えて、夫の一夫さんは、その揺るぎない使命感を背負って、親思い、祖父想いの家族と放送現場の多くのスタッフに支えられ、時にはリスナーの応援も得ながら、元気に番組を制作し、放送を続けている。

◆ HCJB日本語放送は、毎週土曜・日曜の朝と夜に放送している。
https://reachbeyond.chowder.jp/SW_Schedule/SW_Schedule.html
http://reachbeyond.chowder.jp/

現在、尾崎一夫さんは、米国在住の家族と一緒に一時帰国中で、日本各地の教会などを巡っている。5月18日には岡山で尾崎さんを囲んで「リスナーの集い」が開催され、5月25日には東京・淀橋教会で「HCJB日本語放送開始60周年記念の集い」が開催されることとなっている。
https://reachbeyond.chowder.jp/SW_Schedule/2024Japan_Schedule.pdf

尾崎さんの一時帰国については、5月19日付け毎日新聞の一面コラム「余録」で紹介されている。
https://mainichi.jp/articles/20240519/ddm/001/070/098000c
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0001 NHK技研
NHK放送技術研究所(技研)は、最新の研究開発成果を一般に公開する
「技研公開 2024」を、5月30日から6月2日まで開催する。
今年のテーマは「技術で拓くメディアのシンカ」である。
https://www.nhk.or.jp/strl/open2024/

NHK放送技術研究所のトップページは次のとおり。
https://www.nhk.or.jp/strl/

KBS日本語番組に、これまで聞いたことのないお声のアナウンサーが出演したが、彼女は新規採用されたのか、KBSの他部署から配置換されて日本語班に異動したのかは、現時点ではわからない。
4月24日放送のニュースは、校閲委員の原英司さんと、この女性アナウンサーが担当し、最後にお二人の名前を紹介したが、彼女のお名前が正確には聞き取れなかった。
同番組の開始部分と終了部分の抜粋は次のとおりである。
http://swlinformation.livedoor.blog/KBS-newannouncer-20240424.MP3

KBS日本語放送のホームページおよびスタッフ紹介サイトは次のとおり。
https://world.kbs.co.kr/service/index.htm?lang=j
https://world.kbs.co.kr/service/about_member.htm?lang=j

HCJB日本語放送(Reach Beyond-Australia)は、今年も「日本ふれあいの旅」を
計画しており、日本語番組ディレクターの尾崎一夫さんご一家の日本滞在中、岡山と
東京で「リスナーの集い」が予定されている。
詳細は次のとおり。
https://reachbeyond.chowder.jp/SW_Schedule/2024Japan_Schedule.pdf
https://reachbeyond.chowder.jp/

KTWR日本語放送フレンドシップラジオは、4月21日にホームページに掲載した「お知らせ」中で、「(今後は)受信確認対象番組についてのアナウンスは、番組内では流れません。放送終了後に、当HP送信フォームをご確認下さいますように、お願いします」と告知した。
同局では従来、番組内で当該番組が「受信確認対象番組」であることを告知して、この番組の受信報告に対して受信確認証を発行し、これ以外の番組の聴取報告に対しては "Friendship Card" として、御礼のカードを発行してきた。
https://friendshipradio.net/ktwr.htm

米大リーグのロサンゼルス・ドジャースは、一週間ほど続いた敵地での試合が終わり、本拠地ドジャースタジアムに戻ってきた。いよいよ本領を発揮してきた大谷翔平選手の雄姿を、テレビ中継で観ている。
老夫婦二人だけのわが家の一日は「大谷」の試合中継で始まり、「きょうの大谷」を伝えるスポーツニュースで終わる。

テレビで大リーグ中継を観ていると、大谷選手の素晴らしいプレーも然ることながら、かつて2度ほど観戦したことがあるドジャースタジアムの、球場全体の眺めや観客全員が一体となった応援風景を想い出す。
1991年の夏、「野球大好き少年」だった高校生の長男と中学生の次男を連れて、ドジャースタジアムでドジャースの試合を観戦した。未だ野茂英雄さんが入団する前で、あの時はメジャーリーグの球団には日本人選手はいなかったように記憶している。
子供たちは、メジャーリーグの試合を観ることが出来るというので大喜びだったが、私自身は野球の知識に疎いので、本場の野球を楽しむアメリカの人々の姿を眺めて、社会科見学をするつもりで出掛けた。
ドジャースタジアムは、ロサンゼルス市の中心部から離れた小高い丘の上にあるので、車の免許を持っていないわが家は、路線バスを利用した。ホテル前からバスに乗って30分ほどである。あれから約30年、今では、無料のシャトルバスが走っているという。
往路の路線バスは「球場下」に停まり、そこから10分ほど歩いて丘の上に向かって歩けば、ドジャースタジアムである。
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予め購入しておいたチケットを提示して球場に入り、売店で名物の「ドジャー・ドッグ」を買って、席に着いた。
試合の前には「星条旗よ永遠なれ」が流れ、観客の皆んなが起立して、胸に手を当てて歌う風景は感動的でさえある。当時の日本では、野球場で試合前に「君が代」が流れることは、未だなかったように思う。
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試合経過は全く覚えていないが、7回裏の攻撃が始まる前に、観客が総立ちして歌う "Take Me Out To The Ball Game"(私を野球に連れてって)を聞いていると、「これぞ、本場アメリカのプロ野球!」と実感したものだ。

ゲームの途中で、観客と選手がフェンス越しに話しているのを見て、観客が騒然とした風景だけは印象に残っていて、翌日の「ロサンゼルス・タイムス」を買ったところ、スポーツ面に、その時の写真が載っていた。観客が球を捕ってしまったので、「2塁打」と判定されたトラブルだったらしい。この記事を読むと、シンシナティ・レッズが延長10回、4-3で、ロサンゼルス・ドジャースに勝利したとある。
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試合が終わって、夜遅く、路線バスでホテルに戻らなければならない。
往路はバス停から球場までかなり歩いたが、復路のバスは球場の駐車場から出発するので、助かった。
問題は、ホテル近くのバス停からホテルまで歩かなければならないことである。夜のロサンゼルスを歩くことは危険と隣り合わせである。子供を挟んで、親が前と後ろに付き、4人が手を繋いで、歩道の真ん中を歩いた。ビル側に寄れば、ビルの谷間に引き込まれ兼ねない、道路側に寄れば、通りがかりの車に乗せられてしまうかも知れない。早足で10分ほど、無事にホテルに戻った時には、ホッとしたものだった。

2007年の夏、この時は、われわれ夫婦だけで、ドジャースタジアムを訪れた。
ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツとの対戦だったが、具体的な試合経過は覚えていない。今、ネット検索してみると、この日の試合結果は、ドジャースが8-6でメッツに勝利したという記録が現れる。
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チケットの窓口で座席表を見せられ、どこの席を希望するか尋ねられたので、料金の安い最上階の席を購入した。席に向かう途中、3塁側で試合前練習の選手が見えたので、メジャーリーグの選手を間近に見たいと思い階段を降りて行くと、途中から「サイロー、サイロー」と呼びかけている観客の声が聞こえた。野球に詳しい、わが連れ合いが「斎藤隆投手のことではないか?」と言うので、観客席の一番下まで、急いで降りて行くと、「背番号44」の斎藤選手が同僚選手と談笑していた。
間もなく、待ち構える観客に近づいてきて、サインの求めに応じた。連れ合いも、持っていたトラベルノートを差し出して、斎藤選手にサインを頼んだ。良い旅の想い出となった。
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今でも、メジャーリーグのテレビ中継に、斎藤隆さんが解説者として出演しているのを観ると、あの時の風景が蘇ってくる。

旧「モスクワ放送」のアナウンサーだった日向寺康雄さんが逝って、きょうで100日で
ある。日向寺さんが天国で安らかなることを、改めてお祈りいたします。

1月5日の昼過ぎ、ラジオ仲間の知人から、日向寺さんの訃報が届き、本当に驚いた。
日向寺さんは昨年12月下旬、ご自身のフェイスブックに「緊急入院したので、当分の間、
連絡できません」と書き込んでいたが、こんなに早く別れの日が来るとは信じ難いことで
あった。

私は、1月10日の火葬に伺うことが出来ないので、前々日の8日に、ご遺体の安置所で
日向寺さんと対面し、別れを告げた。
あの、ふくよかなお顔のままで、本当に眠っておられるような、安らかな表情だった。
65というお歳では、未だ遣り残したことも多く、悔しい、そして、残念な想いであった
ことと思うが、それを顔に表さない、いかにも日向寺さんらしい、穏やかな表情であった。

それから数日後、私の知り合いの方からメールが届き、「日向寺さんは、意識を失う前、
彼の友人と電話で話す機会があり、その時、日向寺さんは『幸せな人生だった』と泣き
ながら語っていたそうです」と、日向寺さんの友人から聞いたお話を知らせてくれた。
このメールを読み、私自身も涙した。

ところで、日向寺さんとの想い出は尽きることがないが、最も強く印象に残っているのは、
「ロシアの声」を巡る様々な動き、例えば、ラジオ放送がなくなり、それに取って代わった
インターネット放送からは音楽・スポーツ番組が消えてしまうようだという危機感から、
2015年に、駐日ロシア大使宛に要請文を送った時のことである。
日向寺さんにお願いして、私が書いた日本語の要請文をロシア語に翻訳していただき、それを同大使宛に送ったのであった。しかし、残念ながら、同大使からは返信をいただくことが出来ないまま、今に至っている。

(要請文・邦文)
在日本・ロシア連邦特命全権大使
エヴゲーニー・ウラジーミロヴィッチ・アファナシエフ 閣下

私は、貴国ロシアの人々を心から敬愛いたしますとともに、人々の豊かな心の現われである偉大な歴史と文化に大きな関心を持っている日本人の一人です。そして、貴国の海外向け放送局「ラジオ・スプートニク」(旧「ロシアの声」)のリスナーであり、1950年代後半から半世紀以上にわたり貴国からのラジオ放送を聴いて、貴国の政治・経済、芸術・文化の理解に努めて参りました。本日は、この「ラジオ・スプートニク」に関するお願いがあり、お手紙を差し上げました。

貴国では2013年12月、「ロシアの声」および「リア・ノーボスチ」を解体・再編し、新しい通信社「今日のロシア(Россия Сегодня)」を発足させる大統領令が発表されました。更に、2014年11月には運営母体の名称が「スプートニク」とされたことに伴い、ラジオ放送の名称が「ロシアの声」から「ラジオ・スプートニク」に変更されました。この間、日本向けラジオ放送は「短波」と「中波」による放送が廃止され、「インターネット」による放送だけとなりました。われわれラジオリスナーは残念に思いつつも、時代の変化という背景もあることを理解し、「インターネットだけの放送」も止むを得ないこととして受け入れ、「ラジオ・スプートニク」のインターネット日本語放送で発信される多様な番組内容から、貴国の芸術・文化の奥深さを学んで参りました。

ところで、放送局の名称が「ロシアの声」から「ラジオ・スプートニク」に変更されたことは、私にとっては大きなショックでありました。主要20ヵ国(G20)のほとんどの国が海外向け放送を実施していますが、その名称には、国名や地域名が冠されています。その点において、放送局の新しい名称に「ロシア」あるいは「モスクワ」が冠されていないことから、貴国ロシアからの海外向けラジオ放送局はアイデンティティーを失ったのではないかとさえ思われます。

このような中にあって、「ラジオ・スプートニク」が伝えるところによりますと、本年5月には同放送局の指導部から「番組内での音楽の使用を停止せよ」との通達が出され、日本語放送の1時間番組は「ニュース」と「情報分析プログラム」のみという「報道一色」の番組編成となり、従来から放送されてきた音楽・文化・スポーツ番組、リスナーとのお便り交換番組などは姿を消し、「ラジオ・スプートニク」の放送からは音楽が一切流れず、かつロシア人及び日本人スタッフの生き生きとした「ナマの声」が聞かれなくなってしまいました。

「ラジオ・スプートニク」の指導部は、世界情勢が緊迫化しているとの認識から「報道重視」の姿勢を打ち出されたようでありますが、なぜ番組での音楽の使用が停止され、文化・スポーツ番組などまでが廃止されるのか、その理由がわれわれリスナーには到底理解できません。

貴国の海外向けラジオ放送は、85年以上に亘って「ロシアの文化」を世界に発信し続けてきた輝かしい歴史と伝統を有しています。そして、2012年3月には東京において「ロシアの声(モスクワ放送)日本語放送70周年祝賀会」が開催され、在日本・ロシア連邦大使館からも担当書記官がご出席され、祝賀メッセージを披露されました。

「ラジオ・スプートニク」日本語放送の現状を俯瞰すれば、われわれリスナーだけでなく、貴国の日本向けラジオ放送を支え、発展させてきた先人たちの苦労が水泡に帰し、彼らを悲しませるに違いありません。 今、「ラジオ・スプートニク」に求められることは、番組編成を「報道一色」にすることではなく、程よいバランスを維持するために、音楽・文化番組などを復活させることであります。それが、貴国ロシアが国際社会において名誉ある地位を占めることに繋がる道だと信じます。

日本とロシアの懸け橋という大きな使命を持つ「ラジオ・スプートニク」は、現在の状況では、多くのリスナーを失いかねず、結果として、両国の相互理解の有力なチャンネルを失うことになるでしょう。

在日本・ロシア連邦大使館のホームページにおいて、大使閣下は「日本はロシアの重要なパートナーなのです。ロシアと日本は、もっと協調し合える分野を拡大し、相互理解と経済関係、友好関係を深めていけるはずであり、その豊かなポテンシャルがまだ埋もれたままになっているということを深く信じています」と述べていらっしゃいます。
正に、ご指摘のとおりであると、私も信じております。そうであればこそ、日本とロシアの相互理解のチャンネルの一つである「ラジオ・スプートニク」の存在は、極めて重要であります。

大使閣下におかれましては、斯かる状況に鑑み、ロシア連邦各関係機関に対して、「ラジオ・スプートニク」日本語放送が「報道一色の番組編成」から「多様性のある番組編成」に改善されるよう働き掛けていただきたく、特段のご配慮をよろしくお願い申し上げます。

2015 年 6 月 2 日
 署   名  (サイン)


(当ブログ過去関連記事)
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/39380029.html

米国 Radio Free Asia(RFA)から、2024年第1期のベリカードが送られてきた。
1月から4月までの受信報告に対して発行されるものである。
カードには、今年の干支に因んで、青龍の雄姿が描かれており、周りにRFAのロゴと
"2024 YEAR OF DRAGON" の文字が配されている。なお、カード下部に印字されている
「英語の逆さ文字」については、後述したい。
IMG_20240408_0001
このように、拙宅のスキャナーでは、青龍の背景にある「空」と「雲」の微妙な色調が
現われない。今年1月に同局から届いた「ベリカート発行案内」のメールに添付されて
いる電子画像では、多少は鮮明に見える。
0001 RFA
因みに、カードの裏面には "Radio Free Asia(RFA)Welcome the year of the Dragon with the latest QSL card. Our first broadcast was in Mandarin Chinese on Sunday, September 29, 1996." などと記されている。
IMG_20240408_0002
Radio Free Asia のホームページおよび放送スジュケールは次のとおり。
https://www.rfa.org/english/
http://www.rfa.org/about/info/frequencies.html

なお、米国からの郵便物では、自動読取機での区分作業を効率化するため、宛名面の下部にバーコードが付されているのが一般的であるが、今回届いたベリカードでは、このバーコードだけでなく、宛名面の反対面(青龍の描かれている面)の下部に印字された「逆さ文字」を回転させると "CAPITAL DISTRCT 208" "29 MAR 2024 PM4 L" となっている(最上段の画像参照)。
首都・ワシントンD.C.の集配局で、3月29日午後4時に投函されたことを示していると思われ、それぞれに意味を持っているのであろうが、真の理由は解らない。
IMG_20240408_0005B

「FM三重」からベリカードが届いた。
旅行で滞在した名古屋市内のホテルで、夜9時半から1時間ほど同局を受信したが、10時前の5分間は自局が主催するイベントの情報を伝えたが、大半は在京キー局が制作する番組を放送していた。
カードのデザインは、表面は、2005年の開局20周年の際に決定した、愛称とシンボルマークを配し、メッセージ欄には「有難うございました!」と手書きされている。
また、裏面は、各送信所の所在地と送信周波数が記載されているのみである。
0001 三重
0001 三重-C
「FM三重」のホームページは次のとおり。
https://fmmie.jp/

「FM三重」の愛称とシンボルマークについては、次のサイトで解説されている。
https://fmmie.jp/program/eveningcoaster/2015/10/post-73.php
https://www.japanfmnetwork.com/extra/map/mie.html
https://dainichi-p.co.jp/bm_series/art-block/レディオキューブfm三重様-《開局30周年》
0001 三重FM-C

「FM岐阜」からベリカードが届いた。
旅行で滞在した名古屋市内のホテルで、同局の朝の情報番組を聴き、東京に戻った後に
受信報告書を送った。
朝のニュースは、岐阜県の地元紙の提供素材ではなく、「中日新聞」提供のものだった
ことに注目して聴いた。
カードには、地図上で見る岐阜県の形の中に、花の季節の岐阜城、夏の長良川の鵜飼、
そして、同局の地元・大垣市の花火大会であろうか、岐阜県を代表する3つの風景が
配され、その下に同局のコールサインと中継局が記されている。
裏面には、受信データが記載されている。
0001 FM-GIFU-A
0001 FM-GIFU-B
「FM岐阜」のホームページは次のとおり。
https://www.fmgifu.com/

◆ 岐阜県の地図の形は、同県のホームページ左上に見ることが出来る。
  https://www.pref.gifu.lg.jp/

ロゴ・KBS(新)
KBS日本語放送は、パーソナリティのプロフィールを紹介する「出演者名鑑」のサイトをこのほど更新した。3月末の番組改編により、お便り紹介番組「玄海灘に立つ虹」に新たに加わったスタッフの情報が掲載されている。
http://world.kbs.co.kr/service/about_member.htm?lang=j

KBSのトップページは次のとおり。
http://world.kbs.co.kr/service/index.htm?lang=j

名古屋の「FM愛知」からベリカードが届いた。
旅行で滞在した名古屋市内のホテルで、同局の朝の情報番組を聴き、東京に戻った後に受信報告書を送った。
カードは、「愛知(AICHI)」の "A" をデザインして、同局のブランドシンボルとして取り入れた「Action Button」を、「局名」の周りに鏤めたものとなっている。
カードの裏面には、受信日と受信地だけの簡単なデータが記載されている他、受信周波数を示す「名古屋 80.7MHz(東山タワー)」にマークが付いている
0001 FM-Aichi-A
0001 FM-Aichi-B
「FM愛知」のホームページは次のとおり。
https://fma.co.jp/

(参考サイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/エフエム愛知
https://www.jfn38.com/20200416/03.html

0001 皆既日食
メキシコ、アメリカ、カナダなどでは、現地時間8日の午後(日本時間9日の未明)に
皆既日食が見られるということで、特に、アメリカ各地では大騒ぎになっているらしい。

観光地、刑務所では ——
皆既帯に入る観光地などでは空前の人出が予想され、主要なホテルは予約で一杯になっている他、ある刑務所では、日食に興奮した受刑者が騒動を起こすのをおそれた当局が、日食の時間帯は各房内で静粛にせよという命令を出したところ、受刑者が「日食を見る権利が侵された」として訴訟を起こしたという。
コラムニストの冷泉彰彦さんが、ニューズウィーク日本版のサイトで紹介している。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2024/04/post-1348.php

大リーグでは ——
ニューヨーク・ヤンキースは、皆既日食のため試合の開始時間を変更すると発表した。本拠地ヤンキースタジアムで行われる対マイアミ・マーリンズ戦の開始時刻が、当初予定の午後2時5分から午後6時5分に変更される。又、先着1万5000人に「皆既日食Tシャツ」が配布される。
「日刊スポーツ」のサイトで報じている。
https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202404050000307.html

ラジオの世界では ——
ラジオ愛聴者の間では、皆既日食がラジオの電波にどのような影響を及ぼすかに関心が集まっている。"Shortwave Central" のサイトでは、この話題を紹介している。
https://mt-shortwave.blogspot.com/2024/04/radio-101-how-will-solar-eclipse-impact.html

日本では、現地から生中継 —―
ウェザーニュース社は、You Tube チャンネルを通じて、9日午前2時から皆既日食の様子を現地から生中継する予定となっている。
https://www.youtube.com/watch?v=93Loa3YCmA8

(関連情報サイト)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000037694.html

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