北京に戻った後も、旅行初日に宿泊した北京国際ホテルに滞在することにした。
朝食は、北京駅の近くにある中華風ファーストフード店で、本格的な「お粥」を食べた。
白ご飯のお粥ではなく、味付けされたお粥で、これは美味であった。

ホテルから、このファーストフード店に行くには、長安街通りを渡らなければならないが、地上ではなく、地下道を通って渡っていくことになる。その地下道の入口で、ある風景に
出会った。

何かの掲示板に多くの人々が集まっている。何が掲示されているのだろうと思い、近づいてみると、それは新聞の掲示板であった。当時、日本のテレビでも良く紹介されていた、中国独特の風景である。現在では、中国では「人民日報」などの硬派の新聞の他にも、数種類のタブロイド紙が発行されているようで、人々は新聞スタンドで買い求めていくが、われわれが旅行で訪れた2001年当時は、中国の人々、特に新聞を買う経済的余裕のない人々は、街中の新聞掲示板で「人民日報」を読むのが一般的だったようである。否、実際は人々には統制された情報のみを伝えるという国の政策によるものだったのかも知れない。

そして、地下道に入っていくと、一人の男性がシートに座ったまま、物乞いをしているように見えた。本当に生活に困って物乞いをしているのか、あるいは、そのように装って人々の関心を惹こうとしているのか、即座に判断することはできないが、私が学生だった頃、友人から「中国、ソ連、北朝鮮は社会主義国家で、人々は皆んな豊かに暮らしているので、物乞いをしたり、モノを盗む人はいないんだよ」という話を聞いたことを想い出した。
確かに、あの時代、この国には、そう言った「皆んなが等しく豊かな社会」があったのかも知れない。しかし、時代が変わり、旅行で訪れた北京の街で見たのは、この現実の風景であった。

朝食を食べた後は、地下鉄に乗って、天安門広場に向かった。
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先ずは、「毛沢東紀念堂」を訪ねたが、見学客が長蛇の列で、見学するのを断念し、別の日に時間を見計らって訪問しようということにした。「人民大会堂」や「英雄紀念碑」などを眺めながら、天安門に向かって歩くと、結婚の記念写真を撮っている若いカップルを見つけた。珍しい風景に出会い、パチリとシャッターを押した。
朝、地下道でシートに座っていた男性と、この幸せそうなカップルの姿に、中国社会で生きる人々に格差と分断が広がっていることを見る想いだった。
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間もなく天安門に到着したが、その中に構える紫禁城に入ることも諦め、別の日に訪ねることにし、天安門から長安街通りをゆっくり歩きながら、王府井に向かった。
ショッピングセンター「東安市場」に入ると、2階のフードコートで「吉野家」を見つけたので、久しぶりに牛丼を食べた。これは、日本で食べるのと同じ味で、ほっとした。
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昼食の後、店内を廻って土産物を買い、市内バスに乗って、ホテルに戻った。

この日の夕食は、翌日、一足先に帰国する義母の無事を祈って、ホテルのレストランで豪華に「最後の晩餐」と相成った。私は「長城ワイン」に酔った。中国産のワインを口にすることが出来るとは思っていなかったので、本当に良い想い出となった。

珍しさもあり、後日、ホテルの近くのショッピングセンターで「長城ワイン」のボトルを買った。「アサヒビール」や「青島啤酒」と相俟って、ほろ酔い気分になる日々が続いた。「長城ワイン」のラベルを綺麗に剥がして、記念に持ち帰った積りだったが、いつの間にか散逸してしまったようで、残念である。
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(このシリーズは、2001年夏の旅日記を元に、現時点で構成したものです)