日本初の「ニュースキャスター」として知られ、リベラルな報道姿勢で信頼の高かった
ジャーナリストの田英夫(でん・ひでお)さんの生誕から、きょうで102年となる。
0001 田英夫
50年ほど前、苦学生だった私は木賃アパートの3畳の部屋で、TBSテレビが夕方に放送する、田さんが原稿を読み、コメントするニュース番組を、日々視ていた。

ところが、ある日突然、田さんはテレビから姿を消すことになる。
1968年3月27日、TBSテレビの看板番組「ニュースコープ」のキャスターを務めていた田英夫さんは、この日の放送を最後に、番組を降板した。否、降板させられたと言うのが正確かも知れない。

あの日の番組を視たことは記憶にあるし、彼が担当する最後の番組であることは事前報道で知っていたが、彼が発した最後の言葉は、漫然と聞いていたためか、全く覚えていない。
最後の言葉は、「ニュースキャスターたちの24時間」(嶌信彦著、1999年講談社刊)で、次のように紹介されている。(一部抜粋)
  田はいつもの通り、淡々と「ニュースコープ」のキャスターをつとめた。
  報道局内には、田にとって、キャスター最後の日となるのだから、番組終了前に
  何かコメントするなり、政府の圧力に抗議をして締めくくるなりすべきだ、という
  意見もあった。
  しかし、田は今道(注:当時のTBS社長)の立場と心情をおもんぱかって、
  「今日でやめます」とも言わなかった。ただ、いつもなら、「みなさん、それでは、
  また明日」と言うところを、「それではみなさん、さようなら」と、ひと言変える
  ことだけで、万感の思いを込めたのである。

TBSの今道潤三社長 (当時) に対しては、「ベトナム戦争」に関する同番組の報道などを
巡って、当時の政権当局から様々な形で圧力がかけられていて、今道社長は旧知の田さんに
対して、降板を要請したのだと言う。その実態については、本書で詳しく紹介されている。

田さんは、2009年11月13日、86年の生涯を閉じた。

(参考サイト)
https://www.youtube.com/watch?v=Y2jRQFsLHqg
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1826362?display=1
https://sdp.or.jp/statement/statement_2009/dannwa091117.htm