カテゴリ: 懐かしの資料

今から9年前の2014年10月11日、東京の駐日モンゴル国大使館において、モンゴル公共ラジオ局設立80周年、同局海外向け放送開始50周年、モンゴルの声・日本語課設立25周年を記念する「モンゴルの声・リスナーの集い」が開催された。
http://swlinformation.livedoor.blog/archives/1957459.html

この「リスナーの集い」の開催にあたり、同局日本語課では何人かのリスナーに対して世話人になってくれるよう要請した模様であるが、皆さんは社会の第一線で働いているビジネスパースンが多く、仲々時間が取れないことなどから、何れも不調に終わり、私に声が掛けられた。私は既にリタイアしていたこともあり、時間的に余裕があっことから、少しでもお役に立つことが出来ればと思い、世話人を引き受けることにした。

「リスナーの集い」開催まで3ヵ月と迫る中、大使館の会議室を借用するための手続きに何回も大使館に出向いて一等書記官と折衝し、集いの進め方などについては日本語課と電話やメールで遣り取りしたり、リスナーの集いに参加を呼び掛けるための告知は日本短波クラブ(JSWC)を初め、ウェブサイトを主宰して短波放送関連情報を発信しているBCL諸兄にお願いし、更に、過去において「モンゴルの声」に関係した人たちに開催の案内メールを送るなど、大忙しの日々が続いた。

関係の皆さんのご協力をいただき、「リスナーの集い」は盛会裡に終了することが出来た。
世話人を引き受けたことに対する謝礼として、日本語課長のボルガンさんから、ご自身がモンゴル文字で揮毫した色紙をいただいた。「あなたのお名前をモンゴル文字で書きました。この色紙は幸せを呼ぶと言われています」と教えてくださったので、今でもパソコンデスクの前にピン留めして飾ってある。
0001 モンゴル文字
この色紙の他に、「モンゴルのお酒」もいただいた。しかし、アルコールの度数が高過ぎて、とても飲めなかったので、連れ合いが「梅酒」を造ってくれることになった。
「リスナーの集い」から9年が経ち、その「梅酒」も澄んだ琥珀色を呈してきたので、封を開けることにした。あのアルコールの強さはすっかり消え、まろやかな味わいを見せてくれた。感激である。
0001 モンゴル・ウォッカ
早速、「モンゴルの声」日本語課に宛てて、改めての御礼と喜びをメールに書いて送ったところ、6月29日のお便り番組「ウィークエンド・スペシャル」で、それが紹介された。
番組を聴いていると、あのアルコール度数の高いお酒は「モンゴルウォッカ」だったとのことで、モンゴルには度数が低く、日本酒に似た味わいのお酒もあると解説された。
いつかモンゴルに旅する機会があれば、そのお酒も飲んでみたいと思っている。
番組音声は次のとおり。(一部抜粋)
http://swlinformation.livedoor.blog/VOM-20230625.MP3

「モンゴルの声」のホームページは次のとおり。
http://www.vom.mn/ja

今年5月、台風 MAWAR がグアム島を襲い、KTWRの送信アンテナが大きな被害を受けたことから、一般社団法人ビー・ジャパンの「フレンドシップラジオ」が制作している日本語番組が送信できない状況が続いており、復旧の見通しは立っていないという。
https://friendshipradio.net/ktwr.htm

そんな時に、こんな想い出話を書くことは不謹慎かも知れないが、1997年にグアム島を襲った台風 PAKA がKTWRの送信アンテナを直撃して、大被害をもたらしたことを想い出している。
その当時、KTWRからは、太平洋放送協会(PBA)が制作する「太平洋の声」が放送されており、アンテナの修復工事の資金確保の一助にするため、「太平洋の声」では倒壊したアンテナの鉄骨の一部を有料でリスナーに提供することを計画したので、それに応募した。

応募して数ヵ月が経った頃、長さ30cmほどある、銀色の「L字型」と「U字型」の鉄骨の一部が届いた。
私の勤務先には、機械工学専攻の学生が実習する機械工作工場があったので、そこの職長さんに頼んで、「鉄骨」を「文鎮」に加工・研磨してもらい、デスクに置いて愛用していた。事務室を移動した時か、何かの時に、大切な「文鎮」は紛失してしまった。残念である。

次の画像は、1998年4月11日の受信リポートに対して、「太平洋の声」から送られてきたベリカードで、倒壊したKTWRの送信アンテナと修復工事の風景が写っている。
0001 KTWR19980411

ここに、北京放送(現在の「中国国際放送」)の番組案内リーフレットが、2種類ある。
一つは、1962年10月30日から有効のもので、朝は30分番組が1回、夜は1時間番組が4回放送されていたことが判る。
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もう一つは、1965年11月から有効のもので、朝は30分番組が1回、夜は1時間番組が5回 + 30分番組が2回となっており、聴取者の要望に応えて放送時間を増やすことにしたと告知している。
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今年に入り、「断捨離」を精力的に進めている中、既に廃棄したと思っていた「北京放送」(現在の「中国国際放送」)の数種類のベリカードが見つかった。その中で最も古いのは、1962年4月7日の受信報告に対するベリカードで、写真のタイトルは「金闕芙蓉(高)と紫宸殿(低)」である。これらは菊の花に付された愛称なのであろうか。
なお、「金闕」という言葉は、ネット検索してみたところ、白居易の「長恨歌」に出てくるようである。
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これらのベリカードが入っている封筒を見て、発信元が「中華人民共和國 北京广播电台」となっており、国名に繁体字「國」を使いながら、放送局名には簡体字の「广播电台」を使っているのは何故かと、不思議に思われた。
何れにして、60年余の歳月を経て、ベリカードも封筒も、すっかり変色してしまったことは残念である。
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1960年代、海外からの日本語放送を聴いて受信報告書を送れば、放送局からは独自の趣向を凝らしたベリカードが送られてくるという形は、今と同じであった。
日本語放送を行っている局の中には、一度だけでも受信報告書を送ると、その後は受信報告を送らなくても、定期的に様々なリーフレットなどを送ってくる放送局があった。
中国の「北京放送」(現在の「中国国際放送」)である。

1960年代は、中国共産党とソビエト共産党の理論的対立が表面化し、所謂「中ソ論争」が繰り返されていた。また、中国国内では「文化大革命」が起きて、毛沢東思想の浸透が推し進められていた。このような政治状況を背景として、北京放送からは「中ソ論争」に関連する小冊子や「毛沢東思想」を紹介するニュースレターなどが沢山送られてきた。
当時、私自身は未だ、国際政治に対する関心は薄かったが、「中ソ論争」も「毛沢東思想」も、何れ歴史上の一大事として位置付けられる日が来るだろうという、漠然とした予感があり、これらの資料を保存してきた。
次の画像は、1964年7月28日付で発せられた「ソ連共産党中央委員会の書簡に対する中国共産党中央委員会の返書」を解説するB6版、68頁建のリーフレットである。
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次の画像は、タブロイド判、4頁建のニュースレター「北京放送」の1968年5・6月号で、第1面は「毛沢東語録」と「毛沢東同志の声明」で埋め尽くされている他、2、3、4面も「毛沢東思想」一色である。
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1990年代にBCLを再開した頃、アメリカとカナダの短波放送愛好者団体が発行する、幾つかの情報誌の見本を送ってもらったが、最終的には、NASWA(NORTH AMERICA SHORTWAVE ASSOCIATION)が発行する情報誌 "the JOURNAL" を定期購読することに決めた。
当時の年間会費は42ドルで、郵便局でドル建てのマネーオーダーを発行してもらい、それを書留郵便にして、NASWA の本部に送った。
なお、NASWA は、現在も様々な活動を展開しており、世界中の短波放送愛好者から注目されている。
http://www.naswa.net/
0001D

先日の「KDDI大規模通信障害」を機に、公衆電話とテレホンカードが脚光を浴びているという。
私は、現役時代も、リタイアした現在も、名刺入れにはテレホンカード2枚を入れている。特に緊急事態の発生を意識しての話ではなく、「私製テレホンカード」を単なる想い出の品として持っているだけなのだが、今後とも、外出する時はに必ず携行するようにしたいと、改めて意識している。

1990年代だったと思うが、職場の同僚のお兄さんがNTTに勤務していたことから、同僚に勧められて「私製テレホンカード」を作った。500円分のカードを作るのに800円ほど掛かったと記憶しているが、2種類10枚ほどを作り、親戚や知人にプレゼントした。
一つは、1980年頃に撮影した山形県の生家の写真である。撮影した直後に生家は取り壊され、現存していない。このカードは未使用である。
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もう一つは、1987年夏にニューヨークに旅行した際、ハドソン川沿いのホテルから手前に古いアパートを入れてエンパイヤステートビルを撮影した会心の一枚であるが、カラー画像が色褪せてしまったのが残念である。このカードは全額使用済みである。
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公衆電話とテレホンカードなどについては、NTTのホームページで案内している。
https://www.ntt-east.co.jp/ptd/

何回か旅行したことのある「カナダ」という国の魅力に惹かれて、短波情報誌 "DX Ontario" に続けて、"CANADIAN INTERNATIONAL DX CLUB" が発行していた "MESSENGER" の見本誌も送ってもらった。この情報誌には、一般的な受信情報の他、新聞や雑誌に載った短波放送関連の記事のスクラップが転載されており、それが珍しく感じられた。
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"CANADIAN INTERNATIONAL DX CLUB" は、現在でも活動を続けている模様である。
https://cidxclub.ca/

海外の短波放送愛好者団体が発行する情報誌が珍しく思われ、"SHORTWAVE RADIO TODAY" に続いて、カナダの短波放送愛好者組織 "Ontario DX Association" が発行していた "DX Ontario" の見本誌も送ってもらうことにした。A5判、約80頁の冊子で、中波・短波・VHF/UHF の受信情報、ベリカード情報の他にも、国内外の放送界の話題や会員が執筆したコラムなどが掲載されており、大変興味深い内容であった。
次の画像は、見本誌の1994年5月号の表紙で、本文中では "Pictured here is a cell phone antenna along highway 401 in Toronto."(写真は、トロントの高速道路 401 号線沿いにある、携帯電話のアンテナです) と解説されている。
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"Ontario DX Association" は、現在でも活動を続けている模様である。
https://groups.io/g/odxa

1993年頃、私は、少年時代の楽しみを忘れることが出来ず、Panasonic RF-B45 を購入して、ぼちぼちとBCLを再開したと記憶している。時々は「ラジオの製作」という月刊誌を買って、BCL関連の情報を収集していた。
RF-B45:https://dl-ctlg.panasonic.com/jp/manual/rf/rf_b45.pdf
ラジオの製作:https://ja.wikipedia.org/wiki/ラジオの製作

元々「メカ」よりは「情報」に関心があったこともあり、翌年1994年には、日本BCL連盟が発行していた情報誌「My Wave」と日本短波クラブの会誌「SW DX GUIDE」を定期購読するようになった。

そして、更に、世界中のリスナーが愛読している「WRTH」も購入した。
あの時代、わが家には未だインターネットが繋がっていなかったので、「WRTH」に掲載されている広告を見て、海外の短波放送愛好者団体が発行する情報誌も読んでみたくなり、見本誌を取り寄せることにした。

先ず、米国ペンシルベニア州に本部を置く短波放送愛好者団体 SPEEDX(the Society to Preserve the Engrossing Enjoyment of DXing)が発行する "SHORTWAVE RADIO TODAY" の見本誌を送ってもらった。米国内は勿論、欧州、アフリカ、中近東、アジアなど世界各地のリスナーから寄せられた短波放送受信情報やベリカード情報が紹介されていた。
1994年5月号の表紙には、カナダCBCが1949年に制作したリーフレットの画像が配されていた。
0001A
なお、SPEEDX は1995年に解散した模様で、現在は "World Radio History" のサイトで、"SHORTWAVE RADIO TODAY"(この情報誌の前身の誌名は、団体名と同じ "SPEEDX" であった)のバックナンバーを読むことができる。
https://worldradiohistory.com/
https://worldradiohistory.com/Speedx.htm

VOA(Voice of America)の放送開始記念日は、現在では「2月1日」が
定説となっているが、かつては「2月24日」とされていた時代があった。
VOAの関係者の中には「2月25日」と認識していた人もいたという。
次の画像は、1994年に送られてきたベリカードで、楕円形で囲まれた
建物がVOAの本部ビルである。
0001 VOA-A
2002年2月23日、放送開始記念日の前日であったが、同局のメディア
情報番組 "Communications World" は、放送開始60年特集番組を放送し、
「1942年2月24日にドイツ語で放送したのが始まりであった」と、
貴重な音源も含めて、紹介していた。
https://drive.google.com/file/d/1kbARLdDG2fKbQInxQpO6B_lwc2hpJXqQ/view?usp=sharing

"Britannica" のサイトでも、"Voice of America (VOA), radio broadcasting network
of the U.S. government, a unit of the United States Information Agency (USIA).
Its first broadcast, in German, took place on February 24, 1942..." と解説していた。
https://www.britannica.com/topic/Voice-of-America

更に、2002年2月26日、放送開始記念日の2日後であったが、ワシントン
D.C.のVOA本部では、当時のブッシュ大統領が出席して、放送開始60周年
記念式典と祝賀パーティが開かれ、その模様は短波放送でも実況中継された。
https://drive.google.com/file/d/1l9h2IVmL9BemXzGzaNZoV77uYaXXhDId/view?usp=sharing

ところが、2010年になって、かつてVOAに勤務していた Chris Kern さんが、
米国国立公文書館に保存されているVOAの放送原稿を初め、VOA関係者の証言
や著書などを徹底的に分析し、"The Real First Broadcast of the Voice of America"
と題する論考にまとめて、「VOAの放送開始は1942年2月1日であった」と
発表した。
http://www.chriskern.net/essay/voaFirstBroadcast.html

Chris Kern さんの論考の発表を受けて、VOA局内では様々な検討がなされたもの
と推測されるが、同局のホームページでは、2012年1月31日に放送開始70
周年の特設サイトを起ち上げて、「放送開始記念日は2月1日」と紹介した。
https://www.voanews.com/a/voa-celebrates-70th-anniversary--138498474/151424.html
https://www.insidevoa.com/a/voa-looks-to-future-on-70th-anniversary-of-first-broadcast-138422554/178589.html

更に、2017年2月1日には、放送開始75周年の特設サイトが公開され、ここ
でも「VOAの放送開始記念日は2月1日」となっており、この説が定着したように
見える。
https://www.voanews.com/a/voa-celebrates-75-years-on-the-air/3701252.html
https://www.insidevoa.com/p/6370.html
https://www.insidevoa.com/a/history-voa-75th-anniversary/3700428.html

そして、今年2022年には、放送開始80周年の関連情報を発信している。
https://learningenglish.voanews.com/a/voa-celebrates-80th-anniversary/6422379.html
https://www.youtube.com/watch?v=CvzuuWuQo6Q
https://www.youtube.com/watch?v=N4vnKbxV1nY
https://www.youtube.com/watch?v=HToilZWuXkY&t=15s

この他、VOAカレンダーも「放送開始80周年」の記念バージョンとなって
いる。
https://www.insidevoa.com/a/6261797.html
https://docs.voanews.eu/en-US-INSIDE/2021/10/07/4f561877-7c08-4399-b76c-f3b9a1e2fd2c.pdf

40年近く使ってきた「枕元ラジオ」の力が尽き、世代交代した。
「SONY ICF-S20」は、元の勤務先で人事異動があったときに、それまでの
所属部署の上司から「お前はラジオ好きだから、お餞別の記念品はこれだ」
とプレゼントされたものだ。
スピーカーの音質は兎も角、イヤホンを通しての音質に深みと臨場感があり、
それが好みだったので、深夜放送や朝の情報番組を聴くなど、永年愛用して
きた。
今年に入って、周波数合わせと音量調節に不具合が続いたので、ほぼ同じ
サイズの「SONY ICF-P27」を新規に購入した。受信の感度は従前のものと
同じで、音質にも大変満足している。
_DSC2884
ところで、この2つのラジオに関して、驚いたことがある。
受信可能周波数が、FMは両方とも 76~108 MHz であるが、中波放送は
従来機が 530 ~ 1620 kHz であるのに対して、新規購入機は 530~1710 kHz
となっている。
中波の上限周波数の表示が 1710 kHz となったのは、いつ頃からだったのか。
その理由は何だったのか。素朴な疑問がわいてきた。
_DSC2888
もう一つの驚きは、従来機「SONY ICF-S20」が、通販サイトやオークション
サイトを見ると、適正価格から超高額に至るまで、様々な形で取引されている
ことである。
私にとっては、「SONY ICF-S20」は想い出のラジオであり、特にFM周波数
と並んで「TV 1,2,3 CHANNEL」と表示されている「機械文化遺産」的ラジオ
であるので、いつまでも手許に残しておこうと思っている。

1997年2月9日、地中海の真ん中に位置するマルタ共和国からの短波放送
「地中海の声」(Voice of the Mediterranean-VOM)が日本語放送を開始した。
あの日から、きょうで25年となる。(ただし、2003年に終焉)
日本語放送開始に至る経緯や放送開始アナウンスの音声などについては、昨年
2月9日に書いた。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/27929409.html

今から、ちょうど20年前、2002年の夏、「地中海の声」放送局を訪問した。
スタジオとオフィスは、マルタ共和国の首都 Valletta に隣接する Floriana という町
にあった。
予約なしに訪問したため、この日は日本語を担当しているヴァッサロ麻由子さんが
休暇を取っていて、お会いすることはできなかったものの、局長の Richard Muscat
さんと、お便り係の Joanna Scicluna さんを初め、大勢のスタッフが遠来のリスナー
夫婦を温かく迎えてくれた。

Muscat 局長は、「世界の60~70ヵ国から受信報告やお便りが寄せられているが、
日本からのものが一番多く、一日に10通以上の受信報告が届くこともある」などと
話してくれた。更に、同局長は「真由子さんは、素晴らしいプロデューサーであり、
プレゼンターである。彼女と一緒に仕事ができて、本当に嬉しく思っている」と称賛
していた。

また、お便り係の Joanna さんは、「日本のリスナーが送ってくれる受信報告書を読むことが出来るように、そして、日本事情を理解することが出来るように、日本語を勉強したい」などと抱負を語ってくれた。
マルタ写真D
「地中海の声」の日本語放送は2003年12月31日に終了したが、同局を訪問したのは放送開始から5年ほど経った時で、まさか、それから1年余りで日本語放送が姿を消すことになるとは想いも寄らなかった。
様々な事情があったと推察されるが、誠に残念なことであった。

次の画像は、同局からのプレゼントされたベリカードの6枚セットとロゴ入りキャップ二人分である。
トラベルノートには、この他にも、ポロシャツ、キーホルダー、バッヂ、ボールペンがプレゼントされたと記しているが、それらは散逸してしまい、未だにその所在が確認できず、残念である。
0001 マルタ・ベリカードセット
0001 地中海の声・キャップB

日本銀行は11月1日、新しい五百円貨幣の発行を開始した。
新たな偽造防止技術も施されているというから、早くわが家にも回ってきて、
現物が見られることを願っている。
https://www.mof.go.jp/policy/currency/coin/211001.html

「貨幣」のことが話題となって、1987年にワシントンD.C.にあるアメリカ
合衆国造幣局(印刷局)を見学した時のことを想い出している。
無料見学ツアーが時間ごとに設定されている。印刷工場では1枚の大きな紙に
何枚分もの1ドル紙幣がまとめて印刷され、それが数百枚重なったところで、
ドサッと裁断されて、一枚一枚の1ドル紙幣になっていく光景は圧巻である。
この他にも、古い印刷機や紙幣などが展示されているコーナーもある。

見学の最後にはギフトショップに立ち寄り、「1ドル紙幣の32枚セット」を
買った。横62cm、縦53cmの裁断前の紙幣が、A1サイズの黒い板紙の
額縁に入っている感じある。
飛行機に乗るときには、壊れないように機内に持ち込むことにしたが、手荷物
検査では「これは何だ !?」質問されたので、「造幣局で買った1ドル紙幣だ」
と答えると、係官は「オーケー」と言って微笑んでくれたものだった。
あれから34年が経ち、あちこち汚れが目立つようになってきたのが残念である。
_DSC2214
また、2006年にはコロラド州デンバーにある合衆国造幣局を見学した。
入館時の手荷物検査が極めて、否、異常に厳重だったことが印象に残っている。
それでも、見学の記念に、「United States Mint Denver, Colorado」とプリント
されたビニールケースに入った25セント硬貨が全員にプレゼントされたことで、
気分も和らいだものだった。
_DSC2217
この硬貨の上部には「CALIFORNIA 1850」が、中央に「ヨセミテ渓谷とJOHN MUIR
の肖像」が、下部には「2005」が刻印されている。
これは、カリフォルニア州が1850年に合衆国に加盟したこと、JOHN MUIRは、
西部開拓からヨセミテ渓谷の大自然を守った「自然保護の父」と言われていること、
そして、この硬貨は2005年に発行されたものであることを示している。
_DSC2218
米国内では、この硬貨のように各州の名所旧跡や歴史上の人物を刻印した25セント
硬貨が流通しているので、すべての州のものを集めようとしているが、現在までの
ところ、21州に止まっている。
次にアメリカを旅行できるのは、いつのことになるやら・・・。

最初にアメリカを旅行したのは1976年だったが、この年は「アメリカ合衆国
独立200周年」の記念すべき年に当たり、全国どこに行っても "BICENTENNIAL"
の文字の入った看板や垂れ幕が溢れ、お祝いムードで沸き返っていた。記念の25
セント硬貨も発行されて大量に流通していたので、お土産に持ち帰った。
この「独立200周年記念」の25セント硬貨を含め、「アイゼンハワー・コイン」
と呼ばれる1ドル硬貨、「ケネディ・コイン」と呼ばれる50セント硬貨は、私の
「お宝3点セット」である。
_DSC2216
米国造幣局のホームページは次のとおり。
https://www.usmint.gov/
https://www.usmint.gov/about/mint-tours-facilities

38年前のきょう、1983年8月11日、旅行でニューヨークに滞在していた。
地元の新聞各紙には「BLACKOUT」の大見出しが躍っていた。
初めて目にする「BLACKOUT」という言葉に驚き、何事が起きたのかと思い、辞書を
片手に記事を読み進むと、前日、電力会社の変圧施設で火災が発生し、マンハッタン
中心部が大停電に陥っていることを報じているもので、「BLACKOUT」が「大停電」
を意味していることが解った。
19830811 F
それから35年が経ち、2018年9月6日未明、北海道を襲った震度7の地震の影響で、北海道の広域で大停電が起き、これを伝える新聞・テレビが「ブラックアウト」と表現していることに、再び驚いた。日本語で「大停電」と表現すれば解るものを、敢えて「ブラックアウト」と表現した理由が理解できなかった。それまで、この言葉が日本のマスコミなどで一般的なものとして使われたことがあっただろうか。
とは云え、今日の日本では、「ブラックアウト」というカタカナ言葉が、次第に定着しつつあるように思われる。
https://www.asahi.com/articles/ASM8J5V36M8JIIPE01C.html
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/blackout.html

なお、日本でもこのニュースは大きく報じられていた模様で、「ニューヨーク大停電」と
伝えていた。
IMG_20210810_0001B
19830811C-B

きょう、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日である。
ここで想い出すのは、VOA(Voice of America)の「Liberty Bell ベリカード」である。
これは、2000年4月の受信報告に対して送られてきたもので、前年からこの年に
かけて、VOAでは米国内の名所旧跡シリーズのベリカードを発行しており、その中の
一枚である。
0001 新VOAベリカード-B
裏面には、次のように解説されている。
The Liberty Bell, with its famous crack down one side, symbolizes American
independence.
The bell is located in the historical city of Philadelphia, Pennsylvania, the first
capital of the United States from 1775 to 1776, then again from 1778 to 1783,
and 1790 to 1800.

鐘の高さは人間の背の丈ほどであるが、ベリカードの写真では全体像が分かり難い。
1987年にフィラデルフィアに旅行した際に、インディペンデンスホールの売店
で買ってきたミニチュアで概観できる。高さ7cm、幅5cmの大きさだが、相当
精巧にできていて、中央に走るヒビ割れも見て取れる。しかし、実物の鐘の上部に
は銘文が刻まれているのだが、残念ながらミニチュアには刻まれていない。
このミニチュアは、実は鉛筆削りで、台座の横から鉛筆を入れるようになっている。
0001 新VOAベリカード
Liberty Bell の歴史や、鐘に刻まれている銘文などについて、ウィキペディアでは次のように解説されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/自由の鐘

最近、BCL関連資料を整理していたところ、中国国際放送の珍しいベリカードが
段ボール箱の隅に眠っているのを見つけた。
今から26年前、1994年6月15日に放送された「45周年特別番組」の受信
確認証である。
0001 中国B
この特別番組から遡る45年前の「1949年の出来事」は何だったのか。
今となっては、この番組を聴いた記録もなく、受信音源も保存していないので、
どのような内容の「45周年特別番組」だったのかは判らない。

1994年は「中国国際放送の放送開始45周年」だったのだろうか、それとも
「日本語放送の開始45周年」だったのだろうか。あるいは、何か「放送開始日
以外の出来事」の45周年を記念する番組だった可能性も否定できない。

今日では、中国国際放送の放送開始は1941年12月3日であり、この日が同時
に日本語放送の開始日でもあることが定説となっている。
この日は、中国国際放送の前身「延安新華ラジオ局」が初めて対外放送を行った日
であり、初代アナウンサー原清志さんが日本語で放送したのだが、この事実が確認
されたのは、1996年になってからである。(参照:末尾注)
http://chinaplus.cri.cn/aboutus/aboutcri/62/20170216/393.html

この1996年より前には、「延安新華ラジオ局」が海外向け英語放送を開始した
1947年9月11日が「中国国際放送の開局日」と考えられていた可能性がある。
http://chinaplus.cri.cn/aboutus/aboutcri/62/20170216/391.html

また、中華人民共和国成立の記念式典の様子を世界に向けて放送した1949年10月
1日が、「日本語放送の開始日」と考えられていた可能性もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/中国国際放送

ところが、ネット検索している過程で、「北平新華廣播電台に日本語放送が開局したのは、
1949年6月20日である」という一文が含まれている寄稿文に接することができた。
中国台湾近現代史の専門家で、北京放送で働いたこともあるという、中村達雄さんが
「集広舎」のWebマガジンに寄稿したものである。
https://shukousha.com/column/proparadio/6293/

1996年より前は、中村さんの寄稿文にあるように、「北平新華廣播電台に日本語放送が
開局したのは、1949年6月20日である」というのが一般的な見方だったのではないか
と推察される。

この推察が当たっていれば、上記のベリカードに記載されている、1994年6月15日に
放送された「45周年特別番組」は、当時において一般的に認識されていた「1949年
6月20日の日本語放送開始日」の45周年を記念するものであった可能性が高い。

(注)日本BCL連盟が発行していたメディア情報誌「My Wave」1996年12月号では、「中国国際放送開始55周年『洞穴から始まった日本語放送開始の舞台裏』」と題する特集記事を掲載し、この年に発行された同局英語部の機関紙「信使報」(The Messenger)の直近号に掲載された「歴史的新事実」の記事を翻訳して紹介した。
(下記画像は翻訳記事の一部抜粋)
IMG_20200615_0001-B

20年前の2000年6月13日、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領は
北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談した。初めて実現
した「南北首脳会談」の成果として、15日には「6・15南北共同宣言」が
発表された。
KBSは、初の南北首脳会談を記念するベリカードを発行した。
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初の南北首脳会談により、金剛山観光事業や開城工業団地の造成が実現するなど、
南北関係が好転し始め、2007年10月には盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と
金正日総書記による、第2回目の南北首脳会談が行われた。
KBSは、第2回目の「南北首脳会談」を記念するベリカードを発行した。
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その後、韓国では2008年に李明博(イ・ミョンバク)政権が、2013年に
朴槿恵(パク・クネ)政権が誕生する中、北朝鮮では2011年に金正日総書記が
死去し、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が最高指導者に就いたことなどから、
南北関係は冷え込んでいった。

しかし、韓国では2017年5月に文在寅(ムン・ジェイン)政権に交代し、再び
南北関係に雪解けの兆しが見え始め、文大統領と金正恩委員長は2018年4月に
軍事境界線のある板門店(パンムンジョム)で南北首脳会談を行った。
KBSは、板門店での「南北首脳会談」を記念するベリカードを発行した。
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◆KBS日本語放送のホームページは次のとおり。
 http://world.kbs.co.kr/service/index.htm?lang=j

◆上記の3枚のベリカードを見ると、時代の変化と共に、KBSのロゴマークも
 進化していて、興味深いものがある。

◆今月に入り、残念ながら、北朝鮮が韓国を痛烈に非難し始め、緊張が緩和しつつ
 あった南北関係に暗雲が立ち込めている。
 これからは、単に南北の関係だけでなく、米、中、露、日本などとの関係も含め、
 朝鮮半島にどのような動きが出てくるのか、韓国KBSと北朝鮮の「朝鮮の声」を
 初め、関係国の短波放送などで報じられるニュースに注目したい。

「新型コロナウィルス」感染防止のため、日本政府は全世帯を対象に
マスクを配布するという。
「マスク」と言えば、2009年夏に香港から中国・広州に旅行した際、
広州東駅で「体温検査」された時のことを想い出す。
http://swlinformation.livedoor.blog/archives/1953491.html
0001 マスク
「新型インフルエンザ」が話題となっていた時期で、海外旅行では初め
ての経験でもあり、「N95防護マスク」を装着したまま、当局に隔離
されてしまうのではないかと怖かった。

000 VOM
地中海に浮かぶマルタ共和国の「地中海の声」(Voice of Mediterranean-VOM)の
ニュースレター1999年1月号である。同国Guido de Marco大統領(当時)の新年
メッセージが載っている。裏面には、日本を含む世界各国のリスナーから届いたお便り
が、手書きの原語のまま紹介されていた。

あの時代、同局の日本語番組は毎週日曜日の午後、ロシア中継で放送されていて、国内
の中波放送並みに安定受信ができていた。番組冒頭の局名アナウンスのバックに流れる
音楽は、穏やかな地中海の海を連想させる、ゆったりとしたテンポで、同国への旅情を
誘うものだった。

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