カテゴリ: チェジュ島旅行記

帰路便の出発時刻は、15時15分である。
かなり時間があるので、スーツケースをホテルに預けて、海岸の遊歩道を
散歩することにした。ここからは空港が近いので、歩いていると、5分に
1本くらいの割合で、超低空の海面すれすれに、各地から飛んできた様々な
会社の航空機が、空港に向かって着陸態勢に入るのを見ることができる。

ホテルに戻り、タクシーに乗って、約10分。正午前に空港に到着した。
チェックインカウンターに並んでいると、「中国・武漢行きの便は運航して
いません」という中国語と英語の看板が目に入った。新型コロナウィルスの
感染の影響が出ているのだと、改めて、その深刻さを認識した。
搭乗してから、機内誌に載っている路線図を見ると、チェジュから武漢への
直行便があるわけではなく、インチョン経由で武漢に行こうとする乗客向け
の案内だったのだろうと思われた。

チェックインを済ませて、上階のレストラン街に向かった。
韓国料理店を初め、日本料理や中華料理の店もあり、ファミリーレストランの
ような店もあったが、チェジュ島で最後の食事は、やはり韓国料理で〆ること
にした。幾つかのランチメニューの中から、辛いものは避け、あっさりとした
味のものが食べたかったので、ソルロンタンを頼んだ。
これで、思い残すことなく、日本に帰ることができる。
0001 レストラン
ほぼ定刻通りに搭乗が開始された。
成田からチェジュに来るときは4A、4Bだったが、帰路便は3A、3Bを
指定してくれた。空席が目立ち、3人席に2人で座ることができ、ゆったり
とした気分で、帰ることができる。
着席して窓から機外を見ると、管制塔の向こうに、雪の漢拏山(ハルラサン)
を望むことができた。
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いよいよ離陸。
眼下に滑走路が見え、海岸線を見ながら、上昇を続けると、次第にチェジュ島
は遠ざかって行った。
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0001 空港
安定飛行に入り、シートベルトサインが消えたので、ビール2缶とおつまみの
セットを注文した。1300円と、かなり高額であるが、格安航空に乗った時の
想い出の一コマである。
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ほろ酔い気分になった頃、機外眼下に、複雑な海岸線が見えてきた。
既に対馬海峡を越えて、長崎か佐賀の上空に達したのであろうか。
やがて大きな滑走路が見えてきた。福岡空港か北九州空港かと思われた。
この飛行機には、座席に映像スクリーンがないので、どこを飛行中なのかを
知ることができない。
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帰宅後、Google mapで確認したところ、この滑走路は山口宇部空港だった
ものと思われた。
山口宇部空港は、現役時代に何回か利用したが、上空から眺めたことはなく、
滑走路の全体像を意識したことがなかったので、直ぐには分からなかった。
0001GA
その滑走路を見た後は、厚い雲の中を飛行し続けたので、陸地は全く見えず、期待
していた富士山の眺望も実現しないまま、雲の合間から陸地が見え出したときには、
九十九里海岸上空に達していた。夕陽も垣間見えたが、雲が邪魔して、美しい眺め
というわけにはいかず、そのまま成田空港に着陸した。
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0001J
帰宅後、航空機の追跡サイトで確認すると、われわれの乗った飛行機は、チェジュ島
を発ち、玄海灘、九州北部、瀬戸内海、和歌山を通過した後、そのまま本州の陸地から
かなり離れた太平洋上空を飛び、九十九里海岸を北上、霞ケ浦上空から成田空港に
着陸したことになっている。チェジュ島に向かった時のコースとは異なるコースで
帰ってきたことになる。

成田空港に到着すると、先ずは検疫ゲートを通過する。
空港係員が「中国とハワイから到着の方は左側ゲート、その他の地域からの方は右側
ゲートに進んでください」と大声で案内している。

新型コロナウィルスの問題で、中国から到着した人を慎重にチェックするのは理解
できたが、ハワイからの客をチェックするのはなぜだろうと不思議に思った。ハワイ
でも新型コロナウィルの感染が問題になっていたことを、われわれは知らなかった。

帰宅して、旅行中に溜まった新聞を読み直して、初めてハワイの状況を知った。
そして、数日後には、ハワイから名古屋に帰ってきた若い夫婦が感染していたことが
判明したというニュースが流れた。

われわれが、1ヵ月遅く済州島を訪れていたら、成田の検疫を通過しても、電車で帰宅
することが許されず、近くのホテルに14日間隔離され、自宅に帰ることができないと
いう事態に遭遇していた可能性があり、良い時に帰ってきたと、今、胸をなでおろして
いる。
                                   -了-
◆拙い旅行記は、これが最終回です。
 ご覧くださった皆さん、有難うございました。
 また、沢山の「Like」や「拍手」をいただき、御礼申し上げます。

帰国の前日になって、チェジュ島は、ようやく晴れの天気になった。
夕方ホテルに戻り、窓のカーテンを開けると、雲の合間を陽が沈み始める時だった。
旅の終わりの感傷も手伝って、真っ赤な太陽が見えなくなるまで、じっと西の空を
眺め続けていた。
標高約2000mの漢拏山(ハルラサン)に目を移すと、頂上付近には雪のような
ものが見えたが、かなり暗くなっていて、はっきりとは確認できない。
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一夜が明け、チェジュ島を離れる日がやってきた。
窓を開けると、少し霞んではいるものの、雪化粧している漢拏山が見えた。
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数日前、バスに乗って南部の西帰浦の町を訪ねるため、漢拏山の中腹をバスに乗って
通ったが、その時は道路の両側に残雪があった。頂上付近は、あんなに雪をかぶって
いたのかと、改めて、眺めつくしてしまった。毎日が寒かったわけだ。

南の島、「韓国のハワイ」とも言われるチェジュ島で、滞在最後の日に、雪の漢拏山を
眺めることができ、感動も一入である。

海岸通りの「おしゃれ過ぎるカフェ」も気になっていたが、ホテルから1ブック
先にある黒・白が基調の外装とガラス張りの近代感覚の「おしゃれな焼肉店」も
気になっていた。更に1ブロック先の「黒豚通り」にある、煙立ち込める庶民的
な焼肉店とは一味違うハイカラな雰囲気を感じていた。
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チェジュ島滞在も残り少なくなった、ある日の夕方、開店の時刻に合わせて、
「おしゃれな焼肉店」に入ると、既に先客が一組いて、談笑しながら焼肉を
頬張っていた。われわれは、二人分600gのセットメニューを頼んだ。

先ずは、例によって、サラダ、キムチ、大根の酢漬け、ニンニクなどが、ずらりと
運ばれてきた。続いて、小さなカップに入ったスープのようなもの、そして、石鍋
に入った茶わん蒸し風のものが出てきた。
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ビールを飲みながら、いつになったら肉が運ばれてくるのだろうと待っていると、
若い男性スタッフが大通りに面した、入口のすぐ横にある大きな台に乗った焼肉
コンロで、肉を焼いているではないか。
客が、自分のテーブルのコンロで焼くのではなく、店員が大まかに一通り焼いて、
一口サイズに切ったものを客のテーブルに運び、客は更に良く焼いて食べるという
スタイルのようだ。
店のショーウインドウで、スタッフが肉を焼く姿を、通りを歩く人々に見せるのが、
この店のセールスポイントなのだと思われた。そば屋の主人が、店先でガラス越しに
「そば打ち」の実演を見せる姿を想い出した。
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何れにしても、客にとっては、料理の味が問題である。
この店の肉は柔らかく、脂のバランスも良く、サンチュやえごまの葉をお替りしながら
食べ終わると、満腹感で満たされた。余りの美味しさにビールも進み、酔っぱらって
しまったため、カメラのピントが合わず、ピンボケ写真になってしまったのが残念である。

おしゃれ過ぎるカフェ "Antoinette" の近くに、「龍頭岩」と呼ばれる巨岩がある。
観光案内サイトでは、次のように解説されている。
  天に昇る龍の姿をした巨岩は済州観光の象徴である。
  済州市内にある、海岸にどっしりとそびえる長さ30メートルの奇岩「龍頭岩」。
  約200年前に漢拏山(ハルラサン)の溶岩が噴出してできました。龍が頭を
  もたげて海から這い上がろうとしているように見えることから名前がつきました。
  常に観光客が多く、絶景ポイントは、岩の西側に約100メートル離れた所。
  まるで龍がうなり声をあげながら海から飛び出すような感じがします。
  夕焼けをバックにした龍頭岩はとても美しく、天に昇る龍を見るように生き生きと
  迫ってきます。近くに獲りたてのサザエやアワビを食べられるお店も多いです。
  https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=983
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われわれが訪ねたのは薄暮の時刻だったため、急な階段を下りて行くには足元が危険と
思われ、海面近くから龍頭岩を仰ぎ見ることは諦めた。崖の上にある展望台から龍頭岩
を見下ろすだけだったので、観光案内サイトに書いてある「龍がうなり声をあげながら
海から飛び出すような」姿を確認することができず、残念であった。
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チェジュ島に滞在中、ほぼ毎日、ホテルからバスターミナルまで市内バスに乗り、
そこで急行バスか幹線バスに乗り換えて、主な観光地に出掛けていた。
ホテルとバスターミナル間のバスは、見晴らしの良い海岸線を走り、その途中の
少し張り出した岩盤の上に建つ、おしゃれなカフェの存在が気になっていた。
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ある日の午後、バスを途中下車して、このカフェを訪ねた。
道路側も海側も総ガラス張りで、店内に入ると、ケーキ類のショーケースがあり、
その向こうに碧い海が広がっている、180度の大パノラマである。
テーブル席はほぼ満員だったので、われわれは海に面したカウンター席に座った。
夕食に差し障りがあると困るので、ケーキは食べずに、アメリカンコーヒーのみを
注文した。
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左手を見ると、岩に乗って、海釣りを楽しむ男性の姿があった。
正面上空には、チェジュ空港に着陸する航空機が迫ってきた。
右手を見ると、遥か沖を大型フェリーがゆっくりと進む。
海外旅行で、こんなに静かで優雅なひとときを過ごすのは初めてである。
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この「おしゃれ過ぎるカフェ」は、帰宅後、写真に撮ってきたコーヒーカップの
ブランド名を拡大してみたところ、"Antoinette"(アントワネット)と読み取れた。
ネット検索したところ、若者の人気が高いベーカリーカフェのチェーン店のようだ。

溶岩洞窟「万丈窟」を見学するため、いつものように、バスセンターから
出発した。急行バスに乗って1時間余り、幹線道路にある「万丈窟入口」で
降り、そこから「万丈窟」までは、細い田舎道を走る小型のローカルバスに
乗り換えるか、30分ほど歩かなければならない。

下の画像は、「万丈窟入口」付近のGoogle Street Viewで、晴れた日に撮影
されたものゆえ爽やかな感じもするが、われわれが乗り換えのため、ここに
降りた日は雨降りで、バス停の囲いの中で待っていても、風が吹き込んで
くる状況だった。
0001済州・バス停
いくら待っても、ローカルバスはやってこない。タクシーも来ない。
歩くにしても、雨脚が強くなり、折り畳み傘では用を足さなくなってきた。
困り果てていると、ようやく1台のタクシーが近づいてきたので、呼び止めて、
乗せてもらうことができた。

IMG_20200206_0026万丈窟のチケット売り場でもらったリーフレットには、次のように解説している。
万丈窟(マンジャングル)は約30万-10万年前、済州火山発生時に漢拏山の噴火口から流れ出た溶岩でできた洞窟で、長さは7,416m、幅は最大で23m、高さは最高30mに達する。現在も、洞窟の形態や微地形の保存状態がよく、地質学的な価値が非常に高い。
溶岩が流れるかのように壁面と床面にくっきりと刻まれた流線、溶岩棚、縄状溶岩の他、溶岩鍾乳、溶岩石柱、溶岩流石、溶岩漂石など様々な洞窟生成物が見られる。洞窟には約60種類の洞窟生物が棲息しているが、第3入り口の近くの上層部はユビナガコウモリの韓国最大の棲息地と言われている。

万丈窟はその地質学的な価値が認められ、2007年には、UNESCO世界自然遺産に指定された。
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足元に注意しながら階段を下りて、洞窟に入っていく。
光の弱い安全灯は点いているものの、洞窟の中は暗く、水溜まりも多く、前に進む
のが大変である。
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われわれがゆっくり、ゆっくり歩いていると、懐中電灯を持って足元を照らしながら、
スイスイ追い越していく人がいた。ガイドブックには、懐中電灯が必需とは書いて
なかったなあと悔やんだが、日本各地の鍾乳洞を訪ねた時のイメージが強く、この
洞窟がこんなに暗いとは想像していなかった。
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洞窟の中は、ゴツゴツとした溶岩と水溜まりが多く足元が悪く、なお且つ暗いため、
最終地点まで歩くことは断念して、途中で引き返すことにした。引き返すのも、また
大変な苦労である。往復1時間半の、洞窟探検であった。
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地上に出た時には、ちょうど昼の時間となっていたので、近くのレストランに入った。
私は「とんかつ」プレート、連れ合いは「ビビンバ」丼を頼んだ。味は、まあまあで
ある。
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午前中には、済州石文化公園の見学が終わってしまつた。
バスで済州市内に戻ろうと思い、バス停に行ってみると、30分以上も待た
なければならないことが分かった。間もなく、小型のコミュニティバスが
やってきたので、どこを走るのか分からないまま、そのバスに乗った。
車窓からチェジュ島の田舎の風景を楽しみながら、適当なところで降りて、
昼ご飯を食べ、その後、反対方向のバスに乗って、ここ済州石文化公園に
戻って来れば良いと考えた。

30分ほど乗った頃、少し賑やかな通りに出て、ショッピングセンターや
レストランの看板が見える地域に入ってきたので、バスを降りてみた。
店の看板に「お粥」のような絵が描かれているレストランがあったので、
その店に入った。

総ガラス張り、陽光が燦燦と注ぐ店内は、ちょうど昼時で、ほぼ満員であった。
学生アルバイトと思われる女性スタッフがメニューを持ってきてくれたが、
言葉が分からず、困ったなあという表情をしていると、彼女はスマホを使って
日本語に訳して、解説してくれた。画面には「豆腐」と出ていた。

「そうか、豆腐料理なんだ!」と思い、私は、豆腐と牛肉の鍋、連れ合いは、
豆腐と牡蠣の鍋を頼んだ。そして、辛い調味料は完全にゼロにしてほしいと
頼むと、彼女は「オーケー!」と応えてくれた。

先ずは、韓国レストランでは必ず出て来る、お決まりのキムチ、大根の酢漬け、
おひたし、小魚の佃煮などが出てきた。
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熱々の牛鍋と、鍋で炊いた五穀米が運ばれてきた。両方とも、石鍋である。
そして、彼女は「生卵を入れますか?」というので、「はい」と答えると、牛鍋
の中に卵を落としてくれた。
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ふうふう、口で冷ましながら、鍋の具・スープとご飯を交互に食べていると、
隣の席に座っている女性の二人組が、「ご飯は鍋に入れて、混ぜて食べるのよ」
と、身振り手振りで教えてくれたが、ガンコな私は自分流の食べ方を続けた。

ところが、ご飯が熱い石鍋にこびり付いて、取れなくなった。
彼女たちの食べ方を見ていると、ご飯を料理の鍋に入れた後、ご飯がこびり付か
ないように、ご飯の土鍋にお湯を入れて蓋をし、石鍋の熱で蒸しているようだ。
間もなく蓋を開けて、残りご飯をきれいに取って、料理の石鍋に入れた。
ガッテン! である。韓国風鍋料理の「正しい食べ方」を教わった。
私も、残りご飯の石鍋に水を入れて、ご飯を剥がし、豆腐と牛肉の石鍋に運んだ。

連れ合いも、隣の女性客が教えてくれた「正しい食べ方」に従って、牡蠣鍋を
堪能した。美味しい! 美味しい! の連発である。
牛鍋も、牡蠣鍋も、まったく辛くはなく、大変美味しかったが、料理の鍋も
ご飯の鍋も、手で触れないほどに熱かったので、食べ終わったときには大汗を
かいた。
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見知らぬ街で、飛び入りで入った店で、本当に美味しい庶民の味を堪能でき、
良い旅の想い出となった。

IMG_20200206_0019A支払いを済ませるとき、カウンターにあった店のカードをもらってきたので、帰宅後、ネット検索してみると、この店は「純豆腐チゲ(スンドゥブ・チゲ)」と呼ばれる韓国の家庭料理の専門店であることが分かった。
店に入る前に、看板の絵が「お粥」と見えたのは、実は、豆腐料理の石鍋だったようだ。
チェジュ島の各地で、この店の看板を目にしたので、チェーン店なのかも知れない。

チェジュ市内のバスターミナルから約30分で、済州石文化公園に到着する。
バスには20~30人ほどの客が乗っていて、皆んな観光客だろうと思ったが、
この停留所で降りたのは、われわれ夫婦だけだった。
見渡す限り広大で荒涼とした丘陵台地で、公園入口の標識は大きな石で造られて
いる。駐車場を突き進むと、石を整然と積み重ねた、何かの像のようなものが幾つ
も並んでいるのが見えてきた。
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更に進むと、入場券を買う公園事務所に着く。
事務所の入り口では、チェジュ島を象徴する石像「トルハルバン」が迎えてくれる。
玄武岩を削って造られた「トルハルバン」は、済州の方言で「石のお爺さん」を意味
しているという。
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窓口で「大人2名でお願いします」というと、スタッフが「パスポートを見せてください」という。夫婦のパスポートを渡すと、生年月日をチェックして、「無料ですから、どうぞ」と言ってくれた。ここでは、外国人にもシニア割引を適用してくれたようで、嬉しくなった。
窓口でもらったフレットでは、済州石文化公園は、漢拏山霊室で昔から伝わってきた「ソルムンデハルマンと五百将軍」という説話が中心のテーマとし、済州の形成過程と済州人の生活の中に残っている石文化を総合的・体系的に見ることができる博物館であり生態公園である、と解説されている。

また、観光案内サイトでは、「ソルムンデハルマンと五百将軍」という昔話について、
次のように解説している。
  昔々大昔に、とても体の巨大なソルムンデおばあさんがいました。力も大変な
  力持ちで、シャベルで7回土を掘っては投げたところが漢拏山になり、着古した
  チマ(韓服のスカート)で運んだ土がこぼれ落ちて360余りのオルム(寄生火山)
  が出来ました。
  このおばあさんには500人の息子がいました。ある日、その息子たちが狩りをしに
  出かけた後、おばあさんがお粥を炊いている途中、ついうっかり釜に落ちて死んで
  しまいました。家に帰って来た息子たちは何も知らずにそのお粥を、おいしい、
  おいしいと言いながら食べてしまいました。後になってその悲しい事実を知った息子
  たちは、亡き母親を偲んで泣き叫ぶうちに岩になってしまってしまいました。この時
  に流した血の涙が毎年早春になると蘇り、漢拏山を躑躅(つつじ)の花で染め、
  美しく飾っているというわけです。
  https://ijto.or.kr/japanese/index.php?cid=17

昔話に登場する、おばあちゃんが誤って落ちてしまった大きな釜をイメージした池が、
地下階のみで建築されている「済州石博物館」の屋上(地上部分)に造られている。
直径50mはあると思われるコンクリート造りの池には水が満ち、側溝に流れ落ちている。
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博物館には、チェジュ島の各地で採取されたり発掘された、様々な「石」が展示
されていて、中にはミケランジェロの「ピエタ」を連想させるようなものもある。
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また、五百将軍ギャラリーの前には、ほぼ円形・球状の石のモニュメントが鎮座
している。
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この他にも、公園内には様々な石の作品が展示されていて、楽しむこと
ができる。
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「城山日出峰」の登山口や展望台の賑やかさから離れ、駐車場を横切って
裏手に回ると、山の斜面が海岸に接せる辺りに、大きな洞窟のような横穴が
数ヵ所、見えてくる。旧日本軍の海岸坑道陣地跡である。
観光案内のリーフレットによれば、アジア太平洋戦争の末期、守勢に立たさ
れた日本軍が、チェジュ島を最後の防衛陣地として、島全体を要塞化した時、
島内に幾つもの地下壕を掘り進めた、その一つなのだという。
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われわれが立っている防波堤から地下壕までは200mほどである。
ガイドブックなどには、ここを訪ねた人のリポートが紹介されているが、
この日、一帯は閑散としていて、人の姿は見えず、崖が崩れるのでは
ないかという恐怖心もあり、そこに近づくのは止めた。
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「城山日出峰」の頂上への登山を諦め、展望台に向かった。
展望台の正面には日本海が広がっていて、左手には数本のアンテナ群が
目に入ってきた。この風景は、どこかの放送局のベリカードで見たこと
のある風景だと思われた。
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チェジュ島から送信されている、宗教系放送局FEBC(HLAZ)
のベリカードだったのではないかと思い、帰国後、段ボール箱に入れて
ある各局からのベリカードを点検したが、同局からのベリカードが
見つからず、この風景がFEBCのベリカードであることは確認でき
ないでいる。
もしかしたら、同局のベリカードのアンテナ群の写真ではないかも知れ
ないし、ベリカードとは全く関係ない話題で記憶している風景だったか
も知れない。
何れにしても、一人のラジオファンが、チェジュ島で見たアンテナ群の
風景に興奮したことだけは事実である。

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「城山日出峰」は、2007年6月にユネスコの世界自然遺産に登録された。
入場券売り場の横に「世界自然遺産」のモニュメントがあり、「日の出の名所」
らしく、一年365日の「日の出時刻」の一覧表が付置されている。
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「城山日出峰」の麓の一帯は緩やかな斜面となっていて、緑が生い茂っている。
200mほど進むと、かなり急な「登山道」が始まる。
高さが180m余りと言われ、それほどの高さではないが、麓から頂上を見上
げると、この登山道を往復するのは、わが夫婦にとっては、ちょっと無理と思い、
登山道の入り口から少し離れたところにある「展望台」から城山の雄姿と日本海
を眺めることにした。

展望台に向かう途中、海岸に下りていく階段が見えてきたので、手摺りを掴み
ながら、ゆっくり、ゆっくり、下りて行くと、断崖の地中から縞模様を呈する
大きな岩盤がせり出しているようなところがある。「火砕物の堆積作用」という
タイトルのパネルは日本語でも書かれているが、専門的過ぎて、われわれには
チンプンカンプンである。
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NHKテレビで放送されている、タモリさんの「ブラタモリ」で、ぜひ収録して
紹介してほしいと思う世界自然遺産である。

チェジュ島には、「城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)」という、日の出が
きれいに見える山があるという。しかし、チェジュ市内に泊っているわれわれが、
その日の出を見るためには、朝早く出発しなければならず、地元のホテルにでも
泊らなければ、ほとんど不可能である。

チェジュに来てから5日目にして、初めて晴れの日がやってきた。
日の出を拝むのは無理でも、その山だけでも目に焼き付けておこうと思い、バスに
乗って出掛けることにした。

急行バスに乗って、約1時間半、「城山入口」でおり、山の麓を目指して、坂道を
歩く。ちょうど週末の土曜日のためか、大勢の観光客が押し寄せていて、山道に
並ぶ土産物屋や食堂は客の呼び寄せに懸命である。

観光案内サイトでは、次のように解説されている。
  城山日出峰は10万年前の海底噴火によってできた巨大岩山で、済州島を代表する
  景勝地の1つ。頂上から眺める日の出は、済州島の10絶景です。99個の岩峰が
  噴火口を取り囲んでおり、その内側は3万坪の広大な草原。海抜約180mの頂上
  まで階段が設けられていて、入口から往復1時間程かかりますが、山頂からの眺め
  は最高です。西北側は散策路として造られており、乗馬を楽しむこともできます。
  https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=1001

麓にある観光案内所のホールで、「城山日出峰」のビデオが上映されていて、その映像を
視て、「あっ!」と声を上げてしまった。この城山は、韓国KBSラジオが2007年に
発行していた受信確認証に採用されていたことを想い出したからである。
KBS 20070902
数日前、「李仲燮美術館」で、KBSのベリカードの「黄牛」に出会ったときの驚きに
続く、偶然である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/23684302.html

2007年のベリカードは印象に残っている一枚であるが、実は、勘違いというか、
カードの写真は「牛島」(青矢印)であると思い込み、「城山日出峰」(赤矢印)という
認識は全くなかったので、観光案内の地図を見ながら「ベリカードの牛島」に渡って
みたいと思いつつ、無理だろうなあと諦めていた。
KBSのベリカードが「城山日出峰」であったとは、大きな驚きである。
00001BA

海外旅行をするときには、日本の通貨を現地の通貨に両替しなければ
ならない。今回は、前回の旅行時の使い残しの「ウォン」を持って
出掛けたが、それも底をついてきた。

何処で両替するかによって為替レートや手数料が異なるので、有利不利
が生じる。韓国の通貨に両替する場合は、空港又は街中にある銀行より
は、街中にある民間の両替商の方が旅行者には有利だと言われている。
実際、われわれが韓国に旅行する場合は、特にソウルなどの大都市では、
街中の至るところに民間の両替商があるので、そこを利用してきたが、
チェジュ島の街中では、それは多くないように思われた。

そこで、バスターミナル近くの「済州銀行」で両替することにした。
店内に入ると、案内役の女性が近づいてきたので、「両替をお願いします」
と英語で言うと、「番号札を取ってください」と言って、発券機に案内して
くれた。
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番号札を取って、5~6分待っていると、窓口の上のサインランプに、私の
番号が表示された。
20,000円を出したところ、211,626ウォンに両替してくれた。
「銀行は旅行者に不利」という先入観があったが、この銀行では思っていた
ほどには不利ではなかった。
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チェジュ島に滞在中、朝食は「パンとコーヒーと果物」などを食べたが、
昼食と夕食は韓国風味の食事や焼肉料理という日が続き、やがて、その
反動で、日本食が恋しくなってくる。

今回宿泊したホテルはキッチン付きではなかったので、部屋の中で何とか
手軽に日本食を食べることができるよう、電気鍋を持参しようと考えたが、
通信販売サイトでは3000~5000円もするので、日本で購入するの
は諦めて、現地で購入できることにして出発した。

ホテルの近くにある大型スーパーの電気製品売り場に行ってみた。
ホテルの部屋に備え付けの電気ポットの表示を見ると、「220V、60Hz、1350W」
とあり、電気鍋もこのレベル以下であれば、ブレーカーが落ちることはないだ
ろうと思われた。ちょうど手頃の電気鍋が陳列してあり、その表示を確認すると
「900W」と書いてあるので、これを購入することにした。価格は約2000円。
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ホテルの部屋で、恐る恐るスイッチを入れ、先ずはお湯を沸かしてみた。
ブレーカーは落ちない。鍋料理に使っても大丈夫だと確信した。
ある日は、牡蠣、木綿豆腐、太めの長ネギなどを入れ、ポン酢で食べ、また、
ある日は、だしの素の代わりにインスタントみそ汁を入れて、みそ味の鍋を
楽しんだ。異国での「ままごと料理」も、格別の味がした。

ほろ酔い気分でテレビで視ていると、KBSなどの国内テレビ局はもちろん、
BBC、CNN、NHKなども、中国・武漢での新型コロナウィルス関連の
ニュースを報じており、特に「NHKプレミアム」は、現地邦人を帰国させる
ため、日本政府は特別機を武漢に飛ばすことを決めたと伝えている。
そう言えば、チェジュ島では、中国人と思われる観光客は見ないし、日韓関係
の悪化が関連しているのかも知れないが、日本人観光客も少ないという印象が
ある。

スーパーマーケットでは、電気鍋を購入した後、食品売り場で見つけた「海苔の
ふりかけ」をお土産として買った。帰国後、白ご飯にかけて食べているが、ほど
良いサクサク感とゴマ油の香りが何とも言えず、美味しい。
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チェジュの町には「黒豚通り」と呼ばれる路地がある。
大通りから横に入った全長100mくらいの路地だが、その両側に焼肉店が
ずらりと並んでいる。
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どの店からも、呼び込みのスタッフが声を掛けてくるが、その中でも、ひときわ
賑わっている店があったので、そこに入ることにした。その名も「大豚」である。
https://deadon.modoo.at/
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女性スタッフが日本語で説明してくれた。
二人分のセットメニューを頼むと、直ぐに付け合わせのキムチやダイコンの
酢漬け、昆布ののサラダ、味噌汁、そして、焼肉を包むサンチュ、エゴマの
葉などが出てきた。続いて、ビールを注文。
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間もなく、大きな肉とアワビ、ニンニクと野菜などが出てきた。
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女性スタッフが調理用ハサミとトングを手際よく駆使して、肉を一口サイズ
に切ってくれた。焼き上がるのを待ちながら、ビールが進む。
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やがて、釜めしの器のようなものに入ったものが出てきた。何だろうと思い、
スプーンで食べてみると、これは茶わん蒸しだった。
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ビール3本に、この肉を食べれば、満腹! 満腹!であるが、〆に「冷麺」が
出される。麺にのっているキムチを取り除けば、辛みはなくなり、美味である。
「チェジュ島」を満喫した夜だったが、余りの美味しさに、この「冷麺」を
撮るのを忘れてしまったことが、唯一、心残りである。

濟州牧官衙(チェジュモックァナ)を訪ねた。
チケット売り場の料金表には「60歳以上は無料」と書いてあるので、念のため
「日本人でも無料ですか?」尋ねると「韓国人のみ」との返事が返ってきた。
入場料は、二人で3000ウォン(約290円)である。
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IMG_20200206_0042ここでもらったリーフレットには、次のように記されている。
濟州牧官衙は、濟州の歴史が凝縮された場所で、朝鮮時代に濟州牧を統治するに際しての中心地であった。
観徳亭を含む周辺一帯に分布しており、すでに耽羅国時代から星主庁などの主要官衙施設が設置されていた。高得宗の「弘化閣記」によると、当時の濟州牧官衙施設は58棟206軒の規模であったという。しかし、日本植民地時代に壊されてしまい、観徳亭の他にはその痕跡が見つからなかった。
1991年から4回の発掘が行われて、2002年には第1段階、2006年には第2段階の復元事業を終えて、現在に至る。
濟州牧官衙は耽羅国時代から高麗、朝鮮、近現代に至るまで、政治や行政、文化を網羅した複合空間としての機能はもちろん、敬老、出世や成功した者を顕彰するなど、官民のオープンスペース(広場)としても貴重な価値を備えている。

(観徳亭) 国家指定宝物第322号。朝鮮時代の世宗30年(1448年)に
濟州牧使・辛淑晴によって兵士の訓練と武芸修練場として建てられ、濟州に現存
する最も古い建物。↓
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(友蓮堂) 宴会場および貢物を捧げる場所として使用された。↓
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(橘林堂) 牧使がコムンゴを弾き、碁を打ち、詩を詠むなど、休息と寛ぎのため
に使用していた場所。↓
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(望京楼) 都を眺めながら、王の恩徳に感謝し、拝礼していた場所。↓
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望京楼から弘化閣などを望む。↓
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濟州牧官衙跡の園内のミカン↓
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チェジュ島・西帰浦(ソギポ)にある「李仲燮美術館」を訪ねた。
ガイドブックの地図では、中央市場から直ぐのところにあるように見えたが、
道に迷うことがないように、ちょっと遠回りだが、確実な道順を選び、行き
交う人に何回も、美術館の位置を尋ねて教えてもらい、ようやく到着できた。
0001 美術館全景
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李仲燮(イ・ジュンソプ)は「韓国の国民画家」、「悲運の天才画家」として、広く知られているという。
日本語版のリーフレットでは、彼の生涯を概ね次のよう記している。
1916年、平安南道の富裕な農家の息子として生まれる。
1937年、東京の文化学院に留学。
1945年、文化学院時代から交際していた山本方子が彼を
      追ってきて、二人は結婚。
1948年、長男が誕生。1949年には次男が誕生。
1950年、朝鮮戦争が勃発したため、妻子とともに西帰浦
      に避難。
1952年、朝鮮戦争の最中、妻子を日本に送り、自らは
      埠頭の荷役などで生計を立てた。
1956年、栄養失調と肝臓病で死去。40歳。



1階の展示室には、彼の作品が多数展示されている他、日本に帰った妻が韓国に
留まっている夫と交わした手紙や、二人の子供が父親に送った絵手紙などが展示
されていて、涙を誘う。

1階の展示室の見学を終えて、2階の展示室に上がるため、エレベーターを待っていた。
ふと、横の壁に目をやると、大きな絵が掛かっていて、その絵を見た瞬間、「あぁ!」と
声を上げてしまった。彼の代表作「黄牛」である。
それは、韓国KBSが2016年に発行したベリカードに採用された絵だった。
KBS20160401
このベリカードを見て、力強いタッチの絵に感動し、強烈な印象を受けた記憶があるが、
作者である李仲燮の名前はすっかり忘れてしまい、ここが彼の美術館であるという認識は
なく、彼の代表作「黄牛」に出会うとは夢にも思わなかった。
http://swlinformation.livedoor.blog/archives/1958639.html
http://world.kbs.co.kr/service/archive_view.htm?lang=j&id=index&board_seq=288&menu_cate=

(参考サイト)
◆李仲燮の生誕100周年記念イベント
 http://japanese.korea.net/NewsFocus/Culture/view?articleId=138951

◆彼と妻の山本方子をテーマにしたドキュメンタリー映画
 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2014/post_5922.php

チェジュ島南部・西帰浦(ソギポ)の「中央市場」は相当の広さで、
海産物や青果物から衣類、化粧品、日用雑貨まで、約500店舗が
入店しているという。

お土産の「ミカンチップ」を買った後は、市場の様々な店の様子を
見ながら、ウォーキングである。店の奥で、あるいは店頭で、手作り
の弁当を食べている、おじちゃんやおばちゃんの姿を見ていると、
われわれもお腹が空いてきた。

食べ物屋を探してみたが、入ってみたいと思う店が見つからないで
困っていたところ、ちょっと近代的で、おしゃれな感じのするカフェ
のような店を見つけた。
0001 小豆粥
店の中をガラス窓越しに、ちょっと覗いていると、直ぐ女性の店員が
出てきて、「どうぞ」と声を掛けてくれたが、何を食べさせてくれる店
かわからない。
連れ合いと店内に入って行って、客が何を食べているのか確認したところ、
皆んな、器に入った赤黒い色のスープのようなものを食べている。「辛く
ないか?」と尋ねると、「辛くない」という。
それじゃ大丈夫だと思って、畳の席に上がって、隣の若い男女が食べている
ものを指さして、「あれを、二つください」と頼んだ。すると、その男性が
スマホを操作して、画面を見せてくれた。画面には「小豆」とある。

注文して5~6分すると、先ずは、小皿にのったモヤシのごま油炒め、甘辛く
炒ったナッツと小魚、辛いキムチが出てきて、間もなく、ステンレス製の器に
入ったスープのようなものが運ばれてきた。
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スプーンで探ってみると、米と餅のようなものが入っている。
もしかしたら、白玉かトッポギかも知れない。
口に運んでみた。
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心配していた辛さはなく、甘さ控えめ、砂糖と塩の割合も絶妙で、美味である。
このボリュームは、老体にはちょっと多過ぎると思われたが、結局、平らげて
しまった。
正に、韓国風「小豆粥」である。初めての経験であった。

この店は人気があるらしく、老若男女、沢山の客が次々とやってきた。
みんな同じようなものを食べている。ここは「小豆粥」の専門店のようだ。

済州(チェジュ)バスターミナルから、標高約2000mの漢拏山(ハルラサン)を
越えて、島の反対側(南側)に位置する西帰浦(ソギポ)の町を目指す。
約1時間半のバスの旅である。

バスターミナルの観光案内所で、西帰浦に行くバスの番号を尋ねると、日本語を上手
に話す女性スタッフが、「281」と丁寧に教えてくれた。念のために、帰りのバスの
番号を尋ねると、今度はメモ用紙に、西帰浦のバスターミナル近辺の地図を手書きして、
帰りのバスは「282」だと言って、乗り場の位置まで説明してくれた。

チェジュの市街を抜けると、農村風景を見ながら、やがて漢拏山の東側の中腹地域を通る
幹線道路に入っていく。標高が1000mくらいに達する頃、道路の両側に残雪が見えて
きた。
0005 チェジュ地図-0000
バスターミナルの観光案内所の女性スタッフが、「きょうは、山に雪があるのを見ることが
できますよ」と教えてくれたのは、本当のことだった。そう言えば、チェジュに到着して
からは、肌を刺すような寒さが続いており、相当強い寒気団が押し寄せてきているなあと
感じていた。

西帰浦のバスターミナルで降りて、チェジュの観光案内所でもらった手書きの地図を元に、
帰りのバス停を確認した。彼女が書いてくれたメモの地図は、実に正確で、直ぐに見つける
ことができた。
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先ず、西帰浦の中央市場を訪ねることにした。
チェジュ島の名産品の一つはミカンだと聞いていたが、市場のゲートを入ると、通路の左右
にミカン屋さんが何軒も並び、それぞれの店では気風の良いおばちゃんが、観光客を呼び込
んでいる。
われわれも、その誘いに乗って、「ミカンチップ」をお土産に買った。ミカンを輪切りに
して、天日で干したものである。これは美味である。
0001 ミカンチップ


「済州4・3平和記念館」の各展示室を巡った後、2階で何か別の展示会が
開かれいるようなポスターを見たので、エスカレーターで2階に上ってみた。
4階までの吹き抜けドームに大きなポスターが吊り下がっているが、韓国語
ゆえ、理解できない。そのポスターの下に、「表現の不自由展 その後」の
ポスターと、所謂「慰安婦」を象徴する少女像が展示されている。
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展示作品のほとんどは韓国語で解説されているが、中には英語と日本語で解説
されているものがあり、日本語のパネルには次のように記されている。
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表現の不自由展@済州

はじめに
— 海は私たちをつなぐものであり、分断するものではない。
— 戦争を知っているからこそ、私たちは平和を願う。
— 支配されていたからこそ、私たちは自由を求める。
「ミクロネシア連邦憲法 前文」より

太平洋のミクロネシアがそうであるように、1945年以降の東アジアもまた、
自由と平和への希求は、日本帝国の終焉というポストコロニアな状況によって
道が開いた。
これに対し、いまの日本では帝国の残照が増し、戦前に引き戻そうとする大きな
力がうねっている。そうした状況から生じるものに検閲がある。今年国際ニュース
にまでなったあいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」も、
数ある検閲事例のひとつに過ぎない。
「表現の不自由展・その後」は苦闘の末、限定的ではあるが、展示再開を勝ち得た。
しかし、この結末は日本の検閲状況の改善に必ずしも寄与していない。
それは「表現の不自由展」が何をめざしたかの問題にも関わるからだ。

表現の不自由展は、主に日本の公共施設や公共空間で検閲などの圧迫を受けた芸術
作品を集め、展示する企画だ。そのそもそもの発端は、2012年、写真家,安世鴻
による日本軍「慰安婦」を題材とした写真作品に対し、世界的カメラメーカーのニコン
が検閲を行った事件にまで遡る。その支援をとおして、日本の検閲事情の深刻さを憂慮
した人々が検閲作品を集め、その事情を俯瞰する 「表現の不自由展」を2015年に
開催した。それがあいちトリエンナーレ2019からの参加要請となり、「表現の不自由
展・その後」として結実した。しかし8月1日の開幕から3日で強制中止となり、会期末
の6日間、限定的な再開を果たした。
日本の検閲は政治と社会の右傾化、そして社会の分断と不可分であり、多くの事例は日本
の歴史修正主義と排外主義・性差別の言論攻撃によるものだ。この現状認識が、表現の
不自由展実行委員会の活動を支えている。

「表現の不自由展」が、東アジア平和芸術プ口ジェクトの「島の歌」に参加することには
大きな意義がある。
済州島は、自由と連帯、そして人間としての当たり前の暮らしを求めた多<の市民が虐殺
された受難の地だ。ここに検閲された芸術作品が身を置くことで、あのあいちの事件が
与えた試練の意味を改めて問い直すことができるだろう。
会場には、東アジアの大海を海路として、平和を求める多くの芸術が集う。そこに身を
投じることは、日本という閉じた場を開く鍵を見出すことにつながるのではないだろうか。
「表現の不自由展・その後」はメンバーを再構成し、今回【表現の不自由展@済州】と
して生まれ変わった。今回は、あいちトリエンナーレ2019出品作家のうち、本展の
招聘に応じた12作家と新規2作家が参加する。ここを新たな出発の第一歩としたい。

2019年12月18日
表現の不自由展実行委員会
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これを読んで、ようやく状況が理解できた。
思わぬところで、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」に
出会うことができ、驚くとともに、先ほどまで1階の展示室で観てきたチェジュ島
の「4・3事件」との関りで、この展示会が開かれていることの意味を理解した。

展示作品の中で、最も印象的に残ったのは、次の作品で台湾の作家が制作したもの
である。
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なお、この展示会については、ハンギョレ新聞のサイトでも報じられていたことが、
この展示会を観た後に、ネット検索していて分かった。
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/35273.html

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