帰路便の出発時刻は、15時15分である。
かなり時間があるので、スーツケースをホテルに預けて、海岸の遊歩道を
散歩することにした。ここからは空港が近いので、歩いていると、5分に
1本くらいの割合で、超低空の海面すれすれに、各地から飛んできた様々な
会社の航空機が、空港に向かって着陸態勢に入るのを見ることができる。
ホテルに戻り、タクシーに乗って、約10分。正午前に空港に到着した。
チェックインカウンターに並んでいると、「中国・武漢行きの便は運航して
いません」という中国語と英語の看板が目に入った。新型コロナウィルスの
感染の影響が出ているのだと、改めて、その深刻さを認識した。
搭乗してから、機内誌に載っている路線図を見ると、チェジュから武漢への
直行便があるわけではなく、インチョン経由で武漢に行こうとする乗客向け
の案内だったのだろうと思われた。
チェックインを済ませて、上階のレストラン街に向かった。
韓国料理店を初め、日本料理や中華料理の店もあり、ファミリーレストランの
ような店もあったが、チェジュ島で最後の食事は、やはり韓国料理で〆ること
にした。幾つかのランチメニューの中から、辛いものは避け、あっさりとした
味のものが食べたかったので、ソルロンタンを頼んだ。
これで、思い残すことなく、日本に帰ることができる。
ほぼ定刻通りに搭乗が開始された。
成田からチェジュに来るときは4A、4Bだったが、帰路便は3A、3Bを
指定してくれた。空席が目立ち、3人席に2人で座ることができ、ゆったり
とした気分で、帰ることができる。
着席して窓から機外を見ると、管制塔の向こうに、雪の漢拏山(ハルラサン)
を望むことができた。
いよいよ離陸。
眼下に滑走路が見え、海岸線を見ながら、上昇を続けると、次第にチェジュ島
は遠ざかって行った。
安定飛行に入り、シートベルトサインが消えたので、ビール2缶とおつまみの
セットを注文した。1300円と、かなり高額であるが、格安航空に乗った時の
想い出の一コマである。
ほろ酔い気分になった頃、機外眼下に、複雑な海岸線が見えてきた。
既に対馬海峡を越えて、長崎か佐賀の上空に達したのであろうか。
やがて大きな滑走路が見えてきた。福岡空港か北九州空港かと思われた。
この飛行機には、座席に映像スクリーンがないので、どこを飛行中なのかを
知ることができない。
帰宅後、Google mapで確認したところ、この滑走路は山口宇部空港だった
ものと思われた。
山口宇部空港は、現役時代に何回か利用したが、上空から眺めたことはなく、
滑走路の全体像を意識したことがなかったので、直ぐには分からなかった。
その滑走路を見た後は、厚い雲の中を飛行し続けたので、陸地は全く見えず、期待
していた富士山の眺望も実現しないまま、雲の合間から陸地が見え出したときには、
九十九里海岸上空に達していた。夕陽も垣間見えたが、雲が邪魔して、美しい眺め
というわけにはいかず、そのまま成田空港に着陸した。
帰宅後、航空機の追跡サイトで確認すると、われわれの乗った飛行機は、チェジュ島
を発ち、玄海灘、九州北部、瀬戸内海、和歌山を通過した後、そのまま本州の陸地から
かなり離れた太平洋上空を飛び、九十九里海岸を北上、霞ケ浦上空から成田空港に
着陸したことになっている。チェジュ島に向かった時のコースとは異なるコースで
帰ってきたことになる。
成田空港に到着すると、先ずは検疫ゲートを通過する。
空港係員が「中国とハワイから到着の方は左側ゲート、その他の地域からの方は右側
ゲートに進んでください」と大声で案内している。
新型コロナウィルスの問題で、中国から到着した人を慎重にチェックするのは理解
できたが、ハワイからの客をチェックするのはなぜだろうと不思議に思った。ハワイ
でも新型コロナウィルの感染が問題になっていたことを、われわれは知らなかった。
帰宅して、旅行中に溜まった新聞を読み直して、初めてハワイの状況を知った。
そして、数日後には、ハワイから名古屋に帰ってきた若い夫婦が感染していたことが
判明したというニュースが流れた。
われわれが、1ヵ月遅く済州島を訪れていたら、成田の検疫を通過しても、電車で帰宅
することが許されず、近くのホテルに14日間隔離され、自宅に帰ることができないと
いう事態に遭遇していた可能性があり、良い時に帰ってきたと、今、胸をなでおろして
いる。
-了-
◆拙い旅行記は、これが最終回です。
ご覧くださった皆さん、有難うございました。
また、沢山の「Like」や「拍手」をいただき、御礼申し上げます。
かなり時間があるので、スーツケースをホテルに預けて、海岸の遊歩道を
散歩することにした。ここからは空港が近いので、歩いていると、5分に
1本くらいの割合で、超低空の海面すれすれに、各地から飛んできた様々な
会社の航空機が、空港に向かって着陸態勢に入るのを見ることができる。
ホテルに戻り、タクシーに乗って、約10分。正午前に空港に到着した。
チェックインカウンターに並んでいると、「中国・武漢行きの便は運航して
いません」という中国語と英語の看板が目に入った。新型コロナウィルスの
感染の影響が出ているのだと、改めて、その深刻さを認識した。
搭乗してから、機内誌に載っている路線図を見ると、チェジュから武漢への
直行便があるわけではなく、インチョン経由で武漢に行こうとする乗客向け
の案内だったのだろうと思われた。
チェックインを済ませて、上階のレストラン街に向かった。
韓国料理店を初め、日本料理や中華料理の店もあり、ファミリーレストランの
ような店もあったが、チェジュ島で最後の食事は、やはり韓国料理で〆ること
にした。幾つかのランチメニューの中から、辛いものは避け、あっさりとした
味のものが食べたかったので、ソルロンタンを頼んだ。
これで、思い残すことなく、日本に帰ることができる。
ほぼ定刻通りに搭乗が開始された。
成田からチェジュに来るときは4A、4Bだったが、帰路便は3A、3Bを
指定してくれた。空席が目立ち、3人席に2人で座ることができ、ゆったり
とした気分で、帰ることができる。
着席して窓から機外を見ると、管制塔の向こうに、雪の漢拏山(ハルラサン)
を望むことができた。
いよいよ離陸。
眼下に滑走路が見え、海岸線を見ながら、上昇を続けると、次第にチェジュ島
は遠ざかって行った。
安定飛行に入り、シートベルトサインが消えたので、ビール2缶とおつまみの
セットを注文した。1300円と、かなり高額であるが、格安航空に乗った時の
想い出の一コマである。
ほろ酔い気分になった頃、機外眼下に、複雑な海岸線が見えてきた。
既に対馬海峡を越えて、長崎か佐賀の上空に達したのであろうか。
やがて大きな滑走路が見えてきた。福岡空港か北九州空港かと思われた。
この飛行機には、座席に映像スクリーンがないので、どこを飛行中なのかを
知ることができない。
帰宅後、Google mapで確認したところ、この滑走路は山口宇部空港だった
ものと思われた。
山口宇部空港は、現役時代に何回か利用したが、上空から眺めたことはなく、
滑走路の全体像を意識したことがなかったので、直ぐには分からなかった。
その滑走路を見た後は、厚い雲の中を飛行し続けたので、陸地は全く見えず、期待
していた富士山の眺望も実現しないまま、雲の合間から陸地が見え出したときには、
九十九里海岸上空に達していた。夕陽も垣間見えたが、雲が邪魔して、美しい眺め
というわけにはいかず、そのまま成田空港に着陸した。
帰宅後、航空機の追跡サイトで確認すると、われわれの乗った飛行機は、チェジュ島
を発ち、玄海灘、九州北部、瀬戸内海、和歌山を通過した後、そのまま本州の陸地から
かなり離れた太平洋上空を飛び、九十九里海岸を北上、霞ケ浦上空から成田空港に
着陸したことになっている。チェジュ島に向かった時のコースとは異なるコースで
帰ってきたことになる。
成田空港に到着すると、先ずは検疫ゲートを通過する。
空港係員が「中国とハワイから到着の方は左側ゲート、その他の地域からの方は右側
ゲートに進んでください」と大声で案内している。
新型コロナウィルスの問題で、中国から到着した人を慎重にチェックするのは理解
できたが、ハワイからの客をチェックするのはなぜだろうと不思議に思った。ハワイ
でも新型コロナウィルの感染が問題になっていたことを、われわれは知らなかった。
帰宅して、旅行中に溜まった新聞を読み直して、初めてハワイの状況を知った。
そして、数日後には、ハワイから名古屋に帰ってきた若い夫婦が感染していたことが
判明したというニュースが流れた。
われわれが、1ヵ月遅く済州島を訪れていたら、成田の検疫を通過しても、電車で帰宅
することが許されず、近くのホテルに14日間隔離され、自宅に帰ることができないと
いう事態に遭遇していた可能性があり、良い時に帰ってきたと、今、胸をなでおろして
いる。
-了-
◆拙い旅行記は、これが最終回です。
ご覧くださった皆さん、有難うございました。
また、沢山の「Like」や「拍手」をいただき、御礼申し上げます。