カテゴリ: 想い出の音源

ロゴ・台湾局舎
台湾国際放送は10月10日、台北市にある総統府前広場で開催された
「中華民国110年双十国慶節祝賀大会」の模様を短波放送とインター
ネットを通じて実況中継した。残念ながら、当地(東京・多摩北部)では
受信状態が芳しくなく、ホームページに掲載された「ダイジェスト版」を
聴いた。
≪台湾博物館(2021-10-10)中華民国110年双十国慶節祝賀大会・実況中継≫
https://jp.rti.org.tw/radio/programMessageView/programId/360/id/62569
https://jp.rti.org.tw/radio/programMessagePlayer/programId/360/id/62569

この番組で、ラジオから流れてくる(否、実はインターネットを通じて
流れてくる)中華民国国歌を久しぶりに聴いた。
そして、同局では放送開始時に中華民国国歌が演奏されていた時代があった
ことを想い出した。

私が同放送の日本語番組を聴き始めたのは、BCLを再開した1990年代
前半であった。
それ以来、現在に至るまで、同局の局名アナウンスやベリカードなどに記載
されている局名が様々に変化してきており、想い出深いものがある。
1995年の年賀状には、局名が「自由中國之聲」と記載されている。
台湾 1995 年賀状(A)
1997年の録音を聴くと、局名は「台北国際放送」とアナウンスされている。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RTI-1997.MP3

2000年のベリカードでは、「台北国際放送」となっている。
台湾 IMG_20200601_0059
2001年のステッカーには「台北國際之聲」とある。
台湾 20010311
そして、2003年の録音を聴くと、「台湾国際放送・台湾からの声」という局名
アナウンスに続き、中華民国国歌の演奏で放送が開始されている。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RTI-2003.MP3

今、台湾は「新型コロナウィルス」の感染拡大防止に全力を挙げている、
その一方で、中国大陸側から政治的・経済的・軍事的な揺さぶりを受けている。
更に、香港における民主化運動の動きに対する中国の強い締付けが、台湾に影響
を与えることが懸念されている。
9月22日、台湾が環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟を正式に申請した
ことから、その一週間ほど前に申請していた中国が台湾を非難するなど、台湾と
中国の加入を巡っては、関係国を巻き込んで激しい駆け引きが始まっている。
そして、10月10日の双十国慶節祝賀大会における蔡英文・総統の演説に対して、
中国大陸側は強く反発しているように見える。
台湾国際放送の報道番組に、今後とも注目していきたいと思っている。

NHKの短波によるラジオ国際放送は、現在では「NHKワールド・ラジオ日本」とオシャレな呼称が用いられているが、戦後、海外向け放送が再開された時には、単に「ラジオ日本(Radio Japan)」と呼ばれていた。私が海外からの短波放送に興味を持ち始めた1960年代にNHKから送られてきた "RADIO JAPAN TIME & FREQUENCY SCHEDULE" を見ると、海外向け放送の番組編成は "Regional Service" と "General Service" に分けられている。前者は「北米向け」「欧州向け」「アフリカ向け」など世界の各地域向けに特化した内容の番組を、後者は全地域向けに共通する番組を放送していた。
R.Japan-7
「NHK年鑑」2016年版によれば、「ジェネラル・サービス」は1960年9月4日に始まり、2007年9月30日に廃止されたとある。
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/regular/nenkan/pdf16/16_754.pdf

次の音源は、2007年3月25日に旅行先のホノルルで受信したもので、Radio Canada International(RCI)Sackville 送信所を中継する6120kHzの受信音である。
「ジェネラルサービス」が廃止される約半年前であった。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Japan20070325.MP3

今日では、「ラジオ日本」の日本語番組では、「海外安全情報」などを除けば、ほとんどが国内向けラジオ第1放送の番組をそのまま流しているが、「ジェネラルサービス」のあった時代には、国際放送独自のニュース番組などを編成し放送していた。今は昔の物語である。

きょう3月6日は、旧「モスクワ放送」で日本課長などを務めたリップマン・レービンさんの没後6年にあたっている。
旧ソ連からの海外向け放送「モスクワ放送」は、後に「ロシアの声」と改称し、そして更に通信社「スプートニク」に改組されて現在に至っているが、レービンさんは1959年から2009年まで日本課に勤務し、その間に日本課長も務めるなど、日本語放送の発展に尽力した。
同局は1997年4月14日と15日に「日本語放送開始55周年特別番組」を、2002年4月15日と22日に「日本語放送開始60周年記念番組」を放送し、それぞれの番組の最後に、レービン課長のメッセージを放送した。
あの穏やかで、優しい語りから、どこまでも紳士的なお人柄が偲ばれ、お声を懐かしく想い出している。
(1997年4月15日音源)http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOR19970415.MP3
(2002年4月22日音源)http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOR20020422.MP3

なお、次の画像は1960年代に「モスクワ放送」から送られてきたベリカードである。
19620101 モスクワ放送ベリカード
現在の「スプートニク」のホームページは次のとおり。
https://jp.sputniknews.com/
https://sputniknews.com/

最近、音源資料を整理していたところ、次の音源が見つかった。
南米チリから放送されていた CVC International の周波数案内などのアナウンスとみられ、受信状態が芳しくないため明確には聴き取れないが、収録したMDのラベルには受信日は
2007年10月27日とある。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/CVC%2020071027.MP3

次の画像は、そのベリカードである。
CVC-IMG_0033
CVC-IMG_0034
受信記録が散逸し記憶も薄れてしまったが、同放送には、この年、何回か受信リポートを送った模様で、手許には4月20日受信のベリカードと11月10日受信のベリカードの送付状(ベリカード本体は所在不明)が残っている。両方ともオーストラリアからの放送だったことが窺える。
CVC International は宗教番組を放送していたように記憶しているが、この放送局は現在も存在しているのであろうか。インターネット情報を検索すると、BCL諸兄がご自分のホームページなどで CVC International について解説されているが、何れも一昔前に書かれた情報で、現在の状況を知る手掛かりは確認できないでいる。
CVC-20070420A
CVC-IMG_0035

51年前のきょう、1970年2月28日、米VOA(Voice of America)は日本語放送の終焉を告げた。あの日の放送は、私のBCLライフの中で最も印象深い番組であった。

VOA日本語放送の終焉から26年が過ぎた1996年11月9日、VOAのメディア情報番組 "Communications World" では「VOA日本語放送回顧」と題する特集番組を放送し、元VOA日本語課職員の坂上義雄さんが保管していた貴重な音源の数々を紹介した。

その一つが、1970年2月28日の夕刻、「きょう、VOA日本語放送が幕を閉じた」と伝えた、文化放送のニュース番組の音源である。番組は、この日で最後となったVOA日本語放送の音源と、日本語放送廃止の背景などについて解説する佐藤知恭さんのワシントン・リポートなどで構成されている。
佐藤さんは当時、文化放送からVOAに派遣されており、自らのリポートを含む文化放送のニュース番組の音源を坂上さんに提供し、それを坂上さんが保管していたものである。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA-BUNKA.MP3

◆ 文化放送の音源にあるVOA放送は、カリフォルニア州のデラノ中継のものであり、私が聴取したのは次の音源で、沖縄中継の放送だったと記憶している。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/19700228%20VOA-Japanese.MP3
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/23711658.html

◆ 下記画像のうち、上段のベリカードは、1962年3月4日のVOA放送を聴いた受信報告を、東京の米国大使館文化広報局ラジオ部に送ったのに対して、返信されたものである。このカードには “Frank S. Baba” のサインが押印されているが、これはVOA日本語課長の馬場・フランク・正三さんのサイン・スタンプである。

また、下段のベリカードは、同年3月22日の受信報告をワシントンのVOA本部に送り、そこから返信されてきたものである。
この二つのカードの、微妙に違う色合いとデザインを見て、BCL少年だった私は、大きな興奮を覚えたものだ。なぜなら、米国大使館ラジオ部への受信報告は日本語書きでも良かったが、ワシントン本局への受信報告は、少なくとも宛先だけは英語で書かなければならず、受信報告が無事にワシントンに届いたことが証明されたからだった。
ワシントンのVOA本部に受信報告を送ることは、中学校で習い始めたばかりの英語を使って、「外国」と初めて直接遣り取りすることであり、それに成功したことは、東北の片田舎のBCL少年にとっては、大きな喜びであった。

2枚のベリカードとも、保管状況が良くなかったため経年劣化が激しく、色褪せてしまったのが残念である。
0001 VOAベリ比較-A
0001 VOAベリ比較-B

0001 PBA
今年、一般財団法人太平洋放送協会(PBA=Pacific Broadcasting Association)は
創立70周年を迎えている。
PBAのホームページの「沿革」によれば、「1951年に6名の宣教師により、
太平洋放送協会の前身となる太平洋東洋放送会社(POBC)が誕生。マニラの
極東放送(FEBC)からの中国語福音放送がPBA制作番組の第1号」とある。
https://www.pba-net.com/
https://www.pba-net.com/home/法人案内-沿革/

創立から26年を経た1977年、PBA(太平洋放送協会)が制作した日本語
ラジオ番組「太平洋の声」は、グァム島のKTWRから日本に向けて短波で放送
されるようになり、当時の日本では「BCLブーム」が起きていたこともあり、
短波放送ファンからは絶大な支持を得ていたが、時代の大きな流れには勝てず、
30年続いた短波放送「太平洋の声」はリスナーから惜しまれつつ、2007年
に終りを告げた。現在、PBAが制作した番組は、日本国内のラジオ局とテレビ
局で放送されている他、WEBサイト「聖書チャンネル BRIDGE」を開設している。

PBAでは、隔月でニュースレター「PBA On-Air !」を発行している他、ホーム
ページでもPDF版を提供している。(HPのトップページからダウンロードする)
https://www.pba-net.com/
2-3月号には、創立70周年特集「PLAYBACK 70」を掲載し、PBAの歴史を
紹介しており、大変興味深い内容である。今後、何回かにわたって、同局の歩みを
紹介していくものと期待される。

◆ この音源は、1990年代のKTWR「太平洋の声」の放送開始部分である。
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/KTWR-PBA.MP3

◆ 次の画像は、KTWR「太平洋の声」が2003年12月にクリスマス特別番組を
放送し、その受信リポートに対して発行したベリカードである。PBAのスタッフが
グァム島のマラソン大会に出場した時のユーモラスな姿である。
同放送のベリカードは、通常はグァムから航空郵便で届くことが多かったが、この
ベリカードは例外的に東京オフィスから送られてきたものである。
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今から24年前のきょう、1997年2月9日の午後2時、地中海・マルタ共和国からの短波放送「Voice of the Mediterranean(VOM)・地中海の声」が、日本語番組の放送を開始した。
これに先立つ1年ほど前から、同局ではオーストラリア向けに英語とマルタ語の放送を行っていた。マルタ共和国からオーストラリアへの移民が多いことなどから、彼らに母国の情報を伝えるためだった。このオーストラリア向け放送はロシア中継だったことから、日本でも良好に受信できることが評判となり、日本のリスナーから同局に「日本語番組もぜひ放送してほしい」との声が多数寄せられた。一方、マルタ共和国は日本との文化交流の促進、通商関係の拡大などを望んでいたという背景もあり、「地中海の声」の日本語放送が実現したと言われている。

次の音源は、VOM英語番組の放送開始アナウンスである。響きわたる教会の鐘の音に続いて、バックに流れる音楽は、マルタ島の輝く太陽と地中海の青い海を連想させ、聴いていて心が癒されるメロディであった。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/VO-Mediterranean.MP3

英語番組の受信状態が良好だったので、大きな期待を持って日本語番組のスタートを待ったが、日本語番組の初日の受信状態は少々残念な結果となってしまった。しかし、日本語番組の放送開始に向けて尽力したスタッフの喜びが伝わってくる、素晴らしい番組であった。
次の音声は、初日の30分番組の一部抜粋である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOM-J19970209.MP3

次の画像は、1996年8月の英語番組の受信報告に対するベリカードである。
カードの写真はマルタの首都バレッタの夜景で、町を囲む城壁がライトアップされている。
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◆「地中海の声」日本語放送は様々な事情から、2003年12月31日の放送を以って
終焉を迎えた。あと1ヵ月余りで、放送開始から7年になろうとしていた。その経緯等に
ついては、適当な時期に、改めて書きたいと思っている。

9年前のきょう、2011年12月19日、世界中の放送局が北朝鮮のキム・ジョンイル
総書記が2日前の12月17日に死去したことを速報した。

この日は、午前中いっぱいは雑用に費やし、正午前にラジオに向かった。
ネット情報で「Radio Australia がパプアニューギニア向け周波数を増設」という話題を目にしていたので、それを確認するため、同局の 17750 kHz にダイアルを合わせた。

日本時間・正午の "Radio Australia News" は、フィリピンでの海難事故をトップニュースとして、淡々と進んで行った。
(12:00 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219A.MP3

12時8分頃、突然、「今入ってきた情報によると、北朝鮮の指導者キム・ジョンイル氏が、土曜日(12月17日)に死去した」というニュース速報を流した。
実は、「増設された周波数」を確認することだけに関心を持ち、番組の内容は漫然と聞き流していたので、残念ながら、このニュース速報を聞き逃してしまった。否、正確に言えば、英語のヒアリング能力が低いために、それを聞き逃していたのだった。後になって、放送番組全体の録音を聴き直してみて、この時刻にニュース速報が流れていたことを認識した。
(12:08 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219B.MP3

12時16分頃、スポーツの話題が終わって、ニュースの主な項目を繰り返す中で、2番目の項目として "North Korean leader Kim Jong Il has died" とアナウンスするのが耳に入ってきた。なぜか、これは聞き逃さなかった。
(12:16 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219C.MP3

一瞬、何かのジョークだろう、あるいは、良くある「信頼できる消息筋によれば・・・」式の憶測報道ではないかと疑ったが、念のためと思い、NHKラジオ第一に切り換えてみた。
NHKラジオ第一はテレビと同時放送だったようで、ニュース番組を延長して放送していた。聴こえてきたのは、「それでは、正午から行われた、朝鮮中央放送の特別放送について、お伝えします」という末田正雄アナの声であった。
続いて流れたのは、朝鮮中央テレビの女性アナウンサーの声で、それに同時通訳の音声が
重なった。
(12:18 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219D.MP3
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その後の、NHKのニュースを聴く中で、この日は午前中から、北朝鮮では「正午の特別
放送」が予告されていたことがわかった。その予告を知っていれば、短波放送の Radio Australia も聴くことなく、NHKテレビの正午からのニュースに見入っていたはずだ。

この予告を知らなかったために、歴史に残るビッグニュースの第一報は、海外からの短波放送 Radio Australia の報道で、偶然に知るところとなった。

重大ニュースの第一報を、日本のメディアによってではなく、海外からの短波放送を聴いていて知るというのは、初めての経験で、大変興奮したことを想い出す。

この重大ニュースを、北朝鮮のラジオ放送はどのように伝えるか、注目した。
当然のことながら、この日の16時から始まる「朝鮮の声」日本語放送を聴いた。
放送開始時の局名アナウンスの後、直ちに、この重大ニュースを伝えるものと予想していたが、意外にも、通常どおり、キム・イルソン主席とキム・ジョンイル総書記を称える歌が流れ、その後に「朝鮮労働党の党員と人民軍将兵、人民皆に告げる」と題する告示を読み上げて、キム・ジョンイル総書記が死去したことを伝えた。
(16:08 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219E.MP3

続いて、17時から始まる韓国KBSの日本語放送を聴いた。
冒頭、「12月19日、月曜日のニュースをお伝えします」とアナウンスすると、直ぐに、朝鮮中央テレビが特別放送で伝えた音声を流し、これを受けて、「北韓のキム・ジョンイル国防委員長が17日、急死しました」と伝えた。
(17:02 JST)http://blog.livedoor.jp/swl_information/20111219F.MP3

◆ この話題については、2011年12月にも「旧・国際短波放送情報」に書きましたが、当時は Yahoo ブログだったため、音声ファイルを掲載することが出来ずにおりました。
昨年、livedoor ブログへ移行したことに伴い、音声ファイルの掲載が可能となったことからこの度、掲載内容に加筆して時系列化し、当日の状況を改めて振返ってみました。

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

11年前の、きょう、2009年11月15日の早朝、南大西洋に浮かぶセントヘレナ島からの短波放送が聞こえてきた。忘れることの出来ない放送の一つである。あの時代に、ほぼ1年毎に巡ってくる、セントヘレナ島からの短波放送は「七夕放送」などと呼ばれて、短波放送愛好家であれば、誰もが受信にチャレンジした放送であった。

私が、Radio St. Helena を初めて受信したのは1994年であったが、2009年の放送の受信には、特別の関心を持って臨んだ。この年は、財政難に苦慮していた同局に対して、日本短波クラブ(JSWC)が積極的に支援したこと、番組の中では日本語による局名アナウンスが流れると予告されていたことなどから、日本時間の早朝から万全の態勢で放送開始を待った。

地球の反対側にある放送局からの小出力放送であり、受信状態が芳しくないのは、やむを得ないことであったが、何とか聴き取れた音声は、次のとおりである。

05:00 JST 放送開始アナウンス
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-1.MP3
05:07 JST 曲「ホテルカリフォルニア」
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-2.MP3
05:11 JST 局名アナウンス
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-3.MP3
07:00 JST BBC-WS を中継しての時報音
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-4.MP3
07:12 JST 日本語による局名アナウンス
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-5.MP3
07:28 JST 局のメールアドレス案内
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-6.MP3
07:45 JST 日本のリスナーからのお便り紹介
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-7.MP3
07:50 JST 日本語による局名アナウンス
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-8.MP3
08:00 JST 時報音
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-9.MP3
08:28 JST 曲「想い出のサンフランシスコ」
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-10.MP3
08:35 JST 局名アナウンス
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-11.MP3
08:48 JST 送信ビームの案内
http://blog.livedoor.jp/swl_information/RSH-12.MP3

次の画像は、日本時間2009年11月15日午前5時(世界協定時、14日20時)からの放送を受信したことに対するベリカードである。
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「ラジオセントヘレナ」について、ウィキペディアでは次のように解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラジオ・セントヘレナ
https://en.wikipedia.org/wiki/Radio_Saint_Helena

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/26755422.html

フィリピンからの短波放送で、現在でも良好に受信できる放送局は、独特の抑揚で局名
アナウンスを流すことで有名な Radyo Pilipinas(Philippine Broadcasting Service-PBS)
であろう。
次の音声は2007年の受信音である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/PBS-Phili%2020071119.MP3

この受信報告に対しては、次のベリカードが送られてきた。
シンプルではあるが、横長のカードは印象に残る一枚である。
RP 20071213
Radyo Pilipinas(Philippine Broadcasting Service-PBS)のホームページは次のとおり。
https://pbs.gov.ph/
http://radyopilipinas.ph/rp-worldwide
https://www.facebook.com/radyopilipinas1/

現在の同局の放送スケジュールは次のとおりである。(HFCC情報を引用)
http://www.hfcc.org/data/b20/index.phtml
0001 PBS_page-0001 (1)
最近は、日本時間午前11時(02:00 UTC)からの放送を時々聴いているが、放送開始
アナウンス(下記音源)では「15640 kHz、17700 kHz、17820 kHz」と案内している
ものの、実際は、上記HFCCデータのとおり、「9475 kHz、15640 kHz、17820 kHz」
で放送されている。(2020-11-04 11:00 JST のアナウンス)
http://blog.livedoor.jp/swl_information/PBS%2020201104.MP3

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

フィリピン・マニラ市に本拠地を置く,カソリック系宗教放送局 Radio Veritas Asia
は1969年8月から2018年6月末まで、ほぼ半世紀にわたって放送していた。
この間、1970~90年代には、日本語番組も放送されていたというが、私自身は
残念ながら「BCL中断」の時期で聴いたことがない。
https://www.rvasia.org/
https://www.rvasia.org/about-rva

1990年代にBCLを再開して、同局の放送を聴いた時には、既に日本語放送はなく、
英語放送を聞いた。次の音源は、当時録音したもので、中国語番組の放送開始に先立つ、
局名アナウンスである。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Veritas%20Asia.MP3

下のベリカードは,1994年に放送開始25周年を記念して,発行されたものである。
RVA-F
フィリピンでは1986年、大統領選挙が行われ、その結果、当時の大統領マルコスと
彼の独裁に反対するコラソン・アキノの双方が勝利を宣言して、政治が混乱するという
事態となり、当時の国防相や副参謀長らの国軍改革派が決起した。
この時、Radio Veritas Asia は、改革派を支持するように呼びかける放送を流したした
放送局として知られている。
多くの市民がこれに同調したため、マルコスはその権力を失い、コラソン・アキノが
大統領就任を宣言し、マルコス夫妻はハワイに亡命した。

Radio Veritas Asia の歴史については、“Shortwave Central” のサイトで紹介している。
http://mt-shortwave.blogspot.com/2018/06/the-last-days-of-radio-veritas.html
http://mt-shortwave.blogspot.com/2018/07/a-nostalgic-look-at-radio-veritas-asia.html

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

"This is FEBC Radio International, transmitting from Manila, Philippines." という
局名アナウンスが、ゆっくりとしたメロディにのせて流れていた。BCLを再開
した1990年代には、特定の放送局に関心を持つのでなく、BCLを中断して
いた空白の20年を埋めようと、できるだけ多くの放送を聴こうと努めた。
FEBC-Manila は、比較的良好に聴こえる放送局の一つであった。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/FEBC-Manila.MP3

同局からは数枚のベリカードを送ってもらったが、定型的な受信データの他にも、
短波送信機の機種、送信アンテナの型式、送信所所在地の緯度経度などのデータが
手書きされていて、印象に残るカードもあった。
FEBC 19940815A
FEBC 19940815B
同局のホームページは次のとおり。
https://www.febc.org/where-we-work/philippines/

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

BCLを再開して10年が経ち、「短波放送受信」の勘所をつかむ感覚が戻って
きた2005年、電波情報誌「My Wave」で南米中央部に位置するパラグアイ
からの放送が良好に受信できているとの情報に接した。
0001 パラグアイB (1)
早速、受信を試みたところ、南米からの放送とは思われないほどの強い電波で、
混信と雑音があるものの "Radio Nacional del Paraguay" という局名アナウンス
を聞き取ることができた。
次の音源は、2005年6月28日 17:58 JST、9735 kHz の受信音である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Paraguay.MP3

これを録音したカセットテープを同封して、受信報告書を英語で書いて送ったが、
残念ながら返信を得られないまま、歳月が過ぎてしまった。
"Radio Nacional del Paraguay"のホームページは次のとおり。
https://www.radionacional.gov.py/

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

海外からの短波放送を聴いている人たちの中には、趣味と実益を両立させて、
何ヵ国語も理解し、読み・書き・話す人が多いと聞く。羨ましい限りである。

私は、日本語以外の言語で理解できるのは英語だけで、それも、中学生程度
にしか理解できないから、他の言語で放送される番組を聴き分けて、どこの
国からの放送であるかを確認することは、ほとんど無理である。

BCLを再開した1990年代には、幸いなことに「My Wave」というBCL
関連の月刊情報誌が発行され、沢山のリスナーから寄せられた受信リポートが
掲載され、様々な放送局の局名アナウンスが文字になって紹介されているので、
これを参考にして、受信にトライしていた。(同誌は、現在は休刊)

例えば、ギリシャの Voice of Greece は、"Edo Athena, I Foni tis Elladas."
(こちらはアテネからお送りしている「ギリシャの声」です)とアナウンスする
と紹介されているので、自分の聴いている放送がギリシャからの放送であること
が、なんとか確認できた。
次の音声は、同局の放送開始部分である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/V.O.Greece.MP3

受信報告は英語で書いても、ちゃんと返信は送られてきた。
ベリカードの写真は、首都アテネにあるギリシャの国会議事堂ビルである。
19980110A
19980110B
なお、運営母体であるERTのホームページは次のとおりで、2013年には
国の財政危機から一時閉鎖に追い込まれたこともあった。
https://int.ert.gr/
https://webradio.ert.gr/
https://www.cnn.co.jp/business/35034547.html

ウィキペディアでは次のように解説されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Voice_of_Greece
https://en.wikipedia.org/wiki/Hellenic_Radio

◆「想い出の音源」一覧
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/cat_387483.html

0001 ATCushen-B世界的に有名な "DXer"(地球の反対側や遠距離地域などからのラジオ放送を受信する愛好家)のアーサー・クッシュンさんは、1920年1月24日生まれで、今年が生誕100年にあたっている。
彼は、1997年9月20日に天国に召され、葬儀は9月23日に執り行われた。77歳だった。
その週には、世界の多くの放送局が追悼特集番組を放送し、彼の偉業を称えた。

次の音源は、主な放送局の追悼番組の一部分である。
◆ オランダ・R. Netherland(1997-09-25 "Media Network")
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/RN%2019970925.MP3
◆ アメリカ・VOA(1997-09-27 "Comunications World")
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2019970927.MP3
◆ アメリカ・KWHR(1997-09-27 "DXing with Cumbre")
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/KWHR%2019970927.MP3

◆ アーサー・クッシュンさんの生涯は、次のサイトで紹介されている。https://www.nfb.org/sites/www.nfb.org/files/images/nfb/publications/bm/bm98/bm980411.htm
http://www.radiodx.com/articles/dxer-profiles-a-to-e/arthur-cushen-tributes/

◆ 1960年代,私が初めて短波放送を聴き始めた頃,Radio Australia 日本語放送の
「DXタイム」では,アーサー・クッシュンさんが提供する短波放送情報が,毎週の
ように紹介されていた。
彼が住んでいたニュージーランドのインバカーギルは,私にとっては想い出深い町で
ある。2000年の夏,ニュージーランド縦断の鉄道旅行をしていて,この町に降り
立った。"Most Southern McDonald's" — 「世界で最も南に位置するマクドナルドが
ある町」として有名だった。
ここから更に,バスで1時間ほど南下すると,ニュージーランド最南端の町ブラフに
到着する。東京からの距離は9567km、岬の台地にある売店兼カフェに入ると,
「NZ最南端到達証明書」をくれる。
0001 インバカーギル
当時,私は,アーサークッシュンさんがニュージーランドに住んでいたことは知って
いたが,このインバカーギルの町に住んでいたということを知らなかった。彼の居宅
が記念館のような形で保存され、様々な資料が展示されているならば、是非見学した
かったと、今は、残念に思っている。

2001年9月11日の朝(米国時間)、ニューヨークの世界貿易センタービルや
ワシントンD.C.の国防総省ビル(ペンタゴン)に、多数の乗員乗客を乗せた大型
旅客機が激突するという「9・11同時多発テロ」が起き、数千人の死傷者が出た。

日本では、事件発生の第一報は、日本時間の9月11日の夜10時前、テレビの臨時
ニュースで伝えられたと記憶しているが、CNNなどの現地映像を衛星中継するのみ
で、いったい何が起きたのか、事故なのか事件なのか、詳細がわからないまま、その
映像に見入るだけだった。
しかし、「アメリカで想像を絶する事態が起きているのは確か」と思われ、間もなく
ブッシュ大統領の緊急会見が始まったので、大統領会見はVOAは必ず中継放送して
いるに違いないと思い、テレビは画面だけ視ることとして、ラジオのスイッチを入れ、
VOA放送に周波数を合わせた。ちょうど、ブッシュ大統領の緊急会見が終わろうと
するところだったが、急いでカセットテープに録音を開始した。

VOAは定時番組を取り止めて、ぶっ通しの特別番組として、未曽有の大惨事を生中継
していた。番組は、各地からの記者のリポートに加えて、スタジオ内に設置されている
モニターテレビで各テレビ局の映像を見ながら、惨状を伝えていた。
VOA本部の近くに位置するペンタゴンに旅客機が激突して、ビルが炎上する様子を
モニターテレビで見ながら伝えるアナウンサーの声は、悲しみや驚きの感情を抑え、
妙に落ち着いているように聞こえた。
◆ブッシュ大統領(当時)の緊急声明発表の終わり部分
 13:20 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2013-31%20UTC.MP3

◆スタジオでテレビ映像をモニターしながら、「ペンタゴン炎上」を伝える
 13:45 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2013-45%20UTC.MP3

◆以降、13:47 UTC(22:47 JST)から14:35 UTC(23:35 JST)までの録音
 13:47 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2013-47%20UTC.MP3
 14:00 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2014-00%20UTC.MP3
 14:06 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2014-05%20UTC.MP3
 14:16 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2014-16%20UTC.MP3
 14:30 UTC 
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2020010911%2014-30%20UTC.MP3
IMG_20200902_0003

英国皇太子の元妃・ダイアナさんは、1997年8月31日、旅行先のパリで
交通事故のため死去し、全世界が悲しみに包まれた。
ダイアナさんの葬儀は、9月6日に「準国葬」としてウェストミンスター寺院
において執り行われ、英BBCは数時間にわたって、その模様を生中継した。
次の音声は、各時間帯の頭出し部分である。
(1)http://blog.livedoor.jp/swl_information/BBC%2019970906A.MP3
(2)http://blog.livedoor.jp/swl_information/BBC%2019970906B.MP3

なお、米VOAも、現地ウェストミンスター寺院からの中継音声を交えながら、
特別番組を放送した。次の音声は葬儀開始部分のものである。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/VOA%2019970906.MP3
IMG_20200902_0002

1990年代、Radio Habana Cuba の北米向け英語放送が、日本でも良好に
受信できていた。キューバから北米に向けた強力な電波が、北極圏を通って、
日本に届いたのであろう。
次の音源は、当時の放送開始部分である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Habana%20Cuba%2019990825.MP3

同局のベリカードのデザインは、決して凝ったものではないが、シンプル故に
却って印象に残るものであった。
19990825A
20091119A
Radio Habana Cuba のホームページは次のとおり。
http://www.radiohc.cu/en
http://www.radiohc.cu/en/de-interes/programacion

30年ほど前、Radio Pakistanは "Slow Speed News" という番組を放送して
いて、VOA(Voice of America)の "Special English" に似ていたこともあり、
この番組を良く聴いていたものだった。
次の音源は、同番組の放送開始部分である。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Pakistan.MP3

受信報告に対して、京都・金閣寺の写真のベリカードが送られてきて、驚いた記憶
がある。パキスタンは親日国であることから、日本のリスナーには日本の風景写真
のカードを送ることにしていたのかも知れない。
カードには受信日が記載されていないが、1994年頃だったと記憶している。
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現在でも、Radio Pakistan は短波放送を行っているのだろうかと気になるが、
同局のホームページでは必ずしも確認できない。
https://www.radio.gov.pk/

なお、次のサイトでは、同国の情報放送大臣が今月13日、独立記念日の祝賀
行事の一環として、イスラマバードの国営放送会館(ラジオパキスタン)で
行われた、マルコーニ型送信機の保存展示発表会に出席したことを伝えていて、
同大臣はあいさつの中で、「同局は中波は32局、FMは57局、送信機は中波
用23基、短波用1基を有する、同国最大の放送局である」と語ったことを紹介
している。
https://www.radio.gov.pk/13-08-2020/info-minister-unveils-marconi-transmitter-memorial-at-radio-pakistan

また、海外向け放送の周波数案内サイトもあるが、情報が更新されていない。
https://www.radio.gov.pk/frequencies

一方、ABU(アジア太平洋放送連合)のサイトでは、Radio Pakistan を紹介
していて、同局が短波でも放送していることに触れている。
https://www.abu.org.my/portfolio-item/pakistan-broadcasting-corporation/

1990年代前半にBCLを再開し、様々な情報に接している中で、中央アジアに
位置するウズベキスタン共和国から Radio Tashkent が放送されていることを知り、
「タシケント」という都市名に、わけもなく異国情緒を感じ、同局の受信にトライ
した。次の音源は、当時の放送開始アナウンスである。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/R.Tashkent.MP3

次の画像は、1996年6月10日の受信報告に対するベリカードである。
カードには、旧ソビエト連邦の国土がデザインされていて、首都モスクワが赤星で
示され、ソ連の一部としてウズベキスタンの領土と首都タシケントが示されている。

当時は特に気に留めることはなかったが、同国が1991年12月に旧ソビエト連邦
の解体とともに独立したことを考慮すると、このカードは同国が旧ソビエト連邦の下
にあった時代に制作され、そのストックが1996年になっても使用されていたのでは
ないかと推測される。
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