カテゴリ: 姫路・明石・淡路の旅

東京・羽田行き「スカイマーク108便」の搭乗開始がアナウンスされた。
少し緊張しながら、「16A」と「16B」に座った。座席前のポケットには、スカイマークの機内誌「空の足跡」と「安全のしおり」の他に、「非常口座席にご着席のお客様へ」と題するカードが入っている。
旅・機内誌
旅・非常口
これをよく読んで、万一の場合に執るべき行動をシミュレーションした。先ずは、乗務員の指示を冷静に聴きとり、行動に移すようにと、自分に言い聞かせた。

いよいよ、離陸である。
通常通りの航行であれば、神戸空港を飛び立った後は、中部国際空港上空、伊豆半島・大島上空を飛んで、羽田空港に着陸するはずである。雪の富士山が、左手に見えてくることを祈った。
旅・航跡
眼下に広がる神戸の街並みが遠ざかるに従って、機体は厚い雲の中を通り、やがて雲の上に出て、安定飛行に入った。真っ青な空と真っ白な雲、太陽が反射する機体のコントラストが眩しく、ずうっと外を眺めていると、目が疲れてくる。
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この状態が羽田まで続けば、富士山を上空からの写真撮影することは絶望的と思われた。
それでも、微かな期待を寄せながら、ときどき窓の外に目をやったが、機体の下に広がる雲が切れることはなく、飛行時間1時間余りで、羽田空港に着陸してしまい、富士山を眺めることは出来なかった。これも運命かと諦めた。
羽田空港から、電車を乗り継ぎ、自宅に着いたのは夕方であった。無事に、旅行から帰ってくることができ、ホッとした。                    —— 了

神戸空港駅の改札口を出て数十メートル歩けば、チェックインカウンターである。
「富士山を見たいので、AとBの席をお願いします」と頼むと、スタッフはキーボードをたたいて、「きょうは、AとBの席は埋まってしまいましたが、16番のA、Bならば、空いています。その代わり、緊急事態発生の場合には非常口でお手伝いをしていただきます」という。
私は、「それは、じいさんとばあさんには無理でしょう」というと、彼女は「大丈夫だと思いますよ」と答えた。年齢制限は定められてはいないらしい。
これまでも何回か、非常口の座席に座ったことはあり、その都度、自分の頭の中では、万一の場合に備えてのシミュレーションを繰り返してきているので、今は歳をとってしまったが、「大丈夫!」と意を決して、「16A」と「16B」の搭乗券を発券してもらった。
旅・搭乗券A
搭乗券を発券してもらった後は、空港ビルの中を散策したり、屋上にある展望デッキから離着陸する飛行機を写真に撮ったり、遥か向こうの神戸の街並みを眺めたりして過ごしたが、それでも、出発時刻まではかなり時間があったので、保安検査を済ませて出発ロビー入り、近くの空港ラウンジでコーヒーを飲みながら、新聞を読むなどして、搭乗開始のアナウンスを待った。
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神戸市の新交通システム「ポートライナー」に初めて乗った。
「三宮駅」を出発すると、間もなく神戸の近代的なビル群が見え始め、大学キャンパス、ワールド記念ホール、神戸国際展示場、中央市民病院、先端医療センター、理化学研究所などが目に入ってくる。
将に「未来都市」「研究学園都市」を想わせる風景である。
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特に、理化学研究所は、数年前には「STAP細胞」問題の舞台となったところであり、又、スーパーコンピューター「富岳」が設置されていることなどから、ある種の感慨を持って、車窓から眺めた。

20分ほどで「神戸空港」が見えてきた。この空港は2006年に開港したが、関西地域には大阪(伊丹)空港と関西国際空港があるのに、神戸空港は本当に必要なのかと議論を呼んだことがあったようだが、それも過去のことであり、現在は三空港が一体的に運営されており、神戸空港は更なる路線拡大を目指して行くという。
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旅・ポートライナー

ホテルをチェックアウトする際、スーツケースは宅配便で送ってくれるように手配してもらった。翌日には、自宅に届く見込みである。便利な世の中になったものだ。

ホテルからJR舞子駅までは、個人住宅やマンションが建ち並ぶ閑静な通りを歩いて、10分ほどである。通勤・通学の人々も何人か、駅に向かっている。われわれは、JR神戸線の電車に乗り、三ノ宮駅乗換えで、神戸空港に向かう。

今回の旅行中に、そして、この日のJR神戸線でも、「ぜひ、この風景を写真に収めたい」と思いながら、人目を気にして躊躇し続けている間に、結局実現しなかったことがある。
JR神戸線の幾つかの駅で見られた、線路への転落を防ぐ「昇降式ホーム柵」である。次の画像は、JR西日本のサイトから拝借した。
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東京近郊の多くの駅で設置されている、左右にスライドする「ホームドア」に見慣れている者にとっては、上下に動く「昇降式ホーム柵」は、驚きであり、物珍しく映った。
帰宅後、ネット検索すると、次のようなサイトに出会った。
https://www.westjr.co.jp/company/action/technology/technology/01/
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220819_00_bariahuriryoukin.pdf
https://www.youtube.com/watch?v=DNDj4ncTZ-Y

今回の旅行で最後に泊まったホテルは、高層階の和洋室で広く、風呂には洗い場もあり、食事は朝夕食とも食材は多彩で美味しく、不満はなかった。ただ、朝食会場のレストランが、「明石海峡大橋」を眺めながら食事ができる素晴らしい空間でありながら、惜しむらくは、客席と料理陳列台のスペースが窮屈に感じられた。

そこで、チェックアウトの日の朝食は、レストランではなく、「テイクアウト」を頼んで、部屋で食べることにした。フロントのスタッフからは「サンドイッチ程度」と聞いていたので期待はしていなかったが、実際には三色サンドイッチ、コーンスープ、サラダ、ヨーグルト、フルーツ、コーヒー、オレンジジュースのセットメニューで、老体にとっては十分過ぎるボリュームである。
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チェックアウトする日になって、ようやく快晴に恵まれ、窓の向こうに「明石海峡大橋」と淡路島を眺めながら、美味しい朝食を、部屋でゆっくりと楽しんだ。
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旅行にはいつも小型携帯ラジオを持参するのだが、お酒の飲み過ぎなどで、結局、何も聴かずに終わってしまうことが多い。
しかし、今回は、ICレコーダーを持参したので、最後の夜に荷造りをする間、そして、翌朝、朝食からチェックアウトまでの時間、これを廻し続けておいて、1時間単位で周波数を変え、その都度、時刻と周波数をメモ書きしておいた。
旅行から帰って、ICレコーダーを再生すると、録音した日付と時刻がわかるので、便利である。それを基に受信リポートを書いた。

今回の旅行では、ホテルの部屋での受信なので、短波放送と中波放送は諦め、FM放送の中で受信状態の良いところを選んで録音した。地元紙「神戸新聞」の「ラジオ欄」を見ると、関西地区のラジオ局と並んで、徳島の「四国放送」が載っている。この放送は聴いたことがなかったので、ホテルで受信する中波放送ゆえ受信状態は芳しくないことを覚悟で、受信にトライした。心配したとおり電波は弱く、30分ほど過ぎたところで、混信が激しくなり、受信をあきらめた。
旅・ラジオ欄
この「ラジオ欄」を見て、驚いたことがある。「ラジオ NIKKEI」が載っているのである。
過去にも、旅行先で地元紙の「ラジオ欄」を見ることはあったが、これには気が付かなかった。他の地域の新聞にも同局の番組案内が載っているのであろうか。
「ラジオ NIKKEI」は短波で放送しており、全国で受信が可能であることから、ローカル紙にも載っているのだろうと思われた。

9日間の旅は、大雨の日と快晴の日が一日づつあり、その他の日は曇りがちの日が多く、天候には必ずしも恵まれなかったが、全体としては所期の目的をほぼ達することができた。

最後の3日間は「2食付き」の形で宿泊したので、朝食はブッフェ形式だから好きなものを食べることが出来るが、夕食で同じ料理が3日続いたら、いくら日本料理であっても、飽きてしまうかも知れないと、わがままなことが気になっていた。

ところが、ホテル側も、連泊する客の気持ちを忖度してのことであろうか、毎日、趣の異なる料理を用意してくれたので、本当に嬉しかった。3日目、最後の晩餐には「兵庫県産黒毛和牛陶板焼き」と「松茸釜炊き御飯」が出るということで、前日に続き、ワインを頼もうかと心が揺らいだが、食後にはスーツケースに荷物を入れる作業が待っている。旅行中、全くスイッチを入れなかった、ラジオも聴かなければならない。ここは、じっと我慢して、日本酒3本程度に抑えておくことにした。そのため、料理をゆっくりと楽しむことができ、写真で記録することもできた。
旅・松茸
旅A
旅B
旅C
旅D

淡路島から無事にホテルに戻ることが出来た。
部屋に入ると、ちょうど夕日が沈もうとしていた。今回の旅行で見る、最後の夕景である。

その数日前に見学した「明石市立天文科学館」では、ちょうど、この時刻(10月12日午後5時半頃)に「夕焼けパンダ」が見えているはずであった。館内に掲示されたポスターで、そのことを知っていた。しかし、残念ながら、スタッフからは「12日は休館日です」と聞かされていた。「きょうは特別の日なのだから、休館日にしないで、一般市民に開放して、"夕焼けパンダ" を見せてあげれば良いのになぁ」と思いながら、夕陽を眺めた。
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実は、後になって判ったのだが、この日、明石市立天文科学館では、抽選で当たった人たちが「夕焼けパンダ」を観察し、テレビ局の取材も行われていたのである。私は、その事実を、旅行から帰って、インターネット検索して、初めて知ったのであった。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/34742758.html

あの日から1ヵ月以上経ってしまったが、イタズラ心を呼び戻して、ホテルの部屋で撮影した写真に「目」を入れて「夕焼けパンダ」を作製してみた。パンダの頭に雲がかかっているのが、ちょっぴり残念ではある。
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舞子と淡路島を高速バスで往復する予定でいたので、「道の駅あわじ」で「明石海峡大橋」を真下から仰ぎ見た後は、この日の朝、高速バスを降りた「淡路インターチェンジ」に戻ろうとしたが、「道の駅あわじ」を通るコミュニティバスは高速バスの停留所を通らないという。とにかく途中まで行ってみて、そこから先は歩くことを覚悟して、バスに乗った。

ところが、バスに乗ってみると、次の停留所は「岩屋ポートターミナル」と案内された。
「ポートターミナル」と聞いて、もしかしたら、本州側にわたる船が出ているかも知れないと思い、そこで降りることにした。
ポートビルに入って行くと、反対側の改札口の向こうにフェリーが見えたので、窓口で「あのフェリーはどこに行くのですか」と尋ねると、「明石港です」と教えてくれた。「じゃ、明石までの切符をお願いします」と頼むと、「窓口の横の自動券売機で買ってください」と言われた。急いでコインを出して切符を買い、フェリーに乗った。
旅・フェリー
このフェリーには、全体では30~40名くらいの客が乗っていたが、ほとんどが地元の住民と見え、日常生活の一部として、このフェリーを利用しているのだろうと思われた。2階のデッキには、高校生か大学生らしき若い二人連れの先客がいて、われわれ老夫婦は彼らからオジャマムシと思われたかも知れないが、船上から大橋の写真を撮りたいので、二人からはかなり離れて、ベンチに座った。
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フェリーは猛スピードで走るので、水しぶきが掛かってくるが、これを我慢して、シャッターを押し続けた。海上から見上げる「明石海峡大橋」の威容は、今でも忘れることが出来ない。
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やがて、明石市の街並みとともに、「明石市立天文科学館」のビルが見えてきた。
数日前に訪ねたばかりなのに、何か懐かしい気分になった。
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舞子から淡路島まで、高速バスで往復する予定でいたが、島では不案内のため様々なトラブルがあったものの、結果としては、高速バス ⇒ コミュニティバス ⇒ フェリー ⇒ JR神戸線と乗り継いで、無事に舞子に戻ることが出来た。旅の醍醐味を味わった一日であった。

今回の旅行では、私は姫路城と明石市立天文科学館を見学することを、連れ合いは明石海峡大橋を渡って淡路島を往復することを希望していた。島内各地を巡ることは時間的に無理と思われたので、高速バスで島に渡り、最初のバス停「淡路インターチェンジ」で降りたら、徒歩で「淡路サービスエリア」に行って、展望台から本州側の明石、舞子、神戸の街並みをバックに、明石海峡大橋の全景を眺めることにした。

阪神地域から淡路島行きの高速バスは数社、数種類のバスが運行されていて、われわれが乗りたいバスはどれなのか、インターネットで検索しても、旅行者には少し解り難い。
そこで、前日にバス停の場所と発車時刻を調べるため、舞子の高速バス乗り場に行ってみると、1番と2番の乗り場があり、掲示されている時刻表から、おおよその見当はついた。

乗車当日の朝、バス乗り場に到着すると、既に20名ほどの通勤・通学の人たちが並んでいた。最初のバス停「淡路インターチェンジ」に停車するバスと、停車しないバスがあるようなので、念のため運転手に確認し、Suica を使って乗車した。「明石海峡大橋」を7分ほど走れば、もう淡路島である。
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高速道路上にあるバス停から階段を下りて10分ほど歩くと、「淡路サービスエリア」である。
高速バスもサービスエリアに入って停まってくれれば良いのにと思うのは、免許証を持たず、運転もしないから、道路事情・車事情を知らない老体の戯言なのであろう。
サービスエリアにはレストランや売店の他、スターバックス、観覧車などがあり、行楽シーズンには賑わうだろうと思われるが、われわれが行ったのは平日だったためか、一般客は少なく、修学旅行生と思われるグループが20~30人いた程度だった。
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旅・観覧車
ここから、淡路島北部を走るコミュニティバスがあるので、それに乗って「道の駅あわじ」を目差すことにした。
ところが、そのバス停を探すのに一苦労してしまい、やっとバス停に辿り着くと、間もなくバスがやってきたので、歩き疲れていたこともあり、「行き先はどこでも良いから、とにかく乗ろう」と言って、乗り込んだ。運転手が停留所を車内アナウンスするのだが、音量が低く聴き取れない。他の乗客は自分の降りる停留所を心得ているらしく、次々と降りていく。われわれは、どこを走っているのかわからないまま、バスの車窓から、淡路島の風景を楽しんだ。風力発電機が多数設置されていることに驚き、パソナグループが運営するレストランや施設が目に入ると「これが、本社機能の一部を東京から淡路島に移転したことが話題になったパソナの姿か」と頷いた。
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バスは終点に着いたのに、われわれは「未だ途中の停留所だろう」と思い、そのまま座っていると、運転手が「ここは終点だけれども、どこに行くのか」と尋ねてきた。「『道の駅あわじ』に行きたいのですが・・・」と答えると、「そのバスは、この停留所を通らないから、困ったなあ」と言いながら、考え込んでしまった。そして、「このバスは戻るので、途中の停留所で降りて、『道の駅あわじ』に行くバスに乗り換えなさい」と教えてくれた。
正に、「旅は道連れ、世は情け」である。

運転手にお礼を言って、途中の停留所で降りた。
海風が寒い中、待つこと約30分。やってきたバスに乗ると、約10分で「道の駅あわじ」に到着した。
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「道の駅あわじ」は「明石海峡大橋」の淡路島側部分の真下にあり、「淡路サービスエリア」から見た大橋の遠景とは違い、その大迫力に驚く。
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お土産店で、淡路島特産「たまねぎ」の3kgパックを買って、親戚にお土産代わりとして宅配便で送った。自宅にも1個送った。帰宅後、パックを開封すると、生産者の写真入りステッカーが入っていた。この玉ねぎは淡路島の特産品だけに甘みがあり、連れ合いが様々に料理してくれたが、何れも大変美味である。
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旅・ステッカー
玉ねぎを送った後は、若い店主が自ら焼き上げたパンを売っているベーカリーで菓子パンとコーヒーを買い、海峡大橋を眺める広場のベンチで食べると、それまでの「停留所探し」と「バス探し」のドタバタ劇の疲れも取れ、ゆったりとした時間が流れていった。
旅・パン屋
コーヒーブレークの後、淡路島側の「アンカレイジ」の下から「明石海峡大橋」を仰いでみた。橋の巨大さに圧倒されそうである。
私は、これを「橋脚」と思っていたが、専門的には「アンカレイジ」と言うのだそうだ。
橋を支えるロープを引っ張る機能を有するもので、工法としては、地盤を掘削した後、コンクリートを打設して基礎を造り、次にメインケーブルを固定するためのアンカーフレームという鋼鉄製の骨組みを据え、約35万トンのコンクリートを打設したものだという。
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旅・大橋

神戸市・舞子のホテルに滞在して2日目、ようやく天気に恵まれた。
神戸観光の一日が終わり、舞子の駅で降りてホテルに向かうと、夕日に照らされたホテルが目に入ってきた。
ホテルは、小高い丘の上に建っているので、眺めは最高である。
旅・ホテル
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滞在2日目の夕食では、ビールの後はワインに切り替えることにした。
私は赤ワインよりも白ワインが好きで、ワインリストを見ると、ちょうど「神戸ワイン」があったので、これを頼んだ。
運んできてくれたスタッフは、「これは当ホテルと『神戸ワイナリー』のコラボで生まれたワインです」と説明してくれた。
地元の「神戸ワイン」に出会うことができ、「呑兵衛おやじ」は大満足である。
旅・ワイン
「神戸ワイナリー」は、一般財団法人・神戸農政公社が経営しているもので、「1983年に酒類醸造免許を取得し、本格的にワイン醸造を開始」とあるので、ワイナリーとして古い歴史を持っているわけではないようだが、日本産ブドウ100%の "日本ワイン" を製造していることを誇っている。
「"国産ワイン" と混同されがちですが、そこには海外産の輸入ブドウで生産されたものが含まれます」と解説して、その違いを強調している。
残念ながら、今回の旅行では「神戸ワイナリー」を訪ねる時間がなかった。
https://kobewinery.or.jp/

「一日乗車券」で周遊バスに乗り、「神戸北野異人館街」を訪ねた。
神戸に「異人館」があることは知っていたが、実際に訪ねるのは初めてである。
「神戸北野異人館街」の公式サイトでは、次のように解説している。
  海を見下ろす高台で、
  異国の文化と歴史を体験出来る街
  北野異人館街
  かつて、故国を離れた外国人たちが、
  海の見える高台に邸宅を構え、
  故郷に想いをはせたことから誕生した街です。
  https://www.kobeijinkan.com/

「北野異人館」のバス停は、オシャレな店が並ぶ坂道の中腹にある。
14~15人の乗客のほとんどが降りて、自分たちの見たい建物を目指して、それぞれの路地に入って行く。何れの路地も、又、かなりの坂道である。われわれは、一歩一歩、ゆっくりと歩いた。何本もの坂道を歩いて、全ての「異人館」を見学することは、到底無理なことだと思われた。
旅・バス停
「パラスティン邸」は、明治末期にロシアの貿易商、パラスティン氏の邸宅として建てられた洋館で、現在は喫茶店として営業しているという。
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「旧レイン邸」は、1900年に神戸に居留する外国人のために建てられたヴィクトリアン様式の洋館で、現在は、結婚式場として使われているという。
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「風見鶏の館」は、かつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス氏が自邸として建てたもので、尖塔の上に立つ風見鶏は「異人館街」の象徴となっている。
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「異人館街」の坂道を更に上ると、「北野天満神社」がある。
学問の神様・菅原道真を祀る由緒ある神社である。
ここからは神戸市街を一望できる。
旅・北野天満宮
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神戸で最も賑やかと言われる「三宮」の駅に降り立った。
駅構内にある観光案内所を訪ねると、窓口のスタッフは「一日乗車券」を薦めてくれた。
これを使えば、2系統のルートで周遊運行している小型バスが乗り降り自由で、神戸の主な観光スポットを効率よく回ることが出来る。
旅・バス券
神戸の町の変貌を知らない者にとって、神戸の象徴と言えば、赤色の「神戸ポートタワー」である。
ところが、周遊バスに乗ると、ガイドさんが「神戸ポートタワーは改装工事中です」という。なるほど、近づくにつれて、工事用のフェンスで囲まれたタワーが見えてきた。あの赤色のタワーを見ることが出来ない。2021年10月から改装工事が始まり、リニューアルオープンは2023年を予定しているという。
http://www.kobe-port-tower.com/
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本来ならば、このように見えたはずである。
旅・タワーA
きれいに整備されたメリケンパークの一角に「神戸港移民船乗船記念碑」がある。
2001年4月28日に建立された海外移住者の功績を讃える碑で、1908年のこの日、第1回ブラジル移民船「笠戸丸」が781人の移住者を乗せて、神戸を出港したことを記念するものである。記念碑は、海を見つめ、船に乗り込もうとしている三人親子の移住家族をモデルにした銅像で、台座に「希望の船出」の文字が刻まれ、また、台座の脇の銘板には、神戸港を出港する当時の笠戸丸の姿が史実に基づき描かれている。
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更に進むと、「神戸港震災メモリアルパーク」がある。
「阪神・淡路大震災」で甚大な被害を被った神戸港が、関係者の懸命の努力によって復興してきた過程を写真入りパネルで解説している。
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六甲アイランドのコンテナバースでは、岸壁が海側に傾いたために、クレーンの基礎部分が壊れて、カントリークレーン1基が崩れ落ちたという。
旅・ドック
ポートアイランドと六甲アイランドを結ぶ高架式のハーバーハイウェイは地震の激しい揺れによって、コンクリート脚が各所で壊れ、鉄筋が外部に飛び出したりする被害があり、通行不能になったという。
旅・高速

「灘五郷(なだごごう)」という言葉がある。
灘五郷は、兵庫県の灘一帯にある5つの酒造地域、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の総称で、日本を代表する酒どころである。日本酒造りに適した米、地下水、六甲颪、港に恵まれたことから、江戸時代以降、日本酒の名産地として栄えてきた。われわれは、電車と徒歩でのアクセスが容易な、西郷の「沢の鶴」酒造の資料館を訪ねた。
旅・0001 灘五郷
資料館の敷地に入ると、左手に「揆(はね)つるべ」がある。
解説のパネルには、「その昔、動力のない時代、一般に行われた、水を汲み上げる方法である。揆棒(はねぼう)の先端に釣瓶(つるべ)を付けた竹竿を結び、井戸の中を昇り降りさせる。揆棒の後端には適当な重さの石を縛り付け、釣瓶と水の重みを利用したテコの原理で軽くしている」と記されている。
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「沢の鶴」酒造では、古い酒蔵を1978年に資料館として公開したが、1995年の「阪神・淡路大震災」により全壊したため、新たに免震システムを施して、復興再建したものだという。建物は新しくなったが、この井戸は江戸時代末期の創業時に掘られたものが、そのまま遺っているのであろうか。
資料館の展示物などについては、ホームページで詳しく解説されている。
https://www.sawanotsuru.co.jp/site/company/siryokan/

私自身は、酒造りの歴史よりは、そこに展示されている「モノ」に目が行ってしまう。少年時代を過ごした東北の寒村の生家にあった「モノ」と同じものが沢山あり、懐かしさが募るばかりである。
(唐箕)米俵で入荷した米を、わらくずと玄米に分離したり、麹米に混入したわらくずを除くのに使われていたというが、私の生家でも米や大豆の選別に使っていた。
旅・唐箕
(樽)醪(もろみ)の仕込みに使ったり、火入れした酒を貯蔵するのに使われたという。私の生家では、味噌の貯蔵に使っていた。
旅・樽
(一斗桝)米を計る桝で、洗米のときに使ったという。私の生家では、俵に入っている精米を一斗桝を使って四斗入りの米櫃に移し、その米櫃から毎日母親が一升桝で米をすくって、羽釜で「一升飯」を炊いていた。
旅・一斗桝
(箒)草や萩や竹で作った箒を使って、酒蔵を掃除していたらしい。私の生家では、何かの木の枝を束ねて箒を作り、土間を掃除していた。また、子供たちは毎週日曜日の朝、この木箒を使って、集落の道路を掃除するのが慣わしとなっていた。
旅・箒
(草履)わら草履の編み方により、酒職人の職制がわかったらしい。私の生家では、父親がわら草履を編み、田植えの時期には、それを履いて、どろんこの畦道を歩くと、滑って転ぶことがなかった。私自身も、見よう見まねで、子供用の草履を編んだことを想い出す。
旅・草履
資料館の見学が終わると、待ちに待ったミュージアムショップでの「試飲」である。
「超特選 純米大吟醸 瑞兆」と「古酒仕込み梅酒」をお猪口一杯づつ試飲させてくれる。連れ合いは、「昼から、お酒で顔が赤くなるのは嫌だ」と言って、「梅酒」を少し口にしただけなので、私はほとんど二人分を飲むことができ、良い気分になってしまった。
試飲した「瑞兆」を含む数種類の日本酒を、宅配便で自宅に送ってくれるように依頼した。
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明石市立天文科学館の見学が終わり、最寄り駅の山陽電鉄「人丸前」から「山陽明石」へ、JR神戸線に乗り換えて「明石」から「舞子」に移動した。
ホテルにチェックインしたのは午後5時頃であった。間もなく、明石海峡大橋の向こうに、雲の切れ目から夕陽が射すのを見ることが出来た。
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このホテルは眺めが素晴らしいというので選んだのだが、事前に調べた限りでは、ホテルの周囲にはレストランや居酒屋が少ないように思われたので、「朝夕2食付き3日間」のプランで予約した。
第1日目の夕食は、「先ずは、ビール!」と言うことで、キリンの瓶ビールで乾杯。その後は、魚や肉など色とりどりの料理に合わせて日本酒に切り替えた。最後に「明石たこの釜炊き御飯」が出された。茶碗によそって、出汁をかけ、薬味をのせて食べる。私にとっては、初めての味であったが、思っていた以上に美味である。「たこ飯」は、明石自慢の郷土料理なのだという。
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明石市のホームページでは、「明石の海からは、今から約2000年以上前にイイダコをとるために使われていたタコツボが発見されるなど、はるか昔からタコがとられていました。明石でとれるタコ(マダコ)の量は日本一で、毎年約1000トンが水揚げされます」などと解説されている。
https://www.city.akashi.lg.jp/shise/koho/kids/tako.html

明石市立天文科学館の最寄り駅である、山陽電鉄「人丸前」駅は、関西地区で「住み続けたい駅」として高い評価を得ているという。
旅行から帰って、数日が過ぎた頃、「『関西で住み続けたい駅』ランキングTOP30! 第1位は『人丸前(山陽電鉄本線)』」と題する記事を見つけた。リクルートが、関西圏(大阪府、兵庫県、京都府、奈良県、滋賀県、和歌山県)に居住している20歳以上の男女を対象に実施した居住実態調査で、集計結果の一つとして、「住み続けたい駅ランキング」を発表した。「人丸前」駅がランキング第1位となっている。
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/987393/
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旅先で出会った「東経135度の子午線と交差する駅・人丸前駅」が、それから1ヵ月も経たないうちに、このような形で話題になり、驚くとともに、二重に良い想い出となった。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/34750609.html

明石市立天文科学館からの帰りも、山陽電鉄に乗って、明石に戻ることにした。
来るときはJRの「Suica」で乗ったが、帰りは山陽電鉄の「人丸前」駅の名前が入っている、紙の切符を券売機で購入した。
旅・0001 山陽電鉄切符
券売機の横のパネルを見ると、「人丸前駅 近畿の駅百選 認定駅」とあり、「東経135度の子午線と交差する鉄道は、日本海から明石まで7線ありますが、プラットホームに子午線が交差しているのは、山陽電車の人丸前駅だけです」と記されている。
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エスカレーターでプラットホームに上がり、子午線が表示されている場所を探したところ、かなり端の方にあった。広角レンズに交換できるカメラだったら良いのだが、小型のデジタルカメラでは明石市立天文科学館を入れて撮影するのは容易ではなく、出来映えはイマイチある。
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明石市立天文科学館の14階の展望室で、一つ、気になるポスターが目に入った。
「夕日とNTTのアンテナが重なると夕焼けパンダが見えるぞ !! 毎年10月12日と3月1日に見ることが出来るんだ」と書いてある。何のことか皆目見当もつかず、天文科学館を離れる時、受付のスタッフに尋ねてみた。

科学館の展望台から西方向を望むと、数キロ先にあるNTTビルの二つの円形パラボラアンテナが夕日を隠してしまうので、パンダのように見えるのだという。
ぜひ、その光景を見てみたいと思い、「ちょうど10月12日は、未だ近くのホテルに滞在しているので再訪したいが、入館時間を過ぎても良いですか?」と尋ねると、スタッフは「すみません。12日は休館日になっています」と言って、ショーケースから一枚の絵ハガキを取り出して、「これは、あるカメラマンが撮影したものですが、このように見えるのです」と教えてくれた。この絵ハガキを50円で購入し、記念に持ち帰った。
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しかし、素朴な疑問が湧いてきた。
年に2度しかない貴重な日なのに、なぜ「休館日」にするのか。大勢の人に「夕焼けパンダ」を見せるべきではないのか。何か事情があるのかも知れないと、様々に想像してみた。一つは、その光景をマスコミに取材してもらい、新聞・テレビで報道してもらうため、一般客の入館は制限するのではないかと言うことであった。
旅行から帰宅した後、「夕焼けパンダ」をネット検索すると、次のような放送映像が現れた。やはり、想像した通りだったようだ。
https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2022/10/12/58845/
https://akashi-journal.com/event/sunset-panda202210-live/

更に驚いたのは、明石市のタウン情報サイトによれば、この日の特別見学者・限定10名の募集が9月に行われており、彼らは10月12日に14階の展望室から見学できたということであった。
https://akashitowns.com/event/3104/

あの日、われわれに対応してくれた受付のスタッフは、様々な配慮を想い巡らしたのだと思うが、一方で、彼女は見学イベントのことも、マスコミの取材のことも知っていたのだろうから、それなら、それで、そのように説明してくれれば良かったのにと、何か、割り切れないと言うか、ちょっぴり苦い想い出となった。

明石市立天文科学館を訪ねた。
日本標準時子午線(東経135度の経線)を、改めて確認し実感するためである。

姫路のホテルをチェックアウトして、次に滞在する舞子のホテルに移動する。姫路駅でJRの電車に乗り、途中の明石駅で下車して、スーツケースをロッカーに預けた。徒歩かバスで明石市立天文科学館に向かう予定でいたが、山陽電鉄に乗って行くのも面白いのではないかと考え、「山陽明石」から隣駅「人丸前」まで乗った。
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人丸前駅から天文台までは坂道を5分ほど歩く。
時計塔の計時板の下に「J.S.T.M.」と表示されている。これは、「Japan Standard Time Meridian(日本標準時子午線)」の略である。
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リーフレットでは、次のように解説されている。
旅・pamphlet22_omote[1]_page-0001太陽が真南に来る時を正午とすると、日本各地の時刻(地方時)は図のように経度によって異なります。交通や通信が発達してくると、地方時を使っていては大変不便なことから、明治21年1月1日から東経135度子午線上の地方時を、日本全国で使うことになりました。これが日本標準時です。明石市立天文科学館は、東経135度の子午線の真上に1960年に建てられた「時と宇宙の博物館」です。高さ54mの高塔は、そのまま日本標準時子午線の標識でもあります。塔頂には直径6.2mの大時計があり、いつも正確な時刻を知らせています。

1階の受付窓口で、入館券を買おうとすると、スタッフが笑顔で迎えてくれた。「失礼ですが、お歳は?」と尋ねてきたので、「見てのとおりですが・・・」と答えて、夫婦の健康保険証を提示すると、「きょうは特別観覧日なので、通常料金の半額、更に高齢者割引で、その半額175円をいただきます」と言われ、ビックリしてしまった。この日は、残念ながら「プラネタリウム」はお休みだったが、観覧者が意外に多く、小中高生だけでなく、大学生や社会人の二人連れが多いのは、この日が特別観覧日だったからかも知れない。
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2階と3階の展示室を見学した後、エレベーター乗って14階の展望室に昇ると、日本標準時子午線の表示を確認し、眼下に瀬戸内海と明石海峡大橋が見渡すことが出来た。正に絶景である。
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姫路城の堀を挟んで、城の西側に「好古園」という手入れの行き届いた立派な日本庭園がある。リーフレットには、「姫路城西御屋敷跡庭園『好古園』は、世界文化遺産国宝姫路城を借景に、姫路市制百周年を記念して造営され、1992年に開園した池泉回遊式の日本庭園です」と記されている。
詳細は、次のサイトで解説されている。
https://www.himeji-machishin.jp/ryokka/kokoen/
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「好古園」は、姫路城ほどには見学者は多くなく、ゆっくりと散策し、優雅な時間を過ごすことが出来た。
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園内のレストラン「活水軒」では、庭園を眺めながらランチを楽しみ、贅沢なひとときを過ごした。連れ合いの「穴子丼セット」も、私の「しろまるひめセット」も、何れも美味であった。
https://www.himeji-machishin.jp/ryokka/kokoen/kassuiken/index.html
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