米大リーグのロサンゼルス・ドジャースは、一週間ほど続いた敵地での試合が終わり、本拠地ドジャースタジアムに戻ってきた。いよいよ本領を発揮してきた大谷翔平選手の雄姿を、テレビ中継で観ている。
老夫婦二人だけのわが家の一日は「大谷」の試合中継で始まり、「きょうの大谷」を伝えるスポーツニュースで終わる。
テレビで大リーグ中継を観ていると、大谷選手の素晴らしいプレーも然ることながら、かつて2度ほど観戦したことがあるドジャースタジアムの、球場全体の眺めや観客全員が一体となった応援風景を想い出す。
1991年の夏、「野球大好き少年」だった高校生の長男と中学生の次男を連れて、ドジャースタジアムでドジャースの試合を観戦した。未だ野茂英雄さんが入団する前で、あの時はメジャーリーグの球団には日本人選手はいなかったように記憶している。
子供たちは、メジャーリーグの試合を観ることが出来るというので大喜びだったが、私自身は野球の知識に疎いので、本場の野球を楽しむアメリカの人々の姿を眺めて、社会科見学をするつもりで出掛けた。
ドジャースタジアムは、ロサンゼルス市の中心部から離れた小高い丘の上にあるので、車の免許を持っていないわが家は、路線バスを利用した。ホテル前からバスに乗って30分ほどである。あれから約30年、今では、無料のシャトルバスが走っているという。
往路の路線バスは「球場下」に停まり、そこから10分ほど歩いて丘の上に向かって歩けば、ドジャースタジアムである。
予め購入しておいたチケットを提示して球場に入り、売店で名物の「ドジャー・ドッグ」を買って、席に着いた。
試合の前には「星条旗よ永遠なれ」が流れ、観客の皆んなが起立して、胸に手を当てて歌う風景は感動的でさえある。当時の日本では、野球場で試合前に「君が代」が流れることは、未だなかったように思う。
試合経過は全く覚えていないが、7回裏の攻撃が始まる前に、観客が総立ちして歌う "Take Me Out To The Ball Game"(私を野球に連れてって)を聞いていると、「これぞ、本場アメリカのプロ野球!」と実感したものだ。
ゲームの途中で、観客と選手がフェンス越しに話しているのを見て、観客が騒然とした風景だけは印象に残っていて、翌日の「ロサンゼルス・タイムス」を買ったところ、スポーツ面に、その時の写真が載っていた。観客が球を捕ってしまったので、「2塁打」と判定されたトラブルだったらしい。この記事を読むと、シンシナティ・レッズが延長10回、4-3で、ロサンゼルス・ドジャースに勝利したとある。
試合が終わって、夜遅く、路線バスでホテルに戻らなければならない。
往路はバス停から球場までかなり歩いたが、復路のバスは球場の駐車場から出発するので、助かった。
問題は、ホテル近くのバス停からホテルまで歩かなければならないことである。夜のロサンゼルスを歩くことは危険と隣り合わせである。子供を挟んで、親が前と後ろに付き、4人が手を繋いで、歩道の真ん中を歩いた。ビル側に寄れば、ビルの谷間に引き込まれ兼ねない、道路側に寄れば、通りがかりの車に乗せられてしまうかも知れない。早足で10分ほど、無事にホテルに戻った時には、ホッとしたものだった。
2007年の夏、この時は、われわれ夫婦だけで、ドジャースタジアムを訪れた。
ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツとの対戦だったが、具体的な試合経過は覚えていない。今、ネット検索してみると、この日の試合結果は、ドジャースが8-6でメッツに勝利したという記録が現れる。
チケットの窓口で座席表を見せられ、どこの席を希望するか尋ねられたので、料金の安い最上階の席を購入した。席に向かう途中、3塁側で試合前練習の選手が見えたので、メジャーリーグの選手を間近に見たいと思い階段を降りて行くと、途中から「サイロー、サイロー」と呼びかけている観客の声が聞こえた。野球に詳しい、わが連れ合いが「斎藤隆投手のことではないか?」と言うので、観客席の一番下まで、急いで降りて行くと、「背番号44」の斎藤選手が同僚選手と談笑していた。
間もなく、待ち構える観客に近づいてきて、サインの求めに応じた。連れ合いも、持っていたトラベルノートを差し出して、斎藤選手にサインを頼んだ。良い旅の想い出となった。
今でも、メジャーリーグのテレビ中継に、斎藤隆さんが解説者として出演しているのを観ると、あの時の風景が蘇ってくる。
老夫婦二人だけのわが家の一日は「大谷」の試合中継で始まり、「きょうの大谷」を伝えるスポーツニュースで終わる。
テレビで大リーグ中継を観ていると、大谷選手の素晴らしいプレーも然ることながら、かつて2度ほど観戦したことがあるドジャースタジアムの、球場全体の眺めや観客全員が一体となった応援風景を想い出す。
1991年の夏、「野球大好き少年」だった高校生の長男と中学生の次男を連れて、ドジャースタジアムでドジャースの試合を観戦した。未だ野茂英雄さんが入団する前で、あの時はメジャーリーグの球団には日本人選手はいなかったように記憶している。
子供たちは、メジャーリーグの試合を観ることが出来るというので大喜びだったが、私自身は野球の知識に疎いので、本場の野球を楽しむアメリカの人々の姿を眺めて、社会科見学をするつもりで出掛けた。
ドジャースタジアムは、ロサンゼルス市の中心部から離れた小高い丘の上にあるので、車の免許を持っていないわが家は、路線バスを利用した。ホテル前からバスに乗って30分ほどである。あれから約30年、今では、無料のシャトルバスが走っているという。
往路の路線バスは「球場下」に停まり、そこから10分ほど歩いて丘の上に向かって歩けば、ドジャースタジアムである。
予め購入しておいたチケットを提示して球場に入り、売店で名物の「ドジャー・ドッグ」を買って、席に着いた。
試合の前には「星条旗よ永遠なれ」が流れ、観客の皆んなが起立して、胸に手を当てて歌う風景は感動的でさえある。当時の日本では、野球場で試合前に「君が代」が流れることは、未だなかったように思う。
試合経過は全く覚えていないが、7回裏の攻撃が始まる前に、観客が総立ちして歌う "Take Me Out To The Ball Game"(私を野球に連れてって)を聞いていると、「これぞ、本場アメリカのプロ野球!」と実感したものだ。
ゲームの途中で、観客と選手がフェンス越しに話しているのを見て、観客が騒然とした風景だけは印象に残っていて、翌日の「ロサンゼルス・タイムス」を買ったところ、スポーツ面に、その時の写真が載っていた。観客が球を捕ってしまったので、「2塁打」と判定されたトラブルだったらしい。この記事を読むと、シンシナティ・レッズが延長10回、4-3で、ロサンゼルス・ドジャースに勝利したとある。
試合が終わって、夜遅く、路線バスでホテルに戻らなければならない。
往路はバス停から球場までかなり歩いたが、復路のバスは球場の駐車場から出発するので、助かった。
問題は、ホテル近くのバス停からホテルまで歩かなければならないことである。夜のロサンゼルスを歩くことは危険と隣り合わせである。子供を挟んで、親が前と後ろに付き、4人が手を繋いで、歩道の真ん中を歩いた。ビル側に寄れば、ビルの谷間に引き込まれ兼ねない、道路側に寄れば、通りがかりの車に乗せられてしまうかも知れない。早足で10分ほど、無事にホテルに戻った時には、ホッとしたものだった。
2007年の夏、この時は、われわれ夫婦だけで、ドジャースタジアムを訪れた。
ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツとの対戦だったが、具体的な試合経過は覚えていない。今、ネット検索してみると、この日の試合結果は、ドジャースが8-6でメッツに勝利したという記録が現れる。
チケットの窓口で座席表を見せられ、どこの席を希望するか尋ねられたので、料金の安い最上階の席を購入した。席に向かう途中、3塁側で試合前練習の選手が見えたので、メジャーリーグの選手を間近に見たいと思い階段を降りて行くと、途中から「サイロー、サイロー」と呼びかけている観客の声が聞こえた。野球に詳しい、わが連れ合いが「斎藤隆投手のことではないか?」と言うので、観客席の一番下まで、急いで降りて行くと、「背番号44」の斎藤選手が同僚選手と談笑していた。
間もなく、待ち構える観客に近づいてきて、サインの求めに応じた。連れ合いも、持っていたトラベルノートを差し出して、斎藤選手にサインを頼んだ。良い旅の想い出となった。
今でも、メジャーリーグのテレビ中継に、斎藤隆さんが解説者として出演しているのを観ると、あの時の風景が蘇ってくる。