カテゴリ: 2006年 米国の旅・前編

駅近くのフェリーターミナルから小型船に乗って15分ほどすると、オンタリオ湖に浮かぶトロント・アイランドに到着する。この小さな島は緑豊かなところで、この町に住む人々だけでなく、旅行者にとってもオアシス的な存在なのであろうと思われた。
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フェリーの船上からトロントの街並みを眺めるのが一番だが、カメラを構えても、船体の揺れがあるのでピントが合わない。島に渡ってから、対岸の町に向かってシャッターを切ったのが、この風景である。CNタワー(電波塔)と丸屋根のロジャーズ・センター(MLB・トロント・ブルージェイズの本拠地球場)は、この町の象徴である。
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夜、このアングルで撮影すれば、最高の夜景を手にすることができただろうが、治安が気になって、夜間の外出は控えた。残念である。
夕刻、トロントで宿泊した「B&B」の近くから、「CNタワー」の夕景を撮影して、旅の想い出とした。夕刻と言っても、現地は夏時間ゆえ空は未だ明るい。
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トロントの観光名所の一つ、カーサ・ローマも見学した。
旅行案内情報サイトによれば、この建物は1914年に、実業家であり、資産家でもあった Henry Pellatt という人物が、350万ドルを費やして建てた大豪邸だという。
https://www.travel.co.jp/guide/article/37880/
0001 カーサC
「カーサ・ローマ」とは、スペイン語で "House on the hill"(丘の上のお家)という意味だそうで、実際、小高い丘の上に建っている。建物の内装や贅沢な調度品は、見るほどに「これでもか、これでもか」と見せつけられている感じがしてくる。
しかし、建物の窓からは素晴らしいトロントの街並みを眺めることができ、満足した。
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もう一つの観光スポットである、トロント市庁舎は、その姿のユニークさに人気が集まっている。美しい弧を描いた半円形を想わせる2つのタワーが印象的である。
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正面入口の木製ドアを押して中に入ると、玄関ホールの右手に、10万本とも言われる銅製の釘で制作した直径4~5mくらいの円形の芸術作品が展示されている。画像では判り難いが、これは釘の集合体で、釘と釘の間隔は1cm に満たないくらいである。
0001 トロント市庁舎AA
1979年に5歳と1歳の息子を連れて、この建物を訪ねた時、彼らは、現地の子供たちのマネをして、この作品の釘の間に「1セント」コインを入れて遊んだことを思い出した。
コインが釘に当たりながら下りてくる時に発する、張り詰めた澄んだ音は、もちろん一定のメロディを奏でるものではないが、ピアノやオルゴールの音色を連想させるものであった。
0001 コイン
しかし、2006年に訪ねた時には、この作品の前に防護柵が設置されて、コインを入れて遊ぶことは出来ないようになっていた。30年ほどの間に、何か不都合な事態が発生していたのかも知れない。
トロント市庁舎については、次のサイトで解説されており、また、映像資料 "Virtual Tour" も観ることができる。
Top Page:https://www.toronto.ca/services-payments/venues-facilities-bookings/booking-city-facilities/city-hall/
Virtual Tour:https://www.toronto.ca/services-payments/venues-facilities-bookings/booking-city-facilities/city-hall/tours-points-of-interest/

◆ ここまで、2006年の旅日記を元に書いてきましたが、一旦、中休みします。
  長い間、お付き合いいただき、有難うございました。
  この旅(デンバー ⇨ トロント)の続編は、別建て先行して「カナダ横断鉄道の旅」
 (トロント ⇨ バンクーバー)を、2020年8月に掲載しました。
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/25788710.html

 「鉄道」の後の旅(バンクーバー ⇨ サンディエゴ)は、後日、「後編」として 書く
  予定です。

「2006年 米国の旅・前編」記事一覧
(1)夢の叶う時がきた
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41771148.html
(2)成田空港:昼食は蕎麦屋さん
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41773773.html
(3)サンフランシスコに向けて離陸
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41776752.html
(4)入国手続き
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41777324.html
(5)憧れの町・デンバーに到着
    http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41782488.html
(6)トラベラーズチェックを現金化
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41785492.html
(7)デンバー自然科学博物館
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41796110.html
(8)コロラド歴史博物館
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41806568.html
(9)デンバー市内無料バス
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41806979.html
(10)デンバー・ユニオン駅
  http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41850942.html
(11)メジャーリーグ Coors Field
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41809487.html
(12)RTDで郊外へ
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41823993.html
(13)コロラド州議会議事堂
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41857143.html
(14)デンバー造幣局
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41889458.html
(15)ボルダー
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41919830.html
(16)ロッキー山脈国立公園
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41934241.html
(17)Coors ビール工場
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41961231.html
(18)映画「WORLD TRADE CENTER」
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41950060.html
(19)デンバー国際空港は大混雑
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41977806.html
(20)トロントの宿は「B&B」
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41986077.html
(21)トロント観光
   http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/41993870.html

カナダ・トロントでは2泊したが、実質的に行動できたのは中1日だけで、「2泊1日」の滞在だった。
宿泊したのは「B&B(Bed & Breakfast)」と呼ばれる、宿泊と朝食をセットにした民宿のような、普通の一軒家である。現在も、旅行者の人気を得て、営業を続けているようだ。
宿泊した当時のリーフレットには、"Sweetheart Bed & Breakfast, a renovated elegant Victorian style and charming four-story house built in 1897, is situated in downtown Toronto." と記されていた。
http://www.sweetheartbb.com/toronto/english/index.html
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この宿泊施設のことは、ガイドブックで知ったのだが、建物の外観がカナダの住宅と言った印象が持てたことが、選んだ理由だった。また、予約にあたっては、日本語でメールの遣り取りが出来たことも助かった。
ただ、トラベルノートには「夜はうるさかった」と記してある。繁華街からは奥まったところにあったけれども、路地を行き交う人々が多かったのか、宿泊客の会話が遅くまで聞こえていたのか、確かな記憶はない。

現在のホームページを見て、時代の変化を感じるのは、ロビーの隅にパソコンのコーナーがあったが、われわれが宿泊した時はデスクトップだけ、今はラップトップも並んでいることである。
0001 パソコンAAA
(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバーを離れる日が来た。
10時過ぎの飛行機で、カナダ・トロントに向かう。
午前5時半に起床して出発の準備を整え、「朝食パック」をもらうため、ロビーに下りて行くと、受付のスタッフから「おはようございます。今朝のテレビニュースを視ましたか?」と声を掛けられたので、「いいえ、未だです」と答えると、彼女は、この日の朝、ロンドンの空港で航空機を爆破しようとするテロ未遂事件が発生して、その影響で、世界中の多くの空港が大混乱に陥っている模様だと教えてくれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件

困ったことになったと思いながら、直ぐに部屋に戻り、テレビを点けると、関連ニュースを報じている最中だった。デンバー国際空港も混乱していることだろうと思い、急いで朝食を食べて、直ちにチェックアウトし、タクシーに乗った。

空港に到着すると、長蛇の列ができていたので、何の列かわからないまま、取り敢えず、そこに並んでみた。ところが、一向に前に進まないので、これでは飛行機に間に合わないと思い、近くにいた係員に「10時過ぎのトロント行きに乗りたいので、どうしたら良いだろうか」と尋ねると、「急いで2階のチェックインカウンターに行って、搭乗手続きと荷物の預け入れを済ませなさい」と教えてくれた。
チェックインを済ませて、再び1階に下り、出国手続きの列に並んだが、ここも遅々として進まない。
0001 チケットC近くの係員に「10時16分のトロント行きに乗るのですが・・・」と言って、搭乗券見せると、列を仕切っていたベルトを外して、国際線の「出国」手続きのゲートとは別のゲートに連れて行ってくれた。当時は、飛行機でアメリカからカナダに入る時は「国内便」の扱いで、アメリカを出国するのに手続きはなし、カナダに到着したときに、旅券に「入国」のスタンプを押してもらう形だった。現在は、ビザ取得等の手続きの全てがコンピュータ化されているので、出入国手続きのスタイルも変化しているかも知れない。
「滑り込みセーフ!」で、ユナイテッド航空7735便の機内に入ることができた。
デンバー発10時16分、トロント着15時20分なので、時差2時間を差し引きすれば、実質約3時間の飛行である。

トロント国際空港には、ほぼ定刻どおり到着した。
ところが、機内に預けてスーツケースがコンベアに乗って出てくるのを待つものの、最後まで現れない。ユナイテッド航空のデスクに行って、荷物が見つからないことを告げると、「調べて見るから、ちょっと待ってほしい」という。デスクの横で待つこと、凡そ10分。スタッフが手招きするので、行ってみると、「デンバーの空港で荷物を載せることができなかった。後発のトロント行き「エア・カナダ」の便に載せるので、ホテルに届くのは今夜になる」という。ホテル名前と住所・電話などを書いて、スタッフに渡し、取り敢えず手荷物だけを持ってバスに乗り、トロント市内に向かった。
0002 荷物遅延証明書
0001 エア・カナダC
トロントでの宿泊は、「B&B(Bed & Breakfast)」と呼ばれる、宿泊と朝食をセットにした、日本でいう民宿のようなもので、普通の一軒家だったが、予約の時点で名称、住所、位置関係、建物の外観が判っていたので、比較的容易に到着することができた。受付で、「荷物が遅れて届くので、届いたら知らせてください」とお願いした。
午後5時半にチェックインした後、トロント駅の「駅地下」に行って、夕食を済ませ、8時頃にホテルに戻ったが、荷物はまだ届いていないという。結局、荷物が届いたのは、夜の11時過ぎだった。
この日は、空港の大混雑、荷物の積み残しという、われわれにとっては初めての経験で、肉体的にも、精神的にも疲れてしまった。長い一日が終わり、シャワーを浴びて、ベッドに入った時は、深夜12時を回っていた。

デンバー滞在最終日に、「9・11アメリカ同時多発テロ」を扱った映画「WORLD TRADE CENTER」を観たばかりだったが、その翌日にイギリスで起きた航空機爆破未遂事件の影響で、間接的にせよ、こんな形で混乱に遭遇するとは、想いもしなかった。

トロントでの第一夜が明け、駅の売店で地元の新聞 "TRONT STAR" を買ったところ、前日のテロ未遂事件について、「航空会社の脅威」と題して複数ページにわたって、大きく報道していた。
(アメリカの反応)
0008 TORONTO STAR
(トロント国際空港の混乱)
0007 TORONTO STAR
(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー滞在も最終日を迎えたので、孫たちへのお土産を買おうと思い、町の中心部にあるショッピングモール "DENVER PAVILIONS" を訪ねた。
0001 デンバー・映画館
ビルに入ろうとしたところ、正面入口の横に催事案内の掲示板があり、その中に「映画館」のプログラムも掲示されていた。何本かの映画が上映中だったが、その中から、2006年に公開されたばかりの「WORLD TRADE CENTER」を観ることにした。
入場料は、6.5ドル×2人=13ドルである。
0001 WTC-2
「WORLD TRADE CENTER」は初上映から人気が高いらしく、他の作品は1日に4~5回の上映なのに対して、この作品は1日に8回も上映されることになっている。
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この映画は、オリヴァー・ストーン監督が制作したもので、2001年9月11日に起きた「アメリカ同時多発テロ」をドキュメンタリー風に構成したものである。必死の想いで、果敢に救助活動を行なう警察官や消防士、救急隊員を中心に、ビルで働いていた人々を描いた迫力ある映像は圧巻である。
当然のことながら、日本語の字幕はないから、俳優たちの英語を聴き漏らさないように、スクリーン上の会話に耳を集中しなければならない。あの事件の概要・経過は、様々な報道によって知っていたので、聴いたことのない英語の会話、知識のない英語の表現も、その場面の状況に応じて、ある種の推測や想像を巡らして理解しようと努めた。

われわれは初回上映のチケットを購入し、上映開始は11時55分、終了は14時20分となっていたので、前以って昼食を済ませようと思い、ショッピングモールのフードコートに行ってみた。丼物で、ご飯の上に焼肉と野菜がたっぷり載っていた。「日本食」らしく割り箸が添えてあった。トラベルノートには「ヘンな日本食」と書いてあったが、値段は記すのを忘れてしまったようだ。
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(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

最近は、歳のせいもあり、お酒も昔ほどには飲めなくなったが、この旅行に出掛けた頃は「呑兵衛」を自認していたので、デンバーで Coors のビール工場を訪ねるのは、当然の成り行きであった。
先ず、ホテルからバスに乗ってデンバーのダウンタウンまで行く。この時、運転手さんに
無料の乗換券(一般的に"Transfer" と呼ぶ)をもらう。ダウンタウンで、Coors の工場が
あるゴールデンという町に行くバスに乗り換えなければならないが、一定の時間内であれば、この "Transfer" を渡すと、乗り換え後の料金が無料となる。アメリカの交通システム
は合理的に出来ている。
1時間ほどで、ゴールデンの町の中心部に入ってきた。
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この日は、朝食抜きでホテルを出発したので、大通りに面したマクドナルドで、ブランチを食べることにした。
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Coors 行きバスの乗降場で10分ほど待っていると、シャトルバスがやってきた。
10分ほどで工場の駐車場に到着すると、「キャッスル・メサ」を望むことができる。あの岩山は、ゴールデンの町のシンボルなのだという。
因みに、Wikipedia によれば、「メサ」とは、孤立した平らな頂の高台、尾根、丘のことで急峻な崖に四方を囲まれ、周囲の平野の上にくっきりと立っている岩山を、そのように呼ぶらしい。
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工場まで歩くと、正面入口前で、ビールの巨大なタンクが迎えてくれる。
幾つかの観光案内サイトを見ると、現在は、後方に Coors の缶ビールのモニュメントが見えるが、われわれが見学した時は、この巨大なタンクだけが鎮座していた。
Coors-A
受付で、手首に捲くIDタグをもらい、グループツアーの開始を待つ。
Coors-D
最初に映像資料で、ビールが出来上がるまでの様々な過程を解説してくれる。
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そして、いよいよ工場内の見学が始まる。
次の写真は、ビールの品質検査室だという。
IMGP0250
次の写真は、工場の建物と建物の間に敷設されている鉄路で、原材料の搬入と製品の搬出の際に、貨物列車が入ってくるという。
Coors-E
「ビール工場」と言われて、直ぐ想いつくのは、次の光景である。
工場見学のハイライト、ピカピカと光り輝く "MUSH TUN" と呼ばれる銅製の仕込槽がづらりと並ぶ光景は圧巻で、見惚れてしまうほどである。
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工場内の見学が終わると、待ちに待った「ビールの試飲」である。われわれが見学した時は、見学も試飲も「無料」だったが、現在では「有料」となってしまったらしい。
IMGP0251
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Coors-B
"Coors" のホームページおよびツアーガイド案内は次のとおり。
https://www.coors.com/
https://www.coorsbrewerytour.com/

次の画像は Coors 工場の全景である。(同社の "VIRTUAL TOUR" から借用)
0001 Coors全景
(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

朝6時に起床。ホテルのロビーで「朝食パック」をもらってきて、部屋で食べた。
食べている間にご飯を炊いて、連れ合いが「おにぎり弁当」を用意した。バスツアーの途中で、ランチタイムをとることが予定されているが、口に合うものが見つかるかどうか分からないし、高山地帯を一日がかりで観光することを考慮して、万一の場合に備えたのだ。

8時過ぎ、小型バスがホテルまで迎えに来てくれた。
代金を支払おうとすると、これから GRAY LINE の観光バスのオフィスに行くので、そこで支払い手続きをするようにと指示された。20分ほどでオフィスに到着し、名前を告げると、予約者名簿で確認してくれた。
クレジットカードで、80ドル×2人=160ドルを支払うと、大型バスに乗り換えるように案内された。40人ほどのグループになった観光バスは、定刻8時半に出発した。
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クレジットカードの控も、今となっては懐かしい一枚である。
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車窓からは、遠くにロッキー山脈の山々が見えてくる。
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途中にある "ROCKY MOUNTAIN NATIONAL PARK" の標識前では、観光客がそれぞれに記念撮影をする。この姿は、洋の東西を問わず、人間は皆同じだなあと感じる。
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再びバスに乗って、30分ほど経っただろうか、大きな湖に降り立った。湖の名称はトラベルノートに書き記さなかったので、想い出すことができない。次の写真をみると、湖畔の説明板には "THE NATION'S BACKBONE" と書いてあるのと、カナダからアメリカ南部にかけてのロッキー山脈の地図が読み取れる。しかし、肝心の湖の名称を読み取ることができず、残念である。
0001 ROKEY-3
一息入れて、再びバスに乗り、ハイウェーをどんどん上って行く。車窓から眺めていると、正に「グレート・ネィチャー」を実感する。道路は舗装されているが、曲がりくねった箇所が多く、日光の「いろは坂」を数倍に広げて、ゆったりとした感じである。
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針葉樹林の遥か向こうに、ロッキー山脈の山々が見えてきた。広い空の青さと樹林の緑色が眩しいほどである。
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ほどなくして、"CONTINENTAL DIVICE - BERTHOUD PASS" に到着した。
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"CONTINENTAL DIVIDE" は、日本語では「大陸分水嶺」と訳し、"BERTHOUD PASS" は「バーソード峠」と訳すようで、ロッキー山脈の中でも、風光明媚な高山の峠の一つと言われている。
ここで、水の流れは西の大西洋と東の大西洋へと分れて、流れ出すのだろう。
"WATERSHED" という言葉も「分水嶺」と訳されるらしいが、「流域」という意味もあるようだ。
何れにしても、ここは海抜11,307フィート(3,446メートル)の地点にあり、こんなに高いところまでやってきたことが信じられないほどである。
https://www.visitgrandcounty.com/places-to-go/mountains-vistas/berthoud-pass/

更に、ハイウェイを走る。
遥か向こう、山の麓を長い貨物列車が走っているのが見えてきた。次の写真では小さな四角い点にしか見えないが、貨物車輛が50輛近く連結されている。
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ハイウェイの最高地点にあり、観光バスの終点である "ALPIN VISITOR CENTER" に到着した。標高11,796フィート(3,595メートル)の地点にあるという。休憩室と売店などがあるが、ここは後ほどゆっくり見ることにして、頂上を目指して歩くことにした。
ゴツゴツした坂道の散策コースを200~300メートル歩いたところで、後ろを振り向くと、ビジター・センターが小さく見えた。頂に白いものが見えるのは、真夏の残雪、否、万年雪であろう。
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頂上の標高は、1,213フィート=3,713メートルというから、もう少し歩かなければならない。頂上からはロッキー山脈の尾根のラインが、綺麗に見えるのだという。

再び、頂上を目指して歩き出したとき、体調の異変を感じた。
息をするのが苦しくなり、胸がドキドキし始めた。私は、40歳代に「肺気胸」の大手術を受けたことがあり、ここにきて、再び発症したのかと思うと、気のせいか、益々胸が苦しくなるように思われた。
連れ合いは、全く体調に異変はないというので、私はここで休んで待つことにして、彼女だけ一人で頂上を目指し、そこで見た風景を報告してくれるように促した。しかし、彼女も、私の体調を気にかけながら頂上を目指しても、楽しくないと思ったのであろう、大決心をして、二人ともビジターセンターまで下りて行くことにした。このツアーのハイライトを見逃す結果となり、彼女には申し訳なく思ったが、止むを得ない。

ゆっくり歩きながらビジターセンターに戻った頃には、私の体調の異変は消えていた。
富士山とほぼ同じの標高地点なので、「高山病」に罹ったのではないかと思われたが、息が苦しくなっただけだったので、それほど大袈裟なことではなかったのだろう。しかし、ここで救急ヘリコプターで搬送されるような事態に陥っていたらと考えると、ゾッとする出来事ではあった。

頂上に到達できれば、その向こうに様々な野生動物を見ることができた可能性があり、本当に残念であった。われわれが見たのは、ビジターセンターの近くで走り回る「リス」1匹だけだった。
とは云え、大自然の雄大さを実感したツアーであった。
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(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバーのダウンタウンからバスで約1時間、北西約40kmに位置している、ボルダーの町を訪ねた。ボルダーは、有森裕子さん、高橋尚子さん、野口みずきさんなど、女子マラソンのレジェンドたちが「高地トレーニング」を行なった町として知られている。
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バス停で降りると、直ぐ近くで「ファーマーズマーケット」が開かれていた。野菜や果物、パンやケーキ、衣類など、様々なものが販売されていた。
0001 Farm-A
ちょうどお腹が空いていたので、私は、ホイップクリームがたっぷり入っている大きな
フランスパンを買って、半円形のイベント会場のベンチに座って、それを頬張った。
トラベルノートには、このパンは3ドルと記載してある。この他にも、とうもろこしを
買ったが、2本で1ドルとある。ホテルに帰ってから、キッチンで蒸して食べたように
記憶している。
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この「ファーマーズマーケット」は、現在でも毎週土曜日に開かれているようで、ホーム
ページも開設されている。
https://bcfm.org/markets/

デンバーに戻り、市内の観光案内所で、翌日の「ロッキー・マウンテン観光」を申し込んだ。ホテルまで迎えに来てくれるという。この日は「予約」だけで、代金は翌朝に支払う
ことと案内された。

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー造幣局を訪ねた。1987年にワシントンD.C.に旅行した際に、造幣局を見学したことがあり、造幣局見学は2ヵ所目である。
造幣局の見学者入口では、厳しい手荷物検査が行われ、旅券と財布などの小物が入る小さなバッグ以外はダメ、大きいバッグは放棄しなければ入場できないと言われ、日を改めて来館することも考えたが、それも面倒くさいし、大きいバッグの中身はズボンや上着の幾つかのポケットに入るだけ入れ、愛着のあったバッグは諦めて、横のゴミ箱に捨てることにした。
0001 デンバー・ミントB
見学が終了すると、記念品として「25セント硬貨」がプレゼントされた。アメリカ社会で最も頻繁に使用される硬貨で、人々は「25セントコイン」と呼ぶよりは、「クォーター」と愛称で呼ぶ場合が多いようだ。
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米国造幣局の関連サイトは次のとおり。
トップページ:https://www.usmint.gov/
デンバー造幣局:https://www.usmint.gov/about/mint-tours-facilities/denver

なお、当ブログでは、米国造幣局の見学については、2021年にも書いた。
http://blog.livedoor.jp/swl_information/archives/31067968.html

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

コロラド州議会議事堂(The Colorado State Capitol)は、デンバー市内の「キャピトル・
ヒル」と呼ばれる小高いところにあり、議事堂の正面入口に至る階段に「珍しい標識」が
あると聞いていたので、そこを訪ねることにした。
https://capitol.colorado.gov/
0001 州議事堂
州議会議事堂の公式ウェブサイトの "History of the Capitol" のページでは、議事堂は
1890年代に建設され、1894年11月に開所したこと、州議会の上下両院の
議場の他、州知事・副知事のオフィスが置かれていることなどを紹介し、続いて、
デンバーの公式標高(The official elevation of Denver)について解説している。
https://capitol.colorado.gov/history-capitol

デンバーは、"ONE MILE CITY" 又は "MILE - HIGH - CITY" と呼ばれることがあり、
それは、この町が海抜1マイル(約1600m)に位置しているからだと言われて
いる。
この町の海抜の基準点はどこかと言えば、議事堂の外の階段にあり、基準点は観測者、
観測時期、観測手法により変動し、「1マイル」の標識は3ヵ所あるのだという。
先ず、議事堂が建造された1890年代に、15段目の階段に「ONE MILE ABOVE
SEA LEVEL」と刻された。
IMGP0304B
2番目の標識は、1969年に観測された時のもので、18段目にある。
IMGP0304A
3番目の標識は、2003年に最新観測方式によって測定した時のもので、13段目
にある。標識には、ロッキー山脈の絵柄の周りに、次のように刻されている。
  STATE OF COLORADO
  2003 MILE HIGH MARKER
  5,280 FEET
  ABOVE SEA LEVEL
  NAVD 88     ("NAVD 88" については、後記「参考1」を参照)
IMGP0305B
次の写真は議事堂の正面ホールから見上げたドームである。
0001 ドーム
また、議事堂ホールの回廊には、歴代のアメリカの大統領の肖像画が掲げられている。
0001 額縁

(参考1)NAVD 88(North American Vertical Datum of 1988)について
https://geodesy.noaa.gov/datums/vertical/north-american-vertical-datum-1988.shtml
https://support.esri.com/ja-jp/gis-dictionary/navd-88
(参考2)解説:議事堂について
https://ja.wikipedia.org/wiki/コロラド州会議事堂
https://www.tv-asahi.co.jp/train/contents/america/1219.html

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー市内と近郊の町を結ぶ電車「ライトレール」に乗って、郊外に出掛けた。
トラベルノートには、なぜか、この乗車体験について、詳細な記載がない。
乗車したデンバー・ユニオン駅のホームでは、留学中だという日本人の若い女性に出会ったこと、運賃は片道5.5ドルだったこと、降りた駅の近くのショッピングモールで孫たちへの土産として洋服を買ったことだけが書いてある。
電車に乗っていたのは20~30分程度だったと思うが、降りた駅の名前は、今では思い出せない。

しかし、降りた駅で写したものと思われる写真が3枚ある。
ライトレールと幹線道路が並行して走っているように見え、下り方向と上り方向を写したもの、もう1枚は駅のホームに停まっている電車を写したものである。
IMGP0042
IMGP0040
IMGP0041
この3枚の写真から、どの路線に乗って、どこの駅で降りたのかなど、何かヒントが得られないか、ネット検索して現在の情報を収集してみた。

ライトレールは、デンバー地域交通局RTD(Regional Transportation District)が運航しているので、先ず「RTD」のサイトにアクセスしたところ、「about RTD」のページでは、1994年の開業当時は「Dライン」のみだったが、その後、幾つもの路線が開通し、現在では12路線に拡大され、デンバー国際空港と市内を結ぶ路線もあることが解説されており、RTDの拡張・発展に驚いてしまった。
われわれがライトレールに乗った2006年当時は、「Dライン」と呼ばれていたかどうかは忘れたが、1つの路線しかなかったように記憶しており、実際、その通りであったことが「about RTD」のページでわかる。
Wikipedia でも、同様に解説している。
https://www.rtd-denver.com/about-rtd
https://en.wikipedia.org/wiki/D_Line_(RTD)

また、次の路線図と時刻表を合わせて俯瞰し、20~30分程度乗っていたこと、高速道路と並行していたこと、ショッピングモールで買い物をしたことなどを勘案すると、われわれが降り立ったのは「Englewood」駅である可能性が高いと思う。因みに、現在は、ユニオン駅からこの駅までは23分かかることになっている。
路線図:https://app.rtd-denver.com/nextride/route/D
時刻表:https://app.rtd-denver.com/route/D/schedule/pdf?serviceType=4&direction=Southbound&branch=

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー・ユニオン駅の周りを散策していると、3~4分歩いたところに、米大リーグの「コロラド・ロッキーズ」の本拠地 "Coors Field" が見えてきた。
0001 Coor's Field
ここは、標高1600mという高地にあることから、打球が飛びやすい球場で、打者に有利で、投手は不利と言われているにも関わらず、1996年9月17日には、ロサンゼルス・ドジャースに所属していた投手の野茂英雄さんがノーヒット・ノーランを達成したことは、広く知られている。

われわれが "Coors Field" に行き着いた日は、ゲームがなかったので、球場の周囲は閑散としていた。当時、「コロラド・ロッキーズ」には松井稼頭央選手が所属していたので、ぜひ観戦したいと思って、ホテルに帰ってから、パソコンで試合日程を検索してみた。
すると、われわれがデンバーに到着した8月2日は、地元の "Coors Field" で試合が行われていたが、その後の1週間ほどは敵地に遠征しての試合日程となっていることが判った。残念である。

現在の "Coors Field" を Google Map で見てみると、当時に比べて、球場の周りの道路が拡張整備されたことが窺える(上記写真)。われわれが訪ねた当時は、正面ゲート前の広場は、こじんまりとしており、道路も狭く、その道路を挟んで、古いレンガ造りのビルが密集していたように記憶している。
https://www.mlb.com/rockies/ballpark

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

無料の市内循環バスに乗って、デンバーのダウンタウンを車窓見学していると、デンバー・ユニオン駅を通ったので、降りてみることにした。今回の旅行では、この駅から鉄道に乗る予定はなかったが、大陸横断鉄道の列車が停まる駅だけに、駅舎のホールに入ると、天井が高く、待合室には木製で背もたれの高い長椅子があり、「古き良き時代」を想わせる雰囲気が伝わってきた。別の表現をすれば、駅舎の構えは歴史を感じさせる重厚なものだったが、全体が「灰色」の感じで、駅舎の中は古びた「伽藍洞」を思わせるものだった。
次の写真は、後掲「ユニオン駅」のホームページから借用した。
0001 UNION ST.
待合室から外に出ると、大陸横断鉄道の線路の他、「ライトレール」と呼ばれる通勤電車のプラットホームがあるだけだった。その通勤電車には、待合室を通らなくても、駅舎左手にある券売機でチケットを購入して、電車に直接乗り込むようになっていた。
日を改めて、この「ライトレール」に乗ってデンバー郊外の町に出掛けてみようと思った。

現在の「ユニオン駅」のホームページを見ると、駅の周辺は大規模な再開発が行われた模様で、駅舎の外観はそのままに、内部は完全に生まれ変わったように見える。
https://www.denverunionstation.com/

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー滞在中は、路線バスに10分ほど乗って、町はずれのホテルからタウンタウンまで「出勤」していた。このバスの料金が幾らだったかは、正確には覚えていない。
しかし、ダウンタウンに入ってしまえば、市内には無料の循環バスが走っているので、実に便利である。
0001 デンバー・バス
この無料バスは、現在でも運行されているという。
運行ルートは、われわれが訪ねた時に比べ、若干変更されているように思われる。
https://www.rtd-denver.com/routes-services/other-services/free-mallride
0001 デンバーバス路線図_page-0001
(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

「コロラド歴史博物館」を見学した。
IMGP0358
館内には、西部開拓時代を生きた人々の道具などが展示されていた。
撮ってきた写真は少なく、リーフレットも散逸してしまったので、懸命に記憶を辿っても、博物館の詳しい様子は思い出せない。
0001 幌馬車
ただ、写真からは、この建物の表示は "COLORADO HISTORICAL SOCIETY COLORAD HISTORY MUSEUM" となっているので、この名称でネット検索したところ、Wikipedia では次のように解説されている。
この博物館は、現在ではリニューアルした "COLORADO HISTORY MUSEUM" となっている模様である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Colorado_History_Museum
http://illbetheone.jp//2019/01/「コロラド歴史博物館(colorado-history-museum)」/

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー自然科学博物館(Denver Museum of Nature & Science)を見学した。
この博物館は、古代エジプトの遺物から恐竜の標本まで、様々な分野にわたって展示されている。
創設は1868年で、一人の地元住民が私的に集めた標本を展示していたが、1900年になって公式に博物館となったらしい。
0001 自然史博物館チケット
見学のチケットを買うため、博物館の玄関ホールに入ると、2階から3階くらいの高さがあるのではないかと思うほどの、巨大な骨格を持った恐竜の標本が展示されており、ビックリした。
0001 恐竜B
館内見学のハイライトは、IMAXシアターの「3D映像」の鑑賞である。
ふかふかのリクライニングシートに座り、3D専用メガネをかけて、放映の開始を待つ。
映像ショーでは、宇宙の不思議や深海生物の神秘性などが順次解説されるのだが、中でも、モンゴルで巨大恐竜が生息していた時代の想像映像は迫力があり過ぎて、観客席に向かって突進してくる恐竜に、思わず身を避けてしまうほどである。

デンバー自然科学博物館のホームページは次のとおり。
https://www.dmns.org/

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

デンバー滞在2日目、朝は無料の「朝食セット」をもらってきて、部屋でテレビのモーニングショーを観ながら、ゆっくりと食べた。「朝食セット」と言っても、ロビーのテーブルに並んでいる数種類のドーナッツやクロワッサンとコーヒーを、自分で紙袋に入れてもらってくるだけである。

モーニングショーが終わると、いよいよ行動開始である。
先ず、バスに乗ってダウンタウンに行き、銀行でトラベラーズチェックを現金化してもらうことにした。あの頃は、既にクレジットカード全盛の時代となり、トラベラーズチェックは「古き良き時代の遺物」の観を呈していた。
201509 ハワイ・T/C
0001 T-Check-31976年に初めてアメリカを旅行した時には、どこの銀行でもパスポートを提示すれば、トラベラーズチェックを現金化してくれたものだったが、時代の変化と共に「当行に口座を開いていなければダメです」と断られる銀行が多くなり、2006年に訪ねたデンバーの町では、幾つかの銀行を回って、ようやく Wells Fargo Bank で現金化してもらうことができた。
10ドル、20ドルの少額のチェックは、買い物などで使うことが多かったが、100ドルのチェックは使う機会がなく、銀行で現金化してもらおうとしても断られていたので、Wells Fargo Bank で現金化してもらうことができ、本当に
助かった。
私が持っているトラベラーズチェックはアメリカン・エクスプレスのものだったが、ネット検索すると、Wells Fargo Bank と American Express は歴史的な経緯を有していることが判った。それ故に、好意的に対応してくれたのかも知れないと、あの時の出来事を、改めて想い出している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウェルズ・ファーゴ

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

サンフランシスコからデンバーまで、飛行時間は2時間少々。午後4時、デンバー国際空港に無事に着陸した。夢に見た、憧れの町「デンバー」である。
空港から市内のバスターミナルまでリムジンバスに乗って約1時間、途中、ハイウェーからダウンタウンの高層ビルが見えてきた。もう少し大きな町かなと思っていたが、遠く車窓から見えるデンバーの町はこじんまりとした感じを受ける。しかし、実際に、あのビル群の近くに行けば、相当大きく見えるかも知れないと思われた。
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バスターミナルからホテルまでは、タクシーに乗って15分ほど。午後6時ころ、ホテルにチェックインした。下の画像は、Google Map で見たホテルの外観であるが、現在も18年前のままである。しかし、ホテルのサイトを見ると、内装は一新されたようである。
0001 デンバーホテルB
夏時間なので、この時間でも未だ明るく、散歩を兼ねて、近くのスーパーマーケットに食料の買い出しに出掛けた。ホテルの玄関を出ると、ビルの向うに、きれいな虹がかかっていてわれわれの訪問を歓迎しているようだった。
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スーパーでは、食料と地元の Coors ビールを買ってきた。1週間滞在するので、機会を見て Coors の製造工場を訪ねてみたいと思っている。このホテルはキッチン付きだが、第1日目は長旅で疲れたこともあり、夕食は簡単料理で、無事到着したことに Coors で乾杯した。
dencb_phototour05
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この旅行では自分のパソコンを持参しなかったので、夕食の後、ホテルのビジネスセンターで、備え付けのパソコンを使わせてもらい、メールをチェックした。
長期間の休暇を取っての旅行だったため、職場から連絡が来るかも知れないと気になっていたが、職場の同僚も配慮してくれているらしく、判断を必要とする仕事のメールは1本も入っていない。否、「お前がいなくても、仕事は回るよ」というサインだったかも知れない。

そう言えば、あの当時は、未だ職場のネットワークに外部からはアクセスできない仕掛けになっていたので、職場のメールは Hotmail に転送されるようにセットして、アメリカ旅行に出発したことを思い出している。

(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

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0001 米国入国-2
0001 タグ-1午前9時20分、サンフランシスコ国際空港に着陸。
機内に預けたスーツケースは、自動的にX線検査を受けてデンバー行きの便に積み替えられるが、乗客はここで入国手続を済ませて、国内線のデンバー行の便に乗り換えなければならない。羽田でサンフランシスコからデンバーまでの分もチェックインを済ませていたが、念のため、カウンターで確認してもらった。

デンバー行きの便が出発するまで3時間もあり、高速鉄道BARTに乗って市内見学に出掛けることも考えたが、万一のことが起きて乗継便に遅れては困るので、空港内に留まって、散歩したり、ロビーで休息することにした。
新鮮な空気を吸いたいと思い、空港ビルの外に出てみると、夏だというのに、サンフランシスコの空気の冷たさは格別で、また、あの独特の「アメリカの匂い」も、1999年のアトランタ訪問の時以来7年ぶりで、懐かしく感じられた。
          (注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

ユナイテッド航空852便は、出発予定時刻から少し遅れて、午後4時30分に離陸した。
成田からサンフランシスコまで、約9時間の飛行である。離陸から1時間ほどすると、夕食に先立ち、飲み物のサービスが始まったので、ワインをもらって食事が運ばれて来るのを待った。しかし、乗務員も忙しい様子で、食事が運ばれてきた頃には、既にワインを半分ほど飲み干していた。
メインはカレー風味のチキン料理だったが、小さな皿にハムの薄切り、かんぴょうの海苔巻き、枝豆がのっていて、ちょっぴり日本料理の趣を現したのだろうと思われた。
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夕食が済んでも、時刻は日本時間では未だ宵の口である。しかし、搭乗機は日本時間の深夜1時(現地時間の午前9時)過ぎには、サンフランシスコに到着する予定である。
今のうちに、眠っておかなければならない。
私は、いつでも、どこでも、立ったままでも眠ることができる人間なので、ワインの酔いも手伝って、ぐっすり寝込んでしまった。連れ合いは、機内サービスの映画を観たり、バッグに入れてきた文庫本を読んだりして、過ごしていたらしい。
(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

2006年8月2日、東京は曇っていたものの、暑い一日になりそうだった。
成田空港を出発するのは夕方なので、ゆっくりと朝食を摂った後、留守中の安全を願いながら、戸締り、電気、水道、ガスを確認して、10時半に自宅を出た。
午後1時近くに成田空港に到着し、ユナイテッド航空のカウンターで、サンフランシスコで乗り継ぎ、デンバーまでの便を纏めてチェックインを済ませた。

これから約1ヵ月間は日本食に出会うことはないだろうと思い、遅めの昼食だったが、空港ビル内の蕎麦屋さんに入った。その後、搭乗開始まで時間に余裕があったので、屋上の見学用テラスに出て、エプロンに並ぶ各航空会社の航空機や滑走路を飛び立つ雄姿に見入った。
大韓航空(KOREAN AIR)やノースウェスト航空のロゴマークがみえた。
あの日から数年後、ノースウェスト航空はデルタ航空に経営統合され、2010年に最後の運航便が成田空港から飛び立ったという。
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(注:このシリーズは、2006年の旅日記を元に書いています)

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