政治向きの話というのは友達であれ、いかに親しかろうと
考えを理解し合うというのは難しいものです。

誰しも生活の中で自分の立場に都合よい理屈を強固に
築き上げているものなので、家でニュースを見ながら一言二言
言うにしてもあまり深追いすることはありません。
感覚が似ていて共感できるからこそ結婚しているわけですが
必ずしも同じ意見ではありません。
しかし、我を通さないことで違った視点からの発見もあります。

最近話題になった「表現の不自由展」について私個人の
意見としては件の少女像はプロパガンダ(政治宣伝)用の
アイコン(記号)であって、無条件で保証されるべき言論
とは違う思います。
最初にニュースを見たときのうちの相方の意見としては
「あれは騒動を含めた全てが作品」
だということでした。
つまり、脅迫事件を起こした人、撤去を主張する政治家や
それに反対する人も含めた人が公の場で起こす言動にスポット
ライトが当たることこそがキュレーターの企図。

そういわれると政治主張がどうというより、アートの持つ
社会的な力を実証する社会実験こそが津田氏の狙いだった
のではないかと私も感じました。

バンクシーなども絵そのものよりも、作品が巻き起こす
事件こそが作意だと思います。

この事件に対する行政・政治の対処としては
感情的に糾弾したり、憲法を論じるのはまさに注文通りで
自分の案としてはこの少女像の持つプロパガンダも含めて
すべてキャプションを付けることを求めるべきでは
なかったかと思います。
アイコンとして機能させてしまわず、考えて判断を求める
姿勢を見せることが必要だったのではないでしょうか?