帰りに豊川海軍工廠平和公園へ。
ここは海軍工廠跡地が戦後、名古屋大学の研究所になっていたところを
豊川市が一部買い取り、公園にしたものです。

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信管倉庫は誘爆を防ぐため土塁で囲まれるとともに屋根がわざと華奢に
作られ、爆発事故が起こったとしても爆風が上に抜ける作りとなっています。
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フライス盤は工廠のどこかで使われていたものだそうです。
残された機械は戦後賠償になって海外に行ったものも多いという説明でしたが
戦後すぐ、我が親父殿が千代田光学(現ミノルタコニカ)に勤めていた時期があり
牛車で引き取りに行った話をしていました。
レンズ磨きのエタノールを先輩工員と一緒に吞んだ話なんかも戦後の
武勇伝みたいに話していたことも思い出します。
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訊かないと分かりませんでしたが、海軍独特の積み方なんだとか。

質の良いカーテンがかけられていたそうですが、給料代わりに支給されたとか。
「この世界の片隅に」でもすずさんのお義父さんが呉工廠の退職金がわりに
鍬を造って持ち帰るシーンがありましたね。

こちらはコンクリートの強固な屋根をもった掩体の上に土盛りをした爆薬倉庫です。
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コンクリートの内側をコールタールで防水した上にフェルトを介して板張りとして
断熱し、結露を防ぐ構造です。
塀を隔てた向こうの名古屋大学敷地内の森にももう1基掩体があります。
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土盛りの上に換気筒を立てています。


海軍工廠は終戦間際に米軍の空襲を受け、時間にすれば26分間に3000発以上の
250kg爆弾の飽和攻撃を受け3000人近くの人が亡くなっています。
説明では警報とほぼ同時に爆撃が始まり退避する間もなかったこと、門が4か所
のみで正門に人が殺到し脱出できなかったことが人的被害を大きくした要因
ということです。


相方の伯母さんも女学校から動員で行っていたそうですが、当時の話は一切
語らなかったそうです。