2024年11月22日
エラ -めでたし めでたし-
今作、2枚組24トラックの最後を飾る曲。歌詞はdisc AMの1トラック目「エラ -むかしむかしあるところに-」と同じだが演奏のバージョンが違っている。これは後から違うバージョンを作ったのではなく、並行して2つとも作っていた。
きっかけとしては「エラ」の原案を持ち帰った僕とU太が異なるアレンジでそれぞれデモを作ったから。普段ならどちらかに絞る、またはそれぞれを組み合わせるなどするが、それをどうしようか考えているときに「2枚組」というコンセプトが浮上してきたので、「それならアレンジ違いで2つとも収録しようと」となったため。
ちなみに「エラ」は康雄のルーツである小沢健二をイメージして制作したが、こちらの「めでたし めでたし」は小沢健二の軽快さやポップさをフィーチャーしたかたち。小沢健二の作品にも同じ曲のアレンジ違いが収録されていることがあるのでその点でも上手くハマったと言えるかもしれない。
「むかしむかし〜」と「めでたし〜」でメロディーも展開もほぼ同じだが、メロの頭のコードが「E」→「EM7」に変化していたり間奏の尺が変わっていたり、サビのコードが「E B C#m A」→「E A B G#m7 C#m A B」と大幅に変わるなどしている。BPM(テンポ)は同じ120だが、演奏によってずいぶん感じ方が変わるもんだなと改めて思う。
この楽曲は今作「音時計」を締めくくり総括する楽曲となっており、最後の長い間奏の中でそれが明かされる。
その重要な語りを入れてくれたのは徳島で以津真天(いつまで)やHEIRAのボーカルとして活動しているこはるちゃん。康雄が「最後の曲の中で母親が子どもに話しかけているような、読み聞かせをしているような語りを女性に入れてもらいたい」と構想していたのだが、エンジニアの岡嶋さんが以前からこはるちゃんの歌唱力をベタ褒めしていて存在をメンバーも知っていたことから今回お願いすることになった。
正直、お互い顔を知っているくらいでちゃんと話したことがないということや、年齢的にも20代であることから母親の雰囲気が出るのかという懸念があったのだが、レコーディング当日に実際の声録りをした瞬間そんなものは杞憂だったと思った。こはるちゃんが話し始めたときに鳥肌が立ち、話し終わると涙がこぼれていた。今自分たちはとんでもないものを生み出していると思った。彼女の優しくて聞き取りやすくて自然体で耳から胸に入ってくる声は自分ですらもう覚えていない幼い頃の母親を思い起こさせるものだった。覚えていないというかそんなことが実際にあったかどうかとは関係なく、きっとこんな感じだったんだろうと思わせられてしまう力がこはるちゃんの声にはあった。彼女の協力なしにはこのアルバムが完成しなかったと言っても全く過言ではない。本当にありがとうございます。
語りは子どもに話しかけるかたちで今作の各トラックに触れていく内容となっている。
「エラはピーターパンと夜空をかけていると」→「エラ -むかしむかしあるところに-」「ミッドナイトレインボーピーターパン」
「胸に大きなお星様が光るヒーローに会いました」→「ちょんまげマン」
「いっしょに青い鳥を探しに行かないかい?」→「旅BEAT」
「エラたちは両手を羽のように広げて夜空を舞いました」→「FLAG」
「やがて全てが嘘だったかのような朝が来て世界は目を覚まします」→「6:00a.m.-ちょんまげマンアラーム-」
「1秒また1秒 過ぎ去る世界」→「刹那くんおはよう -86400歩のパンク-」
「それは一生 みんな一緒」→「そういう生き物」
「そんな世界でいつまでもドキドキワクワクしていたい」→「アドベンチャー」※作中の逆さ言葉に掛けて、アルバム収録順と語りで出てくる順が「そういう生き物」と「アドベンチャー」で逆になっている
「ほんとは寝てる暇なんてなくて」→「10:00a.m. -帰ってきたちょんまげマンアラーム-」
「あっという間」→「僕らの絵描き歌⭐︎」
「生まれて立ち上がって走り出す」→「UMA WITH A MISSION」
「修行のような毎日」→「Yeah!むっちゃ武者修行」
「たまにはご褒美に美味しいものでも食べて」→「なんでもかんでもランキング」
「たまには踊って」→「ロックンロールケーキ」
「エラはそんなお父さんの言葉を思い出しました」→「もしも君が生き返ったら」
「次もうちの子に生まれてきてね」→「カーネーション」
「一緒に歌おうね」→「ドレミファ暮らし」
「ごめん、ふざけたこと言っちゃった」→「ふざけてナイト」
「今日も一日楽しかった?」→「9:00p.m. -レッツ・エンターテイメント-」
「今日もよくがんばったね」→「がんばっTENDERNESS」
「寝ないと悪魔が出ちゃうぞ」→「ワンハンドレッドエイトビート」
この人天才か?横田さんの言葉を借りると「康雄くんは天才ですからねえ」。いや、過度にメンバーを褒めるつもりはないんやけどさすがにすごい。「ガッツ・エンターテイメント」に収録されてる「おもてたんとちゃう」のときにも思ったけど、ここありきでアルバムを作ったわけじゃないのにここだけでストーリーになってる。トークが上手いとか言葉選びが上手いとかユーモアがあるとかももちろんそうなんやけど、たぶん彼は物語を作るのが上手いんだなと思う。起承転結をちゃんと理解してるから話し方が上手になるし、物語をよりおもしろくするために言葉を選びユーモアを入れるんだろう。
「むかしむかしあるところにそんなバンドがいましたとさ」で締められるが、「そんなバンド」=物語を抜け出して決められたストーリーをむちゃくちゃにして遊ぶバンド、つまり四星球のことを指している。「むかしむかしあるところに」で始まった物語は2枚組24トラックを経て、それらを制作し演奏したバンドに帰結する。「めでたし めでたし」でこの物語は幕を閉じるがこれを聴いている僕たちの物語は終わらない。「音時計」から覚めたとき、あなたは何を思うのだろう。一緒に楽しく笑えただろうか。孤独を少しでも埋められただろうか。隣で寄り添えただろうか。願わくばあなたの昨日より今日が、今日より明日が楽しくなればいいな。
そんな大それたことをできる人間だとは思ってないけれど、せっかくステージに立ったり音源をリリースしたりできるのだから誰かの人生の役に立ててたらうれしい。これからもあなたの中でずっと語り継がれるようなバンドをやっていきますのでどうかよろしくお願いします。
1日1トラックで24日、拙い文章にお付き合いありがとうございます。また会いましょう!
2024年11月21日
ワンハンドレッドエイトビート
2016年発売のアルバム「出世作」に入っていた音源をレコーディングし直して収録した再録曲。今でもライブでたまにやることがある、途中でコントになりまた歌に戻ってくる楽曲。「出世作」は1年=12ヶ月をアルバムで表現しようと取り組んだ作品で、そのとき「ワンハンドレッドエイトビート」は12月の曲として位置付けられていた。
曲自体が年末、年越し、除夜の鐘などをテーマにしているが、除夜の鐘、年越しのカウントダウン前の時間ということで今回のアルバムではPM 11:00を担っている。
歌詞先行でメロディーも康雄の鼻歌をモチーフにみんなでスタジオで制作した。いかんせん10年近く前なので記憶が定かではないが、Aメロは康雄案、サビはU太案だったような気がする。メロはシリアス、サビで弾けるようにバカバカしくみたいなイメージで作っていったと思う。
Aメロの中でのリズムや変化、悪魔パートに入る前のドラムロールなどはU太案。U太は曲のアレンジとかを主導してやることがけっこう多いです。
この曲の前奏間奏で初めて(2016年当時)ギターリフにオクターブのハモリを入れた。ふと思いつき合うかなと思ってやってみたらけっこうしっくりきた記憶。レコーディングでは重ねて録れるがそれをライブでも再現するべく「オクターバー」という種類のエフェクターを買った。その後、「四星球聴いたら馬鹿になる」「モスキートーンブルース」「ライブハウス音頭」のギターリフでも使っていて、何かもうひと押し欲しいなというときや困ったときの飛び道具として重宝している。
タイトルの「ワンハンドレッドエイトビート」は108つあるとされる煩悩を消し去るための除夜の鐘とドラムの基本的なリズムパターンのエイトビートを掛けた造語。108ビート。
煩悩を消し去る除夜の鐘、全ての煩悩を消し去っても「もっとおもろなりたい」という思いだけは残ると歌う。メロディーがマイナー調なこともあり、Dragon Ashのkjさんはコントに入る前までのこの曲をフェスで聴いて「ダメだよ四星球がかっこいい歌を歌ったら」とこぼしたという。たしかに悪魔が出てこなければ普通にかっこいい曲に分類されるかもしれない。自分の中でこの曲=悪魔が出てくるコントってなってたからそんなイメージ全くなかったけれど。
「除夜の鐘」の部分だけでPM 11:00に据えるべくこのアルバムに収録したと思われるかもしれないが、「デロリアン」で時間、「マッチ売りの少女」や「灰になろうとも」で童話、シンデレラ(灰かぶり姫)とこのアルバムのコンセプトと共通する点もあり、そのあたりにも今回のアルバムに再録収録した理由があるのではないかと思う。
「ごくろうさーん」「がんばってる姿に胸を打たれたよ」は前曲「がんばっTENDERNESS」を意識したものか。
今でこそライブでこの曲を演奏しているのを聴いたことがある人も多いと思うが、最初は悪魔の声のインパクトが強すぎてライブはもちろん、レコーディングでも加工された悪魔の声と会話するのが大変だった。笑いすぎて喋れなくなるから。同じような現象は「フューちゃん」でも起こった。そんなわけない声というのはシンプルにおもしろいんどなと感じた。
コント中に登場するお坊さんは本物の方で歌詞カードのクレジットに記載されている「副住職 中村寛星さん」。康雄の幼馴染にお坊さんがいてその人に中村さんを紹介してもらったところ快く手伝ってくださった。四国八十八ヶ所のうちのひとつのお寺に務められているが、お寺の名前の公表・記載について「自分では判断ができない」とのことでお寺の名前は記載せず「副住職 中村寛星」となっている。
もちろんレコーディングの経験は初めてとのことで少し緊張されていたが、お経を唱えるとみんなが「本物や…」と息を呑んだ。声のトーンなのか言葉の発音なのか、素人が「っぽく」演じるのとは全く違う。当たり前だが。僕は本物を使ってバカバカしいことをするというのがすごく好きなのだが、まさにそれを今回収録できたので非常に満足です。ご協力ありがとうございました!
コントの途中や曲の最後に入っているお坊さんの頭を叩く音は著作権フリーの効果音とかではなく、実際に中村副住職の頭を叩いて音を録った。お経を何パターンか詠んでもらった後、最後の最後に「お願いがあるんですけど…」と康雄が切り出し、「頭を叩かせてもらえませんか?」という初対面の康雄からのとんでもない要望に「かまいませんよ」と仏さながらの中村さん。お坊さんってすごい。その後康雄は色んなパターンで3分間ほど中村さんの頭を叩いていた。
最後のカウントダウン前の「5から指折り数えて最後は小指で約束しましょう」は以前のバージョンとは違う言葉。2019年に「薬草」という曲を作り、2020年にコロナがあって、それくらいから康雄は「約束」という言葉をよく使うようになった。年齢的にも自分の中でいて当たり前の人がいなくなることも増えてきた。いつか会えなくなってしまうまでにたくさん笑わせたい、笑ってほしい、「もっとおもろなりたい」にはそんな意味も含まれているのかも。でもどれだけ笑っても笑わせても全然足りないからまた会えるようにと約束をするのだろう。
2024年11月20日
がんばっTENDERNESS
仕事を終えて家に帰ってきてやらなきゃいけないことをやってたらもうこんな時間か。そろそろお風呂に入って明日のためにもう寝ないとな。そんな時間にそんなときに聴こえてくる曲。
楽曲自体はかなり前に出来ていて、調べてみると2023年の1月末くらいにライブで初披露していた。2月23日の日比谷野音でもやったのでBlu-ray「裸一貫 真冬の野音」にも収録されています。
制作したのが2年ほど前なので記憶が定かではなかったが、グループLINEを見返すと2022年の10月に僕がデモを送っていたのでメロディー先行で作曲の原案は僕まさやん。12月になると康雄が歌詞を持ってきたのかファイルのタイトルが「demo」から「tenderness」になっていた。(※仮タイトルが「Tenderness」だったわけではなく歌詞を持ってきた時点ですでに「がんばっTENDERNESS」だった。)
元々は今のAメロをサビとして扱っていたが、スタジオで合わせているうちに『今のサビをAメロにして、サビを新しく付けたい。そのサビを「オーラ・リー」に寄せた感じにできないか』と康雄から提案され今のサビメロディーと曲展開になった。
また、ライブで初披露したときは最初のギターリフが違うものだったが、U太からこういうのはどう?と別のリフを提案され、それを受けて少し変更し今の形に。
音やフレーズは曲名通り優しい、丸いものをイメージした。レコーディングでのギターはライブで使っているGibson SGではなく Fender Telecaster Thinlineを使用した。その方が丸みのある音、優しい音がでるかなと思っての変更です。SGも使ってるけど。
全編アコースティックギターも弾いてます。これも上記と同じように音に温かみを持たせる効果を狙って。
普段のあなたを褒めて努力を労う内容の歌だが、初手から「八方美人」「七変化」と数字での遊びを入れていたり、「ティアー」「ティアラ」で韻を踏んでいたりと康雄節がたくさん。
「七変化でおどけてみせて」「七変化で大人になって」は「ふざけてナイト」での「大人のふりしておもろいな」を連想するが、制作した順で言うと「がんばっTENDERNESS」が先。昔ハロウィンをテーマにしたときのライブで康雄は「普段会社や学校に行ってるときが仮装で、今ライブハウスではしゃいでるのが本当の姿ですから」というようなことを言っていたが、それが歌詞に反映されたか。
サビの「がんばったーんだね」にわざわざ「ー」を入れているのは子どもに言ってようにしたかったからだと思う。「七変化で大人になって」いるのであれば本来のあなたは子どもだから。
THE BLUE HEARTSの「未来は僕等の手の中」という曲があるが、未来が僕等の手の中にある理由として、手のひらに汗をかいて紙のように未来が張りついているからだとし、手のひらに汗をかいている=がんばっている(もしくは悔しくて拳を握っている)に結びつけている。がんばって耐えた先に未来がある。「未来は僕等の手の中」では「月が空にはりついてら 銀紙の星が揺れてら」と歌っているが、そこも「(未来が)ひっついて」に掛かっているのかも。
落ちサビの「僕はネズミに戻るけれど」もこのアルバムを象徴する「エラ」の絵本感とリンクする。その後の「チュウチュウ」はネズミの鳴き声と「手の甲にそっとチュウをして」の口付けのダブルミーニング。
レコーディングにあたって一部歌詞を変えた箇所があるが、それは最後の「生きるのってつらいね」。それまでのライブでは他のサビと同じように「たくさん我慢したーんだね」だったが歌入れの際に変更した。それによってがんばることのリアルさが強調された印象を受ける。変更した理由はわからないが、終盤で急にエグさが出てくる感覚が僕は好きです。
順番が前後してしまうが、序盤の「荒れた君の手」は外で働いてる人だけではなく家事をしている人にも当てはまるように選んだ言葉なのかな。だとすると誰も置いてけぼりにしない優しさみたいなものが垣間見えて良いですね。がんばっている姿を見せないのが美徳とされるし僕もそうでありたいと思うけれど、誰かが見てくれるからがんばれることもある。ちゃんと見てくれてる人がいるというのはどれだけ幸せなことだろう。