2017年04月30日

豊、25年

「15の夜」「I love  you」などの曲で若者の教祖と仰がれながら、26歳で迎えた衝撃の終幕だった。25年前の4月。歌手の尾崎豊は急死する。追悼式の参列者は雨中にも関わらず3万7千人を超えた。学生や若いサラリーマンは、社会家庭での閉塞感をかかえていた。そのストレスを、ストレートに代弁し、時に甘美な旋律に包んだ。音楽が青春のさまざまな苦悩に寄り添った時代である。

顧みれば当時、インターネットやメールは普及していなかった。携帯電話はまるでダンベルだった。
意思の疎通には、恋人であれ親友であれ、今より一年間か二年間、余計にかかった。不器用なティーンには音楽が気持ちを通わすツールでもあった。
追悼式でもギターを鳴らす若者が大勢いた。その周りに涙するティーンが声をあげていた。

「これからは何が俺を縛り付けるだろう」と尾崎は歌で絶叫した。
今、若者は一日中、お守りのようにスマホを握りしめる。
好みの情報には心地よく浸り、ゲームに夢中になる。技術はめざましく進歩し、便利な世になった。

しかし忘れてはいけない、若者のたぎるような情熱がなければ、冷めた、無機質、変化のない次代の日本に成り下がることを。


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2017年04月07日

さ・くら

今朝は雨。桜、散る。

先日、黒川東中日ハウジングセンター前の桜並木をスタッフと共に散策。
ここは黒川沿いに数Kmにわたって桜の大木が林立する。川沿いにベンチが置いてあり、そこに老若男女が食事し、土手沿いには宴を張る姿も散見。日本ほど世界中で桜に対する思い入れが強い民族はいない。なぜ日本人は桜の花をみると狂喜乱舞するのだろうか。

さくらの「さ」は農耕の神を指すという。早乙女、五月雨、五月、農耕に関するものは、頭に「さ」が付く言葉が多い。さくらの「くら」は神の居場所を指すという。2000年の農耕の歴史をもつ我が国は、米の良、不良で民の幸、不幸に大いに関係した。神の喜んでもらいたいと桜の花の下で、感謝と敬意の念で、飲み食いし、歌楽を奏でた。その伝統が今も続くという。

日本の青史において、豪華絢爛極まった花見は秀吉が行った醍醐の花見といわれている。今日の醍醐寺に花見の10日前に桜を700本移植し、1300人の女御衆をはびらせ、それぞれに3着の着物を持ち、化粧直しをしたという。

会社の前で数名の社員とすれ違う。
コンビニ弁当を持っていたので、どこに行くのかと聞くと、すぐ前の天白川で花見だという。しばらくするとすぐに帰ってきた。外を見ると雨が降ってきたようだ。

「さ」の神は、時々はささやかな庶民にも意地悪をするようだ。

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2016年10月07日

奈良監獄

「なぜか麦飯カレーライスの味が忘れられずに、時々作っていると」と言った人がいたそうだが、「二度とはいきたくない」らしい。
しばらくホテル暮らしだった・・・。刑務所に入っていた過去をこんな隠語でよく表すことがある。そんな暗いたとえ話とは違う、本物の刑務所ホテルが誕生するかもしれない。明治政府が造った五大監獄の一つで、今は少年刑務所になっている旧奈良監獄が老朽化のため来年3月に閉鎖される。

この建物を保存し、民間に活用してもらう計画が進んでいる。
ホテルの他、博物館に転用する案なども出ているという。歴史的建造物である刑務所を改装した「プリンズホテル」は海外では珍しくない。鉄格子の残る客室や、スタッフが看守の格好でもてなす工夫などで人気の高いホテルもある。

奈良監獄の重厚なレンガ造りは、欧米列強何するものぞとの明治政府の心意気が伝わってくる風情がある。
普通の人は刑務所に入ることはまれではあるが、もしホテルとして生まれ変わるならば一度は宿泊したいと思うのは怖いものを味わいたい心情か。

往時の面影を残す奈良少年刑務所が誇るのは威容だけではない。少年や若い受刑者らを更生させるための充実した教育プログラムでも知られ、地元住民との交流も盛んだという。文化的価値の高い建物だけでなく、過ちを犯した人の立ち直りを支える地域との絆も引き継がれることだろう。ちなみに明治の五大監獄とは、山下啓次郎が設計し、千葉、奈良、金沢(現存は金沢美工大学)、長崎、鹿児島にある。今も建築時の姿を残すのは奈良刑務所だけであり設計家山下は、ジャズピアニスト山下洋輔氏の祖父である。


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2016年09月30日

パリのコスモス

仏大統領府は「スタイルだけでなく生き方や考え方まで女性に自由を与えた」との追悼文を出した。自由という価値を形にした功績を認めてのことだろう。

先月フランスを代表するファッションデザイナー、ソニア・リキエルさんが86年の生涯を閉じた。
彼女がデザイナーになるきっかけは単純な動機であった。妊娠中の専業主婦は考えた。着たいと思えるおしゃれな妊婦服がない。ならば、専門知識はないが自分でつくろうと。出来た服を夫が経営する洋服店で売ると人気商品に。フランスを代表するファッションデザイナー、ソニア・リキエルさんの一歩だった。

そのリキエルさんは、ニットやジャージーなど、伸縮する普段着用の生地で明るくセクシーで洒落た服を発表し「ニットの女王」と呼ばれた。着心地や肌触り、動きやすさを大事にし、服という鋳型に体をはめ込む発想を嫌った。普通は裏側にある縫い目を表に出した服もあった。発想はあくまでも自由であった。

初めて自分自身の名を冠した店をパリに開いたのは1968年。街では学生運動の嵐が吹き荒れ、様々な表現活動が一斉に花開く。上級階級のオートクチュールから一般向けのプレタポルテへと、ファッションの発信源が移る。社会、文化、経済で普通の人々が台頭した時代も彼女を後押しした。

24〜5年前か、知人に連れられてセール中のプレタポルテを、パリの店で買ったことを鮮明に思い出す。

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2016年09月25日

花子

先日ニュースで、アフリカ象がいなくなるとショッキングな話をしていた。年間3万頭もの象が殺され、大きな物は一本100万円もの値がつく象牙が密販され取引が行われてるという。主に需要がある中国に売られ、日本にも来るそうだ。

日本でも象にまつわる悲しい話がある。

「上野の動物園はさくらの花盛りです」。
こんな和やかな風景から始まる土家田岐雄さんの童話「かわいそうなぞう」を、子供に読んで聞かせた方も多いのではなかろうか。家族連れでにぎわう上野動物園。人気者はゾウだ。
しかし戦争中、そこには痛恨の出来事があった。物語はほぼ実話だという。空襲に備えて猛獣を処分せよと命じられ、飼育係はつらい役目を果たす。しかし賢いゾウ達は毒入りの餌を投げ返し、餓死させられていく。
「ついに、ワンリーもトンキーも死にました。どちらも2つの檻にもたれ、鼻を長く伸ばして、ばんざいの芸当をしたまま死んでしまいました。」芸をすれば、毒の入らない餌をもらえると思ったのか・・・この童話は悲しい。

そのワンリーは花子とも呼ばれていた。戦後まもなく上野にやってきた新しいアジアゾウが「はな子」と名付けられたのはそれにちなんだのである。かつて花子がたどった道を決して繰り返させぬ。そんな思いを動物園の人々は抱いていたはずだ。はな子は平和な時代の象徴として熱狂的に迎えられ、アイドルとなった。のちに井の頭自然文化園に移ったが、仲間もおらず後半生のはな子は孤独だった。しかしみんなに愛され、国内のゾウで最高齢の69歳で旅立った。
アフリカのゾウといい、日本の花子といい、改めて愚かな人間の業を想うところだ。

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2016年09月20日

「君の名は。」

昨今、モーニングショーで引っ張りだこだ。映画監督の新海氏。
出会う事のない二人の出逢い。
少年と少女の奇跡の物語「君の名は。」、庶民の話題をさらう。
往年の名作ラジオドラマと混同しそうだが、末尾のマルで区別するらしい。舞台も現代であり、全く別の話だ。
しかし共通点が2つある。男女のすれ違いを描くことと、物語背景に大きな災厄があることだ。

ラジオドラマ「君の名は」では、東京大空襲と戦後の混乱が主役2人の運命を大きく変えていく。放送開始は終戦からわずか7年後。空襲もその後の混乱も、まだ同時代の体験だった。翻弄される2人の姿には、作り事のメロドラマを超えたリアリティーがあった。人気を博した裏側には、そんな共感も働いたことだろう。

現代の「君の名は。」は、スマートフォンを操る若者たちの話だ。前半は甘酸っぱい恋愛話かと思わせ、後半ぐっと色彩を変える。内容の詳細は長くなるから触れないが、やはり東日本大震災を経て生まれた作品だと感じる。都会の人間は遠い地方災害を見せ物として楽しんではいまいか。そんな問題提起も見る人たちの心に迫る。

今年はゴジラ映画も話題を呼んだ。第一作は終戦から9年後空襲や水爆実験を背景に作られた。最新作は東日本大震災や原発事故を大怪獣と重ねて描き大人の客も呼ぶ。

震災から5年半、新世代の作り手達が練り上げた「災後」の映画の問いかけは重く、もの悲しい。

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2016年01月30日

枝垂れシクラメン

彼女が我が家に嫁いできたのは 7年前・・・

早春とは名ばかりの、春まだ浅い寒い日であった。
百花繚乱の如くに咲きほこり、我が世の春を謳歌していた。

それからは毎日鑑賞し気にかけ、朝に、夕に、かわいがり季節ごとに住まいを変えてあげた。
そのかいもあり、花の数は減ってはいたが、毎年かわいい花を咲かせた。

ところが、昨年の晩秋突如葉が枯れ、一輪の花が咲き、それで命が費えたかに思われた。
しかし、ゴミとして捨てるのも耐え難く、居間に移し、水を与え、しばらく見守ることにした。

その愛情が伝わったのか、小さい芽を出した。
今では普通のシクラメンに比べ葉も3〜4倍に大きくなり、やっと一輪の花が咲き元気になったが、どこかが違う・・・

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花一輪のシクラメンなど聞いたことがないし、枝垂れ葉になったものなど見たこともない。
過去を振り返って考えてみた。
そうだ!水は与えたが栄養を与えたことが一度もないと・・・
これでは花も咲くまい。
自分で葉を大きくして栄養を取るしかないと気がついた。

人間も艱難辛苦の滋養を与えないと大輪の花が咲かない。
 


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2015年11月30日

ダンスの日

20年ほど前に台湾に行った。
ダンスホールがそこらにあって、老若男女が優雅に舞っていたのを思い出す。当時ダンスに憧れていた。

昨日はダンスの日。鹿鳴館のオープンにちなむそうである。東京日比谷に鹿鳴館がオープンしたのは明治16年の132年前のことである。ロンドン出身の建築家、ジョサイア・コンドルの設計によるレンガ造り2階建ての社交のための施設。江戸が東京と名を変えて20年も経たないころで、ずいぶんモダンな場所だったという。

発案から竣工まで推進役となったのは、外相の座にあった井上カオルだ。悲願だった不平等条約の改正を実現するには、まず日本が欧米諸国と同じような文明国だとアピールすることが必要であった。そんな発想から日本社会を「欧化」しようとする政策の一環だった。

鹿鳴館の名付け親は、中井桜州という人物。
彼の先妻、武子は井上の妻で、何とも微妙な関係であり、鹿鳴館はそんな二人の合作であった。
国粋主義者の攻撃を浴びるなど、井上の「欧化」政策の評判は芳しくなかったが、お国の為と慣れない洋装やダンスに挑んだ人も少なくなかったのを思うと切ない気分になる。
しかし、彼らの努力は今の日本に生きていると思うと、感謝の気持ちが湧いてくる。

鹿鳴館とダンスの日、だれがこんなパズルを考えるのだろうか。

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2015年11月17日

悲しい金曜日

花の都パリが血に染まった。




パフューム、スキャンダル、きゃりーぱみゅぱみゅ。
いずれも若者を中心に人気の高い女性の歌手や音楽グループだ。彼女たちには2つの共通点がある。
国内のみならず海外にも多くのファンを持つこと。そして近年パリのバタクラン劇場でコンサートを開いたことだ。


13日に大規模なテロ攻撃を受けたホールである。
有名なオペレッタからその名を取り、19世紀に誕生した古典様式の劇場。堅苦しいイメージが浮かぶが、新しい音楽を楽しめる大きなライブハウスのような場である。事件が起こった金曜日は、米国から訪れたロックバンドが舞台に立っていた。
ファンで埋まった会場に銃を持つテロリストが押し入った。客席は血の海になり89名の尊い生命が散り、数百名がケガをした。


あまりのむごさに言葉がない・・・。



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2015年11月13日

展示場におもう

「天は人の上に人を造らず」の福沢諭吉の「学問のすすめ」。
その第3編に「独立の気力無き者は人に依頼し、人を恐れへつらう。ついには、面の皮鉄のごとくなり、恥ずべきことを恥じず、論ずべきことを論ぜず、人を見れば唯腰を屈するのみ」とある。

我々零細企業に必要なのは、過去の成功体験に執着せず、自らの力を信じ、他者に頼らず、へつらわず、先進に投資を惜しまず、グローバリゼーションの厳しい競争に打ち勝つことを諭吉は教示しているかのようだ。

冬ざれの川は流れる水が減って、それまで見えなかった景色がむき出しになる。今頃の季節のそんな眺めを「水落石出」と言う。転じてこの四字熟語は、ベールがはがれて真相があらわになることを指す。虚飾の水が落ちれば石ころだらけというわけだ。

今まさに、眼前に荒涼たる光景が広がる悪夢は避けなければならぬ。会社も実力を直視し、その本質を率直に評価し、虚飾は避けなければならぬ。営業マンの実力も各人がたいした実力がないと謙虚に思い抱くことが自身の成長につながる。

この九月に9カ所目の展示場がオープンした。大きな投資をする場合、いつも納得できる理由を3つ考えることにしている。


今回は、その理由とは・・・

一、常に設備投資をしないと時代に遅れる。

一、次世代、人材の育成。

一、総合展示場では、出来ないリスクを負うものを造る。

来年1月から本格的営業をやっていく所存である。

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