2006年12月31日

風林火山

 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵。

武田信玄
synnexjapan at 11:26|この記事のURLComments(1)

2006年12月30日

エジソンの言葉

 やりたいことを見つけなさい。そうすればあなたは明日から働かなくてもいい。

トーマス・エジソン
synnexjapan at 09:56|この記事のURLComments(2)

2006年12月29日

ダーウィンの言葉

 最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである。

ダーウィン
synnexjapan at 10:20|この記事のURLComments(0)

2006年12月28日

学生百人一首

 年末と言うことで、書類を整理していると、東洋大が募集する「現代学生百人一首」の昨年の入選作が天声人語の記事として出てきた。

・新札にかえてきたぞと ハシャぐ父を 冷静に見る樋口一葉
高3/相川 遥平
・「がんばれ」とは口では言わない母だけど トンカツ揚げる音で励ます
高1/木村 文香
・ こんなにもたくさんの人がいる中で たった一人を慕う不思議さ
高3/七十田 久美子
・自転車の風を切る音聞こえれば あなたが来たかと振り向く私
高2/五十嵐 遥子
・将来の夢は何だと尋ねられ 生きていたいとアンゴラの子供
高2/日高 智美

読むほどに
今年の秀作に期待膨らむ            関戸明夫
synnexjapan at 12:25|この記事のURLComments(0)

2006年12月27日

ありがとう・・・ どういたしまして・・・

 最近フラッシャーランプを使って、合流や車線変更時に、「ありがとう」「すいませんでした」と言った意味の点燈をする車が増えているように思う。人間である以上「断りもなく」ということになると、腹が立ち、「すいません」と言われると「どういたしまして」と答えたくなるものである。こうした意味で、「追い越しの場合のパッシング・ライト」は、「どけ!この野郎」とか、「何をノロノロ走っているんだ」と言った意味に採りたくなるが、追い越した後にフラッシャーランプで「ありがとう」とメッセージされると、何か急ぎの用があってのことだろうと勝手に解釈している。

 猿などの動物の世界でも服従帰順といった行為に対しては、敵対行為を慎むことが本能の中にセットされているようだ(人間の社会では、これをペテンを下げると呼ぶようだが)。こうした意味では、左右のライトをフラッシングするのが、「どういたしまして」であるとか、携帯メールの絵文字ならぬ、自動車のライトを使ったいくつかの意思表示をJAFでもが公表すると、車運転中にカッときたことを原因とする交通事故が少しは減るのではなかろうか
synnexjapan at 12:32|この記事のURLComments(0)

2006年12月26日

ネット社会

 NHKの番組でネット社会についての討論が、トロンの坂村健さん、評論家の立花隆、オウム弁護団の紀藤正樹さんらをパネリストに行われていた。番組の中で三択の質問をされると坂村さんが三つの札全てを掲げ、盛んにNHKの質問の方法がおかしいと主張していた。

 NHKの質問の例
「ネット上の匿名の掲示板に削除要請が来た場合、ネット管理者はその掲示板の書き込みの正否について確認をする必要があるが、とりあえずその間、書き込みは削除すべきか、残すべきか?」
 一般参加者は内部告発などを社会に生かしてゆくために匿名の書き込みを残せと言う主張と、そのことによって傷つく人のことを考えると、とりあえず削除すべきだという意見が相半ばした。
 しかし、わたしは、待てよと思い、書き込みされた側が社会の弱者か強者かによって答えは違うと感じた。
 オウム事件で有名な紀藤正樹弁護士は、書き込みされた内容に含まれる家族や子供の学校などの個人情報などは直ちに削除すべきであり、書き込みを削除すべきか否かの問題は、削除すべき書き込みに対するガイドラインの問題だと言った。坂村健教授は、「質問の仕方が悪い」を、またしても繰り返していた。
そして、私も徐々に、ネットの社会問題を解決するためのアイディアや具体策の提案と、そうしたアイディアに対する賛否中心に持っていった方が解り易かったように思えた。なぜなら、個別の賛否が、具体的前提を異にすることによって、賛成にも反対にもなってしまい、正反対の意見の人が前提を曖昧にしたままアンケートすることによって、同じ札を上げることになるケースがかなりあったように思えた。
synnexjapan at 12:25|この記事のURLComments(0)

2006年12月25日

ワイドショーと笑点の大喜利

 ワイドショーで、一つ一つのテーマについて評論家が手をあげてコメントする様は笑点大喜利と色々の面で通じている。
 そして、その特徴の一つが即興性である。
 先日も高木美也子女史曰く、「今のイラクを見ているとフセイン時代の方がよっぽど良かったじゃない。」しかし、イラクのクウェート侵攻等、過去20年のイラク歴史を考えると、イラクに対するアメリカの対応が正しくなかったことは、すでに大半の人の判断するところとなっているが、フセイン時代の方が良かったかについてはもう一度全ての要素を白板に書き出すことぐらいはしないと、私はにわかには賛成する自信を持てない。
 思いつきだけで番組を進行してゆくのは大喜利ぐらいにしておいて欲しいものだ。
synnexjapan at 12:20|この記事のURLComments(0)

2006年12月24日

弥右衛門爺さんの墓参り

 祥月命日に当たる12月21日(木)、父方の祖父関戸弥右衛門の墓参りに石川県小松市まで出かけた。母方の祖父松多辰次郎は日露戦争の203高地で頭に銃弾を受け、凍傷で倒れているところを救出されたと聞く。頭蓋骨に凹みがあり、麻酔のない中、凍傷のため切り落とした足の指は確かにかなりの本数が祖父の足から欠損していた。祖父辰次郎は、石川県旧美川町の墓に祖母とともに眠る。

 関戸弥右衛門は、十代以上続く旧家に生まれ、東京に出て蔵前工業を卒業したが、家を継ぐことを求められ、本人の意向に反し石川県小松市へ戻った由。本人の意向にそぐわなかったせいか、茶道ばかりしていたそうである。主治医が武見太郎と聞いているが、伯父関戸弥太郎(故人)をインターネットで検索すると、戦前の仁科研究所に集まった湯川秀樹、朝永振一郎氏の名に混じって、伯父関戸弥太郎の名前や、関係者の中に武見太郎の名前が登場するので、伯父と武見医師の間に何らかの親交があったのだろう。祖父は、終戦を待たず結核で他界した。

 関戸と言う名前については、義経記に出てくる猪俣小平六、小平太兄弟が、安宅の関まで義経、弁慶とともに北陸路を敗走したが、この地の金平という場所に落人として名前を関戸と偽り生き延びたそうである。こうした事情は過去帳に詳しくあり、父と金平寺という関戸一族の寺を訪れ、同じく関戸姓の住職から話を聞いた記憶がある。猪俣会という会も存在し、かつては作曲家の猪俣公章氏が会長をしていたが、今となっては御多分に漏れず猪俣会も後継者難に陥っており、現在の会長によれば、存亡の危機にあるようだ。
synnexjapan at 12:39|この記事のURLComments(2)

2006年12月23日

ブッ壊されたりブッ壊したり

 過日タウンミーテインングの審議で野党が安倍首相の減俸による解決を、金でケリをつけるのかと質問し、安倍首相が「カネとは何ですか」とケツをまくったのをご記憶の方も少なからずおられるのでは・・・。しかし、どう見ても小泉さんと比べ、喧嘩下手の感を拭えなかった。

 政府税調の本間さんも辞意を表明した。

 小泉さんは自民党をブッ壊すと言ったが、自民党が安倍内閣をブッ壊しそうな勢いである。
synnexjapan at 12:23|この記事のURLComments(0)

2006年12月22日

リーダーシップ 決断力の意味するところ

 安倍総理の決断力が問われている。野田聖子VS佐藤ゆかり、道路特定財源、自民党復党問題等々である。そして、テレビのワイドショーのコメンテーターは安倍総理に決断力がないと言う。しかし、私には、リーダーシップはただ決断すればよいという問題ではなく、その決断をすれば、決断に反対した人を敵に回すことになり、その人達に対する説得力のことを言っているように思われる。野田VS佐藤の問題についても、決断は簡単だが、同時にその決断に反対の人を敵に回すことになることは間違いない。そして、この決断によって不利益を蒙る人に対する説得力がリーダーシップであり、決断力であると思う。

 2006年11月15日のブログでエン・ジャパン越智社長が「若い人は叱られることを待っている」と述べられたことに対し、叱る人の自分に対する厳しさがあってこそのことではないかと反論したが(ただ、社長が社員を叱ればよいというものでもないの意)、このリーダーシップについても、ワイドショーの評論家の方々は「安倍総理もスパッと決断しろ」と無責任なことを言っているが、不利益を蒙る人々への説得力が伴わない決断は、本人の墓穴を掘るだけだと言うことを安倍総理もよくよくご存知の上で決断のタイミングを図らざるを得ないと説明した方が、より正しい解釈のように思われる。
synnexjapan at 12:24|この記事のURLComments(0)