2006年11月

2006年11月27日

幸せなヒゲ剃り

先週から、毎朝家でヒゲ剃りしないで会社へ行くことにしている。

というのは、この秋理容師の国家資格に合格した社員の練習台になっているのである。
理容師になるには、全日制の理容学校に2年間通う方法と、働きながら3年の通信教育という方法がある。
Mさん(24歳の女性)はエステティックの学校を卒業し、その後私共の会社へ入社し、サロンでエステティッシャンとして働きながら勉強して見事合格した。

お顔剃り只今、私共が全国で展開しているシェービングエスという女性のお顔そりサロンはなかなか好評のようである。
うぶ毛と一緒にカサカサした古い角質が取り除かれるので肌はツルツルになる。
女性のデリケートな肌には石鹸は使えないので、白色粘土の洗顔料(無油分、無界面活性剤)とオゾンの蒸気を使ってお顔そりをする。


お顔にカミソリを使う仕事は理容師の資格が要るのです。

ところがこの技術は繊細で熟練が必要、免許が取れたからといってすぐにお客様の肌に当たれるものではない。
理容店で男性のヒゲ剃りをやっていた人でも何日も先輩から特訓を受けるほどだ。

Mさんは会社の研修室でもくもくと人形の肌にカミソリを当てて練習している。
社員の人達も時間を作ってモデルになってあげてるようだが、時間に限りがある。
そこで、ヒゲの薄い(髪もウスイのです)、比較的ヒマな私が、毎朝、練習台になることになったというわけ。
女性ほど繊細ではないが、オジサンといえど生きてる肌は人形よりはリアルではある。

習うより慣れろということだろうか、Mさんの腕は日毎に上手くなってる。
朝から、ウトウトと一眠りしてしまうほど気持ちのよいヒゲ剃りである。
お顔そりが気持ち良く、ストレス解消になり、人気だといういうことが体験してよく解る。
それになにより、この粘土洗顔を開発した者にとってこんな幸せはない。
毎朝の至福な〜1時間

来月からMさんはサロンの現場に立つ。
この幸せなヒゲ剃りはもう何日かで終わりだ。

彼女の巣立っていく日が近い

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syobu828 at 23:32|PermalinkComments(15) クレイセラピー粘土洗顔 

2006年11月20日

秋の京都

11月18日(土)の午後、大阪のKさんと京都駅で待ち合わせ
磯辺先生にお会いするため二人でホテルの喫茶店へ向かった。
磯辺クリニックの磯辺先生とはネットで知り合い、
昨年京都大学で初めてお会いしてから今度で3回目になる。
先生は多くの臨床から、「アトピー性皮膚炎は石鹸や洗剤を使用しなければ80%は良くなる」ということを発表している医学博士なのです。
書籍も出しておられ、昨年はドイツのドレスデン大学で講演をしている。

高瀬川この日も午後は会議があってお忙しい身であるのに、69歳とは思えぬ元気で行動力がある。
学生時代に通った店を思い出していただき、先生の案内で三条の「めなみ」という60年の歴史ある小料理店で飲むことになった。
秋の観光シーズン真っ只中の週末、ぞろぞろとすごい人出である。
この界隈は高瀬川に沿って飲食店がずらりと並ぶ。
森鴎外の小説「高瀬舟」。
その昔、罪人がここから遠く八丈島へ流された。
自殺をはかった弟の喉にささってる刃を抜くという
安楽死の罪で、流される兄の心境を想う。

先生は学者肌で気むづかしい方と思っていましたが、
しごくざっくばらん、話好きで豪快な方なのです。
留学時代(腸管免疫の研究)、勤務医の頃の苦労話、ご家族の話などetc・・

私共が理解したこの日の結論は
「皮膚疾患は洗うか、洗わないかで解決する」ということでした。
免疫の研究から、皮膚にもIgAという免疫があることが判明し、
それをせっけんで洗い流してしまうことが問題なのです。

京都のおいしい料理とお酒がまわって3人とも良い気分、小雨のなか宿へ帰った。


高台寺せっかく京都まで来たのだから、紅葉を見て帰りたいというと、
小生のブログを読んでいただいてるA子さんという若いお嬢さんが案内してくれることになって翌朝迎えにきてくれた。
どこが一番きれいでしょうか?とたずねると、それなら高台寺ということになった。
有名な清水寺や八坂神社の近くにある。
豊臣秀吉没後、夫人の北政所(ねね)が秀吉を弔うために建立した寺である。

今年は例年よりも紅葉が遅いそうであるが、
境内のもみじは真っ赤に紅葉して、それが池に映えて美しい。
京都の秋をしみじみと味あう。

A子さんはエステティックの勉強に半年ほどフランスへ行ってたので、
フランスの化粧品事情などについて話を聞かせていただいた。
日本人よりもお化粧がシンプルで、
ポイントメイクはするがファンデーションの厚塗りはしないそうです。
昨夜の磯辺先生のお話と重なるなぁ〜と思った。

来週、A子さんは福岡へ来るということになり、今度は私が福岡を案内し、
私共のサロンへお寄りいただく約束をして京都駅でお別れした。
帰りの新幹線は、旅行客で満員だった。
秋の京都が遠くに、休日が過ぎていく。

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syobu828 at 01:25|PermalinkComments(4) 旅行 

2006年11月12日

左手にパンを持って

今から42年前の7月、学生時代最後の夏休みをどう過ごそうかとあれこれ考えていた。
中学から10年近く英語の授業を受けてるのに会話はまったくダメだ。
映画や音楽を聴いても意味が分からない。
なんとか英語をしゃべれるようになりたいと思った。

そこで、「THE YOMIURI」という英字新聞に、
「家事なんでも手伝います。学生。22歳(男)。連絡待つ。TEL・・・・ 名前・・・・」という英文の無料広告を出してみた。
もちろん、「英語を少々話せます」ということも付け加えて。

2〜3日して、1件だけ電話がかかってきた。
所沢市に近い豊岡町に住むVOISON(ボイズン)というアメリカ人からだった。
翌日、私は彼の家を探して訪ねている。
どうやって、電話で場所を知り、時間の約束をしたのか、きっと必死だったのだろう。
私が報酬は要らない、寝食だけを頼みます。
ただ英語の勉強をしたいからと申し出ると、それじゃゲストということにしようと言って、子供部屋を私のために明けてくれた。
ROBERT VOISONは28歳、仕事は米軍の飛行機整備士。
奥さんのポワレットは26歳、ルクセンブルグ人。
子供はエイドリエンという6才の娘とトニーという4才の息子。

私はこの家族のもとに6ヶ月間、居候して、バイクで大学へ通った。
掃除、庭の芝刈り、子供の面倒をみたり、留守番、買い物などなど。
フォードのデカくて重い車を運転していた。
基地へ出入りするパス(身分証明書)があったので、映画、図書館、コミサリー(スーパーマーケット)、ボーリングも一緒に出かけた。

ステーキランチなんといっても一番の楽しみは家族皆で食べる食事だった。
40年前、洋食なんてコロッケとトンカツぐらいしか知らなかったから、
ハンバーガー、ステーキ、スープ、サラダ、ピツァ、スパゲッティなど初めて食べるものばかりだった。
コーヒーはアメリカ流サイフォンで煮出していた。




今回、この押しかけ居候生活を思い出して書く気になったのは、
動物行動学者、日高敏隆著「ぼくの世界博物誌」という近著を読んだのがきっかけです。
日高先生は40年前、パリ大学のボードワン先生に招かれてフランスに留学し、
先生の家に寄宿しフランス人の生活を体験している。

「ぼくの世界博物誌」から転載すると・・・・
  食事が始まったらにぎやかだ。みなわれ先にと話だす。
  肉や魚はナイフとフォークでみんな切ってしまい、ナイフを置いてフォークを右手に持ち替える。
  そして左手にパンをちぎって持ち、それで肉をおさえながら右手のフォークでつきさして食べる。
  料理を食べ終えたら、皿をパンで拭く。
  日本で教わった作法はイギリス式のようだ。
  ボードワン先生いわく、「イギリスは料理がまずいから、うるさい作法でごまかしている」
  フランスの子供が家庭できびしく教わるのは
  「食事のときは、左手にパンを持って!!」と
  「みんなとお話しなさい」ということ。

バゲット私も教えられたとおり「左手にパン、右手にフォーク」という流儀を40年間続けている。
たぶんフランスの隣国ルクセンブルグ流だと思う。
そして、よくしゃべる、だまって食べない。



私のその後の人生で、親しく付き合った人達はいるけれど、若い人まして外国人と一緒に住むということは無かった。
見ず知らずの若造を電話一本で居候させてくれた28歳と26歳の若い夫婦。
彼らは世界を回ってたくましく、おおらかで人好き、面倒みが良いけれどおせっかいではない。


クリスマスの後、私は不幸にも盲腸炎で手術し、
彼らと約束していたアメリカ行きは断念せざるをえなかった。
ところで、私の英語?かなり日常の用は足せましたね。
ツアーを組んで、池袋のデパートへ奥さん達を連れてったり、
男共は後楽園球場へ阪神タイガースの試合を観に行きましたから・・・


駆け抜けていった青春の日々を想い出しながら、
左手にパンを持って食卓に着く。

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syobu828 at 00:10|PermalinkComments(20)

2006年11月05日

CDの整理

阿蘇や九重はそろそろ紅葉が始まってるようです。
秋晴れの続いた3連休、皆様いかがお過ごしでしたか。

私は、太鼓とダンスのアフリカ音楽(劇団AFRIKA)を聴きに行ったり、
ジャズシンガー牛島あおいさんのチャリティに出かけたりと音を楽しんで過ごしました。
それから、あちこちに散らばってたジャズのCDを整理しながら、3日間聴いてました。

私が初めてJazzを聴いたのは、高校1年の学園祭の時。
受験勉強をしてなんとか入学できたというのに、ピアノトリオで演奏する上級生がいる。
私が聴いてたのはプレスリーやロカビリーくらいだったから、Jazzがどんな音楽かということさえ知らなかった。
こんなことが出来る高校生がいるというカルチャーショックだった。
アドリブということがなんともカッコ良かった。
それから、新宿のJazz喫茶へ通うようになった。
アート・ブレイキー、MJQの時代でした。

今から40年前、初任給2万5千円だった頃、LPレコードが2千円はとても高価だったから、1枚のレコードを擦り切れるくらい聴いた。
この10年ほど、時々中古レコード店へ行って、あの頃欲しかった名盤を捜している。
一枚千円くらいだから、当時からすれば20分の1だ。

しかし便利さからいえばCDということで、いつのまにかCDのほうが多くなってしまった。
1950〜60年代のものばかりで、私の頭の中は何も進歩していない。
あの時代、偉大なミュージシャンが輩出し、Jazzの黄金時代だった。
モダンジャズといっても、半世紀も経つともうクラシカルになってるかもしれないけど。

CDチェンジャーこの度、散らばってたCDを整理してみようと思ったのは、パイオニアの300枚連奏できるオートチェンジャーを手に入れることができたから。
アトランダムに300枚を一曲づつ連奏してくれるので、一日中かけっぱなしにできる。
タイトルとアーティスト名も入れられるので、CDを整理するのにはすごく便利で重宝。
CD派の方にはお勧め。音質も良い。
ジュークボックスのように300枚のCDが回り、1枚をピックアップして演奏する。

NIGHT LIGHTSさて、今夜のベストな1枚はというと迷いますが、
ジェリーマリガンのNIGHT LIGHTSという気分。

バリトンサックスの優しい音がクールでクリーン。都会の夜の静けさだ。
仕事で熊本へ行くと、Jazz好きのOさんとガンピットというJAZZ BARへ寄る。
Sax奏者のマスターから勧められた思い出の1枚だ。

それぞれのLPやCDに記憶が染み付いている。
その記憶をたどり、昔の友人達の顔を思い浮かべる。

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syobu828 at 11:50|PermalinkComments(7) JAZZ オーディオ