2008年10月

2008年10月24日

VW(国民車)

この夏、大学病院に入院していた時の楽しみは早朝の散歩だった。
散歩の途中、病院の駐車場で会うVWビートルは気になってスケッチブックに描きとめた。

VWビートル タイプ1色は渋いベージュ、1960年代のものだから、もう40年以上は経ってるだろう。
外も内も完璧にレストアされてる。
たぶん、若い医師か医学生の所有だろうけど、彼はかなりのマニアである。



「お洒落は足元から」といわれるとおり、このホイールの色も完璧だ。
特に、メーターやハンドルなど、この時代のものは繊細にして美しいとしか言いようがない。

VWビートル ホイールこの通称ビートル、VWタイプ1は、ポルシェ博士の設計で1938年に第1号車が生産されてる。
時は第二次世界大戦前、あの悪名高い独裁者ヒットラーの号令で始まった。
アウトバーンの高速走行と耐久性があって、しかもドイツ国民が誰でも買える安価な車を造れという命令がポルシェに下った。

VWとはその名の通り、フォルクス(国民)ワーゲン()である。
ヒットラーの恐怖政治は人類史に刻まれた残酷な傷跡であるが、
アウトバーンと国民車VWを誕生させたことは評価できる。

敗戦後のドイツ、VWは工場を再興して、ビートルの大量生産を始めた。
これは大成功を収め、世界中に輸出され、戦後ドイツの経済復興に大きく寄与したのだ。

その後VWの主力はゴルフに移り、ビートルの生産は2003年に終了する。
65年間で2153万台生産というのは、T型フォードを抜いて世界NO1の記録である。

VWビートル運転席この車のエンジンは後部に置かれてる。
音はうるさいが、このカシャカシャいう空冷の音がマニアにはたまらない。
空冷のため冬季でもエンジンはかかりやすく、
緊急の往診に間に合うというので、ドクターズカーと言われるくらいお医者さんが愛用した。


前のボンネットを開けるとトランクになってるが、
スペアタイヤに占領され、小さな旅行カバンくらいしか置けない。
前も後ろも流線型で風圧抵抗は低い、そのため車内は狭くなる。
クーラーは無いから、三角窓からの自然冷気を楽しむよりない。

ハンドルは重ステ、もちろんエアバックなどの安全装置は無い。
オートマではないからマニュアルでクラッチを操作しなければならない。
こんな具合だから、今の車と比べれば、快適とは正反対。
独特のスタイルマニュアルを楽しむ快楽のほうに価値がある。

私は車の運転を始めてかれこれ50年になる。
18年前、BMW320iでドイツ車の路面との一体感に魅せられ、
すっかり車好きになってしまった。

ここで、「マニュアルで古い年式」なんて言おうもんなら、
「危ないね。古いのは修理が大変よ」
と反対の声が周りから起こるのは間違いない。

ニュービートル カブリオレこの齢になると、これらの風圧に逆らうほどの暴挙はもはや控えるという生活習慣になってる。
という訳で今のところ、VWタイプ1の臭いを多少とも残してる「ニュービートル・カブリオレ」で往時の走りを楽しんでる。

このニュービートル、やはりトランクは狭い。
ホームセンターの大きな買い物などは屋根を開けて
後部座席に入れることにしてる。



オープンで走るなんて年に1〜2回あるかないかだけど。
「いつでも開きますよ」という可能性を保持してるってとこが味噌。


3年前、このブログで「肌の触れる感覚」という題で車のことを書いてるのを思い出した。

  メカには弱く運転は下手なのに、車と一体になって走るのが好きになってしまったのです。
  皮膚が情報収集の装置であることはよく知られていることで、
  たしかに触ることは見ることよりも直接的で、友好的だと思う。
  触れると快い陶磁器の滑らかな感触は、
  作り手とそれを使う人とを結ぶメッセージです。

  私が
粘土洗顔のナチュラルな質感にこだわるのは、
  忘れかけていた手触りの感覚を大切にしていただきたいと願うからなのです。


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syobu828 at 06:13|PermalinkComments(8)

2008年10月16日

リバーサイド

博多の街をリバーサイドから見てみようと、中州の那珂川河畔を歩いた。
日本語ではRiverは川と河があるが、
川は野山や田畑のある田園風景を流れる清流の感じである。
一方、河はもう海に近く、その幅は広く、街中をゆったり流れてる。


そしてリバーサイドを河岸(かし)と言うと、
河沿いに住む町人衆の粋な暮らしが目に浮かぶ。

那珂川那珂川はここ中洲で二股に分かれて、ゆったりと海にそそぐ大きな河である。
昔、船で荷を運んでいた名残だろうか、商店の裏は船着場の跡がある。
年配の人達に訊くと、この河で泳いだり、魚を釣ったり、ボート遊びをしたらしい。


昭和40年代以降、生活排水として合成洗剤が各地の河へ流れ込み、
魚やカニ、その他生き物は全滅し、河はドブ河になって死に、悪臭を放った。

洗剤メーカーは、洗剤が魚のエラに吸着し、
窒息死させるという「魚毒性」について、口をつぐんでいる。
これは、洗剤の毒性を示すなによりの証拠である。

この頃、市街地の河で魚が釣れたり、水がきれいになってきたのは、
各都市で下水が完備し、生活排水や洗剤が河へ流れなくなったからである。


旧福岡県公会堂貴賓館中州と天神を結ぶ「ふれあい橋」の袂に、洒落た洋館がある。
明治43年(1910年)に建てられた、旧福岡県公会堂貴賓館である。
九州沖縄8県連合共進会という博覧会が開かれ、その貴賓館として、皇太子殿下(昭和天皇)もお泊りになった。
フランスロマネスク調の美しい木造建築である。
床、壁、天井、カーテン、シャンデリアなど内部の装飾も美しい。


旧日本生命福岡支店さらに、300m下流へ行くと、旧日本生命福岡支店の赤レンガの洋館がある。
明治42年に建てられ、今は福岡市の文学館として使われてる。
こちらは、イギリス風のがっしりしたたたずまい。
東京駅を設計した辰野金吾氏の作品である。
どちらも、築後100年にならんとする建物であるが、手入れが良かったのであろう、今でもしっかりしてる。

リバーサイドから眺める風景に花をそえてくれる美しい河畔の建物である。

二股に分かれたもう一方の流れ沿いには、高級ブランドの店を集めた「リバレイン」や
老舗デパート玉屋の跡地に建ったイベントビル「ゲイツ」がある。

リバレインこのあたりは、リバーサイド開発ということで、河畔が現代的に整備されてる。
ところが、商業的にはなかなか苦しいようで、テナントはしょっちゅう入れ替わってる。

果たしてこの建物が100年後も残ってるだろうか。


3セク
でいろいろ都市計画がなされてるようであるが、
人の住む街は生き物のように自然に発展し変遷していくもの。

人工的な箱物を建てれば良いというもんではないんだね。

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syobu828 at 06:05|PermalinkComments(10) 絵画 スケッチ 

2008年10月08日

駕与丁(かよいちょう)公園とバラ

入院中は歩いて30分の西南社湖畔公園へ毎朝散歩に出かけてたのですが、
同室の方が、「糟屋町に駕与丁(かよいちょう)公園という綺麗な公園がありますよ」
と教えてくれたので、秋晴れの日を選んで行ってみた。

場所は、福岡から篠栗へ行く途中の長者原を右に入った所、粕屋町役場の立派な建物が見えると、視界が開け、道は公園の池に沿って、粕屋ドームという体育館の駐車場へと続いてる。

駕与丁公園 002水を満々と溜めた池は広くてきれいだ。
湖面を渡る秋風が気持ち良い。
池の周りの木々はもうそろそろ紅葉の仕度を始めてる。
11月になったら、楓や銀杏が赤や黄に色付いてきれいだろうと目に浮かぶ。

 

長い橋を渡ってフラワーガーデンへ行ってみる。
このフラワーガーデンのバラ園が有名なのです。
バラの最盛期は5月だけれど、この10月でも花は楽しめる。

駕与丁公園 のバラ園バラの品種は何百種類もあるようだ。
色も赤、白、ピンク、オレンジ、黄と何色もある。

日本では、花束や生花として観賞用にバラは使われてるが、西洋では観賞用としての価値だけでなく、香りの良いダマスクスローズという品種を香料として用いたり、アロマセラピーとして健康法に使ってる。


その起源は古代エジプト時代
クレオパトラは床に30cmものバラの花びらを敷きつめたというし、
バラを蒸留して香水をつくり、風呂に入れたり、
化粧に使ったり、贈りものなどにもした。 

このダマスクスローズという花びらの小さなピンクのバラは、
シリアの首都ダマスカスを起源としてると言われてるが、
中近東で広く栽培され、香料、飲用、お菓子の香り付けなど日常の生活に使われてる。

特にブルガリヤ産のローズオイルが品質は最高と定評があり、フランスに輸出される。
ブルガリヤのバラの谷といわれる地方が栽培に適してることもあり、
国策産業に指定され、毎年5月〜6月には一斉に収穫する。

1kgのローズオイルを採るためには4トンの花びらが要ると言われる。
良質なローズオイルは金に匹敵するくらい高価なのだ。
天然の香料(揮発性物質テルペン)は自然志向に乗って、
今後益々需要があると予想され、国も援助している。

駕与丁公園 003さて、これはある美容家の余談ですが・・・・

ローズオイルには女性ホルモン様の働きがあるようで、
肌の若返り作用があると言われてる。
そこでもし、ローズオイルの香りが、すごくいい匂いと感じる時は、女性ホルモン不足か 更年期一歩手前か、よほど疲れてると言えるかもしれないという説。

10代20代の若い子がこれを嗅いでも、
「なにこれ」という反応で、だれ一人いい匂いって言わないらしい。
足りてる人には不要ということなんだろうね。

最後に、「綺麗なものには棘がある」と言われるバラの棘はなんのためか?
〜霓動物から食べられないように守るため?
▲丱蕕呂弔襪里茲Δ雰圓鬚靴討襪ら、他の植物に絡みつくため?
どうも△正解のようであります・・・・・・


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syobu828 at 06:05|PermalinkComments(17) 絵画 スケッチ 

2008年10月01日

博多ウォーターフロント

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、
9月も終わりになるとすっかり秋らしくなってきた。
あちこちでコスモスの花が咲いてる。
風が涼しく気持ち良い。空は青く澄み切って雲が流れる。

まだ、今月も自宅療養の身分ではあるが、あちこちと出かけて、
気に入った景色を見つけて写生など楽しんでる。

博多港 埠頭博多のウォーターフロントを探検してみようと、
海辺を周ってみた。
前回は西のマリノアヨットハーバーと西公園下の造船所だった。
今回は博多港中央埠頭へ行ってみた。
港はすごく広い、埠頭には倉庫が延々と連なってる。



この海の向こうは中国大陸へとつながる。
博多は地理的に大昔から大陸との関係が位置づけられる。

対馬海峡博多から韓国の釜山まで僅か200kmしかない。
博多から壱岐の島までが50km
壱岐から対馬厳原までが50km
厳原から対馬北端までが50km
対馬北端から釜山までが50km






釜山から、対馬、壱岐と島伝いに小船でも渡ってこられる距離なのだ。
30年前、参加した釜山ー博多ヨットレースでは往路は嵐に遭ったが、
復路は順風で12時間位でゴールしたと記憶してる。
対馬の北端からは、韓国がはっきり見えるのだ。


博多港の歴史について調べてみると、
紀元1世紀にこの博多の地に「奴」という国があり、
その奴国はすでに中国大陸との交流を行っていた。
「魏志倭人伝」には大陸と博多の関係が記述されてる。

邪馬台国(吉野ヶ里遺跡)魏志倭人伝によれば、
女王卑弥呼の都(邪馬台国)が在ったと記されている。
しかしこの邪馬台国の場所について、九州説と大和説があり、
今なおその場所について、完全な一致を見ていない。


 

博多港がかつて那の津と呼ばれていた遣唐使の時代、
外国使節の応接の場と宿泊所を兼ねた鴻臚館とよばれる迎賓館が設けられていた。
12世紀の博多には、袖の湊と呼ばれる人工の港があったといわれ、
中国人街ができて、禅宗が中国からもたらされ禅寺が沢山出来た。

江戸時代、鎖国のために博多港は衰退してしまうが、明治になって国際貿易港として再興される。

日韓海底トンネル」という構想が韓国で話題になってるようである。
2008年、世界NO1のトンネルは青函トンネルの54km。英仏海峡トンネルは50km。
日韓海底トンネルも技術的には可能だろうけど、経済的、政治的に成り立つのだろうか?
それよりも、両国の国民がもっと仲良くならなくては実現は無理だね。



博多漁港今、博多湾ではアイランドシティという東部の大規模な埋め立てが進んでる。

都市開発と自然保護をどういう形で調和させるのか難しいところだ。

工事はだいぶ進んで、マンションや住宅にはもう住人が住みはじめてる。

潮風と光のウォーターフロント生活とはどんなものだろうか?


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syobu828 at 06:01|PermalinkComments(15) 絵画 スケッチ