絵画 スケッチ

2012年05月16日

個展

4月27日〜5月2日 広井教子さんの個展が銀座の竹川画廊で開かれた。
広井教子さんは岡田画伯に師事して10年間、沢山の作品を描き続けてきた。

                   広井教子展



これまで六本木の新東京美術館で行われる白日展に何回も入選。
その作品の完成度はアマチャアの域を超えてプロ作家の仲間入りをしている。
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広井さんは横浜伊勢佐木町の化粧品店「白牡丹」の奥様ですが、
美術学校の学生時代から絵の習作を続けてきた。
ご主人の広井晴雄氏の応援があってのことなのですが。

私は仕事を通じてお知り合いになりましたが、
広井さんの絵に魅せられ、すっかりファンになりました。
横浜へお伺いするたびに、最新作を見せていただきました。
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このたび、銀座で初めての個展を開かれ、
描き溜めた作品を一堂に拝見できるのは素晴らしいこと。

4年前私の闘病中、広井さんから絵を描くことを薦められ、
竹谷富士雄氏の画集を送っていただいた。
病室の窓から見える景色を見よう見真似で描きながら
退屈な入院生活のなかで絵を描く楽しみを見つけた。

4月27日の初日は岡田先生を招いてオープニングパーティがあり
二次会は銀座のジャズライブハウスでさらに祝杯を挙げた。
120427_1648~02120427_1648~01120427_1649~01



広井さんの作品は油彩で人物画である。
人物画は風景画と比べて、人の表情を描くのがとても難しい。
広井さんはモロッコやスペインへ出かけてスケッチを重ねている。
ジプシー達の顔立ちには瞬間を生きる情熱がある。
私はつば広の帽子をかぶった闘牛士らしき男の絵が一番気に入った。
カッコよさの反面、孤独な哀愁を感じたからだ。


4月の後半はあちこちと忙しかった。
イアラさんのイベントは盛会だった。
イベント参加は初めてという方も何人かいたので良い経験になったと思う。
人前で何か得意なことをして、人を喜ばせ、お金も頂くのだから、
参加したセラピストの方々は充分に楽しめたと思う。
住宅会社のイアラさんやTOTOさん、西部ガスさんにとっても
新しいお客さんが来てくれたことは良かったと思う。
これからもっと工夫して、こんなコラボレーションできれば広がります。


横浜の大学へ通う孫達二人を連れて、
横浜中華街に近いジャズライブ「ウインドジャマー」へ行った。
店内は帆船の内部を模して総木製の壁でこしらえてる。
アメリカ人の経営で、創業は40年以上前だが、
綺麗に手入れされてる素敵な空間。
戦後アメリカのものは皆横浜から入ってきたんだから。
翌朝、もう4,5軒のジャズバーの場所を歩いて確かめる。次回のために・・・


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syobu828 at 22:26|PermalinkComments(3)

2011年08月20日

人物画のモデル

昨日、絵画教室「クガニール」の奥秋先生から電話があり、
予定していた人の都合がつかないので、人物画のモデルをしてくれないかと頼まれた。

今までモデルなどやったことないし、生来じっとしてるのは苦手なほうで
果たして私で務まるものかと不安だったが、なんでも体験と好奇心でOKした。

電話の横で家人は心配顔である。
「テレビ見てもすぐに転寝(うたたね)するくらいだから、きっと皆さんに迷惑かけますよ」

歌声喫茶「アルマ」のコーヒー入れの仕事は午後1時半からである。
30人分のコーヒーと紅茶の用意をしてから、3階のアトリエ・クガニールへ行く。
北向きのやわらかい日が窓から入る落ち着いたアトリエである。

3年前、奥秋先生が絵画教室を始められた時、私は第1期生だった。
ガン発病のため、3ヶ月で止めたのであるが。
クガニールは立派なアトリエも出来て、生徒さんは増え、先生は忙しい。

11 8 20 アトリエ・クガニール

今日は6人の若い人達のクラスである。
先生がポーズを決めて、椅子に座ってまっすぐに一点を見続ける。
生徒の皆さんの木炭を画用紙に走らせる音がする。
先生は各人の絵を見て、的確にアドバイスする。

なるべく瞬きをしないように気を配る。
同じ姿勢でもリラックスしてると意外に疲れない。
20分して5分の休憩になる。
休憩時間に各人の進み具合を見るのが楽しみ。

私の好きなJazzがアナログの音でプレイヤーから流れてる。
ビル・エバンス アート・ペッパー ロン・カーターと続けばもう眠気は来ない。

生徒さん達は真剣に私を見つめる。そして手を動かす。
夏の日の午後がゆっくり静かに過ぎてゆく。
ここは室見川の河口近く、海が近い。タワーと松原が見える。

11 8 20 kusaba11 8 20 ayumi11 8 20 kazuko



全体の構図が決まり、腕、手、衣服が描かれ、最後に顔に目が入る。
20分を4回と15分を2回。合計2時間半で今日の絵は完成である。

皆さんそれぞれ上手く描いてる。
人がどんな風に見て感じてるのかといういうことが分って興味深い。
人生の最終章を歩き始めた男の哀愁みたいなもんが描かれてるよね。

11 8 20 sakata11 8 20 yoshino11 8 20 miki


奥秋先生の話で印象に残ったこと。

「バックが白の場合は黒が前面に出る。

バックが黒の場合は白が前面に出る」

「肩の力を抜いて、やわらかく、

すばやく描くとその人物を生き生きと描ける」


3日前、高宮のセッションでJazzベーシストの間村先生、Jazzピアニストの塚本先生が

言ってた・・・・・「リラックスしてその場の空気の流れを読みなさい」・・・・

ということに通じるのだろうと思った。

画家も音楽家も・・芸術家の気持ちは同じなんだろうね。

奥秋先生の奥さん。三和さんは即興で弾くピアノの達人であります。


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syobu828 at 23:17|PermalinkComments(10)

2011年07月24日

ターナー

7月18日(月)海の記念日。

室見のカフェ・アルマで画家奥秋智彦氏の西洋美術史講演会が開催された。
奥秋先生は絵画教室アトリエ・クガニールをカフェ・アルマの3階で主宰して4年目を迎える。

私はその絵画教室の始まった時の生徒だったのですが、
3ヶ月目に咽頭ガンを発症し、やむなく退会することになってしまった。
第1期生は4人で、私を除いた3人は美大出身者や
受験者でかなり絵を描いてきた方々だった。
しかし先生は、小学校以来というど素人の
私にも温かく絵の手ほどきをしてくれた。
教え方がとても上手で、光と影をいかに描くかを教えてくれた。
入院中は病室のベットで水彩色鉛筆画を描いて楽しんだ。

あれから3年、この日の講演会には生徒さん達が30名以上集まった。
年配の方々もいたが、圧倒的に若い人達が多い。
絵画教室「クガニール」は大盛況である。
カフェの壁に飾られた生徒達の作品レベルも高い。

この日の講演会は美術史家や評論家の話とは違って、
画家としての目で見た西洋絵画の歴史を辿るという話だった。
60人の画家達を厳選し、その作品について本物を見てきた解説があった。
画家の立場から、美術本には書かれてない興味ある話が満載だった。


その中で、18世紀末から19世紀初頭のイギリスの画家、
ターナーの作品の色使いの美しさが私には一番印象深いものだった。

11 7 20 カルタゴを建設するディド


11 7 20 ターナーベネチアの大運河

ターナーは「光と空気を描いた画家」だといわれます。
海の風景を描いた作品は大自然を広々と捉え、
大気や風の動きまで表現してるのです。

きれいな黄色や水色を使い、
白を多用して光の輝きを明るく表現してるのです。

11 7 20 ターナー機関車

この白について奥秋先生は力を込めて言った。

「油彩は白を塗り重ねることができる材料だけれど、

白を塗るのはペンキ屋さんだ。

画家は白を置きに行くんだ。

決して撫で回して塗りたくってはならない。

あくまでドット(点描)でなければ輝くことはできない。」

11 7 20 ターナー晩年の作品

晩年のターナーの作品は光と空気の抽象へと昇華していく。

後の印象派モネの点描技法などへ影響を与えたのではないだろうか。

なぜ、ドットで描くと光るのだろうか?

絵画を遠くから見たとき、白に格差があるということが

光を生むのではないかと・・・想像してるのだけど。

また先生に会ったら詳しく聞いてみよう。

キッチンのデジタルフォトフレームに入れてるターナーを毎朝見てる。

清々しい夏の朝の光と空気が伝わってくる・・・・・・



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syobu828 at 00:41|PermalinkComments(6)

2011年01月21日

ゴッホ展

1月21日(金)午後。大宰府の九州国立博物館へゴッホ展を観に行った。
ゴッホ展は新聞などで宣伝してたから観に来る人は多い。
評判の絵は人の肩越しにやっとで見るくらい混雑していた。
来月は大宰府の梅の花が咲くから、その頃はもう満員になるだろうね。11 1 21 ゴッホ 自画像

ゴッホは1853年オランダに生まれ、27歳で画家になった。

まだカメラが無い時代、肖像画を描くのが画家の仕事だった。

ゴッホの若き頃の肖描家としての習作も展示されている。

彼はこの頃、人物の表情をリアルに描くデッサンの技を磨いたのだろう。

30歳でパリへ出て、点描派のモネ、シスラー、

印象派のロートレック、ゴーギャン達と知り合い影響を受けた。

35歳で南仏アルルへ移住。南仏の明るい光の下で、

黄色、ブルー、緑など明るい色彩を使い、

絵の具を盛り上げるような力強いタッチで名作を仕上げた。


11 1 21 ゴッホ  アイリスの花日本の浮世絵の影響も受け、日本にあこがれていたらしい。

1890年、精神を病み療養生活を送ったが、37歳でピストル自殺する。

最後は70日間に70枚の絵を描くというほど集中していた。

しかしゴッホが生存中に売れた作品は僅か1品だけ。

没後、真価が認められたというまさに異端の画家。

天才の夭折。 異端もいつか正統になる。

ゴッホといえば、ゴーギャンとの確執から

自分の耳を切り取る「耳切り事件」を起こし、そのことで死ぬまで悩まされ続け

度々精神の発作が起きたという。

Ear Therapyについて興味を持って研究していると、耳を切り落としたことと

精神を病んで自殺したことには因果関係ありと推測してしまう。

それほど耳には神経系統の大切なツボが集中しているのだ。 

11 1 12  耳ポアン作成図 1 001フランス耳介療法を完成させたポール・ノジェ博士の

「耳は胎児を逆さまにした形をし、

全身のツボが集中してる」

という研究発表は誰も気が付かなかった大発見ではないかと思う。




耳ツボ図 逆さまにしてる。たしかに逆さまにして耳の図をみると、なるほどと理解しやすい。

生命の不思議さを思わずにいられない。

 




 


 

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syobu828 at 22:18|PermalinkComments(8)

2011年01月01日

2011年の年頭に

暮れの30日から大晦日は時雨れて、
福岡でも雪が舞い冷たい季節風が吹き荒れた。
2011年の幕開けは寒波襲来の元旦である。


10 12 23  コンサート絵 Asami Imamura最近、水彩画を描いてないので今年の年賀状はどうしようかと迷ってた。

そんな時、笑顔整体の今村さんから11月のアロマ・コンサートの絵が送ってきた。
奥さんの亜沙美さんが描いたものだ。

あの日の皆さんの楽しい表情が描かれ見事な出来栄えです。

参加くださったメンバーの特徴を良くつかみ、誰れそれと名前を当てる楽しみもある。

今村さんに年賀状に使わせて欲しい旨頼んだところ、心地良くOKを頂いた。

新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

28日(火)はフローラルプリメールの忘年会。
フラワーアレンジメンント教室今年最後の授業の後。
鶴川さんの美味しい料理とワインを味わいながら
年の暮れの残された時間がゆっくり過ぎてゆく。
カフェ・プリメールにはベースの練習後に寄って
コーヒー飲んでホット一息つくのが習慣になっていた。
情報交換などいろいろ話を聞いてもらい大変お世話になりました。

31日大晦日。大名のマクロビ料理店「しお菜」へおせち料理を取りに行く。
野菜だけのおせちではあるが上手に作ってある。

午後は今年弾いた曲を思い出しながら、ざっと練習してみた。
もっと落ち着いて冷静に気を配って弾けばよかったと反省する。
来年もベースは続けるだろう・・・・・少し解かってくるとだんだん難しくなるね。

今年もまずは健康第一。

好きなことを楽しんで続けようと思います。

 

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2010年03月01日

線路跡の散歩道

10  2  24  梅光緑道   002福岡市中央区六本松に梅光園緑道という散歩道がある。
僅か1キロメートル程の道であるが、ここはJR筑肥線の廃線跡である。

廃線跡はすべて道路になったんだけど、ここだけは木々を植えて花壇を作り、緑を楽しめる散歩道になってる。

六本松といえば交通渋滞の名所、車を毎日使ってた頃はなんでここだけ歩道になったのかと訝ってたけど、
車離れの昨今、博多駅から姪浜まで線路跡を全部歩道にすればジョギングやマラソン大会にも使え福岡の名所になったのになぁ〜と勝手なことを思う。


10  2  25 梅光園緑道 001今、梅光園緑道の梅が満開。
線路で分断されてた向かいの家々も行き来が自由にできるし、快適な住宅地に生まれ変わってる。

今朝もこの散歩道を通って、1時間の散策を楽しんだところだ。




先日、東京国際自然医学の森下先生の診察を受けた時に、
先生からお聞きした「米国コーネル大学のキャンベル教授のレポート」のことが気になってアマゾンで取り寄せてみた。
「葬られた第二のマクガバン報告ー上巻」というのが本の名前である。

動物性タンパク質を総カロリーの10%から20%に増やしたら、
初期ガンが11倍に増えたという中国人8500人の調査結果です。

10  3  1 キャンベル・レポートそれから、牛乳のタンパク質(カゼイン)が悪い。
カゼインを2倍に増やすとガンは10倍になるという。
ところが植物性タンパク質(大豆、小麦、米)を20%にしても発ガンはしない。

発ガン物質といわれてるアフラトキシン(ピーナッツやトウモロコシについてる真菌類)が悪いのではなく、一緒に食べてる動物性タンパク、乳製品が発ガン物質に変化してるのである。

腫瘍の成長は、アフラトキシンやDDT、亜硝酸塩、ダイオキシン、サッカリン、タール、排気ガスなどなどの従来発ガン物質と言われてきたものの摂取量とは関係なく、タンパク質が動物性か植物性かということに深く関わっている。

動物性食品からの栄養は「腫瘍の成長」を増加させる。

植物性食品は「腫瘍の成長」を減少させる。

キャンベル教授のレポートは10億円近い国家予算を使って1980年代に行われた史上最大の疫学調査をまとめたものですが、
世界の食品業界、医療業界がひっくりかえるようなショッキングな内容であったために、
全マスコミ界、出版業界が世に出ることを黙殺してきた。

それがこの度出版されたわけだから、今年の出版全米NO1になってるわけだ。


10  3  1 牛乳を飲むとガンになる。森下先生は「牛乳を飲むとガンになる」という本を1984年に出版している。
さらに遡って、今から44年前の1966年、「玄米菜食を中心にした研究をやらなければガン対策はできない」と国会で証言している。

しかし、医学界、医薬品業界、食品産業界は森下証言を黙殺し続けてきた。


今やっと、肉食王国アメリカで食事療法でガン死亡数が減少しつつあると言う。

我が国は歴史的に長い間菜食中心の食事をしてきたわけだから、

このことに早く気づいて、ガン対策は食事対策という方向で進んでほしいと思いますね。

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syobu828 at 18:07|PermalinkComments(9)

2010年02月07日

白川君の絵手紙

高校、大学時代の友人白川喜彦君から毎週連続5枚もの絵手紙が送られてきた。
年明けから入院生活を送ってた小生にとって、
この独創的な絵は大いなる励ましになったことは間違いないのだ。

株式会社白川製作所の会長職を続けながら3年ほど前から絵手紙を始め、
夫婦で豪華客船世界周航なんてのをやって外国から送ってきたこともあった。

学生時代の白川君は真面目で努力家、硬派な秀才。
軟派だった小生は、彼のノートを写させてもらって卒業できたようなもん。
大学1年の時、喫茶店へ行ったことないっていうので、(それほど硬い)
小学校時代の友人、岡田秀太郎君のやってる喫茶店へ連れてった。
岡田君は大学へ通いながら新宿で喫茶店を経営してた。

白川君は理工学部を卒業して、後に父上の会社を継いだ。
なにやら、水分ゼロの空気を作る機械を開発したと聴いたが、
それが果たして何になるんだろうと思ってたら・・・・
ICチップやコンピューター、精密光学器械などの工場では100%乾いた空気が必要なんだ。
そんなわけで時代の要請に乗り、会社は急成長、彼は大成功したというわけ。

喫茶店をやってた岡田君も宝石などアクセサリーの会社を興した。
全国の一流デパートと取引し、最近この会社をM&Aで売ってしまい悠々自適だ。
なにやら大学の英文学講座なんてのに通ってるらしいよ。

・・・・・・・白川君の絵手紙・・・・・・・・

10  2  7  白川君の絵手紙 001「カオリンおじさんのひとりごと」しばらく読んでなかったので
2000年10月1日までダウンロードして、今読ませてもらってます。
実にいろいろな分野幅広く手を広げてるいるのに感心しました。
すえながく続けてください・・・・・        白川喜彦


10  2  7  白川君の絵手紙 002貴兄のブログをさかのぼって読んでいます。
日韓海底トンネルのところまで読みました。
200kmのトンネルできたらすごいことですね。
玄米菜食はいいことですね。
私も男の料理教室にかよっていますが、
まだまだレパートリーが少ない状態です。・・・・・・白川喜彦




 

10  2  7  白川君の絵手紙 0032010年1月11日。
横浜赤レンガ倉庫街の大さん橋からスケッチしました。
なかなか思ったようにスケッチできません。
下手は下手なりに・・・・・       白川喜彦

 

 

10  2  7  白川君の絵手紙 004胚が米を圧力釜で炊いてます。
男の料理教室へ通ってます。
肺の手術はうまくいきましたか?
梅干食べてもいいのですね?・・・・・   白川喜彦

 

 

 

 

10  2  7  白川君の絵手紙 005電話ありがとうございました。
梅干はいいということなので「梅雲丹」手配しました。
飲んでみてください。
私も100回噛むことを目標にしました。・・・・白川喜彦





 

 

・・・・・・・・・白川君への手紙・・・・・・・

古梅エキス (梅雲丹) 厳寒の候、お元気でご活動のようですね。
連続して5枚もの傑作絵手紙をお送りくださいましてありがとう。
貴君の類まれな発想法と作風に感心してしまいます。
個性的であるということが作品の決め手であります。
前から岡田、白川は奇人、変人と思ってましたが、
どうも小生も普通じゃないなとこの頃気づいたね。

古梅のエキス「梅雲丹」届きました。
梅は腸に良いということで、毎食梅干を食べ、
ウメケンという梅エキス粒を愛用してました。
「梅雲丹」は飲みやすく味も良し、効能が楽しみであります。
東洋医学によれば、腸と肺は直結してるそうで、腸の健康が要だということです。

ブログに書いてるように肺がんと共生しようと、
昨春より手術を伸ばしてきましたが、
思い切ってこの正月に内視鏡で切り取りました。
只今、診断上はガンはゼロですから、身軽になって、 さっぱりしてます。
再発しないように、玄米菜食と運動は続けていきます。
習い始めたウッドベース、リハビリと思って悪戦苦闘してるよ。

それではまた・・・・・・・  カオリンおじさんより

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2009年11月18日

アンリ・リヴィエール

11月15日(日)、16日(月) 山口県萩温泉へ一泊旅行した。

この夏、南区のタウン情報誌編集長、坂田 吟さんとJazzを聴きに行った時、
すっかり意気投合して秋に温泉旅行でもしようと盛り上がり、
それが、萩温泉へ行くということで実現した。

メンバーは代理店の越沢社長(koshiちゃん)、編集長(吟ちゃん)と小生の3人。
小生は車の運転に専念し、後ろの席で女同士の会話がはずむ。
仕事、家族、趣味、ファッション、食べ物、などなど。
そのおしゃべりを心地よく聴きながら、
高速の美祢インターから地道で萩へ向かう。

リヴィエール 版画今回の旅のメインはアンリ・リヴィエールの展覧会
萩の街の中心にある萩美術館はモダンな近代建築。
フランスの浮世絵師といわれる版画家、アンリ・リヴィエールの版画、リトグラフ、水彩画など130点を集め、彼の全生涯を紹介する展覧会だ。

 

09 11 15 アンリ・リビエール 展 2新聞の広告で見て、その色使いの美しさと優しさに興味を惹かれ出かけてきた。
リヴィエールは19世紀末のジャポニズムに深く影響を受けた芸術家。
北斎や広重の浮世絵に心酔した彼は、ブルターニュ地方の海辺の風景や人々の暮らしを版画や水彩画に描いた。
波や雲、雪、雨、虹など明るい色彩で描いた作風は親しみやすく美しい。

19世紀末のヨーロッパを席捲したジャポニズムは絵画だけでなく、いろんな芸術分野で日本ブームを起こした。
特に1900年のパリ万国博覧会への出品などをきっかけに、日本美術(浮世絵)が注目され、印象派やアール・ヌーボーの作家たちに影響を与えた。
日本美術から影響を受けたアーティストにはマネロートレック、ドガ、ルノワール、モネ、ゴッホ、ピサロゴーギャンクリムトなど数え上げたらきりがない。


ロートレックのポスター日本の影響を抜きにして、ロートレックのリトグラフやポスターについて語ることなど考えられない。
ロートレックの絵は平面の組み合わせで描写され、立体感の表現は全く放棄されている。
人物や物体の輪郭が線で表現されるのも、ジャポニスム以前のヨーロッパではあまり見られない表現方法であった。
色使いも大胆で鮮明な原色が画面のかなりの面積を占めてる.。

吟ちゃんが「リヴィエールは画家というよりイラストレーターよね」と言ったのは的を得てる。
たぶん、それまでのヨーロッパの絵画には日本画の平面的な表現がなかったようである。
とすれば、イラストレーターの原点は我が日本画にあるのではあるまいか。
では、なぜ日本人は立体的に描かなかったのだろうか?これも大いなる謎だ。

とにかく、ジャポニズムはルネッサンスに匹敵する芸術運動だった。
ヨーロッパへ進出した明治の日本人達の活躍はめざましかったことが想像される。

今の時代、失われた20年と言われ停滞気味で元気の無い日本であるが、
明治人の気骨に学び、自信を持って新しいことに挑戦してほしい。

09 11  15  萩温泉 003その中で、エコロジー分野で世界をリードする技術開発が進んでるのは、現代のジャポニズムになる萌芽が感じられ期待できることだ。

日本人の感性と集中力は健在と信じたい。


宿に戻り、窓から海に沈む夕日を眺める。
さっき、美術館で見たリヴィエールの景色がそこに再現される。

今宵は打ち寄せる波の音を聴きながら、一風呂浴びて、美味い料理と美酒に酔う。

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syobu828 at 19:38|PermalinkComments(10)

2009年07月08日

蝋燭の絵

梅雨の晴れ間だろうか。
先週の土曜日(7月3日)は久しぶりに晴れて、夏空が広がった。

夕方から、N氏の別邸で親しい仲間のバーベキューパーティが開かれた。
中小企業家同友会の有志で作った「仁の会」という親睦会の仲間である。
「仁の会」は15年以上前、当時30代〜40代の若い経営者達の勉強会としてスタートした。
その後、勉強は幅広く人生経験を積むという趣旨に変わり、
もっぱら遊びの中に学ぶという楽しい会になって続いてる。

中村邸入り口その間に、各自の事業は山あり谷あり、仲間同士助け合い、励まし合い、この付き合いは長く続いてる。
あの青年実業家も今は立派なオジサン経営者になってる。
会の招集がかかると、まず何を置いてでも皆出てくるから、いつも出席率は良い

「仁の会」を主宰するN氏は、甘木市出身の実業家。
贈答品業から始まって、現在は不動産業などを手広く経営している。福岡県中小企業の実力者でもあり成功者である。

 

中村邸庭この直方市の別邸は敷地600坪。
手入れの行き届いた日本庭園に囲まれた平屋の日本建築。
特に秋の紅葉は見事だというから、そのうちスケッチに来たいものだ。

メンバーの中には、元飲食業を営んでいた人もいるから、料理はお任せ。
二次会は、歌の得意な連中が仕切るカラオケ大会。結局お開きは・・・・・・・午前2時を過ぎていた。

オーナーのN氏は先に帰ったが、残った我々は広い屋敷に泊まった。
朝の目覚めは気持ちよい。檜の風呂に入り、F氏が味噌汁を作った。
苦労を共にしてきた気の置けない仲間で過ごした快適な一晩だった。



大学時代の友人、佐藤君がメールを送ってきた。
奥方がNHK日曜美術館で見た高島野十郎「蝋燭の絵」を気に入り、
そのポストカードを福岡県立美術館で手に入れてほしいということだった。

蝋燭の絵天神の市民会館前の県立美術館へ行ってみる。
野十郎の「蝋燭絵」シリーズは何枚かあり、県美術館はその内2枚を所有してるとのこと。
現在、よそへ貸し出してるが、この秋「野十郎展」を開催するので、その時は本物を見に来ようと楽しみができた。

眦臾扈熟困亙_・久留米の裕福な家に生まれ、東京帝国大学の水産学科を首席で卒業。
将来を嘱望されていたにもかかわらず、独学で絵を学び、すべてを捨ててただ独り描くことに専心した。
家族も持たず、画壇とも一切関わることなく、一つの作品を10年、20年かけて制作。
その異様なまでに濃密な作品が注目されたのは死後のことである。
自給自足の営みの中で、隠者のように生きながら野十郎は何を描こうとしたのだろうか? とNHK日曜美術館では解説している。


「蝋燭の絵」はとても神秘的な絵です。

じっとみていると、自分自身をみつめてるようです。

蝋燭の炎はたえずゆらいで変化しています。

人生は揺らぎなんだ。 強く、弱く。高く、低く。大きく、小さく。

苦労の後に幸せが・・・ 不安のあとに安心が・・・・

病のあとに健康が・・・・波のように繰り返しやってくる。


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2009年06月08日

美しき棚(たな)田

佐賀県の西、玄海町に日本棚田百選に選ばれた
美しい棚田があるというので、実際に見てみようと出かけた。
福岡から50km、玄海原子力発電所の近く、濱野浦ののことである。

玄海町 濱野浦の棚田と展望台棚田というのは、急傾斜地につくられたひな壇のような棚状の田んぼのこと。
江戸時代、平坦地の無い藩では石高を増やすためこうやって山間地まで耕した。
ここ濱野浦のような入り江には、漁港近くの山に漁民の主食用の棚田がつくられることが多かったのだ。

しかし棚田の耕作には農機具や肥料を運ぶのに労力が要る。
狭いので機械化は困難、すべて人力に頼らなければならない。
田の水も雨水や湧水、溜池(ためいけ)に頼るしかないという。
耕作の効率は平地に比べ低く、農業人口が高齢化してる現在では棚田の耕作は減少してる。

玄海町 仮屋漁港棚田は日本独自のものではなく、フィりピン、ベトナム、
中国など東南アジアの米作地帯で大規模な棚田がみられる。
それらの写真を見ると、あぜ道と水田のコントラストが抽象的な文様を描き、
長い年月かかって作られた美しい棚田の風景を見せてくれる。

玄海町の西岸は東シナ海と向き合い、日没の夕日で海は赤く染まる。
濱野浦も日没のがお目当てである。
午後6時頃到着し、車中でおにぎりを食べ、日没を待つ。
いつのまにか、人が増えてきて、もう100人以上はいるだろう。
一眼レフをかまえる写真マニアや、携帯で瞬間を撮ろうという若いカップルまで様々。

日没の濱野浦棚田いよいよ午後7時過ぎ、夕日が東シナ海に沈みはじめる。
田植えが終わったばかりの田に夕日が反射して、幻想的な景色が出現する。
シャッターの音がカシャ、カシャと鳴り続ける。
「ウワーッきれいね・・・・」という数分間の「太陽と海と田のドラマ」である。
つぎの瞬間、あたりはもう真っ暗、沖の漁船のいさり火が遠く光るだけ。
田舎の夜は何も無い。長く暗い闇だけだ。

 

 

ゼミ卒業写真6月3日、大学のゼミ仲間だった佐藤昌義君が東京からやって来た。
彼は学生時代から優秀で、一流企業で活躍し、一時福岡支店にも居た。
現役時代には会うことも少なかったけど、定年後は毎年一回訪ねてくれる。
そして、先生やゼミ仲間連中の近況を伝えてくれる。

彼の趣味はいろいろあるんだけど、
音楽聴くのが好き、コレクターという点で二人とも一致する。
彼はPOPS界を広く、小生はJazzと、分野は違うけど・・・
彼の得意なのは、スタンダード曲を歌手別に分類してCD化してること。
例えば、「Fly me to the moon」なら20人以上の歌手を比べることができる。
毎回、小生の好きな曲別、歌手別のオリジナルCDを作って来てくれる。

いつもは彼が福岡で行きつけだった居酒屋で飲むんだけど、
小生が食事療法中なので、オジイサン二人マクロビ料理屋で旧交を温める。

Melody9月5日の「Tokyo Jazz Festival」に MELODY・GARDOT(今人気の女性ボーカル)がでるぜ。
思いきって見に行こうか。と誘うと・・・・「よし行こう・行こう」と勢いがでる。
6月6日朝10時にチケット発売。ネットは混雑したけど、運よくGETできた。

今年は2回会うことになる。福岡と東京で。
彼は毎回、意味深い言葉を残していく・・・・
前回はドイツの詩人シラーの言葉だった。

未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のように速く飛び去り
過去は永久に静かに立っている。

今回は、写真家 土門 拳 の言葉。

気力はに、生活力はに、そして教養はに出る。

ファインダー越しに多くの人を凝視してきた写真家の言葉だ。

目を輝かせ、たくましく生き、静かに語ろう。

闘病中の小生にとって、これは着実な目標になる。

うれしいプレゼントを置いて佐藤君は帰っていった。

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syobu828 at 07:33|PermalinkComments(10)

2009年06月01日

麦の秋

今頃の季節、5月の終わりから6月の初め頃を麦の秋と言って、
俳句や手紙の季語に使われることがある。
元々「秋」という字は季節を表す言葉ではなく、「収穫」を意味する言葉である。
だから麦秋(ばくしゅう)が初夏の季語でもよいわけだ。

新緑の季節、周りの木々は緑に輝いてる中で、
黄褐色に色付いた麦畑のコントラストが鮮やかに目に焼きつく。

福岡郊外の麦の秋 09・5・27私の子供の頃を思うと、この季節は麦刈りが盛んで、今より麦畑がずっと多かったように記憶してる。
日本の麦は、秋に種まき、冬に麦踏み、そして5月の終わりに収穫されてた。
麦の収穫後に稲の田植えが行われ、
米(コメ)の収穫後に麦の種まきという米麦の二毛作体系である。
二毛作は狭い耕地を有効に活用する日本農業の知恵だった。


この二毛作体系が崩れてしまったのは、
日本の産業構造が農業から工業や商業へ変化し、
農業が衰退してきたというのが原因であろう。
さらに「減反制度」という農業政策の失敗も拍車をかけてきたように思う。
今や麦畑には、米が作れないから仕方なく麦を植えようかという諦めのようなものが感じられる。


政府も、食料の自給率を上げるため「減反見直し奨励金廃止」の方向を打ち出してる。
奨励金や補助金など安易な保護政策を続け、将来性のある農業を作り上げてこなかったために
他の産業と比べて農業は依然として零細化のままである。
専業農家は激減し、ほとんど農業は週末の片手間という兼業組ばかりである。
これでは効率も悪く、輸入品と価格で太刀打ちできない。
だから、補助金というどうしようもないジレンマに陥ってるのだ。


百笑倶楽部 田中大輔さん私の所へ毎月無農薬の玄米を配達してくれる
田主丸の百笑倶楽部の田中大輔さんは農協に頼らず専業として堂々と農業をやってる。
有機栽培という独自の方法をあみだし、お客さんに農業体験してもらいファンを作り、
企業家的採算性を考えて生産量、価格は自分で決め、「夫婦米」というブランドは評判が良い。
彼は作りたい物を自由に作り、減反政策とは全く無縁である。
いつも明るく笑顔の大ちゃんをみてると、彼のような若者が農業を復活してくれるのではと期待してしまう。

 

メロディ・ガルドー2009年東京ジャズフェスティバル(9月4日〜9月6日)に
人気の女性シンガー、メロディ・ガルドーが初来日すると日経にでていた。
さっそく、Merody.Gardot の「My one and only thrill」を聴いてみる。
ノラ・ジョンーズに続く、若いJazzの担い手。
心地よい柔らかく繊細なボイス。
なんでもガルドーは交通事故の後遺症のため
病院のベッドで吹き込んだオリジナル曲がデビューのきっかけだという。

 

コーチの絵 博多港小生が昨年入院中に親しくなった「コーチ」ことUさんから、
このブログのコメント欄に絵が届いたのでUPします。
Iphoneいう評判の携帯を使い、指でなぞるとこんな絵が描けるらしい。
Uさんのセンスだろうけど、上手にデフォルメされ、特に線は力がある。



コーチの絵 渡り鳥ヘラサギ「コーチ」というペンネームは、彼が中学校女子のテニスコーチをしてるから。
もちろんボランティア・無料奉仕である・・・・・

若いとき5年位、アメリカに遊学し、英語は上手い。
映画は字幕を見ないでもOKだという。
昨年、友人の英語の先生と赤坂ケヤキ通りにカフェーバーを開店したりもした。

髭をたくわえた「コーチ」の風貌とライフスタイルは
まさに風流人・自由人である。

 

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2009年04月03日

早春の筑後川

月曜日(3月30日) 風はまだ冷たいが日差しは暖かい。
代理店のKさんのお誘いで筑後川の原鶴温泉へ出かけた。

Kさんは昨年お父上を亡くされ、この日はお母様と一緒に命日のお墓参りだった。
小生も同道して東区の新宮霊園へお参りした。霊園の桜が満開で見事。
ここからは博多湾から遠く玄界灘を一望することができる。

早春の筑後川その後高速道路で筑後の朝倉まで行き、原鶴温泉へ向かった。
筑後川沿いの田主丸、甘木、吉井の町は葡萄、柿など果物や植木の産地。
もちろん筑後川の豊富な水を利用して米作りや野菜など農業も盛んだ。
星野村や八女は銘茶の産地。
どこの農家も大きな建物で筑後地方の豊かさと明るさを表してる。

吉井は古くからの宿場町で昔の白壁の商家が保存され、雛人形で有名だ。
そして原鶴温泉、筑後川温泉、日田、天瀬と湯布院まで温泉が続く。
原鶴は福岡から高速で40分くらいだから日帰りで行ける。

ホシハジロ (カモの仲間)潜水して魚を捕る今回は去年の2月妹夫婦達と写生に来た旅館の隣。
六峰館という老舗の旅館で昼食を頂いた。
筑後川を眺めながらゆっくりとくつろぐ春の午後である。
こちらは桜よりも河川敷の黄色い菜の花が見事だ。
食後は屋上の露天風呂でさらに手足を伸ばす・・・・・
あぁ〜良い気分だ。




帰ってからネットで筑後川を検索してみる・・・・・

そのひとつは蜂の巣城紛争である。
筑後川には多くのダムが建設されたが、
公共事業は開発が優先され、住民が犠牲になることが多かった。
松原ダム、下筌ダム建設をめぐって住民が反発。
室原知幸を中心に蜂の巣城に籠城し流血事件が起こり社会問題化した。
室原の死後、「水源地域対策特別措置法」ができ住民への補償が重視されるようになった。
室原らの蜂起は河川行政の転換点になったのだ。

現在でも木曽川の開発をめぐって、大阪府や京都府、滋賀県などの知事が
ダム建設差し止めを決断している。



筑後大堰全景もうひとつは日本住血吸虫症のこと。
筑後川流域や利根川流域は昔から日本住血吸虫症の多いところ。
住血吸虫症というのはミヤイリガイという巻貝を中間宿主として河水に入ったヒトなど哺乳動物に皮膚より寄生し、肝硬変などを起こし死に至らしめる。
この撲滅には、河川敷の護岸工事をして、ススキを刈り取り、ミヤイリガイの生息ができないようにした。
1984年(昭和59年)に完成した筑後大堰によって、
日本住血吸虫症を完全に撲滅させることに成功し、現在同疾患は国内に存在しない。
筑後川の自然を護れということで賛否が問われていた筑後大堰の建設には住血吸虫撲滅という輝かしい成果があったのだ。

ダイサギ 白鷺のなかで一番大きく優雅地域開発には住民補償や自然保護という相反する命題をいかにバランスよく調和させるかということが問題だ。

筑後川の鳥達も何か言いたいのだろうな。
彼らの目が訴えてるように思えるのですがね・・・・

 


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2008年11月09日

色鉛筆画を飾る

3ヶ月前から、暇をみつけて描いてきた色鉛筆画がだいぶたまってきたので、
気に入ったものを何枚か額に入れてみようと思い立って、
新天町の額縁屋(かねしょう)さんへ出かけた。
専門家が額を選んでピシッと入れると、
「孫にも衣装」のたとえ通り、素人の絵もだいぶ見栄えが良くなる。

三越とソラリアステージその帰り道、ソラリアステージの大賀薬局へ寄ってみた。
この店には、粘土洗顔を使ったシェービングエステのサロンがあるのです。
もう始めてから8年くらいになる。
テレビや雑誌にも紹介され、現在3室、3ベットで予約が一杯。
もちろん、ルナレーナ化粧品の販売も行われてる。

大賀薬局 ソラリアステージ店そこで、額装された絵を見せたところ、
各部屋に飾ってくれることになった。
海や河、池など水辺の風景画が主なので、
お客様にリラックスしていただく助けに多少ともなれるかもしれない。
私としては、社員の皆さんが忙しく働いてる応援ができればという気持ちなのです。



大賀薬局 けやき通り店ソラリアの若い人達が好感もってくれたので、こちらも自信をつけて、福岡市の8軒のお店を回ってみようと決心し、先週は各店に絵を飾っていただいたのです。
描くほうも見て頂く人がいると思うとこれからの希望が湧く。


けやき通り店の池田店長さんには絵を選んでいただいた。
「以前、描いていたのに、この頃は忙しくて時間が無いんですよ」
とまた水彩画を再開したいとおっしゃってた。
センスの良い方だから、どんな作風なのか楽しみです。


大賀薬局 二日市店突然、「今日はちょっと絵を持ってきたのですが」と訪ねていくわけだから、
図図しいというか、相手はちょっとした驚き、戸惑いでもありますよね。
それでも、「ハプニングってのもあつていいか」と思ってる。
二日市店の山崎さんに久しぶりに会った。
この日も予約で忙しく、2時間程二日市温泉の町をぶらぶらして、彼女の手の空くのを待った。商売繁盛大いに結構ですね。


木馬and大賀ファーマシー 博多駅前 昨年の11月から始めた社内独立という個人事業者第1号の材木さん(大賀薬局 博多駅前店)も忙しく働いてた。
その後、第2、第3と何人もの個人事業者が誕生している。

自分の工夫と責任で生きるたくましさが印象に残る。
以前はやせすぎで心配したけど、体重も62kgになり体調も良いと見た。

金融危機なんて世間は大騒ぎしてるけど、
真面目に人に喜ばれる仕事してる人にとっては心配要らないと思った。

ぜひ、若い人達も自信を付けたら独立して欲しい。
それは、今起こってるいろんな事柄を自身の体で体験できるから、
ほんとに生きがいのある人生になると確信する。



さて、次回は独立して、オーナーとして活躍してる人達と店舗を紹介します。
お楽しみに・・・・・・・

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2008年11月01日

津屋崎の海

3年ほど前、小学校以来の友人O君が訪ねてきたので、
海でも見に行こうと福岡から30km北東にある津屋崎(つやざき)まで出かけた。

まだ春先の寒い時分だったと記憶してる。
昼食をとろうと「正直亭」という古い割烹旅館に上がると、
「料理ができるまで一風呂浴びたらどうですか」という。
屋上の大浴場に浸かり海を眺めた。
あの時のビールと魚は旨かった。

津屋崎海岸その時、O君が「津屋崎って湘南の海に近い感じだな」と言った。
弓張り状に広がった海岸線は
鎌倉、逗子、葉山の海岸に似てるかもしれん。

車で1時間も走れば、
海へも山へも行けるところが福岡の良いところ。
「東京の場合はこうはいかないよ」
「大渋滞を覚悟しなきゃならないぜ」と、O君はすっかり福岡を気に入ってる。


そんな話を思い出しながら久しぶりに津屋崎へ行ってみた。

津屋崎漁港津屋崎の北の端は入り江になっていて、漁港と魚市場がある。
漁船や釣り船が舫われ、魚網と魚の臭いがプーンとする。

かってこの町の若者の憧れだった県立水産高校もまだ健在だ。
入り江の対岸にはきれいな病院などが立ち並び、
その先には新しくヨットハーバーが出来た。
港は漁船よりヨットやモータークルーザーで満杯だ。
時代によって魚港もだんだん様変わりしていく。

津屋崎は古くから筑前を代表する港町であり、
江戸時代には福岡藩の外港として全国から産物が集まり、
港から街中まで商家が連なって、「津屋崎千軒」といわれるほど賑わったという。
今でも、酒造家の白壁や酒蔵などに町並みの跡はひっそり残ってる。


原田人形店 「太鼓乗り酉」と鼠その中に「津屋崎人形」の店が2軒ある。
土を素焼きし着色した十二支の素朴な人形だ。

手に取るとやさしい土の肌触りに、なにか懐かしい郷愁を覚える。
平成5年の酉年に、土鈴の「太鼓乗り酉」が年賀切手になった。
原田半蔵人形店の創業は240年前。
店主原田半宗さんは伝統を守る6代目だ。


3年前、鶏の土鈴を買い求めて、その鮮やかなトサカを見て、保湿剤ヒアルロン酸のことを書いた。
しつとり潤う美容液成分ヒアルロン酸は、初めは鶏のトサカから抽出されていた貴重品だった。
今ではバイオで大量に作れるようになったけれど。



津屋崎は魚だ。近所には魚を食べさせる料理屋や割烹旅館が何軒かある。
その中の一軒、「花靖(はなしょう)」で名物のウニ丼を食べた。
評判どおり山盛りのウニと刺身は新鮮で旨い。。



津屋崎 海岸の喫茶店さて、帰り道は松林に沿って海岸通りをゆっくり南へ回る。

海辺に「CHIPS」という洒落た喫茶店が見える。
白い建物と真っ青な海のコントラストが美しい。




温かいカフェオレを飲みながら、キラキラ輝く海を眺めていた。

浜の白砂と波の音。
「クヮ〜ク〜ギ〜」とカモメの鳴き声が聴こえる・・・・静かな秋の海。

 

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2008年10月16日

リバーサイド

博多の街をリバーサイドから見てみようと、中州の那珂川河畔を歩いた。
日本語ではRiverは川と河があるが、
川は野山や田畑のある田園風景を流れる清流の感じである。
一方、河はもう海に近く、その幅は広く、街中をゆったり流れてる。


そしてリバーサイドを河岸(かし)と言うと、
河沿いに住む町人衆の粋な暮らしが目に浮かぶ。

那珂川那珂川はここ中洲で二股に分かれて、ゆったりと海にそそぐ大きな河である。
昔、船で荷を運んでいた名残だろうか、商店の裏は船着場の跡がある。
年配の人達に訊くと、この河で泳いだり、魚を釣ったり、ボート遊びをしたらしい。


昭和40年代以降、生活排水として合成洗剤が各地の河へ流れ込み、
魚やカニ、その他生き物は全滅し、河はドブ河になって死に、悪臭を放った。

洗剤メーカーは、洗剤が魚のエラに吸着し、
窒息死させるという「魚毒性」について、口をつぐんでいる。
これは、洗剤の毒性を示すなによりの証拠である。

この頃、市街地の河で魚が釣れたり、水がきれいになってきたのは、
各都市で下水が完備し、生活排水や洗剤が河へ流れなくなったからである。


旧福岡県公会堂貴賓館中州と天神を結ぶ「ふれあい橋」の袂に、洒落た洋館がある。
明治43年(1910年)に建てられた、旧福岡県公会堂貴賓館である。
九州沖縄8県連合共進会という博覧会が開かれ、その貴賓館として、皇太子殿下(昭和天皇)もお泊りになった。
フランスロマネスク調の美しい木造建築である。
床、壁、天井、カーテン、シャンデリアなど内部の装飾も美しい。


旧日本生命福岡支店さらに、300m下流へ行くと、旧日本生命福岡支店の赤レンガの洋館がある。
明治42年に建てられ、今は福岡市の文学館として使われてる。
こちらは、イギリス風のがっしりしたたたずまい。
東京駅を設計した辰野金吾氏の作品である。
どちらも、築後100年にならんとする建物であるが、手入れが良かったのであろう、今でもしっかりしてる。

リバーサイドから眺める風景に花をそえてくれる美しい河畔の建物である。

二股に分かれたもう一方の流れ沿いには、高級ブランドの店を集めた「リバレイン」や
老舗デパート玉屋の跡地に建ったイベントビル「ゲイツ」がある。

リバレインこのあたりは、リバーサイド開発ということで、河畔が現代的に整備されてる。
ところが、商業的にはなかなか苦しいようで、テナントはしょっちゅう入れ替わってる。

果たしてこの建物が100年後も残ってるだろうか。


3セク
でいろいろ都市計画がなされてるようであるが、
人の住む街は生き物のように自然に発展し変遷していくもの。

人工的な箱物を建てれば良いというもんではないんだね。

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2008年10月08日

駕与丁(かよいちょう)公園とバラ

入院中は歩いて30分の西南社湖畔公園へ毎朝散歩に出かけてたのですが、
同室の方が、「糟屋町に駕与丁(かよいちょう)公園という綺麗な公園がありますよ」
と教えてくれたので、秋晴れの日を選んで行ってみた。

場所は、福岡から篠栗へ行く途中の長者原を右に入った所、粕屋町役場の立派な建物が見えると、視界が開け、道は公園の池に沿って、粕屋ドームという体育館の駐車場へと続いてる。

駕与丁公園 002水を満々と溜めた池は広くてきれいだ。
湖面を渡る秋風が気持ち良い。
池の周りの木々はもうそろそろ紅葉の仕度を始めてる。
11月になったら、楓や銀杏が赤や黄に色付いてきれいだろうと目に浮かぶ。

 

長い橋を渡ってフラワーガーデンへ行ってみる。
このフラワーガーデンのバラ園が有名なのです。
バラの最盛期は5月だけれど、この10月でも花は楽しめる。

駕与丁公園 のバラ園バラの品種は何百種類もあるようだ。
色も赤、白、ピンク、オレンジ、黄と何色もある。

日本では、花束や生花として観賞用にバラは使われてるが、西洋では観賞用としての価値だけでなく、香りの良いダマスクスローズという品種を香料として用いたり、アロマセラピーとして健康法に使ってる。


その起源は古代エジプト時代
クレオパトラは床に30cmものバラの花びらを敷きつめたというし、
バラを蒸留して香水をつくり、風呂に入れたり、
化粧に使ったり、贈りものなどにもした。 

このダマスクスローズという花びらの小さなピンクのバラは、
シリアの首都ダマスカスを起源としてると言われてるが、
中近東で広く栽培され、香料、飲用、お菓子の香り付けなど日常の生活に使われてる。

特にブルガリヤ産のローズオイルが品質は最高と定評があり、フランスに輸出される。
ブルガリヤのバラの谷といわれる地方が栽培に適してることもあり、
国策産業に指定され、毎年5月〜6月には一斉に収穫する。

1kgのローズオイルを採るためには4トンの花びらが要ると言われる。
良質なローズオイルは金に匹敵するくらい高価なのだ。
天然の香料(揮発性物質テルペン)は自然志向に乗って、
今後益々需要があると予想され、国も援助している。

駕与丁公園 003さて、これはある美容家の余談ですが・・・・

ローズオイルには女性ホルモン様の働きがあるようで、
肌の若返り作用があると言われてる。
そこでもし、ローズオイルの香りが、すごくいい匂いと感じる時は、女性ホルモン不足か 更年期一歩手前か、よほど疲れてると言えるかもしれないという説。

10代20代の若い子がこれを嗅いでも、
「なにこれ」という反応で、だれ一人いい匂いって言わないらしい。
足りてる人には不要ということなんだろうね。

最後に、「綺麗なものには棘がある」と言われるバラの棘はなんのためか?
〜霓動物から食べられないように守るため?
▲丱蕕呂弔襪里茲Δ雰圓鬚靴討襪ら、他の植物に絡みつくため?
どうも△正解のようであります・・・・・・


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2008年10月01日

博多ウォーターフロント

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、
9月も終わりになるとすっかり秋らしくなってきた。
あちこちでコスモスの花が咲いてる。
風が涼しく気持ち良い。空は青く澄み切って雲が流れる。

まだ、今月も自宅療養の身分ではあるが、あちこちと出かけて、
気に入った景色を見つけて写生など楽しんでる。

博多港 埠頭博多のウォーターフロントを探検してみようと、
海辺を周ってみた。
前回は西のマリノアヨットハーバーと西公園下の造船所だった。
今回は博多港中央埠頭へ行ってみた。
港はすごく広い、埠頭には倉庫が延々と連なってる。



この海の向こうは中国大陸へとつながる。
博多は地理的に大昔から大陸との関係が位置づけられる。

対馬海峡博多から韓国の釜山まで僅か200kmしかない。
博多から壱岐の島までが50km
壱岐から対馬厳原までが50km
厳原から対馬北端までが50km
対馬北端から釜山までが50km






釜山から、対馬、壱岐と島伝いに小船でも渡ってこられる距離なのだ。
30年前、参加した釜山ー博多ヨットレースでは往路は嵐に遭ったが、
復路は順風で12時間位でゴールしたと記憶してる。
対馬の北端からは、韓国がはっきり見えるのだ。


博多港の歴史について調べてみると、
紀元1世紀にこの博多の地に「奴」という国があり、
その奴国はすでに中国大陸との交流を行っていた。
「魏志倭人伝」には大陸と博多の関係が記述されてる。

邪馬台国(吉野ヶ里遺跡)魏志倭人伝によれば、
女王卑弥呼の都(邪馬台国)が在ったと記されている。
しかしこの邪馬台国の場所について、九州説と大和説があり、
今なおその場所について、完全な一致を見ていない。


 

博多港がかつて那の津と呼ばれていた遣唐使の時代、
外国使節の応接の場と宿泊所を兼ねた鴻臚館とよばれる迎賓館が設けられていた。
12世紀の博多には、袖の湊と呼ばれる人工の港があったといわれ、
中国人街ができて、禅宗が中国からもたらされ禅寺が沢山出来た。

江戸時代、鎖国のために博多港は衰退してしまうが、明治になって国際貿易港として再興される。

日韓海底トンネル」という構想が韓国で話題になってるようである。
2008年、世界NO1のトンネルは青函トンネルの54km。英仏海峡トンネルは50km。
日韓海底トンネルも技術的には可能だろうけど、経済的、政治的に成り立つのだろうか?
それよりも、両国の国民がもっと仲良くならなくては実現は無理だね。



博多漁港今、博多湾ではアイランドシティという東部の大規模な埋め立てが進んでる。

都市開発と自然保護をどういう形で調和させるのか難しいところだ。

工事はだいぶ進んで、マンションや住宅にはもう住人が住みはじめてる。

潮風と光のウォーターフロント生活とはどんなものだろうか?


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2008年09月22日

初秋の海辺

入院中は西南社の森や池などを巡る早朝の散歩を楽しんでいた。
それができたのは、消灯が午後10時、起床6時、
朝食7時半という時間割のお陰だと思ってる。

マリノア ヨットハーバー桟橋退院して、ぼつぼつ自転車で近所へ出かけている。
秋の海辺をみてみようと、
20分位で福岡市西区の小戸へ行ってみた。

さらに、隣のマリノアのヨットハーバーへも寄ってみた。
大型の船が係留されて、平日は静かで人影も無い。
向こう岸に女学校の赤い屋根が見える。


マリノア ヨットハーバーもう30年以上も前のことだけれど、
ヨットに夢中になり、家業もそこのけで家族に迷惑をかけた。
その頃はまだ、ハーバーなどというものは無く、
西区のはずれ今津の漁港に船を預けて、
親切な漁師さんに面倒をみてもらった。




クルージングヨットの船底には、
船体の重さの30〜50%ほどのキールという鋳物の重りがぶら下っている。
これが、深さ1m〜2mもあるので、港のように深いところでないと係留できない。

クルージングヨットのキール(鋳物の重り)しかしキールのおかげで、船の横流れを防ぎ、ヨットは風上にも進める。
また強風で船が90度以上横倒しになっても、復元するから沈没しない。

私も何回か玄界灘の嵐で怖い目にあったが、
船の安定性や復元性は良く出来てるものだと信頼していた。

小さなヨットで、太洋を渡った冒険家達の航海記を読めば、海には夢とロマンがある。



福岡造船所翌日は、長浜の魚市場や西公園の漁港の方へ回ってみた。
港の回りに船具屋が並び、福岡造船所のドックが見えた。
丁度、赤い大きな船がドックに入っている。
この風景は古い造船所の建物や係留してる漁船などが入り組んで、
波止場の活気や情緒があり、海の臭いがして、初秋の海辺の風を感じた。


港は古今から、新しいものが入ってくるところであり、
また世界へ出てゆくところでもある。
神戸、横浜、長崎など全国の港町に旅情を感じるのは
そんな風情のせいだろうか。

博多も商人の町として、天然の良港として繁盛してきたのだ。
しばらく、博多のウオーターフロントを探索してみようと思う。

東浜の方には、税関や外国船の岸壁もある。
レンガ造りの古い商船会社なども残ってるかもしれないな・・・・

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2008年07月19日

ユトリロのVとは

哀愁に満ちたモンマルトルの風景画を描いた
モーリス・ユトリロの画集を眺めていた。
1998年、大分で開かれたユトリロ展の100点余りの画集である。

ユトリロの画集巻頭の解説で、監修者ジャン・ファブリスは述べている。
「ユトリロの芸術を理解するためには、何よりもまず、
暗い陰がつきまとうユトリロの複雑な出自を探る必要がある」
というのは、絵のサインMourice  Utrillo.  V. 
は、
母親シュザンヌ・ヴァラドンVであり、
彼は若い頃、モーリス・ヴァラドンと母方の姓を名乗っていた。

ブーシバルのダンス  ルノアール作ユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドンは、
薄幸な私生児で生まれたのですが、
16歳で絵のモデルとして見出された。
ルノワールも彼女をモデルにして、「ブージュバルの舞踏会」など名作を残してる。

ロートレックのモデルもして、彼に求婚されたほどだった。
彼女はモデルであると同時に、しばしば愛人になっていた才能ある画家達を見よう見真似で、自らも絵を描きはじめた。
彼女の力強い線画はドガを驚かすほど、デッサンの名手だった。


18才の時に、モーリスを生んだのですが、
誰が父親なのかは明かさなかった。
シュザンヌは美人で、男達を翻弄し続けていた。

シーツを手にした女  シュザンヌ・ヴァラドン作音楽家サティとの熱烈な恋愛、銀行資産家との結婚、
さらに、20歳も若いユッテルという画家と結婚し、
油彩画の名作を残している。
シュザンヌ・ヴェラドンは奔放な女の一生を全うした。

ある時、昔の恋人だったスペイン人のユトリロが、
父親としてモーリスを認知し、モーリス・ユトリロと届け出た。
モーリスは祖母に育てられ、母恋しさをワインでまぎらわし、18才でアルコール中毒になり精神病院に収容される始末だった。

母の愛を求めるモーリスは、
アルコールから遠ざかるために、自己流で絵を始めた。
絵で母に注目されたいという願望の一途で。

ユトリロは誰にも教えられず、習わず、
独自の遠近法モンマルトルの風景画を描き続けた。
他の土地には関心が無かったし、静物画や人物画も無い。
ただいつもワインに酔い、あの白い壁や石畳を描いた。

しかし、モンマルトルの街で母と二人だけで住みたいという
ユトリロの願いは終生かなえられなかった。


彼は50才の時に20才年上の女性と結婚した。
シュザンヌ・ヴァラドンは20才も若いユッテルと暮らしていたのに。

ついに絵画における母親との最終的な競争に彼は勝利する。

その母に、彼は、「女神のように崇拝している聖女だった」という言葉を残してる。

天才の出現には、凡人には計り知れない、
すごいドラマがあるもんだなぁ〜。
果たして、ヴァラドンの Vなくして、
ユトリロ の名作はありえただろうか?

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syobu828 at 06:05|PermalinkComments(6)

2008年07月12日

ル・パスタン

「鬼平犯科帳」 「剣客商売」 「仕掛人梅安」は
TVや映画にもなってるから、
小説を読まない人でも、池波正太郎の名は知っている。

「大衆文学の新しいヒーローを創りだし、時代小説の中に男の生き方を活写、
読者の圧倒的支持を得た。」として第36回菊池寛賞を受けた。

かくなる私も何年か前まで、
池波正太郎の時代小説は読んだことがなかったのである。
しかし梅安のTVは観ていた。

ル・パスタン 池波正太郎あるときこの作家のエッセーを何冊か読んで、
小説家としての生き方以上に、
自然で粋な日常の暮らし方に興味を持った。

そのエッセーの代表作というか私のお気に入りが、
「ル・パスタン」である。

「ル・パスタン Le passe-temps」とは、
直訳すれば「過ぎ去ってしまった時」という意味であるが、
「楽しかった時」というふうにとったほうが良いと思う。

ポール・ニューマン池波氏にとって楽しい時というのは・・・・
旨い物を食べて、旨い酒を飲むこと。
東京の下町に生まれ、芝居見物に連れてってもらった子供の頃、
証券会社時代の旨いもの。フランスの旨い物。
この頃行き着けの旨い店・・・食通の人には興味ある内容だ。

それから、映画、芝居、フランス旅行の話。

池波正太郎が読者を楽しい旅に連れてってくれる。

私がこの本を大切にしてるのは、
池波正太郎の水彩、パステル画が挿絵として
一話一話に描かれてるからなのです。

「ル・パスタン」はエッセーというよりも、
「画文集」と言った方が適切であろう。大人の紙芝居である。
作者直筆の絵があると、読者の想像力はさらに広がる。


ポートレイト イン ジャズ 1画文集(エッセーと絵)として、私の気に入りのものがもうひとつある。

それは、「ポートレイト イン ジャズ」という2冊である。、
和田 誠が50人のジャズマンの肖像画を描き、
村上春樹がその絵を見て、エッセーを書いている。

 

 

ポートレイト イン ジャズ 2Jazzが好きな人はもう夢中になって読んでしまうと思うが、
誰が読んでも絵とエッセーの組み合わせを楽しむことができる。
たぶん、Jazzをこんなに美しく書いた文章は今までにないと思いますよ。

私は、「ル・パスタン」と「ポートレイト・・・」を
初めは文庫本で手に入れたんですが、
すぐに、絵が大きくてきれいな単行本で買いなおし、
身近に置いては、時々眺めて楽しんでる。

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