なんか連続でガンガン投稿している転枝です。
とはいうのも自分の書いていた小説四万文字が、没になり死にたくなり現実逃避したくなりこんなことをしているのです。ただこの逃避行はかなり自分にとって良い循環というか、デトックス効果をもたらしてくれているのが分かります。人の話を聞く(読む)というのは、やはり意味があるのだなと思う今日この頃でございます。僕もちゃんと話を聞ける人間になりたいものです。
という訳で、今回は梔子花さん(サークル名は「謂はぬ色」)の書かれた『夕立』という作品について喋ります。昨日と同じくである調でございます。
こちらの『夕立』ですが、実は読んだ時期自体は結構前です。なんなら本人にも感想を伝えていたりするのですが、今回は夏のコミティア前ということで、改めて感想をつづりたいなと。そう、夏にぴったりの青春小説、それが『夕立』なのです。
「なにがしたいんだ」と問われて、やりたいことを十個以上瞬時に思い浮かべられる人間がどれだけいるだろうか。したいことを問うということは、その実選択肢の中に人を引きずり込む。やりたいことが何も無いという回答を出すことを許さないという意思がその問いの中に含まれているという問題を、『夕立』は鋭く提起する。主人公であるミホは、高校二年生の夏にそのような問題に直面する。自分が本当は何をしたいのか、何ができるのか、何も分からないまま彼女は夏休みの間、親戚の瑠衣子という片田舎に住むアラサーの女性の下に転がり込んでいく。
それから夏休みの間に彼女が経験することは、衝撃もあれば年相応の甘酸っぱさを見せたりと多岐にわたっていく。とある男性との出会いからが大きな転換点となっているのだが、その直前、ミホが瑠衣子の手伝いとして赴いた障碍者が利用する「作業所」の場面が非常に強烈な印象を与えるものとなっている。詳しい描写は省くが、ミホの世界の狭さを実感させられるシーンとして前半に登場するこの場面、後半以降ここまで障碍者施設がフィーチャーされる場面は存在しないが、このリアリティのある表現は読了後まで尾を引くアクセントになっている。最初にここで叩きつけられた現実は、解決することなく存在し続ける。ミホにとってどうにもできないことは、作品が終わってなおどうにもできないままなのだ。人の気持ちが変わっても、即座に世界が変質するわけではないというどうしようもなさ、甘く展開しているようでこの作品が描く「リアル」は冷たいほどそこに存在し続けている。
であるからこそ、物語の効能として主人公の恋愛が進展していくという流れは許容される。現実を描いたあとフィクションが展開されるという「救済」は、現実ではほとんどありえないかもしれないようなことかもしれない。そう、物語にしか描けないのはそういう類の「救済」である。付属されていたペーパーを見れば、この作品に描かれた人間関係の闇や、障碍者関連の描写が作者にとって身近な問題であった(もしくは「ある」?)ということは、想像に難くない。その当の本人が夢を語ったということに意味があるのだろう。大江健三郎の『個人的な体験』も、障碍者との向き合い方に注目した作品だといえる。というか、そのものであっただろう。愛と障碍、この接続が見せる残酷さと夢のような世界は、日本文学の雄たる大江から続いているものなのだろう。もちろん作者がこのことに気が付いているかは関係がない。大切なのは物語の効用に対してのすがり方は、『夕立』作者の梔子花の特有のものではなくむしろ大系的な想像力とも共通しゆるのではないかと私は考えた。ぱっと一読すれば安易なハッピーエンドにしか見えないものも、なおざりにされていない現実の影が落ちている。『夕立』は軽くポップな青春小説だけではなく、もっと深みのある視座にたった作品であった。そこに「やりたいことはなんだ?」という問題は横に置かれてでも、とにかく向き合うべきものに向き合うという強固な姿勢を感じた。主人公が手にしたのは、将来への展望ではなく将来を生きていく術であるかもしれない。
そういう夏が広がっている人生が幸せなのかどうなのか、物語はそこに光を与える。現実はどうか。光を探すべきなのか、闇と向き合うべきなのか。夏が終わっても答えはまだでないだろう。『夕立』もまた、進み続ける物語としてスピンオフまで書かれている。一ファンとしてその内容を楽しみにしていたい。軽くだけではない青春を楽しみにして。
おわー、大丈夫だろうか……。はい、とりあえず『夕立』読んでくれ! すっごく沼が設置されてるので! 抜け出せないまま沈んでいこうぜ!
結果こういう浅い勧め方になるのか……。情けねえ。
でもいい! 結局何も伝わらないよりは、要約して一言で言ってしまった方が増しだ!
最高でした! コミティアに行く方々は楽しんでください! 最後まで読んでくれてありがとうございました!
とはいうのも自分の書いていた小説四万文字が、没になり死にたくなり現実逃避したくなりこんなことをしているのです。ただこの逃避行はかなり自分にとって良い循環というか、デトックス効果をもたらしてくれているのが分かります。人の話を聞く(読む)というのは、やはり意味があるのだなと思う今日この頃でございます。僕もちゃんと話を聞ける人間になりたいものです。
という訳で、今回は梔子花さん(サークル名は「謂はぬ色」)の書かれた『夕立』という作品について喋ります。昨日と同じくである調でございます。
こちらの『夕立』ですが、実は読んだ時期自体は結構前です。なんなら本人にも感想を伝えていたりするのですが、今回は夏のコミティア前ということで、改めて感想をつづりたいなと。そう、夏にぴったりの青春小説、それが『夕立』なのです。
「なにがしたいんだ」と問われて、やりたいことを十個以上瞬時に思い浮かべられる人間がどれだけいるだろうか。したいことを問うということは、その実選択肢の中に人を引きずり込む。やりたいことが何も無いという回答を出すことを許さないという意思がその問いの中に含まれているという問題を、『夕立』は鋭く提起する。主人公であるミホは、高校二年生の夏にそのような問題に直面する。自分が本当は何をしたいのか、何ができるのか、何も分からないまま彼女は夏休みの間、親戚の瑠衣子という片田舎に住むアラサーの女性の下に転がり込んでいく。
それから夏休みの間に彼女が経験することは、衝撃もあれば年相応の甘酸っぱさを見せたりと多岐にわたっていく。とある男性との出会いからが大きな転換点となっているのだが、その直前、ミホが瑠衣子の手伝いとして赴いた障碍者が利用する「作業所」の場面が非常に強烈な印象を与えるものとなっている。詳しい描写は省くが、ミホの世界の狭さを実感させられるシーンとして前半に登場するこの場面、後半以降ここまで障碍者施設がフィーチャーされる場面は存在しないが、このリアリティのある表現は読了後まで尾を引くアクセントになっている。最初にここで叩きつけられた現実は、解決することなく存在し続ける。ミホにとってどうにもできないことは、作品が終わってなおどうにもできないままなのだ。人の気持ちが変わっても、即座に世界が変質するわけではないというどうしようもなさ、甘く展開しているようでこの作品が描く「リアル」は冷たいほどそこに存在し続けている。
であるからこそ、物語の効能として主人公の恋愛が進展していくという流れは許容される。現実を描いたあとフィクションが展開されるという「救済」は、現実ではほとんどありえないかもしれないようなことかもしれない。そう、物語にしか描けないのはそういう類の「救済」である。付属されていたペーパーを見れば、この作品に描かれた人間関係の闇や、障碍者関連の描写が作者にとって身近な問題であった(もしくは「ある」?)ということは、想像に難くない。その当の本人が夢を語ったということに意味があるのだろう。大江健三郎の『個人的な体験』も、障碍者との向き合い方に注目した作品だといえる。というか、そのものであっただろう。愛と障碍、この接続が見せる残酷さと夢のような世界は、日本文学の雄たる大江から続いているものなのだろう。もちろん作者がこのことに気が付いているかは関係がない。大切なのは物語の効用に対してのすがり方は、『夕立』作者の梔子花の特有のものではなくむしろ大系的な想像力とも共通しゆるのではないかと私は考えた。ぱっと一読すれば安易なハッピーエンドにしか見えないものも、なおざりにされていない現実の影が落ちている。『夕立』は軽くポップな青春小説だけではなく、もっと深みのある視座にたった作品であった。そこに「やりたいことはなんだ?」という問題は横に置かれてでも、とにかく向き合うべきものに向き合うという強固な姿勢を感じた。主人公が手にしたのは、将来への展望ではなく将来を生きていく術であるかもしれない。
そういう夏が広がっている人生が幸せなのかどうなのか、物語はそこに光を与える。現実はどうか。光を探すべきなのか、闇と向き合うべきなのか。夏が終わっても答えはまだでないだろう。『夕立』もまた、進み続ける物語としてスピンオフまで書かれている。一ファンとしてその内容を楽しみにしていたい。軽くだけではない青春を楽しみにして。
おわー、大丈夫だろうか……。はい、とりあえず『夕立』読んでくれ! すっごく沼が設置されてるので! 抜け出せないまま沈んでいこうぜ!
結果こういう浅い勧め方になるのか……。情けねえ。
でもいい! 結局何も伝わらないよりは、要約して一言で言ってしまった方が増しだ!
最高でした! コミティアに行く方々は楽しんでください! 最後まで読んでくれてありがとうございました!
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