2006年10月17日

第12話:熱波

《・・・ストップ高?》
「アメリカ農務省の発表が大幅に下方修正です。…やりましたね社長!」
《ウソでしょ部長。こないだ買ったばっかりなのに?真面目に、言ってんの?》
「だから言ったじゃないですか。大豆は必ず、大化けするって。」
《まさかと、思ってたからね。それが事実なら、部長にお礼をしなきゃなんないね。》
「そんな、気を使わないでください。社長のご決断が良かったんですから!」
《ストップ高だと…、利益で700万ぐらい?投資金と合わせれば1500万ぐらいになるの?・・・そろそろどうなの腹八分目って、諺もあるし…。》
「なに言ってんですか!たかだか7〜800万の利益で!今回の発表で相場は、間違いなく一段高に向かいますから、そう言った意味では、新たな相場が始まったばっかりなんです、売るなんて噸でもない。ここは、もう1発勝負どころですよ。ストップ高で、買えるかどうか微妙なんですが、万が一、買えたら、一本ぐらい行ってみましょうよ。」
《一本って?…そんな湯水のように・・・お金なんて出せないよ。》
「なに言ってんですか、社長。社長も冗談キツいんだから。」
《だって、部長。・・・1本って、まさか壱千万…円?》
「ストップ高なんですよ。悠長な事言わないで下さい。買えれば間違いなく、いけますから社長!この相場は、今日、動き出したんですよ。」
《そんなに自信があるの?》
「当然です。私が心配なのは、ストップ高で買えるかどうかです。今日、買えなかったら残念ながら、明日以降は、もっと上がっていきますから。大相場なんです…だから、1本って言ってるんですよ!今日買えさえすれば、もう利益をもらったも同然なんです。」
《そこまで言い切れるの?》
「万が一、買えさえすれば、間違いなく。」
《部長が、そこまで言うなら…わかった。いってみよう。あとは資金をどう工面するか、だが…。》
「万が一、ラッキーにも買えたら、何とかして下さい!」
《わかった、買えた時には何とかしょう。その代わり…次は、利益確保で頼むよ。》
「わかってます。次に跳ねたところで必ず一服しますから、安心して下さい。じゃいきますよ …“オーイッ、米国産、先物で150買い!”… 買えればなんで、150枚流しましたから。」
 ボードの前で、イヤホンマイクを付けた場立〈人〉に向かって、掛け声を掛けると同時に・・・右手の甲を内側に、人差し指が弧を描き、手を開くとその手は水平に走った。
 場立は、頷くとマイクを左手で軽く口元に寄せ「米国産大豆、先物で150買い」と市場に取り次ぐ。
《矢は放たれたか?永岡部長…本当に頼みますよ。》
「任せて下さい、社長。…結果はまた午後に電話しますんで、うまく買えることを祈っといて下さい。」
《私も正念場だ。今度は、事業資金に手を付けることになるからね。》
「買えさえすれば…ここは、大船に乗ったつもりでいて下さい。じゃ、結果の方、午後また電話しますから…失礼します。」
 
 渋谷支店第一営業部の部長席に座る男は、受話器を置くと「ふぅー」と、一つ溜め息を付き、灰皿でくすぶっているタバコを右手で揉み消した。そして、おもむろに立ち上がると会議室へと向かった。

 この年【1983年】の夏、アメリカの穀倉地帯にあたるテキサス・ケンタッキー・イリノイ・オハイオなどの中南部各州は、エルニーニョ現象が原因となる異常気象の影響を受け『100年に1度、あるかないか?』と言われる猛烈な熱波に襲われていた。
 地表温度が、50度前後となる日照りが続き、家畜の被害は言うに及ばず、人間にも多数の死者が出ている。
 無論、穀物も例外ではなかった。
 熱波に関連した干ばつの影響で、穀物の生育に欠かせない水が不足していたのだ。
 
 米国産大豆の場合、春に作付けを行い、10月から11月にかけて収穫の最盛期を向かえる。
 この期間、アメリカ農務省は、作付け〜収穫までの経過報告、つまり収穫予想を1ヶ月に1度の割合で発表していた。
 1エーカーの耕作面積から、何ブッシェルの大豆が収穫可能となるか?と言う予測発表である。
 
 今回の発表は、アメリカ時間で9月○日:土曜日の午後2時、日本時間では、日曜日深夜4時に行われた。
 
 そしてこの日、発表された大豆の収穫予想は…例年を大きく下回る『4.7ブッシェル』…ここ10年の平均収穫高が、『6.5ブッシェル』である事を考えれば、実に30%近くの大減産となる発表だった。 

 アメリカ農務省の発表を受け、週明けの『シカゴ穀物取引所』の大豆相場は大商いとなり、一段高を目指した連日の大暴騰を演じる。
 しかし、時差の関係で、この大暴騰の口火を真っ先に切ったのは、アメリカではなく、太平洋の向こう側にある日本の市場だった。

 彼ら新入社員の3人が、渋谷支店に初めて出社した日。
 その日が、まさに米国産大豆が一段高に向かって、暴騰を始めた日だったのである。  

syougo924 at 16:59│Comments(0)TrackBack(0)clip!小説 | 商品先物

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