2013年08月31日

『ご挨拶』


「季節の往来」〜暫くの間、このブログを閉じます。


  長い間に大勢の人達にお越し戴き、有難うございました。いつから始めたのか、随分と歳月が流れました。

  この間には、消息の不明になった人、いつしか疎遠になってしまった人、断絶した人・・・色々な人が居られました。

  そして、ずっと来て下さっている人、たまに覗いて下さる人、そっと立ち寄って下さっている人、また、最近になり訪れ始めて下さる人・・・。
  そんな大勢の皆様の、温かいご交誼に深く御礼申し上げます。

  様々な出会いがありました。まさに悲喜交々と申しますか、愉しい事、嬉しい事、中にはその反対の出来事もありましたが、ゆったりと時間の流れた、多くは心豊かな交流でした。

  またいつか、爐佞蕕雖瓩蛤堂颪垢詁もあるかと思います。
  どうかその日まで、皆様お元気でお過ごしになりますように―。


2013年08月21日

『朝霧夕霧今年は何処に』


母の足さすりてせめて処暑の孝−辻田克巳
























  明後日の23日は二十四節気の「処暑」(しょしょ)である。文字通り狃襪気止む瓩琉嫐となる。
  この頃から、朝夕が何とはなしに涼しくなり、何処なく秋めいた気配が漂い始める。

  本来ならそうなるのだが、昨今の異常気象では中々その様にはならないのではないか。特に、今年はそれを強く感じる。

秋の立つ昨日風は身にしみてけふは暑さに又かへりぬる―小澤蘆庵

  今から300年程の昔も、涼しくなっても、時には暑さのぶり返す日もあったらしい。
  それは、やはり犹廚そ个靴人佑豊疚瓩襪里任△辰董△修里泙浹鏈造辰討い襪里任呂覆った筈である。

なんで秋の来たとも見えず心から―上島鬼貫/思ひきや長の夏中今朝の秋―小西来山/梢まで来てゐる秋の暑さかな―各務支考/秋来ぬと合点させたるくさめかな―与謝蕪村


さやうなら霧の彼方も深き霧―三橋鷹女


  日程はやや遡るが、この暑さを瞬時でも忘れたい思いで再掲する。既読の方はお読み飛ばしを。

  去る18日からは、七十二候の「蒙霧升降」(もうむしょうごう/ふかききりまとう)となった。
  秋は深い霧に隠れて、直ぐそこまでやって来ている(筈な)のだ。
  山裾に、川辺に、里山に、そしてまた町並みへ、やがて霧は流れて来る。秋は、もう目の前に佇んでいる。
  実際は未だに猛暑が続いているのだが、切にそう思いたい。


  ところで、霧の中でもし視界を失った時、人は秋の匂い、秋の気配を感じると言う。
  そして、霧には足音があるとも言う。それは、昔も今も、霧を纏った秋の足音なのだろう。

秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き―柿本人麿

霧うごき木の花の匂ひ流れたり久遠の時間のなかのひととき―雨宮雅子

  水面近くの水蒸気が冷えて凝結し、細かい水滴となって煙の如くに立ち込める。
  霧も雲も同じ水滴なのだが、気象観測では地面に接したものを霧、空に浮かぶものを雲、と区別している。
  観測上では、水滴の集団が観測者の位置する地面から離れていれば雲、地面に接していれば霧となる。

  従って、山に雲が懸かっている時、麓から見ている者にすれば雲なのだが、その雲の中にいる者からすれば、それは霧となって感じられる。体験者も大勢ある事だろう。


秋霧のたちぬる時はくらぶ山おぼつかなくそ見えわたりけり―紀 貫之























  但し霧と観測するのには、視程が1厂にの条件を満たしている事が必要とされている。
  また、霧は春秋に発生するが、同じ現象でも春には霞(かすみ)と表現される。  
  平安時代の美意識では、「春は霞」「秋は霧」と言い分けているとか。

秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝霞いつへの方に我が恋止まむ―磐姫皇后

うづまきて霧の流るる野に立てば昇る日赤く空に浮かべリ―原田 清


  歳時記では、単に霧と言えば秋の季語で、春には霞として区別されている。日本気候表(気象庁編)によると、盆地や海沿いの地方に霧は多く発生するとある。

  年間の霧発生日数が最も多い(平均値)のは、富士山の211日で、これは山頂に雲が懸かった日数と言うことになる。
  次いで、滋賀県と岐阜県の県境に在る伊吹山で209日、日光の143日、軽井沢の139日となっている。

我妹子(わぎもこ)に恋ひすべながり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも―詠み人知らず(万葉集)

  さらに、兵庫県の豊岡が121日、北海道の根室113日、釧路112日、熊本県の人吉109日がいずれも100日を超え、岡山県の津山が88日と、発生の多い方である。

山上の霧あかるめば昨夜(よべ)のまま近くをりたり放牧の馬―窪田章一郎

  反対に、東京では12日、京都でも同じく12日とかなり少ない。都市化のため緑地が減って、地面から大気への水分の補給が減少し乾燥が進んでいるのが最近の原因らしい。
  また、熱容量の大きいコンクリートが多く、朝夕の気温があまり下がらなくなった事も原因と考えられる。昨今の異常気象続きでは、この平均値はどうなるのか。

木津川を左にみては右にみてちかづく伊賀は霧こきところ−吉岡生夫

  この様に、霧は微細な水滴が大気中に浮遊する事によって、視程(見通す事の出来る水平距離)が小さくなる現象である。
  大気中に浮遊する水滴が、光を散乱するために起こるとされている。

秋風に霧飛びて来る雁の千世に変はらぬ声聞こゆなり―紀 貫之  

  ところで、霧と靄(もや)の違いは、この視程の低下の程度の違いであり、前述の如く気象観測で視程が1厂にのものを霧、1勸幣紕隠悪厂にのものは靄、と呼んで区別する。

  一般的に、単位体積当たりの水分量が多いほど視程は小さくなるとか。そして、同じ水分量でも小さい水粒が多く存在する時の方が、視程が小さいとされている。

靄ごもる丘の樹木のうす墨を含み來しひとふくらみて過ぐ―石黒陽子

  かくして、視程が1厂にの霧の内で、太陽を透かして見る事が出来る薄い霧を「低霧」または「低い霧」と呼ぶ。
  山などでは、麓の地面まで達する様な霧を「低い霧」、山の中腹や山頂付近にだけ見られる霧を「高い霧」と区別する事がある。

  さらに、視程が1キロ以上で、人間の視線の高さより低い地面付近にのみ霧があるものを「地霧」と言う。
  但しこれは、気象観測上からは霧には含めない、との事である。


秋霧のたちぬる時はくらぶ山おぼつかなくそ見えわたりけり―紀 貫之























  ところで、霧はその出来方によって放射霧・移流霧・蒸気霧・前線霧・上昇霧などに分けられる。

―放射霧―

  晴れた冬の日などには、地表面から熱が放射されて地面が冷える。そして、冷えた地面が、地面に接している水蒸気を多く含んだ空気を冷やすことで発生する。
  盆地や谷沿いで発生し易く、それぞれ「盆地霧」「谷霧」と言う。

晒菜(さらしな)しようま白く抜き立つ一叢に谷より湧きて霧はまつはる―斎藤 史
谷底ゆわきくる霧のただなかに顔なきわれとなりて佇む―沖ななも

―移流霧―

  暖かく湿った空気が水温の低い海上や陸地に移動し、下から冷やされて霧を発生させる場合わ言う。移流とは、大気が水平方向に移動することを指す気象用語。
  暖流上の空気が移動して、夏の三陸沖から北海道の東海岸などに発生させる「海霧」などがその代表的なもので、非常に長続きする霧で厚さが600m程度に達することもある。

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ―詠み人知らず(古今集)

この夜を太古のごとき海霧(ガス)たちて汀の上の桃色の月―岡部桂一郎

―蒸気霧―

  暖かく湿った空気が冷たい空気と混ざって発生する霧。冬に息が白くなるのと原理は同じである。暖かい水面上に冷たい空気が入って水面から蒸発が起こり、その水蒸気が冷たい空気に冷やされて発生する。
  実際は、冷たい空気が暖かい川や湖の上に移動した際に見られる。風呂の湯気も原理は同じらしく、北海道などの「川霧」が代表的なものとされている。

河霧の麓をこめて立ちぬれば空にぞ秋の山は見えける―清原深養父

蒸気霧立ちぬと港の朝を映す亡き人ひととき住みゐしところ―北沢郁子

―前線霧―

  温暖前線付近で雨が降り、湿度が上がったところに温度の比較的高い雨が落ちてくると、雨粒から蒸発した水蒸気で飽和状態となる。それにより、余分な水蒸気が水粒となって発生する。

村雨の露もまだひぬ真木の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮―寂蓮

雨霧の包まんとする高層の白き断崖に飛ぶ鳥もなし―高安国世

―上昇霧―

  山の谷に沿って湿った空気が上昇し、露点に達したところで発生する霧。遠くから見ると山に雲が張り付いて見えるが、その中では濃い霧となっている。
  動かない様に見えても、実際は空気が下から次々と上昇している。滑昇風により発生することも多く、「滑昇霧」とも言う。

山の際(ま)ゆ出雲の児らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく―柿本人麿

息するごと峪より起こる霧の渦山のそよぎはすでに聞こえず―武川忠一

―氷霧―

  微細な氷粒で構成される霧。高緯度のよく晴れた穏やかな日に気温が-30℃以下の場合によく観測される。主に人間活動により水蒸気が持ち込まれた時に出来る。
  これらの水蒸気は凝結して水滴となり、それから結晶を作る間もなく急速に氷の粒となるため、いびつな形の氷粒となる事が多いが、その中に細氷を含む場合もある。
  太陽光や街灯などを反射してキラキラと光る。大気中を落下せず浮遊しているもののみを指し、「細氷」(ダイヤモンドダスト)と表現している。

―周囲が明るすぎるので目をこらしてみると、水車の上にキラキラ光るものが舞っていた。標高の高いこの町では、冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストだった。空気中の水分が凍結してできた微細な光の粒は、いざなうように灰色の空に舞い昇っていた―(南木佳士「ダイヤモンドダスト」

まなじりに細氷塵の泪なす―深谷雄大/細氷の太古の空となりて降る―相澤乙代























  余談ながら、霧で有名な地域がある。釧路市・ 函館市・ 仙台市・箱根町・ 飯田市・ 佐久市・ 軽井沢町などで、数多くの文学作品や歌にも登場している。

霧深き好摩の原の停車場の朝の虫こそすずろなりけり―石川啄木

  京都では、日本海に近い丹後の大江山近辺の霧は昔から有名であり、また京都は地形からかつては霧は多かった、と思われる。

大江山霧はふかけれ鬼という人は頭(こうべ)に角をいただく―岡部桂一郎

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木―権中納言


  そして、山陰沿線の亀岡市(亀岡盆地)の霧が深い。 晩秋から早春にかけて年間30〜40日程度で猝犬療圻瓩覆匹噺討个(呼んで)いる。

  私も、かつて何年間かその中(隣町だが)で暮らしたことがあるのだが、今は遠い日の事となった。
  京都市内から約30辧当時は山陰線で1時間を要したが、今は嵯峨野線と呼ばれ30分弱の距離となっている。

暁の霧あかるく流るる山原に少女ら冷たきからだ抱きあふ―窪田章一郎

  外国ではサンフランシスコやロンドンが霧では有名で、中国の蘇州市は亀岡市と友好交流都市を提携している。

馬車をひく二頭の老馬の肢(あし)の間を霧流れゆくボヘミアの森―三浦冨美子

朝霧のたたまれてそこにあるやうな青絹のブラウス桂林に購(か)ふ−村岡嘉子


  盆地では、山を下った冷たい空気が霧になる。山上から見ると、まさに大きな盆に盛られた煙の様である。これを前述の如く「盆地霧」と呼ぶ。
  そんな中で灯りが着くと、霧を通して様々な色が滲み出る。街灯に青く滲んだ霧の中へ、後ろ姿が霞んで消えて行った・・・。

谷底ゆわきくる霧のただなかに顔なきわれとなりて佇む ―沖ななも

  また、霧の立つ場所によっては、「谷霧」「川霧など」もある。

あさぼらけさほの川霧冬かけてなくや千鳥のなほ迷ふらむ―藤原家隆

川霧は濃くたちこめて瞠けどわれの向こうにわれは渡れず―勝井かな子























  これがさらに山深い所となり、山一面を敷き詰めるかの様に降る霧を「山敷き」と呼ぶ。
  その山々の間に立つのは「狭霧」(さぎり)である。
  外国の話ながら、オーストラリア西部のブルーマウンテンと称する山は、ユーカリの木から蒸発する油が青い霧となって漂う。そこから、この名が付いたとのことだ。

悲し小禽つぐみがとはに閉ぢし眼に天のさ霧は触れむとすらむ―新井 洸

  海に立つ霧はもちろん「海霧」である。暖かな風と冷えた海面の落差から生まれる。春と夏によく発生するらしい。霧笛が咆える(泣く?)のもこんな時なのだろう。

―祝津の灯台が、回転する度にキラッキラッと光るのが、ずウと遠い右手に、一面灰色の海のやうな海霧(ガス)の中から見えた―小林多喜二「蟹工船」

秋も遅く降り立つ街に海霧(じり)ふかく響かふ霧笛に闇のふくらむ―樋口忠夫

  これが厳寒の北国となれば、気温は海や湖の水温より遙かに低くなる。凍てついた朝、湖上や海上では水蒸気が一気に冷やされて凝結する。
  そして、そこに発生するのが「蒸気霧」である。

蒸気霧立ちぬと港の朝を映す亡き人ひととき住みゐしところ―北沢郁子

  釧路地方では激しい嵐となる事を「毛嵐」(けあらし)と呼ぶ。年間に十数度も吹くと言う。
  また対馬地方では、これを「寒烟」(かんけぶ)と表現するとか。まさに狃衒僂錣譴亅瓩任△襦

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや―寺山修司


  ところで、「朝霧」は、涼やかなイメージがある。旅先にあれば、高原の朝は霧に包まれた雲境である。そして、徐々に陽が射して朝霧が引いて行く様子は、幻想的でいっそう旅情を誘う。
  その霧が晴れて行くと、忽然と現れる白い虹を「霧虹」(きりにじ)と呼ぶ。あるいは「雲虹」とも言う。

  雨粒や雲粒が小さいと、散乱が加速されて白色の虹となる。稀有な光景のため、古くから天変地異の前触れと見られて来た。

― 一派(ひとすじ)の白き虹起(た)ち/千尋の雪(しろ)き浪飛ぶ/海風 吹いて断えず/江月 照らして還依(かわらず)―(呉承恩「西遊記」小野忍訳























  やがて、夕方ともなれば「夕霧」がいつの間にか立ち、そして、周囲の見渡す限り全てを覆い隠してしまう。

いかにして岩間も見えぬ夕霧に戸無瀬のいかだおちてきつらん―藤原親隆

秋草の花みな濡れて霧になびく夕霧峠といふ道をこゆ―尾崎左永子

  「夜霧」となればどうか。ただでさえ暗い夜道(特に昔は)を、独り項垂(うなだ)れて帰路に就く。頼みの月さえ霧に遮られ、いっそう心許(こころもと)無くて侘しい(と思う)

  そっと周囲に目を遣れば、哀愁に満ちた異空間が広がっている。どれだけ「夜霧」を歌った歌謡曲が(詩歌もだが)多いことか。

―なるほど月はもう青白い霧にかくされてしまってぼおっと円く見えるだけ、その霧はまるで矢のやうに林の中に降りてくるのでした―(宮沢賢治「かしはばやしの夜」

魂の近づくごとく霧の夜の車のライトかたわらを過ぐ―岡部桂一郎

わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒きのれんを分けて出でゆく―山崎方代


  そもそも、「きり」は「切る」から来た言葉とされている。古語では、猝犬覘瓩筬猝犬蕕Ν瓩覆匹汎飴貪にも使われた。また、その他にも幾つかの造語がある。

  室内や外部との境などに垂らして仕切りや隔てとする布帛(ふはく)を、垂れ布(ぎぬ)とか帳(とばり)と呼ぶが、「霧の帳」は霧に隔てられた状態を指す。「霧の幕」とも言う。

  「霧の籬」は、霧に包まれる状態を籬(まがき)に例えた表現である。籬は竹などで編んだ垣根の呼び名である。
  ついでながら、「霧立人」とは、打ち解け(てくれ)ない人の事を指すらしい。

天の川わかれをいとふたなばたや霧のとばりに夜を残すらむ―釈 涌蓮

  「天霧」(あまぎり)は、文字通り空一面を曇らす霧のことである。夜明け前から天霧が立つと、日は遮られて暗い朝となる。そんな状態を「霧曇る」とも言う。
  やがて、風に吹かれて霧は流れる。さっと切れ目が出来る事を「霧の絶え間」と表現する。

天霧ひ秘す神事幽(かくり)事−加倉井秋を/天霧らふ摩耶六甲や船あそび−小路紫峡


  前にも書いたか。丹波(亀岡)盆地の町の晩秋から初冬の朝は、いつもこんな様子だった。
  未だ朝なのに、前を行く人の細いシルエットが、霧の中に仄かに浮かび上がっていたのだった。

霧雨にうすく烟れる道ゆけば傘ささず向かうよりたれか来る―横山未来子


  それはさて置き、心が憂い彷徨(さまよ)う状態を「霧迷う」と称する。「霧の紛れ」とか「霧塞(ふた)がる」とも。―山の陰いかに霧塞がりぬらむ―(紫式部「源氏物語・夕霧」

  「霧の印」となれば、霧を起こして相手の目を眩ませる事だが、一般人には無理だろう。忍術の一手法らしい。くノ一の得意技か。

霧まよふ秋は来にけりおくれじと思ひて草木いまや色づくま―加茂保憲女


  古来から繊細な日本人である。霧が立ち上る様子を、香の薫(くゆ)るが如きと捉えた。
  「霧匂う」は、薄衣の軽さと薫るばかりの雅(みやび)さを感じた表現である。「霧の香」とも言う。
  「霧不断の香を焚く」は、仏前で絶えず香を焚く様に、秋の霧が立ち込める風情を指す表現である。

秋草のにほへる野辺をみなそこと天津狭霧はおり沈めたり―長塚 節

  海に例えた「霧の海」や霧で周りがよく見えなくなる事を「霧の紛(まぎ)れ」と表現する。

  さらに、霧には狢瓩琉嫐もあって、溜息を付いて息が白くなる様を「嘆きの霧」と言う。「蒙霧」(もうむ)は濃く立ち込めた霧の状態であるが、狄瓦寮欧譴覆き瓩箸琉嫐も持つ。
  そして、晴れない思いは「思いの霞」で、涙でよく目が見えない有り様を「涙霞」と呼ぶ。
  


  「五里霧」(ごりむ)と呼ぶ言葉がある。五里(20辧の道を歩いても未だ晴れない、との意味である。
  後漢の時代に、五里に渡って霧を起こす事が可能な道士が存在したとされ、その故事から生まれた言葉である。
  「五里霧中」は深い霧に巻かれた状態を指す。周知の如く、物事の見通しが全く立たない例えである。

  これに対して、「霧の海」は、霧に巻かれてしまった様子を言うが、かなり詩的な表現ではある。

大いなる幹のうしろの霧の海−富安風生/霧の海吾れも一樹として濡るる−今瀬剛一


  今となれば、このどちらの状態も、遙か遠くにあって懐かしい。遠くにあるからこそ、余計に懐かしいのか。


たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき―近藤芳美
























「白」    立原道造

海への道だつた やさしいことだつた
しやべりながら はしやぎながら しづまりながら
それは明るい時だつた

おまへの耳に日が揺れ
濡れた木の間を光が洩れ
うすらいでゆく霧だつた 霧は空の色だつた

やさしいことだつた――
僕には夢があつた 笑ひがあつた
海には朝の船がとほい港に旅立つて行つた


「ある時」    山村暮鳥

自分はきいた
朝霧のなかで
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを


「青くいろどられた瞼」    大手拓次

やはらかさは
霧のなかにこもる月のひかり、
ふしめして とほくの心をよむおまへは
うごくともなく
うれひのなかに ゆれてゐる。
おまへの心にさはるために
わたしは そよ風のやうな手とならう。






















「霧の中」   ヘルマン・ヘッセ (高橋健二訳)

不思議だ、霧の中を歩くのは
どの茂みも、石も孤独だ。
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぼっちだ。

私の生活がまだ明るかった頃
私にとって世界は友だちに溢れていた、
いま、霧が降りると 
だれももう見えない。

ほんとうに 自分をすべてのものから
逆いようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、 
賢くはないのだ。

不思議だ、霧の中を歩くのは
生きるとは 孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんひとりぼっちだ。





2013年08月11日

『立秋とはまさに名ばかりの』


立秋と聞けば心も添ふごとく―稲畑汀子
























  この7日は、二十四節気の「立秋」だった。「初めて秋の気立つゆへなれば也」とある。
  太陽暦では、「太陽の中心が黄経135度を通過する日」とされている。

きみ待つと我が恋ひをれば、我が宿の簾動かし秋の風吹く―額田王

秋立つと人はつげねど知られけりみ山の裾の風のけしきに―西行

暦には立秋とある今日の午後黍の葉鳴らす風吹きいでぬ―筏井嘉一

  そして、七十二候では「涼風至」(りょうふういたる)となった。通常なら、朝夕には少し気配が異なり、何となく昨日と変わる風が吹いて来る(筈である)
  そして、微かに潜む季節の声なき風の動き、密かな風の戦(そよ)ぎの中にも風立ちぬの思いを尽くす、そんな季節(の筈)なのだが・・・。
  この夏は、どうしても爐修糧Ν瓩慮斥佞个りが続いてしまう。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる―藤原敏行

すずしやと風のたよりをたづぬればしげみになびく野べのさゆのば―式子内親王

樟が樹下の空気いつくしみゐる涼しさぞ歩みてくれば―川島喜代詩

  そんな風情が漂う筈(又しても!)なのだが、今夏はまるで気配が異なり猛暑日の連続ではある。
  昼間の気温は40℃超える地域も続出し、京都は38.2℃と今夏の最高を記録した。
   犒亳海里覆き瓩箸凌係譴眄犬泙譴森鷭襪瞭々。新聞では「巌暑」となっているが、日本は完全に亜熱帯と化したのかも知れない。


  陰暦(太陰暦)の7月は、陽暦(太陽暦)では8月上旬から9月上旬に該当する。昔の言葉を借りれば、7月を文月(ふみづき・ふづき)と呼んだのは周知の通りである。
  その他にも、相月(あいづき)・秋初月(あきそめつき)・女郎花月(おみなえしつき)・七夕月(たなばたつき)・親月(ふづき)・文披月(ふみひらづき)・書披月(ふみひろげづき)・愛合月(めであいづき)や、新秋(しんしゅう)・初秋(はつあき・しょしゅう)・孟秋(もうしゅう)・涼月(りょうげつ)など、こんなにも多くの呼び名がある。昔の人の感性は実に凄い。

  そもそも文月とは、七夕の夜に詩歌の書(ふみ)を供える月、または稲穂が膨らみ始める月、の意味とされている。

文月くれば月たちかはるけふをしもいつのよよりかことほぎはせし―小澤蘆庵

  また、8月は周知の如く葉月(はづき)と呼ぶ。そして、初月(はつき)・秋風月(あきかぜつき)・雁来月(かりきづき)・草津月(くさつづき)・紅染月(こうそめつき)・木染月(こぞめづき)・月見月(つきみづき)・燕去月(つばめさりづき)・桂月(けいげつ)、そして、盛秋(せいしゅう)・清秋(せいしゅう)・仲秋(ちゅうしゅう)・萩月(はぎつき)など、これも同じく数多くの呼び名がある。

  太陽暦では9月から10月初旬に該当するから、秋を意味する言葉で呼ばれて当然ではある。
  因みに、前回にも書いたが、葉月とは木の葉が紅葉して落ちる月、の意味である。

ホモセクシュアルのかぼそく唄ふジャズを愛す葉月の我は歩み疲れて―秋山佐和子























  昨今の傾向とは言え、今年は特に季節感が激しくずれている感がある。
  下記の記事はいつかも掲載したのだが、暦の意味をもう一度復習し整理して見た。周知の人は読み飛ばしてほしい。

  太陰暦(たいいんれき)とは、朔望月(月の満ち欠けの周期・さくぼうげつ)を1カ月とする暦法である。「太陰」とは「月」を意味する言葉である。
  従って、太陰暦は月の運行を元にしてはいるが、1年を1回帰年の長さに近い12カ月としている点で、僅かに太陽暦の性格を持つ事になる。
  逆に、太陽暦で1カ月を約30日としているのは、太陰暦の名残りと考えられている。

太陰暦つかひて日日くらしゐるわれにこよひは新月の蜜―伊藤一彦

  その太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦(暦法)を言う。
  嘗(かつ)て使用されたユリウス暦は太陽暦の一種であり、現在世界各国で用いられているグレゴリオ暦も太陽暦である。
  そして、暦が季節とずれない様に閏日(うるうび、じゅんじつ)を挿入して補正が行われる。
  ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦は、その補正のし方(置閏(ちじゅん)法)を改良している、と解説書にはある。

  次いで、太陰太陽暦(たいいんたいようれき)とは、太陰暦を基にしつつも閏月(うるうづき、じゅんげつ)を挿入して実際の季節とのずれを補正した暦である。太陽太陰暦と呼ぶ場合もある。
  また、単に太陰暦と呼ぶ事もあるが、これは太陰太陽暦が昔の太陰暦から派生し、どちらも日は月の運行によって決められる、とする共通点から来ている。
  純粋な太陰暦では1回帰年の近似値である12カ月を1年とした場合、1年が354日となり、太陽暦の1年に比べて11日ほど短くなる。

  このずれが3年で約1カ月となるので、凡そ3年に1回、余分な1カ月(閏月)を挿入して、そのズレを解消した。
  閏月を19年(メトン周期)に7回挿入すると、誤差なく暦を運用できることが古くから知られ、世界各地で行われたとの事だ。
  
  かくして、太陰太陽暦は、月が地球を一周するのに要する29.53日の12カ月分に相当する354日と、地球が太陽を一周するのにかかる365日に生じる差の11日をうまく工夫して、月と太陽の両方の運行を考慮した非常に高度で科学的な暦だ、との定説がある。

  およそ4千年程前から中国の黄河流域で「農暦」として使われていたものが、6世紀後半に日本に伝来し公式に使われ始めた。
  以来、中国との間に2日の誤差が生じたため、数回の修正が試みられた。そして、天保13(1842)年には、天文学的にも世界で最も正確な太陰太陽暦となった。























  然るに、こんな素晴らしい国暦を持ちながら、明治5(1973)年に欧州から開国を迫られて先進文化や富に目の眩んだ新政府は、あろうことか「明治五年十二月三日を以って、明治六年一月一日とする」との、太政官布告を発令したのである。                
  そして突然にも、日本の暮らしを太陽暦(今の西暦)に引き込んだのだ。何と言う暴挙か!と声を大にして叫びたい。
  しかも、相当な反対勢力があった(当然だろう)にも拘わらず、大隈重信と福沢諭吉がこの布告を断行したのだ。

  そんな福沢諭吉を、師と仰ぐ(輩が存在する)のは如何なものか。以来、自然と共にあった日本の伝統行事、それに、農業・漁業・林業等の様々な指標に混乱を来たし続ける結果を招くに至ったのである。

  事実、現在でも季節感に約1カ月のズレが生じて、生活に直接影響しない我々でも大いに戸惑っている(恐らく私だけではないだろう。と思う)のである。

  自然界の花の咲く時期や虫や鳥の出現は、新暦には全く当て嵌まらず、旧暦の太陰太陽暦の方が、当然ながらピタリと合致する。
  この現実からしても、日本で自然と向き合うには絶対に旧暦だ、と断言出来るのではないか。なぜ、切り替えに後1カ月が待てなかったのか。
  この太政官府施行の強行は、我が国最大の愚挙と申せるのではないか、と声を大にして言う者も多い。
  かくして、多くの庶民(勿論、私も含む)は、この暦の1カ月のズレのお蔭で、様々な困惑や混乱の中で暮らす事になった、と申しても過言ではないのか。

杣人はなべて旧暦彼岸西風―道川虹洋/旧暦の潮読む海女の初暦―鹿糠孝男
























寒蝉の遠音ばかりの余生かな―山口草堂


  ところで、この13日は七十二候の「寒蝉鳴」(かんせんなく)である。蝉の季語はもちろん夏だが、寒蝉は秋の季語になっている。

明けたてば蝉のをりはへなきくらし夜は蛍の燃えこそわたれ―詠み人知らず(古今集) ※※をりはへ=狎泙蟇笋忰瓩如△困辰隼間を延ばしてとの意味。

  夏の日の日常に鳴く声を聞くことで蝉(蟬)は、猝弔虫の一つ瓩箸靴特里蕕豢砲瓩匿閥瓩文斥佞任呂△襦だが、歌語としての蝉は、時に蝉であって蝉以上の存在として捉えられる場合もある。

寒蜩(ひぐらし)もすでに鳴かずとあきらめてそれより後のちのゆふまぐれどき―斎藤茂吉

  この蝉は、蜩(ヒグラシ)か法師蝉(ツクツクボウシ)との説がある。夏至(6月20日)を過ぎた頃に、蜩は既に鳴き始めている。爛ナカナカナ瓩販辰卦い別弔声から「カナカナ蝉」とも呼ばれる。

  そして、蜩は地域によっては、秋の彼岸過ぎまで鳴いている。時には10月の初めにも鳴き声が聞かれる場合がある。
  法師蝉は爛張ツクホーシ、ツクツクホーシ瓩般弔声からの命名である。地域(栃木県など)によっては、爛好奪肇灰検璽茵▲好奪肇灰検璽茵▲検辞瓩畔垢海┐襪箸。この蝉が寒蝉だとの説もある。

ひぐらしは時と鳴けども恋ひしくにたおやめ我は定まらず啼く―読み人知らず(万葉集)

  事実、陰暦6月(現行新暦7月)は「蝉の羽月」の別名がある。蝉の翅の様に薄い着物を着る月、の意味である。
  夏蝉が鳴き始めるのは、多くの地域では7月である。初めに鳴くのはニイニイ蝉か蜩で、前者は麦蝉(ムギゼミ)後者を半夏虫(ハンゲムシ)と呼ぶ地方もある。半夏生は7月2日である。
  次いで、ミンミン蝉(深山蝉)と油蝉が鳴くが、彼らは時期的にも「梅雨明け蝉」とでも呼ぶのがふさわしい。

遂にして梅雨明けたれば鳴く蝉の権利のごときこゑの鮮烈―松本鷹志

雲のぼる六月宙の深山蝉―飯田龍太/深山蝉杣夫抜け来し杉の城―原裕青垣























  ところで、日本には30種余りの蝉が棲息している、と言われている。その主な種族を分類整理して見る。

<ニイニイゼミ族>

ニイニイゼミ(蟪蛄・麦蝉)

  体長20-25mmほどの小型の蝉。翅と体は褐色の斑模様で、体に薄く粉を吹く。他の蝉より一足早く、6月下旬には成虫になる。桜の木に多くいる。
  「チー…ジー…」と繰り返し鳴く。鳴き始めは「チー」が数秒、急に音が高く大きくなって「ジー」、数秒〜10秒ほどで緩やかに「チー」へ戻り、数秒後に再び「ジー」となる。
  明るい内はほぼ一日中鳴き、夜でも街灯の近くで鳴く事がある。他の蝉が鳴かない朝夕の薄明頃には蜩と並んでよく聞こえる。抜け殻は他種より小さくて丸味がある。全身に泥をかぶっているのが特徴。
  子供の頃に、口丹波の山里で聞いた夏の最初の蝉がニイニイ蝉だった。

夜蝉一つじじつと鳴いて落ちゆきし奈落の深さわが庭におり―馬場あき子

生きのびて麦蝉を聞く夕かけて―室生犀星/熟麦蝉ここに名乗ればかしこにも―高橋睦郎























<クマゼミ族>

クマゼミ(熊蝉・蚱蝉・馬蝉)

  体長60-70mm程の大型の蝉。体色は黒く、頭部と胸部が幅広い。主として西日本の平地に分布するが、20世紀後半頃から東日本でも分布を広げている。
  地球温暖化の影響も考えられるが、人為的移入やヒートアイランド現象の影響も考えられ、単に温暖化が原因と断じることは出来ならしい。
  朝や雨上がりの日差しが強くなる時間帯に腹を震わせながら「シャンシャンシャンシャン……」と大声で鳴く。我が家の周辺でも熊蝉が制覇している。

  そもそも「蝉」という漢字は中国から来ていて、元来は熊蝉の鳴き声に由来している、とされる。
  「蝉」の音(おん)は日本では「セン」「ゼン」と読むが、現代中国音では「チャン」と発音する。
  「チャン」→「シャン」へ、熊蝉の鳴き声「シャンシャンシャン」から蝉の漢字になった。

彼の世より呼び立つるにやこの世にて引き留むるにや熊蝉の声―吉野秀雄

白猫(はくべう)の捕らへてきたる熊蝉が畳の上にしわりと鳴けり―岩井謙一

耳しひし父に聞けよと鳴くらしきこの激しさは肥後の熊ぜみ―水上良介

くまぜみは居心地よき場を得たるらし一際高くフォルテシモに鳴く―糸洲マサ

エゾゼミ(蝦夷蝉)

  体長65-68mm程で、北海道では平地に生息し、東日本〜九州では山地に生息するクマゼミと同等の大型。木の幹に逆さに止まる。
  鳴き声は「ギー……」と聞こえる。名前に「エゾ」とあるが、北海道にのみ分布する蝉ではない。
  南方系の蝉であり、夏でも気温があまり上がらず涼しい北海道よりもむしろ長野県や南東北(特に長野県)で多く見られる傾向がある。
  蝦夷蝉は松・杉などからなる冷涼な針葉樹林に生息するが、近縁の小蝦夷蝉 赤蝦夷蝉は欅(ブナ)に生息する。

蝦夷蝉の鳴きそむるころひとり来つあらあらとせる木立こだちの中に―斎藤茂吉

えぞはるとも妙見蝉とも渓へだてききたる蝉を教へられをり―遠山光栄

妻よ子よわれらは蝦夷の蝉となりここに暮らさむ白ふかき陽よ―坂井修一























<アブラゼミ族>

アブラゼミ(油蝉・鳴蜩)

  体長約56-60mmで、熊蝉や蝦夷蝉よりやや小さい。蝉の翅は一般的に透明だが、この種類は不透明な褐色をしている。様々な木に止まる。都市部の公園や街路樹等にも多い。
  午後の日が傾きかけた時間帯によく鳴き、「ジジジジジ ジリジリジー……」と言う鳴き声は、夏の暑さをいっそう増幅する様な響きがある。夏休みの蝉の代表挌だった。
  桜の木へ足音を忍ばせて近寄り、背の高さなら素手でも捕れた。

あぶら蝉杉の木膚をいだくときそのたまゆらを目守らむとする―斎藤茂吉

ぬけがらもなきがらもある森のなか時間(とき)止まらせてあぶらぜみ啼く―木畑紀子

仰向きに死なむとしゐる油蝉をしづかに看取る夕日のひかり―高野公彦

色彩の美しさなどということを省いて生まれてきたあぶらぜみ―井川京子


<ヒグラシ族>

ヒグラシ(蜩・茅蜩・秋蜩・日暮・半夏虫)

  体長21-38mmばかりで、ツクツク法師より少し大きい。翅は投目透明で胴体は茶色っぽい。
  桧や杉の林に生息し、朝夕の薄暗い時間帯に「カナカナカナ…」と言う高い声で鳴く。

  私の住んで居た山里では「カッカ」と呼んでいた。鳴き声が周囲の山々に反響して「カカカカ・・・」と聞こえたからだろうか。
  その物悲しげな鳴き声の調子から晩夏の蝉のイメージが強いが、ニイニイ蝉と同じく6月下旬には鳴き始めるらしい。
  私はカッカの鳴き声を聞くと、もう夏休みが終わるのを感じたものである。

忽然としてひぐらしの絶えしかば少年の日の坂のくらやみ―佐藤通雅

遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり―河野裕子

ひぐらしの昇りつめたる声とだえあれはとだえし声のまぼろし―平井 弘

寒蜩(ひぐらし)もすでに鳴かずとあきらめてそれより後(のち)のゆふまぐれどき―斎藤茂吉

ツクツクボウシ(蜺・法師蝉・寒蝉・筑紫恋し)

  体長30mm程度。ヒグラシより小さく、翅に緑と黒の模様がある。桧・櫟・柿・赤芽柏など色々な木に止まる。
  晩夏に多く発生し、宿題に追われた昔は忙(せわ)しない気分にさせられたものだ。
  雄は午後の日が傾き始めた頃から日没後まで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞き方に由来する。
  鳴き声は「ジー……ツクツクツク……ボーシ! ツクツクボーシ!」と始まり、以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返し、「ウイヨース!」を数回、最後に「ジー……」と鳴き終わる。

  最初の「ボーシ!」が聞き取り易いためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク……」と逆に表記することもある。
  また、1匹の雄が鳴いている近くにまだ雄がいた場合、それらの雄が鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し鳴き声を挙げる。
  合唱の様にも聞こえるが、これは他のオスの鳴き声を妨害しているとの説がある。

法師蝉づくづくと気が遠くなり いやだわ 天の深みへ落ちる―渡辺松男

母逝き四十九の昼すぎぬ呪(じゆ)といひて幹をはなるるつくつく法師―岡井 隆

夕月の照りそめてより近く来て声の激しきつくつくぼふし―石川不二子























  広辞苑にも、寒蝉は秋の末に鳴く蝉。ツクツクボウシまたはヒグラシの古称か。とある。寒蝉を「秋告げ蝉」と読ませる場合もある。

  七十二候は、二十四節気と違って日本と中国の季節の違い、動植物の違いから何度か修正されて現在に至っているらしい。
  その事から、この寒蝉も日本の風土に合わせて、法師蝉と考えるのが妥当なようにも思える。

  特に、中国では寒蝉は法師蝉とされ、蜩は「虫唐」(虫編+唐)と書き、また台湾では「暮蝉」と表現している。
  蜩(虫編+周)は、「国中あまねく分布している」からとか、もの哀しい音色に反して傍で聞くと意外なほど声が大きいので「周囲にあまねく声が届くから」などと、その習性や生態に由来するのではないかと言われている。

  かくの如く定説が無いとなれば、自分なりの狃告げ蝉瓩魴茲瓩討盥イい里も知れない。

  そろそろ秋風が立ち始めると、朝夕の蜩の侘し気な鳴き声は、聞く者を何がしか感傷的にすることもあるのは確かである。
  ひぐらしは狷暗し瓩膨未犬襪里世蹐Αこの蝉が日暮れを連れてやって来るのだ。
  
聞くからに淋しかりけり涼風のわたる木末のひぐらしの声―上田秋成

ハルゼミ(春蝉)

  体長23-33mm程で雄の腹部が長い。主として松林に棲む。成虫は、その和名通り4月中旬頃から入梅の頃までに発生する。ゆっくりと「ジーッ・ジーッ…」と鳴く。

春蝉の鳴きてもの憂き昼さがりわれに少年の鬱始まりし―小谷 稔

乳頭の秘境蟹場の湯に浸り耳すまし聴く春蝉のこえ―斉藤 博

賎ヶ岳連鎖して鳴く春蝉の声国取りの幻の声―飛鳥游美

ヒメハルゼミ(姫春蝉)

  体長23-28mm。西日本の照葉樹林に分布する。雄は「ギーオ、ギーオ……」と鳴き、集団で一斉に鳴く習性がある。


  ところで、蝉は鳴くのは雄だけである。雌が静かにしているのを羨む男性も居れば(多分)、煩い雄を嘆く女性も居る(絶対)かも知れない。
  木に止まっていつも背中を見せているので、「背見」(せみ)と呼ばれる様になったとの説もある。























<ミンミンゼミ族>

ミンミンゼミ(蛁蟟・深山蝉)

  体長30-36mm程。体形が丸くて翅が長く、翅を含めた大きさはアブラゼミとほぼ変わらない。体は緑と黒の縞模様で翅は透明。
  そのために中々見つけ難く、子供の頃は垂涎の的だった。
  東日本では平地の森林に生息するが、西日本ではやや標高が高い山地に生息する。和名通り「ミーンミンミンミンミー……」の鳴き声で知られる。

みんみん蝉あまた鋭く響ければあはれ衰へてつくつくほふし啼く―土屋文明

死ぬほどのことをお前はしてゐないなんて言ふのよみんみん蝉が―柳 宣宏

みんみんはあたりを圧へ啼き澄めば夏草のなか従ふかなし―前川佐美雄

イワサキクサゼミ(岩崎草蝉)

  体長13-16mm、翅端まで2cm程と小さく、日本最小の蝉として知られる。沖縄本島から八重山諸島にかけて分布する。
  成虫は砂糖黍畑や芒の茂みに発生し、4月頃には「ジー」と鳴き始め「チーー」と抑揚なく長く鳴く。
  尚、「イワサキ」とは石垣島測候所の所長で、八重山研究の基礎を築いた岩崎卓爾からの命名とのことである。


  前述の如く、日本には全部で30種余りが知られるものの、西日本と東日本、低地と山地、都市部と森林で生息する蝉の種類は異なる。  
  また、南西諸島や小笠原諸島にはそれぞれ固有種が生息し、日本本土のものと似ていても集まる木や鳴き声が異なるそうである。
  日本人は虫や動物の鳴き声を、左半球の言語脳で聞く特殊な民族との説がある。ただ、蝉と螽斯(キリギリス)の声だけは例外で、言語半球の優位性は認められないと言う。

  つまり蝉の声は、他の虫の声に比べて、より純粋な音として聞いている事になるのだ。
  それでも、鳴き声は文字で表現するのがかなり難しく、同じ種類でも人によって表現が異なる。

  繰り返すが、鳴くのはいずれも雄蝉である。「蝉は幸いなるかな、その妻は鳴かざればなり」―クセナルコス


  蝉は、地中で暮らす幼虫時代が8年から15年程度と異様に長い。そして、地上では僅か7日から10日の生命である。
  鳴き声が少しくらい喧しくても、それに免じてしばらく耳を傾けるとするか。

蝉よ蝉地より出て来て幾日ぞ鳴けよ鳴ける間に鳴け―外薗 隆
さるすべり散りて小さき蝉の穴ほのかに翳り秋風となる―馬場あき子

  ところで、蝉の種類ではなく、その抜け殻を「空蝉」(うつせみ)と呼ぶのは周知の通りである。
  この言葉は平安時代から使われ出したらしく、元来は「現(うつ)し身」から変化した言葉とか。
  蝉の幼虫は、通常は8年、長い種類では15年程度が地中の生活と言われる。そして、孵化した蝉の幼虫の抜け殻は、当然ながら夏に多く見られる。
  その抜け殻の姿は、人々にとっては何がしかの哀れさを誘うものである。実際にも歌の枕詞としても使われ、「侘し」や「空し」に掛かる。


  『源氏物語』では、光源氏が空蝉と称する女性に想いを寄せる。彼女の部屋へ忍び込むものの、源氏は敢え無く拒まれる。
  そして、部屋に薄衣を1枚残したまま、空蝉は姿を消してしまうのだった。その薄衣が、蝉の抜け殻に例えられているのである。
   この空蝉は、源氏を袖にしたただ一人の女性である。紫式部がモデルらしいが、実際はどうなのか。

空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな―光源氏

空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな―空蝉


  また、空蝉には「蝉の殻」「蝉の蛻(もぬけ)」「蝉の抜殻」などの呼称もある。

忘れなん時しのべとぞ空蝉のむなしきからを袖にとどむる―素性法師

空蝉の長き眠りの夢のあと風に吹かれてぐみの木にあり―大音千紘

おびただしく寄せられてゐて空蝉のぬけがらながら我を圧せり―斎藤 史


  今年は我が家の狭庭の木に止まって鳴く蝉が多い。もちろん、熊蝉の声ばかりだが、抜け殻も幾つか見付けた。
  その一つを見付けて、玄関にある下駄箱の上の花瓶に止まらせてある。

晩年という美しさのひとときの裏木戸にして蝉の殻あり―香川 進

夏ゆくと机に置きし落蝉のなきがらひとつ眼を閉ぢず―小中英之























「旅人はかへらず」 (103)   西脇順三郎

庭の
蝉殻の
夏の夜の殻の朝
悲し


「かなかな」    八木重吉

かなかなが 鳴く
こころは
むらがりおこり
やがて すべられて
ひたすらに 幼く 澄む


「蝉」    石原 武

殻を出た蝉は
葦の葉をたわませて
烈日のおのれの軟体を焼いた
乾いた翅をうるために
じりじり臓腑をやきつくした
やがて死にむかう兵士のように
夏の光の一点を見つめたまま歌い始めた























「家」    岩井 洋

乾いた蝉の亡骸
ひとつ
家を出る時に
自転車のタイヤで
危うく轢きそうになった

よく見ると群がった蟻が
一枚の羽根を
ヨットの帆のように傾けながら
季節の移り変わる方向に
運んでいる

図書館では
「恋物語」
という本を借りて
帰り道を走っていると
ヒグラシが鳴いていた

夏の終りを惜しむように
少し哀しげに

角を曲がると道端には
落ち葉が重なっていて
まるであの蝉を踏むように
乾いた音がする

家に戻ると
先ほどと同じ位置と形で
一枚の羽根を欠いた蝉が
いわし雲の浮かぶ空を
静かに仰ぎ見ている





2013年08月01日

『夕立は白雨にして喜雨か』 

                   

小夕立大夕立の頃も過ぎ―高野素十
























  8月3日からは、七十二候の「大雨時行」(たいうときどきにふる/たいうときどきおこなう/たいうときにゆく)である。真夏のこの季節は高温多湿で、しばしば大雨が降る。
  現に、早々の1日に近畿に大雨洪水注意報が出て、我が家の周辺にも短時間ながら強い雨が降った。
  元来から、日本は特に雨が多いとされている。ただ、昼過ぎに俄(にわ)かに降り出す夕立にも暑さは去らず、その上、鳴き止まない蝉時雨にもいっそう汗が滲み出る。

  言わずと、夕立は雲が急に立ち込めて、短時間に集中して降る大粒の雨の事である。
  その多くは雷鳴を伴い、午後から夕方の時間帯に降る。『万葉集』では「暮立」と書いて爐罎Δ世銑瓩汎匹泙擦討い襦

暮立の雨うち降れば春日野の尾花が末(うれ)の白露思ほゆ―小鯛王

  ところで、この時期に夏の暑さが頂点に達するとされている。ただ、過去の推移から見ると、大暑(7月23日)より2週間ばかり後の8月8日〜16日頃が最も気温が高くなっている。

  過去40℃を超えた記録は、埼玉県熊谷市40.9℃(07.8.16)・岐阜県多治見市40.9℃(07.8.16)・山形市40.8℃(33.7.25)・和歌山県かつらぎ市40.6℃(94.8.8)・静岡県天竜市40.6℃(94.8.4)・埼玉県越谷市40.4℃(07.8.16)・山梨県甲府市40.4℃(04.7.21)・群馬県館林市40.3℃(07.8.16)・群馬県上里見市40.3℃(98.7.4)・愛知県愛西市40.3℃(94.8.5)がベスト10である。

  中部山岳地帯や東海地方より西の太平洋に沿う地方が早く暑くなり、東北北部や北海道は当然ながら遅れて暑くなる。
  かくして、実際の気温は大暑よりかなり遅れて最も高くなる。だが、梅雨が明けて急に暑くなる大暑の頃が、未だ暑さに慣れていないため気分的には最も暑く感じるのか。

  異常に暑さの去り難い昨今である。これ迄の記録は、今後も更新されるかも分からない。

樹を語り雨を言いつつ老い父の衰えてゆくこの夏猛暑―西田雅子























  話を戻して、「夕立」とは夕方に降ることが多く、短時間に局地的に降る雨をこう呼んだと言われている。
  その理由は、夕立を降らせる積雲や積乱雲が、昼過ぎから夕刻に掛けて最もよく発達するからだそうである。

この里も夕立しけり浅茅生に露のすがらぬ草の葉もなし―源俊頼

  茹だる様な夏の午後である。俄に空が暗くなったかと思うと、やがて遠くで雷鳴が轟き始める。一陣のやや涼しい風が吹いて来て、ほんの微かに水の匂いさえする。

よられつる野もせの草のかげろひて涼しく曇る夕立の空―西行

ここすぎて夕立はしる川むかひ柳千株(せんしゆ)に夏の雲のぼる―与謝野晶子

  「来るな」と思うや否や、突然に激しい雨が降り始める。家の中に居れば時には慌てて干し物を取り込み、道行く人は雨宿りに走ることもあるだろう。
  一頻り降った後は、雨はまるで嘘のように上がり、僅かながら涼しくなってもう夕方が近くなる。それが、従来のこの時季の夕立の姿ではあった。

十市(とをち)には夕立すらしひさかたの天の香具山雲隠れゆく―源俊頼

ゆふだちて夏はいぬめりそぼちつつ秋のさかひにいつかいるらん―読み人知らず(古今集)

いつもなら一人で濡れる夕立!と雨の中から君は叫びし―前田康子

  気象上の時間帯では、夕立は正午を過ぎた頃から日没後数時間迄に発生する雨を指す。
  夕方には降らずに、夜になってから降り始める雨は「夜立」と称している。下の歌などは、そんな情景を詠んだのか。

夕立の地降りとなれるさ夜ふけにつひに衰ふる稲妻を見し―吉野秀雄

  これに対して、早朝に発生する俄か雨を「朝立」と呼ぶこともある。
  ただ、これは夏特有の現象ではなく、単純に早朝に発生する俄か雨の事を指しているだけで、あまり使用されない言葉ではある。
  季節的には、梅雨明けの頃から秋雨の降り始める頃迄で、夏の晴れ間の多い時期に発生するものを指す。

ゆふだちて夏はいぬめりそぼちつつ秋のさかひにいつかいるらん―読み人知らず(古今集)























  異常気象傾向により、最近では、5〜6月にも夕立が頻繁に見られる様になった。こうなれば、これが常態なのか、とも思われるがどうなのか。
  さらに、これも異常気象のせいで、近年の夕立はもはや猴捨瓩覆匹班情のあるものではなく、爛殴螢藕覬瓩侶舛鮗茲觧が多い。

夕立の雨底ぬけに降るときに時計は黄なる音に鳴りたり―前川佐美雄

  特に、寒冷前線など前線の通過に際しても、突発的な強雨・強風・雷など夕立に似た現象が起きる。
  ただ、この場合は季節や時間を選ばず広範囲に起こるので、夕立とは区別されている。

鳴る神のしばしとよもしさし曇り雨もふらぬか君を留めむ―詠み人知らず(万葉集)

ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷(らい)ちかづきぬ―斎藤茂吉

高ぞらに嬉々として宵を遊び居し雷親子の行方を追う―佐々木幸綱

夜の闇の怒りのごとく稲妻の碧き光はビル街を打つ―是石ひさ子


  歌も時代と共に変遷するとおもわれる。ところで、低気圧の周辺で発生するもの、台風の周辺で発生するものも夕立とは呼ばない。
  今頃は、夕立かそうではない突発的な雨でも、上がればまた蝉が喧しく鳴き出す。そうなれば、いっそう暑さが増幅する事態に至る。

前をゆくをみなも傘をひろげたり蝉鳴くままに夕立は来ぬ―上條雅道


  余談ながら、雨に限らず波や風や雲などが俄かに起こったり動き出す時にも「夕立つ」の表現を用いる。
  「夕立雲」や「夕立風」は俄か雨を降らしそうな雲や風を言う。

ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすば)に溜まれる水の玉に似たる見む―読み人知らず(万葉集)

夕立雲立つ山や花漬の宿―河東碧梧桐/夕立雲迫ると鉾へ雨合羽―吉田みち子

  夕立の異称はその他に、「白雨」「驟雨」「喜雨」「ゆだち」などの呼び名がある。
  本来は日本の代表的な風物詩で、前述の如く万葉集にも登場する古くからある懐かしい季語なのである

志はるかなりわれ何遂げし墓山はいま白雨のそそぎ―春日井 

午過ぎの驟雨に暗みゆく花のその変容をしばし目守りつ―長澤一作

ふるさとや喜雨に濡れたる野のひかり―石橋辰之助/泡盛に酔へば沖行く白雨かな―橋本榮治/泡盛の舌刺すゆふべ驟雨来ぬ―澤田緑生

  また、各地には独特の呼び名がある。例えば愛知県の知多半島では、伊勢の方角から来る夕立を「伊勢群立ち」、沖の方から来る場合は「沖群立ち」と表現する。
  長野の佐久地方では、浅間山の彼方から来るなら「浅間立ち」と呼ぶとか。

  その極めて局地的な降り方を、「夕立は馬の背を分ける」と表現している。
  こちらは土砂降りなのに、つい隣町は晴れている場合などで、「驟雨」などはまさにこんな雨を指す。「牛の背片側には降らない」とも言う。

驟雨来て軒に駈け込み雨を見る二人三人、四人、六人―岡部桂一郎



  この「喜雨」は、文字通り待ちに待った恵みの雨で、人間だけではなく植物や農作物にとっても喜びの雨なのである。
  大粒の雨が激しく降ると、太い雨脚が白く光る。そして、雨粒が落下中に空中で分裂したり、地面にぶつかって跳ね返って飛沫を上げ白い雨(白雨)に見える事がある。まさに白い煙霧となるのだ。

  人影は霧靄の向こうに霞んで、しばくは色を失う。そして、雨雲が引くと、洗い上がった様な清々しい風景が色鮮やかに起き上がる。

麓より白雨せまりてくるゆふべ葡萄狩りつつ葡萄含(ふふ)めり―志垣澄幸

  長野県の南木曽では「白い雨が降ると蛇(じゃ)抜けが起こる」との言い伝えがある。
  犲愴瓦鵜瓩箸六格れや土石流のことである。古い文書では、白雨を爐罎Δ世銑瓩汎匹泙擦討い襦

  ちなみに、この白雨を犇笋留瓩班集修垢訃豺腓發△襦1粒の大きさは最大で直径5〜6ミリで、これ以上に大きくなると、下から空気の抵抗を受けて空中で割れてしまうらしい。

白雨寒山を映(おおい)い、森森として銀竹(ぎんちく)に似たり―李太白(雨花銀竹)

忽ち驚く、銀箭(ぎんせん)四山に飛ぶを―元好間(張主簿草堂賦大雨)

蕪村忌や暮れきつてより銀の雨―若山允男

  古くから、中国でも白い雨脚を銀の竹や銀の箭(や)に見立てているらしい。
  この他にも、激しい雨の表現としては、「腎雨」(じんう)・「篠(しの)突く雨」・「繁(し)吹く雨」・「車軸を流す」などがある。

白雨とも夕立ともいふほのぐらき銀の簾が都市の空を過ぐ―高野公彦
























  夕立はさっと降ってさっと上がるので「早雨」(はやさめ)や「通り雨」の異称もある。
  ちなみに、藤沢周平は『驟(はし)り雨』と題した小説を書いている(私は読んでないが)

通り雨にたちまちすぎてあさがほの紺のほとりに髪洗ひおり―辺見じゅん

昼顔の花に乾くや通り雨―正岡子規/通り雨浜昼顔に過ぎし跡―藤松遊子

  稲光がしてから稲を三束たばねる間に雷雨に見舞われるとして、「三束雨」(みつかあめ)と呼ぶ地方もある。
  これが転じて「山賊雨」とも称する。何と何となく頷けると言うものである。

あしがらのみねのうき雲うき立ちて神のみさかにはやさめぞ降る―中島広足


  ところで、「時知る雨」との言葉がある。俄かに降る雨は、いずれは上がる。
  この言葉は夕立の癖を先回りして表現したもので、言うなれば余裕の表現である。
  急に雨が降って来た。傘を持つまでもない、と肘で雨を凌いで駆け抜けることもある(った)。こんな雨を、「袖笠雨」とも「肘笠雨」とも呼ぶ。

  つい、軒下に雨宿り。これは、「雨隠れ」または「笠宿り」とも。昔の僧侶は、出家した我が身の衣さえ濡れれば薫って、ふと苦笑したと言う。

時雨には色ならぬ身の袖笠も濡るれば薫る物にぞありける―少将公

  ちなみに、猯浣瓩箸蓮△曚鵑両しの間だけ降る雨のことを言う。
  しかしながら、いずれにしても夕立もまるで来ない日が続いている。今夏はかなり地域差が激しい。

支笏湖はむかし死骨湖日暮れむとしとて涙雨にはかに灌ぐ―今野寿実

  座っているだけで汗が滲み出るのは、室内温度が29℃を超える頃から、と言われている。そんなレベルは、昨今は朝から軽く超えている。
  最近の省エネの為の推奨冷房温度28℃は、汗を掻く直前まで我慢せよ、と言う訳である。我が家はクーラーは29℃に設定しているが。

クーラーの風を避くるに都合よき北枕にてふかく眠りぬ―竹山 広

  何にしても、皮膚の表面に流れ出した汗は、蒸発する時に身体から気化熱を奪って体温調節をする。汗を掻くことはかなり大切なのだ。
  他の動物に比べると、人間の汗腺は格段に多いらしい。狄佑牢世鯀澆動物瓩噺世┐覆もない。

  余り汗を搔かない(汗腺の少ない)犬は、舌を出して獏辰呼吸瓩鬚靴栃熱する(せざるを得ないのだろうが)
  象は鼻で水を吸い上げて、胴体に吹き付ける。子供の頃から、動物園でよく見た光景である。理由はここにあったのだ。
  それなら、河馬や犀はどうか、などと余計なことではあるが。

  いずれにしても、犂誠紊鯲す瓩里蓮⊃祐屬遼寨茲了僂覆里任△襦J原腓聾世錣覆い巴屬海Δ隼廚Δ、果たしてこの夏は守れるかどうか・・・。

拭へどもしたたる汗に悩みつつ猛暑まだまだいつまで続く―小沢知江子























「驟雨」    北園克衛

友よ、またアポロが沖の方から走ってくる
雨のハアプを光らせて
貝殻のなかに夕焼けが溜まる



「国境」    田中冬二 

海抜二千尺
国境の駅の ラムプのまはり
山繭の蛾が飛んでゐる

遠雷がして はるか山麓のあたり
雨が降ってゐる



「無題」    米光関月

夕立の 降らで過ぎ行く
一村 暑き 物の匂ひや。
軒低きところ 馬盥(ばだらい)の湯の 冷めて濁りて、
花咲ける葵 しづかに映る



「晴間」    三木露風

八月の 
山の昼
明るみに
雨そそぎ
遠雷の
音をきく。

雨の音
雷の音
うちまじり
草は鳴る
八月の
山の昼。
をりからに
空青み
日は照りぬ――
静かなる
色を見よ
山の昼。























「夕立」    小池昌代

暗い雲がみるみるうちに
あなたの顔をおおう
何もない皿の上
蛍光灯の貧弱な光があふれ
わたしたちは
わたしたちは
じぶんのうちがわに
爪をたてて
声をころし
約束をさけた会話をしている

この昼のくらさ

わたしはふかいところによろこびをかくした
古代の植物のようにみしみしとほほえむ

やがて
夕立

あなたの肩越しのぶあつい窓ガラス、そのずっとむこうに
夏のもっともあぶらじみてさびしい部分が
めくれあがりあらわになってひるがえっているよ

(緑の武士が古い馬具にまたがり
虹に重たい音をこすりつけて歩く)

室内の影たちはぼろぼろになって疲れ
ものたちの配置はいよいよ確かだ

わたしは部屋を出る
どしゃぶりの雨のなかへ
わたしはその姿をテーブルからみている
ドアが閉まる固い音
その前後の空白に
室内の影たちが
ぐったりとたおれかかる

なまあたたかい、いきものの息を交わして
素足から透きとおり
大きな歓びの声だけをあげたい


「銀の雨」    松山千春(詩・曲・歌)

貴方と暮らした わずかな時間
通り過ぎれば 楽しかったわ
これ以上私が そばにいたなら
貴方がだめに なってしまうのね
いつの間にか 降りだした雨
窓の外は 銀の雨が降る
貴方のそばで 貴方のために
暮らせただけで 幸せだけど
せめて貴方の さびしさ少し


わかってあげれば よかったのに
貴方がくれた 思い出だけが
ひとつふたつ 銀の雨の中

ごめんと私に いってくれたのは
貴方の最後の やさしさですね
いいのよ貴方に ついて来たのは
みんな私の わがままだから
貴方の夢が かなうように
祈る心に 銀の雨が降る
銀の雨が降る 銀の雨が降る





『猛暑炎暑酷暑の葉月』


葉月来ぬ木の葉のやうな月あげて―三嶋隆英
























  7月も終わり8月となった。この月(旧暦)を「葉月」(はづき)と呼ぶのは、木の葉が黄色に色付いて落ちる事から「葉落月」(はおちづき)が訛ったとするのが定説である。
  その他では「穂発月・穂張月」(ほはりづき)が語源とする説や、「南風月」(はえづき)の転化、雁が初めて来る「初来月」(はつきつき)、そして単に八番目の月が「はづき」と呼ばれたなど様々である。
  そのいずれにしても、「発」「張る」「初」など、農事絡みに関係している事は間違いない。

なつ真夏葉月八月がらす越し玉の緒のごと蛙を見たり―村木道彦

  前月の29日からこの2日迄は、七十二候の「土潤溽暑」(つちうるおいてじょくしょす)である。
  溽暑とは、湿度の高い蒸し暑さを言う。じっとしていても脂汗が滲み出る様な暑さである。まさに、今年の夏は日々それを体現している。
   溽暑は、炎暑とは違い曇り日の蒸し暑さを感じさせる。また、灼暑とも異なり、身に纏わり付く空気の重さを感じさせる。
  油照という季語があるが、この重苦しさは溽暑に似ている

じりじりと山の寄せくる油照り―福田甲子雄/底ぬけの大青空の油照り―村山古郷

  この「溽暑」に「土潤」が付けば、暑気が土中の水分を蒸発させて蒸し暑い、との意味になる。
  それを表わす言葉に「草いきれ」と言う季語があって、蒸せるような匂いと湿気を発する夏の草叢を指す。「草いきり」「草の息」とも表現する。

大股で歩むほかなき草いきれ―牛山一庭人/草いきれとて青春に似たるもの―後藤比奈夫

  この時期は暑さも峠となって(今夏は、この先もどうだか分からないが)、猛暑・酷暑・炎暑などはよく使われる言葉である。

朝空を電気泳動されてゆく白き雲見ゆ今日も炎暑か―栗木京子

恐竜展出づれる酷暑の夕ぐれを尾のなき二足歩行者あはれ―馬場あき子

拭へどもしたたる汗に悩みつつ猛暑まだまだいつまで続く―小澤知江子

千枚の田のしづけさの炎暑かな―橋本榮治/此の酷暑梅むらさきに干上りぬ―久米正雄/内干しの玉葱小屋の猛暑かな―藤田あけ烏























  それにしても、未だ太陽の顔を出さない早朝から、騒がしい蝉の声がいっそう暑さを掻き立ててくれる。
  本来なら、この時季から油蝉の天下になる筈だが、最近は完全に熊蝉に取って代わられてしまった。
  別にそれでも差し支え無いのだが、やはり子供の頃から馴染みの多い油蝉を見ないと(聞かないと)淋しい気がする。

  蝉の名の由来は、その鳴き声からが多い。ニイニイ蝉の鳴き声は「ジージー(ニィニィ)」だし、ミンミン蝉は「ミーンミンミンミー」と鳴く。ツクツク法師やカナカナ蝉(蜩)も、その名の通りに鳴く。

  油蝉は、鳴き声が油を鍋で熱した時に撥ねる「ジリジリ」と言う音に似ているため、油が撥ねる音の様に鳴く蝉からの命名とされている。
  一方、熊蝉は体が大きくてしかも黒いので、熊に例えてそう呼ばれるようになったらしい。鳴き声は、熊には似ても似つかぬ「シャーシャー」なのだが。

声聞けばあつさぞまさる蝉のはのうすき衣は身にきたれども―和泉式部

  こ歌の蝉の羽は爐Δ垢瓩世ら透明の蝉だと思われる。日本には32種類の蝉が棲息しているとの事だから、その総てを識別するのは難しい。
  

石走る滝もとどろに鳴く蝉の 声をし聞けばみやこし思ほゆ」に―大石蓑麻呂

  万葉集に詠われているこの蝉は何か。この時代は蝉類を蜩(ひぐらし)と称していたのでそうとも思われるが、過去の諸説でも決め手はないらしい。もしかして、油蝉か熊蝉かも分からない。

  いずれにしても、暑さの最盛期である。暑さを表現する言葉はその他にも多々ある。

炎熱=炎の様な暑さ・苦熱=苦しくなる様な暑さ・極熱=耐えられない様な暑さ・極暑(ごくしょ)=酷暑に同じ・灼熱=焼け付く様な暑さ・溽熱=酷く蒸し暑い様子・暑熱=暑苦しい様・甚暑(じんしょ)=甚だしい暑さ・盛暑=甚だしい暑さ・炎陽=焼け付く様な陽射し・炎威=激しい勢いの暑さ・余炎=残っている暑さ・煩熱=蒸し蒸しと暑苦しい様子・・・と実に豊富である。

炎熱とならむ泥田は泥田のまま―冨田みのる/蓋あけし如く極暑の来りけり―星野立子/灼熱の砂を過ぎゆく夢の翳―仙田洋子/炎威衰ふるとみれば夜店車はや―福田蓼汀/人見えぬ船に手を振る極暑かな―小川原嘘師


  ちなみに、「炎帝」(えんてい)とは夏を司る神の名である。また、その神としての太陽を指す場合もある。

>四時には其主あるぞ。春は青帝、夏は炎帝、秋は白帝なんどと言う(中華若木詩集抄)

炎帝に顔上げ父に叛(そむ)きたる―伊東美也子/炎帝の藪に向ひて火を熾(おこ)す―南 典二

炎帝の愛の記憶のまざまざと夜更けてもなお肌を火照らす―相沢光恵

  更には、甑(そう)に坐すが如し=甑(こしき)に座って下から蒸されている様である、の言葉もある。
これは暑さの酷しい喩えとされている。(韓愈「鄭羣贈簟詩」)。甑は蒸籠(せいろ)を指す。

「鄭群 簟を贈る」    韓愈

五月自従り 暑湿に困(くる)しみ、
深甑(しんそう)に坐して蒸炊に遭うが如し。
手を磨し袖を払いて 心口に語る、
慢膚汗多きは真に相宜しと。
日暮れて帰り来たり 独り惆悵(ちゅうちょう)し、
売る有らば直ちに家資を傾けんと欲す。
誰か謂わん 故人我が意を知り、
八尺の含風漪(い)を巻いて送らんとは。

炎天やおもて起して甑岳(こしきだけ)細川加賀/邯鄲や掘られて甑(こしき)けむり色―宮坂静生























  また、三伏(さんぷく)と称する表現があって、これは夏の最も暑い時期を指す言葉である。
  陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・末伏(まっぷく)の総称とされている。

  さらには、よく耳にする庚(かのえ)は「金の兄」で金性であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。
  そこで、夏の間の3回の庚の日を三伏とする。種まき・療養・遠行・男女の和合など、全て慎むべき日とされている。

三伏の闇はるかより露のこゑ―飯田龍太/三伏の夜のうす雲いでにけり―松村蒼石/捨畑の桑真青に初伏かな―木村蕪城/末伏の琴きん〜と鳴りにけり―長谷川かな女

  ところで、暑い今頃は当然ながら汗の季節でもある。暑い日や激しい労働の時に体温を下げるために掻く汗は温熱性発汗で、精神的・情緒的刺激で出るのは精神性発汗とされる。
  また、酸っぱい物や辛い物を食べた時は味覚性発汗と称している。「額に汗する」「汗の結晶」「米一粒汗一粒」は、温熱性発汗から生じた言葉である。

うつし身の汗が乾きてかなしもよ塩となるまで今日歩きたり―松村英一

  「手に汗を握る」は精神性発汗であり、恥ずかしい時は「漸汗(ざんかん)」「汗顔の至り」となる。私など、常に後者の汗が多いが・・・。
  「背汗」も、恥ずかしい時や恐ろしい時の汗を言う。一度出た汗は体内に戻せないので、「汗の如し」は牋貪抔にしたら取り消せない瓩領磴┐砲覆辰討い襦

十三年の汗と脂によごれたる机に垂るる涙は何か―江畑耕作

亡き友の墓碑銘かくと夜ふけてあぶら汗いづわが額より―斎藤茂吉























  この季節に人間だけでなく自然界にも大切なのは、言うまでもなく狄絖瓩任△襦
  地球の表面には、均(なら)すと1年間に約1000ミリの降水(雨や雪)がある、と推定されている(これ迄の数値だが)

  ところが今、大気中の水蒸気を全部雨にして降らしたとしても、25ミリにしかならないそうである。
  と言うことは、大気中の水蒸気は、1年間に40回(1000ミリ÷25ミリ)、つまり、約9日間に1回の割合で入れ替わっている状態を意味している。

  地球上の水の98%は海水で、大気中の水蒸気は僅か0.001%である。
  太陽は主に海水を蒸留して真水の降水をもたらし、陸の生物は、その「水の大循環」のお陰で生きているのは周知の如くである。
  但し、日本はまさに狄紊旅餃瓩任△襦1年間に降る雨の量は、世界の平均値に比べて2倍にもなるとされている。
  やや安心ではあるものの、昨今の気象では果たしてどうなのか。


  そして、8月1日は「水の日」である。「水の日」とは、水資源の有限性や水の貴重さ及び水資源開発の重要性について国民の関心を高め、理解を深めるための記念日、とされている。
  1977(昭和52)年に「水の週間」と合わせて定められた。年間を通じて水の使用量が多く、水について関心が高まる8月の初日に設定された経緯がある。

水の日に浮きてゆられぬ藻掻竿―飯田蛇笏/藁塚に水の日返す変声期―牧野桂一

  なお、1993(平成5)年に、国連総会で3月22日を「世界水の日」(World Day for Water、もしくはWorld Water Day)とすると定められた。「地球と水を考える日」とされている。

  我が国の水の週間は8月1日〜8月7日と設定されている。初日の1日に因む行事が数多くある。

洗濯機の日(この日が「水の日」のため)/自然環境クリーンデー/肺の日(八(は)(い)で「肺」の語呂合せ)/麻雀の日(八(は)(い)で「牌」の語呂合せ)/世界母乳の日(子供が母乳で哺乳される権利「母乳権」の普及を図り、母乳による育児を推進する日)/パインの日(八(は)(い)で「パイン」の語呂合せ)/島の日(日本で一番離島の数が多い長崎県が制定。八(は)と、1をI(アイ)に見立てて「ハッピーアイランド」の語呂合せ)/バイキングの日(帝国ホテルが2008年に制定)/夏の省エネルギー総点検の日(資源エネルギー庁が制定)。人間の創造性(単なる想像性?)はまさに際限もない。























  話を戻して、八朔・田の実の節句の風習がある。8月1日は、八月朔日を略して「八朔」と呼ばれている。
  元々は旧暦8月の行事で、その年の新しい穀物を取入れたり、贈答をしたりして祝う日だった。明治以降は新暦でも行われるようになった。

八朔の節供に田の面見てあるく―藤井紅葉/八朔や農夫ばかりの山あそび―窪田佳津子/八朔の酔野に出でてさめにけり―高田蝶衣/八朔や遠き記憶のいくさの日―成瀬桜桃子

  また事のついでに挙げれば、水にかこつけた如き行事が年間を通じて幾つかある。

清水寺・みずの日 3月4日/飲み水の日 6月6日/パイナップルの日8月17日/シーサーの日 4月3日/ゴーヤーの日 5月8日/泡盛の日 11月1日・・・ここまで来ると、もうよく分からなくなるが・・・。

小山田のなはしろみづは絶えぬとも心の池のいひははなたじ―読み人知らず(後選集)


  夏の水と言えば、古い屋敷や茶室のある庭などの蹲(つくばい)が涼しげである。
  石や岩を繰り抜いて作った手水鉢のことである。昔の京都市内でも、鰻の寝床の様な家の奥に庭があって、そこに小さな蹲があった。
  元々は、茶室に入る前に口や手を清めるために用いたものらしい。
  清める際に身を屈め低い姿勢になることから爐弔ばい瓩噺討个譴詬佑砲覆辰拭

蹲に落ちて紅張る寒椿―影島智子/ここにして蹲くまる碑の冬に入る―松村蒼石

見られゐることに気付かず蹲の氷(ひ)を突く島の<一生懸命>―楠田立身

  なぜか冬に詠んだ作品ばかりである。「突く」と「這う」を合わせて出きた言葉で、爐Δ困まる甅爐靴磴む甅犹佑弔麈腓い砲覆覘瓩覆匹琉嫐もある。
  すっかり苔蒸した蹲に竹の水出し。古い懐かしい光景である。


  その京都の夏の暑さが日本でも有数なのには理由がある(最近の最高位は熊谷市らしいが)。遙か昔、京都は断層によって陥没した湖底であった。或る時は、大阪湾に続く江湾でもあった。
  この太古の湖は、北から東に懸けての山から緩やかに運ばれた土砂と軽微な地層の隆起によって京都盆地となった。

  周辺の山々、特に東山三十六峰の趣きの深さも何と無く納得出来る。従って、京都は今も深層からの涌水で極めて湿潤なのである。
  冬の底冷え夏の蒸し暑さ、それに対照する春と秋の季節の美しさもそこに起因し、山紫水明の言葉の生まれる所以ともなった、と言われている。

  かくして、夏の暑さも冬の寒さも、その犖伉譴良土瓩齎(もたら)すのだそうである。湖の広さは琵琶湖に匹敵するらしい。
  となれば、夏冬に余り愚痴ばかり零(こぼ)してもいられないか。

  >京都に住む人間は、美事な春と秋を享受する代償として、この過酷な夏と冬を諦観しているのである<(林屋辰三郎「京都」)























  地面がアスファルトなどで舗装されずに土のままだった田舎道に、夕立の跡には水溜りがあちこちに出現した。
  そんな時は草履を脱いで裸足で水溜りに入って、水澄しを追い駆けたり水飛沫(しぶき)を跳ね上げて遊んだ。
  そうした水溜りを、大昔から潦(にわたずみ)と呼んだのを、私はまるで知らなかった。

はなはだも降らぬ雨故にはたずみいたくな行きそ人の知るべく―読み人知らず(万葉集)

にわたずみまばたくと見れば降りており林にいまだ音あらぬ雨―高安国世

  「潦」は爐蠅腓Ν瓩汎匹狆豺腓發△襦そして、秋潦(しゅうりょう)は秋の大雨を言う。
  大きな湖や池や沼などからすれば、ほんの小さくささやかな水溜りではある。

  今は消えて失くなってしまったものは狄瓦累貝甍燭い廊狄瓦涼哭瓩箸任睇集修垢襪里も知れない。
  遙か遠い日に、何処かへ置き忘れてしまってはいるが・・・。

み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止とめそかねつる―詠み人知らず(万葉集)

われのひかりに選ばむとしてのがしたる夏のひかりの潦あり―萩原裕幸























「雨」    八木重吉

雨は
庭のみずたまりに輪をつくっている
ひとつの輪は
ほかの輪にふざけて消える
こうしてみているとほんにたのしい



「町」    西条八十

いばらきの野の田舎町
日ぐれは、はやく戸を閉ざす、
いくたび独り小夜ふけて
もの想ひつつ歩みけむ
かの横みちの水たまり、
この横みちの甃石(いしだたみ)



「雨後」    高須 茂

  ――一ノ倉

天幕の外に、石楠の枝が折られてゐる。花弁が流されてゐる。
布のやうな雨の中の、遠い遠い雪崩の音。

雨後の岩壁は青空を映してゐる。白い雲のゆく潦(みづたまり)。また岩燕が飛び始める。
私は昼寝からさめる。私の後頭部に重い私の登山綱(ザイル)























「国名」    清水 昶 
         
  ――亡き林賢一君に

お母さん ぼくは遠くから流されて
異郷の砂浜にうちあげられた貝だった
水が欲しいよ 水をふくんだことばも少し
ただぼくはだまっていただけなんだ
歴史的に半島の血を割って 古い戦争が移しかえた
三つの国名が汚れている
はんぶんだけの祖国はみどりが滴っていると聞いたけど
関係ないよね 三代目の図画の時間には

ぼくだって片想いに区切られた恋もした
どこまでもひろがる海図の迷彩色にすっかり染まって
勉強もがんばった 悪意を抜いて……
まだほそい腕から切れ込んで意味の手前でするどくまがる
凄いカーブもみせたかったな
ひとりぼっちで喝采して網に突込む 
素晴らしい右脚のシュートもさ
ほんとうにみてもらいたかったんだ
校庭はがらんとしていて 落葉だけが降りつもり
だあれも受け手がいなかったから
全部ボールは行方不明
いつもそんなゆうぐれが肩から昏れて
明日の学校は暗欝だった
ぼくはだまっていただけなのに
三つ目の国名が窓を閉めきり
大人の手口とそっくりな手と口が
けたたましくぼくの出口を覆うから
夢を教える教室は 退屈しきった
健康で小さな病者がいっぱいだ

お母さん
ゆうやけが水たまりに落ちていたりして
帰り道がきれいだったよ だけどもう
腕が抜けそうに鞄がおもい 学帽の中味も投げ棄てたいな
国名のない海の音が聞きたくて
屋上の夜までのぼってみた 眼下のあかりを吸って波だつ
晩夏の夜空は海みたいだったな
ぼくは誇りをしめたひとつの貝だ
みしらぬ渚で寒さと嗚咽に堪えながら
国名を解くために
じっと舟を待っていた  



「荒地」    トーマス・S・エリオット

もし岩があったら
そして水があったら
さらに水と

岩のなかに溜り水
水の音だけでもあったら
蝉も
干草も歌わない
ただ岩の上を流れる音だけ
隠者・鶫が松の木立で鳴いているよ
ポトッ、ポトリ、ポトリ、ポトリ、ボトリ
しかし水はない


ima


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